『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その4

70周年記念で、過去に『群像』に掲載された短編の傑作選が掲載されている号。
元々、一気に読むのは無理だなと思っていたので、時々時間があるときに読んでいるのだけど、1年ぶりくらいに再び手に取った。
『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scape
『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その2 - logical cypher scape
『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その3 - logical cypher scape


今回、1977年の林 京子「空罐」から、1995年の多和田葉子「ゴットハルト鉄道」までを読んだ。
もっとも「空罐」は以前既に読んでいたのだが、今回たまたま、長崎へ行く移動時間中に読んでいたので、ざっと再読した。
藤枝静男「悲しいだけ」、小島信夫「返信」、大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」、後藤明生「ピラミッドトーク」、大庭みな子「鮭苺の入江」、丸谷才一「樹影譚」、津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」、色川武大「路上」、山田詠美「唇から蝶」、多和田葉子「ゴットハルト鉄道」と、おおむね80年代の作品中心で、この時期の男性作家の作品がどれもかなり私小説的な感じだった。その作家についてある程度知っていることが前提というものが多く、どちらかといえば、そうした前提のあまりいらない女性作家の作品の方が面白かった印象がある。
とはいえ、私小説的な作品がつまらないというわけではなく、ふんふんと読めてしまう感じはあった。

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

〈座談会〉「群像70年の短篇名作を読む」辻原 登、三浦雅士、川村 湊、中条省平堀江敏幸


三島由紀夫「岬にての物語」(1946年11月号)
太宰 治「トカトントン」(1947年1月号)
原 民喜「鎮魂歌」(1949年8月号)
大岡昇平「ユー・アー・ヘヴィ」(1953年5月号)
安岡章太郎「悪い仲間」(1953年6月号)
庄野潤三プールサイド小景」(1954年12月号)
吉行淳之介「焔の中」(1955年4月号)
圓地文子「家のいのち」(1956年9月号)
室生犀星「火の魚」(1959年10月号)
島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)
倉橋由美子「囚人」(1960年9月号)
正宗白鳥「リー兄さん」(1961年10月号)
佐多稲子「水」(1962年5月号)
森 茉莉「気違ひマリア」(1967年12月号)
深沢七郎「妖術的過去」(1968年3月号)
小沼 丹「懐中時計」(1968年6月号)
河野多惠子「骨の肉」(1969年3月号)
瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)
三浦哲郎「拳銃」(1975年1月号)
吉村 昭「メロンと鳩」(1976年2月号)
富岡多恵子「立切れ」(1976年11月号)
林 京子「空罐」(1977年3月号)
藤枝静男「悲しいだけ」(1977年10月号)
小島信夫「返信」(1981年10月号)
大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月号)
後藤明生「ピラミッドトーク」(1986年5月号)
大庭みな子「鮭苺の入江」(1986年10月号)
丸谷才一「樹影譚」(1987年4月号)
津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」(1987年5月号)
色川武大「路上」(1987年6月号)
山田詠美「唇から蝶」(1993年1月号)
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(1995年11月号)
笙野頼子「使い魔の日記」(1997年1月号)
小川国夫「星月夜」(1998年1月号)
稲葉真弓「七千日」(1998年2月号)
保坂和志「生きる歓び」(1999年10月号)
辻原 登「父、断章」(2001年7月号)
黒井千次「丸の内」(2003年1月号)
村田喜代子「鯉浄土」(2005年6月号)
角田光代「ロック母」(2005年12月号)
古井由吉「白暗淵」(2006年9月号)
小川洋子「ひよこトラック」(2006年10月号)
竹西寛子五十鈴川の鴨」(2006年10月号)
堀江敏幸「方向指示」(2006年10月号)
町田 康 「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(2006年10月号)
松浦寿輝「川」(2009年1月号)
本谷有希子「アウトサイド」(2012年3月号)
川上未映子「お花畑自身」(2012年4月号)
長野まゆみ「45°」(2012年5月号)
筒井康隆「大盗庶幾」(2012年12月号)
津村記久子「台所の停戦」(2012年12月号)
滝口悠生「かまち」(2013年4月号)
藤野可織アイデンティティ」(2013年8月号)
川上弘美「形見」(2014年2月号)


〈評論〉

「群像」70年の轍  清水良典
「群像」で辿る〈追悼〉の文学史  坪内祐三
名物コラム「侃侃諤諤」傑作選
〈創作合評〉奥泉 光+大澤信亮滝口悠生

林 京子「空罐」(1977年3月号)

再読なので省略
主人公の友人が教師で、離島に転勤になる可能性がある旨話しているシーンがあるが、今回、旅行にあたり長崎県の地図を改めて見ていたので、確かにこう、半島とか島とかが入り組んだ土地だよなーと。

藤枝静男「悲しいだけ」(1977年10月号)

妻が亡くなったあとの日々と、妻の最期の頃の回想
ただそれだけ、と言ってしまえばそれだけなのだけど、長年連れ添った人が亡くなる時というのはこういう感じなのか、とちょっとだけシミュレートできるような感じもありつつ、まあむろん、まだ全然実感のない話ではある。

小島信夫「返信」(1981年10月号)

これは、小島自身の過去作への言及が多くて、それこそある程度知っていることが前提という感じ
戦前、旧制高校時代に交流のあったK家の人々(当時、K家のバツイチの娘に恋慕していた)について
そして、現在になって、K家の娘から、兄が法学部長になったという便りを受け取るも、その後、その兄と学生との性的なスキャンダルが発覚してしまう。
K家の娘についての回想や、K家の兄の話をしつつ、自分の作品で描いてきたものとは何なのかということを書いている、というような話か

大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月号)

『新しい人よ目覚めよ』にも収録されている、大江の息子(イーヨー)について書かれた作品
息子について書かれた作品を読むのが実は初めてで、想像していたのとはちょっと違った。まあ、おそくらこれ、連作として他の作品とあわせて読まないと分からなそうな作品だなと思うのだけど。
大江が仕事で海外に行って家を空けていたときに、イーヨーが家族に対して某威力的に振る舞っていたという話
その際に「パパは死んでしまった」と言っていたという不穏な話を妻が報告してくるのだが、大江は、イーヨーが父の不在を死と解釈した上で、家族を守ろうとしていたのではないかと考える。
ところで、作中に突然「憲法」が出てくるのだが、どうしてでてきたのかが謎だった

後藤明生「ピラミッドトーク」(1986年5月号)

転居祝いに編集者からピラミッド時計というのをもらった作家の話
ピラミッドの形をしていて、頂部分をたたくと、現在時間を言うというもの
ピラミッドの時計もそうだけれど、新国鉄京葉線が今度開業しますねとか、日航機墜落の話をしていたり、町並みの説明の中にコピー屋がでてきたり、1986年ってそういう時代かーというのを感じさせる作品だった

大庭みな子「鮭苺の入江」(1986年10月号)

アラスカが舞台。
セント・ルイスにほど近いサーモンベリイ・ベイに住むニーナについての話。ニーナは主人公であるユリの友人であるオリガの母親
ニーナは、アラスカがロシア時代だった頃にアラスカで生まれ*1、その後、パリ留学し、そこで文学青年と恋に落ちたが、結局別れて、ヨーロッパ各地を放浪、現在の夫とで出会ったのちアラスカへと戻ってきた。
娘のオリガの名前は、チェーホフの「三人姉妹」に由来しているが、ニーナは文学や芸術家に対して手厳しい。プルーストジョイスに対して辛口の批評をするが、一方でそれは、芸術家たちへのある種の親愛でもある。

丸谷才一「樹影譚」(1987年4月号)

樹の影が壁に映る様が何故だか分からないけど好きだ、という作者の語りから始まる。
で、なんでそんな話をしはじめたかというと、そのことを今度書く小説のネタにすることを思いついたのだが、同じネタがナボコフの作品にあったのではと思い出して書けなくなった、と。で、ナボコフの翻訳者とかに聞いてみたんだけど、そんな作品はないという。そういう作品があると思い込んでしまっただけで本当はそんな作品はないのかもしれない。でももしかしたら何か似た作品があるかもしれない、と。
で、第2節から、小説本編が始まる。主人公は老作家で、今までいくつかの作品で樹の影を用いている。
地元に講演することになったのだけど、同郷の、しかし見ず知らずの老年の女性から手紙が来る。要するに、ファンなので会いたいんだけど、年のせいで講演会に行けないから家に来て欲しい、という手紙。
そんな図々しい話聞けないと最初は返事するのだが、色々あって結局行くことになる、と。そこで色々話を聞いていたら、実はあなたはこの家の子どもなのだという話をしはじめて、主人公は妄想乙って思っているんだけど、彼の作品に繰り返し現れる樹木の影のモチーフは、この家に由来があって、とつながっていく

津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」(1987年5月号)

シングル・マザーで娘と息子を育てている主人公が、母親とともに暮らすことを決め、家を建て替えようという話になる。それで、子供たちがそれぞれ自分たちの理想の家を考えるようになっていく。
ただ、その後、母と息子が亡くなってしまい、この話はなくなるのだけど、主人公はその死を受け入れられないでいるという話。

色川武大「路上」(1987年6月号)

読んだけど、どんな話だったか思い出せない
なんか、昼ご飯どこで食べようかと彷徨っているシーンとかがある

山田詠美「唇から蝶」(1993年1月号)

主人公の妻は、唇が青虫になっている。比喩ではなく文字通り。
主人公はある日道で出会った彼女に、突然求婚し、彼女もそれをすぐに受け入れて結婚する。しかし、というか当たり前だが、2人は夫婦らしい夫婦ではなく、彼女は主人公のことを時々口汚く罵ったりする

多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(1995年11月号)

他の作家の代理で、ゴットハルト鉄道への取材旅行へ行く主人公
ヨーロッパ人や知識人が好むものを嫌がり、嫌がるものを好む
ゴットハルトのトンネルを、男性の中へ入り込むと喩える

*1:なお、セント・ルイスはロシア時代のアラスカの中心都市らしい