文庫化奴
新潮には、次はマリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』(旦敬介訳) - logical cypher scape2の文庫化もお願いしたい
ガルシア=マルケスは昔、ガルシア=マルケス『予告された殺人の記憶』 - logical cypher scape2、ガルシア=マルケス『エレンディラ』 - logical cypher scape2を読んでるけど、もう内容は忘れてしまった。
どういう感想から書けばいいのか悩む。
池澤夏樹による読み解き支援キットというものが存在するが、それは使わずに読んだ。文庫に収録されている家系図を時々眺めながらでも、普通に読めると思う。池澤夏樹による家系図の方が詳しいので、より助けにはなるが。
ブエンディア家の年代記で、ブエンディア家に生まれる男子は、アルカディオかアウレリャノのどちらかの名前を付けられる。このため、読んでいると誰が誰だか分からなくなる、というのがよく言われるところなのだが、実際に読んでみたらそんなに混乱するものではなかった。
例えば、ホセ・アルカディオ・ブエンディア、ホセ・アルカディオ、アルカディオはそれぞれ別人であるが、ホセ・アルカディオ・ブエンディアについて書かれるときは必ず「ホセ・アルカディオ・ブエンディア」と書かれて、彼のことを指すのに、例えば「ホセ・アルカディオ」と省略されたりするようなことはない。
つまり、ある人に対して呼び方の同一性は維持されている。
例えば、ロシア文学とかで、同じ人なのに呼び方が複数ある、みたいなのに比べると断然読みやすいと個人的には思う。
逆に、同名の人物はいて、ホセ・アルカディオは2人いたりする。
ただし、2人のホセ・アルカディオは世代が離れているため、同時に登場することはほぼない。
同じでないにせよ、似たような名前なんだからややこしい、というのはその通りではある。
でも、ちゃんと識別できるようには書かれているので、その点が極端に難しいとは思わなかった。
ただ、アウレリャノたちについて言うと、アウレリャノと名付けられた人たちはみな、引きこもり期間があったりして、描写が似通っていることがある。これは意図的になされているので、そういうものだと思って楽しむところである。
時系列や語りも、それほど複雑ではない気がする。
よく引き合いに出される、冒頭の文のように、1つの文の中に時制が複雑に組み込まれている文は確かに時々出てくる気はするが、それで混乱するようなこともあまりなかった。
後世に影響をもたらした作品であるがゆえに、その影響を受けた後の時代になってから読むと、まあそこまで衝撃的ではない、という奴かもしれない。
タイトルにある「孤独」だが、作品の後半になるにつれて頻出ワードとなる。
ブエンディア家の人々が、それぞれに孤独を抱えるようになっていく。
マジック・リアリズムということで、不思議なことが色々起きるのだけど、物語全体を通して一番マジカルなのは、ウルスラだろう。
彼女は、ブエンディア家の母だが、かなりの長寿である。120才以上生きている。
まあ、死者も普通に登場してきたりする話なのではあるが、しかし、そういうのは出てきた瞬間に、あれ幽霊だなってわかるけど、ウルスラは「あれ、まだ生きてるけど、すげー長生きだな……うん?いや、長生きすぎでは? 孫とかがすでに老人だが? あれ?」と徐々に不思議な存在と化していく。
あらすじはそれこそガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』読み解き支援キット 池澤夏樹 制作|新潮文庫 | 新潮社を読めばいいという感じもするのだが、まあせっかくだから一応。
しかし、いろいろと省略して書いている。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ夫妻は、いとこ同士で結婚したため、近親相姦で豚のしっぽの生えた子供が産まれてくるのをウルスラが怖れて子供を作ろうとしなかったのだが、そのことで揶揄われたホセ・アルカディオ・ブエンディアは揶揄ってきた相手を殺してしまう。
それで出身地を離れて、別のところで暮らし始める。そうやって新しく拓いた土地がマコンドと呼ばれる町になっていく。
物語は、そのマコンドに訪れたジブシーたちが持ってくる色々と珍しいものに、ホセ・アルカディオ・ブエンディアが惹かれていくところから始まる。
ジプシーの中に錬金術師メルキアデスという人がいて、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは彼に私淑するになる。メルキアデスは、前半でいなくなるけれども、彼の予言が物語の結末へとつながっていく。
息子のホセ・アルカディオ、アウレリャノ、娘のアマランタ、みなしごだったのを養子にしたレベーカの4兄妹
レベーカはもともと土を食べるという癖があったり、謎の不眠症が流行したりする。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアが自動ピアノを買って、その技師としてやってきたフランス人のピエトロ・クレスピに、レベーカとアマランタがともに恋をして三角関係みたいな感じになる。
この三角関係というか、レベーカとアマランタの対立は2人が死ぬまで続くことになる。
当初、ピエトロ・クレスピといい関係だったのはレベーカの方だったのだが、様々な事情で結婚は延期に次ぐ延期となり、2人は別れ、レベーカはホセ・アルカディオと電撃結婚する。のちに、アマランタがピエトロ・クレスピとの関係を育むようになるが、こちらも何故かアマランタから破談している。
政府から派遣されてきた町長の7人娘のうち、最年少のレメディオスに一目ぼれするアウレリャノ。子ども同然の年齢で、お産の際に亡くなってしまう。
アマランタは、レメディオスの死に責任を感じる。アマランタは自分が死を呼び込む体質なのではないかと思うようになる。
保守党と自由党の内戦状態になって、アウレリャノは自由党の軍人となり戦争に行く
以後、アウレリャノ大佐の戦争は続く
アウレリャノ大佐は、時々マコンドに帰ってくるが、軍指導者になっていて、家族とはあまり会おうとしないなどなっている。
戦争が終わって、自由党が保守党と手を組むようになってからも、アウレリャノ大佐は叛乱を続けていて、消息不明になってはまた姿を現わす、ということを繰り返す。
あちこちで子どもを作っており、後に17人、アウレリャノの子ども(みんな名前はアウレリャノ)が登場してくる。
とかなんとかやっているうちに、ホセ・アルカディオの孫にあたる、アウレリャノ・セグンドとホセ・アルカディオ・セグンドのふたごの時代になる。
ホセ・アルカディオとアウレリャノ大佐が、ともにピラル・テルネラという娼婦と関係をもっていたように、この双子もともにペトラ・コテスという娼婦と関係を持っている。
それからこの2人の妹にあたる小町娘のレメディオスは、超美人なんだけど、気ままな性格で、家では裸族同然で、言い寄られても全部ふってる。というか、死に追いやる体質を持っている。そして昇天
アメリカ人がやってきて、バナナ会社ができる。
アウレリャノ・セグンドがフェルナンダと結婚する。彼女は、実家で王女様のように育てられてきた箱入り娘で、ブエンディア家の雰囲気と大分異なるタイプの人なんだけど、ウルスラが老いていくと、フェルナンダが次第に家を牛耳っていくようになる。アウレリャノ・セグンドはペトラ・コテスの方に入り浸るように。
ホセ・アルカディオ・セグンドは、バナナ会社でのストを先導するが、労働者たちは虐殺にあう。列車に詰め込まれた幾百もの死体をホセ・アルカディオ・セグンドは目撃することになるのだが、他の者たちらは、そのことを一切認識していない
ホセ・アルカディオ・セグンド以外は、ストと虐殺を忘却してしまったということらしいのだが、ホセ・アルカディオ・セグンドだけが世界線ズレてしまったかのような感じになっていて、マジック・リアリズムでこれが描きたかったのかな、という感じがした。
その後、マコンドに長い雨が降る。
これは前半にあった、感染する不眠症の話と対になっている感じがある。
この雨がやんだら死ぬ、とウルスラ自身が宣言し、実際、亡くなってしまう。
晩年、老いにより影響力が減衰し、孤独の中へ沈んでいくとはいえ、ブエンディア家を長く取り仕切っていたウルスラが亡くなるのは、物語的にはすごく大きな節目、という感じがした。
この後、アウレリャノ・セグンドとフェルナンダの息子で、神学の勉強のためローマ留学していたホセ・アルカディオと、やはり2人の娘で、アルマンタ・ウルスラがブリュッセルからそれぞれ帰ってくる。
(そういえば、この2人の長女、レナータ・レメディアス(メメ)もクラビコードの学校に行っていて、この2人の子どもたちはみんな、いったんマコンドの外に出されているんだなーと思ったけど、もっといえば彼らだけに限らずブエンディア家の子どもたちは大体みんなマコンドの外に出てるかも。あと、メメのクラビコードは、前半の自動ピアノと対になったものと言えるかもしれない。メメの話では、恋人に必ず蛾がまとわりついてるのが面白かった)
アマランタ・ウルスラは、ブリュッセルからガストンという夫を連れてくる。栄枯盛衰、すっかりボロ家と化してしまった我が家を、アルマンタ・ウルスラは修繕していく。ガストンは、彼女はすぐにまたヨーロッパへ戻るだろうと思ったのだが、アルマンタ・ウルスラはしっかりとマコンドに腰を据える。
で、メメの子であり、アルマンタ・ウルスラにとって甥にあたるアウレリャノと関係をもつ。このアウレリャノは、メルキアデスの残した羊皮紙をひたすら翻訳している。
ホセ・アルカディオ・セグンドが遭遇した虐殺だけでなく、アウレリャノ大佐すら忘却されてしまっている中、アウレリャノだけは、多くのことを把握している。
ウルスラが禁じていた禁止相姦がなされてしまい、豚のしっぽの生えた子どもが産まれてくる。
そして、このブエンディア家の歴史は、既にメルキアデスの羊皮紙に全て書かれていたのだった、ということが判明して終わる。
あらすじを書いても、この作品の特徴みたいなのはなかなか拾えない気はする。
上のあらすじ、あんまりエピソード拾えてないし。
で対になっているものがあるというか、円環的時間を表しているのかもしれないけど、ジプシーが色々な文明の利器を持ってくるのが最初の方にあるけれど、中盤過ぎてからまた近代の技術が入ってくるところがあったり。あと、鉄道ひく計画とか飛行機便作ろうとする話とか
印象に残ったのは、上にも書いたけど、ストの虐殺がなかったことにされるところと
あとは、どちらかといえば後半の、老いによる衰え、孤独の描写だろうか。具体的にどこだったかメモっていなかったので分からなくなってしまったが、なんか読んでいて「うっ」となるところがあった気がする。
『百年の孤独』読み途中だけど、これどうやって映像化すんだろ
ヴィジュアル云々じゃなくて、むしろシリーズ構成的な意味で
https://bsky.app/profile/sakstyle.bsky.social/post/3l6up6tystc2s
読んでいる最中にこんなこと書いたけど、読み終わってみると、まあそこまで大変じゃないかもしれないと思った
いや大変だろうけど
いずれ、『族長の秋』も読むか
しかし個人的にいまのところ、バルガス=リョサの方が好きかもしんない
追記
『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス/鼓直訳 - ウラジーミルの微笑
『百年の孤独』の次はこれだ!文庫で読めるラテンアメリカ文学 - ウラジーミルの微笑
そういえば、読む前(7月)にこの記事を読んでいたのだけど、実際に読んだのが10月だったのでこの記事のことを忘れていた。たまたま再読したので、ここにメモっておく。
①「千日戦争」(wikipedia)と「バナナ虐殺」(wikipedia)について知っておこう
いずれも、コロンビアの史実であり、『百年の孤独』の背景となっている出来事だ。「バナナ虐殺」については、日本語版wikipediaに記事がないため、英語版を機械翻訳でざっと読むか、日本語でグーグル検索することをオススメしたい。
ここにいう千日戦争と、バナナ虐殺とは、いずれもコロンビアに起こった歴史的事実である。
コロンビアの歴史をざっと確認してから本作を読むと、まるで『フォレスト・ガンプ』を観ているように、作中の登場人物が史実の中に入り込んでいるように読めることがわかる。
そうした視点で本作を眺めると、むしろ本作は、現実に非現実的な要素を入れ込んで描いているのではなく、現実に生起した歴史的事象の非現実性を暴露するために、非現実的要素を用いているように見えてくる。
このように、歴史に照らして考えてみると、メルキアデスは我が国でいうところの「黒船」や「ガイアツ」のような、干渉する異国の象徴であるように読めてくる。
そうすると、ブエンディア一族の物語は、干渉する異国によって、異国の言葉によって書かれ、それにより運命を規定された人々の物語として立ち現われてくる。
(...)
本作は余りにもラテンアメリカ性が強調され過ぎている。未開、辺境、低開発、野蛮、性的奔放、神話性、(軍事的)暴力。これではまるで、NinjaとGeishaがSushiとTempraを振舞う小説のようではないか?
そう、恐らくはマルケスの描くラテンアメリカは、戦略的な「ラテンアメリカ」なのだ。作中の過剰なラテンアメリカ的要素は、囮なのである。ラテンアメリカを「そういうもの」と規定する人々に、この作品を読ませるための。
そして物語の最後、自らの「ラテンアメリカ像」を追認され、感動の涙に打ち震える読者に対して、冷や水をぶっかけるのである。これは自分たちの物語ではない、お前たちが作った物語なのだ、と。
即ち、本作のメタフィクション性も、作品それ自体を異化する効果を持っているのだ。
最後の、メルキアデスのくだりは、するっと読み流していたので、この指摘にはっとなった
なお、読者の便宜と自分の備忘のために、冒頭の家系図に出てこない登場人物のうち、再登場時にわかりにくくなる人物について、若干のメモを付す。
これ、有用