『科学哲学』サミール・オカーシャ

岩波から出ている「1冊でわかる」シリーズの新刊。
「1冊でわかる」というタイトルに名前負けせず、科学哲学が一体どういう営みであるかということが、コンパクトにまとめられている。
過度に抽象的にならず、具体的な例が適宜用いられているし、また何故科学ではなく哲学なのかということにも触れられている。


2章「科学的推論」と3章「科学における説明」では、科学は説明を行う営みであるとした上で、じゃあその説明って一体何なのという話をしている。
2章では、推論方法として、演繹的推論、帰納的推論だけでなく、最善の説明を導く推論というものが紹介されている。
また、確率についての3つの解釈も紹介されている。
すなわち、頻度解釈、主観的解釈、論理的解釈の3つである。
確率というのは、日常的にも使うし、科学の世界でも使われるし、あるいは科学哲学においても、帰納法をどうにかするために使われたりしている。
が、そもそも確率とは一体何か、などと言われると、面食らう。これは確かに、哲学的問題であるなあと思った。
3章では、説明としては、ヘンペルの説明の被覆法則モデル、そしてそのモデルに潜む、関連性、非対称性、因果性の問題や、還元と多重実現の話が紹介されている。
説明する(ここでは特に科学的説明のことだが)ということもまた、ごく日常的に使われる概念であるが、何をもって説明したことになるのか、というとこれまたよく分からなくなってくる。
ヘンペルは、科学的説明として、前提が結論を含意していること(つまり演繹的であること)を挙げている。これはもっともだと思う一方で、含むって一体どれくらいのことなんだろうか、と思う。
演繹というのは、前提1「AはBである」前提2「BはCである」から結論「AはCである」を求めるというもので、確かに結論は前提に含まれている。「AはDである」とかは導かれない。前提に含まれていないから。でも、「CはDである」も前提されていればもちろん導くことができるけど、その前提が暗黙の了解的なものだったりするとどうなるのだろうか、とか。
この本では説明の一種として、理論的同定、つまり「水とはH20である」とかも挙げているけど、これが一体どうして説明なのかということは、考えてみるとよく分からない。
この本では取り上げられていなかったけど、合理性という言葉も、考えてみると何なのかよく分からない。合理性というのは、心の哲学でよく出てくるのだけれど。
合理性が、理にかなっているという意味だということは分かるし、どういうものが理にかなっていて、どういうものが理にかなっていないのかも、大体は判断できると思うが、その判断の根拠となるような法則や原理みたいなものが一体何なのかがよく分からない。
これはまさしく、クリプキパラドックスなんだろうなあ。
例えば、前提1「AはBである」前提2「BはCである」結論「AはDである」という推論が、正しい、まさに理にかなった演繹的推論だと思っている人がいるとする。
もちろん、僕たちからみれば、それは全く演繹的ではない。何故かというと、CはDではないから。でも、その人にとって、CはDであるということがあまりにも自明すぎるとしたらどうなるだろう*1
うーん、あんまりうまい例ではないのでよく分からないかもしれないが、
とにかく「説明する」とは一体どういうことなのか、ということはとても難しい哲学的問題ではないだろうか、ということだ。


4章「実在論反実在論」も面白い。
実在論反実在論がそれぞれどういう立場か、というのは知っていたけれど、お互いにどのような論争をしていたのか、というのはあまり知らなかったので。
実在論者に対する反実在論者の批判と再反論、再々反論とさらなる反論くらいまで載っている。
そして、5章ではクーンの話が紹介されている。


6章は、個別科学の哲学として、物理学の哲学、生物学の哲学、心理学の哲学が紹介される。
近年は、科学一般を扱う「科学哲学」よりも、こうした「科学の哲学」が主流になりつつある。
そこでは、個別科学において前提とされているような概念で、かつ経験的な探求の対象になりにくような概念が、哲学的探求の対象となる。ただし、具体的な個別科学との関わりが非常に強いので、哲学者だけで行うことは不可能で、むしろ実際の科学者によって担われているところが大きい。


物理学の哲学では、ニュートンライプニッツが取り上げられる。
これは、時空をめぐる「絶対主義」と「関係主義」という、二つの哲学的立場の対立である。
ニュートンの絶対空間という考え方は、アインシュタイン相対性理論によって乗り越えられたともいえるが、アインシュタイン相対性理論も、完全に「関係主義」的かといえばなかなかそうともいえない*2
ニュートンライプニッツの対立など、遠い過去の話のようであるが、なかなかそうともいえないのである。
ニュートンといえば、光をどのように解釈するかで、ホイヘンスと対立していた。物理学の世界でニュートンが一種の権威となるなかで、ホイヘンスの波動説は、一時忘れ去られるわけだが*3、現在の量子力学は、光が粒子であるとも波動であるともいえることを述べている。
「絶対主義」と「関係主義」にも、今後の物理学の展開の中で、何らかの調停が見られるとも限らない。


生物学の哲学では、生物の分類についてが取り上げられる。
分岐学者と表型学者の対立である。
これは、三中信宏系統樹思考の世界』に詳しい*4
生物種を分類するときに、科とか目とかそういったものがあるわけだが、それを一体どのようにして決めればよいのかという話である。
表型学者は、類似性によってそれを決めようとする。それは確かにもっともな話である。動く奴は動物で、動かない奴は植物なわけだし、袋を持っている奴が有袋類で、蹄が偶数の奴が偶蹄目、奇数の奴が奇蹄目というわけだし。
一方、分岐学者は、そのような類似性による分類は恣意的であると反論する。そして、祖先が同じかどうかで分類すべきだと考える。生物学の世界で、進化論はもはや当たり前のものとして受け入れられている。だとすれば、分類においても進化論の視点を採り入れることも、確かに当然のようのことに思う。
分岐学者の言っていることは、理論的には正しいように思えるのだが、問題としては、共通の祖先をどのように調べるのかが難しいということ*5と、従来の分類を揺るがすような分類を持ち出してくることがあることがある。


心理学の哲学では、モジュール仮説についてが取り上げられている。
フォーダーのモジュール仮説について、解説してある。
モジュール仮説というのが具体的にどういうものを指しているのか、実は知らなかったのでよかった。
フォーダーによると、領域固有性をもつこと、作動が強制的であること、情報的に遮断されていることがモジュールの特徴として挙げられるらしい。


7章では、哲学の自然化、創造論と進化論の対立、社会生物学が取り上げられている。


日本語版の解説が最後に載せられている。
冒頭から、サイエンスウォーズの話をしている。
このサイエンスウォーズというのは、随分とセンセーショナルに扱われてきたものだと思うけれど、野家啓一『増補科学の解釈学』や、『哲学者は何を考えているのか』に載っているソーカルへのインタビューを読むと、随分と大袈裟に扱われすぎてしまったのではないか、と感じる。
社会生物学の話などもそうだけど、人文・社会系の学者と自然科学系の学者が相互に不信感を抱いているとしたら、不幸なことだと思う。
さて、この解説を書いている直江清隆は、本書では「科学哲学一般」と「個別科学の哲学」*6の両者が紹介されているが、その中間に「実験の哲学」があるのではないかと指摘する。
理論負荷性やら反実在論の話をするにしても、実験や装置について考察することが必要なのではないか、という。
実験や技術が科学にとって重要なのは、論を待たないだろうし、理論や観察といったものが実験装置によって実現したり可能になったりするのも確かだろう。
ここでは、イアン・ハッキングの名前が挙げられている。
しかし、ここでは挙げられていないが、バシュラールはまさに「実験の哲学」ないし「技術の哲学」を志向していたのではないだろうか*7
また、ドミニック・ルクールの『科学哲学』*8では、バシュラールから始まる大陸系のエピステモロジー(科学認識論)と、英米系の科学哲学の接点を、まさにイアン・ハッキングに見いだしている。

科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

*1:いや、明らかにCとDでは形が違うじゃないか、と言うかもしれないが、1と?と一は、明らかに形が違うが僕たちにとってそれが同じであることは自明だ

*2:内井惣七『空間の謎・時間の謎』では、「関係主義」の立場から相対性理論を組み立ててみせる。参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070410/1176196026 内井が「関係主義」を支持するのは、おそらく彼が反実在論者だからではないかと思われる。そのような反実在論者として、最新の現代物理学(具体的にはリサ・ランドールなど)への批判を展開している。参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20071226/1198643732

*3:参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20080125/1201194925

*4:というよりも、僕はこの本でしか知らない。参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20080106/1199634476

*5:最近はDNAによる調査ができるようになったから、必ずしもその限りではないかもしれないが

*6:科学が細分化しているように、この分野も細分化が進んでいる。それは「ちなみに数年前、オランダのある工科大学のカリキュラムに航空工学の哲学などの科目が並んでいるのを見つけて仰天した」というのが書いてあることからも分かる。また、著者のオカーシャは生物学の哲学を専門としているようだ

*7:といっても僕自身、バシュラールのことはあまり詳しくはない。参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070117/1169034339

*8:参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20061108/1162976355