瀧澤弘和『現代経済学』(一部)

サブタイトルが「ゲーム理論行動経済学・制度論」で、様々なサブジャンルに多様化した現代の経済学についての入門書となっている
というわけで、個人的には、制度論に興味があったので、制度論の章だけとりあえず読もうかなーと思ったら、結構それ以外も面白く
とりあえず、ここではその一部だけを取り急ぎメモっていく感じで、後日改めてこの本はちゃんと読もうかなーと思っている次第。


著者は、青木『比較制度分析に向けて』、マクミラン『市場を創る』、ヒース『ルールに従う』などなどの翻訳も手掛ける人らしい
ゲーム理論から入って、制度論の研究をして、最近は社会科学の哲学へと関心が向かっているとのことで、この本でも、科学哲学的な関心で書かれているところがあり、上で「それ以外も面白く」と書いたのは、そのあたりの話。

序章 経済学の展開
第1章 市場メカニズムの理論
第2章 ゲーム理論インパク
第3章 マクロ経済学の展開
第4章 行動経済学のアプローチ
第5章 実験アプローチが教えてくれること
第6章 制度の経済学
第7章 経済史と経済理論との対話から
終章 経済学の現在とこれから

第2章 ゲーム理論インパク

期待効用理論って、ノイマンとモルゲンシュテルンなのか
「信念」についての説明で、ある結果がどのような確率で生じるかの予想のこととなっていた
で、ゲーム理論ナッシュ均衡囚人のジレンマのあと、逐次手番のゲームについて
逐次手番のゲームって、あんまり入門書に出てこない気がする。後番の方が、自分の選択肢を封じることで、逆に有利になる場合があることが分かるという話
次に、情報の非対称性について
中古車市場と逆選択は知ってたけど、これを最初に論じたアカロフという人の名前は知らなかった(2001年ノーベル賞受賞者
章の最後に、ゲーム理論とその影響を受けた分野の簡単なマップが載っているのがよい
マッチング理論とオークション理論からマーケット・デザインが
契約理論からメカニズム・デザインがあるのがわかる。

第4章 行動経済学のアプローチ

行動経済学の主要な内容
1.ヒューリスティクスとバイアスの理論
2.プロスペクト理論
3.異時点間の選択と双曲割引の理論
4.心の二重過程理論
5.社会的選好の理論
双曲割引の話は『虐殺器官』に出てきた奴だなーという感じで、自分の中では記憶されてる


志向的アプローチと自然主義的アプローチの違い
心の哲学について軽く触れながら、この二つの違いを述べて、行動経済学にはこの二つが素朴に混在しており、神経経済学は後者を特に徹底したものだと整理している。
行動経済学や神経経済学は、人間が実は不合理な生き物で、合理的な存在だと仮定している従来の経済学と相反するものだと言われることが多いが、本書はここで改めて「合理性」の位置づけを整理している。
自然主義アプローチの中では「合理性」は消えるかもしれないが、志向的アプローチの中ではベンチマークとして機能している。
意思決定理論というのは、従前から「記述的」と「規範的」の二つに分けられており、伊藤邦武の指摘によれば、歴史的には、「規範的な」理論(どのような理論が合理的な理論なのか)が探求されてきたということに触れられ、期待効用理論はその点では、説得力が高いのだ、とも


この章の最後では、サンスティーンのリバタリアンパターナリズムについても説明されている

第5章 実験アプローチが教えてくれること

この章は、非常に科学哲学的な意味で、興味深い章
経済学は何を探求している学問なのか、自然科学とは何が異なっているのか
実験によって明らかにされるのは何か
といったテーマがこめられている。


ところで、行動経済学と実験経済学、なんだか似たようなものに思えるのだが、成立した時期が異なっており(実験経済学の方が早い)、関わっている人や目的なども異なっているものらしい。

章末で、理論、実験、現実の関係について述べられているところがある。
一般的な考え方として、実験によって、理論の予測が現実に当てはまるかチェックできるというものがあるだろう、と
しかし、実験環境と現実世界の環境とは異なっており、実験がそのまま現実世界に妥当するとは限らない。特に経済学のような社会科学はそうだ、というのは、この章の半ばあたりで「外的妥当性」の議論として述べられている。
その上で筆者は、実験で確認されているのは、「現実に当てはまるか」ではなく、「メカニズムの理解」なのだという。
また、理論モデルが明らかにするメカニズムは、そのまま現実世界で成立しているわけではなく、現実世界の中の一部の要因だけしか考慮されていないもので、メカニズムがそのままの形で現実世界でも作用しているとは限らない、とする。
物理学を範例とした科学観において、実験とは法則を発見するもの、というイメージがあるが、経済学の実験はそのようなものではない、と述べられている。


この部分だけだと、理論モデルってなんだ? メカニズムってなんだ? となるのだが、そのあたりは、終章で改めて説明が加えられている。


ところで、実験とは何か、という問題は、意外と科学哲学の方でもそんなに明らかになっていないのかったのではないだろうか。
『科学哲学』サミール・オカーシャ - logical cypher scape2の日本語版解説で、「実験の哲学」への指摘があったりする。伝統的な科学哲学では、実験についての位置がなかった、と。イアン・ハッキングあたりから実験への注目が出てくる。
イアン・ハッキング『表現と介入』 - logical cypher scape2


第6章 制度の経済学

制度の経済学略史
そもそもアダム・スミスには、制度への関心が端々にあった
しかし、新古典派経済学の発展によって、経済学の対象は市場メカニズムに集中するようになる。
19世紀末~20世紀初頭にかけて、一部の経済学者が制度に着目していたが、一部にとどまる。
市場において、財・サービスが取引されているわけだが、取引されているということは、そこでは契約が行われており、契約がちゃんと履行されたりするには、それを保証するための仕組みが必要となる。
市場メカニズムの研究を進めていくうえで、その市場を補完するための仕組み=制度への注目が復活し始める。
1930年代にロナルド・コースが、さらにそのコースの研究をより実証的なものにする、1970年代以降のオリバー・ウィルソンが、制度の経済学の復興を担った。
また、この本では、第7章で主に扱うことになるが、制度を歴史的観点で取り上げたダグラス・ノースがいる。
1997年に、コース、ウィルソン、ノースの3名が協力し、国際新制度派経済学会が創設されている。


コースにより、取引費用の大小によって、取引が市場で行われるか、あるいは企業の内部で行われるかというような話がされる
ウィルソンは、さらに「不完備契約」「関係特殊投資」という概念を導入する


インセンティブ契約におけるエージェント・プリンシプル理論
と、それに対する批判として、岩井の法人論を紹介している
「企業」と法人である「会社」を区別し、会社と経営者との関係を、契約関係ではなく信認関係であるととらえるもの


制度がどのように生じてきたか、進化ゲーム理論から考える
制度=慣習=ゲームの均衡という考え方
どの均衡になるかは、初期値に依存する=歴史的経路依存性


青木の比較制度分析
制度的補完性


制度を均衡と捉える考え方や比較制度分析については、松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』 - logical cypher scape2にもあった。
また、岩井の法人論は、上に挙げられたのとは違う観点でだけど、『現代思想2017年12月臨時増刊号 総特集=分析哲学』 - logical cypher scape2の中の倉田剛「社会存在論――分析哲学における新たな社会理論」でも触れられていた。

第7章 経済史と経済理論との対話から

ダグラス・ノースの制度論
第6章で見てきた「制度=ゲームの均衡」という制度観ではなく、「制度=ゲームのルール」という制度観
また、ノースは「実効化の有効性」を重視する


グライフによる、歴史とゲーム理論を統合した研究
マグリブ商人とジェノヴァ商人の違い
それぞれ異なる均衡戦略をとっていた。
この話題自体は、松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』 - logical cypher scape2にも出てきた、そこでは均衡が複数ある例として紹介されていた。
グライフは、制度が単にゲームの均衡である、というだけでなく、文化的信念が制度にとって不可欠な要素であると論じた



経済史と経済学
制度論以外で、歴史研究が経済学の理論研究に影響を与える例が3つ紹介されている
・大分岐
近代化以降の格差の拡大をどう説明するか
・貨幣
貨幣は交換から発生したというのが通説だが、貸借の記録である会計から発生したという説が近年できている
・ピケティ
理論先行ではなくデータ先行の研究


ルールとしての制度という考え方は、サールの社会存在論とも通じるところがなくはないだろう。ノースの考えとサールの考えは違うところが結構ありそうだな、とは思うのだけど
均衡としての制度と規範としての制度との関係は、今後考えるべき課題だというのが、『現代思想2017年12月臨時増刊号 総特集=分析哲学』 - logical cypher scape2の中の倉田剛「社会存在論――分析哲学における新たな社会理論」で言われているところ

終章 経済学の現在とこれから

科学哲学的な話を結構色々としている。


科学は、法則探求なのではなく、メカニズムの解明なのである、という近年の科学哲学の考えを、Mechanisms in Science (Stanford Encyclopedia of Philosophy)により紹介する。
そして、メカニズムを探求するために、経済学は理論モデルを使っている、と続ける。
そのうえで、理論モデルとメカニズムと現実世界の関係について、以下のように論じている。

現実にはありえない想定をもとにモデルを構築することは、抽象化とは区別して「理想化」と呼ばれているが、これは科学研究の常套手段である。(中略)しかしここには、いわば誤った(現実に妥当しない)仮定に基づいて導いた結論が、どうして現実妥当性を持ちうるのかという問題がある。
(中略)
理論モデルの世界と現実世界における妥当世は、どのような関係にあると考えるべきなのか。そして、そこに前の節で述べたメカニズムはどのように関係してくるのか。
(中略)
理論モデルとの関連で考えられている現実世界というのは、実際には現実の現象をすべて含んでいるわけではないので、前節で説明したメカニズムだと考えられることである。メカニズムというのは、システムが何らかの現象を示しているとき、システムを構成する要素が組織化されて当該現象を作り出している状態のことであった。
(中略)
カニズムもまた現象そのものというよりは、現象に対してわれわれが何らかの概念的な読み込みを行ったものと考えることができるのではないだろうか。
(中略)
理論モデルとメカニズムとの関係は、前者が後者を「表現する」(represent)という関係であると考えられる。モデルがメカニズムの表現となるのは、モデルが何らかの仕方でメカニズムと類似しているからである。類似しているという関係には、「どのような仕方で」ということと「どの程度に」ということが含まれている
pp.250-252

完全にモデルの科学哲学だ!
本文に言及されていないし、参考文献にもあがっていないのだが、マイケル・ワイスバーグ『科学とモデル――シミュレーションの哲学入門』(松王政浩 訳) - logical cypher scape2とつながってくるところが多いように思える。
筆者が、モデル-メカニズム-現実世界としている図式は、ワイスバーグがいうところの、モデルー対象システムー現象という図式に、かなり対応しているように思える。



次に、社会科学の「遂行性」について述べている
ここでは、サールが自然科学と社会科学の違いについて述べたことが紹介されている
存在論的に客観的でかつ認識論的に客観的な存在を扱うのが自然科学
存在論的には主観的だが認識論的に客観的である存在を扱うのが社会科学
というのがサールの考え
存在論的には主観的だが認識論的に客観的である存在」というのは、制度的存在者のこと
制度的存在者は、人間の行為によって成り立つので、行為の影響を受ける
社会科学も、研究内容が研究対象に影響を与えてしまう=遂行性がある、という話


さらに、自然主義的アプローチに対して、人間は自然的存在でもあるけど、制度的存在でもあるので、自然主義的アプローチを否定するわけではないけど、それだけでは捉えることが困難な面もある、と
で、ディルタイの「精神科学」をあげながら、「人間科学」の必要性を強調している。