Mulcom Budd “How pictures look” (マルコム・バッド「画像はどのように見えるか」)

美学論文アンソロ(ラマルク+オルセン編『美学と芸術の哲学:分析的伝統:アンソロジー』 - logical cypher scape)から
描写の理論(Theory of Depiction)にはいくつかの立場があって、類似説、経験説、認識(認知)説、メイクビリーブ説、構造(記号)説におおよそ分類できるとされており、その中で、類似説の立場から書かれたもの。
pictureは画像と訳すことにする


描写における類似説というのは、一番古く、かつ素朴な考え方なのだけれども、グッドマンがボコボコに批判したために、分析美学の世界では否定的に扱われてきた。
が、ある時期から再び復活してきた説とされている。バッドもそのような立場である。
バッドの考えは、画像は描写されている対象と、知覚されたヴィジュアルフィールドの特徴において、類似しているというもの。
ヴィジュアルフィールドというのは、ヴィジュアルワールドという概念と対になっていて、2次元的な視覚像(視覚平面)というようなもの、みたい。
奥行きとか距離とかがあるのはヴィジュアルワールド、ないのがヴィジュアルフィールド
平行な2本の線路は、ヴィジュアルワールドでは交わらずに平行だけど、ヴィジュアルフィールドでは交わっている、とか。


Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)

Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)

画像による指示も、画像によらない指示も、どちらも同じ理論(指示の一般理論)で説明されるだろうから、ここでは扱わない。
描写については、画像に関わることなので

グッドマンによる批判とそれへの応答
ここでは、対象が類似しているというよりも、知覚が類似しているというようなことなので、グッドマンの批判はあたらないという旨

3・4

ヴィジュアルフィールドとヴィジュアルワールドについて
フィールド:目が固定されている時に見えているもの(目が動くと変化する)、境界がある、およそ楕円形。ワールドの真部分。見かけの方向しか含まない(奥行き・深さがない)。平行な線路がくっついている。同じ背の高さの人でも遠い人の方が低く見える
ワールド:境界がない、目が動いても安定している。見かけの距離と方向の両方を含む。
視覚経験の完全な説明と部分的な説明の違い
ヴィジュアルフィールドという実体があるというわけではなく、世界をあらわす方法の一つ

5

線だけで描かれた立方体の図を使って、ヴィジュアルフィールドを用いた描写の類似説について説明している。
視覚経験の中で、描かれている対象(立方体)を実際に見たときに得るだろうヴィジュアルフィールド上の表象と、同型isomorphicの表面上の構造を見ている、と。
バッドの類似説においては、この同型の構造、というのがわりとキーワード
(この節の注釈でピーコックが出てくる。ピーコックもまた、ヴィジュアルフィールドを使った説明をしているけれど、自分(バッド)とは異なるとしている。ピーコックは形、バッドは構造)
構造の同型性について、音楽の鑑賞を喩えとしてあげていたり、ホルバインの「大使たち」に描かれているドクロに言及していたりしている。
あと、面白いのはゲーテ『親和力』に出てくるらしい活人画の例。絵に描かれている人に扮して絵のシーンを再現してみせるもの。三次元の情景が、絵の類似になっている例

6

類似していないような絵について
画像の知覚的特徴がすべて、対象の知覚的特徴の表象になっている必要はないという話(白黒の絵は色をあらわしていない、逆に、点描などの点も実際の光景に対象があるわけではないけど、それは類似にとって問題ない、という話っぽい)
キュビスムとかもまあ、どういう抽象化がされているか分かっていれば、類似説でも問題ないのだという話らしい
フィクションの対象や不可能物体についての絵(ex.エッシャーの絵)とかは、全体としては、実際には見たことがないような、見ることができないようなものだけど、その部分部分を見れば、類似しているものだとわかる
(翼のある馬は見たことないけど、翼について描かれた部分が翼と似ているとかはいえるので、類似説の応用は簡単だ、と)

7

自然主義について

まとめとか

感想

グッドマンからこの分野に入った身としては、類似説とかちょっとなーと思うのだが、読んでみると、わりといいかなーとかも思ってしまうw
知覚経験ということはかなり意識している、という感じはする。
絵画の多様性(キュビスムとかなんとか)をちゃんとフォローしきれるのかどうか、という点は微妙な感じがする