「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展

ジュールズ・オリツキー天才かよ!
この展示会のキュレーターも天才!


川村記念美術館で「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展を見てきた。
川村記念美術館自体は、2009年のロスコ展を見て以来の再訪となった。また行きたいなとは常々思っていたのだが、何ぶん遠いので……*1
さて、カラーフィールドだが、戦後アメリカで起きた抽象表現主義から派生した流れだと、とりあえず言うことはできる。まず、抽象表現主義と大きく括られる画家たちの中で、ジャクソン・ポロックなどはアクション・ペインティング、マーク・ロスコなどはカラーフィールド・ペインティングと分類されることが多い。
そう、自分は川村記念美術館には毎回(2回だけだが)、カラーフィールド・ペインティングの画家を見に行っていることになる。
ただし、正確に言うとこの言い方は正しくない。
今回の「カラーフィールド」展は、正確に言うとカラーフィールド・ペインティングの画家を扱った展示会ではない。実際、ロスコやニューマンなどは含まれていない。
クレメント・グリーンバーグによって「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」と呼ばれた作家たちが対象となっている。これは、ロスコやニューマンに続く第2世代のカラーフィールド、あるいはポスト抽象表現主義とされる作家たちである。
この両者の差異については、下記のブログ記事が参考になる*2
「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」 : Living Well Is the Best Revenge


また、図録に収録されているサラ・スタナーズの論考では、「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」は様式ではなく実践だとされている。
実際、一つの様式と捉えるには、異なった画風の画家も含まれている。
ここでスタナーズが実践と呼んでいるのは、彼らの間に交流があったためである。彼らは、同じスタジオで制作をしていたり、一時的であれ共同生活を営んでいたり、同じ大学に出入りしていたりして、互いにかなり積極的な交流があったらしい。
モーリス・ルイスはステイニングという技法が特徴的だが、この技法自体は、ヘレン・フランケンサーラーが考案したもので、ルイスはフランケンサーラーのスタジオに訪れてこの技法を知ったという。また、これは余談だが、フランケンサーラーは当時、グリーンバーグの恋人だったらしい。
先述の通り、グリーンバーグは「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」という呼び方の命名者であり、例えば、カナダ人であるジャック・ブッシュが入っているのも、ブッシュとグリーンバーグの間で交流があったかららしい。
カナダ人がいるのがやや珍しい感じがするが、この企画展自体、カナダ人夫妻のコレクションによるものである。


さて、この「カラーフィールド」ないし「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」の画家たちというのは、日本では、比較的マイナーな作家たちだろう。
無論、現代美術に関心がある人であれば、知っている名前を見つけられるだろうが、日本ではほとんど作品を見ることができない作家も含まれている。
この記事の冒頭で「ジュールズ・オリツキー天才かよ」と書いたが、オリツキーもまた、誰しもが知っている有名な画家とは言えないだろう。
実は自分は、Michael Newall ”Abstraction” - logical cypher scape2で言及されていたのを読んでいたので、名前(と、googleの画像検索結果)だけは知っていた。そのときは、気になりつつも「こんな画家もいるのかー」程度の認識だった。
ただ、上記のブログ記事などもあり、オリツキーへの興味は高まっていた。
今回、オリツキー作品が展示されている一角へと足を踏み入れた際、思わず息を呑んだ。
以前、ロスコ展で、シーグラム壁画を見たときとも似た感覚だったようにも思う。
その巨大さも相まって一気に作品へと引き込まれるし、スプレーガンを用いた独特の技法は、あまり他に類を見ない視覚経験をもたらしてくれる。
美術館の公式twitterによれば、来場者の人気も高いようだし、オリツキーがこれまであまり日本では紹介されていなかった(ように思う)のが不思議に思える。


オリツキーについて、詳しくは後述する。


また、同じく冒頭で「この展示会のキュレーターも天才!」とも書いたが、これについては、もちろんこの企画展についてもそうなのだが、常設展もこれにあわせた配置になっていて、これがまたよかったという話で、やはり後述したい。


ところで、美術館の企画展は必ず、出展作品一覧の紙が置いてあるが、本展の場合、各作品のカラー写真付きであった。
普段、この一覧に印象に残った絵は、どういう絵だったか備忘メモを残しているのだが、それを省略できた!
なお、その代わりなのか、作品タイトルなどのキャプションは展示室の壁などには貼っておらず、この一覧を参照して確認する必要があった。


ジャック・ブッシュ

作家ごとの展示になっているので、以下、作家ごとに簡単な感想など。
最初の展示室にはいると、一番広い部屋になっており、ブッシュ、ノーランド、ステラおよびカロが一つの部屋に展示されている。
ブッシュはカナダ人の画家で、60年代の作品から4点がきている。
抽象絵画といえば抽象絵画だが、わりと元のモチーフが分かるような絵になっている。

ケネス・ノーランド

まず、ノーランドといえば同心円の奴だが、まさにその作品として、「あれ」(1958-59)がある。
一番外周がもやもやっとした感じになっているのが特徴。タイトルも含めて、わりと好き
また、同じく同心円の奴として、「春の涼しさ」(1962)という作品も並んでいる。
他にキャンパスを45度傾けた作品である「馬車」(1964)や、キャンパスを切り取って多角形に変形させたシェイプド・キャンバスの作品である「向ける」(1976)などがある。

フランク・ステラ

1959年から1966年までの作品5点が展示されている。
ステラは、川村美術館も所蔵しており、以前見たことある作品も含まれていた。
黒地の作品から、シェイプド・キャンバスの作品まで

アンソニー・カロ

イギリスの彫刻家
1965年から1968年の作品4点。企画展の入口と、2つの展示室にそれぞれ作品が展示されていた。
それぞれ、一つの色で塗った抽象彫刻(例えば入口に置いてあったのは赤一色だったり)。

ヘレン・フランケンサーラー

2つめの展示室へ入ると、フランケンサーラーの作品が3点、ルイスの作品が4点、カロの作品が1点それぞれ展示されている。
この中では特にフランケンサーラーの作品がよかった。
ステイニングという、絵の具を画布に染みこませる技法を用いている。

  • シグナル(1969)

青色の棒状のものが画面中央をしめ、画面上部の色の面と重なっている。
2つのレイヤーが、互いに透けて重なっているので、どちらが上になっているか分からない感じが、面白かった。

ステインングも用いているのだが、線も描き込まれている。
いかにもステイニング的な淡い色調もある一方で、絵の具の物質感を感じさせるようなベタっとした箇所もある(そこもステイニングによるものなのだが)
「シグナル」が垂直的だったのに対して、水平方向の構図の作品だが、複数の質感が混在しているかのような画面で、じっくり眺めたくなる。
3作品の中では一番よかった。

  • ドライビング・イースト(2002)

2002年とかなり新しい作品で、まるで夜中の海岸を描いたかのような、画面が水平方向に黒く塗られた作品である。
個人的には思わずグッとくるタイプの作品なのだが、今回はそこまででもなかった。他の作品と比較してサイズが小さかったり、色あい的にも地味だったりするためかもしれない。また、2002年という制作年も評価が難しい。

モーリス・ルイス

  • ギメル(1958年)

これは、美術館蔵で以前も見たことがあった。
垂直軸がいくつもある作品で、今回のルイス作品の中では一番好き

  • 「無題(イタリアン・ヴェール)」「秋の終わり」(いずれも1960)

色のレイヤーが幾重にも重ねられている感じの作品
色をどう描くか、という観点でいうと面白いかもしれない。

リーデル・ズーバス

70年代から80年代にかけての作品が4点

  • 「開拓」(1972)「フェーン」(1974)

いずれも横長の作品で、アクリル絵の具により、色が力強く塗られている
いくつもの色の長方形が横にたなびくように描かれており、動きを感じさせるものになっているし、タイトルもそのことを意識させるようなものになっている。
タイトルに関していうと、アメリカとの関連が気になる(ここに挙げていないもう一つの作品はアメリカの地名がタイトルになっていたりする)。
やはり大きくて迫力があるし、とにかく色の長方形が走っているような感じが印象的
それぞれの長方形は、一方の辺は非常にくっきりとした輪郭なのだが、もう一方の辺などは曖昧な輪郭となっていて、そのあたりにカラーフィールド感(?)がある。

  • 捕らわれたフェニックス(1982)

本展のポスターなどに使われている作品
比較的普通の長方形のキャンバスに描かれており、「開拓」や「フェーン」にあったような動きのある構図ではないが、しかしそれらの絵にあった要素もありつつ、よりまとまっている感じもありつつ、ポスターに使われるのも納得の作品

ラリー・プーンズ

  • 大いなる紫(1972)

プーンズは、絵の具をキャンバスに垂らして描く作品が複数展示されており、「大いなる紫」はその内の一つ。
キャンバス表面に置かれた絵の具の質感は、手法としては異なるものの、ジャクソン・ポロックと似ているところがある。つまり、細い線が何本も重なりつつ、それらの線がキャンバス上に盛り上がって絵の具の物質感を強調しているところ。
一方、絵の具を垂らして制作しているので、ポロックと違い筆の動きはそこにはない。
まるで雨垂れのように縦の線が何本も何本も連なっている。
ある種の偶然性によって作られてはいるが、構図もはっきりとあって、この「大いなる紫」の場合、斜め横方向に色が切り替わっていく形で構図が作られている。
タイトルが「大いなる紫」ではあるが、紫よりも画面下部の黄色・オレンジの方が印象に残った(言われてみれば、確かに画面の中で紫の占める範囲が一番大きいのだが)

  • 「クララへ、ロベルトより」「アクセサリー夫人」「朝は午後の陽のなかに」(いずれも1976)

これは、より黒っぽい絵の具で制作されているもので、それぞれ非常によく似ている
それも当然で、絵の具を垂らしたキャンバスを3つに切り分けて、それぞれ別の作品としたものであるらしい。
しかし、全く同じキャンバスから作られ、互いに非常によく似ていたら、タイトルがそれぞれ全く異なるというのも面白い。
いずれも非常に縦長の作品で、「クララへ、ロベルトより」は最も幅が細く、「アクセサリー夫人」と「朝は午後の陽のなかに」が同じくらいの大きさか。
よく似ているにもかかわらず、個人的には「アクセサリー夫人」がもっともよかった気がする。黒だけでなく上部に赤っぽい色も置かれていて、画面に変化があるからかもしれない。
何をもって、それぞれ、これで一つの作品だ、ということを確定していったのかが気になる作品群だった。確かに「アクセサリー夫人」には、なるほどこれで一つの作品だな、という説得力があるように思えるのだが。

  • レグルス(1985)

さらに絵の具の物質性を強調するようになっていく。でこぼこした壁面のような作品。

ジュールズ・オリツキー

オリツキーについては、60年代から80年代まで10点の作品が展示されているが、これらがさらに60年代の5点、70年代の2点、80年代の3点に分けられ、年代ごとに手法が異なっている。
手法を次々と変えていくところに、オリツキーの特色があるようだ。
「オリツキー天才!」と書いたが、その理由の一つにはこの手法の変遷もある。60年代のスプレーガンは明らかに一つの到達点だと思うが、80年代には全く別の手法で別の到達点に達しているように感じられた。

  • 広がりのある夢(1965)

スプレーガンによる作品のうちの一つ
オリツキー自身は、霧状の色を定着させたいといい、先述したニューオルは、透明なものを描いていると論じている。
実際のところ、どのように表現すればいいのかなかなか捉えがたい作品群でもある。
リヒター作品にはよく写真のボケの表現があるが、そうした「ボケ」だけをさらに極大に拡大したような感じがある。
描写の哲学では、描写を奥行きのある視覚経験で特徴付けることがあり、例えば、抽象絵画においても、青い長方形の上に赤い長方形が重なっているように見える場合、この重なりをもって、描写になっていると論ずることがある。
ニューオルによるオリツキー論もその方向で、透けているものを通して見る、というところに奥行き感が生じていることを指摘していたのではなかったかと思う。
しかし、実際見てみると、オリツキーのスプレーガン作品に、そのような奥行きが感じられるかというと難しいところがある(それぞれの色のレイヤー間の関係を捉えるのが難しいという意味。例えば、青の“上に”赤があるとは言いがたい感じ)。とはいえ、全くフラットな感じなのかというとそうでもない。画面の向こう側への広がりがあるように感じられるところもある。
先ほど「ボケ」と書いたが、ピントのあわない感じが独特の視覚経験を生じさせているように思う。
ところで、この「広がりのある夢」に関していうと、左側に赤色が縦方向に配置されており、フレームを感じさせるところがある。

  • 高み(1966)

オリツキーで画像検索すると最初に出てくる作品(だと思う)。
主に青系の色で描かれている、単一の色ではなくもやもやとしている。霧状の色、というのは確かにその通りという感じである。
とにかくでかい。カラーフィールドの作品もどれも大きいが、今回展示されている作品の中で一番大きいのではないか。
とにかくこの大きさが没入感をうむ。
また、あまり目立たないが、キャンパスの4辺は、スプレーガンではなくくっきりと色が塗られており、明確なフレームがあるように思えた。

こちらは白系である。
見ていて「美だな」と思った。絵を見てこういう感想を抱くのは自分としては珍しい。
例えば、ロスコは圧倒されるが、必ずしも美しいとは感じない。
ここでオリツキーを美しいと感じたのは、ロスコと比較するならば、近寄りやすさ・受け入れやすさみたいなもののためかもしれない。よりポップというか。もっとも、それは単に暗い色で描かれるロスコに対して、明るい色で描くオリツキーということに由来しているかもしれない。
ところで、オリツキーもロシア(現ウクライナ)からの移民である。とはいえ、1才の頃にアメリカに来たようなので、ロシアの記憶はおそらくないだろうが、この絵のタイトルが「イルクーツク」なのはどのような由来によるのかは少し気になるところである。
ところで、この作品にはフレームのようなものは見られない。

  • 「ナタリー タイプ-3」(1976)「私たちの火」(1977)

この2点は、急に雰囲気が異なり、絵の具の物質性が出ていたり、明確な線が描かれていたりする。
正直、あのスプレーガン絵画のあとに、これを描いたのか、なんで? という感じはする

80年代に入ると、さらに「絵の具の物質感!」という感じの絵になる。
キャプションでは、色への追求が光へと至った、というようなことが書いてあって、それが補助線となった。
絵の具といっても新素材の絵の具を使用したもので、筆触によって生じる凹凸に光が反射した光沢がある。特にこの「アントニークレオパトラ」でそれは顕著である。
物質性の強調があるにしても、筆触よりも光沢に着目したそれになっている。
これまた個人的な、感覚的な物言いだけど、絵画よりも彫刻っぽいなと思った。
たぶん、このアクリル絵の具の生む光沢が、金属っぽい光沢だから、そう感じたのかなと思うけど。
ただ、あとで知ったけれど、オリツキーは絵画だけでなく彫刻も手がけているらしい。


とりわけ20世紀以降の美術というのは、「絵画とは何か」ということをそれぞれの画家がそれぞれに追求した試みともいえるはずで、抽象絵画というのは、そのエッジにあると思うので、個人的に興味があるのだと思う。
で、絵画とは何かということに答えるのは難しいけれど、個人的には、やはり二面性経験は基準の一つだと思う。その上で、抽象絵画で二面性経験が生じるのかというのは難しいところなのだけど、それでも自分は抽象絵画を見て、これはやはり絵画だな、と感じる瞬間が楽しかったりする。
また一方で、絵画とは何なのか、絵画になるかどうかの境界を攻めていって、結果として、その境界を超えてしまって、絵画ではなくなってしまった作品というのもあると思う。
個人的には、ステラは、シェイプド・キャンバスあたりから絵画ではなくなってしまったように思える。ステラは、絵画だと思っていたのかもしれないけれど。とはいえ、ステラはその後、立体作品を作るようになるわけで、やはりどこかで絵画ではなくなる線を越えたと思う。
それに比べれば、オリツキーの80年代の作品は、全然絵画側にいるようにも見えるが、そっとその一線を越えた作品のような気がする。
絵画のふりをしてもはや絵画ではない作品を作ってみせたのではないか、というのは、本当に何の根拠もない、ただの思いつきレベルの感想でしかないのだが、こうしたこともひっくるめて一言でまとめると「オリツキー天才かよ!」ということになる。
(ところで、ポロックやプーンズの作品には二面性経験はあまり生じないように思うものの、直観的には「絵画だな」と思わせるところがある。しかし、それが何かはよく分からない)

常設

企画展にあわせて、常設展は、色をテーマにした展示構成になっていた。
美術展について、個人的には、テーマ別の展示よりは経時的な展示の方が好みなのだが、今回の展示については、このテーマ別の構成がすごくフィットした。

緑/青

まず、最初の部屋は緑と青がテーマになっていて、
エルンストが2点、ルノワール、モネ、ポロック中西寛之、アルバース
ローランサン、キスリング、コーネルが2点、フランシス、リキテンスタインが2点、クラインの各作品が展示されていた。
モネの睡蓮は以前来たときも同じ位置に展示されていたので、通常時の展示をベースに、少しアレンジしているという感じなのかもしれない。
個人的にはエルンストの「石化せる森」がよかった。「緑……確かに緑だ!」っていう背景と、赤い円のコントラストが。
あと、リキテンスタインって、今まであまりピンときたことがなかったけど、「なるほど、確かに青だなー」と思いながら青の使い方を見てると、いい絵なのかもなーと思ったりした
コーネルは、以前見たときは、一つの部屋にまとめられていたのだけど、今回、他の画家の作品と隣り合った状態で見るというのも、面白いといえば面白かった。
あとは、キスリングの人物画もよかったような気がする。

赤/黒

緑/青の部屋の次は、レンブラント専用室で今回もそのまま。
で、その次の部屋に行くと、ばんっとシャガールの「ダヴィデ王の夢」とか置いてあって、よい。
さらに次の部屋では、マグリットマティス、ヴォルス、マレーヴィチ、山口長男
山口勝弘などが置いてあり、部屋の真ん中にカルダーが2点。それぞれ「黒い葉、赤い枝」「Tの木」という作品名で、カルダー作品って植物モチーフなのかと今更ながら気付く。
山口勝弘は、ガラスなどで作れらた少し立体的な作品

まず、デイヴィッド・スミスの「ヴォルトリ-ボルトン IV」という小さな彫刻。灰色っぽくはないのだけど、灰の部屋に置いてある。
続いて、ピカソ、マルグリット、ステラ、ジョーンズの作品が並んでいる。
これら、灰色という以外に共通点はあまりないが、キュビスムシュールレアリスム→カラーフィールド→ポップと、20世紀美術の歴史が端的にまとまっていていい。
ジョーンズ作品は鉛製で、一見、灰色の平面に見えるのだが、よく見るとアメリカ国旗になっているのが分かる。
他に、マン・レイやティンゲリの彫刻作品など

金/黄

再びコーネルの作品があり、レジェがある。レジェ作品について、あまり色に着目して見たことがなかった。黄色ないしオレンジで背景が塗られている作品だった。それほど広くない部屋に、黄色、金色、オレンジ色系統の作品が並んでいて、否応なしに色へと目が向く。
ブランクーシがあり、ノイマンの「無題」という作品がこの部屋の中では一番大きな作品。
リキテンスタインの「積み藁」とピサロ「麦藁を積んだ荷馬車、モンフーコー」が並んでおいてあって、なるほど、藁の黄色かーとなる。
山口長男はそのものずばり「黄」というタイトルだが、黄土色っぽいなあという印象

白/透明

2階にあがると、かつて「アンナの光」が展示されていた部屋が「白/透明」というテーマで4作品ほど展示していた。

ロスコルーム

1階最後の展示室は、ロスコ専用室でシーグラム壁画が展示されている。
何度見てもロスコにはやはり心惹かれるが、今回は、オリツキーなどカラーフィールド作家との比較という観点から鑑賞した。
先ほど紹介したブログから、やや長くなるが引用してみたい。

そしてかかる視覚は抽象表現主義がとりわけその形成期に神話や元型、無意識や崇高といった人の力を超えた超越性を主題化したこととの関係において論じられてきた。ロスコでもニューマンでもよい、彼らの色面は一種の不明確さ、晦渋さを湛えているように感じられないだろうか。これに対して「カラーフィールド」の作家たちの色面は視覚的に徹底的に明瞭であって精神性とは無関係である。カラーフィールド・ペインティングとグリーンバーグがその後継者とみなした作家たちとの懸隔は深く思考されるべきである。逆にかくも臆面なき視覚性、明瞭性こそが「カラーフィールド」の特性と考えられないだろうか。

これらの絵画はステイニングやスプレーといったいわば機械的な手法で制作されており、確かに苦悩や超越性といった主題性とは無縁である。それにもかかわらず絵画がこれほどの力を帯びうることに私は感銘を受けたのだ。オリツキーやズーバスの作品を私は初めて見たが、私はそれらを傑作と呼ぶに躊躇しない。

今回の展示から私が学んだ教え、そして今後考えるべき課題は(やや誤解されやすいタイトルが付されているとはいえ)いわゆるカラーフィールド・ペインティング、ロスコやニューマン、スティルら抽象表現主義の第一世代の画家たちと、ここに展示されたポスト・ペインタリー抽象、ルイスやノーランド、オリツキーら後続する世代の画家たちの作品の間の微妙で決定的な相違と関わっている。ペインタリーな抽象絵画という点においてともすれば等し並に扱われてきた彼らの絵画は本質において大きく異なるのではないか。そしてそれを検証する場所としてこの美術館ほど適切な場所はない。なぜなら私たちはこの展覧会を見た後、ロスコ・ルームに足を運ぶことができる
「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」 : Living Well Is the Best Revenge


展示会場には、画家の言葉がいくつか引用されていたりするが、カラーフィールドの画家たちは色をどう描こうとしていたかという言葉が選ばれている。とりわけ、オリツキーなどは、霧状の色を描きたいということを述べていたりする。
一方で、ロスコの場合、私は感情を描いているのだという言葉が引かれていたと思う。
オリツキーにとっては、色そのものが描きたい対象だったのだろうが、ロスコの場合、色を描きたいわけではなく、ある色を通して何かを描こうとしていたのだろう。
実際、ロスコ作品を前にした時、それは実感される。オリツキーやズーバスやステラは色を描こうとしているが、ロスコは色を描こうとしているわけではなさそうだ。
最近、圀府寺司『ユダヤ人と近代美術』 - logical cypher scape2を読んだこともあり(あるいはこの本に限らずロスコについては同様のことが言われているだろうが)、見ているとどこか宗教的な何かを感じさせる*3。いや、信仰を持ち合わせていない自分にとって、ロスコが描こうとしていた宗教的な何かなどほとんど理解できていないだろうが、あの独特の矩形は、単なる矩形以上の何かを象徴しているように思える。
一方、オリツキーの霧状の色は、どこまでも美しい(霧状の)色なのであって、何かの象徴とはなっていないように思える。
もっともこれは、展示室のおりなす雰囲気も影響しているかもしれない。
明るく開放的な部屋に展示されていたオリツキーと、暗くどちらを見ても絵が目に入ってくるように展示されていたロスコ。
とはいえ、確かに一見似ているかもしれないが、この両者には違いがあるのだろう。
もっとも自分はどちらも好きで、ロスコに引き続き、オリツキーも自分にとって特別な画家の一人となった。

追記

図録に、加治屋健司による論考「カラーフィールド絵画における非コンポジション」が掲載されている。
また、加治屋にはほかに、
モダニズム美術のパフォーマンス-広島市立大学機関リポジトリ
カラーフィールド絵画とインテリア・デザイン-広島市立大学機関リポジトリ
という、カラーフィールド絵画について論じた論文がある。
モダニズム絵画におけるパフォーマンス」は、一部「カラーフィールド絵画における非コンポジション」と重なる部分もある。
カラーフィールド絵画というと、モダニズム絵画の中に位置づけられ、いわば絵画の純粋性をつきつめたようなジャンルとみなされ、それが故に評価され、それが故に急速に忘れ去れらたが、しかし、実はそうではない側面もあったのではないか、というのが上記3論文に共通する
加治屋の目論見ではないかと思われる。
コンポジションについては、そもそも自分がコンポジションをよくわかっていないところもあって、つかみかねているところがあるが
「パフォーマンス」については、フランケンサーラーのポロックからの影響についてのエピソードから始まっている
「カラーフィールド絵画とインテリア・デザイン」はちょっと面白くて、グリーンバーグが自宅にカラーフィールド絵画を飾っていて、美術館で鑑賞する芸術作品としてではなく、まさにインテリアとしても使用可能なカラーフィールド絵画というものを取り上げている。
いやいや、あんなの部屋に飾れるかよとも思うのだが、グリーンバーグ宅の写真もあって面白い。

*1:まあ、いうて東京駅からバスに乗って100分なのだが

*2:なお、自分はこの記事を見て、この企画展に行くことにした

*3:ところで、これらの作品はもともとレストラン用に依頼されていた作品ではあるのだが

磯崎憲一郎『鳥獣戯画/我が人生最悪の時』

長編「鳥獣戯画」、短編「我が人生最悪の時」、乗代雄介による解説、年譜を収録した文庫
(なお、磯崎のサキの字は、本当は立サキ)
磯崎作品は何故かよく分からないが好きでよく読んでいるが、長編を読むのは7年ぶりだった。まあそんなことは気にせずに読んだけれども。
どちらも私小説的な作品で、どこまで実話かはともかく、作家の磯崎憲一郎が一応語り手となっている。
磯崎作品について、あまり私小説というイメージはなかったのだけれど(「肝心の子供」とか「赤の他人の瓜二つ」とか「電車道」とか歴史ベースのイメージがある)、しかし、「眼と太陽」とか「世紀の発見」とかは、磯崎自身のエピソードも実は織り込まれたりしていて、そういう作品がないわけでもない。
しかし、私小説的とはいえ、「鳥獣戯画」は半分くらい明恵上人の話なので、やはり歴史ベースのところもある。

鳥獣戯画

もとは、2016年2月から2017年8月にかけての『群像』連載

凡庸さは金になる
美人
犬の血液型
逃避行
伴侶
明恵上人
型のようなもの
護符
文覚
妨害
承久の乱
入滅
携帯電話
警官
卒業式
達成なのか? 停滞なのか?
暗黒大陸じゃがたら
佐渡

サラリーマン人生を終えた日に「私」は、高校の同級生だった女性と喫茶店で待ち合わせていたのだが、そこに現れたのは、若い女優だった、というところから始まる。
「私」は、サラリーマン時代の仕事がきっかけで、とある建築家との交友関係があり、テレビで対談番組をもったりもしていた(ところで、あとで年譜を見ると、磯崎憲一郎本人の場合、これに当てはまるのは横尾忠則? 羽生善治?)
で、私と女優は一緒に旅行に行ったりもするのだが、話は、作家と女優のスキャンダルという方向には行かず、女優の半生を辿る方向へといく。ここで、語り手の視点が作家から女優へと切り替わっていくあたりは、磯崎作品によくある奴。
と思っていたら、次は、明恵上人の話へと切り替わる。
作家と女優は、鳥獣戯画を所蔵することで有名な高山寺を訪れるのだが、この高山寺の開祖が明恵上人なのである。
この明恵上人パートが結構長くて、上の目次でいうと「明恵上人」から「入滅」までがそれにあたる。途中で、師である文覚についてあてている章もあるが、とにかく明恵の伝記みたくなっている。
明恵というのは、寺に入るのだけど、そこにいる僧侶がみな俗物ばかりであることに絶望して、なんとかして学究の道を進もうとするのだけど、なかなかうまくいかない。という展開が繰り返される。
1人で山ごもりしようとするけど、生きていくにはどうしても人里との交流が必要だったり、弟子とともに天竺行きを画策するのだけどこれも挫かれてしまったり、晩年に開くことになった寺はある時期から貴族たちに人気がでたりとか。
で、明恵の話が終わると、話はまた作家へと戻ってくるのだが、自分の娘が産まれた20年ほど前の話となり、次いで、娘の名前が実は高校時代の彼女と同じ名前なのだけど、と
高校時代へと話が遡る。
高校時代パートは青春小説として普通に面白い。
80年代の都立上野高校でバンドをしていた「私」は、同じバンドのドラムスが片思いしていた相手と、3年生の時につきあい始める。当然その友人とは関係が悪くなったりする。
また、2人とも受験には失敗して浪人になるのだが、浪人生の時期に恋愛としては安定期になる。友人たちとの合宿。東京藝大の学祭でじゃがたらのライブを見る話。大学入学後、しばらくして別れることになる。
飼い犬が死んだときのエピソードがあるのだが、この飼い犬の話は 「世紀の発見」にも使われている(母親が飼っていた犬で、一度いなくなったのだがまた戻ってきたという話)
乗代の解説によると、「私」や明恵というのは、凡庸さを逃れようとしているが、しかし凡庸になってしまうような人物として書かれている、と


我が人生最悪の時

これは以前も読んだことがあるが、大学時代の話で、まあ「鳥獣戯画」の続きのように読めなくもない。
バレリーナの女性と付き合っていたのだが、別れたあとに、競艇部の先輩とつきあい始めて結婚することになったという話。
そのことに納得いかず、彼女を最寄り駅で待ち伏せて話そうとするくだりがあり、この時の経験が後に小説を書くのに役に立ったとあるのだが、「眼と子供」に確かに同様のシーンがある(彼女の職業が違うが、主人公の心情などはほぼ同じように書かれている)。

年譜

磯崎憲一郎自作の年譜がついているのが面白い

「パレオアート小史」(Mark Witton”The Palaeoartist's Handbook”1章) 

最近、パレオアート(古生物復元画)について少しずつ本を読んだりしており、今回は、パレオアートの歴史について読んだ。
”All Yesterdays: Unique and Speculative Views of Dinosaurs and Other Prehistoric Animals” - logical cypher scape2
Mark P Witton "Patterns in Palaeontology: Palaeoart – fossil fantasies or recreating lost reality?" - logical cypher scape2

本書(The Palaeoartist's Handbook)は、タイトルの通り、パレオアートを描く人のためのハンドブックであるが、第1章がA brief history of palaeoartとなっている。
なお、Paleoart - Wikipediaにもパレオアートの歴史が書かれているが、この本をかなり参考にしているのではないかと思われる。


なお、パレオパートという語だが、1987年にマーク・ハレットの論文でつくられた造語らしい。
あと、スペルについて、アメリカ英語だとpaleontologyで、イギリス英語だとpalaeontologyらしい

パレオアートに関する参考文献

Rudwick(1992) “Scenes from Deep Time”*1
Lescaze(2017) “Paleoart: Visions of the prehistoric Past”
Lanzendorf(2000) “Dinosaur Imagery”
White(2012,2017) “Dinosaur Art” “Dinosaur Art2”

Paleoart before palaeontology

プロトケラトプスがグリフォンに、マンモスがサイクロプスになったという話があるが、これはまあちょっと怪しげな話の部類らしい。
コリント人の壺にも、古生物らしき絵が描かれているとかなんとか
16世紀ヨーロッパで、化石から神話の動物を復元する試み
1590年、オーストリアLindwurmというドラゴンの彫像があり、これも化石を参照している
アタナシウス・キルヒャー『地下世界』(1678)
18世紀ケサイとマンモスからユニコーン

1800-1890: The foundation of modern palaeoartistry

空飛ぶ哺乳類として描かれている
最も古いパレオアート。出版はされておらず、キュビエに送られた

  • 1805年 Boltunovによるマンモスの復元
  • 1800年代 キュビエによる哺乳類の復元図

出版したのは骨格図で、筋肉や軟組織も含めた復元図は私的なもの
1820年代になって出版されるが、扱いは小さい。初期の学者のパレオアートに対する羞恥?

初めての総合的な復元画(見た目、行動、古環境)
多くの複製が作られる
”Jura Formation”が、パレオアートのポテンシャルを広める

ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンズとリチャード・オーウェン(どれくらい協働していたかははっきりしていないが)
ホーキンズのモデルは、化石生物を生きていたサイズで再現する初の試み
水晶宮は、今日につながるパレオアートの商業化

  • 19世紀後半 Edourar Riou

1863年に出された、Louis Figuierの”La Terre Avant le Deluge”は、パレオアートのシークエンスで通時的に古生物を描いた初の本で、この本のイラストを手がけたのが、Riou
Riouは、ベルヌ作品への挿絵でも知られる
当時すでに時代遅れの復元もあったが、多くの象徴的な主題(水しぶきをあげるイクチオサウルスや闘う恐竜など)を持っていた。

The Classic Era: 1890-1970

  • チャールズ・ナイト

19世紀末、パレオアートを発展させた成果として、本書はアメリカ西部での恐竜化石の大量の発見などと並んで、チャールズ・ナイトの存在を挙げる
ナイトは、アメリカ中の動物園や博物館に作品を作り、1935年からは本も出している。
復元プロセスについて広範に書いた初めてのパレオアーティスト
影響力は非常に大きい。
例えば、1925年の「ロスト・ワールド」や1933年の「キングコング」だけでなく、1960年代のハリーハウゼン作品にも影響を与えている。
ナイトは、動物解剖学への理解があり、復元プロセスについての彼の記述は今日のもとも遜色がない(ただし、爬虫類のものについては奇妙なものもある。これは、専門家によってそうさせられた? 恐竜の絵についてのコメントは残されていない)

  • ナイト以外
    • ジョセフ・スミット

1890年代のイギリス。地学や先史時代の動物についてのポピュラーサイエンス本

    • ハリー・シーリー

1901年に翼竜についての初のポピュラーサイエンス本

    • Gerhard Heilman

1926年『鳥の起源』で、恐竜を、水平な背中、持ち上げたしっぽ、アクティブなふるまいで描いた

    • Heinrich Harder

1913年にベルリン水族館に巨大なパレオアート壁画

    • Rudolph Zallinger

1947年『爬虫類の時代』

  • Zdenek Burian

チェコの画家で、ヨーロッパにおけるナイトのカウンターパート
もともと、フィクション作品への挿絵からキャリアを始める。
1940~60年代の出版されていた本で知られている
解剖学への把握に秀でていて、ある面ではナイトを超えているところもある
ナイトが、博物館のコレクションを通じて制作していたのに対して、ブリアンは、化石へのアクセスに乏しく出版物の記述やイラストに基づていたにも関わらず。
ブリアンも後世への影響が大きいが、その割に知られておらず、コレクションや再出版といった試みが少ない

The Reformation: 1970-2010

恐竜ルネサンス
絵も描ける古生物学者ロバート・バッカー

  • グレゴリー・ポール

バッカーのもとで学んだアーティスト
rigorousアプローチを広める
ポールは、恐竜のような絶滅爬虫類の解剖学を本当に把握した初めての人々の一人
パレオアートのニューウェーブの始まり
1970年代から、多くのアーティストがrigorousアプローチにより制作していた

  • 1990年代

ジュラシック・パークの成功により、パレオアートの人気も高まる
国際的な賞も2000年にできる
しかし、一方で、恐竜ルネサンス以前と変わらないような古い絵も多く残っていた
デジタル技術も影響を持った
フォトリアルな復元なども可能になったが、細部への注目が甘くて、最悪なものになることもあった

the modern day, and post-modern palaeoart: 2010-present

インターネットの広がり
文献などへのアクセスが容易になる

  • All Yesterdays

rigorousアプローチが実は思われていたほど客観的ではなかったのではないか
現生の動物に適用すると信頼できない
科学的な「合理的な思弁」へ

*1:この本は、他でもよく参考文献にあがっている

小川哲『地図と拳』

満洲の架空の町のおよそ半世紀の期間を群像劇として描いた長編小説
中国東北部の田舎町に過ぎなかった李家鎮が、仙桃城という都市へと成長し、満洲国の終焉とあわせて消え去っていく。
一つの街が生まれ消え去っていくまでの物語で、建築や都市計画を巡る物語でもあり、それはひいては満洲という人工国家の寓話でもあるのだろう。そして、拳とは暴力のことで、戦争に翻弄される人々を描いた物語でもある。
義和団事件の直前くらいから話は始まるのだが、日露戦争が終わったあたりからぐんぐんと面白くなっていく。いや、基本的には、死んだり夢破れたりしていく展開なので、面白いというのも語弊があるのだが、ぐんぐんと話が進んでいく感じがでてくる。
後半になってくると、各章の終わりの一つ一つがエモい(?)んだなー


群像劇なので、多くの人物が現れては消えていくのだが、何人かの人物が特に物語の中核を担っている。
まず、細川という男。
最初から最後までほぼ一貫して登場しており、本作の主人公といっていい。
1899年に間諜として初めて満洲に訪れる。この時はまだ学生なのだが、最初から非凡なところを見せ、李家鎮に炭鉱があることを見いだす。日露戦争に従軍し、仙桃城という命名に関わり、満鉄で働いた後、戦争構造学研究所なるシンクタンクを立ち上げる。細川はそこで未来を予測する。
満鉄時代の細川のもとで働いた須野、そしてその息子である須野明男はもう1人の主人公だ。
元々気象学者だった須野は地図に魅せられ、満鉄で新しい路線を計画する仕事へと就くことになるが、一方、気温と湿度を何も見ずに当てられるという能力を持つ、息子の明男は、大学で建築を学び、仙桃城都邑計画という都市計画に携わることになる。須野親子はある意味で2人とも別の意味で細川に翻弄されるわけだが、一方で、細川の思惑を越えていくことにもなる。
中国側の登場人物として、まずは孫悟空がいる。
もちろんこの名前は偽名であるのだが、この男は未来視能力を手に入れ、李大綱から李字鎮を奪い、仙桃城と改名したこの街の有力者として力を持っていく。序盤は、この男がどのように孫悟空となっていくかという話が進むが、途中から登場が少なくなる。
代わりに出てくるのは、孫悟空の血が繋がらない娘である孫丞琳である。彼女は、孫悟空をいつか殺すと決めているほどに憎んでいる。孫悟空が日本人と協力体制にあることもあり、彼女は抗日運動に身を投じている。丞琳らの抗日運動は、しかし、日中戦争の進行とともに共産党八路軍と結びつき、その運動の性質を次第に変えていくことになる。
最後に、もう1人の主要登場人物として、ロシア人神父のクラスニコフがいる。彼も孫悟空と同様、序盤から前半にかけての登場人物で途中からは出番が減るが、物語全体の結末にも強く関わっている。
クラスニコフはもともと、ロシア皇帝の命を受けて中国の測量をすることになった測量班の1人として満洲を訪れる。そして地図を理解できない人々を教化するために、李字鎮で暮らし始めることになる。彼は最初は宣教師という感じだが、義和団事件以後、あらゆる困っている人を助けるというキリスト者となっていく。抗日ゲリラのような政治活動には関わらないが、彼らと近いところでずっと暮らし続けている。


以下、各章の出来事簡単に列挙していく

序章 一八九九年、夏

高木大尉と細川の渡河
軍刀を捨てられない高木大尉

第一章 一九〇一年、冬

クラスニコフ神父と通訳の林と義和団

第二章 一九〇一年、冬

楊日綱が、李字鎮で、李大綱の開いた神拳会の鶏冠山道場で修行を始め、未来を見る能力を手に入れるまで

第三章 一九〇一年、冬

李字鎮へ向かう高木大尉と細川
周天祐が李大綱になり替わった話と、楊日綱が孫悟空になった日

第四章 一九〇五年、冬

日露戦争、高木の戦死
福田と細川が、孫悟空と交渉して輸送隊誘拐事件を解決する。細川が孫悟空に仙桃城という名前を提案する

第五章 一九〇九年、冬

須野と青龍島調査、細川との出会いと満鉄入社
須野と高木慶子との出会い、須野明男誕生(須野明男、逆から読んだらオケアノス)

第六章 一九二三年、秋

明男の子ども時代

第七章 一九二八年、夏

大連での会合、細川が仙桃城を「虹色の都市」にすると宣言
張作霖爆殺

第八章 一九三二年、春

孫丞琳や林、陳らの炭鉱放火計画
仙桃城へついた明男と建国慶祝大会
ダンスホールでの丞琳との出会い
計画決行
鶏冠山集落の虐殺

第九章 一九三二年、秋

憲兵安井による捜査と林と陳の逮捕
丞琳や卲康にダイナマイトを渡す孫悟空
満鉄をやめる細川と満鉄に残る須野

第十章 一九三四年、夏

代官山で、明男、石本、中川らによる勉強会
戦争構造学研究所の開所と細川による「地図と拳」講演
明男の入営と演習、石本が共産党の活動を始め特高に拷問をうける
細川が「仮想内閣」をつくり、石本が入閣する

第十一章 一九三七年、秋

中川の日中戦争
丞琳らが八路軍と合流。明男との再会

第十二章 一九三八年、冬

建材盗難事件による官舎計画の中止と、明男による公園計画
八路軍の黄司令が仙桃城入り

第十三章 一九三九年、夏

安井の盗難事件捜査
八路軍の偽機関銃作戦
仮想閣議の終焉

第十四章 一九三九年、冬

泥棒城島源造
細川と明男の勝負
安井による赤石(仮想内閣海軍大臣)の逮捕
石本と正男(明男の兄、仮想内閣総理大臣)の再会

第十五章 一九四一年、冬

明男に建材の節約をさせる細川
八路軍自己批判と卲康の失脚

第十六章 一九四四年、冬

青龍島はなぜ地図に描かれたのか
仙桃城襲撃と町野軍曹、明男

第十七章 一九四五年、夏

玉音放送を聞く安井
クラスニコフ神父のもとで病床に伏せる孫悟空のもとで、孫悟空の手帳を燃やす丞琳
満州で商売を始める石本
明男と細川の会話
軍刀を捨てる明男

終章 一九五五年、春

仙桃城を再訪した明男、丞琳とともにクラスニコフ神父の地図を広げる

感想

なぜ実在しない島が地図に書かれることになったのかを調査する羽目になる須野が登場する第五章が、まずは一つのターニングポイント
それから、明男と丞琳の出会いや炭鉱襲撃が描かれる第八章、中川の登場と戦争構造学研究所が動き始める第十章、明男が公園を作ることを決意する第十二章、八路軍の仙桃城襲撃がなされる第十六章あたりが、それぞれ盛り上がりどころ


細川というのは、もともと李字鎮=仙桃城に炭鉱を見つけて日本がそこを開発するという計画を建て、その計画も、満州五族協和の理想を具体化させようとするようなものなのだけど、途中で満鉄をやめて戦争構造学研究所を立ち上げる。これは今後の国際政治の動向を予想しようという独自のシンクタンクなのだけど、これが日中戦争・太平洋戦争の予想におおむね成功する。人造石油が作れないことに気づいた細川は、1939年の時点で日本の敗戦を確信し、そこから先は満州からいかに撤退して戦後の日本に資源を残すか、という方向で暗躍していく。
という、満州で暗躍する細川という男のストーリーが一本走っている一方で、須野明男という、ほとんど建築のことにしか興味のない人間が、仙桃城に理想の公園を作ろうとする。それは合理的な都市計画という点で満州的でもあるけれど、細川のような大局的な視点からではなくて、あくまでも明男個人の感覚・才能から作られていく点で、細川の思惑とは重ならない。
これに、明男が建築は時間だと考えたことと、クラスニコフ神父が実在しない島を地図に書き込んだこととが絡み合って、国家とは地図だと考える細川とは異なる地図のあり方が終章に描かれる、というのが、まあ本作のテーマ的なところだろう。


戦争の話という意味では、高木大尉の日露戦争と中川の日中戦争の対比が面白いかもしれない
前者は、勇敢さと臆病さの話なのだけれど、後者は、人間性自己欺瞞の話になっている。どっちも戦死するけれど、後者のほうがより悲惨な話になっているというか。
中川の日中戦争話は、三つの銃声の話も面白い(この銃声の違いがさりげなく丞琳の話でも使われていたりする)


主要登場人物の話は、この記事の最初の方でしたが、それ以外にも魅力的な登場人物がいる。
一人は、石本
明男の大学での先輩にあたるが、明男の才能を知って建築からは離れてしまう。明男とともに仙桃城に行き、帰国後は、明男と中川を引き合わせる。
もともと、日銀幹部の息子なのだけど、左翼運動へと入れ込むようになる。党幹部に裏切られて特高に捕まるが、石本はここで党を売らずに黙秘を貫く。そして、そこを細川に救出されて、戦争構造学研究所へ行くことになる。
石本の物語はここがピークなのだけど、その後、戦争構造学研究所と仮想閣議の話について、読者と近い視点人物として眺めていくのが石本になる。細川や仮想閣議に参加していた赤石などは、早々に日本の敗北を悟るし、またほかの仮想閣議メンバーは戦争に行ったりするのだけど、石本だけは漫然と満州で日々を過ごすことになる。
あんまり活躍はしないけれど、その分、共感しやすい人物である(特高のくだりはともかく)
それから、憲兵の安井
こちらは逆に、完全に皇国の価値観を体現した人物で、現代に生きる読者からは共感しづらいが、行動原理が分かりやすいといえば分かりやすい。
鶏冠山住民の虐殺とか、陳や林の収容所送りとかに、全然倫理的葛藤がない。道徳的不感症になっているわけでもなく、それがよいことだと信じてやっている。
で、太平洋戦争が始まって、満州の重要度が相対的に下がっていく中で、満州での憲兵を続ける安井は、建材盗難事件に対して執念を燃やすようになっていく。それで、暗躍する細川の存在に気づいていくのだけど、彼も彼で独特の哀れを誘う人物である。
中川なんか、完全に戦争に翻弄された人物だけど、中国側でいうと、卲康がそのポジションにあたるだろう。
卲康は、鶏冠山虐殺の生き残りで、抗日運動に関わっていき、丞琳の相棒的立ち位置になり、八路軍が来てからは、副司令の座にいったんはつくものの、結局失脚してしまう。自己反省がなっていないから、という理由で失脚するが、もともと共産党員ではなく、仙桃城出身者である古株だったので、排除されてしまったというもの。
自分たちが住んでいた場所を日本人から取り返し、家族を殺した日本人に復讐するという目的で行動していたはずが、自分たちが住んでいた街を破壊する作戦に参加することになってしまう。
細川は、早々に日本の敗戦を察知して裏で暗躍するけれど、中国共産党真珠湾攻撃の時点で日本が敗けることに気づいて、国民党との戦いにシフトする。卲康は、そんなに深く描かれていないので、そこまで感情移入できる登場人物ではないけれど、そういう中国国内の戦争の変化に翻弄されてしまった人物として描かれている。

Regula Valérie Burri and Joseph Dumit "Social studies of scientific imaging and visualization"

STSにおける、科学の視覚的表象研究についての総説論文みたいな奴
http://www.kana-science.sakura.ne.jp/scientific-illustration/studies.html で紹介されていたので読んでみた。
科学哲学には一応慣れ親しんでいるつもりだが、STS読むのはこれが初めてだったので、ディシプリン違う感じがするなあと思いつつ、まあこれは単に、こういう研究があるよという紹介している論文なので、ふーんという感じで読めた。

科学における視覚的表象の色々なディシプリンでの研究

科学哲学、科学史、ラボラトリー・スタディーズ、STSカルチュラル・スタディーズと様々なディシプリンでそれぞれの関心に基づいて研究されている
本章は、Social Studies of scientific imaging and visualization(SIV)について

IMAGING PRACTICES AND PERFORMANCE OF IMAGES

SIVは、社会的側面に注目しながら、科学的知識の形式としてのヴィジュアルの特徴とは何かを問う。
画像がどのように作られ、使われているかという実践に即して考える
production、engagement、deploymentの3つのトピック
production=誰が、どのように画像を作るのかを、実践、手法、技術、アクター、ネットワークを分析することで説明する。制作物artifactとしての画像
engagement=画像の、科学的知識が作られる際の装置としての役割に注目する。装置instrumentとしての画像
deployment=画像が、非アカデミックな環境にどのように拡散するかを研究し、異なる知識の形式との交流を分析する。研究室の外でどのように使われるか。


ラトゥールやハラウェイやフーコーの名前があった

PRODUCTION

どのように、そして、誰が画像を作るのか
Lynch、Schaffer、Galisonなどの論文を参照しながら、MRIX線CTスキャンなどの例が挙げられている。
MRI画像は、決してニュートラルな産物ではない。


画像を読むことができる人と読むことを許されている人の多様性

ENGAGEMENT

視覚化作業は、暫定的でインタラクティブ。データを意味深くしていく作業の一環。
どのようにして画像は、観察における不確実性を減らし、客観的な知識の生成に貢献するのか。

DEPLOYMENT

医療や地球温暖化、裁判の場などで使われる科学の視覚イメージ
画像は多義的に使われてしまう


画像が自己の身体イメージを形成する
通常と異常の区別
超音波画像が、胎児が患者で妊婦は子宮と保育器であるというイメージを形成

SOCIAL STUDIES OF SCIENTIFIC IMAGING AND VISUALIZATION: OUTLINING A RESEARCH AGENDA

モデルは不完全、視覚化は不完全という考え
ゴンブリッチの「見者のシェアbeholder’s share」

巽孝之『恐竜のアメリカ』

恐竜アメリカ文学史。
以前、恐竜文学研究として南谷奉良「洞窟のなかの幻想の怪物―初期恐竜・古生物文学の形式と諸特徴」東雅夫・下楠昌哉編『幻想と怪奇の英文学4』 - logical cypher scape2を紹介したが、他にも恐竜文学研究をしているっぽい本を見つけたので読んでみた。
ところで、巽孝之って読んでいそうで、意外にも(?)今まで読み損ねていた人だった。単発の文章なら多少読んだことはあるけれど、著作はなんか読むタイミングを逸していたというか何というか。
実際読んでみるとなかなか独特の文章というか、次々と話が進んでいくので、論旨をつかみかねているところもある。
また、恐竜文学研究といっても、恐竜をキーワードにしたアメリカ文学史で、恐竜以外にも鯨の話や進化論の話なども多い。
というわけで、純粋に(?)恐竜が登場する作品についての解説みたいなものを期待するとやや面食らうのだが、アメリカ文学史ないし文化史の再解釈として読むと面白いのだと思う(アメリカ文学史自体に詳しくないので分からないが)。
メルヴィルやトゥエンによるダーウィンや当時の科学に対する風刺的な作品についてや、
コープとマーシュの恐竜発掘競争とバーナムの博物館興業から当時のアメリカの見世物文化と恐竜ブームを結びつけているところなど、個々のトピックについて面白いところは多い。

はじめに
第一章 ニューイングランドの岸辺で
1 一〇〇万年の孤独
2 ネッシーから、始まる
3 限りなく恐竜に近い巨鯨
4 浜辺という名の廃墟
5 レッカー文学史序説

第二章 巨大妄想
1 ダーウィンの黒熊鯨とメルヴィルの白子鯨
2 ロマン主義者のガラパゴス
3 恐竜ゴールドラッシュ

第三章 恐竜小説史の革命
1 ダビデゴリアテ症候群―トウェイン、ヴォネガット、ジェイコブスン
2 神が見世物になるとき―『ゴジロ』を読む
3 白鯨、ハック、ゴジラ―カオス時代の恐竜小説史

第四章 人工恐竜はイディオ・サヴァンの夢を見るか?
1 『ジュラシック・パーク』以前・以後
2 バージェス博物館―『ディファレンス・エンジン』を読み直す
3 怪獣チェッシーはいまどこを泳ぐ?
あとがき
参考文献

各章のキーワードや言及作品などメモ

第一章 ニューイングランドの岸辺で

ブラッドベリ『霧笛』とネッシー
ドラゴンとクジラの区別がついていなかった14~16世紀
自然文学・デイヴィッド・ソロー『ケープ・ゴッド』におけるクジラ
浜辺という廃墟、クジラという死骸、漂着物拾い(レッカー)
レッカー文学からサイバーパンクSFへ

第二章 巨大妄想

19世紀におけるクジラの怪物性(ダーウィンメルヴィル
メルヴィルガラパゴス島体験とダーウィンへの批判・皮肉
バートルビーこそが未開の地の生物?
マニフェスト・ディスティニーと恐竜ゴールドラッシュ
アメリカの巨大妄想
地層や絶滅という概念の浸透。地球というテクストを読む古生物学者と地球空洞説SF
コープとマーシュの争いからバーナムへといたる、博物館文化と見世物文化の合流

バーナム・ブラウンの名前はP.T.バーナムにちなんでいる、というホントかウソかよくわからない話が……

第三章 恐竜小説史の革命

マーク・トウェインカート・ヴォネガットに極大-極小コントラストへの注視を見る
トゥウェインの科学者(古生物学者)諷刺、主人公がコレラ菌になる『細菌ハックの冒険』
マーク・ジェイコブスン『ゴジロ』
アメリカ見世物文化史におけるネイティブ・アメリカンから映画黄金時代へ

第四章 人工恐竜はイディオ・サヴァンの夢を見るか?

恐竜再生とテーマパークを結び付けて、植民地主義的興奮を再生させた『ジュラシック・パーク
『ディレフェンス・エンジン』と古生物、イディオ・サヴァン複雑系
ジョン・バースサバティカル』に出てくる怪物チェッシー


ディズニーランドが出来てテーマパークブームがあったから、クライトンジュラシック・パークが書けたのか

源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか』

サブタイトルは「音楽美学と心の哲学」で、心の哲学、とりわけ知覚の哲学や情動の哲学を用いて、美学の理論構築を行っている本である。
さらにいえば、認知科学の知見も取り入れながらの、美学の自然化プロジェクトの一環として書かれている。
1~5章は、美学一般に関わる議論。全体として、美的判断の客観主義を擁護する議論が展開されており、具体例は音楽の事例が用いられているが、音楽以外にも適用可能な議論となっている。
6~10章は、より音楽にフォーカスした議論を展開しており、音の存在論から始まって最終的には本書のタイトルにあるような音楽と情動(表出)の議論が展開されている。


具体例も豊富で、丁寧な説明とともに議論が展開されていくので、美学や哲学に詳しくない人でも議論を追いやすい本なのではないかと思う。


個人的には、第2章での経験・判断、美的と非美的といった基礎的な概念の整理、また、第3章で美的判断の客観性を擁護する論の展開の中で、評価的側面から美的と非美的の違いを説明しているあたりなど、基本的な部分で改めて勉強になった。
また、第6章の音の存在論もすごく面白かった。音とは、音波(媒質の振動)のことじゃなくて物体(発信元)の振動のことだという説の擁護。


自分は、筆者の源河による下記の著作・訳書・学会発表を読んだり、見たりしているが、本書の内容と深く関連している。
科学基礎論学会WS「現実とフィクションの相互作用」「意識のハードプロブレムは解決されたか」科学哲学会WS「心の哲学と美学の接続点」 - logical cypher scape2(源河亨「美的判断の客観性と評価的知覚」)
源河亨『知覚と判断の境界線』 - logical cypher scape2
ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる』(源河亨訳) - logical cypher scape2
『ワードマップ心の哲学』(一部) - logical cypher scape2(Ⅱ-16 美的経験と情動 情動は美的評価をもたらすのか、Ⅱ-20 認知的侵入(不)可能性 認知は知覚に影響しうるか(源河亨))
科学基礎論学会ワークショップ「芸術における感情表現」 - logical cypher scape2(源河 亨 - 「作者の感情表出と鑑賞者への感情喚起」)
セオドア・グレイシック(源河亨・木下頌子訳)『音楽の哲学入門』 - logical cypher scape2

はじめに
第1章 音楽美学と心の哲学
第2章 「美しい音楽」は人それぞれ?
第3章 「美しい音楽」の客観性
第4章 心が動く鑑賞
第5章 心が動けば聴こえが変わる
第6章 音を見る、音に触れる
第7章 環境音から音楽知覚へ
第8章 聴こえる情動、感じる情動
第9章 なぜ悲しい曲を聴くのか
第10章 悲しい曲の何が悲しいのか
結論 美学の自然化
あとがき
文献一覧
索引

第1章 音楽美学と心の哲学

本書の方針について
まず、どういう対象を分析対象としているかという点について
歌詞との関係については取り上げてないということと、個別の曲の分析は行わないということが挙げられている
また、「音楽」や「聴取」は、西洋の概念に過ぎないのではという疑念に対してもあらかじめ応答している
それから、美学の自然化について

第2章 「美しい音楽」は人それぞれ?

まず、基本概念の整理として、「美的判断」「美的経験」「美的性質」についてそれぞれ説明されている。
「判断」と「経験」を知覚の例で説明した後、美的判断と美的経験について説明し、さらに美的性質と非美的性質の関係についても説明している。
判断も経験も、対象への性質帰属であり正誤を問うことができる。
が、判断は言語で表せるものなのに対して、経験は非言語的なもので、意識に現れる状態を指す。
美的性質は、非美的性質に依存する。非美的性質を部分に持つ全体(ゲシュタルト


本書は、美的判断の客観主義を擁護する方向で進むが、その前に、客観主義と主観主義をそれぞれ説明した上で、客観主義と実在論が区別できることを、色を例に挙げながら説明している。
つまり、反実在論をとりつつ、客観主義を擁護することも理論上は可能だということである

第3章 「美しい音楽」の客観性

美的判断の客観主義を擁護するためには、美的判断が時に食い違うことを説明しなければらない。
本章では、客観主義の立場にたつ論者の議論が検討されている。
まず、ゼマッハは、客観主義かつ実在論に立つが、標準的観察条件という考えを導入する。適切な知識や感受性を持っているといった条件。
次に、ウォルトンのカテゴリー論があげられ、適切な条件として知識があることが論じられる。
ところで、ゼマッハもウォルトンも美的経験の知覚的側面について論じているが、評価的側面について論じていないという問題がある。
ゴールドマンは、特にゼマッハに対して、評価的側面の議論が不足している点を批判。
美的性質の経験と非美的性質の経験の違いは評価に関連する。
反実在論と客観主義の組み合わせを擁護し、評価的側面について、感受性グループ相対的な客観主義を提案する(例えば、ジャズ愛好家グループとクラシック愛好家グループとでは、ある曲に対する評価は一致しないことはある。しかし、ジャズ愛好家グループの内部では、客観主義が維持される、と)。
レヴィンソンも、知覚的側面(記述的側面)と評価的側面の両方があることを指摘し、前者については正誤が問えることを論じている。
美的判断の客観主義を擁護するためには、知覚に訴えるのは有効そう。
しかし、美的経験の評価的側面も見逃せない。
そのためには、この2つが密接に繋がっている美的経験のモデルを構築する必要がある、と筆者は述べる。

第4章 心が動く鑑賞

前の章からの続きで、知覚的側面と評価的側面を結びつける美的経験のモデルとして、情動に注目したモデルが提案される。
そこでまずは、情動とは何かということから説明される。
情動は、「身体反応の感じ」「感情価」「評価」の3つの要素から鳴ることが説明される。
この情動論は、前述したプリンツ本に依拠している。
情動は、置かれた状況に対する評価である。
例えば、クマが接近していて「恐怖」という情動を覚えるとき、それは危険が迫っているという評価なのである(それはネガティブな感情価に結びつき、逃避行動へと繋がるし、逃避行動をするため、心拍数をあげるなどの身体反応を生じさせる)。
この点で、情動は実は客観性がある。

 
美的経験には、感受性を洗練させる学習が必要
感受性の学習については、それが知覚的学習とは異なることと感受性の可変性を説明する必要があり、情動に訴えることで説明できる
知覚的学習と感受性の学習の違いは、情動反応が伴うかどうかで区別できる
情動反応は、学習によって変化することがある(その一例として、単純接触効果がある)
例えば、ジャズの曲をたくさん聴いて、それらの曲にポジティブな情動を抱くように学習することが、ジャズを聞くための感受性の学習ということになる。

第5章 心が動けば聴こえが変わる

まず、認知的侵入可能性について
1960年代に「観察の理論負荷性」「ニュールック心理学」と呼ばれていたもの。のち、1980年代には「心のモジュール説」の隆盛により下火になったが、近年、再び注目を集めるようになっている。
情動が知覚に影響するという実験結果もある。
なお、認知的侵入可能性について、知覚に影響を与えているのか、知覚から判断に至る過程のどこかで影響を与えているのか、という点で論争があるらしい、本書はこの論争については中立的な立場をとる(どちらが正しいかは問わない)。


筆者は、美的判断の知覚的側面と評価的側面について、認知的侵入可能性で結ばれているというモデルを提案する。
情動が知覚(非美的性質の知覚と、その全体であるゲシュタルト知覚)を変化させ、美的性質の経験がされる。
情動によって評価もなされる。
(なお、知覚に影響を与える評価であれば、情動でなくてもいいのではないか(思考でもいいのではないか)という反論に対して、シブリーによる美的判断の個別主義をあげて、情動である必要性を述べている。個別主義とは、美的判断は、一般法則によってえられるものではないというもの。情動も、一般的な評価を与えるものではなく、個別な状況への評価を与えるものである)
情動や知覚は正誤を問うことができる。
また、情動は適切な学習により得られた感受性によって生じる。
逆に言えば、そのような感受性がないと、適切な美的経験は得られない。

第6章 音を見る、音に触れる

第1章~第5章は、美学一般の話であった(音楽以外にも当てはまる話)。
第6章からは、より音楽にフォーカスした話となるが、第6章はしかし、音楽ではなく「音」の話
本章では、近年の知覚の哲学で支持を集めているという、音の遠位説を擁護する議論が展開される。
この、音の遠位説、一瞬びっくりするのだけど、説明されると「なるほど、確かにその通りだ」としか思えなくなって、すごく面白い。


音の存在論については、3つの説がある*1
1.近位説
音とは、聴覚システムが反応するという出来事である。知覚主体が存在しなければ存在しないので、反実在論
2.中位説
音とは、媒質のなかを伝わる振動(という物理的な出来事)である。知覚主体が存在しなくても存在するので、実在論
3.遠位説
音とは、音波を生み出した物体の振動(という物理的な出来事)である。同じく実在論


音が聞こえる時は、音がどこから聞こえてくるかという音の聞こえ方
例えば、向こうにある机の上で携帯電話が鳴っている時、机の上で音が鳴っているように聞こえる。空気の中を伝わって鳴っていたり、耳や頭の中で鳴っているようには聞こえない。
これが、遠位説の支持理由


恒常性知覚の話や、マルチモダリティ知覚の話からも、遠位説を擁護している。
特に、マルチモダリティ知覚の話が面白い。
聴覚と視覚、あるいは聴覚と触覚は互いに影響しあっていることを示す錯覚の事例がいくつか紹介されている。
こうした錯覚は、聴覚と視覚ないし聴覚と触覚が、ともに同じ対象を知覚するために情報を調整し合っていることを示す
音波は視覚で捉えることはできないが、物体の振動は視覚や触覚で捉えることができる。
つまり、聴覚と視覚・触覚が互いに調整し合いながら知覚している同一の対象とは、物体の振動であり、音=物体の振動とする遠位説は、音のマルチモーダル知覚を説明することができる、というわけである。

第7章 環境音から音楽知覚へ

本章では、音楽とは何かということと、音楽のマルチモーダルな鑑賞について論じられている。
1つ目については、典型的な音楽と環境音を区別しておこうという話で、音楽は人工物であるということが論じられる。
2つ目の、音楽のマルチモーダルな鑑賞が面白い
音楽、特にライブパフォーマンスについては、聴覚だけでなく視覚的にも鑑賞されているのであり、音楽の美的判断するにあたって、視覚情報も大事だ、という話がされている。

第8章 聴こえる情動、感じる情動

芸術作品・パフォーマンスで「悲しい」「怖い」「喜ばしい」などの情動用語を使って記述されるような特徴を「表出的性質expressive property」などと呼ぶ
ここで扱うのは、連合や言語の理解といった場合を除く、という注意がなされたあと、表出的性質が一体なんであるのか、4つの説がまず紹介される。
本章ではそのうち、表出説と喚起説について検討される。
残りの類似説とペルソナ説は、第10章で検討される。
1.表出説
作曲者の情動を伝えるものだという説
2.喚起説
鑑賞者に情動を喚起する力ないし傾向性だという説
3.類似説
人の表出行動と似たものとして認知されるものだという説
4.ペルソナ説
情動を抱く架空の人格(ペルソナ)を想像させ、その人格の情動の表出であるという説


表出説と喚起説の問題は、そもそも作り手や聞き手の情動と、その作品の表出的性質はしばしばしば一致しないということである。
悲しい曲を作る人が必ず悲しみを抱いているわけではないし、
聞いている人も、その曲を聞いて悲しくならなくても、悲しい曲だなという判断はつく

第9章 なぜ悲しい曲を聴くのか

喚起説のもう一つの問題点として、負の情動のパラドックスがある。
悲しみは、ネガティブな感情価を持ち、ネガティブな感情価のある情動を抱くとき、人はその対象を避ける行為をとる。
しかし、悲しい曲を聴いても、人はその曲の鑑賞をやめたりはしない。
悲劇のパラドックスとかフィクションのパラドックスとか、類似の問題は美学には色々ある。


ここでは、音楽を聴いたときに悲しい状態になったとして、それは一体どのように説明されるのかという観点から、「エラー説」つまり、悲しい状態になったのは錯覚で、実際には悲しい音楽を聴いても悲しくなってはいないという説が擁護される。
実際に行われた実験結果などを交えて、エラー説が擁護され、喚起説が退けられている。


また、悲しい曲は悲しみを喚起しないが、音楽情動という特殊な情動を喚起するというキヴィーの見解がここではあわせて論じられている。

第10章 悲しい曲の何が悲しいのか

最後に、音楽の表出的性質についての、類似説とペルソナ説が検討される。
結論からいうと、この二つは音楽美学では区別されているが、実際には大して変わらないのでは、という話がされている。
類似説は、(^_^)という顔文字が人の笑っている顔と形が似ているから「楽しい」を表しているとされるように、悲しい音楽も、そのテンポや抑揚などが悲しんでいる人のしゃべり方のテンポや抑揚と似ているから「悲しい」のだと考える。なお、類似説は輪郭説とも呼ばれる*2
ここでは、人のもつ擬人化傾向に訴えられている。
(^_^)は記号列なので、実際には楽しいという情動を持っていないし、楽しさを表出しているわけでもないが、人はこの記号を擬人化して、表出らしきものがあらわれていると捉える。
一方、ペルソナ説は、音楽とは架空の人物を想像させるものであり、その架空の人物が情動を表出していると考える。音楽の物語的解釈や高次情動の帰属が可能になるという利点がある。例えば、悲しいメロディで始まった曲が喜ばしいメロディに変わるという展開をする曲があったとして、後者の喜ばしさは単なる喜びではなく、希望の表出だといえる、など。


これに対して、類似説とペルソナ説をそれぞれ特徴付ける「擬人化」と「想像」って、そもそも区別できるのか、という点が指摘されている。
類似説は知覚心理学的な説で、ペルソナ説は音楽批評の影響を受けた説で、着想元の違いが説明に用いる概念の違いを生んでいるが、しかし、その概念を担っている心的能力は同じものなのではないか(「水」と「H2O」が概念としては異なるが、指示対象は同一であることを喩えとして出しながら)と論じている。
また、仮に区別しようとするならば、心理学や神経科学の知見が必要となることにも触れている。


個人的には、表出的性質については隠喩説に親近感を持っているので、後半の議論は「ふーん」という感じもしないでもないのだが。
表出的性質も美的性質の一種であって、特別な説明はいらないのではという意味で。
まあ、隠喩は隠喩であまり説明できている感じがしないのでアレなところはあるが。
その点、ゲシュタルト知覚になっているというと少し説明できている感じがする。
さらに、何故情動用語を適用するのかという時に、類似に訴えるのは、まあ悪くはない方針なのかー。
(^_^)が「楽しい」なのは、ゲシュタルトっぽいけど美的性質ではなさそうだし、隠喩でもなさそうで、輪郭が類似しているからとしか言いようがない。
それはそれとして、個人的には、情動用語を適用することについての問題よりも、美的性質を表す用語をどう適用するのかという問題の方が興味があるので、情動にのみ着目している議論にあまりのれないのかもしれない。
「悲しいメロディだな」と判断するのと同じように「重たいメロディだな」とか判断することがあり、音楽はそれ自身が悲しむような主体ではないのと同様、重さという性質を持つような存在者ではないわけなので、何故そういう述語を適用できるのか問題が生じるが、類似では説明できないはず。まあ、ここでいう重いは隠喩だろうな、と。
あるメロディを評して悲しいという時は類似に訴えていて、重いという時は隠喩に訴えている、という風に説明を区別するのもなんか妙な気もしている。

*1:なお、ストローソンやスクルートンが主張する非空間説という4つめの説もあるにはある、らしい

*2:絵画の表出において輪郭説を論じているものとしてD.Lopes "The 'Air' of Pictures" - logical cypher scape2がある