板坂耀子『平家物語』(一部)

TVアニメ『平家物語』を見るにあたって参考書として手に取った
とはいえ、ごく一部しか読んでいない
大きく分けて二部構成になっていて、前半であらすじを紹介し、後半では登場人物の関係を図式的に当てはめた読解、というか平重盛にフィーチャーした解説を行っている。
平家物語』について、中学高校で簡単に習った程度以上のことは全く知らず、アニメを見始めたときに「重盛……?」となっていたレベルの人間で、この本の目次を見たら、重盛の解説が厚そうだったので手に取った。

平家物語のあらすじについて

最初にものすごくシンプルにまとめてくれている。
つまり、平家の都落ちを話の中間地点として、平家が都で栄華に奢る前半と、平家が都から離れて没落する後半とに分けて、前半に3つの反乱、後半に3つの戦いがある、と。
これは、まずはとにかくこれだけは覚えておけ、という最低限の筋

で、上のようなまとめ方をすると、木曽義仲がごっそりと抜け落ちることになる。
義仲について、本書はコラム記事で言及している。
手持ちの国語便覧を見ると、平家物語は三部構成で清盛、義仲、義経がそれぞれ主人公であると書かれているのだが、対してこの本の筆者は「清盛、義仲、義経が主人公とされることもあった」と過去の一説扱いをしていた。
ただ、筆者としても、義仲を軽く見ているわけではなく、むしろ印象的なキャラクターだと考えている。
どういうことか。
義仲の最期は、仲間が一人また一人と減っていき、本人は矢に射られて亡くなるという、見せ場のないものである。平家の人物は、亡くなるにしても一騎打ちで亡くなるなどの見せ場があるのに対して、義仲はそうした見せ場がない。
これを筆者は、平家物語の作者は義仲のことは好きではないのだろう、という*1
しかし、好きではないからこそ、作者と登場人物とのあいだに適切な距離がとられていて、平家物語の甘さがないのではないか、と論じている。
つまり、平家物語で義仲は作者からある意味で冷遇されているのだが、逆にそれによって生々しく現実感のある描写になったのだと。

  • 頼朝について

平家物語は、義経は出てくるが頼朝の出番は少ない。
これについて、頼朝は基本的に鎌倉がいるからという理由とともに、もう一つの理由を挙げている。
平家物語は、戦いの勝敗に対して必ず解説が入るらしいのだが、基本的に、奇襲・不意打ちをした方が勝つという論理で全て説明しようとするらしい。
頼朝はそういう勝ち方をしていないので、平家物語の論理では扱いにくいから、ということらしい。

重盛について

さて、重盛である。
まず、平家物語の図式として、前半では清盛と重盛、後半では宗盛と知盛が対比されているという。
前半では、清盛=悪、重盛=善という図式である。
ところで、これは史実としては必ずしも正しくないようだが、平家物語は物語としてこのような構図をあえてとっている。
というのも、平家は何故滅びたのかという問に対して、重盛が死んでしまったからという答えが与えられるから。ただ、おそらく順番としては逆で、都落ちする前に死んだのが重盛だったので、それを平家が滅びた理由とした、と。


さて、重盛はそんなわけで、平家の良心ポジションなのだが、戦前・戦中において、忠義を説く道徳的な講話でよく使われていたらしい。
そして、その反動により、戦後は重盛sageが始まる、と。戦後の研究者・作家は軒並み重盛の評価が低いらしい。
また、その一方で、悪役である清盛を再評価するような動きもあり、一層、重盛の影が薄くなっていった、と。
しかし、筆者は平家物語の重盛の魅力を説く。
実際、江戸時代においては重盛はヒーロー扱いであったという。
ここで筆者が述べる重盛の魅力は、優等生キャラクターの魅力である。
リーダーを献身的に支える優等生ポジションというのは、平家物語に限らず、様々な古典やポピュラーカルチャーの中に見られるキャラクターであり、普遍的な魅力がある、と語っている。
ここで筆者は、多くの物語に当てはまる図式として、第一段階:主人公(リーダー)→第二段階:主人公を絶対に裏切らない優等生タイプ→第三段階:華やかキャラと素朴キャラ→第四段階:価値観の少し異なる特殊技能キャラやトラブルメーカーな道化キャラ、保護される存在である女子どもキャラなどといった形で仲間が増えていく構造を提案している。
これ、当てはまらない物語も当然あるのだが、確かに当てはまる物語も結構あって面白いなと思った。個人的にこの図式を見て最初に思い浮かんだのは、銀英伝(帝国側)
なるほど、重盛というのはキルヒアイスポジションなんだな、という理解が得られた。

太平記について

他の代表的な軍記物語として、太平記についてもコラム記事で取り上げられている。
ただ、筆者は、太平記より平家物語の方が完成度が高いし面白い、と言っている。
平家物語が善悪がはっきりしており、平家が滅んで終わるというわかりやすさがあるのに対して、太平記の場合、敵役として描かれる足利尊氏が結局勝つし、はっきりしない。
平家物語の方が筆者としては好きなのだが、しかし、太平記のような作品を読みたくなるときもあるしそういう文学も必要、と結んでいる。


なお、あとがきによると(また他の著作一覧を見れば分かることだが)、筆者の専門は実は『奥の細道』など近世紀行文
しかし、元々好きだったのは平家物語で卒論も平家物語だったが、大学院での専攻は近世文学に、とはいえ、紀行の中にも平家物語は出てくるし、大学の講義などで扱う機会はあって、結局縁が続いたと。

*1:なお、ここで平家物語の作者という場合、特定の人物を指すのではなく、平家物語成立に関わってきた人々全体を指す