伊藤計劃『ハーモニー』

フーコー哲学的ゾンビが出会うディストピア
これは何というか、とにかく色々なトピックがぶち込まれていて、どこから書いていけばいいのかわからない。
これは文句なく面白いので、この年末年始何読もうか迷っている方にお薦めです。


どうでもいいところかいくと、引用やらパロディやらが色々と散りばめられている。
そもそもこの作品には、かなりの蘊蓄やらが詰め込まれているわけだが、それとは別に、ハルヒとかナウシカとか舞城王太郎とか円城塔とかからの引用があったりする。
まあ、引用やパロディを探して楽しむような作品でもないので、見つけた時にちょっとにやりとするくらいか。
それから、この文章は、etmlという言語で記述されていることになっている。htmlやらxmlやらと見た目は似ているわけだが、etmlのeというのはemotionのeで、つまり感情を記述するためのプログラム言語なのである。
小説としてそれはありなの、ずるいなーと思わなくもないのだけど、これはこれで作品の雰囲気をうまく出していることに成功している。


21世紀後半に《大災禍》という混乱が起こり人口が激減した後の世界。
先進諸国では、石油経済と国民国家が徐々に解体していき、医療経済と福祉共同体の時代へと突入していた。
政府ではなく生府が政治的な単位となり、契約によって結ばれた構成員たちは健康を至上価値として生活している。
そんな生活や社会に違和感を覚えていた霧慧トァンは、同じように、いやトァン以上に強く明確に社会を憎悪していた御冷ミァハと出会う。ミァハ、トァン、そして零下堂キアンの3人の少女は、自殺を試みるが、結局ミァハのみが成功し、トァンとキアンは生き残る。
大人になったトァンは、社会に対する違和感を募らせながらも、死ぬこともできず、WHOの監察官となっていた。
この世界のWHOは権力をはるかに拡大しており、WHOの監察官は紛争地帯に赴き、和平交渉を行ったり、《生命主義》に反した行いがなされていないか監視を行っている役職である。しかし、そのような紛争地帯に赴くことのできる監察官たちは、先進諸国では見ることもできない酒やタバコを手に入れる機会も手にしていた。トァンはまさにそのために監察官になっており、上司に隠れて酒やタバコの取引を行っていた。
このとてつもなく健康で、そしてどこか不健康な世界で、突如集団自殺事件が発生。目の前でキアンの自殺を目撃したトァンは、単独で事件の調査を開始する。


この《生命主義》というのは、もちろんフーコーの生政治を極限まで突き詰めた思想であり、色々な話ができそうだが*1
それ以外にも、オーギュメンテッド・リアリティや生体材料を使った飛行機などの未来技術、アフリカや中央アジアでの紛争がまだまだ続いていることとそのことが先進諸国ではほとんど報道されていないことなど、現代と地続きの未来を描く伊藤計劃お得意のガジェットや設定が描き込まれている。
そして今回の話のテーマは、なんといっても脳と進化である。
最近、進化の本や脳の本を読んだことと相まって、とても刺激的であった。
脳科学や進化論の視点から、人間の心について考えてみると一体どのような風景が見えるのだろうか。
伊藤の描き出す風景は、確かにSFとしての発想力に富んでいる一方で、決して突飛なアイデアというわけでもない。
哲学的ゾンビの話である。
意識というのはおそらく進化の過程によって獲得された能力なのだろうが、果たして一体全体なぜ意識などというものがあるのだろうか。
また何故意識というものは、まさにいま私たちが感じているような、このような意識なのだろうか。
もちろん意識の機能を説明する試みというのは色々と行われている。しかしそのことで明らかになりつつあるのは、従来思われてきたほどには、意識というものには大した役割がなさそうだということである。意識がこのような意識である必要があったのかも謎である。


それにしても、『虐殺器官』といい『ハーモニー』といい、伊藤計劃セカイ系っぷりは素晴らしい。
世界の破局と「わたし」の破局が重なりあう。
人間の心がいかに簡単にコントロールされるものであるのかということに対する、軽やかな絶望。

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

*1:医療や健康の話にある種のリアリティを感じずにはいられないのは、伊藤が入院生活を送っているからなのだろうか。この《生命主義》の話は、そのような伊藤の個人的事情を越えた普遍的な問題だと思うが、伊藤がこの題材を選んだ「プライベートな」動機のいくらかにはそのような事情が関係しているのだろう