パトナム『理性・真理・歴史』

上の記事が長すぎるので、こちらは短めにいきたい。
後半はかなり流し読みしたところもあるし。


戦後アメリカ哲学の総まとめ的な感もある。
クワイン(実在主義批判)、デヴィッドソン(相対主義批判)、グッドマン(実在主義批判)の考え方が、基本的に継承されているように思う。
パトナムはこの本で二正面作戦をやっている。
客観的実在主義と主観的相対主義の両者を相手取っている。
彼は、事実とは価値依存的であり客観的に知られることはないと考えるが、一方でそのことが即座に相対主義を意味するわけではないと主張する。
事実は価値に依存するが、価値はまた事実に依存する、とでも言えばいいのだろうか*1
何でもあり、というわけではないので、実在論だが、客観的(神の視点的)ではないという点で内在的。あわせて、内在的実在論を展開する。
本人も何度も言及しているけれど、カント的である。
後半では、フーコー批判やアルチュセール批判をしているところも面白い。ただし、ポストモダニズムはインチキだ的な批判ではない。最終的には、フーコーはおかしいって話だけど。


心身問題に関しては、機能主義を批判している。
そこでは、クオリアという言葉を使わずに、逆転クオリアみたいな話をして機能主義批判を展開している*2
クオリア説というのも、機能主義批判として出てきたものだけど、パトナムはどうもクオリア説に対しても批判をぶつけているっぽい。
ホフスタッター的な考え方(システム説)も批判している。
「究極的には人間の判断に依存している」


アメリカ哲学の総まとめ、といえば。
ノージックとは同僚らしい。パトナムは、ノージックの政治哲学*3には反対らしいけど、「ボブ・ノージックは〜」という文がいくつかあって仲良いのかも。
訳者が撮った写真は、哲学学会でのクリプキとのツーショットだった。
相対主義の手前で留まる、というのは、ローティ的かなとも思うんだけど、ローティへの言及は最後にローティへの批判として一回出てくるくらい。
あと、パースへの言及は一つもないんだけど、指示の魔術説否定は、ある意味パースなのかなあと思う。
指示の魔術というのは、シニフィエシニフィアンの二項しかないと考えると、そういう魔術的なものを想定せざるを得ないけど、そこに解釈者という第三項を導入すれば、そんな想定は必要なくなる、という……。
最後の方に、ルース・アンナ・パトナム教授って出てくるけど、奥さんなのか。

理性・真理・歴史―内在的実在論の展開 (叢書・ウニベルシタス)

理性・真理・歴史―内在的実在論の展開 (叢書・ウニベルシタス)

*1:ウェーバーとかが、事実言明と価値言明を分けたけれど、価値言明のような事実言明もあれば、事実言明のような価値言明もあるから、この二つは分けられないとパトナムは言う

*2:私の感じる青と彼の感じる青は同じ青? という話に対して、鬼の首を取ったように「それはクオリア問題というのだよ」という発言が出てくるのがわりといやだ。パトナムによると、ロックも同じような問題を提起していたらしいけど、ロックはクオリアなんて言葉は使ってなかっただろうな。クオリアという言葉を使うにしても、逆転クオリアと呼ばれる、クオリアに関する問題の中でもごく一部の話だし。正直、逆転クオリアクオリアとかあんまり関係ない気がする。上述の「同じ青?」っていう問いは、クオリアについて問うているというよりは、むしろ独我論他我問題について問うていると思う。クオリアを持ってきても、独我論他我問題は必ずしも解決しないから、その問いを「クオリア問題だよ」とかいうのはミスリーディングだと思う

*3:リバタリアニズム