今月の文芸誌

群像8月号

戦後文学2009高橋源一郎×奥泉光

群像で戦後文学を読む企画をやるんだけどどう、みたいな感じの対談。
自分たちが戦後文学をどう読んできたかとか、今の文脈でも面白いものは面白いんじゃないかという話から、次第に企画会議へと変わっていく。
創作合評スタイルでやろうとか、日本文学盛衰史・戦後文学編をやろうとか
それが結構楽しそうだった。
戦後文学とか全く分からないけれど、面白そうだった。

変愛小説集7ダン・ローズ「人類学その他100の物語」

岸本佐和子の翻訳シリーズ。
人類学anthropologyから始まって、アルファベット順に101の掌編が並ぶというもの*1。英語だと、それぞれが101ワードでできているらしい。
101ワードということでショートショートというよりもさらに短い。二段組みの段一つ分にもならない長さなのだけど、とにかくどれもこれも笑えた。
基本的にはどれも、ちょっと突拍子もない感じの女の子に振り回されて途方にくれたりする消極的な男の子の話。
だいだいブラックユーモアなオチがつく。

大澤真幸「世界史の哲学」/中島義道「『純粋理性批判』を噛み砕く」/書評

なんか疲れてしまって、ちゃんと読めなかった。
眺めることは眺めた
安藤礼二による諏訪哲史ロンバルディア遠景』の書評も読んだ。

新潮8月号

東浩紀ファントム、クォンタム(第8回・最終回)」

終わったなあ。
あとは単行本になってまとめ読みするのが楽しみ。
なるほどねーとは思った。
ゲーム的リアリズムの誕生で、『九十九十九』に読み込んでいたテーマがオチになったという感じである。

文學界8月号

なんとなく、考える

書くことについて
書くことによって考えるということについて
ファントム、クォンタム」は『存在論的、郵便的』の続編な感じだよ、という話。
それはテーマ的にもそうだけど、周辺の文脈とか気にせずに書いたからということでもある。
存在論的』が今の読者にとって読みにくいのは、文脈を読むことができないからではないか、と。
今の読者は、使えるツールが欲しい。コミュニケーションのネタが欲しい。
「何でこいつこのタイミングでこんなこと書くのか」というのが分からないと読めない。
それはそれで仕方がないこと
でも、書くことによって考えるという作業というものもある。
そういう作業が求められないというのは、寂しいものがある。


かなりいいこと言っているじゃないかーと思った。
っていうか、文脈読むのとか俺できないし。

*1:群像に掲載されているのは、一部抜粋