清塚邦彦「K・L・ウォルトンの描写の理論:R・ウォルハイムとの論争を手がかりに」

K・L・ウォルトンの描写の理論:R・ウォルハイムとの論争を手がかりに


とりあえず、読んだよというメモ
すごく勉強になる。

ウォルトンは,論文「ごっこ遊びと諸芸術」(1997年)1の中で,自らの描写理論の展開を,分析美学の進展と関連付けて解説している。そこでの説明では,ウォルトン理論は,E・H・ゴンブリッチの問題提起を継承しつつ,R・ウォルハイムの理論を補完し,さらに発展させる理論なのだとされる。しかし,果たしてウォルトンの理論は想定されている役回りを想定通りに果たせるのかどうか。その見極めが本稿の課題である。
 この課題と取り組むための手がかりとして,本稿では,ウォルトンと晩年のウォルハイムの間で交わされた論争に注目する。論争は多分に行き違いの観を呈しているが,両者が取り組んでいた問題の所在を見極める上では貴重な手がかりになるはずである。

最初の部分から引用
ウォルトンは、自分の理論がウォルハイムを引き継ぐものだと考えていたが、ウォルハイムはウォルトンの分析を終始批判し続けていた、と
清塚はしかし、この論争は行き違いとなっており、どちらかといえばウォルトンの立場に立つというか、ウォルハイムの批判があまりうまくいってないだろうことを論じている

一方のウォルハイムは,絵を見る経験を「の中に見ること」と呼んだうえで,その特質を,絵の表面と主題対象の双方に関わる「二重性」を持った現実の,しかし特殊な知覚作用として特徴づけた。ウォルトンとの論争の中でも,ウォルハイム側の最終的なよりどころは,この特殊な知覚作用が現実に存在するという強い確信にあった。彼はそれを経験の事実と考えていたのかもしれない。それは独断とも言えるが,しかしまた,少なからぬ人々が共鳴する素朴な直観でもあるように思われる。
 他方,ウォルトンの関心はそれとは方向性が異なる。ウォルトンが関心を寄せているのは,例えば馬の絵が一定の文脈では端的に「馬」と呼ばれ,その絵を見ることが「馬を見る」ことでありうるという事実である。こうした事実(虚構的真理)を成り立たせているのはどのような事情なのかというのがウォルトンの関心事であり,それに答えるのが視覚的なごっこ遊びの理論だった。

最終的なまとめ
ウォルトンとウォルハイムでは注目しているところが違うので、論争が行違っている、と。

ウォルトンの理論では,絵の中にその主題対象を見る経験は,現実の「見る」経験ではなく,虚構的な真理にとどまる。しかし,その虚構的真理を支えているのは,主題対象を現実に見る場合と類似した視覚的な認知過程が現に成立しているという事実なのである。ウォルトンにとっては,それが,主題対象を「見る」ということの実質である。

ところで、実際の論争は行き違いだったけれど、ウォルトン理論をもう少し評価できるのではないかという清塚の考察がなされる。
ウォルトンは、見ることを想像する、というけれど、もちろんそれは好き勝手な想像を意味するわけではなくて、上述のように「主題対象を現実に見る場合と類似した視覚的な認知過程が現に成立しているという事実」をもとにした経験なのである、と。
ただ、個人的には、(ウォルトンのメイクビリーブにおける「想像」が、一般的なところの「想像」とは少し違うものだということを認めた上でも)それを想像と言ってしまっていいのかという疑問はある。
つまり、認知過程があって捉えられた主題対象について、どのような(命題的)態度をとるかというところが、メイクビリーブ的な想像なのではないか、ということで、認知過程はそれの前段階にあたるもので想像と同一視できないのではないか、と。

 第二は,第6節において行った考察――それは何より,絵の表面を見る経験と,主題対象を見ているかのような想像との間の因果関係に関わる――の位置づけに関わる問題である。画像表象の本性を理解する上でこの種の因果関係が重要であることを説く立場は,しばしば「認知主義(cognitivism)」と呼ばれる65。ウォルトンの場合には,そうした認知主義の洞察を実質的に受け入れながら,それをあくまでごっこ遊び理論の枠内に位置づけている。しかし,果たしてそれは後者の枠内に収まるものなのかどうか。

で、これは結びのところで、今後の検討課題としていくつか挙げられているところの一つなのだけど
ウォルハイムとウォルトンの論争においては、ウォルハイムはあまりよい批判ができていなくて、ウォルトンのほうが優勢なのかもしれないけれど、まあしかし、別の描写理論の立場からの批判に対しても、ウォルトン説が優位を保てるかは定かではないよなあ、というのが個人的には思っているところ。
ただまあ、そういうわけで描写理論でウォルトン説はあまり擁護できないのでは、と思っていたのだけど、この論文はかなりウォルトン説擁護に近い立場で書かれていたので、その点で面白かったし、改めてウォルトン説のことが整理できてよかった。