稲葉振一郎『社会学入門』

あとがきによると、稲葉振一郎の勤める社会学部1年生向けの授業を元にしたとのことで、元々一般教養科目としての性質があったようで、「社会学」入門であると同時に一般教養である。
一般教養であるって、よくわからない言い方になってしまったw
全部で14講に分けられているのだけれど、本格的に「社会学」の話になるのは実は第9講から。
例えば、最初のいくつかは理論とは何かとか、方法論的個人主義と方法論的全体主義の違いについてとか、もちろん社会学と絡めて語られているけれど、より一般的な考え方の話であるし、第7講と第8講のモダニズムの話は、いわゆる前衛芸術や社会学以外の学問の話となっている*1
大学の授業というのは、結局先生の専門をがーっと話されたりするので、1年生の時にこうやって包括的な話をしてくれる授業があるのは、大変よいのではないかなと思った次第。
社会学なのに全然社会学の話しないじゃねーかって思った人もいるかもしれないけど。
というか、僕自身がこれを読んでいってそう思ったクチである。
社会学者の名前がガンガン出てきて、彼らの考えとその変遷を辿る、まあ要するに学説史みたいなのを多少期待していたところがないわけではなかった。
オビには「デュルケム、ウェーバーからパーソンズまで」と書かれているけれど、「から、まで」なのではなくて、しっかりとページを割かれて紹介されている社会学者はその3人だけ。
しかし、こういう言い方をして、この本が面白くなかったとかそういう批判をしたいわけではない。
つまり、稲葉振一郎的には、「社会学入門」ってタイトルで具体的に名前を挙げて詳しく紹介すべきはその3人だけでよいと判断したのだろう。
そしてそのことは、この本自体のコンセプトと関わっている。
この本は、社会学ってとにかく色々なものを対象にして色々なことをやっているけれど、それらをまとめているアイデンティティとなるものは一体何なのか、ということを明らかにするために書かれている。
そうであるからこそ、色々社会学という名前が冠されているものをあれやこれやと紹介するのではなくて、ぐいっと絞ったのであろう。
また、そもそも「社会学」ではない話が前半部でずっと続くのも同様である。
社会学がどういうことを考えようとしているのか、ということの考え方の基本となるようなものを提示するために、「社会学」ではない話をしている。
そのために、社会学以外の学問分野の話なども色々と出てくる。こういうところは、非常に稲葉振一郎っぽいところで、彼の他の本も色々と他の分野の話が混淆してくるのが特徴的だ。
冒頭に「一般教養」と述べた所以である。
最後に詳細なブックガイドもついていて、色々な分野への入り口としての役割を機能している。
この本を読んで、あるいはこの授業を聞いて、社会学をやろうと思う人もいるだろうけれど、社会学以外に惹かれていく人も出てくるのではないかなと思う。
そしてこの本の前半部分というのは、主に人文社会科学系のことをやりたいと思う人であれば、別に社会学に限らず、基本的に知っておくとよいことが書かれていると思う。


とはいえ、この本のタイトルはやはり『社会学入門』なのであって、ちゃんと社会学入門にもなっている。
僕自身にとって、社会学とは興味を持ちつつもこれまで全く手を出していなかった分野である。有名な学者の名前ですらも、おぼつかないところがある。それこそ、社会学者と聞いて最初に思い浮かぶのは宮台真司というレベルである。
そんなわけで、デュルケムやウェーバーがそれなりに詳しく説明されているのは普通に勉強になった。
ことにウェーバーとか有名なだけに、何となく知っているつもりだったけれども、実は全然知らなかった。プロ倫の基本的な考え方や、ウェーバーと当時の状況との関係や、ウェーバーの考え方への批判など。
社会学マルクス主義の関係なども面白かった。マルクス主義との対決の中で成立していったのが社会学であるとか。


さて、結局社会学アイデンティティとは一体何なのか、という結論に関していうと、あまりすっきりとした言い方はなされていない(が、それは即座にネガティブな評価に結びつくわけではないが)。
社会学アイデンティティとなるような理論を探し求めつつも、実はその理論の不可能性こそが社会学アイデンティティなのである、というひねくれた結論となっているからだ。
そしてさらにいえば、そのひねくれているということ自体が、社会学の特徴だとも言える。
最後に社会学の未来について少し触れられている。

しかしいうまでもなく、本当のところは誰にも分かりません。社会学はいずれ経済学や心理学に吸収合併されてしまうのかもしれないし、あるいは逆に、たくさんの新しい科学へと分裂していくかもしれない。

これは何というか、哲学ともよく似た話だなというか、哲学は既にその道を辿っているようなと思って興味深かった。
哲学は、一部では自然科学に吸収されてしまっているし、あるいは色々なところに遍在しているといえなくもない。
哲学と社会学には、何となく近いところがあるような気がしなくもない。
もちろん違いもたくさんあって、やはりそれは歴史の違いだろう。
哲学はあまりにも長い歴史があるので、なくなってしまうかもしれないといっても、それでもなくならないだろうなと思う。あと、あまりにも色々な哲学があるので、もはやそれらを統一できるような見込みはない。
社会学も、そう簡単にはなくならないだろうと思うけれど、やはり特に近代というものに対象が絞られているという点は哲学とは違う。あと、学問としては統一できないかもしれないけれど、方法論としてはやはり相互に似ているのではないかとも思う。つまり、統計だったりエスノメソドロジーだったりするかもしれないけれど、社会科学的な調査方法みたいなものがある*2


先ほども少し触れたけれど、最後のブックガイドが丁寧。
というか、社会学はもちろん社会学とは関係ない分野の入門書も色々と紹介されている。
何しろ一番最初に紹介されているのは、岡田暁生西洋音楽史』なのである。
他にもそれを紹介するのか! と思ったのは、セオドア・サイダー『四次元主義の哲学』と柏端達也『自己欺瞞と自己犠牲』。現代形而上学の話なんて、本文中で全然してなかったじゃん!
ダン・スペルベル『表象は感染する』も気になる。
個人的には、大分前から気になる気になるといいながらも未だに読めていないのが、ヒュームだったりする。ヒュームとかスコットランド系のあたり。


最後に、この本のあとがきで伊藤計劃への言及がなされていることも書いておきたい。
改めて伊藤計劃という作家のすごさ、ということを感じさせる。
すごい作家ではあるといっても、まだ新人作家であったわけだし、稲葉との間に個人的な親交があったわけでもないらしいのだが、そういう人への言及があとがきでなされるというのは、やはり破格のことなのではないか、と。
しかし、確かに稲葉振一郎の本と伊藤計劃の本というのは、色々と通じ合うところもあるのではないかと思うと*3、そこにその名前があるのはごく当然のことのようにも思える。

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

*1:僕はここらへんの19世紀末から20世紀初頭の時代ってとても好きなので、この時代について章が割かれているというだけで楽しくなってくるのだが

*2:もっともそうした調査方法というのは、近隣の他の科学(経済学とか人類学とか)から持ってきたり、あるいは他の科学と共有して使っているものなのだろうから、そういう意味で社会学は他の科学に吸収されちゃうということはあるのかもしれない、もしかしたら。逆に哲学は、そういう確たる方法論がないがゆえに、他の学問に吸収されずに残ったりしてしまうのかもw

*3:とかく色々な分野が詰め込まれているところとか?