群像8月号
戦後文学2009高橋源一郎×奥泉光
群像で戦後文学を読む企画をやるんだけどどう、みたいな感じの対談。
自分たちが戦後文学をどう読んできたかとか、今の文脈でも面白いものは面白いんじゃないかという話から、次第に企画会議へと変わっていく。
創作合評スタイルでやろうとか、日本文学盛衰史・戦後文学編をやろうとか
それが結構楽しそうだった。
戦後文学とか全く分からないけれど、面白そうだった。
新潮8月号
東浩紀「ファントム、クォンタム(第8回・最終回)」
終わったなあ。
あとは単行本になってまとめ読みするのが楽しみ。
なるほどねーとは思った。
ゲーム的リアリズムの誕生で、『九十九十九』に読み込んでいたテーマがオチになったという感じである。
文學界8月号
なんとなく、考える
書くことについて
書くことによって考えるということについて
「ファントム、クォンタム」は『存在論的、郵便的』の続編な感じだよ、という話。
それはテーマ的にもそうだけど、周辺の文脈とか気にせずに書いたからということでもある。
『存在論的』が今の読者にとって読みにくいのは、文脈を読むことができないからではないか、と。
今の読者は、使えるツールが欲しい。コミュニケーションのネタが欲しい。
「何でこいつこのタイミングでこんなこと書くのか」というのが分からないと読めない。
それはそれで仕方がないこと
でも、書くことによって考えるという作業というものもある。
そういう作業が求められないというのは、寂しいものがある。
かなりいいこと言っているじゃないかーと思った。
っていうか、文脈読むのとか俺できないし。
*1:群像に掲載されているのは、一部抜粋