倉田剛『日常世界を哲学する』

社会存在論の入門書的な本
ただし、結構前提知識が必要な部分があり、しかも紙幅の都合で何気なく省略されたりしている部分もあったりする
「社会存在論? サールとかがやってるのは知ってるけど、日本語で読めるの少なくてあんまりよく知らないんだよね」くらいの人(つまり俺)にはお薦めの本ではあるが、そうでないと結構難しいと思う
新書で出してくれたの個人的には嬉しいけど、何故新書で出せた、という感じもする


前半3つの章は、方法論的個人主義への批判というか、社会的事実や規範などを個人の信念に還元するのは難しいのではないか、という筆者の立場から描かれている

序 論 日常世界を哲学する
第1章 ハラスメントはいかに「ある」か?――「社会的事実」を考える
第2章 「空気」とは何か?――「社会規範」の分析
第3章 集団に「心」はあるのか?――全体論的アプローチ
第4章 時計は実在するのか?――「人工物」のリアリティーについて
第5章 サービスの存在論――私たちが売買する時空的対象
第6章 キャラクターの存在と同一性――「人工物説」の立場から

日常世界を哲学する 存在論からのアプローチ (光文社新書)

日常世界を哲学する 存在論からのアプローチ (光文社新書)

  • 作者:倉田 剛
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/08/20
  • メディア: 新書

第1章 ハラスメントはいかに「ある」か?――「社会的事実」を考える

フレーム原理(サールのいう「構成的ルール)について
基礎づけ関係とアンカー関係

第2章 「空気」とは何か?――「社会規範」の分析

山本七平が「空気」と呼んだものを、ルイスの慣習論に当てはめ、慣習の一種だと捉える
また、ルイスによる慣習の分析は(「法規範」や「道徳規範」とは異なる)「規範性なき社会規範」なるものがあることを示している、とする


ルイスの慣習の話ー!
ルイスの慣習概念にとって重要となるコーディネーションゲームについては、グァラ『制度とは何か』
ルイスの慣習定義については、ザグデン『慣習と秩序の経済学』がそれぞれよいらしい。
肝心の『慣習』の日本語訳が出ないので、日本語参考文献の紹介ありがたいというかなんというか

第3章 集団に「心」はあるのか?――全体論的アプローチ

集団を、デネットいうところの志向的システムとして捉えるというもの
個人に還元しようとするアプローチは、どこかで還元しきれないところがあるよ、ということを示し、さらに効率的に説明可能な理論だと集団に心を帰属させる説明を擁護する
最後に、では、志向的スタンスを当てはめられる集団とそうでない集団の違いってなんだろう、というのが今後の課題としてあげられて終わっている

第4章 時計は実在するのか?――「人工物」のリアリティーについて

人工物種について、HPC説で実在性を擁護するというもの
ここでいう実在性っていうのが一体何かってことで、社会種までいたると、かなりその基準が撤退しているような気もするんだけれども

第5章 サービスの存在論――私たちが売買する時空的対象

サービスの存在論的カテゴリーは何か→「プロセス」である、と
サービスは、「物」がプロセスに対して「参与」しているよ、と(「物」を「サービス」に還元できるか、いやできないみたいな話をしている)
で、レンタルサービスなどにおいては、物が「トークン・ジェネレーター」として参与している、と


ところで、この章では、プロセスは時間的部分をもつ存在者であり、一方で、出来事は時間的に幅をもたない瞬間的な存在者であるとしていて、そういう「出来事」の定義もあるのかと驚いた(本文中でも、これはスタンダードな見解ではないと書かれている)

第6章 キャラクターの存在と同一性――「人工物説」の立場から

キャラクターの人工物説の紹介
人工物説は、トマソンに帰せられることが多いけど、クリプキの「ジョン・ロック講義」の中に既にみられるとして、主にクリプキに従って紹介されている
それから、キャラクターの同一性についての話
ここらへんはちょっと以前考えていた話とも繋げられそうかなーと思ってるけど、やっぱ色々な場合があるから難しいな
タイプ同一性はまあ確かにそうかもなと思う
権利者の承認は、二次創作のこと考えると、条件としてどれくらい必要かちょっとわからない。https://contempaesthetics.org/newvolume/pages/article.php?articleID=584のファン世界的な奴とかを条件にできないかな、とも思う