森元良太・田中泉吏『生物学の哲学入門』

哲学的観点から、主に進化論・進化の総合説を主軸に生物学史を追っていくような形の教科書
普通に生物学の勉強になった。
これ、もちろん明らかに「生物学の哲学」の本だと思うし、読んでいて結構「哲学者っぽい書き方だな」と感じるところはあるんだけれども、扱っている話題のほとんどは生物学の話題なので、普通に進化生物学入門として読んでもいいのではという感じもする。


個人的に面白かったのは、トンネル効果のしみ出し(そんな論法ありなのか!)、選択のレベル論争(経験的な対立じゃなくて哲学的な対立だったのか!)、断続平衡説(そういう評価の仕方ができるのか!というかあんまりよくわかってなかったことに気付いた)
種の個物説ってやっぱりあんまりよくわからない。メンバーシップ関係と全体部分関係って、違うのは頭ではわかるのだけど、種に関していうと何が違うのかがよくつかめない
種の反実在論って、当たり前の言い方を捨てなければならないというコストは確かにでかい。
関係的本質主義ってのもなんかすごい考え方だなーとか
微生物の多細胞性とかもなんか面白かったり。

生物学の哲学入門

生物学の哲学入門

[序 章] 生物学の哲学への誘い
生物学の哲学とは何か
進化論への関心
生物学の哲学の展開
本書の概要

[第1章] ダーウィン進化論から進化の総合説へ
1.1 ダーウィン進化論
1.2 ダーウィニズムの失墜
1.3 集団遺伝学の誕生
1.4 進化の総合説

[第2章] 集団的思考と進化論的世界観
2.1 集団的思考
2.2 進化論的世界観

[第3章] 利他性
3.1 利他性とは何か
3.2 血縁選択説
3.3 形質群選択説
3.4 選択のレベル論争

[第4章] 大進化
4.1 大進化の理論
4.2 断続平衡説に対する評価と批判
4.3 生層序学における化石記録の見方
4.4 断続平衡説と進化の総合説

[第5章] 発生
5.1 発生学と進化の総合説の関係
5.2 ホメオボックスの発見から進化発生学へ
5.3 進化発生学がもたらした変化

[第6章] 種
6.1 種と分類
6.2 種タクソンの存在論的身分
6.3 種カテゴリーに本質はあるのか
6.4 微生物と本質主義

[第1章] ダーウィン進化論から進化の総合説へ

まあ、章タイトルそのまま、ダーウィニズムの説明とその後の進化論史
ダーウィンは一本の樹を、ラマルクは複数の樹を考えたという整理が分かりやすかった
ラマルクというと獲得形質の遺伝と強く結び付けられているけれど、ラマルクの中ではあくまでも付随的な話に過ぎなかったらしい。
ダーウィン自然選択説が認められるのは、1930〜40年代
それまでに2つの反ダーウィニズムの動向があった
(1)ネオ・ラマルキズムと定向進化説
これらの考え方は、20世紀に入り、ヴァイスマンの生殖質説の登場で支持を失う
これは、体細胞と生殖細胞のうち、遺伝に関わるのは生殖細胞の方だけ、ということを示した説
(2)メンデル学派と突然変異説
変異は連続的か離散的かで、自然選択説を支持する生物測定学派とメンデル学派が対立
また、自然選択は、新しい形質の出現を説明できないとして、突然変異説が人気を得た
こうした対立に対して、フィッシャー、ライト、ホールデンの集団遺伝学が調停を行う。
集団遺伝学の創始者フィッシャー、ライト、ホールデンという3人の名前は知っていたのだけど、3人それぞれがどういう研究しているのかは知らなかった。わりと違うことを論じていたんだなあと。フィッシャーとライトは、遺伝的浮動の重要性について激しく対立していた、とか。ホールデンは、工業都市でガの色が暗くなる工業暗化について数学的に説明した人
進化の総合説
遺伝学者ドブジャンスキー
フィールドワークを重視する、ルイセンコ以前のソヴィエト遺伝学でもって、ライトの説を
ジュリアン・ハクスリーダーウィンの犬と言われたハクスリーの孫)は、進化の総合説を一般の人に広める。
鳥類学者マイアと古生物学者シンプソンが、専門家への影響が大きい
コラム
集団遺伝学の背景には確率・統計論的アプローチ、分子生物学の背景には物理学的アプローチという違いがあるという指摘

[第2章] 集団的思考と進化論的世界観

マイアは、ダーウィンの偉業は集団的思考を生物学に持ち込んだことだとする。
この章の前半では、統計学の歴史が簡単に触れられる。
ラプラスガウスによるガウス分布の証明
ケトレーによる平均的人間という新概念の考案
そして、ゴールトン
彼は、ガウス分布正規分布normal distributionと呼び変える
誤差論を進化論へと持ち込んで、集団遺伝学への先鞭をつける
集団的思考は、アリストレス的本質主義以来の正常と異常という考え方を変化させる。
生物測定学派とメンデル学派の調停はフィッシャーが「分散」を導入したことによる


進化論的世界観は、決定論的世界観か非決定論的世界観か
決定論的世界観は、不確定性は人間の無知によって生じるだけで、現実世界には存在しないというもの
決定論的世界観は、不確定性は世界そのものに備わっているというもの
この二つの世界観が進化論において議論される際には、遺伝的浮動はフィクションか否かという形で論争される。
前者は、遺伝的浮動は人間の認知能力の限界のため、説明上必要になるフィクションだと考える。
後者は、量子レベルの非決定性が進化現象まで「しみ出す」と考える。
進化はDNAという分子の突然変異から始まる。突然変異とは化学的な変化で、それは量子力学によって記述できる。というものである。
そんな馬鹿なとも思うのだが、デイヴィッド・ステイモスは、トンネル効果によってDNAの突然変異が起き、それが表現型にも変異を及ぼす実例を挙げている。
決定論的世界観論者も、しみ出しそのものは認める。しかし、その頻度について争っている。

[第3章] 利他性

ここでいう利他性とは、あくまでも生物における適応度の得失についての利他性と限定し、
また、進化論で特に論じられたのが、利他性の起源の問題ではなく普及の問題であるとしたうえで、
ハミルトンの包括適応度を用いた血縁選択説がまず紹介される。
もう一つ、群選択説というものがある。
1960年代まで支持を集めていたが、60年代後半から70年代にかけて批判されることになるが、その後、形質群選択説という新しい説が現れる。
血縁選択説と形質群選択説のあいだで、選択のレベル論争というものがある。
これ全然わかってなかったんだけど、経験的な争いじゃなくて哲学的な争いだった。
というのも現在においては、このふたつのモデルが現象に対して同等の予測をするということで、両者は見解の一致をみているからだ。
ウィルソンとソーバーは、「なぜ」普及するのかを説明するのは、形質群選択説だと、
ステレルニーなどの広義の個体主義は、どちら「も」同等に説明できると考えているそうだ。
これは、実在論と規約主義・道具主義の対立であるらしい。

[第4章] 大進化

この章は、グールドの断続平衡説とはどのような説で、どのように評価されてきたかということと、新たにとらえなおし方が論じられている。
この章も、断続平衡説ってそういうことだったのか、と思い直すところがあった。
結論からいうと、断続平衡説は、進化のパターンとプロセスの両方について述べている説なのだけど、プロセスについて言っていることが時期によって異なっていて、それがこの説の評価しにくさにつながっている、と。
もともと断続平衡説は、マイアの異所的種分化理論の古生物学への適用として提唱された。これ自体は、種の定義次第で真になってしまう主張だったので、あまりうまくいかなかった。
で、異種的種分化理論の適用という形であれば、進化の総合説とも整合的だった(そもそも進化の総合説の派生理論だった)のだが、のちに種選択理論をプロセスの説明として用いるようになり、そこで進化の総合説と対立的になってしまう。
これに対して本書は、そもそも断続平衡説というのは、プロセスの説明をする理論ではなく、19世紀以来の生層序学が暗黙的に前提としてきたを定式化したものなのではないか、と提案する。パターンについてのみの主張とみなせば、断続平衡説に問題点はなくなる。
では何故、グールドはプロセスについての理論として提案したのか。
それはこの説が提案された時代というのが、古生物学を単なる記述的な学問から理論的な学問にしよう、進化的古生物学の意義を示そうという動きがあった時代だったからではないか、としている。

[第5章] 発生

発生学・形態学は総合説の中では軽視されてきて、近年によってようやく接近してきた
形態学の始まり=ゲーテ
ヘッケルの反復節:進化と発生を結び付ける
進化と発生の切り離し
ヴィルヘルム・ムー:進化と発生を結び付けるのは時期尚早→実験発生学
生殖細胞系列と体細胞系列の分離」
ヴァイスマンの生殖説
ただし、発生と遺伝は切り離されていなかった
モーガンとその弟子らが、染色体説を実証し、遺伝も発生から切り離される
「遺伝子型と表現型の分離」
遺伝という言葉の意味
もともと:親子間の類似性をあらわす
19世紀ヘッケル反復説が出たころ:系統発生的な祖先とのつながりもさす
20世紀:世代間の表現型の関係←遺伝子の名付け親であるヨハンセンによって遺伝学が、発生から分離して確立される
マイア
「究極要因と至近要因の区別」1970年代、総合説で発生を扱わない理由として用いられる
「集団的思考と類型学的思考の区別」マイアが、ダーウィンを集団的思考、それ以前の形態学を類型学的思考と区別して、ダーウィンを称揚
1980年代初頭
ホメオボックスの発見で、進化と発生が再び近づく
進化論と発生学の総合はいま行われている最中→進化発生学とは何かという問いに答えるには時期尚早
エピジェネティック遺伝
発生システム論→進化とは集団における遺伝子頻度の変化、という従来の考えから、発生システム全体の進化へと考えを変える
全体論になっていて、何が原因であるかを特定できないという批判も


形態学の歴史と進化発生学については倉谷滋『形態学 形づくりにみる動物進化のシナリオ』 - logical cypher scapeが面白かった。

[第6章] 種

種タクソンの存在論
伝統的には、種タクソンは自然種の典型例とみなされてきた、これは本質主義を前提とする
体系学により本質主義が否定される
ギゼリンとハルによる個物説登場→生物学の哲学では主流に
しかし近年、新しい本質主義が復活
・関係的本質主義
祖先子孫関係という関係的性質(外在的性質)を本質ととらえる。祖先子孫関係という関係的性質は予測的役割を果たすので本質となりうるというもの
・恒常的性質クラスター説
必要十分条件によって定義するのではなく、性質クラスターによって定義する。性質D1~Dnのクラスター。すべてを共有しなくてもよい。
性質クラスターを構成する性質は恒常性を持つとされる=因果メカニズムが背景にあるということ


種カテゴリーについて
多元論と恒常的性質クラスター説
種概念はたくさん提案されているが、そのどれもが当てはまるような解決法として、この両者は似ているが、多元論とは違って、恒常的性質クラスター説は、恒常性が成立していることに着目する→基礎的な因果メカニズムの実在


微生物学との関係
微生物とは?
真正細菌古細菌、真核生物のうちの原生生物と酵母菌を指すのが慣例
単細胞生物と思われがちだが、多細胞性を有すると主張する微生物学者もいる(社会性細菌の細菌間コミュニケーションが、多細胞生物の細胞間コミュニケーションと同等)
哲学者オマリーとデュプレは、動物・植物・菌類をむしろ「巨生物」と呼ぶことを提案
巨生物中心主義への継承
生物の3ドメインのうち2つは微生物。バイオマスでも微生物の方が多い。
歴史的に見ても、微生物のみが存在していた期間の方が長い。グールドは生命史を「細菌の時代」と。
地球への影響も大きい
メタゲノミクス研究
群集のゲノム集合全体を解析
遺伝子水平伝達が頻繁に生じていることが判明
遺伝子水平伝達は、生殖隔離を阻害
種カテゴリーの反実在論や種の排除主義という道もありうる

追記(20170113)

書評 「生物学の哲学入門」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
shorebirdさんの書評記事
哲学者はなんでそこにこだわるのかなーというような感じになっていて、面白い。
あと、「形質群選択説」は、一般的には「マルチレベルグループ淘汰理論」と言われているらしい。