音楽を聴くと、イメージが浮かぶ / ゲルハルト・リヒター×マルコ・ブラウ 訳=西野路代
リヒターへのインタビュー
ビルケナウの鏡――ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》インスタレーション / 清水穣
サブタイトルにある通り、ビルケナウ論
ここでは、リヒターのいう「シャイン」をレイヤーの出現として説明する
ビルケナウのインスタレーションにおける、コピーないし鏡をレイヤーの出現と捉える
シャインは、グリーンバーグがいうところの平面性だが、そこに歴史性を帯びるのがリヒターの特殊なところだと論じる
写真に似たもの――ゲルハルト・リヒターの〈記憶絵画〉と女性イメージ / 香川檀
リヒターにおいて、女性が、死にかかわるモチーフとして使われていることを論じながら、「内面化」や「想起」について論じる
《ビルケナウ》の白いページ――ゲルハルト・リヒター『93のディテール』試論 / 西野路代
《ビルケナウ》についてのアーティスト・ブック『93のディテール』について
戦争の記録と野蛮の起源、そして恐怖と哀悼 / 飯田高誉
《ビルケナウ》、ドイツ赤軍を描いた《1977年10月18日》、9・11をうけて描かれた《September》、イラク戦争に対する書籍『War Cut』について
二つの体制 / 沢山遼
リヒターが、2つの体制のあいだのジレンマを扱っているとする
リヒターの絵画は、実体そのものへの接近不可能性
シャインは鏡の原理、あらゆるものを並列化して一元化する。
抽象絵画を描いているがポストモダン的であって、例えばクレーの抽象画とかカテゴリが異なるとする。一元的なシャインの専制でもあって、全面的に肯定できるものではない、と。
絵画・写真、具象・抽象、ハンドメイド・レディメイドという3つの二極性がある
「資本主義リアリズム」を標榜
これはもちろん「社会主義リアリズム」のもじりだが、ポップアートのことでもある。ポップアートというのは、抽象絵画のあとにでてきた具象絵画の運動
ポップ・アートには、ハンドメイドのレディメイドという特徴があるが、リヒターやポルケは、ウォーホルやリキテンスタイン以上に「ハンドメイド」で、その技術は、東側でのアカデミックな技術へのパスティーシュ
ここでいったん『グッバイ・レーニン』の話を挟んで、資本主義と社会主義の同質性と表象の交換可能性を確認し、リヒターのメタ絵画=様式批判が、イデオロギー批判であることを論ずる
特定のイデオロギーに属することなく、宙づりにするという道
しかし、そうしたリヒターの戦略にもある種のジレンマがあり、それが特に激化する作品として《1977年10月18日》を取り上げている
ドイツの戦争トラウマを作品のテーマとすることは可能か?――ヨーゼフ・ボイスがゲルハルト・リヒターに与えた影響 / 渡辺真也
サブタイトルにあるとおり、ヨーゼフ・ボイスとリヒターとの関係について
アンチ・デュシャン
リヒターのパフォーマンスから受けた影響
ゲルハルト・リヒターの「わかりにくさ」とドイツの歴史 / 長谷川晴生
マルクス・リュパーツ、ジグマール・ポルケ、アンゼルム・キーファーといった1940年代前半生まれの画家たちは、「ドイツの歴史」テーマへと向かっていくことになる
リヒターも「ドイツの歴史]テーマに触れる。しかし、上述の3人のような分かりやすさはなく、「意味」から離れようとする
リヒター、イデオロギー、政治――ゲルハルト・リヒター再読 / 菅原伸也
リヒターの作品ではなく、リヒターが書いた文章から読み解く論考
批評家のベンジャミン・ブクローは、リヒターを歴史家論争におけるハーバーマスに喩えるが、それは適切だろうか、という問い
リヒターは、確かにナチズムを批判しておりハーバーマス的なところもあるが、それだけでなく、ナチズムと社会主義との連続性を想定しており、その点ではむしろ歴史修正主義者の立場に近い、と
(エッセイ)写真はイメージです / 畠山直哉
(エッセイ)カーテン越しの光 / 田幡浩一
(エッセイ)絵画と写真、リアリティと距離 / 前田エマ
アブストラクト・ペインティングを真剣に受け止める――ゲルハルト・リヒター『一枚の絵の一二八枚の写真、ハリファックス一九七八年』 / 平倉圭
アーティスト・ブック『一枚の絵の一二八枚の写真、ハリファックス一九七八年』 について
この本は、あるアブストラクト・ペインティングの作品を、様々な角度から撮った写真を掲載している本だが、その配列にシークエンスを見いだしていく論考
画面の移動や回転を細かく分析している。
分割と接合――ゲルハルト・リヒター《リラ》 / 池田剛介
アブストラクト・ペインティング作品の一つある《リラ》について
スキージ・レイヤーと筆触レイヤーにわけて分析し、筆触レイヤーに明確なコンポジションがあることを指摘
さらに、一度描いたキャンパスをいったん分割し、回転して再接合して創られた作品なのであろう、ということを論証していく
イデオロギーとの別れ――T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに / 関貴尚
美術史家であるクラークによるリヒター論をもとにしたリヒター論
リヒターのグレイ(灰色)は「隠ぺい」にかかわる
リヒターは自らの政治的立場を中立というが、中立こそがイデオロギー的性質を帯びるのではないか
「理解不可能性の創造」こそがむしろ、この画家のポピュラリティのゆえんではないか
少なくともクラークは、リヒターに対して懐疑的
(散文) 硝子絵画の居住者たち――ゲルハルト・リヒター《カードの家(5枚)》にて / 河野咲子
「位置価(Stellenwert)」を問う科学と芸術へ――G・リヒターとW・オストヴァルトの《アトラス》 / 前田富士男
オストヴァルトという化学者による色彩アトラスが紹介されている。
ゲーテの色彩論とは異なる色彩論
フォト・ペインティングと神経系イメージ学 / 坂本泰宏
リヒター《蝋燭》についてなど
ディストーション・偽色・スペクトログラム――リヒターの音響 / 荒川徹
「リヒターは抽象絵画を巧みにハックしたエンジニアのような存在」
「(ディストーション・ギターとリヒター作品を類比させて)細部が大きな挙動によってジェネレーティヴに随伴すること」
「機能的偽色は、自然画像をグラフあるいはダイヤグラムに変容させる」
「リヒターの作品は、ただの過剰なエフェクトに過ぎないという批判もできる。だが、リヒターの作品は、自作の断片を無限リピートするような、(...)延々と持続するフィードバック」
「ハイ・レゾリューションではなく、イメージがメディアを含みこむハイ・ディソリューション(高溶解度)の芸術」
マローヤの蛇――シルス、リヒター、アンネ / 杉田敦
未読
ゲルハルト・リヒターの余白に…… / 丹生谷貴志
未読
リヒターを通して考える「写真とは何か」 / 大山顕
写真とは何かを考えるためには、絵画を見るとよい
その時代時代に応じて、絵画は写真の「変な」特徴を見いだして取り入れてきた。
リヒターは、写真の「ボケ」「ブレ」を取り入れる
写真の無サイズ性と、写真にサイズを取り戻したスマホ写真
フォトリアルとはなにか――リヒターから遡行する / 江本紫織
ゲルハルト・リヒターとグラフィックデザイン――デザイン的視点から読み解く初期フォト・ペインティング / 三橋光太郎
機械化された沈黙と、資本主義リアリズム / 布施琳太郎
リヒター作品と全球カメラから取得された画像との比較、どちらも「純粋なイメージ」だが、静的な前者と動的な後者
ゲルハルト・リヒター 鏡としての絵画 / 浅沼敬子
リヒター特集の最後に掲載されているが、リヒターの略歴的な記事なので、まず最初にこの記事から読んだ。
『評伝 ゲルハルト・リヒター』を主に参照しながら書かれた記事とのこと。