ガルシア=マルケス『予告された殺人の記憶』

初めてのマルケス
残念ながら(?)これはマジックリアリズムの作品ではなくて、実際に起きた殺人事件をもとに描かれた小説。
ミステリ、というわけではないが、ある殺人事件が起こるに到るまでの経緯の話なので、ミステリ的な楽しみで読むことができる。
訳者あとがきによると、「文学的仕掛け」とかもあるらしいのだが、そういうことにはあまり気付かなかった。どちらかといえば、「大衆小説」として読んだ*1
そういう意味では、ブンガクブンガクしていないのでさらっと読める作品だけれど、登場人物の名前を覚えるのが大変。サンティアゴ・ナサールとかアンヘラ・ビカリオとかクリスト・ベドヤとか。名前が複雑なだけならまだしも、例えばサンティアゴ・ナサールの父親はイブラヒム・ナサールなのに、母親はプラシダ・リネロといって、どうも夫婦別姓っぽい。田舎が舞台になっているので、家族だの親戚だのも結構出てくるのに、姓名を見ただけでは親子か夫婦がよく分からない。これが面倒くさいといえば面倒くさいところ。まあ半分くらいまで読めば馴れる。


この作品は、事件の30年後に「わたし」が、当時の調書を読んだり関係者に話を聞いたりして、事件前日から当日に何があったかを書いたもの、という体裁になっている。
ここから先はネタバレといえばネタバレになってしまうので、一応注意。
とはいえ、トリックがあったりどんでん返しがあったりするような作品ではないのだけど。
サンティアゴ・ナサールという男が殺されるのだが、その前日にはバヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの結婚式が行われていた。
その日の夜、問題が起きる。つまり、アンヘラ・ビカリオが生娘ではなかったということが分かるのである。
昔の田舎*2というのがつくづく怖いなあと思ったのが、この処女信仰みたいなものが強く残っているところ。
アンヘラ・ビカリオは、そのせいでその晩のうちに離縁させられてしまう。そして、彼女の処女を奪った相手というのが、サンティアゴ・ナサールで、彼女の兄たちによって殺されてしまうのである。
そもそもそんなんで離婚成立するのかよ、と思ったら、その離婚を疑問に思っている人は誰も出てこないのがまずすごい。新婦であるバヤルド・サン・ロマン自身が、アンヘラ・ビカリオの家族の体裁をすごく気にかけながら、申し訳なさそうに、しかし当然であるかのごとく離婚している。
さらに、サンティアゴ・ナサールを殺したアンヘラ・ビカリオの兄たちに対して「弁護人は、名誉を守るための殺人は正当であるという論を展開し、陪審員たちはそれを認めた」というのだがら、さらに驚く。
処女か処女でないかってことで殺人が起こるって、何だかなあと思う。
(やはり訳者あとがきに書いてあったことだが、バヤルド・サン・ロマンはすごく金持ちでアンヘラ・ビカリオはむしろ貧しい家庭だったこととか、サンティアゴ・ナサールがアラブ系移民だったこととか、他の要素も絡んでの事件なわけだけれども)


タイトルがかっこいい。
そして実は、内容もこのタイトル通りなのである。
予告された殺人の記録
アンヘラ・ビカリオの兄たちは、「今から俺たちはサンティアゴ・ナサールを殺しに行くぜ」と町中の人に吹聴し、事件が起きる直前にはほとんどの人がそのことを知っていたのにもかかわらず、何故この事件は起きてしまったのか。
上で書いたように、経済的要因とかアラブ系の問題とかに着目すれば、社会的な作品として読むこともできるけれど、
むしろ、「ビカリオ兄弟は(中略)誰かに犯行を阻んでもらうための努力を、思いつく限り試みた」「だが、その努力は実らなかった」という、いわば偶然と必然のようなものを描いた作品であって、やはりそういう点では「文学的な」雰囲気を漂わせているのだと思う。

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

*1:訳者あとがきによると、「大衆的」だが「大衆小説にはなってしまわない」のがガルシア=マルケスの作品らしい

*2:モデルになった事件はが起きたのは1951年