恐竜の復元骨格は芸術作品だ、ということを主張しようとしている論文
類似の研究がおそらくあまりないので、その点ではよかったが、主張としてうまくいっているかどうかは疑問。
おそらく著者もそのことは分かっていて、芸術作品だ、と言いきるのではなく、芸術の地位を与える候補となりうる、というような言い方をしている。
ただ、やはり本人としては芸術作品だと言いたいらしくて、最後に、もし芸術作品であるならば、彫刻の一種だ、というところまで述べている。
Imagining Dinosaurs | The Journal of Aesthetics and Art Criticism | Oxford Academic
- INTRODUCTION
頭部のないアーケオプテリクスの絵
- IMAGINATION-DEPENDENCE
想像依存について、作者側の想像と鑑賞者側の想像の2つの面がある
- ART'S IMAGINATION-DEPENDENCE
模倣理論における想像、ロマン主義における想像、Gautが論じる創造性と想像
コリングウッド、クローチェ、サルトルの観念論
想像依存は芸術の必要条件
- MOUNTING SKELTONS
化石は完全ではないし、無傷でもない。そして骨の組み立てにはリスクが伴う。
化石を岩石からクリーニングするにも、不足している部分を彫像(?)するにも、想像が必要
ブロントサウルス発見時、頭部化石が未発見だったので、近縁のカマラサウルスをもとに頭骨が作成されたが、のちにブロントサウルスはアパトサウルスであることがわかり、なおかつアパトサウルスとカマラサウルスは近縁ではないという、エピソード
- APPRECIATING MOUNTS
骨格の組み立ては、科学的目的というより、オーディエンスに想像を促すことにある
戦っているポーズで組み立てられる、とか
剥製やジオラマとの違い
ジオラマはより芸術的
剥製は想像しないけど、復元骨格は想像する
- BUT ARE THEY ART?
とはいえ、芸術か?
復元骨格において想像が用いられるとしても、それを最小限に抑えようとするのではないか?
芸術的地位を弱らせるものではない
模倣説にたったとしても、芸術作品は完全な模倣ではない。renderの達成が賞賛される
あるいは、復元骨格では、作り手側の想像と受け手側の想像が結びついていないのではないか
芸術家は受け手にどのような想像をさせるか考えるけど、プレパレーターがやってるのは骨がどうつながるかの推論
しかし、ダイナミックなポーズをとらせるのは、受け手側の想像を促してるのでは。
博物館における科学と教育のバランスの話?
古生物学者は機能形態学でデジタルモデル使ってるわ、という話とか
- WHAT KIND OF ART THEY?
彫刻の3つの特徴を復元骨格ももつ
触覚的である、身体と関係する、空間と関係する
- CONCLUSION
感想
復元骨格が想像に依存した人工物である、というのはそうだろうなと思うし、メイクビリーブのプロップになっているということもおおよそはそうだと思う。
ただ、本論でも述べられている通り、想像依存性は芸術作品の十分条件といえるかどうかは怪しいので、想像依存性を満たすからといって、復元骨格が芸術作品であると言えるかどうかはなお微妙だと思う。
また、本論では想像依存性が芸術作品の必要条件だ、とさらっと述べているけれど、必要条件かどうかも要検討事項の気はする(結局「想像する」とは何か、というところが問題で、それ次第でどうとでもなってしまいそうな気がする)。
あと、芸術作品としての地位を与える候補となりうる、というのはまあいいとして、復元骨格は芸術作品である、ということによって得られるメリットは何か、というのがあんまりよく分からない。
というのは、実際問題、復元骨格は芸術作品としては扱われていないし、まして、彫刻の一種として扱われてはいないし、今後も、そうはならんだろう、と(つまり、現にある実践や現象を説明するための理論ではない)。
一見、科学研究に用いられているように思うけど、実際にはそういうわけでもないんだよ、という指摘までは正しいとして、そこから、だから芸術です、と言えるのかどうか。
娯楽用ないし教育用の何かだろう、ということは言えると思う。そしてそれが、実態に即した話なのではないかと思う。
芸術作品であるという主張は、改訂を求める立場だと思うので、改訂した方がよいというメリットを示すべきなのではないかと思う。