上田早夕里『深紅の碑文』

上田早夕里『華竜の宮』 - logical cypher scapeの姉妹編
リ・クリティシャスという地球規模の海面上昇が起きた、25世紀の世界。
そして数十年後に、人類が滅亡するかもしれない〈大異変〉が起きることが予測された時代。
リ・クリティシャス以降の環境に適応できるように遺伝子改変された海上民と、変わらず陸上に暮らし続ける陸上民との間の緊張は日に日に高まっていた。


本作では、前作から引き続き主人公となる青澄と、海上民のザフィール、ロケット打ち上げを進める団体のメンバーである星川ユイの3人のパートが交互に進行していく。
彼らは、互いに関係がないわけではなく、実際に会うシーンなどもあるにはあるのだが、それほど深く関わりあうわけではなく、それぞれの物語が並行して描かれていくことになる。
『華竜の宮』では、主人公の青澄が40代30代後半*1で外交官をやっている頃の話であったが、
『深紅の碑文』では、その青澄の50代以降の頃の話となる。青澄は外交官をやめて、民間の救援団体を立ち上げている。
『華竜の宮』も『深紅の碑文』も、ラストは青澄が70を過ぎた頃、アシスタント知性を載せた恒星間ロケットの打ち上げが成功するシーンとなっている。


人類終焉を前に、様々な争いもありながら、人類の希望となる種をのせたロケットを打ち上げるに至るまでの物語
と、本作を簡単にまとめようとすると、もしかしたらそのようになるかもしれない。
しかし、本作はいわゆる宇宙開発SFではない。
むしろこの作品は、主人公達の闘争の人生を描いた作品と言った方がいいかもしれない。
本作の作者である上田早夕里は、以前、パオロ・バチガルピの『ねじまき少女』について以下のように評したことがある。

ノワールとして読むならば、道徳や倫理を軸に読んでいくことにはまったく意味がない。ノワールというのは、苛烈な環境や状況の中で、個々人が「自

分自身を生き延びさせること」に執着していく過程を描いた物語なのですが、この形式は『ねじまき少女』の物語構成とぴったり一致する。
ノワール作品で描かれるのは、個人が「自分の意思以外何も信じない」という状況です。この目的達成のために如何に情熱を注ぎ込めるか、どれほど馬

鹿げたことをやり抜けるか、愚かで醜いものに成り果てることすら厭わないか、非道徳的・非倫理的行為にも手を染められるか。その過程のひとつひと

つを味わい、登場人物の行動と決断がもたらすドライヴ感に身を委ねていくのがノワールを読む楽しみです。
パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』感想について、上田早夕里先生によるtweet、リツイートを中心にまとめ。 - Togetter


本作をノワールと呼んでいいのかどうか、ノワールに詳しくない自分には分からないが、上に述べられていることは本作にも当てはまる。
本作の主人公である青澄とザフィールは(そしておそらくユイもそうなのであるが、この2人とはタイプが異なるので後述)、強い信念の人である。その信念を貫き通した人生は、読者が容易に共感できるものではない。
しかし、彼らやあるいはザフィールの仲間たちの最期を読むと、たまらなくぐっとくるものがある。
『華竜の宮』よりもさらに傑作だったと思う。
また、『深紅の碑文』というタイトルの意味はかなり最後の方で分かることになるが、『華竜の宮』というタイトルがマグマだまりか何かのことの比喩になっているの対して、『深紅の碑文』における深紅とは人類の流した血を示しており、よりいっそう人間ドラマへの比重が高いように思える。
人間ドラマとはいえ、この作品で描かれる人間のありようはある意味で普遍的でありながら、このSF的舞台設定の中でしか展開されえないドラマでもある。
例えば、陸上民と海上民との関係は、ある程度人類史の中のどの時代にも見られるような差別-被差別の関係である。その意味で、海上民であるザフィールが、陸上民からの支援も含めた一切の介入を拒み、海上民としての生き方にこだわり闘争を行う様を、現実の民族問題などを通して読むことも可能かもしれない。
一方で、この世界のおかれた危機的状況は、〈大異変〉という地球科学SF的舞台設定において、現代の地球よりもさらに逼迫された状況であるし、またそもそも陸上民と海上民との相違の問いかけは、遺伝子改造、肉体改造、人工知能、人工生命といったものを扱ってきたSF作品と相通ずる「人間とは何か」という問いともなっている。

設定

「魚舟・獣舟」、『華竜の宮』、「リリエンタールの末裔」と同じ世界。ちなみに、「リリエンタールの末裔」の主人公が、結構いい脇役として再登場する。
〈大異変〉が予告され、陸上の政府や企業はそれに備えるための様々な事業を行いはじめ、それによって海洋資源をはじめとする資源が急速に囲い込まれている。
そのために、海上民を中心に生活に困窮する人々が増えている。
もともと海上民は、人口こそ陸上民より遙かに多いものの、その水上生活ゆえに、経済的・政治的には陸上民よりも弱い立場にいる。
こうした生活困窮に対して、多くの救援団体が立ち上がって活動をはじめている。
その一方で、海上民の中にはラブカとなって、陸上民の船を襲撃する者たちも現れた。ラブカは、海上盗賊団(シガテラ)とは似て非なる存在で、陸上民への抵抗運動として陸上民を襲撃し、それによって奪った資材によって困窮したコミュニティを支えている。


青澄は、外交官を辞めた後に、事業型救援団体パンディオンを立ち上げ、その理事長を務めている。事業型というのは、自ら事業展開してそれによって得た利益によって救援活動をやっているということである。青澄は、救援活動の継続性を重視しており、赤字が出るような無理な救援はしないという特徴がある。
ラブカの活動が活発になるにつれ、救援を必要とする人の数は増え、ラブカとの休戦の道を探りはじめる。
ザフィールは、海上民であるが陸上の学校に通い医者となった。当初、父親と共に海上民のコミュニティで終末医療的なことをやっていたが、助かる見込みのない患者ばかりを診る生活に疲れ、放浪をはじめる。その途中、ラブカに拉致される形でラブカに参加することになる。そこで殺戮知性体と遭遇。さらに、一度ラブカを離れ、その際に海上民に陸上への仕事を紹介するものの、陸上民からの手痛い裏切りを受け、ラブカのリーダーとなることを決意することになる。彼は、陸上民を激しく恨み、陸上民との平和の可能性に絶望しており、救援を含む一切の介入を拒んでいる。


物語も、またこの世界の社会状況も、当初は〈ラブカ〉の闘争を巡って進行していくことになるが、もう一つ別のプレイヤーも存在している。
それが、DSRDである。
彼らは〈大異変〉を前にして、人類の記録と生物の種をハビタブル惑星へと送り込むことを計画している。リ・クリティシャス以降、通信衛星を運用する以外に宇宙開発を全面的に停止している人類社会において、一種の変わり者集団であり、寄付金によって賄っている民間の団体である。
彼らの活動には、その資金を救援に使えという批判も多いのだが、一方で、彼らは核融合エンジンの開発に着手しており、〈大異変〉後のエネルギー問題を解決する方途の一つとして注目されてもいる。
青澄は、アシスタント知性のマキのコピーを、来たるべき日にロケットに搭乗させるべく、DSRDに渡しているものの、DSRDの活動にはどちらかといえば批判的であり、寄付を求められたが断っている。
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深紅の碑文 (上) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

深紅の碑文 (上) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

深紅の碑文 (下) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

深紅の碑文 (下) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

*1:指摘があったので訂正。40になったくらいの頃までの話