リリー・ブルックス=ダルトン『世界の終わりの天文台』(佐田千織訳)

突如人類が滅亡し、最後の生き残りとなってしまった老天文学者と、木星から地球へと帰還するクルーたちが、それぞれに孤独を受け入れ愛に気付くまでの物語。


日本語訳は2018年に刊行されており、その際、冬木さんや牧さんの書評を読んで存在は知っていたのだが、当時そうした書評記事をブクマしてはおらず、あまり食指は動いていなかった。
が、その後、友人から薦められたので、読んでみることにした(薦められてからさらに1、2年経過してしまったが……)。


北極の天文台に勤務する老いた天文学者と謎の少女のパートと、木星への初の有人探査ミッションを終えて地球へ帰還中の6名の宇宙飛行士たちのパートが、交互に展開されていく構成。
彼らはいずれも、突然全くの通信が途絶えてしまうという事態に遭遇する。
ただし、この事態が一体何で起きたのか(戦争で起きたことが示唆されてはいるが)についての説明は全くなされない。
突然、自分たち以外とのつながりが完全に絶たれてしまうという緊急事態の中で、登場人物たちがパニックと内省を経て、「日常」へと回帰しつつ、上述したとおり、愛に気付いていくという話である。
老いた天文学者オーガスティンと、宇宙飛行士の一人であるサリーがそれぞれのパートの主人公で、2人とも宇宙に関する職業を選ぶことで、家族や人間関係を捨ててきた過去を持ち、こうした緊急事態・異常事態を通して、その過去を捉え直していくのである。



「シノハラは好きだと思う」というような薦められ方をしたので、どういうことだろうなと思いながら読んだのだが、一読しての感想としては「嫌いではないが……」というところだった。
上で、愛に気付く物語だと大雑把に要約したが、そのプロットについては、そこまで面白くは思えなかったというのが正直なところではある。
ただ、後に映画化されているらしいのだが、確かに映画にするとよさそうな作品ではあるなと思った。
一方で、この作品の魅力は、プロットよりは描写にあるなという感じがしていて、北極の風景や宇宙船の生活の描写を読み進めていくのは結構面白くて、この点は結構良かった。「嫌いではない」という感想はこれに由来する。
矢野利裕が文学のことを、日常を輝かせるというように形容していたかと思う*1、また、以前、中沢忠之が(文学が文体、ライトノベルがキャラクターなのに対して)SFやミステリはプロットのジャンルだと整理していたことがあったかと思う。それに倣うと、本作はSFというよりは文学寄りの作品なのかもしれない。


ところで、翻訳者の佐田さん、最近なんだがよく見かけるような気がしたのだが、自分の場合、シルヴァン・ヌーヴェル『巨神計画』『巨神覚醒』『巨神降臨』 - logical cypher scape2ジョナサン・ストラーン編『創られた心 AIロボットSF傑作選』 - logical cypher scape2で触れていたのが、そういう印象があるのかも。wikipediaを見るとそれ以前はファンタジーをよく訳されていたようなので、自分は見かけていなかったのだと思う。と思いつつ、さらにwikipediaをよく見てみたら、山岸真編『スティーヴ・フィーヴァー』 - logical cypher scape2の収録作の一つを訳してた!

あらすじ(ネタバレあり)

オーガスティンが勤務する北極諸島天文台に、軍の輸送機がやってくる。戦争の噂があるからと全職員撤収することになるが、この天文台の終の棲家と定めていたオーガスティンは拒否する。
一人になったオーガスティンだったが、数日後、どこからともなくアイリスという8歳くらいの少女が現れる。物静かな彼女との不思議な同居生活が始まる。
アイリスとともに生活するうちに、オーガスティンは、より強力な電波局がある湖のほとりのキャンプへと移動することを決める。スノーモービルに荷物を詰め込み山を越え、天文台には二度と戻れない旅へと出る。
そして、たどり着いた湖のほとりでは春が訪れ、オーガスティンとアイリスはつかの間の豊かな春を謳歌する。
オーガスティンの回想がたびたび挟まるのだが、話が進むにつれて嫌な奴だったことが分かる。
研究についてしか興味がなく、次々と勤務先を転々としていく孤独な人生を送ってきたオーガスティンなのだが、一方ですごくモテるのである。そのことを自覚した彼は、そっち方面も「研究」も始める。つまり、次々と女性に手をつけていくのだが、関係を結ぶと、冷たくあしらうということを繰り返し、人間関係がいよいよにっちもさっちもいかなくなると、別の研究機関へと転職するのだ。
女たらしという評判はたつものの、研究者としては間違いなく優秀であったため引くてあまたであり、勤務地を変えるのはわけなかったのだ。
そんな彼にも生涯に一人だけ魅了された女性はいた。その女性の間には子どももできたのだが、オーガスティンは堕胎するよう求め、2人は別れた。数年後、母娘の行方を調べ、娘に対して誕生日プレゼントを何年間か送りもしたのだが、母娘の行方が分からなくなったので、それっきりとなり忘れ去っていた。
アイリスとの生活を続けるうち、オーガスティンはその女性とのことを少しずつ思い出すようになっていた。
一方、オーガスティンの前にはたびたびホッキョクグマが現れる。
完全なネタバレで、最後のオチを書いてしまうと、アイリスはオーガスティンの娘の幻影で、オーガスティンはクマにくっついて亡くなる。
オーガスティンに関する物語は、オーガスティンに甘いような気もして、鼻白んでしまうところがないわけではない。アイリスの正体は自分の予想*2と違っていたので「え?」って感じだったし。
しかし、それはそれとして、雪に覆われた天文台での暮らし、荷物を厳選して雪の中での野宿を伴いながらのスノーモービルの旅、湖のほとりでのひと時の豊かな暮らし(キャンプに燃料や食料が十分以上に貯蔵されていたからでもあるし、春が訪れ、雪が解け草花が咲き、湖で釣りをすることができたためでもある)といった、北極圏での非日常な日常の描写はよかった。
筆者は、本作が小説デビュー作だが、その前に、世界中を旅した経験があり、作家としては自叙伝的ノンフィクションでデビューしているらしく、そうした経験が北極パートには生かされているのではないかと感じられた(北極に行ったことがあるのかどうかは知らないが)


一方の、宇宙飛行士パートであるが、
初の有人木星宇宙探査船が舞台となっており、同船のクルーメンバーは、主人公であるサリーのほか、ハーパー船長、最年長のシーヴス、研究者のイワノフ、航海士(?)のタル、最年少のデヴィの6人。
木星でのミッションを終え地球へ帰還しようとしたところ、管制センターからの通信が途絶し、地球からの電波が一切途絶えてしまう。
まず、当然のことながらメンバーのほとんどが大きなショックを受ける。
元々、こうしたミッションでは、一日の生活スケジュールが細かく決められているが、それが次第に緩んでくるというか、守る意味が感じられなくなって、例えば食事の時間に出てこなくなるメンバーが出てきたりする。
サリーの場合、地球に残してきた家族への思いで内省的になっていく。
そもそも彼女は離婚しており、家族よりも宇宙、地球よりも木星を選んで生きてきた。娘の写真も1枚しか持ってきていなかったのが、それを急速に後悔するようになる。船では通信を担っており、木星に残してきた探査機からのデータを受信・保存していたが、それへの興味も次第に失っていく。
イワノフは自分の研究室にこもりきりになり、タルはゲームに当たり散らし、デヴィは自室にこもってほとんどコミュニケーションをとらなくなる。
しかしそんな中、ハーパーやシーヴスは比較的落ち着いており、その2人の様子に気付いたサリーも当初のパニックからは回復していく。
その後、小惑星帯まで戻ってきたあたりで宇宙船のアンテナが破損するトラブルが起こり、これがメンバー全員に再び目的意識を取り戻させることになる。
ハーパーがサリーのことを想うようになっていて、サリーはそれに気付かないようにしていて、というラブロマンス的なプロットもある。
こちらも、宇宙船という限定的な空間の中での生活を描写していくところがよかったと思う。
また、北極パートと比較すると、登場人物も多いし、アンテナ故障とその修理といった見せ場もあり(北極パートの場合、湖への旅がそれに相当するが)、メンバーそれぞれにそれぞれの人間味があって、プロット面での読みやすさもある。
某メンバーは死ななくてもよかったのでは、と思わないこともないが……。


先述したとおり、サリーは離婚しているわけだが、サリー自身、母子家庭で育っている。サリーにとって、天文学者でもある母親と2人で暮していた頃の思い出というのが人格形成に大きなウェイトを占めているのだが、その母親が後に再婚し家庭に入ってしまってからはどうにも家族の中に落ち着けなくなってしまう。
読み進めていくうちに、サリーがオーガスティンの娘であることが分かってくる。
地球に接近してきたところで、オーガスティンが発信していたアマチュア無線の電波をキャッチし、宇宙船クルーとオーガスティンは数回交信することに成功する。
サリーとオーガスティンは互いに自分たちが父娘であることには最後まで気付かないままだが、2人の間にはしばし温かな交流が生まれる。


最後の最後、彼らはちゃんと地球に還れるのか、そこには何が待っているのか、生き延びられるのかという点については完全にオープンになっていて、分からない。
もとよりそこに力点がある作品ではなく、オーガスティンとサリーという、互いに互いのことを知らない父娘が、家族よりも仕事を選び上手く人を愛することができない、という相似形の人生を送り、しかし、それぞれに家族を愛するに至るまでを描いた物語ということになる。


ところで、初の有人木星探査が行われているが、この世界の他の宇宙開発関係の出来事としては、ボイジャー3号という探査機が恒星間宇宙を飛んでおり、その一方で、ISSがいまだ現役でこの木星探査船もミッションを終えた後は恒久的にISSの一部になることになっている。
原著は2016年に出たそうで、ISSと地球の移動がソユーズなのはまあそりゃそうだろうなというところだし、どうも月ゲートウェイ計画もまだ出てきてなかった頃っぽいので、ISSがいつ頃までにどうなるかというのも見えにくい時期だったのかもしれない。
が、さすがに初の有人木星探査をやれるような時代までISSが現役ってことはないのではなかろうか……。

*1:『文学+』03号 - logical cypher scape2

*2:読み返してみるとその予想が違うのは早々に分かるようになっていたが