クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」「ポスト・絵画的抽象」

グリーンバーグ批評選集』の中から「モダニズムの絵画」「ポスト・絵画的抽象」を読んだ。
グリーンバーグについてはいつか読まないととはずっと思っていたのだが、なかなか手つかずのまま、「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展 - logical cypher scape2を機にようやく手に取った。
とりあえずこの2篇

モダニズムの絵画

いわゆるグリーンバーグに帰せられる主張として紹介されるような内容が書かれており、「なるほどこれが」と確認していくような感じで読んだが、やはり原著を読むと「そういうことだったのか」という発見もある。


モダニズム=カントに始まる自己-批判的傾向の強化
芸術におけるそれは、別の芸術のミディアムから借用されているものを除去して「純粋さ」に自己-限定すること
モダニズム絵画は平面性へと向かったが、対象の再現自体は問題ではなく、放棄されたのは空間の再現。
モダニズム絵画は、彫刻的なものへの反抗
リアリズム的なイリュージョンは、彫刻に多くを負っているが、一方、16世紀のヴェネチア以降、色彩という形で、彫刻への反抗も行われていた
ただし、印象主義以降、ドローイングvs色彩ではなく、触覚(の連想を受ける視覚)vs(純粋な)視覚、となった


モダニズムは、絵画が物体になる手前ぎりぎりまで条件をおしやる
彫刻的なイリュージョンもトロンプ・ルイユも許容しないが、視覚的なイリュージョンは許容しなければならない
その中へ入っていく空間のイリュージョンではなく、眼によってのみ通過できるような空間のイリュージョン


モダニズムの絵画と近代科学は方向性は同じ
伝統と断絶しているわけではなく、連続している


面白かったのは、追記*1で、「ここに書かれていること全てが筆者の立場の表明だというのは誤解である」旨のことが書かれていたこと。
例えば「純粋」とカギ括弧付きで書いたのは、そういう含みを持たせているんだとか。
また、平面性を美的な質の基準と見なしているとか、自己-限定を推し進めるほどよい作品になる、という荒唐無稽な解釈があった、とか。

ポスト・絵画的抽象

ヴェルフリンの「線的」「絵画的」という区別を援用して、「カラーフィールド」絵画をポスト・絵画的抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクション)と呼んだというのは、「カラーフィールド展」関係の記事を読む中で知っていたが、そもそも「線的」「絵画的」って何よ? というのが分からなかった。
どうも、輪郭線をはっきり描くのを「線的」、輪郭線を曖昧に描くのを「絵画的」と呼び分けたらしい。確かにその意味で「カラーフィールド」の多くの作家は「絵画的」かもしれないが、しかしやはり、その意味でもノーランドやステラは除かれる気がする。
また、これらの画家についてグリーンバーグは「開放性」と「明瞭さ」という形容をしている。このあたりが、前の世代の抽象表現主義と区別される特徴を示すキーワードのようだ。
展覧会のために書かれたので、論考として読むと短い。
オリツキーは特に言及されていなかった。


抽象表現主義は、まぎれもなく絵画的である
→しかし、マンネリズムに陥った
→だが、抽象表現主義を継承しつつ新鮮さをもつ画家たちが現れた
グリーンバーグは、そうした新鮮さの要因として「開放性」と「明瞭さ」を挙げる。
具体的にどういう性質のことを指しているのかよく分からないが、フランケンサーラーのステイニング技法を指して絵を「開放して」いると述べている。また、アーサー・マッケイについて「デザインの線的な明瞭さ」と述べている。
なお、「開放性」と「明瞭さ」は、新鮮さをもたらしているけれど、これらがあるから美的な価値があるとかそういうわけではないよ、ということをくどくどしく注釈しているところがあるw
それ以外の共通点として、明るい色調を持つという点と、(「身振り」などに対して)比較的匿名的な手法を好むという点を挙げている。
グリーンバーグは、ポップ・アートに対してて、あれは流行っているけど新鮮ではないと批判している。

*1:この文章の初出は1960年だが、訳出にあたっては1989年のものが底本になっているらしいが、末尾に1978年の追記がある