SFマガジン1月号

テッド・チャン特集

「商人と錬金術師の門」

アラビアンナイトの世界を舞台にした、タイムトラベルもの。
過去も未来も改変不可能なんだけど、タイムトラベルすることで、知っている情報が変化することで、主人公の気分は変わる*1
知っている情報が変わることで、同じ事態に対しても見え方が変わるというタイプの話は好み。後味もすっきりしていてよい。

科学と魔法はどう違うか

科学と魔法の違い、SFとファンタジーの違い。
どちらも、ある技能を使うことが出来る特別な人間がいるかどうか、という違い。
科学やSFであれば、どんな人でも同じ技能を使うことが出来る。
魔法やファンタジーでは、ある特定の人にしか使えない技能がある。
「SFとファンタジーの違い 〜テッド・チャンのばあい」(らいたーずのーと)が、より詳しく書いているので参考にどうぞ。
ちなみに、このSFマガジンもらいたーずのーとのSuzuくんに借りて読んだ。

解説

テッド・チャンは(本人の意志としては)職業作家ではないらしい。
すごいなあ。

ハヤカワ・ロボットSFショートショートコンテスト次席入選作

3作のうち、2作が介護・福祉系ロボットを扱ったもの。
1つは盲導犬ロボットで、もう1つは認知症老人に装着させることで徘徊や自傷行為を防ぐロボットスーツ
今後、介護・福祉系ロボットは実社会に参入してくるだろうから、こういうロボットに対する想像力というのは重要になってくると思う。
あと、ジェンダー系ロボットも。
瀬名の『あしたのロボット』(文庫化にあたって『ハル』に改題)とかが、早い時期にそこに注目していたんじゃないかと思うけど。
今後ロボットものは、いわゆる「SF」とはちょっと違うジャンルになるんじゃなかろうか。
さて、残る1作は、そういう意味ではいわゆる「SF」側の作品といえるかもしれない。
ロボット、人工知能、クローン、アイデンティティあたりを扱った感じで、面白かったんだけど、著者紹介をみたら1986年生まれでちょっとびっくりした。ハチロク世代!!

京都SFフェスレポート

円城塔インタビュー「小説の構造も数学の構造も同じで、さらには小説の執筆も力学系としてとらえている」
東浩紀インタビュー「今後は構造的評論に限らない評論も書いていきたいとのこと。イーガンの描く未来社会について論じたいという発言に期待」→読みたい

ゼロ年代の想像力

山岸涼子吉田秋生が、特異点的存在を「所有」することでニヒリズムからの癒しを得ようと試みるも、その暴力性ゆえに「所有」に失敗することで成熟を果たす、という物語を描くのに対して、
よしながふみは、特異点的存在を設定せず、「所有」や癒しを志向せず、関係性に基づく成熟を果たす、という物語を描く。
少女マンガは全く読まないので、ここに挙げられたマンガ家のことは分からないが
関係性に基づく成熟へ、というのには同意。
というか、最近、保坂和志とか吉田修一とか星野智幸とか読んでいて、そう思う。
共同体、公共性というものをどうやって担保するのか、という問題。
その問題に対して、主観とか暴力とか*2といった視点から望むのが、自分にとっての文学なのだろうな、と、今思っている。
ここでいう文学には、小説だけでなく映画やマンガなども含む。また、「自分にとって」と但し書きをつけたように、僕が思う文学。要するに、僕が読んで自分の思考の材料にするような作品群。
整理し直すと
自分は今、哲学と文学の二つの領域について、色々と考えたりなんだりしている。
で、文学の領域では何をテーマにしているのか、というと、繰り返しになるが
共同体、公共性というものをどうやって担保するのか、ということを、主観(私的な視点)から考えること。
その際、「私」と「公」を暴力というものが介在する。「私」は「公」の暴力から自由になろうとするし、一方で「私」の暴力が「公」を不可能にさせることもある。
で、結局のところ、その暴力というのは、死、性、言葉あたりに帰着してくる、ということなんだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20071206/1196930333も参照。

S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

*1:それすらも決定されていることと考えてよいのだけど

*2:あるいはセクシャリティとか