『モンテ・クリスト伯爵』

まあ、古典というものを読まずに生きてきたので、名前と何となくどういう話かは知ってるけどよく知らないみたいなものが多くて、『モンテ・クリスト伯爵』もそういう作品の1つなんだけど、この度、マンガで読む機会があって読んだ。
単行本一冊にまとめられていて、それでいてがっつしりた読み応えのある作品だった。


ただ、今回ブログの記事にしようと思ったのは、読んでいてあまりにも、『レ・ミゼラブル』とよく似ていたからメモっておこうと思ったから。
多分、このあたりちゃんと調べたら、既に研究されているところなんだろう。


エドモン・ダンテスは無実の罪によって投獄される。
そこで、やはり同じく政治犯として投獄されているファリア司祭と出会い、知識を授けられる。
で、『レ・ミゼラブル』と似てる! と思ったのは、この次で、エドモン・ダンテスは、ファリア司祭からモンテ・クリスト島の財宝の在処を教えられて、この財宝によってモンテ・クリスト伯として生まれ変わることができるという展開。
ジャン・バルジャンは、長い囚人生活の後、釈放されるも放浪していたところ、ミリエル司教と出会い、彼から銀の食器と燭台をもらう。このうち、銀の食器を売ったお金を元手に、マドレーヌと名前を変え実業家として成功する。


主人公が長い期間投獄される→聖職者から知識or愛+財産を授けられる→その財産によって別人として成功する


と、前半の展開がかなり一致しているように思える。
ただし、主人公のあり方としては、そもそも無実の罪で投獄されたエドモン・ダンテスは、その後復讐に身を費やすのに対して、刑罰が過剰だったとはいえ確かに無実というわけではなかったジャン・バルジャンは、その後実業家や市長として善行を積みさらにはコゼットを守り育てることに一生を費やす、と異なっている。
無垢な青年が復讐鬼に変貌する『モンテ・クリスト伯爵』
貧困ゆえに犯罪者とならざるを得なかった男が裕福な慈善家へと変わる『レ・ミゼラブル
と、どちらも主人公が前半生と後半生で別人へと変わる物語なんだけれど、その変化の向きは逆方向といってよい。
ともちろん別作品なので、色々違うのだけど、その変化のプロセスがよく似ているのが面白いなという感じで、この時代に何かこのモチーフとなるような元ネタがあったのかな、とも思ってしまう。まあ、全然詳しくないから、よく分からないんだけど。


それからもう一点
エドモン・ダンテスは、エデという少女を奴隷として買い、自分の近くに置いている。
ジャン・バルジャンは、ある事情からコゼットという少女を自分の養女として引き取り、大切に育てている。
エデはもともと王族で、コゼットは母子家庭の生まれと、出身はずいぶんと違うのだけど、主人公と出会ったとき、エデは奴隷となっており、コゼットは預けられた家で馬車馬のごとく働かされている。どちらも、主人公がお金を払ってその境遇から彼女を救い出す。
エドモン・ダンテスも、ジャン・バルジャンも、彼女のことを娘として育てていく。
エドモンとエデ、ジャン・バルジャンとコゼットは、義理の父娘となるわけだが、ただ彼らの間にある感情というのは単純に父と娘とは言えないところがある。
というか、エドモンとエデに関して言えば、エデがエドモンに恋心を抱いており、最終的には2人が結ばれて終わるので、「単純に父と娘とは言えない」どころか、実際に父娘関係ではなくなるのである。
バルジャンとコゼットの場合、コゼットはマリウスと結ばれるし、まあバルジャンのことは父親として愛していたのだろうなと思うし、バルジャンのコゼットへの愛情もまあ過保護ではあるけれど娘に対しての愛情といえる範囲っちゃあ範囲なんだけど、ただマリウスへの思いなどを考えたときに、父親としては当然かなと思うところもあり、それを少し越えているのではないのかなと思うところもあり。ちょっと難しいところ。
あと、エドモンは、エデのためを思ってマクシミリアンという青年を助けるし、バルジャンは、コゼットのためを思ってマリウスという青年を助ける。


最終的な落ち着き先は違うのだけど、
幼い少女を過酷な境遇から救い出す→娘として育て上げる→娘との関わりの中で、青年の命を助ける
という、これまた、何となく似ている展開をしている気がする。


デュマもユゴー1802年生まれ
モンテクリスト伯爵』は1845年〜1846年発表
レ・ミゼラブル』は1862年発表。ただ、これは出すまでに時間がかかった作品で、執筆は1845年頃からだったらしい。


ほんと、何かものの本を読めば、このことについて書いてあるだろうな、うん


でもって、GONZOの『巌窟王』を見はじめた。今、2話まで見たところ。

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