メタファーについて論文2つ

石田知子「「遺伝情報」はメタファーか」

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このツイートを見て存在を知り、タイトルに惹かれて読んでみた。
分子生物学において「遺伝情報」というメタファーがあるが、メタファーは科学にとってどのような役割を果たしているか、という議論


ちなみに、石本賞というのは2006年に始まって、青山拓央、大塚淳、山田圭一、佐金武、秋葉剛史等々の面々が受賞している。


サーカーは、情報のメタファーは、消去できる&理論形成の妨げになる(初期の遺伝暗号研究の不首尾の事例)ので、不要だと論じる
次いで、サーカーのメタファー観がいささか素朴であるとして、ボイドによる、メタファーが科学の理論構築において役に立っているという議論を取り上げる。
その上で、情報というメタファーが役に立った事例としてPCRの例をあげる。ただし、PCRは後に、情報のメタファーなしに理解されるようになった
最後に、レイコフらのメタファーの議論から、イメージスキーマの共有が認知的資源になりうることを論じ、さらにギャリーやワイスバーグのモデル論を参照し、イメージスキーマの共有に必要な類似性がモデルと現象の類似性と同様ではないかと指摘し、イメージスキーマがモデルを作ることと関連していると論じる。
その上で、分子生物学において情報のメタファーは、原理的には消去可能だが、イメージスキーマという認知的資源を用いる上で有用であると論じている。
なお、PCRはイメージスキーマの共有に至らなかった例。
理論構築に役に立つメタファーと理解に役に立つメタファーがある感じか。


科学とメタファーについてはロバート・P・クリース『世界でもっとも美しい10の科学実験』 - logical cypher scape2にも少しあったが、こことは少し違う議論をしているかなと思う。
ところで、メタファーの議論に当たって、石本論文では、まずブラックによるメタファー論が触れられている(元々、メタファーの生産性についてはブラック論文があり、その後、科学哲学では主流にならなかったが、ボイドが改めて論じたという流れ)。
クリース本に出てくるフィルターとしてのメタファーというのは、おそらくブラックを参照にしているっぽい。


ブラック論文の邦訳は、『創造のレトリック』という本に収録されている*1らしいが、ググっていたら、下記の論文を見つけた。

西村清和「視覚的隠喩は可能か」

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隠喩論、特に認識論的隠喩論について整理を行った後、これらの隠喩論は類比一般の話をしており、あれもこれも隠喩になってしまうと一刀両断し、言語的現象として隠喩を捉え直す。
なお、ここで取り上げられている隠喩論は、主にブラック、レイコフ、グッドマン。


というわけで、タイトルになっている視覚的隠喩についても、西村は否定的である。
絵画において隠喩と論じられてきた事例、映画において隠喩と論じられてきた事例を取り上げつつ、それらを隠喩として理解する余地はあるものの、それはあくまでそうした絵画や映画を見た者の言語的な振る舞いなので、画像や映像の知覚経験とは異なるものだ、としている。


「(映像の)物語言説は、語られた知覚経験世界の次元、つまり説話世界から独立した次元として区別されることはできない。」
隠喩は説話世界に属さないイメージによって生じる。
『モダンタイムス』における「羊の群れ」という隠喩は語りの次元の述語媒体だが、説話世界の次元に姿を現すと、述語として機能できない。
画像や映像は換喩、提喩ならできるが、隠喩はできない

*1:メタファー関係の論文を集めた論文集らしい。オルドリッチ「視覚的隠喩」とかある。気になる