倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」

倉田剛による下記の2つの論文が、グァラに触れているので、フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2を読んだついでに、これらの論文も読んでみた

倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」

https://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/Vol_17_2019/03_kurata.pdf
第1節から第6節までは、グァラ本の紹介
基本的には、グァラ本の意義を評価している
その上で、第7節にグァラ説への疑問点が挙げられている

7「統一理論」の問題点
  • 7.1「同一説」への疑問

グァラ:サールの構成的ルールにおけるY項を消去可能であると述べた上で、椅子と椅子を構成する原子集団を二重に数え上げる誤謬と同じ誤謬であると批判(第5章「構成」)


倉田(1):二重の数え上げを誤謬とするグァラのような考えは「同一説」と呼ばれるが、「同一説」は端的に誤り


倉田(2):サールはそもそも、ここでいう二重の数え上げをしているわけではない。構成的ルールは新たな対象を創造しているのではなく、ある対象に機能を付与している。だから、この批判はサールには当たらない。
 
倉田(3):形而上学的立場としては、グァラもサールも大して変わらない。どちらも誤っている。

  • 7.2言語の役割に関する見解の相違

グァラ(1):制度にとって言語は、実践的な利点はあるが必要ではない
グァラ(2):動物にも相関均衡は見られるが制度ではない。動物の慣習と人間の制度を分けるのは、新たな戦略や均衡を生み出す点であり、それを可能とするのは「表象」である。


人間と動物とをわける「表象能力」が何かをグァラは述べていないが、常識的に考えれば言語能力のことであり、そうであるなら、グァラの主張(1)と(2)は矛盾するのではないか。


さらに、グァラも参照している青木の議論について
「次第に「内生的ルール」から、プレイヤーに外的な「公的表象」(公的表現 public representation)を重視するように」
公的表象には、非言語的なものも含まれるが、言語が排除されていることもないだろう

→グァラは、制度における言語の役割を過小評価

  • 7.3義務賦課ルールと権能付与ルール

グァラの還元テーゼ=構成的ルールは統制的ルールに還元可能
ケルゼンの法理論=権能付与ルールは義務賦課ルールに還元可能
グァラの還元テーゼはケルゼンの法理論と親和的
しかし、現在の法哲学の議論において、ケルゼン説は受入れられていない


H.L.A.ハート:一次ルールと二次ルールの区別
ハートのいう二次ルールは、「高次の権能付与ルールであり、構成的ルールの一種」(倉田の見解)
法理論として広く受入れられているハート説と齟齬を来すのは、グァラ説にとって大きな代償

感想

倉田は、ルールベースの制度論(主に哲学寄り)と均衡ベースの制度論(主に経済学寄り)とを統一したグァラの理論を基本的には高く評価している
そもそも倉田は、『現代思想2017年12月臨時増刊号 総特集=分析哲学』 - logical cypher scape2の中で、2つの制度論の何らかの統合が必要ではないかと指摘していた
倉田による上記3つの批判は、必ずしもグァラ説を否定する決定的な反論ではないし、また、倉田自身もそういう意図ではないだろう。
だが、修正すべき点がある、ということだ


「2.言語の役割」の中で触れている青木の議論について、グァラ本の監訳者である滝澤弘和は解説の中で、晩年の「公的表象」の議論よりもむしろ「内生的ルール」の議論をしていたことの方を重視していた。青木の議論のどこを重視して参照するかというところに、論者ごとのポジションが出てくるのかもしれない。
ところで、ヒトの協力行動の起源や言語の関係は、進化人類学や心の哲学などで結構話題になるトピックなのではないかと思う。
「3.義務賦課ルールと権能付与ルール」が、個人的には、この論文の一番のポイントだなと思った。
倉田も述べている通り、グァラの統一理論は、従来あまり行われていなかった経済学と哲学との統合を行おうとしている点で意義があるが、一方、法学の視点が看過されてしまっている可能性があるということになる。

倉田剛「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」

いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか

社会種の実在論について、倉田説が展開されており、第4節でグァラへの批判がなされている。
グァラとは違った形で実在論が展開されている。
また、最後に、ハッキングをやはり実在論として紹介しており、そのあたり、グァラ本とはまた違った見方ができる

1.心からの独立性テーゼ

【心からの独立性テーゼ
Xは実在的(real)であるならば、XおよびXについて成り立つ事実は、私たちのXに関する表象(Xに関する心的態度、Xに関する概念・理論など)から独立して存在する/生じる/成立する。


国家や貨幣は表象から独立してはいないが、実在的であるように思われる。ここに「ボタンの掛け違い」があるのではないか?
→社会構築主義は、社会種が実在しないと考えるが、それは彼らもこの独立性テーゼを自明視しているから

  • ハッキングが指摘する社会構築主義の3つの含意

(1)Xは偶然的である(不可避的ではなかった)。
(2)現状におけるXは非常に悪い(quite bad)。
(3)もしXが完全に取り除かれるか、あるいは少なくとも根本的に変えられれば、私たちはいまよりもずっと幸福になるだろう(we would be much better off)。


「悪い」もの、「取り除くべき」ものという時、社会構築主義者もXの実在性(リアリティ)に直面しているのではないか

2.独立性テーゼを疑う

「心か ら の 独 立 / 心 へ の 依 存 」 と い う 区 分(mind-independent/mind-dependent distinction)は、網羅的でも排他的でもないがゆえに、「形而上学の基礎になりえない」(cannot be a basis for metaphysics)(Baker2007: 19)。

3.因果性と実在性

実在論としての構築主義」が模索されている
→因果により実在を捉える
ハッキングやマロンなど

【因果性テーゼ】
Xは因果的効力をもつならば、Xは実在的(リアル) である。

「Xは因果的効力をもつ」という表現を、「Xは因果的に作用する/作用を被る」あるいはより単純に「Xは原因/結果になる」ことだと理解することにしたい。

4.因果的構築と構成的構築

社会的構築については、ハスランガーの定式化により「因果的構築」と「構成的構築」に分けられるのが通例

  • グァラ

構成的構築を強く批判する1人
構成的構築は、トマソンの議論より、不可謬主義を帰結
しかし、不可謬主義は誤りなので、構成的構築も認められない

  • 倉田

構成的構築批判は以下の2点で適切ではない
(1)トマソンは、社会種に関する全面的な不可謬主義を主張しているわけではない
(2)社会種に関する因果的依存は、構成的依存を前提するということを、グァラはまったく考慮していない

5.社会種が表象に因果的に依存するとは

社会科学者による因果的説明という実践を重視
その実践の背景には「素朴心理学」と「方法論的個人主義


ここでの倉田の主張は、因果的という時に、還元主義・消去主義的な立場を採る必要はない、ということ
つまり、物理学的な、あるいは神経科学的な因果メカニズムだけが因果だ、という立場はとらない、ということ
「Aという信念を持っていたからBという行動が起きた」という素朴心理学的な説明を、因果的説明としてよいとする(実際、社会科学者の実践はこれ)。
「脳内のこれこれという分子がどれそれという反応を起こしたから、Bという行動が起きた」という説明は不要(方法論的個人主義
ここで倉田は、自身でも述べている通り、「方法論的個人主義」をかなり特殊な意味で使っているように思われる。

6.社会的メカニズム

科学的説明論における「演繹的-法則的モデル(D-Nモデル)」と「メカニズムによる説明」の違い
後者は「真なる因果説明」以上のものを要求するとともに、D-Nモデルと違って必然化の主張は含まない。
社会科学による説明は「メカニズムによる説明」


ただし、自然科学における「メカニズムによる説明」とも異なる
社会メカニズムの中には、物理的存在者以外の存在者や相互作用への言及を含む

7.因果性と規範性
  • M.ルートによる社会種の分析

【ルートによる社会種の実在性テーゼ】
社会種Kは実在的であるならば、Kはそのインスタンス(メンバー)たちがどうあるべきか(どう振る舞うべきか) を命じる

3節で述べた通り、因果的効力を持つとは「原因/理由となる」ということ
ルートは、ある社会種が「原因となる」ということを、「命じる」という「規範」として説明する
一般的に、因果的アプローチと規範的アプローチは相性が悪いものとされる
しかし、ルートは、社会種において、規範と因果が一致するような分析を行っている


また、「人種」や「ジェンダー」は実在的だが「戌年生まれの人」や「電話番号下2桁が11の人」は実在的ではないという区別が、ここで示されている。
 

※因果的テーゼによる実在論の立場にたつとしても、グァラは、社会種の実在論を、社会種=自然種という方向性で主張するが、倉田やルートは、社会種は自然種とは異なる形で実在している、という方向性で主張している。

8.ループ効果
  • ハッキングによる社会種の実在論について

ハッキングはルートほどラディカルではなく、自然種的な因果の理解にたつ
法則ないし一般化と結びつける
因果を「現実世界に変化をもたらす役割」として理解
単なる現象の説明ではなく、実践的な概念として因果を理解
「(統計的)因果推論」と親和的な考え


社会種と自然種との違いとして、ループ効果をあげる
ループ効果によるメカニズム的説明

9.まとめ

社会種の実在性を擁護する理論にとって必要な条件についての暫定的な結論

(i)因果的依存と構成的依存を対立させるのではなく、前者は後者を前提することを認める理論
(ii)素朴心理学における志向的態度(信念・選好・期待など)と、それにもとづいた個人の有意味な行為を、因果メカニズムの最小単位と捉える理論
(iii)普遍的一般化による厳密な説明・予測よりも、「目の前にある局所的世界に変化をもたらすこと」(操作・介入) を重視する実践的理論
(iv)社会種の実在性を、自然種に適用される基準のみで測るのではなく、その独自性(規範的力や自己理解への作用) によっても測ることができる理論