文フリ以前に読んでた同人誌

これらについて、文フリ前に読んだ
5冊中3冊は、kindle

伊丹空互『系譜のつながりかた: テン年代アイドルのありかたとしての佐々木優佳里』 invert vol.2

批評系同人サークルfromHが発行している『invert vol.2』に収録されたアイドル論であり、kindle版として販売されている。


で、AKB48やアイドル評論については、全然知らないので、この論の独自性などについてはあまり判断できないけれど、門外漢としてもそれなりに面白く読んだ。
ただ、論文自体は、もう少し書き直した方がよくなるのではないだろうか、と思ったところがある。
最近まで、自分の原稿の修正作業をしていたせいもあって、むしろ、そういう目線で読んでいた。


いくつかのトピックがあったと思う、並べてみるとこんな感じ


個々のトピックは面白いけど、これらの繋がりがどうなっているのかが分かりにくかった。


冒頭において、この論文は、予定されているアイドルの作品論、作家論、質感論の質感論にあたる部分だと宣言されている。
質感論!
批評は質感を論ずべきものだと思っているので、これには大いに興味を引かれて読んだ。
しかし、その後、この論がどういう意味で質感論になるのか、という説明がなされてない。
テン年代のアイドルとは」「アイドルの系譜とは」「質感論とは」、というのがやはりこの論文の三大トピックなのではないかと思うのだけど、これらの問いがどのように関わり合っているのか、ということも見えない。



最近、声優オタ(というのもおこがましいが)になっていることもあって、声が魅力的だと言われると、興味を引かれるw
松田聖子との比較も分かりやすかったし、主観的に声の性質を語るのではなくて、どのような売り出し方をされているかから論じるのは面白かった。


1995年のアイドル
これは、佐々木が1995年生まれだからということで、1995年の文化論について先行研究を引用しながら書かれているところで、本論全体の構成を考えると完全に蛇足な部分ではあるんだけど、面白かった
90年代後半から2000年代って、アイドル空白期であり、自分の10代がまさにその時期なので、個人的にはやっぱりすごく興味のあるところ。
アイドルとは、みたいなことを考えるに当たって、自分はどうしても、アイドルといえばグラビアアイドルしかいなかったし、今ならアイドルと呼ばれるだろう人たちはみんなアーティストと呼ばれていたし、一方で、ティーンズモデルが女優になるというキャリアの狭間の時期に一瞬チャイドルと呼ばれていたことを思い出さずにはいられない。
筆者は、90年代のSPEEDなどアーティストとして売り出されたグループはアイドルではないと考えているらしいけれど、それはどうしてなのかは、やっぱり気になるところ。
それ深掘りすると、どんどん佐々木論から遠ざかってしまうので、また別の機会にでも


この論文では度々、「筆者の考えでは○○ではなく××だと思う」みたいな表現に出くわすのだが、その理由はあんまり書かれていない。他にも断言されるわりに理由がわからない部分がいくつかある。
逆に、何故そこを長々と説明したのか、という場所も。

甘粕試金『CHECK! CHECK! CHECK! アイカツ!音楽試論集』

ブログからの再録3編、初出4編、計7編の評論と散文。
http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-132.html

《目次》
・『Signalize! & KIRA☆Power』「予感」としてのオープニングテーマ、その対比
(既出:2013年9月16日)
・『START DASH SENSATION』の転調を読む
(初出)
・ダンスと人形とストロンボリと(『MY SHOW TIME!』)
(既出:2015日6月7日)
・『薄紅デイトリッパー』という衝撃(およびサンプリングミュージックとしての音頭・00年代以降のバンドサウンドについて)
(既出:2014年12月31日)
・「かぶれ」という狂気(『ドン・キホーテ』と『薄紅デイトリッパー』)
(初出)
・少女と歌と革命の話(氷上スミレサーガ横断)
(初出)
自由連想(フリースタイル)

この本は「次に来る人のために」書かれたものである、とまえがきにあり、そうなると残念ながら自分はその対象には含まれていないのだが、面白く読んだ。

Signalize! & KIRA☆Power』「予感」としてのオープニングテーマ、その対比/『START DASH SENSATION』の転調を読む

Signalize!&KIRA☆Power論、START DASH SENSATION論はいずれも楽譜が挿入され、楽曲のコード進行などから分析されているが、これ以降の論文については、文体も分析手法も個々の論文によって異なっており、それがまた面白い。
アーケードゲームのステージ映像に着目したり、楽曲の影響関係に着目したりなど、様々な論じられ方がされている。

ダンスと人形とストロンボリと(『MY SHOW TIME!』)

冒頭では、この曲に至る他の曲からの影響関係に触れ、また黒沢凛のドレスがピノキオモチーフであることから、この楽曲のアーケードゲームにおけるステージ映像からもピノキオモチーフを見つけ出すなどといったところから始まるのだが、読み進めるうちに、実はかなり熱く、勢いのあるアイドル論であることが分かる。
アイドルを人形、特にここでは操り人形に喩える場合、それはアイドルのあり方に対して否定的な場合が多いと思うが、ここではむしろ、どれだけプロフェッショナルな大人たちの手によって作られ、育てられてきたかという肯定的な側面を、特にジョニーとサニーのエピソードから見出していく。
育てることによって「続けてゆく」ことの終わりなさが論じられていく。
この「続くてゆく」ことの終わりなさ、とはまさにアイカツ!の描いてきたテーマの1つだと思うのだけど、改めてここで丁寧にその偉大さが説かれていく。
ところで、ここには、アイドルを未熟さやほつれを愛でる式以外の語りで魅力を論じよとした矢野の問題提起への答えもあるような気がする。
また一方で、この論文では、風営法に伴う世間からダンスへの白眼視的な状況に対する反発、憤りも熱く綴られており、それもまた熱い! 特に注釈が。
ところで、注釈のほとんどが長文である中で、黒沢凛への注釈が「かわいい。」と間にして要を得る記述なのも素晴らしいw

『薄紅デイトリッパー』という衝撃(およびサンプリングミュージックとしての音頭・00年代以降のバンドサウンドについて)

これは以前、ブログの元記事を読んだことがあった。
『薄紅デイトリッパー』を好きになってもいいんだな、と思わせてくれる文章であった。
前半では、ブライアンビートと音頭について論じられる。そもそも音頭というものが、引用から成り立つサンプリングミュージックという形式であることを示した後、『薄紅デイトリッパー』が、ブライアンビートと「21世紀音頭」を組み合わせることで、音頭をリニューアルしたと論じている。
後半では、一転して歌詞についての分析に映り、ここで称揚されている和風の価値観が、多くの選択肢のうちの1つとして客体化されていて、それを自覚的に選び取っているものであり、アイカツ!の価値観とも親和的であることが論じられている。

「かぶれ」という狂気(『ドン・キホーテ』と『薄紅デイトリッパー』)

ここに至って、コード進行や歌詞の分析などは後退していくが、『薄紅デイトリッパー』を『ドン・キホーテ』に見たてる(一種、狂った)この論文は、しかしめっぽう面白い。
ところで、
「薄紅デイトリッパーは同じだ。彼女は狂っている。彼女は「古都の町並み」に、「着物姿の舞妓さん」にあこがれている。」
と書かれている時の、「彼女」とは一体誰のことなのだろうか。文中には、みやびのみの字も出てこない。『薄紅デイトリッパー』という曲自体が擬人化されているようだ。
「らしさ」を求めるのではなく、「かぶれ」によって生きること
この論文で書かれているこの主張に、はっとさせられた
「既得のものなど何もな」く、本物やオリジナルなどはどこにもないが、かといって、それを冷笑するような態度で生きることでもなく、幻想や架空の世界にあこがれ、「かぶれ」ることで、本物でも偽物でもない「不穏なもの」となって生きることができる。
「なぜ藤堂ユリカは吸血鬼の末裔を自称するのだろうか。なぜ関西出身でもない堂島ニーナが関西弁で喋るのだろうか」

少女と歌と革命の話(氷上スミレサーガ横断)

『タルト・タタン』『チュチュ・バレリーナ』『エメラルドの魔法』『いばらの女王』四部作について
『タルト・タタン』にはサビがないという指摘から、ドゥルーズ=ガタリのリトル・ネロと領土化の話、キリスト教とバレエ、佐々木中ジュディ・ガーランドフレディ・マーキュリーなど様々な話題と繋げられながら、氷上スミレがいかに多様な変遷を辿ってきたかを論じている

自由連想(フリースタイル)

無数の引用からなる散文(詩?)
ニーチェニジンスキーから、RHYMESTERQueen、もちろんアイカツもあるが、プリパラからの引用もある。


すぱんくtheはにー『あのすぱらしい愛はもう二度と』

すぱんくさんが2014年に書いた文章をまとめたもの。
これもkindleで。
というか、1年でこんだけの本数書いてるのか、すごいな。


すぱんくさんのことは、アイドルアニメのダンス論とプリリズ論で知ったのだけど、改めてこうしてまとめられたのを読んでも、この2本が出色かなと思う。いやまあ、扱われている題材を自分が知っているかどうかというのも大きいけど、この2本はあらすじやテーマではない観点から批評しているので、個人的な好みなのである。
あと、ゆゆ式カットアップ論か
うまく説明できないけど、批評っぽい文体を感じた


たまこのことあんまり知らないんだけど、たまこ二次創作小説面白かった。

アーカイブ騎士団『ユートピア小説集』

渡辺公暁「月のアンティーク」

ユートピア〉出身のトゥレセは、月面でゲリュゴン9999というロボットに助けられる。
トゥレセは、ゲリュゴンに対して、弟が持ってきた不思議な骨董品、幽霊、そして弟の失踪を語る。
ミステリなので、これ以上は説明できない

美堂谷摂子「都市計画者の夜」

ダンスによる都市計画

森川真「巨大学園の留年生」

まるごと学園になっている島
「俺」は、佐々木18年生という留年を繰り返しながらも学園で人気を誇る女生徒の息子だった。
佐々木18年生とは一体何者なのか。
学園から逃げることにした「俺」は、学園と佐々木18年生の秘密を知る。

摘ん・デ・レ男爵「ランニング都市」

ランニングマシーンで走るとそれが電力になり、労働の代わりになるという都市
走りさえすれば、生活が保障されている都市での暮らし
あとがきによると、7割が実話だとかなんとか
ショートショートSFっぽい

高田敦史「形而上学MCバトル」

池袋にたむろしている柄の悪い連中のあいだで、何故か哲学が流行していて、ストリートで哲学を使ったMCバトルをしているという話
カントを研究してるチームとか、実在論vs反実在論のMCバトルとかが出てくる
これだけでもう十分楽しいけど、哲学の話もがっつりされていて、さらにこの世界がどうも、高田の哲学SF「形而上学刑事シリーズ」ともつながっているような記述もあって、もっと楽しい
池袋の東西に分かれて、実在論反実在論のチーム間抗争が勃発しつつ、実はその影には、さらに大がかりな社会実験が隠されていた!

渡辺書房『宮本フレデリカさんのこと』

一号「いつの日か中波に乗って届くフレデリカ、摩滅したレディオスターの彼方へ」

昔々、自分もオールナイトニッポンを聞いていた時期があったなーとか思い出しつつ、職人のネタとフレちゃんのあしらいに笑い、その後のシリアス展開に舌を巻く

渡辺零「宮本フレデリカさんのこと」

しゅーフレ
概念としてのキャラクターないしアイドル
ロスコのようなフレちゃんほんと好き
http://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=54994107&mode=medium