日経サイエンス2022年9月号

第2の天然痘になるか 広がるサル痘  出村政彬

最後だけ読んだ。
今後、ヒトヒト感染を繰り返すと変異が起きて危険→感染者の早期治療が必要
→現在、確かに同性愛者間で広がっているが、感染自体は性別や同性愛者かどうかと関係なく生じるので、感染者への偏見が生じることで治療をためらうようなことがないようにすることが重要

量子コンピューターが化学研究を変える  J. M. ガルシア

まとめ部分だけ読んだ
量子コンピュータなら近似ではない計算を行えるとかなんとか

あなたの内面を探る 感情認識AIの危うさ  J. マックエイド

表情から感情を判定するAIの利用が広がっている、らしい(主にマーケティング分野、広告の効果測定など。しかし、人事採用など様々な用途にも使われ始めている)。
問題点が4つほど挙げられている。

  • (1)偏見の「学習」

これは感情認識AIに限らず、深層学習AI一般において指摘されている問題だが、学習元となるデータにバイアスが含まれている場合、それを「学習」してしまうという問題
感情認識AIについては、男性よりも女性の方が「笑顔」判定されやすい。白人より黒人の方が「不機嫌」認定されやすい、というバイアスがあるらしい。
また、そもそもどこからどこまでが「笑顔」なのか等の問題もある。

  • (2)エクマン説への依拠

感情認識AIは、エクマンによる基本感情説に依拠しているところがある。
機械学習させるにあたって都合のいい説ではあるが、近年はこれを否定する研究も多く出てきている説である。

  • (3)プライバシーの問題

どこで何を見てどのような感情を抱いたのか、というのはプライバシーに関わる情報ではないか。
現在は、個人が特定されない状態なら利用しても問題ないことになっているが、本当に問題はないのか。
本人に同意なく収集することができてしまう問題。
なお、上述のエクマンは、初期の感情認識AI研究に関わっていたらしいが、現在は,プライバシーの問題から批判に回っているとのこと。

  • (4)感情認識の文脈依存性

同じ表情であっても、それがどんな状況で生じたものなのかによって感情は異なる
本記事では、二つの具体例が挙げられている。
一つは、生のビートルズを見て絶叫している女性の写真で、アップと引きの2つが掲載されている。アップで(その女性単体で)見ると動揺しているように見えるが、引きで(周囲の人も込みで)見ると歓喜していることが分かる。
もう一つは、サッカー選手の事例で、サッカーのルールを理解していないと選手がどのような感情を抱いたかは分からないだろう、と。

サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』(市田泉・訳)

滅法面白く装丁もかっこいい短編集
各SF雑誌で掲載された短編を収録しており、筆者初の単行本である(ただし、邦訳された本としては2冊目。長編『新しい時代への歌』が先に邦訳された)。


まず、内容ではなく装丁の話からする。ジャケ買いに近い感じだったので。
本書も『新しい時代への歌』も竹書房文庫から出ている。竹書房文庫は2015年頃からSFに力を入れ始めているのだが、さらにここ最近だと、坂野公一による装丁で、書店の本棚の中で存在感を放つようになっているように思う*1*2
で、本書の装丁もご覧の通り。
自分はいくつかの書評記事で本書の存在を知ったので、厳密にはジャケ買いとは言えないが、しかし、図書館で借りたり電子書籍で買ったりするのではなく、これは紙の本で買おうと思ったのは、間違いなくこの装丁によるところなので、ジャケ買いしたといえないこともない。


初出はいずれもSF誌であり、どの作品も確かにSFではあるのだが、科学的な設定をゴリゴリ読ませるタイプの作品ではなく、SFではない小説を読んでいる気分にもなる。
いわゆる奇想系なのかなという作品も多いが、いずれの作品も、物語の主眼はそうした奇想にはなくて、人間関係の機微だったりなんだったりにあるように思う。
じっくり染み渡ってくるような叙情がある。
「深淵をあとに歓喜して」が白眉。これはSF成分がほぼなくて、とある老夫婦の物語

追記(20220726)

一筋に伸びる二車線のハイウェイ

コンバインに腕をめった切りにされて高性能義手をつけることになった青年アンディの物語
ところで、この義手のアイデンティティ(?)がコロラドの高速道路だったという奇想が展開されていくのだが、しかしここで描かれるのは、彼を取り巻く人間関係で、特に入れ墨師をしている幼なじみローリとの関係に主眼が置かれている。

そしてわれらは暗闇の中

ある日、世界中で自分の赤ちゃんの夢を見る人たちが現れる。そして、カリフォルニア沿岸のとある岩の上にその赤ちゃんがいると分かり、やってくる。
主人公はそんな中の1人。
パートナーであるタヤを置いて、帰りのキップを買うお金もないのにカリフォルニアへ行ってしまう。タヤは後から追いかけてくれるが。

記憶が戻る日

1年に1度、母親とともに式典へ行く日がある。
読んでいくうちに次第にどういうことなのか分かってくるのだが、かつて、何らかの戦争があり、それがあまりにも悲惨であったために、従軍した軍人たちの記憶が封印されている(<ベール>)。
年に1度、記念式典の日だけその封印が解除される。その日、彼らはかつての仲間と集うとともに、次の年も記憶を封印するかどうかを投票して決めている。
主人公の母親は、やはり記憶を封印されている退役軍人で、父親は既に戦死している。戦争に関わる記憶はまとめて封印されているので、主人公はその日に父親とのことを質問する。
しかし、自分の知らない母親のことを訊けずじまいになったことを悔やむ

いずれすべては海の中に

気候変動により海水面が上がった未来。大富豪は豪華客船で生活をしており、それ以外の多くの人々は滅び行く世界の中で暮している。
海岸でゴミあさりをして生活しているベイは、漂着してきた女性を見つける。人間が漂着するのは珍しくないが、まだ生きているのは珍しく、家へと連れて帰る。
漂着してきたのはミュージシャンのギャビーで、船に乗船していた(大富豪側ではなく、いわばスタッフ側)のだが、その生活に違和感を覚えて下船したのだ。
ベイは、パートナーと生き別れてしまいいつか戻ってくるかもと海岸で暮らし続けている。たまたまベイはギャビーを連れて帰るが必ずしも助けたわけではない。
ギャビーは、1人街へと向かうが、サバイバルに慣れていないので、またもベイに助けられる。
この2人が、友情とも言いがたい妙な関係を結ぶまでの物語

彼女の低いハム音

父親が、亡くなった祖母を機械で作り直す話
父とともにどこかへ亡命する
祖母ではなく新しい彼女と生活をやり直していく

死者との対話

模型作りが趣味の主人公グウェンに、ルームメイトのイライザが依頼をもちかける。
ある殺人事件が起こった家を再現してもらえないか、と。
イライザは、グウェン以外にも友人たちを動員して、その模型の家に質問すると、被害者がそれに答えるという代物を作り上げ、それを販売し始める。
(ちなみにこの受け答えというのは、事件マニアのルームメイトが事件のデータを入力したAIに出力させていて、声は他の友人が吹き込んでいる)
ただ、イライザがグウェンAIを勝手に作ったために決裂する。幼い頃、グウェンの弟が失踪しており、イライザはそのことを知っていた。
ただ、グウェンは自分しか知らないことをAIは答えられないことを確認する。
イライザの方はそのままこの商売で一財産を築くのだが、この話は、イライザの自伝に書かれていないことをグウェンが回想形式で語るという体裁になっている

時間流民のためのシュウェル・ホーム

異なる時間の風景が見えてしまう(時間飛躍する)者たちが共同生活しているホーム
その中でも特に同室での生活を続けるマーガリートとジュディについての掌編

深淵をあとに歓喜して

建築家の夫のジョージが倒れ入院することになった妻ミリーが、彼との過去を思い出しながら、変わってしまった契機に気付く話。
年齢的にはいつ倒れてもおかしくない状況であったが、近くに住んでいた孫のレイモンドが時々手伝いにきてくれたりしながら、2人での余生を送っていた老夫婦。
夫の緊急入院により1人でベッドに入った夜、ミリーは1951年にも1人で眠りについたことがあったことを思い出す。
元々、建築という仕事に深い情熱を傾けていたことに惹かれて結婚したのだが、軍からの要請で出張したのを転機に、彼は仕事への情熱を失ってしまう。帰ってきた日の夜、子どもたちのために庭に建てたツリーハウスの中でうずくまる姿を見るが、その時はその方がよいと思って何があったのかは詳しいことは聞かずじまいだった。しかし、その時に一体何があったのか本当は聞いて共有すべきだったのではないかと後悔する。
翌朝、病院に戻る際に、レイモンドにツリーハウスで捜し物をしてほしいと頼む。果たして、あの夜に夫がしまい込んでいた図面が発見される。
意識を失いながらも手だけが何かを描こうとするジョージに、ミリーは再び寄り添う。
本書収録作品の中で、もっともSF要素の少ない作品で、夫が軍事施設の中で見た「何か」というのが一応SF要素といえばSF要素になっている。夫は「何か」を閉じ込めるための牢獄の設計をさせられ、それにより建築へ夢や理想を託すことができなくなってしまった。
一方で、自宅の庭に、子や孫の希望に従って増築を続けたツリーハウスを作っており、ツリーハウスを作る時だけ、若い頃の情熱を取り戻しているようでもあった、と。
老いた母の意向は無視して、しかし本人としてはよかれと思って、話を進める息子たちや、彼女のことを手伝っている孫のレイモンドだけ、他の子と性格が違うと評されていたり、家族関係の機微がそこかしこにありつつ、長く一緒に暮し続けきた幸せの夫婦の関係に隠されていた暗い事実と、もう一度やり直すことができるはずという仄かな希望のあいまったエンディングが、じわっと浸みる。

孤独な船乗りはだれ一人

船乗りたちが集う酒場・宿屋で働くアレックスが主人公。
入り江の入口にあたる岬にセイレーンが住み着き、入り江から出られなくなってしまった船乗りたち。たびたび挑戦者が出てくるが、いずれも戻ってこない。
子どもにセイレーンの歌声は効かないと信じる船長の一人が、主人公に声をかける。
この主人公、実は男ではなく、女でもない。

風はさまよう

世代間宇宙船を舞台にした、失われた文化・歴史を守ることについての物語。
他の惑星への移住を目的に出発した世代間宇宙船。3世にあたる歴史教師・フィドル奏者の女性が主人公。
この宇宙船は、地球のあらゆる文化を記録したデータベースをもっていたが、出発から数十年後にある男により全て消されてしまう。失われてしまった地球の文化を、宇宙船の住人たちは自らの記憶により復興させていく。
この船に乗っているあらゆる芸術家は、地球で生まれた文化を記憶し引き継ぐことが仕事となった。主人公の祖母は、その運動の中心人物だった。主人公もフィドル楽曲を記憶することを使命としており、彼女が担当している曲のタイトルが「風はさまよう」
曲の楽譜などを覚えるだけではなくて、その曲の由来なども暗記している。
ある日、彼女の生徒の一人が、もう二度と戻ることのない地球の歴史を知ることに何の意味があるのか、より実用的な知識の教育をすべきではないか、と彼女の授業で主張する。その反抗はクラス内へと広がっていく。
彼女の母親と娘も、芸術家が単に過去の地球の文化を記憶するだけで、新しい作品を生み出せないことに反抗していた。彼女は、自身の母親についてはカルト化したと否定的である。一方、娘については、彼女の新曲の中に地球の曲のフレーズが混ぜられていたことに気付き、密かに新しい可能性を覚えている。
宇宙船内で生まれた3世の彼女は、地球の風景を何一つ知らない。1世たちの記憶だけで再現された地球の歴史がどれだけ信用できるものなのかも確かめようもない。そういう状況下で、歴史を語り継いでいくとはどういうことなのか、何故それに意味があるのかを彼女自身が改めて認識し直していく物語

オープン・ロードの聖母様

長編『新しい時代の歌』の主人公ルースが主人公。『新しい時代の歌』からさらに時代がすすんでおり、主人公も中年になっている。
自分は『新しい時代の歌』は未読だが、この短編は、これだけ独立して読んでも分かるように書かれている(というか、そもそも長編発表前に書かれている?)。
パンデミックによって、ライブなどが規制されてしまった未来が舞台で、多くの音楽活動はホロというバーチャル・ライブへと移行してしまっている中、主人公たちはリアルでのライブに拘って貧乏全米ツアーを続けている。

イッカク

これもまた表だったSF要素は少ない話だが、その要素が効いている。
主人公は、亡くなった母親の車を故郷まで運ぶので運転を手伝って欲しいという仕事の依頼を引き受けるのだが、当日現れた車は、クジラの形をしていた(普通の自動車の上にクジラのガワをつけている)。
依頼人も、母親がこんな車を持っていたとは全く知らなかったという。
主人公は、ほぼアメリカ横断となる行程なので、観光ができるのではないかとこの仕事を受けたのだが、依頼人は日程を守ることに厳しく、全く寄り道をさせてくれない。
とある田舎町に泊まった際、こっそりと抜け出して訪れた博物館で、町に起きた爆発事件を再現したジオラマの中にクジラの車を見つけるのだった。
はっきりとは語られないのだが、依頼人の母親がどうもヒーローだったっぽい。その町の博物館は、記録されていないその活躍を、ひっそりと記録しようとしたものだった。

そして(Nマイナス1)人しかいなくなった

並行世界ミステリものにしてアイデンティティSF
並行世界との往来が可能になった世界で、それぞれの世界のサラ・ピンスカーを集める会が開かれる。
保険調査員をしているサラは、その招待状の招きに従って、その島へと訪れる。そこで何百人もの自分と出くわすことになる。
みな自分でありながら、少しずつ異なる自分たち(職業、住所、髪型や服装が違っていたり、姓が違っていたり、場合よっては性別が違う者も若干名いる)
この会の主催者であり、そもそも並行世界を行き来する方法を発見した量子形而上学者であるサラ・ピンスカーの死体が発見される。
会場となったホテルの支配人であるサラ・ピンスカーは、探偵(正確には保険調査員)であるサラ・ピンスカーに調査を依頼する。
容疑者も被害者も目撃者もみんなみんなサラ・ピンスカーという奇妙な状況で、主人公は調査を開始する。そもそも動機は一体何なのか。そしてある種の入れ替わりトリックが。
登場人物みんなサラ・ピンスカーという状況が(そして主人公のどこかちょっとのんきなところと相まって)少なからずユーモラスな雰囲気を漂わせている作品なのだが、人生の中の無数の選択や分岐点で枝分かれした多数の自分たちの中で、一体どの人生が幸福なのか、失ったものをまた取り戻すことはできるのか、という、どこかイーガンのアイデンティティSFを想起させるようなテーマが展開されている。

*1:自分はあまりコンスタントにチェックできていなかったのだが、本書を探しに書店に訪れた際に、竹書房文庫の一角が独特のセンスで統一されていることに気付いた

*2:読んだ当時、デザイナーの名前まで意識してなかったが大森望編『ベストSF2021』 - logical cypher scape2も坂野公一によるもののようだ

春暮康一『法治の獣』

地球外生命SFの中編3篇を収録した作品集。
3篇中2篇がなんとバッドエンドなのだが、それも含めていずれも面白い作品
地球人類が太陽系外に有人探査できるようになった未来で、3作品とも同一の世界を舞台としている(作者により「系外進出」シリーズと称されている)。また、筆者のデビュー作である「オーラリメイカー」も同様とのことで、こちら未読だったが気になってきた。
同一の世界を舞台としているものの、物語や登場人物のつながりは特にないが、「主観者」で起きた出来事は人類史上最悪の事件の一つとされているらしく、「主観者」からおよそ1世紀後を舞台としている「方舟は荒野を渡る」でも言及されているほか、「オーラリメイカー」でも言及されているらしい。

  • 主観者

地球外生命体を探索する「アルゴ」プロジェクト
そのプロジェクトの探査船の一つが、とある惑星へと接近することになり、乗員が冷凍睡眠から覚めるところから始まる。
なお、彼らは「客観者」と呼ばれていて、自分たちのバイタルをセルフモニタリングしていて感情的にならずに観測できるような身体改造がされているほか、互いに感情などをシンクロすることができる。
彼らは、その惑星で生命を発見し「ルミナス」と名付ける。
光を放っている群体なのだが、この光が実は言語なのではないかという仮説をたてる。
「大使」ドローンを作り、ある個体との接触を試みるのだが、この接触が「自閉」という大惨事を引き起こしてしまう。

  • 法治の獣

惑星「裁剣」では、地球のシカのような見た目の動物シエジーは、群れの中で自然とルールを形成して暮している。
「不快衰弱」という独特の性質を持っていて、不快度が高まると衰弱して、死んでしまう。そこでシエジーは、群れの中での不快度がもっとも低くなるように振る舞う。いわば、天然の功利主義者。例えば、ある個体が別の個体を攻撃したとすると、攻撃した側の不快度は下がるかもしれないが、攻撃された側の不快度が上がる。群れ全体で不快度があがるようであれば、攻撃した側にペナルティを加える。しかし、ペナルティを加えすぎると、また群れ全体の不快度が上がってしまうので、量刑が決められている。
これを自然法と見なし、人間に適用する実験を行っているのが、スペース・コロニー「ソードⅡ」
主人公は、進化生物学者としてシエジーを研究するため、月から移住してくる
というわけで、この話は一方では、シエジーの生態と進化を明らかにするという話なのだが、その一方で、というかよりメインの話としては、このコロニー自体の謎を巡って進んでいく。
というのも、このコロニーの住人の構成割合が、神秘主義者に偏っているのである。つまり、シエジーを神聖視している人々が暮しており、主人公のようにシエジーを科学的に研究している人たちとは価値観があわない。もっとも表面的には対立はなく、お互いに相手の価値観に触れないように普段は生活している。
シエジーの生態の話も面白いが、スペースコロニーの生活の描写も面白い。主人公は月から移住してきたので風景や重力の違いに慣れない描写がある。
地理的に隔離されていた地域で分化していたシエジー集団が、凶暴性を獲得しており、これが成功裏に終わると思われていた「ソード2」計画を破綻させてしまう。

  • 方舟は荒野を渡る

テラフォーミング計画のために各地に送られた探査船の一つで、冷凍睡眠していた監査官が目を覚ます。
この探査船には、研究者が2人、監査官が1人乗っていて、研究者2人が計画に対して反抗していることを察知して監査官が目覚めたという流れ。
その惑星は、3つの惑星がある惑星系の第2惑星なのだが、第3惑星により軌道が不安定化している。太陽のあたる領域はハビタブルなのだが、その位置が一定しない。
ところが、この惑星の生命たちはバブルドームのようなものをつくり、その中で生態系を維持し、ドーム全体が太陽の位置にあわせて移動していくことで生存している。
2人の研究者はこれを「方舟」と名付け、さらに知的生命体が存在する可能性を監査官に示す。もし知的生命体がいればおいそれとテラフォーミングすることはできなくなってしまう。
この研究者と監査官とが、立場の違いにより対立しつつも、しかし方舟の実態を調査するにあたっては半ば協力しながら話が進んでいく。
方舟は、地球人と比べると小さいサイズでその中に多種の生命がひしめき合っている。ドローンから撮影した映像を元に作ったVR空間の中に入って研究しているシーンが面白い
「方舟」は系全体で一つの知性だったのだ、というのは、わりとよくある話だが、その知性とコミュニケートするための方法がなかなかすごい(土木的言語)。
さらに、それとは別の知性体もいたというひねりが加えられていて、地球人も含めて3種のスケールが全く異なる知的生命体が互いにコミュニケートしようとする話となっている。
不要なコンタクトが仇となってしまったルミナスとの話と対になるような話で、地球人類は仇となるばかりではないよ、という前向きなエンドになっている。

筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】

タイトル通り、大正文化史についての本。全27章で様々なジャンルについてオムニバス的に書かれている。
目次をぱらぱらと眺めたときに、小林一三に2章さかれていることに目が行き、そのほかにもメディア論的な話題が多くて面白そうだなと思い手に取った。
大衆文化の話が多く、微妙に知ってるけどよくは知らなかったみたいなものが多くて、面白かった。
章ごとに書き手が異なることによるバラバラ感がないわけではないが、いずれの章も同時代のことを論じているので、同じ固有名詞に度々出くわす。章の並び自体も、近い話題が連続するように配置されており、「あ、この人の名前、さっきの章にも出てきたな」となり、立体的に見えてくる感じがする。
また、筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2と関わってくるところもあった
諸々、現代に繋がる文化の原点がここにあったのかーと思わせるものがある。
大正時代のことあまりよく知らなかったが、西暦でいうと1914年~1926年であり、自分は欧米の大戦間期の文化史とか好きなので、大正文化史もそりゃ面白いよな、と

はじめに……筒井清忠
第1講 吉野作造民本主義……今野 元
第2講 経済メディアと経済論壇の発達……牧野邦昭
第3講 上杉愼吉と国家主義……今野 元
第4講 大正教養主義――その成立と展開……筒井清忠
第5講 西田幾多郎と京都学派……藤田正勝
第6講 「漱石神話」の形成……大山英樹
第7講 「男性性」のゆらぎ――近松秋江久米正雄……小谷野 敦
第8講 宮沢賢治――生成し、変容しつづける人……山折哲雄
第9講 北原白秋と詩人たち……川本三郎
第10講 鈴木三重吉・『赤い鳥』と童心主義……河原和枝
第11講 童謡運動――西條八十・野口雨情・北原白秋……筒井清忠
第12講 新民謡運動――ローカリズムの再生……筒井清忠
第13講 竹久夢二と宵待草……石川桂子
第14講 高等女学校の発展と「職業婦人」の進出……田中智子
第15講 女子学生服の転換――機能性への志向と洋装の定着……難波知子
第16講 「少女」文化の成立……竹田志保
第17講 大衆文学の成立――通俗小説の動向を中心として……藤井淑禎
第18講 時代小説・時代劇映画の勃興……牧野 悠
第19講 岡本一平と大正期の漫画……宮本大人
第20講 ラジオ時代の国民化メディア――『キング』と円本……佐藤卓己
第21講 大衆社会とモダン文化――商都・大阪のケース……橋爪節也
第22講 大衆歌謡の展開……倉田喜弘
第23講 発展する活動写真・映画の世界……岩本憲児
第24講 百貨店と消費文化の展開……神野由紀
第25講 阪急電鉄小林一三――都市型第三次産業の成立……老川慶喜
第26講 宝塚と小林一三……伊井春樹
第27講 カフェーの展開と女給の成立……斎藤 光

はじめに……筒井清忠

大正というのは、大衆が登場してきた時代
一方、エリート文化というのが日本ではうまく育たなかったことを指摘する。エリート文化と大衆文化の区別が未分化

第1講 吉野作造民本主義……今野 元

吉野作造は、親英米派で、西欧近代化とナショナリズムの両立を信じる言論人、というような感じらしい。
ヨーロッパ留学中は、キリスト教会史について研究したが、帰国後はそれについてはあまり話題にならず。
第一次大戦の際『中央公論』で日本の対独戦を肯定し、ドイツ批判したことで有名に。
1918年、愛国団体の浪人会と対立する事件が発生。この時、吉野を応援していた学生たちが「新人会」を、吉野を支援する言論人が「黎明会」をそれぞれ結成
ただ、吉野は保守派勢力とも友好的で、先の対立でも最後には天皇万歳で会を終えているし、笹川良一と昵懇になったり、大川周明の博士号取得に協力していたりしたらしい。
楽観主義的で玉虫色なところがあったようで、死後における吉野に対する評価というのも賛否両論だ、ということが書かれている

第2講 経済メディアと経済論壇の発達……牧野邦昭

東洋経済新報』『ダイヤモンド』『中外商業新報』(のちの日経新聞)『エコノミスト』といった、現在にもある経済紙誌がこの時代に創刊されたのは、全然知らなかった。
経済雑誌自体は明治期に誕生、大正に入り、大戦ブームが経済メディアを発展させる
東洋経済新報』は「小英国主義」の影響をうけて「小日本主義」を提唱。その後、入社してきた石橋湛山もこの路線で大日本主義を批判。
一方、大正2年に創刊された『ダイヤモンド』は、業績評価など会社評論を主とし、投資のための情報を提供した。これにより、経済メディアは(論説よりも)会社評論が主流となっていく。
また、明治期に創刊した『中外商業新報』は、大正期の代表的な経済新聞となり、一方で、大阪毎日新聞社が発行した『エコノミスト』も新聞社発の経済雑誌として部数を伸ばし、大阪が拠点だったので、関東大震災以後いち早く刊行できたことも功を奏した。
学術経済誌は明治期にもすでに『国民経済雑誌』や『三田学会雑誌』があったが、さらに京都帝大の『経済論叢』、東京帝大『経済学論集』、東京商科大(のちの一橋大)『商学研究』が創刊される。当時、時事論説なども掲載していたため、『経済論叢』などは一般の読者にも読まれていたらしい。
また、河上肇は『貧乏物語』ののち『社会問題研究』という個人雑誌を刊行し、マルクス主義研究などを掲載、最大で5万部までいったとか。
明治期の経済雑誌に書かれていたような論説記事は、総合雑誌へと場を移す。『中央公論』では吉野作造の他、黎明会設立者である経済学者の福田徳三や河上肇が寄稿し、1919年に創刊された『改造』では誌上論争が盛んにおこなわれた、と。

第3講 上杉愼吉と国家主義……今野 元

上杉は、東京帝国大学法科の教員で、ドイツ留学をしている
憲法の解釈をめぐり美濃部達吉と対立、また、第一次大戦後は吉野作造とも対立せざるをえなくなり、言論活動を行うようになる。
議会政治を懐疑しつつ普通選挙運動家でもあった。

第4講 大正教養主義――その成立と展開……筒井清忠

もともと、明治期において「修養主義」というのがあり、Buildingの訳語として修養があてられた。一方、教養はeducationの訳語だった。
東京帝国大講師ケーベルの影響を受けて、和辻哲郎がBuildingの訳語として教養を使うようになり、ここから、教養という言葉が定着していく。
旧制高校が増えていき、学生たちの間で教養主義が広まりを見せるが、大正後期には、教養主義はかげりをみせ、学生たちはマルクス主義へと傾倒していく。
しかし、筆者は、マルクス主義教養主義は対立していたというよりは相補的であったと指摘している。

第5講 西田幾多郎と京都学派……藤田正勝

教養と文化
西田幾多郎のT・H・グリーン研究
教養主義
人格主義
文化主義
ドイツの文化哲学の影響
カントおよび新カント学派の研究

第6講 「漱石神話」の形成……大山英樹

夏目漱石の死後、主に漱石門下生を中心に一種の「漱石神話」が作られていき、「文学青年」というよりは「哲学青年」の中で漱石が受容されていくという話
「則天去私」について、漱石の死後、弟子たちが宗教的教義のようにとらえていく(現在の文学研究者からは、小説の方法論を述べたものだろうと考えられている)。
特に、小宮豊隆によって漱石は聖人化され、作品が小説というよりは思想書のように読まれるようになる。
また、岩波書店岩波茂雄は『こころ』の出版に協力しており、漱石作品の出版をてがけているが、岩波書店は大正教養主義をになった出版社でもある。
高学歴層の教養の書となっていくのだが、一方で、そうした「岩波文化」「教養主義」は一部の層のものとして批判もされ、戦前の漱石も読者を選ぶ作家であったという
戦後になり、江藤淳が新しい漱石像を提示。
ただし、筆者は、江藤の漱石像は一方では小宮による漱石像に代わるものでありつつ、他方で、小宮による漱石像を引き継いだものでもあることを指摘している

第7講 「男性性」のゆらぎ――近松秋江久米正雄……小谷野 敦

「恋に狂う男」の誕生
近松秋江の描いた「情けない男」
面白いが読まれなかった秋江
振られた男への同情で売れた久米正雄
中産階級の女性人気を得た「童貞」的青年像
新たな青年像を生んだ大正という時代

第8講 宮沢賢治――生成し、変容しつづける人……山折哲雄

雨ニモマケズ斎藤宗次郎
「デクノボー」願望
「ヒデリ」と「ヒドリ」
方言と高村光太郎
宗教と文学
賢治像の行方

第9講 北原白秋と詩人たち……川本三郎

国や家のために生きるといった価値観の強い明治世代の父親と、芸術や小説などに価値を見出す大正世代の息子という世代間対立から、北原白秋らの詩人(むろん大正世代にあたる)を見る
彼らの少し上の世代に永井荷風がいて、憧れの存在

第10講 鈴木三重吉・『赤い鳥』と童心主義……河原和枝

鈴木三重吉による『赤い鳥』の創刊と、そこにみられる、あるいは大正時代における童心主義について
ここに見られる童心礼賛は、のちに批判されていくことになるが、当時の時代的思潮でもあった。
日本で最初の創作児童文学は、巌谷小波によるもので、以降、巌谷は「お伽噺」を多く発表していく
一方、鈴木は漱石門下のロマン主義的作家で、お伽噺ではなく童話、唱歌ではなく童謡と新しい呼び方をつけて、子供の純粋さのための芸術運動を作ろうとしていく
『赤い鳥』に出てくる子どもとして「弱い子」というモチーフがある。
筆者はこれを、当時人気だった『少年倶楽部』と比較する。『少年倶楽部』に出てくる子どもは、立身・英雄主義的で行動するよい子であるのに対して、『赤い鳥』の子どもたちは平等主義・コスモポリタニズム的で内面の問題を重視する
こうした「弱い子」の物語はセンチメンタリズムともつながるが、それは、大正という時代の気分でもあったという
また、弱さを通して理想を描く作家として、小川未明の名前があげられている。
純真無垢な子どもというイメージは、ある種の観念的なものでもあって、だからこそ後に批判されることにもなるが、だからこそ芸術運動ともなりえた。
また、それはヨーロッパのロマン主義に由来する考えだが、一方で、それが土着的・伝統的なものとも結びついて、日本独特のものともなったという。北原白秋は、童謡を各地に伝わる「わらべうた」の復興ととらえ、また、相馬御風によって、良寛が童心の人として取り上げられるようになったなど

第11講 童謡運動――西條八十・野口雨情・北原白秋……筒井清忠

この章の筆者(であり本書の編者)は、『西條八十』という単著もあり、筒井康忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』 - logical cypher scape2でも、西條八十の章を書いている。
西條は、野口雨情の詩集を読んだことで詩人を志すようになる。
『赤い鳥』の鈴木三重吉が、同人誌で発表された西條の詩を読んで寄稿を依頼する
野口は、不遇をかこっていた時期があり、その野口を詩人として復活させたのも西條。野口は、「七つの子」「赤い靴」「しゃぼん玉」などの童謡をかき、また「船頭小唄」が映画化される大ヒットとなったが、これは退嬰的と批判されるほどだった。
北原白秋は野口のことを嫌っており、また、白秋と西條との間にもかなり対立があったらしい。この章の記述を見るかぎり、白秋がかなり感情的で大人げない感じではあるが、西條も西條も嫌な奴なところはあるな、と思う。
西條は、童謡だけでなく詩論も書けるし大人向けの詩も書けるし色々できて、童謡からは身を引いたらしい。一方、白秋は、姦通事件以後の復帰を童謡に賭けていたところがあったらしい。
また、西條は白秋に対してなかなかすごいことを言っていて、自分(西條)が白秋よりもポピュラリティーを獲得した結果、白秋は大衆化せずにすんだのだ、と。
(白秋の方は、西條の方が人気があるので西條のことを嫌っていたと思われるのだが、それに対して西條は、自分の方が人気があったからそれに対抗する意味で白秋は高尚な芸術路線を維持できたのだ(もし白秋よりも人気のある自分がいなかったら、白秋は大衆化した質の低い作品を書くようになってしまっただろう)というようなことを言っているというわけ)
この章では、西條が見出した金子みすゞについても述べられている。
現在では、西條よりも金子の方が有名であるが、金子は西條の雑誌へ投稿してデビューして、西條の強い影響下にあったとのこと。

第12講 新民謡運動――ローカリズムの再生……筒井清忠

引き続き、西條八十と野口雨情関連


「民謡」概念の成立
地方民謡の東京進
西條八十による民謡の発見
全国化した地方民謡の代表曲
野口雨情と新民謡運動
地方・民衆の逆襲
ローカリズム確立競争

第13講 竹久夢二と宵待草……石川桂子

竹久夢二について、名前と美人画についてはおぼろげながら知っているが、伝記的なことは全く知らなかったので面白かった。なお、本章の筆者は竹久夢二美術館の学芸員
幼い頃から絵を描いていたが、貧しい家庭だったので美術の学校には進学せず、雑誌への読者投稿を経てデビューする。
挿絵画家あるいはグラフィックデザイナー的な仕事で、雑誌の挿絵やタイポグラフィなどやっていたようだ。個展を開いて原画を売ったり、画集を売ったりしている。
最初の妻とは出会って2ヶ月というスピード婚だが、数年後には離婚している。しかし、離婚後もくっついたり離れたりを繰り返していたらしい。最初の妻以外の女性とも恋多き感じだったらしい。
で、旅先での失恋を詠んだ詩「宵町草」を発表、これを他の人が作曲し、夢二の装丁により楽譜を出版。それがさらにレコードとなり、という、大正時代のメディアミックスをやっていたらしい。
また、「港屋絵草紙店」という自身のグッズを販売するファンシーショップのような店もやっていたようで、大衆文化・ポピュラーカルチャーな人という感じで、そういうのを全然知らなかったので勉強になった。
ところで、大正時代の文化を「大正ロマン」と呼ぶことが多いが、これは一体いつからどのような経緯で呼ばれるようになったのか、ということも最後に論じられている。

第14講 高等女学校の発展と「職業婦人」の進出……田中智子

はいからさんが通る』で描かれる女学生と職業婦人について
女子への中等教育として中学校とは区別された高等女学校の規格化の結実として、1899年に高等女学校令が成立
ただ、高等女学校令における「高等女学校」を名乗るには宗教教育をしないことが条件で、すでに存在していたキリスト教系の学校は対応が分かれた
また、『はいからさんが通る』のモデルとなった跡見女学園も「高等女学校」にはならなかった(ならないことで、家政系科目の時間を多くとった)
1910年、家政系の科目を中心とした「実科」もでき、学校数がさらに増えていく。高等女学校とはあえてならなかった各種学校の生徒も含めると、男子の中学生を上回る数だったらしい。
いわゆる良妻賢母教育も見られたが、高等女学校が「高等普通教育」を目指すのか「家政教育」を目指すのかというのは争点となっており、ニーズの高まりもあり、高等普通教育へと向かっていく。
職業婦人については、一体だれをその範疇に含めるかについて論者によって結構ばらつきがあったという話

第15講 女子学生服の転換――機能性への志向と洋装の定着……難波知子

日清戦争後は、女子の学生服としては袴だったが、第一次大戦後、欧米の活動的な女性の姿が知られるようになるにつれて、洋装化がすすむ
学生服としては、制服とした学校と自由とした学校に分かれた。
この当時、まだ洋装は作り方もあまり知られていないし、着こなし方も分からないので、制服とした学校が多い一方、自分にあう服を自分で決めるのも教育の一環として自由とした学校もあった、と。
大正においては、制服にせよそうでないにせよ、学生服と職業婦人の洋装とはあまり区別がなく、「バスガール」と間違われたなどの証言が残っていたりするらしい。
セーラー服は、1920年代にはキリスト教系の学校で制服として採用されていたが、1930年代になって公立学校でも制服として採用されるようになる。さらに、先に述べた服装自由としていた学校でも、半数以上がセーラー服を着用するようになっていく。これにより、学生服と職業婦人の服が分化する。また筆者は、制度だけでなく流行の影響力の大きさを指摘している。

第16講 「少女」文化の成立……竹田志保

教育の拡充とともに雑誌メディアの需要も増え、子供向け雑誌として『少年世界』などが明治期に創刊される。当初は、少年と少女の区別はなかったが、1895年に『少年世界』内に「少女欄」が開設。また、そこで初の少女小説も書かれたという。ただし、そこで書かれた少女小説は教訓性が強すぎ、悲劇的なものも多かったので人気がでず、いったん閉じられる。
高等女学校令以降、増大するニーズに伴い、1900年代には少女雑誌の創刊が相次ぐ
「良妻賢母」規範から逸脱するような少女像を描く小説も出てくる一方で、新たな少女らしさ規範が出てくる。巌谷小波らによって書かれる「愛」の論理で、「愛をもつこと」という自発性と「愛されること」という受動性が巧みにすり替えられるような規範だったと、筆者は論じている
また、少女雑誌において重要だったのが、読者投稿論だったという(本田和子による指摘)
「紅ばら」「白露」などのペンネームを使い、「私もよ」「ですって」「おふるいあそばせ」などの「てよだわ言葉」などが用いられたという
今流行りの(?)お嬢様言葉だ……! 
投稿欄からは、尾島菊子、今井邦子、尾崎翠吉屋信子らが登場した
吉屋信子の書いた少女友愛小説とエスについても、本章では論じられている。
エスというのは、当時「仮の同性愛」として性科学でも論じられていたらしいが、これは異性愛規範を侵犯しないものとして、安全化するための言説であって、実際の当事者たちにはもう少し多様な実践があっただろう、と。

第17講 大衆文学の成立――通俗小説の動向を中心として……藤井淑禎

もともと「大衆文学」という言葉は、時代小説をさす言葉として使われており、現代小説の方は「通俗小説」と呼ばれていた。
本章は、主に通俗小説について
明治末頃に「家庭小説」という呼び名で登場したが、その呼称は10年ほどですたれ、通俗小説と呼ばれるようになる。
新聞拡販競争や大衆雑誌ブームの中で、通俗小説は書かれた
純文学と通俗小説はしばし対置されるが、例えば、通俗小説とされる長田幹彦の「霧」の連載は、漱石の「行人」と「心」の連載の間であり、三角関係を描く「行人」や「心」を通俗小説と言うこともできるのではないか、とは筆者の指摘。
『講談倶楽部』と『新青年』が、通俗小説の発展に貢献。
『講談倶楽部』は、岡本綺堂中村武羅夫長田幹彦の三人が初期の功労者。
新青年』には冒険小説、学生小説、科学小説、歴史小説、未来小説、そして探偵小説がおかれ、1923年に「二銭銅貨」が登場。
1926年、白井喬二を中心に『大衆文藝』が創刊されるが、これは時代小説家の集まり
通俗小説は『現代長篇小説全集』『長篇三人全集』などに集成されるが、後者の3人とは中村武羅夫加藤武雄、三上於菟吉

第18講 時代小説・時代劇映画の勃興……牧野 悠

時代小説の源流は講談
大正期に流行した講談本が「立川(たつかわ)文庫」、関西圏の少年労働者が歓迎、のちに川端康成坂口安吾高見順なども幼少期に親しんだ。口演の筆録ではなく、玉田一家*1による書き下ろし。猿飛佐助などがヒット。
講談師問題と『講談倶楽部』の〈新講談〉(大正2(1913)年)→正宗白鳥巌谷小波平山蘆江長谷川伸
同時期、中里介山の『大菩薩峠』連載開始。ただし、人気が出たのは大正10年ころ。
岡本綺堂が、ホームズ物に刺激を受け、1917年に「半七捕物帳」スタート
『講談雑誌』からは、白井喬二国枝史郎が登場
関東大震災で、職を失った野尻清彦が、大佛次郎の筆名で鞍馬天狗シリーズをスタートさせる
また、やはり関東大震災による負債で東京を離れた直木三十三(のちの三十五)が、大阪のプラトン社から『苦楽』創刊。仇討ちものを書き始める。
「大衆」は元来、僧侶の集団を意味していたが、白井は1924年ころから「民衆」の意味で「大衆」を使う。時代小説家を集めた会の機関誌として『大衆文藝』。まだ、時代小説という呼称も出てくる。
『大衆文藝』グループとは異なる流れから出てきた新人が吉川英治
映画界で、時代劇という呼称が定着するのも大正末期

第19講 岡本一平と大正期の漫画……宮本大人

明治から大正への漫画の変化として
・雑誌から新聞へ
・政治諷刺から社会・風俗諷刺へ
・漫画漫文形式の流行
・漫画家の社会的地位向上
があげられる。岡本一平は、このすべての点で代表的
北沢楽天の政治諷刺漫画は、楽天自身の立場・意見から描かれたが、一平の諷刺漫画は、政治家を「ただの人間」として描く。その意味で「民主主義」的だったが、一平自身の政治的立場から描かれているわけではなく、一歩引いたところから見ている、脱政治的なものであった。
明治の後半において、漫画は言葉なしで絵だけで成立するものを目指したが、一平は「漫画漫文方式」というスタイルを確立させていく。絵の横に文章を書き、漫画家が絵も文も書く。ルポやエッセイ、そして「漫画小説」を描いていく
また、漫画家たちを集めた東京漫画会を結成。漫画展覧会などを行い、地位向上に努めたが、漫画を一方で美術の一分野としつつ、一方でジャーナリズム・メディアを舞台に活動していたというジレンマがあった。

第20講 ラジオ時代の国民化メディア――『キング』と円本……佐藤卓己

タイトルにラジオとあるのでラジオの話かなと思ったら、ラジオではなく出版メディアの話で、講談社の雑誌『キング』と改造社の円本について
『キング』は、ここまでの他の章でもなんどか言及があったが、今は残ってない雑誌なので、「この度々でくてる『キング』とは一体」と思いながら読んでいたら、ここにきての伏線回収w


大日本雄弁会講談社により1924年に創刊した『キング』
新聞などで大々的に宣伝を行い、野口雨情作詞のコマーシャルソングも作り、翌年には日本初の100万部を達成。大量販売システムを確立させていく
また、『キング』の内容をレコードで伝えるための「キングレコード」が発売される。『キング』は1957年に終刊するが、キングレコードが現在でもキングの名を残している(知らなかった!!)
一方で、書籍の雑誌的販売として、改造社から「円本」がでてくる。これは様々な「~全集」の予約販売手法だが、「全集」ものはこれ以前からもあった。しかし、それは富裕層向けで、これを安価に手に入るようにしたのが円本だった。
予約販売は、出版事業を計画的にできるようにし、出版過程の近代化をもたらした。
また、円本に乗り遅れた岩波書店は、円本を痛烈に批判し岩波文庫を創刊するが、岩波書店も実質円本みたいなシリーズを当時やっていた

第21講 大衆社会とモダン文化――商都・大阪のケース……橋爪節也

一時的にではあるが、大阪の人口が東京を超えていた時期があり、その時期の「大大阪モダニズム」について
大大阪というのは、合併により拡大した大阪を呼ぶ当時の呼び名で、大阪以外にも「大京都」「大大津」「大岸和田」といった呼び方があったらしい
大大阪モダニズムとして、当時の市長による美術振興政策がある。
また、劇場や百貨店、中之島の開発などもあげられる。
岡本一平の手による「大大阪君似顔の図」という絵がある。例えば通天閣を鼻にしているなど大阪を擬人化した絵である。新聞連載で大阪ルポをしながら描かれたものだが、筆者は、一平が大大阪君を庶民として描いていることに注目し、大大阪モダニズムが庶民性を持ち合わせていたことを指摘する。
また、単なる近代化ではなくて、浪花情緒という伝統文化も交えたモダニズムだったとも論じている。

第22講 大衆歌謡の展開……倉田喜弘

大衆歌謡として、当時流行した「カチューシャの唄」「船頭小唄」「籠の鳥」がそれぞれ紹介されている。いずれも、メディアミックス的展開がみられる。
ところで、「カチューシャの唄」はこれまでの章でも度々言及のあった曲名で、やはり伏線回収感があったw

  • カチューシャの唄

醜聞により文芸協会を辞めることになった島村抱月松井須磨子は「芸術座」を立ち上げ、トルストイ「復活」の公演を行う。この「復活」のヒロインが須磨子演じるカチューシャである。当初はあまりヒットしなかったのだが、京都公演から火がつき、全国的な人気に。「カチューシャの唄」はレコードとなり広く歌われるようになった(学校によっては禁止されるほどに)

  • 船頭小唄

野口雨情作詞、「カチューシャの唄」を作曲した中山晋平作曲の歌で、ヒットしたことで映画化する

  • 籠の鳥

同名の映画の劇中歌


最後に、当時の歌は、現在聞くとかなり下手らしくて、授業で流すと学生がみんな驚くというエピソードでしめられている

第23講 発展する活動写真・映画の世界……岩本憲児

大正元年(1912年)日活設立。1914年に『カチューシャ』が大ヒットしたのだが、ヒロイン役を演じたのは女形の立花貞二郎
明治時代、歌舞伎は「旧劇」、それに対抗して生まれた新たな舞台劇を「新派」と呼び、映画界では、時代劇を旧劇と呼んでいたが、旧劇か新派かにかかわらず、女形が受け継がれていた。女優がいなかったわけではないが、主要な役柄にはなっていなかった。
これを嫌った帰山教正は、欧米映画並みの水準の映画を作るという「純映画劇運動」を始め、主要な役を女優が演じる作品を撮った。また、松竹も女優を増やしていった。
1920年から、松竹キネマ、大活、国活、帝国キネマといった映画会社が次々と設立。帝国キネマは無声映画『籠の鳥』をヒットさせた。
通俗小説の映画化で現代劇の映画ができる一方、時代劇が人気で、小説が時代劇映画から影響を受けたりもしている。大正末期には旧劇から時代劇という呼称になる
大正時代には、当然海外からの映画も入ってきている。イタリア映画、アメリカ映画、ドイツ映画など
映画雑誌も創刊が相次ぐ。ほとんどの雑誌が今はもうないが、唯一『キネマ旬報』だけが今も残っている。
というか、キネ旬が大正時代からあるというのに驚いた。

第24講 百貨店と消費文化の展開……神野由紀

旧来の呉服店が発展したタイプの百貨店と、私鉄終着駅にターミナル・デパートとして作られたタイプの百貨店がある
主な客層は会社員とその家族で、手に届く高級店、あるいは食品や日用品を売る庶民的な路線(小林一三の「どこよりも良い品をどこよりも安く」)。
銀座が、レンガ敷きの西欧風の町並になったのは明治だが、それでもまだ東京の中心地は日本橋周辺だった。関東大震災以後、カフェーや老舗百貨店が銀座で開店して東京の中心となってくる。
家族で訪れる場所としての百貨店。「子ども」概念ができてくる時代で、子ども向けの商品(文房具など)が展開されていく。教育制度が整備され、9割が初等教育を受けるようになったことと、百貨店の客層である中間層が教育に熱心であったことによる。また、七五三など維新以来廃れていた伝統文化も復活してくる。
百貨店の屋上に動物園や遊園地などの娯楽施設ができる。
双六に百貨店が出てくるなど、子どもが休みの日に家族と訪れる場所として子どもにも認識されるようになっていく。
呉服店時代からある程度そうだが)百貨店は流行の操作なども担う

第25講 阪急電鉄小林一三――都市型第三次産業の成立……老川慶喜

第26講 宝塚と小林一三……伊井春樹

内容としては重複する部分もあるので、この2章分をまとめて要約する
小林は、山梨生まれで慶應大出身、三井銀行勤務を経て、銀行時代の上司から証券会社への誘いを受け、家族を連れて大阪へ行くのだが、恐慌のあおりでその証券会社が結局設立されず、失業してしまう。
阪鶴鉄道の監査人となり、箕面有馬電気鉄道の発起人の一人となる。で、この鉄道会社、敷設権を獲得したはいいが、田舎路線すぎて、株による資金調達もなかなか進まない。みんなが手を引きたがっている中、小林は「ここは住宅地に向いているのではないか」と一手に引き受けていく。
大阪への通勤客を見込んで文化住宅の販売を始める。月賦による販売、つまり住宅ローンのようなものだが、これを最初に始めたのが小林らしい。で、この売り方も好評となる。
むろん、住宅地の開発にはある程度時間がかかるので、それまでのつなぎとして、当座の終着駅である箕面に、動物園や遊園地を開設し、鉄道の乗降客とする。
大阪や神戸への直接乗り入れ路線も開発し「阪神急行電気鉄道」へと名称変更
電力供給事業やさらに百貨店事業にも乗り出す。
梅田駅に本社ビルを建て、その1階に食堂、2・3階に白木屋を入れる。小林は白木屋でまずは市場調査をした上で、テナント契約が切れた後、(本社は別のところに移転し)本社ビル全体を阪急百貨店とする。
阪急の事業別の売り上げ割合のグラフが載っているのだが、百貨店事業が始まってからは、百貨店の売り上げの割合がぐんぐん伸びて、もっとも高くなっていく。
鉄道、不動産、電気、百貨店と異なる業態を多角的に展開する小林の手法は「芋蔓式経営」と呼ばれる。一見、バラバラだが大衆に向けての事業だということで一貫している。実は当時、大衆向けの業種は「水商売」と思われ、業績が安定しないと思われていた。
さて、宝塚である。
終着駅につくった娯楽施設で見せるショーとして始まったわけだが、夏場の間、プールとして使う施設を、オフシーズンに舞台として使っていたところから始まったらしい。もっとも、プールは人気がなく、2年くらいしかプールとしては使われなかったようだが。
振り付けや作曲などに有能な指導者をつけ、全員に和歌由来の芸名をつけた
明治末から大正は、新たな演劇を目指していろいろな劇団ができていた時代。宝塚少女歌劇団は、歌舞伎のオペラ化を目指す劇団
初舞台は大正3年
元々、この温泉に来た客であれば無料で見られるという位置づけであったが、人気がどんどん増していった
宝塚以外での興業にも成功
大正5年、道頓堀の浪花座を貸した松竹は田舎の劇団とたかをくくっていたら、松竹よりもよっぽど売り上げがよく(すぐに売り切れた)、その後、宝塚から引き抜きをしたりして、以後、東宝(東京宝塚)と松竹はライバル関係となる
宝塚を真似た少女歌劇団が雨後の筍のごとく増えるが、長期的に続くものはなかった。
大正7年には、東京の帝国劇場でも公演(内部で反対もあり実現に2年かかる)。非常に人気で、坪内逍遥がチケットが手に入らなくて帰る、というエピソードがあるらしい。
昭和になってから、小林は東京電燈の社長に就任。東京電燈の所有していた日比谷の土地を購入し、ここに東京宝塚劇場を開場する

第27講 カフェーの展開と女給の成立……斎藤 光

明治末頃に誕生した「カフェー」について。
ここでいうカフェーは、洋食を提供する、調理場が別にあり給仕が料理を持ってくる、椅子とテーブル形式のお店くらいのかなり広い意味
1911年、銀座にプランタン、ライオン、パウリスタという3軒の店がカフェーとして開店する。
「女給」というのは新しい言葉で、「女給」という概念が徐々に成立し広まっていく。
例えば、1918年の『中央公論』に近頃の流行のものとして「カフェー」があげられていて、14人が文章を寄せているが、この中で女給に言及しているのは7人で、7人は言及していない。この中で長田幹彦は、花柳界と対比してカフェーについて語っているという。
女給は、次第に認知されていき、1922年には、新聞で人気投票が行われるほどになる。会えるアイドル感……。
関東大震災以降、カフェーのタイプが多様化。この頃になると、1918年の『中央公論』では言及されていなかった音楽やダンスもカフェーの要素となってくる。また、季節ごとのイベント企画が行われるようになっている、と。
カフェーについては、気軽な洋食店という認識であったが、ここに次第に、女給からサービスを受ける店という認識が加わってきて、店の形態が分化していくことになる。喫茶店やらバーやらキャバレーやら。
なお、本章の中で度々、カフェーについての学術的な研究はまだほとんどなされていない旨が書かれている。大正文化史の本である本書の中にカフェーについての章があることについて、「なるほどカフェ史とかありそうだな」と思ったのだが、研究レベルでは当時のカフェ文化というのは分かっていないことが多い、ということらしくて、それはそれで意外だなと思ったり、100年前のカフェーのことなんかそりゃ分からないことも多いなとも思ったり。

*1:講談本や玉田一家についてはゴールデンカムイの不死身の杉元と明治の不死身キャラの類似性とその進化について - 山下泰平の趣味の方法に書かれていたのを思い出した。この記事に出てくる「講談師問題」は本章にも書かれていて、それが〈新講談〉へとつながっていく

『日経サイエンス2022年8月号』

特集:渡り鳥の量子コンパス

高精度ナビの仕組み 鳥には地磁気が見えている  P. J. ホア/ H. モウリットセン

渡り鳥がどうやって正しいルートを見つけているのか
1970年代に量子コンパスを使っているという仮説をシュルテンが提唱し、近年、その仮説が実証されようとしている。
渡り鳥は、太陽、月、そしてこの量子コンパスの3種類を使って方角を割り出している。
普通の原子は、スピンが打ち消し合っているが、電子が少ないあるいは多い「ラジカル」は、そうならない。ラジカルが2つある状態が「ラジカル対」で、ラジカル対が網膜の中にあって、これで地磁気の方向を感知しているという説
鳥の地磁気感覚にはいくつかの特徴があって(例えば光に依存しているなど)、この仮説はそうした特徴に沿う。
近年、実験によって確かめられつつあることが紹介されている。
ところで、渡り鳥の方向感覚って、例えば、東南に渡る個体と西南に渡る個体のつがいから産まれた雛は、南に渡るようになるらしい。そんな遺伝の仕方するのか……
初めて渡りをする奴は、遺伝にプログラムした通りの方向に向かい、強い風に吹き飛ばされたりすると戻れなくなるが、一度成功すると、脳内に地図ができてかなり高い精度で修正が可能になるらしい。
渡りの時期が近くなると、わたる方向へ行こうとする。小屋の中とかに入れておくと、みんな同じ向きを向くという行動をとるらしいが、磁場を遮蔽するとしなくなるとかなんとかそういう実験の話とかが書いてあった気がする。

動物たちの磁気感覚  出村政彬

以前、鳥が視覚的に磁場を見ている仕組み、量研機構などがその一端を解明 (1) | TECH+というニュースがあったが、これの紹介
これはハトの話だが、近年、他の動物でも磁気感覚を持っているらしいという研究が次々出てきているらしい。
鳥が量子コンパスに使っていると考えられるタンパク質は、他の生き物ももっている(一つは真核生物なら持っているような奴で、もう一つは多くの動物が持っている奴らしい)ので、実は、磁気感覚は(人間が持っていないだけで)比較的ポピュラーな感覚なのかもしれない、と。
ただ、それがゆえに、人間が気付いていないだけで、人間が知らずに動物たちに与えている影響があるかもしれない、とも。
非常に弱い磁場にも(地磁気は非常に弱い)反応するので、人間が発生されている磁場の影響を受けているはず。
逆に、渡り鳥の営巣地などの環境が破壊された際に、別の営巣地へ移動させるために、磁気感覚を利用できるようになるかもしれない。
あと、鳥は磁気を視覚で感じ取っているようだけど、具体的にどのような見え方をするのかも今後の研究課題。もし桿体細胞で検知してるなら明るさとして見えているのだろうし、錐体細胞で検知しているなら色として見ているのではないか、とか
また、量子コンパス以外の仕組みで磁気感覚を有している生物もいて、磁鉄鉱を使った細菌や昆虫がいるらしい。渡り鳥の磁気感覚もかつては磁鉄鉱によるものではないかという説があったらしい。

Transformation越境から生まれるアート展ほか

ブリヂストン美術館がアーティゾン美術館になってから初めて行ってきた!
エントランスからのエスカレータに以前の面影が少しあるような気がしたが、とにかく、全面ガラスに吹き抜けドン! と大きく印象が変わっていた。
今回の目当ては「Transformation越境から生まれるアート」でのザオ・ウーキーだったが、同時開催されていた他の展覧会もシームレスにつながっていたので、あわせて見た。

写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄鈴木理策

タイトルに「セザンヌより」とあるが、セザンヌだけでなくクールベ、モネ、カンディンスキー、ボナール、雪舟などの絵画作品に対して、柴田と鈴木2人の写真家がそれぞれ作品を撮ってくるという企画

  • 《水鏡14》

以前、「モネそれからの100年」展 - logical cypher scape2で見たことがあった
鈴木作品

  • 《水鏡17》

リヒターをみたあとで写真作品を見ると、ボケの使い方に目がいく
鈴木作品

  • 《White19》

クールベ作品に対して
誰も何もいない雪原を撮影した作品
鈴木作品

  • サント=ヴィクトワール山

セザンヌで有名だが、そういえば実際にどのような山なのか見た記憶があまりない
おお、こういう山だったのかーという感想
鈴木作品

柴田作品

こういう具象画を描いていたのか、という感想

柴田作品
作業用の階段を撮影したもので、階段のジグザグした感じが、遠目に抽象絵画っぽくも見えて面白い

  • 《知覚の感光板18》

鈴木作品
ピンボケした葉が最前面にあって、ピントのあった奥側の風景を隠してしまっているが、少し離れて見ると、そのピンボケした葉にも手前に写っているものと少し奥に写っているものがあって「レイヤーだなー」という感想。

  • 《りんご21》

これもピンボケがうまく使われている。連作。
鈴木作品

彫刻作品が置いてあり、その横に、それの側面を描いた絵があり、正面に鏡があるという展示のされ方がしていて、面白かった。

Transformation越境から生まれるアート

ルノワール、藤島・藤田・小杉、クレー、ザオ・ウーキーの4章構成の展覧会
美術館所蔵の作品を、越境というテーマでみせる企画だが、パウル・クレーが新しくコレクションに入ってきたというのもあるようだ。

第1章 歴史に学ぶ―ピエール=オーギュスト・ルノワール

この当時の資料がいくつか展示されていて、その中でブラン編『全流派画人伝』という本がなかなかすごかった。930人の画家について紹介されている本
ルノワールをはじめ当時の画家が、美術館での模写で絵の修行していたって話で、美術館の模写を誰がいつ申請したかという一覧表とかもあった

第2章 西欧を経験する―藤島武二藤田嗣治小杉未醒
  • 藤島《黒扇》

白い服に黒い扇を持った女性の絵

  • 藤島《東洋振り》

イタリアのフランチェスカによる横顔の肖像画に影響を受け、日本人女性に中国服を着せて、横顔を描いたもの。背景には漢字の看板も描かれている。

  • 藤島《屋島よりの遠望》

このセクションで一番よかった(単に、水平線や地平線を描いた風景画が好きなだけかも)。
海の向こうにぼんやりと見える島、というのもよいが、左の方に、白い点のように船が描き込まれているのが、画面を引き締めている*1


基本的に美術館所蔵作品の展示なので、藤田作品は見覚えのあるものが多かった気がする。元々、藤田作品はあまり好みではなくて、なので近代美術館の方で戦争画を見て衝撃を受けた(ゲルハルト・リヒター展 - logical cypher scape2)のだが、それ以外のはやはり好みではないんだよなー
藤田と小杉は同年に渡仏している。藤田は最終的にフランスに帰化する程になるわけだが、小杉の方はヨーロッパがあわなかったらしく予定より早く帰国している。小杉の方は、古事記を題材にとった作品を描いていくことになる。

第3章 移りゆくイメージ―パウル・クレー
  • 《小さな抽象的―建築的油彩(黄色と青色の球形のある)》とドローネー《街の窓》

このセクションでは、まずクレーに対する青騎士への影響から説明されている。
青騎士展に出品していたキュビスムの画家ドローネーの《街の窓》と、クレーの《小さな抽象的―建築的油彩(黄色と青色の球形のある)》が並んで展示されている。

  • ピカビア《アニメーション》

ピカビアっていつもどういう画家だったか分からなくなる(単に自分が記憶できていないだけ、という話)
アニメーションというタイトルだが、もちろんアニメ作品ではなくて、波のような形状の描かれた抽象絵画

第4章 東西を横断する―ザオ・ウーキー

ザオ・ウーキーは以前、「色を見る、色を楽しむ――ルドンの『夢想』、マティスの『ジャズ』……」ブリジストン美術館 - logical cypher scape2での追悼展で初めて見て以来好きで、その後、ブリヂストン美術館「ベスト・オブ・ザ・ベスト」 - logical cypher scape2でも見ていた。
今回の展覧会は、完全にザオ・ウーキー目当てで来た。

  • 《無題(風景)》《海岸》《無題(Sep.50)》

1951年クレーの絵を見て強い影響をうける。これら3作品はいずれもクレーからの影響下で描かれた作品。クレーの記号的な線の描き方を引き継いでいる。

  • 《水に沈んだ都市》1954

クレーの影響を脱したとされる作品。クレー風の記号的な線は描かれつつも、その上から青い絵の具が塗られて平面的になっている、というようなことが説明として付されていた。
ザオは、1957年にニューヨークへ渡る

  • 《15.01.61》

ザオ・ウーキー作品は、日付がタイトルになっている一連の抽象絵画作品が非常に好きで、今回それについては5作が展示されていた。
これだけ一気にザオ・ウーキー作品を見たのは初めてだったので、非常に嬉しかった。
さて、《15.01.61》は、画面の中央に無数の線が描かれているが、クレー的な記号っぽい線ではなく筆触を感じさせるような線で、全体的にもやっと霧のかかったような雰囲気になっていて、それがどことなくイリュージョンとなっている。
《水に沈んだ都市》では、クレーの影響を脱して平面性が強調された絵になった的な解説がされていたけれど、ザオ・ウーキーの絵は、一方では絵の具の物質性が残り平面的なところがあるけれど、一方で、何らかの奥行き感・空間性を感じさせるもので、その両義性が魅力なのではないかと思う。

  • 《10.06.75》

黒とオレンジで描かれた作品

  • 《24.02.70》

まるで入り江ないし峡谷の風景を描いているかのような作品。
サイズも大きく見応えがある。
画面中央部の白い絵の具がかなり盛り上がっていたりする

  • 《10.03.76》

縦長の作品
隅のボケ感、色の混ざり具合がよい感じ

  • 《07.06.85》

全体的に青っぽい作品で、自分が過去にザオ作品を見た2回でも展示されていた奴で、おそらく代表作なのだろう。
個人的にもかなり好き。

  • ジョアン・ミッチェル《ブルー・ミシガン》

並んで展示されていた。アクション・ペインティングな作風の作品
筆のタッチなどについて、広い意味ではザオ・ウーキーとも似ているところがあるかもしれないが、同じ抽象絵画といっても、受ける印象はかなり違う。
ザオの場合、画面全体を青なり茶色なりなんなりの色で塗っていることが多く、また既に述べた通り、どこか奥行き感がある。一方、ミッチェルのこの作品は、白いキャンバスの上に筆を走らせたというのがありありと分かる作品となっている。

  • マーク・トビー《傷ついた潮流》

グレーに赤や青の線

  • アンリ・ミショー

詩人・画家であり、ザオの理解者でメンター的な存在だったという
高齢になったザオに対して、墨で絵を描くことを薦めたのがミショーだったらしい。

石橋財団コレクション選

こちらは流し見
ピカソとミロの特集が組まれていた。

ゲルハルト・リヒター展

近代美術館
難しいな、リヒターは
今まで1,2点見たことがあるくらいで、少し気になっていた画家ではあるのだが、どういう画家なのかは全然知らないままで、この展覧会を見る前に『ユリイカ2022年6月号(特集=ゲルハルト・リヒター)』 - logical cypher scape2を読んで勉強した感じ
「ペインティング」の人ではあるけれど、しかしやはり現代のアーティストなので、コンセプトもかなり前面に出てきている。美的な性質を鑑賞する前に、コンセプトを確認して見た気になってしまいがち、というか。以前、見たときは、あまりリヒターについて知らなかったので、コンセプトとかよく分からず、見た目で「いいかも」くらいに思っていたのだが、そういう感覚にあまりならなかった(美術展行くのが久しぶりだったので、美術を見るモードに自分がうまく入れていなかったのかなとも思う)。
あと、美術を見るときはやはり制作年代気にしがちなのだが、そうなってくると、リヒターの場合やはり、何故この時期にこれ? みたいな感じにもなる。
リヒターの場合特に、具象、抽象、色々なスタイルを次々と変えていっているし、さらに以前やっていたスタイルに戻るということもあるので余計に。


以下、会場エリア別に感想
タイトルで区別できない作品が多いので、本展の作品番号と制作年も記す


アブストラクト・ペインティング ガラスと鏡

入ると部屋の真ん中に「8枚のガラス」があり、アブストラクト・ペインティングの作品群を中心に展示されている

1番最初に置いてある作品で、全体的に白っぽく、オレンジや緑の線が入っている奴
本展覧会は、主にリヒター財団から作品を借りているが、一部に作家蔵の作品もあり、この作品もリヒターが気に入って手元に置いてあるもの、という解説が付されていた。
実際、なるほどこれは結構いいな、という感じがした

灰色っぽい暗い色の作品で、いかにも(?)リヒターのアブストラクト・ペインティングっぽい感じのする作品
スキージによるボケがあるためだと思う。

リヒター曰く、最後の油彩。作家蔵
スキージは使っておらず、キッチンナイフを使っている(ので、リヒター特有のボケ感はあまりなく、絵の具の物質感がある)
余りピンとこなかった

色がややサイケデリックな感じ? この手の色をちょくちょく使っている気がする。蛍光とまではいかないが、そういう系の色

黒や黄色の縦横の線が入った画面に、斜め方向にピンクが入っている
14とあわせて、これもよかった


リヒターに限らないが、抽象絵画というのは(具象画と比べて)区別がつきにくいものの、しかし、見ていると「これは好きだな」「これはピンとこないな」というのがなんとなく出てくる。
「区別がつきにくい」と書いたが、塗られている色やその形状などは異なるので、個々の作品を特定することは可能である。だが、その上で、価値的な判別をつけるのが難しいという意味。
例えば、Aという画家とBという画家だったら、Aの作品の方がよりよいだろうということまでは判断できても、Aの中の作品1と作品2はどちらがよいか(どちらも同時期に同様の様式・技法で描かれた作品とする)となると、かなり難しい。
しかし、にもかかわらず、少なくとも好き嫌いの違いは出てくる(自分は感想を書くときに「よかった」と書きがちだが、これが客観的な「美的よさ」なのか個人的な「好き」の表明なのかは自分の中でも曖昧。特に気に入った作品の場合、「好き」を超えて「よさ」があるはずと信じて書いたりしているが)。
この違いは一体どこに起因するのかなー、と抽象絵画を見る度に思うが、いまだによく分からない。
もっとも、そんなこと言い出したら、具象絵画についても同様のことは言えるかもしれない。
具象画の場合、何を描いているか、それを一体どのような構図で配置しているか、どのような色で描いているか等々のことで判断していくだろう。だとすれば、抽象絵画も同様の基準で判断できなくはないはず。
で、14とか110とか22(後述)とかは、好きだな、よいな、と思うところがどこかしらにあって、それは色であったり構図であったりすると思う。抽象画にも構図はある。

グレイ・ペインティング カラーチャートと公共空間

  • 34 4900の色彩

カラーチャート
ケルン大聖堂のステンドグラス制作時に作られた作品
25色×196枚で4900
ランダムに配置されたカラーパターンなので、当然何の像も結ばない(具象的ではない)が、ステンドグラスのモザイク模様なのだと思いながら見ていると、何かの像を結びそうな気もしてきて、しかし、やっぱり何の像も浮かび上がってはこない。
写真で見たときは「ふーん」という感じだったが、実物を眺めていると、なかなかよいなと思えてくる。

タイトルはアブストラクト・ペインティングだが、灰色で塗られた作品なので「グレイ」のコーナーに置かれていたのだと思う。おそらくスキージを使ってい、ボケ感がある

  • 5 グレイ 1973

油彩っぽいツンツンとした筆触が残されているのだが、それが一様に塗られている。

ビルケナウ

本展の目玉作品
アブストラクト・ペインティング的な4点と、それを写真にとって同じ大きさで出力されている4点とが向かい合うように左右の壁に配置された上で、さらに正面の壁には、グレーの鏡が置かれている。
部屋の中に入って振り返ると、元になったビルケナウ収容所の写真4葉がかけられている。
鏡が置かれることで、作品を見ている自分や他の客の姿が否応なく目に入ってくる
収容所の写真については、暴力描写があるという注意書きが入口に書かれているが、実際のところ、それほど「暴力的」な描写があるわけではない。遺体を燃やしているところが距離をおいたところから撮影された写真で、見た目でのグロテスクさはあまりない。何の写真か分からなければ見た目だけでは「暴力的」な印象はあまり受けないかもしれないが、むろんどういう状況で撮影されたものか分かれば(そしてこの展覧会を見に来ている人は当然分かると思うが)、ある種の暴力描写であるには違いないだろう。
そのような収容所の写真があり、収容所の写真の上に絵の具が塗り重ねられた作品であること、それをさらに撮影した作品が置かれていること、そして鏡がそれらを映し出していること、というコンセプトが当然のことながら、なかなか重苦しい
会場内のいくつかの部屋を行き来しながら見ていたのだが、ビルケナウの部屋は2度目に入るのをやや躊躇した。

ストリップ フォト・ペインティング

  • 63 ストリップ 2013~2016

横に長い作品。今回の展覧会に来ている作品の中で、一番横に長い(キャンパスが4枚にわかれている)
細長い色の線が何本も並行に並べられている、カラーフィールド・ペインティング的だが、デジタルプリントの作品。リヒター自身のとある作品の一部を拡大し細長く切り出し、それを何列にも並べた、という方法で制作されたらしい。
一目見て目をひく作品で、とてもよかった
何がよかったのかを説明するのはこれまた難しいが、とにかく、でかいは正義(?)なので。
色が並べられているという点で、カラーチャートと似てなくもないが、実際に見て受ける印象は「4900の色彩」とはまた違うものがある。

タイトルがついているが、アブストラクト・ペインティング(「98 アブストラクト・ペインティング 2016」と似ていた気がする)。
何故このタイトルなのかは特に説明がなかった

  • 15 3月 1994

14と似てる?

  • 1 モーターボート 1965

初期のフォト・ペインティング作品
説明に書いてあったが、確かに近付いてみると筆のあとが分かる。

頭蓋骨、花、風景 肖像画

フォト・ペインティングな作品が並べられている、やや小さな部屋

  • 31 ヴァルトハウス 2004

スイスの景勝地をモデルとした作品で、確かに写真っぽいのだが、しかし一見して「絵だな」と思った。《不法に占拠された家》(1989)や《頭蓋骨》(1983)の方は「写真だな」と感じるので、何が違うのかなと思うと、構図なのではないかと思う。頭蓋骨は、写真を拡大表示した画像感がある
構図の切り取り方が「写真」というよりは「絵画」なのではないか、と。また、キャプションには、リヒターが、自然について(崇高や不気味さという人間的なものではなく)非人間的なものをみていたという解説がついているのだが、しかし、この作品についていうと、自然に対するロマン的な視点を感じざるをえない。絵になるように描いているので。
このエリアに展示されていた他のフォト・ペインティングの作品と比較して、制作年が新しいことも、この違いと関係しているのかもしれない。

  • 32 ユースト(スケッチ) 2005

風景画のような抽象絵画のような絵で、個人的な好みにあう。
水平線があって、画面上半分が白、下半分が黒っぽい。ハンマースホイって見たことないのでよく分からないけど、ハンマースホイっぽいのかもしれない(リヒターとハンマースホイの関係を云々している論があるらしい)

ボカシが霞っぽくて、奥行感のある作品。


家族を題材にした4点については、あまり感想がないのだが、息子のモーリッツや妻を描いた作品は絵の具で塗られている感じがわりと分かる。『ユリイカ』の表紙にも使われている娘を描いた作品は、そうでもない

フォト・エディション

自分の絵をさらに写真で撮影して作品としたもの
また、それとは別に、リヒター唯一の映像作品というものも上映されていた。なるほど、もともとフルクサスヨーゼフ・ボイスにも影響を受けていたことがあったというので、パフォーマンス・アート的な文脈の作品なのかなと思った。おそらく、わざとノイズをいれて古いフィルムに見せかけていたりするのも含めて、コミカルな作品

オイル・オン・フォト

写真の上に油絵の具をつけた作品群
なんというか、美術やってる高校生とかが作りそうという感じがあり、制作年代的にも特に先駆的というわけでもなく、コンセプト的にはよさ・すごさを感じないが、いくつかの作品については、よいかもというものもあった
ポストカードになって売られているものが多く、ポストカードとの相性はよいなと思った(元作品も小さいので)

  • 56~61 〈シリーズ〈Museum Visit〉〉

これらを見てなんとなく思ったのは、コラージュの逆(?)だなあと
コラージュは写真を切り取って貼るけど、こちらは絵の具を写真の上に塗ることで、写真の一部だけが見えてコラージュっぽく見える。

  • 72 2014年12月8日

  • 76 2015年2月2日

  • 24 1999年11月17日

女性

アラジン

塗料を流してガラス板に転写した作品。まあ、要するにデカルコマニー?

ドローイング

様々な抽象的な線が描かれている。2010年代のもので、日付を見るとほぼ毎日描かれていることが分かる。それぞれ作品というよりは習作のようなものなのだろう。80代になって、日々こういうの描いているのかと思うとすごいけど

  • 39 9月 2009

デジタルプリント

常設

  • 原田直次郎《騎龍観音》(1890)

タイトル通り、龍に観音がのっているという絵なのだが、そのファンタジーイラスト感がすごかった。どこかの寺に奉納された作品らしくて、額縁に卍が並んでいるのも強い
当時、描写の生々しさで評判が悪かったらしいが、今見ると、ファンタジー小説の挿絵かって感じがして楽しい

岸田って肖像画の印象が強く、風景画はもしかしたら初めて見たかもしれない。
上り坂の道路がぐぐっと上がっていく感じがよい

これは、近代美術館に来る度に見ている気がする。

藤田の戦争画を生でちゃんと見るのもしかして初めてだったかも
ノモンハン事件を描いた大作で、めちゃくちゃすごい。
藤田作品はこれまでいくつか見たことあるものの、心掴まれることはなかったのだけど、これはすごかった。藤田の戦争画見てみんな興奮しちゃうわ、これは、という
まず、絵自体のサイズがすごくでかい。
晴れた空にすっと地平線が伸びる草原で、ソ連の戦車部隊と日本の歩兵部隊が戦っているというものだが、それらの戦列がW字に描かれ、その両端に煙が縦にたなびくという構図
この構図がキマりすぎてている
W字のうち、画面に近い2カ所にはそれぞれ、匍匐前進する日本兵と、日本兵により攻撃されている戦車がど迫力で描かれている。
なお、これは日本兵ソ連戦車隊を圧倒しているという絵だが、戦死者がごろごろ転がっている別バージョンがあるらしい。

  • 宮本三郎《本間、ウエンライト会見図》(1944)

キャプションの説明にあるとおり、本題であるはずの会見よりも、それを撮影しているカメラの方を中心にして描かれている。戦争と映像

ジャングルの中の夜戦。遠方にマズルフラッシュが瞬く構図がまたよい

  • 藤田嗣治《薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す》(1945)

薫空挺隊というのは高砂族からなる決死隊らしい。実際、この戦いの参加者はみんな戦死してて詳細がよく分かっていないらしい。

  • 大正期新興美術運動

大正期に描かれた抽象絵画などが何点かあった。個別の作品についてはあまりピンと来なかったが、この時期に日本でも抽象絵画の運動があったのかーと。

  • 長谷川三郎《狂詩曲 漁村にて》(1952)

漁船の板材かなんかを使ったフロッタージュ
少し離れてみると、ちょっと面白い抽象絵画に見える

  • 靉光《眼のある風景》(1938)

シュルレアリスムとかルドンとかっぽい作品。昔、『美の巨人たち』か何かでやっていたような気がする。

流して見てた展示室で、「あ、あれいいかも」と思って近付いてみたら、佐伯作品だったのでちょっと嬉しくなった奴
文字は書かれていないが、放射状の構図が目をひいたのだと思う。

白い巨大なキャンパスに子どもの影を描いたもの。まるで、白い壁に投影しているかのように見えるのだけど、絵として描かれている。目をひく。

企画展の方にあった《ヴァルトハウス》と同じモチーフ、同じ手法による作品
しかしこちらは「写真」っぽい

ペンローズの三角形などの不可能物体を(不可能物体に見えるように)撮影した写真作品の連作。ユーモラス

四角がたくさん並べられているような抽象絵画
これはなんかわりとよかった
抽象絵画なのだけど、完全にフラットなわけではなく、少し奥行きのある四角いタイルが並べられているような絵になっている。

村上作品が3点、うち2点がタミヤをモチーフにした作品だったが、さらにそのうちの1つは、コンセプトは分かるが、模型ファンだと不快になるかもなと思った。

これは笑う
ディズニーのキャラクターが出てこないディズニー風イラストの連作
ディズニーロゴのフォントで「Copyright」と描かれたものから始まる。何の作品がモチーフになっているかは分かるが、ハチミツをかぶりまくっていたり、無数のちょうちょで覆われたりしたりで、キャラクターの姿は完全に隠されているような絵が続く

https://twitter.com/sakstyle/status/519819008648835072
これだー!
昔から気になっていて、2014年(と2009年)に上のようなツイートをしていた。以来、忘れていたのだが、展示室に入った瞬間、目に飛び込んできて「!!」となった。
2014年当時、YOWさんから、森村泰昌作品ではというリプライはもらっていたみたい。
予想外に、大きなサイズの作品で驚いた。
近代美術館の常設なので、稲田さんは既にご存知だろう。