松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』

左派のための経済政策入門、とでも言うべきか
全くそうだよなあという感じであり、政策としてはそう考えればいいのか、という感じ

第1章 三十年続いた、経済政策の大誤解
第2章 ソ連がシステム崩壊が教えてくれること
第3章 一般的ルールか、さじ加減の判断か
第4章 反ケインズ派マクロ経済学者たちの革命
第5章 ゲーム理論による制度分析と「予想」
第6章 なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか
第7章 失業とたたかう「ケインズ復権」と「インフレ目標政策
第8章 「新スウェーデンモデル」に見る、あるべき福祉の姿
終章 未来へ希望をつなぐ政策とは

各章に出てくる固有名詞やトピックをまず羅列すると
2章は、ソ連型経済システムを分析したハンガリーの経済学者コルナイの話が中心
3章はハイエク、4章はフリードマンとルーカス、5章は青木昌彦らの比較制度分析
以下、最後の3章は具体的な政策の話で、6章はベーシックインカム、7章はインタゲ、8章は福祉政策


1970年代までは「大きな政府」だったけれど、それがいわゆる「小さな政府」「新自由主義」へと路線変更される。70年代から80年代にかけて、世の中が何か変わった。この変化を、多くの人は新自由主義への転換だと思っているけれど、そうじゃない、というのがこの本の主な主張
この本ではそれをとりあえず「転換X」と呼ぶ
新自由主義、小さな政府は、転換Xに対する右派的な対応
転換Xに対しては、左派的な対応もありうる、しかし、左派はこれを理解してなくて、転換Xそのものに反対して世の中に起きていることに対応できないか、「第三の道」という実質的には「小さな政府」とそれほど変わらない路線しかとれていない
実際には、小さな政府路線でも、転換Xを理解していないと、転換Xに対応できないし、大きな政府路線でも、転換Xに対応可能


じゃあ、転換Xとは何か
まず、コルナイによるソ連崩壊の分析
これを、筆者は「リスク・決定・責任」が一致していないこととまとめる
設備投資の決定をする人が、その決定が失敗してもリスクを負わない(国有企業だから失敗してもつぶれないし、経営者の責任にならない)ことが問題
民間企業なら、基本的に経営者が責任とリスクを負うから、いいということになる
ただし、民間企業でも、これがちゃんと一致してない形式の企業だったら、同じ批判が当てはまるので、単に民営化すればよい、ということではない、と
あと、株式会社以外の形式にもその意味で合理性があって、漁協とか生協とか医療法人とかに合理性があるのだ、と
決定については、そのための情報を一番持っている人がやるのがいい、そしてその決定をする人がリスクを負うのがいい、と
漁業とかだと、その日、漁に出れるかどうかの情報を一番持っているのは当然漁師自身で、漁師自身が主体になれる漁協がいい、と。もしこれが企業とかになって、海についての情報を持たない出資者が決定権を持つとすると、漁業にとって設備投資はたいしたコストがかからなくて、一番のリスクは事故なので、出資者はリスクを負わず、漁師だけリスクを負うことになる。逆に、海についての情報を持っている漁師に決定権を持たせたら、出資者が情報を持っていないのをいいことに、さぼる可能性が出てくる。情報を持っている人が決定し、決定した人がリスクを負う、というのが一番合理的


誰が一番情報を持っているかって言ったら、現場の人でしょ、っていう話って、ハイエクだなあーと思ったら、次の章はハイエク
ハイエクの考える知識のあり方の話と、ハイエクの考える国家の役割
民間人は、リスクのあることを自分の責任で行う
逆に国家は、リスクのあることには手を出さず、民間人の予想を確定させるような役割をするべき
例えば、法律を決めてそれを適切に執行する、と、詐欺をすると処罰されるとかが分かる。そうすれば、詐欺にあうかもっていうリスクについてはあんまり考えなくてもよくなる。民間人がなんか新しいことをやるときに、不確定な要素を減らせる。


次が、フリードマンケインズ政策批判とルーカスによるケインズ政策批判
ルーカスは「合理的期待モデル=ルーカスモデル」というのを作って、経済政策が無効になることを示して、それに対する反対者は、合理的期待なんて非現実的な前提だと批判したんだけれど、実は研究が進んだ結果、ルーカスモデルにおいても、経済政策が有効になるのも示せた
ルーカスの議論で大事だったのは、予想形成ということだった


予想が大事、というのは、個々人がこうなるだろうと合理的に予想して振る舞うと、全体もそうなっていくというような話で、次はゲーム理論の話になる
ゲーム理論を使って「制度」を研究するというのが経済学の中にあって、青木昌彦らの「比較制度分析」が有名、と
ここでいう制度とは、例えば日本の「終身雇用・年功序列・企業別労働組合・内部昇進制」といったもの
こういうのは、従来は日本の文化とか日本人の民族性とかから説明されていたけれど、歴史的にいって、かなり最近できたもので、あまり文化とか関係ない
で、こういう制度って、ゲーム理論的な均衡の1つにすぎない
まわりの人が同じ戦略をとっているなら自分も同じ戦略をとった方が有利になるので、なんかの偶然でどっちかの戦略が増え始めたら、その均衡に落ち着く、と
周りの人がこういう戦略をとっているみたいだから自分もこの戦略をとろう、っていうのが、「予想が大事」って奴
今ある均衡=制度って偶然の産物に過ぎなくて、なんかパラメータが変わったら、別の均衡に移るもの、ということがゲーム理論による制度分析で分かった
「男が働いて女が家庭に入る」とか「黒人は偉くなれない」とかも、そういう均衡=制度の1つ
人々の予想が変わると、均衡も変わる
他のプレイヤー(労働者にとっては企業、企業にとっては労働者)の戦略がどうなるか予想できるようにさせれば、人々の予想を変えたりすることができる。そこで例えば、国が男女共同参画を政策として進めることは、男女が共に働くという均衡に向けて人々の予想を確定させる働きをもつ、と


70年代に「転換X」があった
「転換X」にそう考え方というのは、「リスク・決定・責任を一致させる」ことである
そして、その際に国・政府が行うことは、人々がリスクを負った決定を行うことができるように、予想を確定させやすくすることである
それに対する1つの解は、確かに「小さな政府」なんだけれど、
予想を確定させるということができれば、「大きな政府」でも構わない、と筆者は言う
「小さな政府」か「大きな政府」かではなくて、政府が何でも裁量して判断するのか、政府は一律のルールに従うか


ベーシックインカム
面白かった部分だけ書いておくと、ベーシックインカムがスタビライザーの役割を果たすんじゃないかっていうことと、ベーシックインカムがあると、ミクロな行動だけでマクロな改善ができるようになるかもってこと(労働運動とかしなくても、条件悪かったらすぐに辞めればいいので)
公共性を市場にぶん投げられるってわけで、筆者はいいことか悪いことか分からないけれどって書いてるけど、個人的にはそれはいいことだなあと思う
あ、あと、現在の生活保護システムが悪いっていう例としてあげられているのが、札幌市白石区だった。札幌出身だけど知らなかった……。


インタゲ
流動性のわなの話とか
デフレスパイラルとかも、制度の話と一緒で、人々の予想でデフレという均衡になっちゃっている、と
インフレ目標っていうのは、人々にインフレ予想させる政策(単なる金融緩和と何が違うのか分かってなかった)
クルーグマンが提唱したんだけど、かつて石橋湛山が同じようなことを「リフレーション」と呼んでいたので、日本では「リフレ」と呼ばれている、と


福祉政策
大きな政府→小さな政府→第三の道とあったけど、新スウェーデンモデルは「第三の道」なのか
スウェーデン福祉国家として有名だけど、やっぱり転換があって、「選択の自由」をかかげて福祉事業が民営化され、NPOや協同組合が担うようになっている
しかし、予算規模は変わってなくて、その意味では「大きな政府」のままであり、「第三の道」とは異なっている
リスクと決定を一致させるという意味で、決定権は現場に近いところにあった方がいい、特に福祉は、設備投資などはなくて人件費とかが主なコストなので、出資者よりも実際に働く人が決定権を担うのがよい*1、ということで、NPOや協同組合が担うのが合理的、と
ここらへん、どういうふうに事業を立ち上げて回していくのか、もう少し詳しくモデル化して説明されている(発足当初は協同組合よりも企業の方がよくて、みたいな)


転換Xは、大きな政府から小さな政府への転換ではなくて、裁量政府から基準政府への転換
筆者は、基準政府には2つの立場があると考える
A「基準政府・資本側・小さな政府」
B「基準政府・労働側・大きな政府
新自由主義第三の道は、A路線
B路線の立場は、現在、存在していない
一方、基準政府への転換自体にの反発としては、「裁量政府・大きな政府」を志向する右翼ナショナリズムが出てきている、と
ヨーロッパの極右勢力が、自国民のみを対象とする福祉国家志向になっているのがその現れ、と
社民・共産はBを目指すべきなのに、そうじゃないので、Aに流されるか、あるいは右翼勢力に支持を奪われているんじゃないのか、というのが最後で、ですよねーっていう感じ


稲葉振一郎『増補 経済学という教養』 - logical cypher scape
って読んだのがもう結構前なので内容忘れてしまっているけれど、自分の書いた記事を見ると、当たり前だけど、これも似た感じだなあという感じがある

*1:先述した漁協と同じ