カイヨワ『遊びと人間』

ミミクリについて知りたくなったので読んでみた。
人類学的な実例が色々載っているので、面白い本ではあるけれど、今自分の欲しい情報が載っている感じがあまりしなかったので、かなり飛ばしながら読んだ。


とりあえず、カイヨワによる遊びの定義と分類など
定義
1,自由な活動(参加者の自発性)
2,隔離された活動(時間的、空間的に限られた範囲で行われる)
3,未確定の活動
4,非生産的活動
5,規則のある活動
6,虚構の活動
ただし、5と6は必ずしも同時に満たされるとは限らない。
分類
有名な4分類
アゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)
加えて、2つの方向性がある
気晴らし、きまぐれ的なパイディア
規則的なルドゥス
4分類のどれにも、パイディア的なものとルドゥス的なものがある。
遊びというのは、隔離されていることとか虚構であることなどが忘れられたときに、堕落する。
イカサマ師は遊びを破壊しない。イカサマするためには、みんなが遊びをちゃんとやってくれないと困るから。むしろ、そんなの遊びだろと指摘してしまう奴の方が、遊びを破壊する。
遊びというのは、その隔離された範囲の中で、真剣にやること。
それから、恣意的な規則が作られることによって遊びというのも成立する。サールのいう、構成的規則のようなものだと思う。


ミミクリとイリンクスが重要視される社会と
アゴンとアレアが重要視される社会という、2つの社会のあり方がある。
カイヨワは、前者を危険なものだと判断し、ミミクリとイリンクスを如何に分離するか、そしてアゴンとアレアの社会に如何に移行するか、ということを第二部で主要に論じている。
また、ホイジンガは、遊びと聖なるものを同一視したが、カイヨワはこれを批判。
聖なるものから脱落した/解放されたものが世俗、世俗から脱落した/解放されたものが遊びである、というヒエラルキー構造を考えている。
ちなみに、訳者解説では、ホイジンガを批判しているカイヨワも、実はホイジンガの前提に乗っかっているのではないかということが指摘されている。


中国やら南米やらアフリカやらの例が出てくるのはよいと思うけれど、
昆虫や動物を例に出してくるのは、どうなのかなと思う。
スロット・マシーン(やパチンコ)は、4つの要素の全てを併せ持つものとも4つの分類には当てはまらないものともされている。
ジェームズ・ディーンへの熱狂的ファンの話も載っている。スター崇拝は、この時代独自のものかなあと思ったり思わなかったり。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)