マイケル・ワイスバーグ『科学とモデル――シミュレーションの哲学入門』(松王政浩 訳)

科学におけるモデルとは何か、ということについての科学哲学の本。
モデルの分類、モデルとは何であるのか、モデリング行為とはどのようなことをしているのか、といったことが主に論じられている。
具体例が豊富で、科学者が実際に何をやっているのかということを整理している。
以前、アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学』 - logical cypher scapeでモデルの話がなされていたが、あんまりよくわからなかった。こちらは分かりやすい
以前、SEP「科学におけるモデル」ほか - logical cypher scapeというのも読んだけど、ここで書かれていたことについても、触れられていて、整理になった。


第1章 はじめに
     1 水をめぐる2つの難問
     2 モデリングのモデル

第2章 3つの種類のモデル
     1 具象モデル —— サンフランシスコ湾−デルタ地帯モデル
     2 数理モデル —— ロトカ−ヴォルテラモデル
     3 数値計算モデル —— シェリングの人種分離モデル
     4 これらのモデルに共通する特徴
     5 モデルは3種類だけか?
     6 モデルは3種類よりも少ないか?

第3章 モデルの構成
     1 構 造
     2 モデル記述
     3 解 釈
     4 構造の表現能力

第4章 フィクションと慣習的存在論
     1 数理構造中心説に反対して —— 個別化、因果、額面通りの実践、という問題
     2 シンプルなフィクション的説明
     3 シンプルな説を強化する
     4 なぜ私はフィクション主義者ではないのか
     5 慣習的存在論
     6 数学、解釈、および慣習的存在論

第5章 対象指向型モデリング
     1 モデルの作り上げ
     2 モデルの分析
     3 モデルと対象の比較

第6章 理想化
     1 3つの種類の理想化
     2 表現的理想と忠実度基準
     3 理想化と表現的理想
     4 理想化と対象指向型モデリング

第7章 特定の対象なしのモデリング
     1 汎化モデリング
     2 仮説的モデリング
     3 対象なしモデリング
     4 揺れ動く対象 —— 3つの性の生物学

第8章 類似性の説明
     1 モデル−世界間関係に必要なこと
     2 モデル理論的説明
     3 類似性
     4 トヴェルスキーの対照的説明
     5 属性とメカニズム
     6 特徴集合、解釈、対象システム
     7 モデリングの目的と重みづけのパラメータ
     8 重みづけ関数と背景理論
     9 必要事項を満たす

第9章 ロバスト分析と理想化
     1 ロバストネスに関する議論 —— レヴィンズとウィムサット
     2 ロバスト条件を見つける
     3 3種類のロバストネス
     4 ロバストネスと確証

第10章 終わりに —— モデリングという行為
訳者解説

科学とモデル―シミュレーションの哲学 入門―

科学とモデル―シミュレーションの哲学 入門―

第2章 3つの種類のモデル

本書は、科学におけるモデルを「具象モデル」「数理モデル」「数値計算モデル」の3つに分類する。
従来の科学哲学で扱われてきたのはもっぱら数理モデルだったが、実際の科学の現場では、具象モデルも数値計算モデルもよく使われている。

  • 具象モデル

具体的な事物からできているモデルのこと。例えば、模型とか。
本書で例に挙げられているのは、サンフランシスコ湾-デルタ地帯モデルである
これは、サンフランシスコ湾にダムを造れば水問題が解決でき、さらに埋め立て地も作れるのでは、という計画に対して、アメリカ陸軍工兵司令部が、計画を検証するために作った1000分の1スケールのモデルのこと
1000分の1とはいえ、約1エーカー(4047?)という巨大な模型で、ポンプを用いて潮の満ち引きなどを再現している。
ちなみに、この模型を使って検証したことによって、このダム計画はうまくいかないということが立証された。

数学的構造によって現象をあらわしたもの
本書では、生態系における捕食者と被食者の個体群の数の振動を微分方程式であらわしたロトカーヴォルテラモデルが、例として挙げられている。
第一次世界大戦後のイタリアで、アドリア海で起きた漁業不振について、どうしてこのようなことが起きたのかを、ヴォルテラが数理的に解いたもの
このモデルをグラフにあらわしたものは、高校の生物の資料集か何かで見おぼえがあった

数値計算モデルは、あるアルゴリズムにのっとってシステムを表現するモデル
本書では、シェリングによる人種分離モデルというものが例となっている。
セルオートマトンみたいなマス目に、人種Aと人種Bとを混ざり合った状態でプロットする。周囲の8つのマス目のうち30%までは自分と同じ人種であってほしいという選好をもつ。それで移動させていくと、最終的には人種が分離した状態が平衡状態になるというもの
周囲の30%は自分と同じ人種であってほしいということは、逆に言えば70%までは別に違う人種の人がいても何とも思わない、という設定なのだけど、それでも人種分離状態に落ち着いてしまうということを示しているモデルである

モデルは3種類だけか?/モデルは3種類よりも少ないか?

本書はモデルを上記の3種類に分類しているが、3種類より多かったり少なかったりはしないのか、ということを検討して、何故3種類なのか説明している。
科学者が行っているモデリングという行為をうまく説明するための理論に必要なのは、一体何種類なのか、という観点からいけば、この3種類が妥当なのではないか、ということが述べられている。
他の観点から分類すれば、これ以外の分類もあるかもしれないけれど、少なくとも本書においては3種類なのだ、と。


さて、科学哲学において、モデルというものは長いこと数理モデルしか扱われてこなかったところがあり、近年、これに対する批判が出てきて、数理的じゃないモデルも色々あるという提案がなされているらしい。
その中で、例えば、モデル生物、言葉によるモデル、理想化された範型といったものがよくあげられているという。
ワイスバーグは、モデル生物(ショウジョウバエとか大腸菌とか)と理想化された範型(教科書に載っている細胞の図とか)は、具象モデルの一種なのだとする。
一方、言葉によるモデルは、モデルそのものなのではなく、モデル記述なのだという(モデル記述については後述)
逆に、モデルの種類をもっと減らせるのではないか、という話については
例えば、数理モデル数値計算モデルというの、実際同じものなのでは、という考えもある。数値計算モデルも原理的には数学的に表すことができるのだから、数理モデルと同じだという考えに対して、ワイスバーグは確かにその通りであると応える。
ただし、数理モデル数値計算モデルの違いとして、前者は数学的構造が説明項になるのに対して、後者はアルゴリズムや遷移法則が説明項になっていると述べる。
存在論的には、数理モデル数値計算モデルは同じかもしれないが、科学者がそれらを用いてしている実践には違いがある。だから、本書では、この二つを区別しているのだ、と。
ところで、この章の中で、ステイシー・フレンドが言及されていた。

第3章 モデルの構成

第2章において、モデルとは「解釈された構造」であると述べられている。
モデルには構造がある。そして解釈によって、意図された対象と結びつけられている。

構造

具象モデルには、実際に構築された構造物、すでに自然界に存在する構築物、それについて記述はできるが構築はなされていない構造物の3つの形態がある
数理モデルは、数学的構造をもつ。多くの場合、状態空間における軌道としてあらわされる
数値計算モデルにおいては、手続きそのものがモデルの核となる

記述

次にワイスバーグは、モデルそのものとモデル記述とを区別する
モデル記述とは、モデルを記述するための、方程式や設計図、ソースコード、写真、言葉などである。
モデル記述の重要性を最初に強調したのは、ギャリで、彼はモデル記述はモデルを定義すると考えた。
一方で、ワイスバーグは、モデル記述とはモデルを「特定する」ものだと、ギャリの考えを修正する。
モデルとモデル記述の関係は多対多であり、一つのモデルが複数の記述と結びつけられるし、逆に一つの記述から複数のモデルを作ることができる(同じ設計図から二つの異なるモデルを作ることができる)。

解釈

モデルには、構造だけでなく、制作者の意図・解釈が必要
解釈をさらに4つに分ける

  • 割り当て

モデルの一部が対象システムの一部にどう対応しているか

  • 範囲
  • 動的な忠実度基準

モデルの出力が、現実の現象の出力にどれだけ似ているか

  • 表象の忠実度基準

モデルの構造が、対象となるシステムとどれだけよく対応しているか。特に、因果的構造が類似しているかどうか

  • 表現能力

制作者の意図によって決まるのであれば、どんなもでもどんなものについてのモデルになってしまうのではないか
原理的には、その通りである。例えば、ビー玉もサンフランシスコ湾のモデルになることはできる。
しかし、ビー玉はサンフランシスコ湾の特性についてほとんど何も表すことができない。
構造によって表現能力に違いがある。

第4章 フィクションと慣習的存在論

数理モデルとは一体どのような種類のものなのか、という点に関して、近年、具象物説ないしフィクション説という立場が支持されるようになってきている。
本章では、フィクション説の問題点を指摘しつつ、フィクション説の提案者たちの動機をくみ取り、そこに含まれる洞察が、数理構造中心説でも取り込むことができることが論じられる。

フィクション説の動機
  • 個別化

数学的には同じだけれど、異なるモデルとして使われる構造がある
例えば、同じ数学を、バネの記述にも化学結合の記述にも使うことができる

  • 因果

モデルが数学的構造だけだと、因果的な情報が含まれない

  • 額面通りの実践

科学者たちがモデルについて語るとき、例えば、出生率とか捕獲率とかいった、生物学的な特性について語るのであって、数学的特性について語っているわけではない。
単に語り方だけの問題なのではなく、モデルとは想像上のシステムである(例えば、メイナードースミスは、想像上のシナリオに訴える)

フィクション説
  • シンプルなフィクション説

ピーター・ゴドフリーースミス
利点:個別化が容易、モデルと世界の類似関係を把握しやすいなど
問題点:形而上学に関する説明が不十分
→以下、2つの説が考えられる(正確には、トマソンの抽象的人工物説も含めて3つだが、本書によれば、トマソン説はモデル論の文脈でまだ検討されていないの省略する、とのこと)

  • 可能的存在としてのフィクション説

D.ルイス流に考えるというものだが、あまり支持者はいない

ローマン・フリッグ
モデル記述が「小道具」として働く
数理モデルがごっこ遊びだとすると、現実世界と比較できなくなるのではないか
→トランスフィクション命題の問題
→対象の比較ではなく特性の比較として考える

アーロン・レヴィ
モデリングはある種のフィクション的行為だが、そもそもモデルというものは必要ないという説
モデリングとは事実を特別な形で考えるやり方に過ぎず、想像のシステムや数学的構造を作り上げたりしない(だから、モデルと対象の比較に関する哲学的問題が生じない)という説

フィクション説の問題
  • 科学者間の差異

モデルが、モデル制作者の想像ということになると、科学者の間で不一致が生じてしまうのではないか、という問題

  • 異なるモデルを表現する能力

ロトカーヴォルテラモデルでは、数学が個体群レベルか個体レベルかで異なっており、モデルも異なるものになる(個体レベルだと密度依存を導入しないと振動が起きない)
フィクション説では、この違いが説明できないという問題

レヴィ説への反論。レヴィの考えだと、モデリングと抽象的な表現や理論化との区別がつかなくなってしまう。特に、第7章で扱うようなモデリングを扱うことができなくなる

  • 実践行為における差異

フィクション説では、科学者が想像上のシナリオに訴えているということが動機になっていた。確かに、そういう実践はある。
しかし一方で、そうではない実践もある。高次元空間のモデルなど、想像することができないようなモデルもある。
モデリングにおいて、想像する行為自体は重要な役割を果たしている、とワイスバーグは、フィクション説に対しても一定の理解を示す。しかし、フィクション説が、想像された心像をモデルそのものだと考えるのに対して、ワイスバーグは、心像はモデルに対して補助的役割をするものであり、モデルそのものではないと考える。
モデルを制作する科学者は、そうした心像に基づいてモデルを作り上げていく。その意味で、想像はモデリングにとって不可欠な役割を果たしている。


フィクション説において動機となっていた個別化や因果の問題については、「解釈」がモデルの一部であるということで解決される。

 

第5章 対象指向型モデリング

モデリング行為とはいったいどのような行為なのか、についての章
モデリングを「モデルの作り上げ」「モデル分析」「モデルと対象の比較」という三つの要素にわける
なお、「対象指向型モデリング」は、様々なモデリングの中で最もシンプルなケース
つまり、ある特定の対象システムについてのモデリングである。それ以外のモデリングについては第7章で扱われる。

モデルの作り上げ

構造は、ゼロから構築されることもあるが、他から借用されることもある。
構築ないし借用されると、解釈が行われる。
解釈は、科学者個人においてなされることもあれば、科学者共同体において共有されていることもある。明示されていることもあれば、暗に示されているだけのこともある。
解釈は、モデリングを行う中でも変化していくことがある。
また、生物学で作られたモデルが経済学で使われたり、といったことがある。これは、解釈が変えられることで、新しいモデルが作られているということになる。

モデルの分析
  • 十全分析

モデルの特性や状態、状態遷移、相互関係などを知ること

  • 目的志向型の分析

調べる範囲が狭くなる

モデルと対象の比較

モデルは現実の現象と直接比較されるわけではない
現象から、科学者の関心のある特性を抽出した集まり=対象システムと比較される
同じ現象からも、複数の対象システムを抽出することができる。
現象からどうやって対象を抽出してくるかは、研究の主題をどのように選ぶのかということとつながっているので、一概にどうとは言い難い。
その後、モデルと対象の適合性が確かめられる。制作者による忠実度基準によって、どの程度の適合性が必要かが定まる
具象モデルの場合、対象システムとモデルとが比較されるが、数理モデル数値計算モデルの場合は、対象システムを数学的に表現したものとモデルとが比較される


ところで、「捕獲されたタスマニアデビル(著者による撮影)」という写真がいきなり出てきてちょっと面白い。一応、本文中に出てくる具体例がタスマニアデビルの研究なのだけど、これ、ここにタスマニアデビルについての研究者がいるとしよう、みたいな感じの例なので、写真があるから、具体例にした可能性がなきにしもあるず。
なお、筆者はペンシルバニア大の教授である。

 

第6章 理想化

モデリングにおいて、理想化=わざと歪みを導入することがよく行われる
理想化及び理想化に対する正当化については、「ガリレイ的理想化」「ミニマリストの理想化」「多重モデルによる理想化」の3つの種類がある。
また、理想化というのは表現的理想(モデルの目的)からも整理される

ガリレイ的理想化

計算できるようにするために単純化すること
例えば抵抗のない媒体、近似的計算など
プラグマティックな理想化であり、もし計算能力や数学的テクニックが向上すれば、この手の理想化は「脱理想化」される。

ミニマリストの理想化

現象を生じさせる主要な因果的要素だけを含んだモデルを構築し研究すること
科学哲学においてはもっとも研究されているタイプの理想化であり、これがどのような理想化なのかについて、ストレヴァンスのカイロス的見解、バターマンの漸近的説明、カートライト抽象化に関する見解などがある。
最小モデルは、現象の核心部分だけを分離しているのであり、科学的説明とかかわっている。
ガリレイ的理想化とミニマリストの理想化は、同じモデルを作りだすことができるが、その理想化に対する正当化が異なる。
ガリレイ的理想化の場合、あくまでプラグマティックな理由で行われている。つまり、計算ができるようにするため、単純にしている。だから、計算能力が向上すれば、そのような単純化(理想化)は取り除かれていくことになる。
一方、ミニマリストの理想化は、この現象における重要な部分を取り出すために行われている。だから、たとえ計算能力が向上しようとも、この手の理想化が取り除かれることはない。

多重モデルによる理想化

相容れない複数のモデルを作ること
複雑な現象に対しては、単一のもっともよいモデルを作ることができない場合がある。その場合、一つの現象に対して複数のモデルが作られる。
例えば、アメリカ国立気象局では、気象予測を行う上で、単一のモデルを作るのではなく、3つのモデルを使用している。
正確さ、一般性、精緻さ、単純さなど、科学者の目的のあいだにトレードオフがあるため、複数のモデルが作られることが正当化されるのではないか、と考えられている

表現的理想
  • 完全性
  • 単純性
  • 一意因果性

単純性の中でも、特に現象の発生に差異をもたらすような因果的要素を選び出すこと

  • 出力最大性

出力の正確さと精緻さを最大限にせよ、という目的
そのための表現は問わない(だから、現象の予測には役だつが、必ずしも説明に役立つとは限らない)

  • P-一般性

現実の対象だけでなく、そのモデルでとらえられる可能な対象の数
P-一般性をもつモデルは、広い適用範囲を持つ


ガリレイ的理想化の表現的理想は「完全性」
ミニマリストの理想化の表現的理想は、「一意因果性」
多重モデルによる理想化は、あらゆる表現的理想が役割を果たす

 

第7章 特定の対象なしのモデリング

第5章とは違い、対象がないようなモデリングについての章
具体例も様々で、より科学におけるモデルの使われ方というものが分かる章で面白い
モデルはフィクションかの章でも多少触れられていたが、モデルというもの(現実をそのまま表現しているわけではないもの)が、何故現実についての知識をもたらすのか、というのが、科学哲学的に面白いところなのかもしれない。

汎化モデリング

特定の例を対象とするのではなく、一般化したものを対象とするモデリング
例えば、有性生殖についてのモデルなど
汎化モデルの対象は一体何なのか? 「性一般」などという対象はない。
このモデルにあてはまる様々な対象の「共有部分」か? しかし、共有されていない場合もある。
抽象化された対象を持つ
汎化モデリングはどうやって現実世界の知識を与えるのか
汎化モデリングは、「一体どうして」という疑問に答える(「無性生殖の方がコストがかからないのに、一体どうして有性生殖が選ばれるのか」)
シェリングの人種分離モデルは、分離を求める選好がないのい一体どうして分離が生じるのか、という疑問に答えようとしたもの
また、汎化モデルは、対象にとっての最小モデルになっていることによって、科学者に知識を与えることもできる。
例えば、レイノルズのボイドモデルは、もともとCGアニメーションのための手段であったが、これが、鳥の群れについて「一意因果性」を満たす最小モデルとなって説明できるようになっていた

仮説的モデリング

存在しない対象についてのモデリング
偶然的に非存在な対象と、物理的に不可能な存在とに分けられる

  • 偶然的な非存在

これ、具体例がとても面白かった
xDNAというもの
xDNA - Wikipedia
アデニンとチミンについて、自然に合成されるそれよりも2.4オングストローム長い類似体について、これを用いても、DNAと同様の二重らせんをつくることができるということを、2003年にエリック・クールらが示した。これを、xDNAと呼んでいる。
xDNAという可能性を示すことによって、現在の生物がDNAを使っているのは偶然的であることが示された。

  • 不可能な対象

無限に成長する個体群のモデルや、永久機関についてのモデル
永久機関のモデルとしてラチェット機構というものが具体例として挙げられている
もちろん、永久機関というのは物理的に不可能なのだけれど、ラチェット機構を探求することで、自然法則のどこが違うことで、これが永久機関になったりならなかったりするのかがわかり、自然法則についてのより深い知識が得られる、としている。
「現実のシステムに関して完全に理解するには、実質的な反事実的知識が必要になる。これはすなわち、私が第6章でP-一般性と呼んだ知識である」(p.200)

対象なしモデリング

選択される対象がなく、研究の唯一の対象はモデルそのもの
具体例として、セルオートマトンが挙げられている
セルオートマトンは、比喩的に、あるいはモデリングの枠組みに関するヒントをあたえることで、現実世界についての知識と関係する。


最後に、フィッシャーの3つの性についてのモデルの話が触れられている
フィッシャーは、性が何故二つしかないのか理解するためには、三つあるいはそれ以上の性をもつ生物(という存在しないもの)について知る必要があると述べた。これは、仮説的モデリングと相通じる話である。
しかし、実は、3つの性を持つ生物は存在しているという話が最後になされている。
どのような研究上の関心をもつかで、モデリング行為が変わってくる、みたいな話をしているっぽい。

 

第8章 類似性の説明

モデルー世界間関係について
まず、ワイスバーグは、モデル−世界間関係を説明するためには、「最大性」「段階的」「豊かさ」「定性的」「理想化」「背景的」「裁定」「扱いやすさ」という8つの基準を満たす必要があると述べる。
そのうえで、意味論的見解に由来する、モデルと世界との関係を同型性によって説明する説を否定し、類似性によって説明する
1970年代、トヴェルスキーによって行われた類似性に関する心理学的説明をもとに、類似性が定式化される。
対象aの特徴集合Aと対象bの特徴集合B、それに対する重みづけ関数といったものが用いられる。
Aとbの類似性は、aとbとが共有する特徴の関数であり、そこから共有されない特徴の分だけ引かれたものである。
Aをモデル、bを対象システムに置き換える。さらに、それぞれの特徴をメカニズムと属性にわけるなどして、モデル-世界間関係の定式化を行っている。
ワイスバーグはこれを「重みづけられた特徴の一致に基づく説明」と呼ぶ
重みづけがなされていることによって、科学者の解釈や背景理論などを取り込むことができる。
類似性なので、同型性と違ってモデルと世界の関係に「段階」がある
また、重みづけ関数があることによって、意見が一致しないことがあることについても説明ができる(「裁定」の基準を満たす)
また、特徴集合や重みづけ関数などは、科学者にとっても認識可能な手段なので「扱いやすさ」があるなど

 

第9章 ロバスト分析と理想化

モデルがどれだけ信用できるのかについて
1966年、リチャード・レヴィンスが論じた「ロバスト分析」について
複数のモデルを用いても同じ結果が出てくるか。共通なのが「ロバスト条件」

パラメータを変化させて調べる

カニズム的性質を変化させて調べる
新たな数学的構造を加える、手続きを変えるなど

例えば、具象モデルを数理モデルに変えたり、数理モデル数値計算モデルに変えたりして調べる
 

第10章 終わりに —— モデリングという行為

本書のまとめ

訳者解説

ワイズバーグがモデリングに興味をもつようになったきっかけは、化学結合のモデル
用いられるモデルが互いに両立しないケースもあり、理想化やロバストネス分析などの考察を行っていった。
訳者解説では主に、科学哲学における他の研究と本書の比較という観点で書かれている。
科学哲学における従来の議論の中心は「意味論的見方」
これは、かつての「統語論的見方(理論語と観察語にわけるアレ)」への批判
ワイスバーグは、この見方が、物理学といった特定の分野には当てはまるが、科学全般に広くあてはまるわけではないと指摘

これは科学哲学における大きな方向転換と言えるかもしれない。意味論的見方では、科学理論とは何かといった科学の伝統的関心にこたえるには、「典型的な科学」(としての物理学)を分析すれば事足りるという認識がおそらくあった。それに対してワイスバーグは、哲学的関心に科学を当てはまるのではなく、実際に科学者が行っていることを哲学的に整理する、ということを目指している。(p.280)

しかし、このため、従来的な科学哲学の議論とはギャップが生じているとして、特に2点、指摘している。
数理モデルと現象とをどのように比較するのか、という問題
抽象的対象と具体的対象をどうすれば比較できるのか、というのは哲学的には結構な難題であったが、ワイスバーグは、このあたりの議論をわりとスルーしている。というのは、科学者がどのような実践をしているのか、ということがワイスバーグにとってはポイントであるから。
もう一つ、モデルと世界の類似性をめぐる議論についても、科学者がそのようにしているという記述的な話なのか、より客観的な指標としての規範的な話なのかが、曖昧となっており、この点についての批判もあるのだが、ワイスバーグはそのような「科学哲学」的な話を避けている。これも上と同様の理由による。
これらは、ワイスバーグが、あえて触れていない「科学哲学」的な話題だが、それ以外に訳者解説では、本書が以下のような「対決」があるとまとめている。

モデルの分類をめぐる対決、数理モデルに関するフィクション説との対決、理想化の種類をめぐる対決(あるいは議論の統合)、存在しない対象のモデリング(仮説的モデリング)に関する対決(ここでは対決相手は統計学者のR.フィッシャーである)、モデル-世界間関係における類似性をめぐる対決(類似性批判との対決、および従来の類似性議論の発展的継承)、レヴィンズによるモデルのロバスト分析「解釈」に関する対決である。(p.281)