様相論理を用いて反事実的条件法を分析し、また様相実在論についても主張している本。
難しいと聞いていたので今まで敬遠していたが、いよいよ手に取ってみた。しかし噂に違わず難しかったので、かなり飛ばし読み。内容についてはあまり分からなかったが、とりあえずどういうことがどういうふうに書かれている本かということだけ眺めた感じ。
テクニカルな話題が主なので、難しい。
最近、形而上学の本をいくつか読んで来たので、可能世界の実在を主張する様相実在論や、対応者理論に興味を持って読んだのだが、それらについては触れられているものの、メインではない。
メインは、反事実的条件法の分析。
様相実在論や対応者理論については、それに対する反論にルイスが再反論した『世界の複数性について』という著作があるのだが、未邦訳。
ルイスの著作というと、初期のものに『慣習』というのがあってそっちも気になっているけど、やはり未邦訳。
どちらも、翻訳作業中らしいので、いずれ翻訳が出るのを待ちたい。
条件法について、実質含意のパラドクスというものがある。
古典論理だと、A→B(AならばB)という条件文の真理値について、前件(A)が偽のとき、A→Bは真になる。
これは、A→Bを、¬(A∧¬B)と同じだと考えて真理値を割り当てたためである。¬(A∧¬B)を実質含意といい、A⊃Bとも書く。
ところで、前件が偽だと、条件文が必ず真となるというのは、直観と合致しない。これが、実質含意のパラドクス。
これに対して、様相論理をつかって条件文の真理値を考えるというアプローチがある*1。前件が真である状況(可能世界)において真理値を考える。
これを厳密含意とか厳密条件文とかいう。□(A⊃B)
この本では、反事実的条件法を、可変的厳密条件文として分析する。
このあたりについては、
「条件法の論理」(久木田水生)(リンク先pdf)を参照
第1章 反事実的条件法の分析
第2章 再定式化
第3章 比較
第4章 基礎
第5章 類比
第6章 論理
付録 関連するデイヴィッド・ルイスの作品
哲学だって進歩する――訳者解説
第1章 反事実的条件法の分析
反事実的条件法の例として最初に出てくるのが、「もし仮にカンガルーがしっぽをもっていなければ、ひっくり返るであろう」とカンガルーネタなのは、ルイスのオーストラリアの哲学者との交流が深かったからだろうか。
演算子の定義
p□→q
もし仮にpなら、qであろう。
p◇→q
もし仮にpなら、qであるかもしれない。
世界の集合を圏域と呼ぶ。圏域の割り当ては、到達可能性割り当てであり、どう割り当てられるかで、必然性が変わってくる。論理的必然性とか物理的必然性とか
圏域が他の割り当ての圏域を含んでいると、その厳密条件法は「より厳密である」。論理的な厳密条件文は最大限に厳密
反事実的条件文は、類似性に基づく厳密条件文のようなものにみえるが、どれくらい厳密であるかは述べておらず、「可変的厳密条件文」
早くもついていけてなくて、このあと「外部様相」とか「内部様相」とかいってるあたりは読んでない
反事実的条件文(つまり可変的厳密条件文)に独特の誤謬
・前件強化の誤謬*2
・推移性の誤謬
・対偶の誤謬
これらは非妥当な推論パターン
例えば、推移性の誤謬
χ□→φ
φ□→ψ
∴χ□→ψ
もし仮にオットーがパーティに行っていたなら、アンナは行っただろう
もし仮にアンナが行っていたなら、ウォルドーは行っただろう
∴もし仮にオットーが行っていたなら、ウォルドーは行っただろう
潜在性
「その勝者は審判を買収しなかった□→その勝者は勝たなかった」
ここでは、de re的な読み方をしている。つまり、勝者についてではなく「その勝者」に関心がある。
ここから貫世界的同一性の話になって、ルイスはこれを否定して、対応者理論を持ち出す
「諸世界に実際に住まう物事はもはやおのおの一つの世界に住まうのみである。」
「貫世界相似性から生じるものは貫世界同一性ではなくて、貫世界同一性の代理となるものもの、対応者関係である。」
「一般に、或るものは特定の世界での対応者として、内的性質と外的関係の重要な観点においてそれと十分密接に似ており、そこに存在する他の物事の場合と同様にそれと密接に似ているところの、そこで存在する物事を持つのである。」
以上p.65
対応者理論は、貫世界同一性を使った理論と同じだけの説明力をもち、貫世界同一性の理論的負荷を持たず、また類似性に基づくので、類似性の曖昧性が事象様相にも伝染することによって、事象様相の見かけ上の食い違いを説明できる。
ヒトラーと同じ血統でありながら現実のヒトラーのようなことは起こさなかった人物と、ヒトラーとは異なる血統でありながら現実のヒトラーと同じようなことをした人物がいるような世界を考えてみて、それはヒトラーが潔白な人生を送ったかもしれないということなのか、ヒトラーが異なる血統を持っていたかも知れないということなのか。比較の観点に依存する仕方でいえるようにしたい。対応者の曖昧性はこれを許す。
第2章 再定式化
読んでない
圏域体系について、比較可能な類似性の点から捉えるという話っぽい
比較可能な類似性っていうのが、順序づけ、かな
あと、世界iに最も近いφ世界の集合を選択する関数(選択関数)について
第3章 比較
第3章もほとんどまともに読んでないけど、反事実的条件法についての他の分析との比較
メタ言語理論との比較
自然法則についてとか
スタルネイカーの理論との比較
「ビゼーとヴェルディが同国人なら、共にイタリア人だろう」「ビゼーとヴェルディが同国人なら、共にフランス人だろう」のどちらかをスタルネイカーの理論だと選ばなければならないが、ルイスはこの均等を赦す
第4章 基礎
第4章は、可能世界と類似性について
様相実在論について
日常的に「物事が現にそうである仕方とは別に、物事がそうでありえた多くの仕方が存在する(there are many ways things coud have been besides the way they actually are)」というが、これは「物事がそうでありえた仕方」についての存在量化であって、これを「可能世界」と呼ぶ。
日常言語の存在量化を額面通りに受け取るべきというわけではないが、額面通りに受け取ることが厄介であり、また他の仕方で扱うことが厄介なことにならないということがないかぎり、認められる。
可能世界は文の集合ではない。可能世界がこの世界と性質が異ならないのであれば、この世界は文の集合ではないから、可能世界も文の集合ではない。
われわれの世界だけが現実に存在するのだから、可能世界についての実在論は偽か→もちろん、現実化されていない可能世界は現実には存在していない。このことから可能世界の実在論が偽であることは導かれない
存在論的倹約について→量的倹約と質的倹約がある。可能世界の実在論はむしろ質的倹約
類似性について
類似性概念は不明瞭であるので基礎にはならないという批判
「不明瞭である」とは、「不当に理解された」なのか「曖昧である」のか。「曖昧である」ならば、それはむしろ必要な原始概念
例えば、青色と緑色は、境界が十分に固定されていないので曖昧である。しかし、双方の関係は固定されている。その境界のパラメータを与えれば、真理条件が与えられる(?)
「比較の観点に関する重要性と、それゆえに比較可能な類似性とについての大まかな合意が存在している。重要性と類似性に関するわれわれの水準は実際には変化するのだが、」
「私は、類似性の限定された曖昧性が反事実的条件文の限定された曖昧性をうまく説明すると結論する」
第5章 類比
第5章は、様相論理の応用として、義務論理、時制論理、自己中心論理について
様相論理では、圏域体系を比較可能な類似性でならべるけど、これを比較可能な善さで並べると義務論理になる
時間の順序であれば、時制論理になる
中心化されているかどうか、という違いもある。義務論理や未来形、過去形の圏域体系は中心化されていないが、半過去や半未来の圏域体系は中心化されている
物事の集合の集合を圏域体系として割り当ててもよい。一人称の文=自己中心論的文
「私は岩である。」とか「私は偶数である。」とかが例に出てきている
自己中心論的演算子が、文脈的確定記述の結合子の役割を果たす。
ここも詳しいところは読んでいないが、どれも圏域体系の中で世界が順序づけられているというの出てくる
第6章 論理
訳注で「非常にテクニカル」とあったので最初から目を通してすらいない
訳注によると、反事実的条件法論理の完全性証明と決定可能性証明をやっているらしい。
哲学だって進歩する――訳者解説
- 1.著者紹介
1941〜2001
ライルの講義に感銘を受けて哲学に転向し、クワインの下で博士号取得
71年以降、オーストラリアに毎年訪れ、スマート、アームストロング、ジャクソン、チャルマーズと互いに影響を与え合った
形而上学的展開とグランド・セオリーの復権
「ライプニッツ以来の最大の体系的形而上学者」
ルイス哲学における二つの原理
(1)様相実在論
(2)ヒューム的即付性
即付性というのはsupervenienceの訳。ルイスの極端な物理主義を指す。ただし、これは偶然的に成立する原理なので、その偶然性を「ヒューム的」と形容している
- 2.時代背景
1910年代〜1930年代:C.I.ルイスの厳密含意の論理。S1からS5の公理体系を展開。しかし、構文論だけだったので評判はあまりよくなかった
「今日では、厳密含意では反事実的条件法は捉えられないし、実質含意のパラドックスの回避は関連論理という分野が扱うものであることが判明している。」p.277
1950〜60年代:クリプキによる可能世界意味論。これ以前に、カルナップやヨンソンとタルスキが意味論を与えていたが、いくつかの点でクリプキの意味論はそれらと異なっていた。(到達可能性関係など)
70年代前半:『名指しと必然性』と『反事実的条件法』→可能世界意味論が有効な道具であることを示した双璧。「両作品は相互補完しつつも両極端の立場を取る関係」。クリプキ:固有名は固定指示子→貫世界同一性は約定、同一性は必然性→現実主義。ルイス:様相実在論→対応者理論、同一性の必然性は成り立たない
反事実的条件法の分析
1940年代:グッドマンとチザムによる分析(グッドマン=チザム・パラダイム。本書でいう「メタ言語理論」)。分析が循環、分析範囲が狭いという問題。内包論理と曖昧性の導入が必要だった
60〜70年代:スタルネイカーとルイスによる分析
ルイスの分析は、スタルネイカーの分析をほぼそのまま継承しているが、スタルネイカーは条件法一般を含み、強い仮定に基づいているが、ルイスは反事実的条件法に限定し、仮定を弱めた
スタルネイカー=ルイス・パラダイムのポイント
「世界間の類似性関係を加えたことであり、世界は付値される世界iからの観点によって順序づけられて」いる
スタルネイカーの仮定
前件が論理的に可能な場合には常に、前件が真であり、前件が真な他のどんな世界と比べても現実世界により類似している可能世界が唯一存在する
→ビゼーとヴェルディが同国人ならっていうのが、イタリア人だろうとフランス人だろうと類似性は均等と思われるが、この仮定があるとどちらかになる
- 4.その後の展開
類似性の曖昧性を解消する方法を提案
因果性を反事実的条件法によって分析。従来の規則性理論を駆逐
トリヴィアル性結果
条件文φならばψの確率は、φが与えられた時のψの条件付き確率と等しいというスタルネイカーの仮説が、トリヴィアルな結果を導くことを証明。「70年代分析哲学における最大のスキャンダル」(らしい)。
- 5.ルイス哲学における本書の位置とその方法論
ルイスは、クワイン主義者プラス常識の重視
哲学と常識と科学の三つの見解の中で、コストと利益を重視して、バランスをとる