『芸術の言語』から現代の分析美学へ

グッドマン『芸術の言語』発売を記念して、東大駒場で開催されたイベントへ行ってきた。
5つのトピックについて、5人の登壇者がそれぞれ、グッドマンの主張とその後の分析美学における主張とを紹介するというもので、とても勉強になって面白かった。
特に、高田さんの発表がよかった。
あと、分析美学史よくわかってないので、そのあたり。
まあしかし、グッドマンあんまり美学に影響与えてなさそうなのだよなw 

追記(20170706)

レジュメとスライド公開されてた
配布資料(全員分)
スライド(松永分)

描写について(松永伸司)

表出について(源河亨)

特に、音楽における情動の表出について
近年の研究では全然グッドマン触れられていないらしいw
最近は、記号論よりも、認知科学の情動研究を踏まえたものが主流らしい

芸術作品の存在論(岩切啓人)

グッドマン以前では、インガルデンが結構重要のようだ
1968年に、グッドマン『芸術の言語』とウォルハイム『芸術とその対象』が出て、芸術作品の存在論の話が盛り上がっていったらしい
文学作品の同一性について、グッドマンとマゴーリスの違いとか、グッドマンとダントーやレヴィンソンの違いとか
グッドマンは、文字の並びが一致していたら同一作品で、そうでなかったら別の作品
ピエール・メナールのドン・キホーテセルバンテスドン・キホーテは同一か
→グッドマン:同じ作品
ダントーや文脈主義(レヴィンソンなど):別の作品
外国語に翻訳された作品は同一か
→グッドマン:別の作品
→マゴーリス:同じ作品(意味が同じなら同じ)

芸術形式の比較(高田敦史)

グッドマンについて、少し抽象的なレベルで、彼の研究プロジェクトがどういうものであったのか
→統一的な概念によって、個々の芸術形式を体系的に比較する、という方法論
グッドマンの場合、「記号システム」という概念によってこれを行った。
なら、ウォルトンは、同じ方法論を使って、「ごっこ遊び」という概念によってこれを行っているのではないか、と。
ちなみに高田さん、「ウォルトンは、「フィクションはごっこ遊びだ」と主張していると誤解されている。フィクションとは何かということについて論じていない」とも。
確かに、ウォルトンが何をやろうとしたかって、個々の芸術形式を比較しようとするプロジェクトだと考えた方が、わかりやすそう。
ウォルトンが最初に書いた美学論文は「Categories of Art(1970)」だけど、このときはまだあんまり美学について詳しくなかったらしい。グッドマンの『芸術の言語』が出たの68年だけど、ウォルトンは71年と74年にグッドマン批判の論文を書いていて、ウォルトンの美学研究は、おそらくグッドマン読むところから始まったんじゃないかと。
なので、グッドマンの記号論というのは受け継がれてないけど、もっと抽象的なレベルでの方法論は受け継がれているのではないか、というのが高田さんの発表
このあと、ロペスについても触れられていて、
ロペスによれば、個々の芸術形式を比較してくことが、芸術について明らかにしていく作業なのだ、と

美的なもの(森功次)