リチャード・ウォルハイム「画像的表象について」

美学論文アンソロ(ラマルク+オルセン編『美学と芸術の哲学:分析的伝統:アンソロジー』 - logical cypher scape2)から
Mulcom Budd “How pictures look” (マルコム・バッド「画像はどのように見えるか」) - logical cypher scape2に続いて、描写について。
いやしかし、ウォルハイム、自分の英語力ではなんか文章が読みにくくて(例えば、やけにカンマが多い文があるとか)、内容をあまりつかめなかった。
98年の論文なんだけど、89年のピーコック論文、93年のバッド論文(上の奴)によって出てきた類似説への批判なんかもある。




理論についての最小要件というものを挙げている
描写的表象は知覚的現象である、とか

記号論への批判
知覚的な現象であるという点を満たさない

最小要件について
(1)適切な経験がある
(2)適切な鑑賞者が見ればこの経験をもつ
(3)この経験には表象されたものについて視覚的気づきがある
で、(3)がないのが、最小要件の骨組みver.で、(3)もあるのが拡大ver.
記号論は骨組みVer.すら満たしていない、と。
で、次は類似説の検討へとうつる
ともにヴィジュアルフィールドを使って論じているピーコックとバッドについて
類似説は、骨組みVer.は満たすけれど、拡大Ver.は満たさない、らしい
類似には2種類ある
一つは、同時に2つのものを見比べてわかる類似
もう一つは、片方は目の前にあって、もう片方はここにないものとを比べる類似
もし、前者であれば、拡大Ver.を満たすけれど、表象は後者の関係

ここから、Seeing-inについて

類似の経験とSeeing-inとどっちが基礎的か
Seeing-inにもとづいて、類似が経験されるだろーというような議論
例えば、絵画の表面には描写に関与していない特徴があるけれど、もし類似の方が基礎的だと、そうした特徴をフィルタリングする原理が必要になる、とか

Seeing-Inの範囲と表象の範囲が同一であることについて
制約・可視性の限界から考える

可視性の限界
思考の浸透性について

思考の浸透性がある心理的現象としての想像
ウォルトン説について
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想像は、ウォルハイム説の中にも位置をしめるが、それはSeeing-inの付属品的なもの
内側から想像することと心的状態
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作家の意図について
画像的言意味は意図に依存しないが、意図を満たすことに依存する