マイケル・トマセロ『ヒトはなぜ協力するのか』

2008年に行われたタナー講義をもとにした、人間の協力傾向をめぐる進化心理学についての本。前半はトマセロの講義、後半はその講義のディスカッションに参加していた他の研究者からのコメント。トマセロの研究がどのようなものかは、一番さいごのスペルキからのコメントがよくまとまっていて、分かりやすかった。
トマセロは、マックス・プランク進化人類学研究所*1で、幼児とかチンパンジーとかでの実験を通して、進化心理学的な研究をしているみたい。
最近、協力がどうして進化したのかという関する本がいくつか出ていて、なんか流行ってんのかなーという感じがしたので、読んでみた。
以前読んだ、スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール』 - logical cypher scape2でも、音楽の起源として、ホミニドの協力行動との関わりが重視されていた。
時々、グライスとかネーゲルとかサールとかの名前も出てきて、この分野では、哲学も参照されてんだなーと思った*2


人間を人間たらしめている要素の基盤になっているのは、協力なのではないか、という本。

序章

トマセロは、人間の特徴として「文化の蓄積」と「制度」をあげ、これの基盤として協力を挙げる。
人間の超協力傾向、つまり利他性とか寛容さとかというのは、生得的なものなのか、それとも文化的(後天的)なものなのか。
生得的な基盤があって、それが後天的に文化によって調整されるというのがトマセロの考え、というか、まあ普通の考えだ。
生得的な基盤があるってことについては、1章で述べられる。


第1章 助けるように生まれてくる

人間は1歳になるころまでには、協力的かつ援助的である。しかし、その後の発達過程において、集団の他のメンバーから影響をうける(文化特異的な規範をみにつける)=「前半スペルキ、後半ディック説」
ちなみに、「うちの子は協力的な段階ををとばしたに違いない」と思う親御さんへ、これはあくまでも、ヒト以外と比較した場合の話であり、また生物である以上、自分の生存についての利己性は基盤にあると簡単な注意がなされている。


協力行動について、3つに分類される。
・援助する
・情報を教える
・分け合う
「援助する」についてはチンパンジーにもみられる。一方、「情報を教える」「分け合う」については、どうも人間にしかみられない行動のようである。
援助行動にかんして、複数の実験から、(1)早期(生後14〜18ヶ月)の出現、(2)うながしが不要であり、報酬によってかえって弱体化する、(3)大型類人猿にもみられる、(4)文化に依存しない、(5)同情心を自然に抱くがあげられ、生得的であろうということが論じられている。
情報を教えることについて。道具の場所などを指差しで教える。チンパンジーは、情報を教えあうという行動が見えない。チンパンジーでの指差しは命令。アラーム・コールも、相手が分かっていようがいまいが声を発する。つまり、伝達の意図をもって行っていない。人間の子供には、伝達の意図、グライスがいう協調原理のようなものがすでに見られる。
わけあうことについて。協力して食べ物をゲットしてそれを分け合う必要のある実験。人間の子供はちゃんとわけあう。チンパンジーは、最初から食べ物が分けられていれば協力してそれをゲットするが、そうでない場合は、競合を見越して協力行動をとらない。チンパンジーは、母子間でも食べ物の分配が積極的には行われていない。


それから、人間はかなり早い段階で規範意識というのを持っている。
最後通牒ゲームという実験をやると、人間は公正さを持っているのが分かるが、チンパンジーは持っていない(アンフェアな申し出でも、自分も報酬を得られるなら受ける。人間はアンフェアな申し出は拒否する)。
子どもは何故規範を受け入れるのか。ピアジェは、権威と互恵性から説明した。これらが重要なのは確かだが、ピアジェのストーリーは正しくないことが分かってきた。
ある実験。子どもに1人遊びのゲームのルールを教える。パペットがやってきてそれとは違うやり方で遊びはじめる。→子どもは「そうやるんじゃないんだよ」と規範的な通告を行う。このゲームは、1人でできるもので、パペットがどうやろうと自分の損得には関わらない。また、大人がこのゲームについて誰かを罰したところを目撃したわけでもない。
「わたしたち」志向性*3を、既に有しているのではないか。

第2章 インタラクションから社会制度へ

協働行為や文化的制度がどのようにして進化したのか。
トマセロは、「相利性」に注目する。スタグ・ハント(2人なら鹿を仕留められるが、1人では兎しか仕留められない)的な状況において進化してきたのではないか、と。
霊長類社会は血縁と縁者びいきとなりきっている(シルクらの研究)が、ヒトはそれをこえて信頼しあっている=「類人猿はシルク・ヒトはスキームズ仮説」
ヒトへの進化プロセスのスタートとゴールを「採食」と「ショッピング」に設定する。
3つのプロセスからなる。
(1)連携と協力
(2)寛容と信頼
(3)規範と制度


(1)連携と協力
連携行動における、ヒトとチンパンジーなどとの違い。
・ゴールを共有しているか否か(「わたしたち」モードになっている)
・ゴールに対して役割分担がなされているのが分かっているか(役割の交換ができる)
・ゴールを共有するために「注意の接続」が行えるか
ヒトの協力的コミュニケーションは、協働行為のなかで進化した
協働で食べ物を集めなくてはならないような何らかの選択圧の下で、進化した。
ちなみに、ヒトの白目が大きいのも、注意の接続を行うためではないか。


(2)寛容と信頼
チンパンジーは食べ物を分配できない。ヒトの子どもは分配できる。
大型類人猿は子育てのほぼ100%を母親が行う。ヒトでは、伝統的社会から現代社会にいたるまで、平均値は50%に近い。
ヒトがこのような社会的寛容性を身につけた仮説はいくつかありうる。


(3)規範と制度
チンパンジーについて、第三者による懲罰は観察されていない。
ヒトの規範は、協調の規範と同調の規範がある。
協調の規範→非難だけでは成り立たない。相互の役割分担への期待から成り立つ。
同調の規範→「わたしたち」のひとりでありたい。模倣。
罪と恥によって固められる
社会制度が成立するにはこれらだけでは不足。表象的コミュニケーション(「今、ここ」にはないものごとについてのコミュニケーション、例えば「ふり遊び」など)が必要。

第3章 生物学と文化が出会うところ

3ページ程度なので省略

フォーラム

ジョーン・B・シルク

トマセロは、利多性よりも相利性を重視したシナリオを提案しているが、疑わしい。
相利性が成立する状況(スタグ・ハント)は自然界では稀
同種同士の相利的な関係は稀で、自然界で成り立っている相利関係はほとんど異種間のもの。
そもそも、相利的な状況においては、パートナーの行動に関心は向くが、パートナーの利益には関心を向ける必要がない→寛容と信頼は生みだされない
互恵的なインタラクション(ヒヒのメスのグルーミングのインタラクション)で、寛容と信頼が生みだされるかも。でも、これは小集団でしか成り立たない。
どうして、ヒトが協力するようになったのかは分からないが、利多性への社会的選好があるからではないか。
利多性への社会的選好がどうして生まれたか。
トマセロは、相利性からということだったが、他のシナリオも考えられる。

キャロル・S・デック

トマセロは、生後1歳前後で利多性が見られることから、これが生得的であるとみなすが、1年の経験によってこうした能力が出現したともいえる。
1年であっても親などからの影響をうけている

ブライアン・スキームズ

トマセロは、ヒト特異な要素として、協力をあげるか。果たしてそうだろうか。
D・ルイスの共通知識は、ルイスやグライスらによって、コミュニケーションの基盤におかれたが、本当か。共通知識を持っていないと思われる動物もコミュニケーションしているようだし、また逆にヒトにも共通知識を持つような能力はなさそうということが行動ゲーム理論の実験によって示されている(共通知識が求めるような高階の信念を持てない*4 )。
共通知識を前提にするのは厳しい、という点でスキームズとトマセロは一致する。せいぜい共通基盤があればよい。で、こうなってくると、そもそもヒトの能力がなくても成立する。他の動物にも十分ありうる。
(ところで、ホタルのメスが、別種のホタルの光のパターンを完全に擬装して、よってきた別種のオスを捕食するって話、はじめて知った)

エリザベス・S・スペルキ

トマセロの研究は、ヒトの特異性に3つのアプローチから迫る。
(1)動物認知研究(霊長類、類人猿との比較)
(2)ヒト発達研究(子どもの認知能力)
(3)言語学および人類学(文化間の比較)
ヒトの特異性について、トマセロ以前の様々なアイデア
→「ヒトは道具を使う動物」「シンボルを使う」「抽象的思考を行う」→どれも違うっぽい。
トマセロ、「志向性の共有」がヒトの特異性
スペルキは、乳児の「コア知識システム」について研究。
子どもの道具使用や数概念の発達において、言語に関する能力が関わっていることが分かっている。
言語能力と、トマセロのいう志向性の共有能力はどのような関わりにあるのか。
トマセロは、言語獲得をインタラクションの産物とみなす。
しかし、インタラクションこそが言語獲得の産物であると考えることもできる。
どちらが正しいかはまだ分からない。


訳者解説とあとがき

協力行動とヒトのこころの起源・進化についての研究史
19世紀初頭:ダーウィン
1920年代以降:当初、ダーウィン進化への反証と考えられていた遺伝学が、フィッシャー、ホールデン、ライトらによって、進化論と融合される。一方、ナチズムなどにみられる優生思想が跋扈し、二次大戦後、ヒトの行動やこころを進化的に論じることへの拒否感が生まれる
1960年代:再びヒトの行動の生物学的研究がなされるが、その前提となったのは、「遺伝メカニズムの解明」「ノイマンやナッシュらによるゲーム理論」、「ローレンツティンバーゲン、フリッシュらの比較行動学」だった
1964年:ハミルトン、包括適応度を提唱
1971年:トリヴァース、互恵性の概念を提唱→90年代以降、進化心理学へと引き継がれる
1973年:メイナード・スミス、進化ゲーム理論提唱
1975年:ウィルソン『社会生物学』出版
1976年:ドーキンス*5利己的な遺伝子』出版
同年:ハンフリー、「社会的知性仮説」発表
1978年:プリマック、ウッドラフ、「こころの理論」提示(チンパンジーの「言語プロジェクト」の推進者、心の哲学からの影響あり)
70年代以降:「赤ちゃん革命」(40年代のファンツにはじまる比較行動学的手法による乳幼児期の行動発達研究の発展)
1988年:ホワイトゥン、バーン編『マキャベリ的知性』
1986年:スペルベル、ウィルソン関連性理論提唱
1998年:ノヴァク、シグムンド、間接互恵性概念提唱


協力はいかに進化したか、と、協力を可能にする能力がいかに進化したかは、別の問いであることに注意


その他、本書以降の研究についてのコメントもついている
また、あとがきとして村上春樹柴田元幸に触れながら翻訳についてのコメントも。
訳語について。Joint attentionは一般的には「共同注意」と訳されるが、エージェント中立的なニュアンスや他の訳語との整合性も含めて、「注意の接続」と訳したとのこと。


ヒトはなぜ協力するのか

ヒトはなぜ協力するのか

*1:なんでプランクなのに進化人類学? と思ったら、マックス・プランク○○研究所というのが78機関あるらしい。マックス・プランク研究所 - Wikipedia

*2:サールの本だと、95年のThe Construction of Social Realtyというのが引用されているんだけど、そういえばサールって言語行為論や心の哲学あたりのは読んだことあるけど、社会科学というかそっちの方面いってからの本読んでないなあと思ったら、そもそも訳されてなかった。

*3:この用語って、もともと哲学発祥じゃなかったとおもググったんだが、よくわからず。SEPがセラーズ云々って書いてあるのだけ見かけた

*4:共通知識を用いた推論は人間には難しいって話は、小島寛之『数学的推論が世界を変える―金融・ゲーム・コンピューター』 - logical cypher scape2にもあった気がする

*5:ティンバーゲンの弟子