八木沢敬『神から可能世界へ 分析哲学入門上級編』

分析哲学入門シリーズ、いよいよ上級編
八木沢敬『分析哲学入門』 - logical cypher scape2
八木沢敬『意味・真理・存在 分析哲学入門中級編』 - logical cypher scape2
アンセルムスによる神の存在証明を分析哲学の観点から論ずるという形をとっており、帯や裏表紙の内容紹介を見ても「神の存在証明」が中心なのかなという感じを受けるが、実際のところは、可能世界論入門というウェイトの方が大きい。
日本語で読める可能世界論の入門書というと、三浦俊彦『可能世界の哲学』飯田隆言語哲学大全 意味と様相』が思い浮かぶか、このラインナップに、この八木沢『神から可能世界へ』が付け加えられることになるのではないだろうか。
それにしてもそのうち2冊、特に「可能世界」をタイトルに冠した2冊の書き手がどちらも、(本来は少数派である)様相実在論者というのがなかなかw


可能世界論入門のウェイトが大きいと書いたが、さらにいえば、可能世界論というか様相論理を説明するために、時制論理について説明しているパートが大きい。
で、三次元主義とか四次元主義とか現在主義とか永久主義とかいった、時間の形而上学についても結構触れられている。
時制論理と時間の形而上学と、様相論理と様相の形而上学とは、非常によく似ているので、類比的に説明されていく。


前半は、デイヴィッド・ルイスの可能主義、様相実在論の立場から主に進んでいき、後半では、現実主義の立場についても解説される。
八木沢自身は、様相実在論であるが、ルイスとはさらに別の立場をとる。これについては後述


前作、前々作との関わりだが、直接的な言及はないし、もちろんこれ単独で読んでも分かるようになっている。が、やはり、初級、中級と読み進めていった方が入りやすいと思う。
可能世界の八木沢の立場については、初級の方に、実はちらっと触れていたりとか
中級は、トピックスとしても重なっているところがあり、読んでおいた方がいいかもしれない。というか、自分でも読み直したくなった。

第1章 関係論
1の1 性質と関係
1の2 関係の性質
1の3 同値関係
第2章 存在論的論証
2の1 神の概念
2の2 存在論的論証の概観
2の3 可能世界の枠組み内での定式化
2の4 完全な定式化
2の5 現実性の世界非相対性
2の6 現在性の発話文脈相対性
2の7 現実性の発話文脈相対性
2の8 まとめ
第3章 可能世界
3の1 時間論理
3の2 様相論理
3の3 様相形而上学
第4章 存在論的論証――現実主義
4の1 現実主義
4の2 不可能個体
4の3 個体の性質としての存在
4の4 存在という関係
4の5 可能主義との比較

第1章 関係論

性質は、一項述語が表すもの
関係は、多項述語が表すもの
推移性、対称性、反射性について
その3つ全てを満たす関係を同値関係という
集合のみを抽象的対象のなかで許容するのを「穏健な唯名論」と呼び、同値集合を使って穏健な唯名論を擁護する議論を見る。フレーゲ自然数の定義とか。


分析哲学者の多くは実在論者、論理実証主義者でさえ、集合を認める以上、厳密には唯名論者ではないんだ、みたいなこと書いてあった。結局、そのあとで、集合を認める立場は「穏健な唯名論」としてるけど。

第2章 存在論的論証

妥当性:仮定が真なら結論も真であるような議論を妥当な議論と呼ぶ
健全性:妥当であり、仮定が全て真であるような議論を健全な議論と呼ぶ
アンセルムスの存在論的論証では、「考えられうる」という思考可能性という類の可能性が出てくる。これを、論理的可能性や形而上学的可能性と区別しておく。
アンセルムスの存在論的論証は、大体こんな感じ

(1)それより偉大なものを考えることができないような、そういうものは思考の対象である。
(2)思考の対象は、思考の領域に存在するものである。
(3)思考の対象は、存在しないよりも存在する方が偉大である。
ゆえに
(結論)それより偉大なものを考えることができないような、そういうものは存在する。

思考の領域っていうのが、思考可能性の上での可能世界であり、これを使って定式化していく。そうすると、妥当ではある。その上でルイスは第一仮定が真にならないと指摘する。これを擁護しようとすると、現実世界が形而上学的に特別扱いする必要がでてくるが、さてそんな特別性はあるのか。
で、「現実性」とは何か、と考えることになる。
ルイスの現実性の理論は、発話文脈相対性理論であり、時間論理と類比して考える。
文と命題の区別
発話の時点の相対性と評価の状況の相対性の区別
今と現在時制の区別
「今」「ここ」あるいは「現実に」という言葉はすべて「インデックス言葉」
ルイスによる、現実性のインデックス理論
「今」とかは、言葉の意味によって、発話の時点を指示する(固定性)


発話文脈相対性理論については、中級編がより詳しいという感じがする

第3章 可能世界

再び時間論理に戻る
時間論理の健全性:時間論理の定理はいかなる解釈のもとでもすべての時点で真である
時間論理の完全性:時間論理における論理的真理が全て定理である
前述の健全性とは別物なので注意
バーカン式と逆バーカン式
これらは、定理なのだが、解釈によって偽になることがある→健全性が崩れる
存在量化子の範囲が時点tに束縛されるという現在主義の立場だと、偽になってしまう
存在量化子の範囲が束縛されないという全時点主義の立場だと、真になる
さらに、通時的同一性について、三次元主義、四次元主義、時間切片主義の三つの見解が紹介される。
ここでいう四次元主義と時間切片主義は、サイダーがいうところの「ワーム説」と「段階説」にあたると思われる。
そして、こうした時間論理の話を、様相論理の話へと置き換える
バーカン式と逆バーカン式
現実主義と可能主義
ルイスは、いわば可能世界切片主義をとる。対応者理論。
これに対して、八木沢は五次元主義の立場をとる。


バーカン式は、名前は知ってたけどどういうものかよく分かってなかったので、多少は分かった。まだ、よく分かってないけど。
三浦本では、採用する公理系を変える=到達関係が違うと、真理値が変わる奴、みたいな紹介をされていたような気がする。到達関係を説明するための一例みたいな感じ。
八木沢本では、公理系S5を採用、S5で到達関係は同値関係と同じなので、到達関係の説明はパス、みたいな感じだった。
バーカン式は、「◇∃xFx→∃x◇Fx」という式で、これのFをどういう述語にするかが問題で、ここでは「現実世界に存在するいかなるものともxは同一ではない」にしている。例えば、バーカン式のFにこれを代入して、様相オペレータの範囲外にある存在量化子は現実世界での存在を意味するという現実主義の下で解釈すると、「もし現実に存在するいかなるものとも同一ではないものが何らかの可能世界にあれば、何かが現実に存在してその何かは何らかの可能世界で、現実に存在するいかなるものとも同一ではない」になる。
で、この複雑な文章をおっかけてくのが大変で、すぐに頭が混乱する。


時間の形而上学と様相の形而上学について、ルイス、サイダー、八木沢の関係。
ルイス  四次元主義(ワーム説)/様相切片主義(対応者理論)
サイダー 時間切片主義(段階説・時間対応者理論)/様相切片主義(対応者理論)
八木沢  四次元主義(ワーム説)/五次元主義
多分、こんな感じ
『四次元主義の哲学』読むと、サイダーは対応者理論をかなり評価していたので、個人的には対応者理論についてもう少し詳しく知りたいと思ってるところなのだけど、八木沢はむしろ、対応者理論は複雑すぎて欠点の多い立場だと考えているっぽい。
ルイスとサイダーはどちらも、様相については対応者理論の立場をとっているが、ルイスは様相実在論者であり、サイダーは様相実在論者ではない。様相実在論の立場をとらなくても、対応者理論は使えるという考えだったはず。
また、ルイスは(八木沢によると)、時間の形而上学と様相の形而上学とで同じ立場を取る必要がないと考えており、上の表のようになっている。
で、時間の形而上学で四次元主義がいけるなら、様相の形而上学でも同様の立場があるんじゃなかろうかっていうのが、五次元主義となる。
ちなみに、この本の中で八木沢はそれが自分の立場であると明言するような書き方は実はしてないが、この部分の参考文献としてあがっているのが八木沢の著作だし、初級で自分の立場として言及している。
自分の立場だとは明言せずに、こういう立場もありうる、そしてこの立場の問題点はこれ、という感じで書いている。
四次元主義だと、個体というのは過去現在未来に広がって存在している四次元実体で、現在の個体はその時間的部分ということになるが、
五次元主義だと、個体というのは各可能世界に広がって存在していて、現実世界の個体はその様相的部分ということになる。
まあまあ、理屈としてはわかるけれど、何言っているのか分からないですねw
問題点としては、貫世界同一性はどうなるのって話で。通時的同一性だと心理的連続性があげられたりするけど、貫世界同一性だと明らかにそれは使えない。でも、実はそれ以外の方法は提案されている、ここには書くスペースがないけどねみたいな感じで終わってるw
四次元主義はまだわかるけど、五次元主義って様相実在論以上に、常識的には受け入れがたい感覚がしてしまうけれど。そのとびっぷりが楽しくはあるけど、本当かよとは思う。
参考:セオドア・サイダー『四次元主義の哲学』(中山康雄監訳、小山虎、齊藤暢人、鈴木生郎訳) - logical cypher scape2

第4章 存在論的論証――現実主義

2章と3章とでは、可能主義の立場から論じてきたので、この章では現実主義の立場についてみていく。
現実主義はさらにその中で色々な立場に分かれる。
可能世界とは何かということについて、命題集合説や事態説がある。どちらも、可能世界を定義するのに様相に訴えており、定義が循環している。が、このことには自覚的で、可能世界をあくまでも有用な道具としか捉えていないのである。
また、非現実可能個体についてデレ的に扱えるかという問題がある。
これについて、個体本質や必然主義(強現実主義)といった立場からの応答があるが、どちらもあまりうまくない。
それに対して、やはり現実主義の立場にたつサルモンの議論が紹介される。
サルモンは、存在を個体の性質として捉える。
この立場からも、アンセルムスの存在論的論証について批判ができる。*1
そして、筆者はサルモンのその考えをさらに展開させ、存在は集合のメンバーシップであるという主張を導き出す。
最後に、その主張が可能主義から捉えるとどうなるか見る。


こちらでも、バーカン式や逆バーカン式が出てくる。
つまり、第三章では可能主義の立場を取れば、バーカン式などについてどんなのをFに代入しても(論理の)健全性は保たれるという話だったのに対して、いや現実主義の立場をとっても、大丈夫という話なので。
もうバーカン式はお腹一杯だったということもあるのだけど、現実主義の方が難しいなあという印象。
八木沢は、必然主義について、確かに問題解決できるけど、テクニカルに処理してるだけだと批判してる。
辻褄はあうけどそれでほんとに正しいのか、ということだろうけど、何となく、可能主義者・様相実在論者である八木沢にまんまとそう思わされているような気もするw
この本を読むと、可能主義と様相実在論がとるべき道のように思えてくるのだけど、しかしやはり、可能世界が全て具体的対象なのだというのはとてつもない主張のように思う。
(ところで八木沢は、可能世界の実在を拒む代わりに命題だったり事態だったりの実在を認める現実主義者の方が実在論者で、(容認する抽象的対象の少ない)様相実在論者の方がよほど唯名論的だよねとかも言っている。ぐぬぬ
可能世界が具体的対象であるって信じがたいし、またそれが正しかったとして、可能世界があることと、現実に我々が様相について主張することとのあいだにどのような繋がりがあるのかがよく分からないことが気になる。
まあ、可能世界と様相との(便利な道具であるという以上の)繋がりがわからんと言った場合には、じゃあ様相って何なのか説明しろよというのはこっちに降ってくるわけで、ただ「信じがたい」と言うだけでは有効な反駁にはならない。
とはいえ、ルイスは、科学的知識と常識をできるだけ組み込んだ整合的なな体系を作るのが哲学の使命と考えているようなので、この信じがたさはコストにならんのかと思う。そのコストに見合う価値があるというのがルイスの答えなんだろうが。


フレーゲ的な存在の考え方に対立するものとしてのサルモンの立場
ここらへん、中級編でも言及があった。中級ではむしろ前者の方の解説にウェイトがあって、上級ではむしろ後者の方にウェイトがある感じ。
他のトピックでも、インデックス理論も時間の形而上学の話も、中級でも一応解説はされていたけれど、それほどウェイトが置かれていなかった部分を、上級でしっかり解説している感じ。


サルモンは、存在するを「∃yy=x」と表現する
これを受けて八木沢は、存在量化子は存在領域に相対的に解釈されるから、存在というのが集合(対象領域)に相対的なものだと考えてもいいんじゃないかと論じる(この考え方自体は、サルモンの立場とはかなり違うものになっているらしいが)。
存在とは、個体と集合のあいだの二項関係なのではないか、と。
そうすると、「存在する」というのは、そのときに対象となっている集合と相対的に理解されることになる。これは、かなり日常的な「存在する」の使い方と合致しているんじゃないかなあと思った。
(「あれ、ビールがない(存在していない)」というとき、それは、冷蔵庫の中に入っているものの集合の中にビールがあるかどうかということで言われているのであって、絶対的にビールがあるとかないとかいう話をしているわけではない)

追記(20140525)

事態について
事態としての可能世界を捉える説提案者=プランティンガ
「事態」については、ウィトゲンシュタインやアームストロングが語っている
事態と命題は異なる。
命題は真か偽か、事態は成立しているか否か
事態が成立していることで、命題が真になる(事態は真理メーカー)
個体・性質・関係の組み合わせによって事態ができるという考えと
事態には内部的構造はなくて、複数の事態と事態との「交わり」が個体や性質、関係であるという考えがある。
プランティンガによれば、事態は絶対的に成立している(可能世界に対して相対的に成立するとかはない)。だから、成立している=現実
そういえば事態がデイヴィッド・M・アームストロング『現代普遍論争入門』(秋葉剛史訳) - logical cypher scape2にも出ていたことを思い出したので追記
アームストロングは、個体や性質が事態の構成要素であり、事態も性質(普遍者)も実在するという立場
可能世界について現実主義の立場をとると、今度は普遍実在論へと接近していくことになるのかなー
ルイスは、クラス唯名論を支持してるしな、そういえば。
現実主義かつ唯名論って立場はもしや整合的じゃない?

*1:ちょっとどうでもいい話だけど、「最強の定式化」という言い回しが出てきて、なんか面白かった。最強