『アートオブコミックス:哲学的アプローチ』序文(文フリ東京ボツネタ)

5月1日に東京流通センターで行われる文学フリマ東京にて、
シノハラユウキ『フィクションは重なり合う――分析美学からアニメ評論へ』を発行します。
詳細は→5/1文学フリマ東京にて『フィクションは重なり合う』発行 - logical cypher scape2

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『フィクションは重なり合う――分析美学からアニメ評論へ――』
シノハラユウキ
A5・188ページ、700円

文学フリマ開催概要
開催日  2016年5月1日(日)
開催時間 11:00〜17:00予定
会場     東京流通センター 第一展示場*2
アクセス 東京モノレール流通センター駅」徒歩2分
一般来場 当日の一般来場は無料です。出店者カタログ無料配布(先着・無くなり次第終了)


今回の本のテーマとして、分析美学とマンガ・アニメ批評とを結びつけようという意図があり、
分析美学におけるマンガの美学についての議論も紹介できたり論じたりできたらいいな、と思っていたのだが、結局、力及ばず、そのあたりには触れることができなかった。
で、一応、『The Art of Comics: A Philosophical Approach』by Aaron Meskin and Roy T. Cookというマンガの哲学の論文アンソロジーの序文だけでも読んで解説記事でも書いて、
本の方にコラム的に載せておこうかなと思ったものの、結局ボツになったので、ブログに掲載する。

マンガの美学について

分析美学は、伝統的な絵画などの美術や文学、クラシック音楽だけでなく、近年ではポピュラーアートを対象とした研究も進んでいる。映画の哲学やポピュラーミュージックの美学といったジャンルでの議論も盛んである。
分析美学的な観点からマンガ研究も進められており、論文アンソロジーも編まれている。ここではそのようなマンガの哲学論文アンソロジーである
『The Art of Comics: A Philosophical Approach』by Aaron Meskin and Roy T. Cook について、序文を簡単に紹介してみたい。
この序文では、マンガを美学で取り扱う理由、マンガの歴史、マンガ研究の歴史を簡単に紹介しており、英語圏の美学においてマンガが議論されている文脈を垣間見ることができるだろう。マンガについての学術的研究は日本でも盛んに行われており、既に膨大な蓄積があるし、また、海外との交流も行われるようになっている。とはいえ、やはり英語圏の美学が日本のマンガ研究に参照されることはまだ少ないだろう。ここでは、英語圏の美学においてマンガがどのように研究されているのか、その雰囲気の一端を垣間見てみることにしたい。

『The Art of Comics: A Philosophical Approach』序文

マンガを芸術形式として哲学・美学的に研究する

マンガは芸術形式であるが、マンガの全てが芸術作品であるわけではない。これは他のことにも同様にいえる。映画(or写真or絵画)は芸術形式であるが、映画(or写真or絵画)の全てが芸術作品であるわけではない。
芸術の哲学でマンガを取り上げる理由として、4つほど挙げられる(4つで全てというわけではない)
(1)近年、芸術一般ではなく、個別の芸術形式への注目が高まっているから。(芸術の哲学philosohy of artから諸芸術の哲学philosophies of artsへ)
(2)伝統的な美学が、いわゆるハイアートやファインアートに注目していたのに対して、近年は、ポピュラーアート・大衆芸術への注目が増しているから。マンガは、それだけでなく、地域によって違っているという点も重要。
(3)マンガが、ハイブリッドな芸術形式であるから。ハイブリッドな芸術形式はレヴィンソンが定義した概念で、複数の芸術形式が結合したり融合したりしたもの。
(4)マンガは様々な芸術形式のハイブリッドとして出来ている。様々な起源を持つために、慣習が重要な役割を果たしている(枠線とかセリフの吹き出しとか、慣習に従っている)。そして、重要なことは、文化間でこの慣習が広がっていることである(日本の《マンガ》とアメリカのマンガ(アメコミ)を両方読むことができる)。芸術における慣習の役割を考えるのに、これほどぴったりなものは他にない。

マンガの短い歴史
  • マンガの起源

マンガはどこから始まったのか。
スコット・マクラウド古代エジプトの壁画やバイユーのタペストリーもマンガではないか。
→表面的には似ているが、現代のマンガと歴史的なつながりはない。

  • プロト・マンガの時代

クラウドは、「印刷」がマンガにとって中心的だとも述べている。
15世紀の印刷の発明から19世紀の間に、多くの芸術家が絵と文章によって物語を伝えること=プロト・マンガを試してきたのだろう。

    • ウィリアム・ホガース

現代のマンガの先駆者としてよく知られている、19世紀の画家

    • ロドルフ・テプフェール

プロト・マンガの中で最も有名であり、現代的なマンガの起源と目される作品を19世紀半ばに描いている。コマ割りや言葉と絵の相互依存などの発明を行った。David Kunzleによる研究書がある。
※テプフェールについては、日本でも佐々木果『マンガ史の基礎問題――ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』という研究書がある*3ほか、フランスのマンガ研究者ティエリ・グルンステンとブノワ・ペータースによる『テプフェール:マンガの発明』が邦訳されている。

以下、主にアメリカにおける歴史となる。

    • 19世紀後半

新聞マンガ(newspaper strip)の時代である。1895年に出版された、イエロー・キッドで有名なR.F.アウトコールトの『ホーガンズアレイ』は最初の新聞マンガだとされている。こうしたマンガの形式としては、1884年のイギリスの雑誌に、H.ロスの『アレイ・スロッパー』というものが先行してあり、よく言われることに反してアメリカの発明というわけではない。

このマンガ形式は、真剣な芸術として発達していく。ウィンザー・マッケイの『リトルニモ』、ライオネル・ファイニンガーの『キンダーキッズ』、ジョージ・ヘリマンの『クレイジー・カット』などである。

    • 1930年代

次のマンガの大きな発展は、単行本の発明だった。最初のマンガ単行本は、1934年にイースタンカラーから出版された『Famous Funnies. Carnival of Comics』とされている。1935年には、ナショナルアライド出版(いまのDCコミックス)が、新聞からの再録ではなくオリジナルの内容で最初の単行本『New Fun. The Big Comic Magazine #1』を出版している。
そして、1938年にスーパーマン、1939年にバットマンと、スーパーヒーローが登場することになる。


マンガ産業にとって、1885年〜1938年はプラチナ時代、1983年〜1945年は黄金時代(ゴールデンエイジ)である。


そして、戦後最初の10年は、いわば原子力時代(アトミックエイジ)だ。スーパーヒーローから離れて、ロマンス、西部劇、SF、犯罪、ホラーと様々なジャンルが現れてくる。一方、1954年には業界団体に事実上の検閲機関、CCAコミックス倫理規定委員会が発足する。


1956年〜1969年はシルバーエイジで、CCAによる検閲の時代だった。シリアスなものや大人向けのストーリーを描くことなく、むしろバカげたプロットが使われた。一方で、スタン・リーのマーヴェルコミックの勃興が重要である。ヒーローの日常における問題に注目する新しいスーパーヒーローが広まっていくことになる。


その後の20年間で、CCAによる制限は弱まっていき、よりシリアスなテーマの作品が出版されるようになっていき、1986年にはその傾向は全盛期を迎える。アラン・ムーアデイブ・ギボンズウォッチメン』、フランク・ミラーバットマンダークナイト・リターンズ』、アート・スピーゲルマン『マウス:アウシュビッツを生き延びた父親の物語』の3作品は特に有名である。
スピーフェルマンの『マウス』は1992年にピュリッツァー賞を受賞し、ノンフィクションとしてのマンガを広めることになった。

  • 5つの流れ

ここまでは、アメリカ、特にスーパーヒーローものを中心とした歴史だったが、さらに加えて5つの流れを紹介している。すなわち、 「アンンダーグラウンドコミック」「オルタナティブコミック」「一コママンガ」「ウェブコミック」「《マンガ》」である。

1960年代後半から1970年代半ばまでサンフランシスコを中心の潮流で、カウンターカルチャーシーンの中で成長した。ロバート・クラムの『Jiz,Snatch』、ジェイ・リンチの『Bijou Funnies』、トリナ・ロビンズの『Wimmen's Comix』などのアンソロジーが出版された。

アンダーグラウンドコミックの流れを継いだ、メインストリームに反する潮流。2000年は、オルタナティブコミックにとって分水嶺となった年で、クリス・ウェアの『世界一賢い子供、ジミー・コリガン』、ダニエル・クロウズの『David Boring』が出版された。

    • 一コママンガ(single-panel gag cartoon)

19世紀まで遡り、雑誌や新聞で一般的であったが、その後数を減らし、今では少数の雑誌でみられる。

もともとは、広く、安く作品を広めるための手段に過ぎなかったが、マンガのサブカテゴリーとして拡大している。マクラウドは『Reinventing Comics』の中で、紙の制約から解き放たれた、デジタルならではの表現について論じている。

    • 《マンガ》

最後は、他の国の潮流である。イタリアのfotoromanziやラテンアメリカのフォトノヴェラなど写真マンガ、フランスやベルギーのバンドデシネ、そして、アングロアメリカに最も影響をもたらしているものとして、日本の《マンガ》がある。


※さて、ここまで、特に何の断りもなく「マンガ」という言葉を使ってきたが、原文ではcomicsとなっている。もちろん、comicsを日本語訳するのであれば、マンガ(ないし漫画)ということになるだろうし、また日本語においてマンガとコミックはほぼ同義語として扱われるだろう。ただ一方で、世界のマンガ事情を考えると、一概に同義語としては扱えない。日本のマンガ、アメリカのコミックス、フランス・ベルギーのバンド・デシネ、中国・韓国のマンファなど、各文化圏において少しずつ違うのであり、それでいてこれらの総称となるような呼び方はない。ここでは、日本語の読みやすさを優先して、comicsをマンガと訳し、それと区別されている日本のmangaについては《マンガ》と表記している。
《マンガ》は、浮世絵や黄草紙といった日本の伝統的な版画とアメコミなど西洋からの影響を受けて誕生し、独自のスタイルと慣習を作り出していった。中国のマンファmanhuaや韓国のマンファmanhwa、あるいは英語による《マンガ》へと他の文化へも広がっている。

マンガ学およびマンガの哲学の短い歴史

マンガ研究は、マンガそれ自身や他のジャンルの研究に比べると進みが遅かった。

 

もっとも影響のある一冊。
マンガについての幅広い議論をマンガで書いた本である。
マンガについての定義でよく知られている(Kunzleの定義とは対照的に、内容や媒体に中立的な定義となっている)。

 

クラウド以外のマンガについて理論を書いたマンガ家。
『Comics and Sequential Art』(1985/1990)では、文字要素の視覚的な側面や、コマや枠線の表現的・美的な機能を論じた。
 

  • デイヴィッド・キャリア『The Aesthetics of Comics』(2000)

初めて、マンガという芸術について長文で哲学的に扱ったもの。

 

  • マンガの定義について

クラウドやキャリアによるマンガの定義は、Hayman&PrattやMeskinによって批判されており、Meskinはマンガを定義すること自体に対する懐疑論を唱えた

 

  • マンガと他の芸術形式

Meskinはマンガと文学を比較して、マンガをハイブリッドな芸術形式だと論じた。
Prattは、アニメーションとマンガの関係や、マンガと映画の比較などを論じている。

 

  • Brian Boyd

マンガを(生物的/文化的)進化論の観点から探究している。

 

マンガ研究についてのアンソロジーや、オルタナティブコミックやテプフェールのモノグラフ、あるいはティエリ・グルンステン『マンガのシステム』など外国のマンガ研究の翻訳などを出版している。

 
少なくとも三つの英語論文誌がある。

アンソロジー掲載論文

このアンソロジー(『The Art of Comics: A Philosophical Approach』)は大きく分けて3つのパートに分かれている。

  • パート1

マンガの定義、どういう種類のものか、オーサーシップなどマンガの性質について
Holbo論文は、マクラウドによる定義を再検討している。
Meskin論文は、グッドマンを援用してマンガの存在論的な種類について論じている。マンガはtwo-stageでオートグラフィックな芸術だという主張。
Uidhir論文は、マンガ(アメリカのコミックス)が個人ではなく集団制作されていることから、オーサーシップについて論じている
Abell論文は、ジャンルについて論じている。

    • パート2

表現と媒体について
Wartenberg論文は、言葉と絵の関係について論じている。
Maynard論文は、心的な内容をどのように表現しているかについて論じている。
Hick論文では、「マンガの言語」について論じている。カリーは「映画の言語」というものを批判しており、「マンガの言語」についての理論も少ない。ここでは、「マンガの言語」はないが、言語のようなものがあるとしている。

  • パート3

他の芸術形式との比較
Pratt論文は、マンガと映画の類似を論じている。
Cook論文は、マンガと映画の違いを論じている。
※これは、三輪健太朗も言及している。メタフィクションっぽい表現をやるとメディウムの違いが出てくるみたいな話。映画に吹き出しをつけたら変だけど、マンガに吹き出しがついているのは普通、みたいな話だったかと
Carrier論文は、プルースト失われた時を求めて』のマンガ化作品について論じている。

第一部 マンガの本性と種類(Part One: The Nature and Kinds of Comics)
1マンガを再定義するRedefining Comics
 John Holbo(シンガポール国立大学准教授(哲学))
2 マンガの存在論The Ontology of Comics
 Aaron Meskin(リーズ大学上級講師(哲学・美学))
3 マンガと集合的なオーサーシップComics and Collective Authorship
Christy Mag Uidhir(ヒューストン大学アシスタントプロフェッサー(芸術の存在論など))
4 マンガとジャンルComics and Genre
 Catharine Abell(マンチェスター大学講師(描写やフィクションの美学など))


第二部マンガと再現 Part Two: Comics and Representation
5 おしゃべりな絵:イメージとテキストの関係についての理論化Wordy Pictures: Theorizing the Relationship between Image and Text in Comics
Thomas E. Wartenberg(マウント・ホリヨーク大学教授(映画の哲学))
6 何がそんなに面白いのか? マンガの描写における内容What’s So Funny? Comic Content in Depiction
Patrick Maynard(西オンタリオ大学名誉正教授(哲学))
7 マンガの言語The Language of Comics  Darren Hudson Hick(Susquehanna大学アシスタントプロフェッサー(芸術の存在論、知的財産の哲学など))


第3部 マンガと他の芸術 Part Three: Comics and the Other Arts
8 マンガから映画へMaking Comics into Film
Henry John Pratt(Marist Collegeアシスタントプロフェッサー(哲学・美学))
9 何故マンガは映画ではないのか? メタマンガとメディウムスペシフィックな慣習Why Comics Are Not Films: Metacomics and Medium‐Specific Conventions
Roy T. Cook(ミネソタ大学ツインシティー校准教授(哲学(哲学的論理学、数学的論理学、数学の哲学、マンガの美学))
10 プルースト失われた時を求めて』のマンガ版についてProust’s In Search of Lost Time : The Comics Version
David Carrier (ケース・ウェスタン・リザーブ大学Champney Family Professor)

*1:使用画像クレジット:著作者:Brett Jordan、ライセンス:Creative CommonsAttribution http://free-images.gatag.net/2012/06/13/000000.html 著作者: bg_flo ライセンス:Creative CommonsAttribution http://free-images.gatag.net/2013/03/16/160000.html

*2:これまで開催してきた「第二展示場」とは同じ敷地内の別棟となります。

*3:佐々木果『まんが史の基礎問題――ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』 - logical cypher scape2