『近代科学の誕生』バターフィールド

16から17世紀にかけての科学史
力学、天文学、医学、化学、生物学、そして科学と社会・文学との関係がトピックとして出てくる。


これを読むと、クーンのパラダイムが、何で各々共訳不可能なのかが分かる。
科学革命というのは、新しい事実の発見なのではなく、意識の変化なのである。
例えば、ハーヴェイ以前にも、血液循環について正しい結論を導くような証拠は発見されていたり、あるいは非常に近いところまで考えていた人がいたりしている。
しかし、同じデータを見ても、考え方、意識のあり方が違うと、異なる解釈をしてしまうのである。
あるいは、我々はともすると、近代以前の知識人はガチガチのアリストテレス主義者のように考えてしまう。ガリレオが現れて、颯爽と変えていったかのように。しかし、近代科学への準備をなしたのは、まさにアリストテレス主義者の方なのである。
アリストテレスの体系が、必ずしも現実と合致しないのは多くの人が気付いていた。そこで、多くの訂正がなされていたのである。しかし、それはあくまでもアリストテレスの体系の修正だった。
ガリレオは、そのような各分野での修正では役に立たず、アリストテレスの体系全体を新しいものに変えてしまわなければならないことに思い至ったのである。
しかし、ガリレオの体系はガリレオの体系で、必ずしも現実と合致しない部分はあったのである。
ガリレオはに「理論」を優先した箇所がいくつもある。しかもそれが、近代科学にとっては重要だったのだ。
つまり、現実のデータを純粋化する、ということ(摩擦のない状況などありえないが、摩擦のない状況を仮定することなど)。
近代科学の誕生というと、観測・実験の精緻化による新事実の発見などが契機になったように思う。無論、それらの蓄積が重要な要素となっていたのは確かである。だが、決定的だったのは、考え方を変えてしまうこと、要素の抽象化された思考実験を行うこと、だったのである。
抽象化された思考実験、というと分かりにくいが、数学・幾何学である。無限の広さをもつデカルト平面の導入である。
一方、フランシス・ベイコンのように、実験の重要さを説く者も当然いた。
近代科学は、数学と実験という両輪によって進行していったのである。

近代科学の誕生 上 (講談社学術文庫 288)

近代科学の誕生 上 (講談社学術文庫 288)