ブルース・スターリング『スキズマトリックス』(小川隆・訳)

ブルース・スターリング『蝉の女王』(小川隆・訳) - logical cypher scape2に引き続き、〈機械主義者/工作者〉シリーズ
同シリーズ、唯一の長編
『蝉の女王』はそこそこ面白かったが、スターリングの長編というとギブスンとの共作だがウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(黒丸尚・訳) - logical cypher scape2しか読んだことがなくて、これがいまいちだったので、こちらも実はそこまで期待せずに読んでいたところはなきにしもあらずだったのだけど、読んでみたら、これ、かなり面白かった
結構長い話で、ちょっとよくわからない場所もあるし、読みはじめて早々に歌舞伎とか始まったときはどうしようかと思ったけど、後半になっていく程面白かった気がする。
基本的には、主人公が、太陽系の様々なコミュニティを経めぐっていく話なのだけど、最後、急激に宇宙SF度合が高まる。

世界観設定

人類が宇宙に進出し月軌道などにスペースコロニー国家が繫栄する一方、地球は資源が枯渇し、宇宙との繋がりを断ち切られる。月軌道国家群は〈連鎖国家〉を名乗る。
が、連鎖国家の繁栄も一時のもの、小惑星帯では〈機械主義者〉たちが、土星の環では〈工作者〉たちが勢力を広め始め、連鎖国家は辺境の地となる。
機械主義者や工作者たちは、さらに内部で分派はあるようだが、基本的には前者はカルテル、後者はリング議会というのが中央にあるっぽい。
本作のタイトルである「スキズマトリックス」は、スキゾとも同語源の「分離(スキズム)」と「マトリックス(基盤)」の造語で、この太陽系に広がった人類全体のことをさす。人類というには互いに離れてしまったが、全く別種族となってしまったわけではなく相互に関係がある、という状態をなんとなく指しているらしい。
工作者と機械主義者という対立軸はまずはあるが、種族の違いみたいなもので、この違いとは別に、ほかにもいくつか対立軸がある。正直、読んでいてもあまりはっきり説明されていないのでよくわからないのだが、デタント支持者かそうでないか、計画者か非計画者かとか、あと〈大変革論者〉とか〈超英才〉とかがいる。
この物語の途中で、異星人である〈交易者〉が人類と接触するが、それにより機械主義者と工作者の間に平和・デタントが訪れる。デタント支持かどうかは、機械主義者か工作者かとは独立した軸だったはず。
計画者というのが何を指しているのかはよくわからなかった。主人公のリンジーは計画者。
大変革論者もよくわからないのだけど、これは後のポストヒューマニズムに繋がる考えだったはず。
なお、『蝉の女王』の巻末に年表があったので、一部抜粋してみる。

2045 スパイダー・ローズ生まれる
2050~2450 連鎖国家の繁栄期
2186 アベラード・リンジー生まれる
2217 〈投資者〉が太陽系到着
2218~2240 〈投資者の平和〉によるデタント
2248~2250 「巣」
2254~2276 〈大変革〉運動広がる
2283 「スパイダー・ローズ」
2284 ツァリーナ・クラスター設立
2354 「蝉の女王」
2386 スキズマトリックス終わる
2554 「火星の神の情景」

『スキズマトリックス』は2215年から2386年までの物語

物語

アベラード・リンジーという主人公が、かつての友人であるフィリップ・コンスタンティンから命を狙われ、亡命者となってあちこち流れつつ、しかし、一財産築き、新しい小国家も作ったりする。

プロローグ
第一部 幻日ゾーン
第二部 アナーキーと共同社会
第三部 系統分岐となって進む

目次の上では三部構成だが、その中でさらにいくつかの節に分かれている。

プロローグ

晴れの海環月企業共和国でのヴェラ・ケランドの死とリンジーの追放
共和国は連鎖国家の一つ。
鎖国家は、〈ラディカル・オールド〉と〈維持主義者〉の対立がある。前者は権力者・年老いた貴族たちで、機械主義者と近い立場で、身体改造して高齢化していくのに対して、一方、後者は若者たち・庶民たちで、自然な生命の在り方を「維持」しようみたいな立場。
リンジーコンスタンティンは、ともに、工作者のリング議会に派遣されて、そこで外交官としての訓練を受ける。その後、帰国して、維持主義者たちの代表みたいな立場になる。
この2人と親しくなったのが、ヴェラという女性で、3人はいざとなった時は、自殺して自分たちの主張を世に示そうと誓いあっていた。
で、ヴェラは実際に死ぬ。そして、コンスタンティンはリンジーのことも暗殺しようとする。

静かの海環月人民財閥

リンジーは、同じく連鎖国家の財閥へと追放され、幻日(サンドッグ)となる。
幻日というのは、この世界では、亡命者などを指す言葉で、意訳なら素浪人とか浮浪者とかそういう感じではないかと思う。なお、幻日する、という動詞形もある。
この財閥というの、人権=死ぬ権利のみ、というすごい国家なのだが、のちに出てくるツァリーナ・クラスターも、超監視国家だったりするし、スペース・コロニー国家は多かれ少なかれ抑圧的な政治体制にならざるをえないのかもしれない。
で、リンジーはここで何をするかというと、《歌舞伎イントラソラー》という劇団(?)をでっちあげての詐欺を行おうとする。どういう詐欺なのかいまいちよくわからないが
心中天網島』とか出てきたりする。
財閥の貨幣単位は、娼婦とセックスできる時間で、なので〈芸者銀行〉というのが権力をもあった金融機関兼娼館として存在している。で、この芸者銀行をうまく利用してやろう、みたいな話なのだが、リンジーは芸者銀行のキツネという女性と出会う。
共和国でクーデターを起こして権力者となったコンスタンティンからの刺客がくるが、これを逆に利用して、自分は死んだように思わせて、リンジーは財閥から去る

レッド・コンセンサス号と小惑星エサイルス7

リンジーは財閥で協力関係を結んだフォルツナ鉱夫民主国のレッド・コンセンサス号に乗って脱出する。
フォルツナ鉱夫民主国と国を名乗ってはいるが、実態としては、その国土はレッド・コンセンサス号のみの、事実上の宇宙海賊みたいな集団なのだが、みんな、大統領とか裁判官とか上院議員とかを名乗っている。
で、小惑星エサイルス7というのを見つけて乗り込んでいく。
ここには、ノラ・マヴリデスを筆頭にして、マヴリデス家の遺伝子系列の子どもたちが住んでいる(工作者の家系で、この小惑星で生まれ育ったっぽい。なお、この時代、子どもは母親から生まれてくるわけではなくて、遺伝子技術によって作られる、という感じらしいが、とはいえ、夫婦とか親子とかいう関係性自体は残っている)
エサイルス7を、フォルツナが事実上占領しようとして、リンジーがその両者を取り持つ、みたいな話だったはず。
ノラもまた、リング議会の外交官教練を受けたことがわかる。リンジーとノラはのちに夫婦になる。
結局、エサイルス7とフォルツナ鉱夫民主国の共棲生活みたいなのは崩壊していく。
エサイルス7のパウロという少年らが、パウロの頭像を作って宇宙に射出するのだが、これがめぐりめぐって〈投資者〉に見つかる
リンジーが〈投資者〉と接触して、彼らと親しくなることに成功する

ゴールドライヒ・トレメイン議会国家

ここから第二部
リンジー・マヴリデスは〈投資者〉社会学者として、ゴールドライヒ・トレイメンにおける名士の一人となっている。
教え子の一人として、「巣」の主人公であるサイモン・アフリールが出ている。
また、財閥でリンジーと行動を共にした脚本家のリューミンの弟子であるウェルズが登場する。
リンジーとノラの「娘」であるクレオの結婚式が行われる(もともとクレオはエサイルス7にいた1人。ノラ以外はみんな死んでいて、クローン(?)を作ったっぽい)。
話としては、ここに共和国の元首となったコンスタンティンが訪れ、リンジーとノラのつかの間の平和が脅かされるところから第二部は始まる。
死んでいたと思っていたリンジーの存在におびえるコンスタンティンが、リンジーの周囲の人物を消し始める。
リンジーとノラの間で考え方の相違が生まれる。
コンスタンティンと戦おうとするノラに対して、リンジーは、とある投資者の船に乗り込んで逃亡する。
リンジーは、デンボウスカ・カルテルという、ミカエル・カルナッソスの〈ハーレム警察〉と〈ゼン・セロトニン〉なる宗教が幅を聞かせる機械主義者の小惑星へと亡命してくる。
リューミンやウェルズ、キツネに、最初の妻であるアレクサンドリーナと再会する。
コンスタンティンは、スキマー連合議会国家にいる。
リンジーは、ツァリーナ・クラスター人民企業共和国を設立する。
リンジーが、ゴールドライヒ・トレイメンから逃亡する際に乗り込んだ投資者の船だが、実はこの投資者は、ある異常によって投資者コミュニティから追放された個体を乗せていた。リンジーはこの投資者を女王として、ツァリーナ・クラスターを作り上げる。
そして、ウェルズをウェルスプリングという名にして、ツァリーナ・クラスターの中の重要人物へと仕立て上げていく。
一方で、リンジーコンスタンティンはついに再会し、決闘を行うことになる。

ネオテニック文化共和国

ここから第三部
決闘に勝利したリンジーだったが、負傷して5年の間昏睡状態にあった。
かつてゴールドライヒ・トレイメンで一緒だったマーガレット・ジュリアーノの、アレクサンドリーナによって助けられていた。
ネオテニックにはほかに、やはりゴールドライヒ・トレイメンにいたネヴィーユ・ポンピアンスキュールもいた。
そして、ポンピアンスキュールのもとにいた、コンスタンティンの系列であるアベラード・ゴメスという少年と、リンジーは出会う。
リンジーは、ゴメスを連れてツァリーナ・クラスターへと戻る。
ゴメスは、ツァリーナ・クラスターの中で有力者へと育っていくのだが、「蝉の女王」事件が起きる(本作では直接的には描かれていないが)。
女王がいなくなったツァリーナ・クラスターで、ゴメスらもまた火星へ向かうが、リンジーエウロパを目指す。
リンジーのもとに、コンスタンティンのもとであらたに産み育てられたヴェラがやってくる。フォーマルハウトにいっていたヴェラは、太陽系に戻ってくるときに一緒についてきた〈存在〉に悩んでいた。〈存在〉はヴェラにしか気配を察知することができず、ほかの者はみな彼女の妄想だと思っているが、リンジーはそれを信じる。
リンジーはヴェラを連れて地球へとやってくる。禁忌の地であれ誰も訪れようとしなかった地球だが、その熱水噴出孔へと向い、生物のサンプルを採取していく。
リンジーはその生物サンプルをエウロパの環境に適した形に遺伝子改良して投入するという考えをもっていた。そして、人類のことも。
再びコンスタンティンと再会したリンジーはその計画を彼に話し、最後にノラのことを謝罪するコンスタンティンのことを許すが、その時すでに、毒を飲んだコンスタンティンは事切れていた。
そして、エウロパで、その計画を実行に移していたリンジーは、〈存在〉と会話する。彼らはさらに太陽系の外へと旅立っていくのだった。

感想など

あらすじそのものよりも、ディテールにいろいろと面白さが宿っている作品だとは思うのだけど、とりあえずはあらすじをまとめるだけで精一杯だな……。
デンボウスカ・カルテル以降、物語の前半に出てきた人たちが再登場してくるので、「こいつ、誰だったっけ」と思いつつも、こうつながるのかーと思いながら読んでいくのもわりと楽しかった。
あと「蝉の女王」の裏側というか、ツァリーナ・クラスターの女王やウェルスプリングの正体が、こっち読むとわかる、という趣向になっている。逆に、「蝉の女王」で起きた出来事は知っている前提で書かれている気がする。


どうでもいい話として、大尉博士とか将軍学長とかいう謎の肩書が出てくる。
「巣」でサイモン・アフリールが大尉博士とかで、なんだそりゃと思っていたのだけど、リング保安部に属していると、軍人と学者の両方の肩書がつくらしい。
リンジーも、ゴールドライヒ・トレイメンでは大尉博士、ツァリーナ・クラスターでは将軍学長になっていたはず。
宙学という言葉も出てくる。「蝉の女王」で見かけたときは、一体なんのこっちゃと思っていたのだが、『スキゾマトリックス』を読んでいたら、大学のことをさしているのだとわかった(宙学の学部とか学長とかが出てくるので)。Universityとuniverseのシャレなんでしょうね、多分。


遺伝子改造とかが当然になって、性行為と出産での生殖行為はなされなくなっているという設定ではあるのだけれど、「遺伝子系列」という名で、明らかに家系というものが維持されていて、また、リンジーコンスタンティンの対立の物語という意味でも、物語自体は古典的な雰囲気の漂う作品ではある。
リンジーは、アレクサンドリーナ、ヴェラ、キツネ、ノラという4人の女性がそれぞれ妻・パートナーであった。そういうわけで、男女の物語でもあるのだが、わりとあっさりしているといえばあっさりしているんだよな。リンジーはそれぞれに思い入れは持っているっぽくもあるのだけど(キツネは、キツネからリンジーへの矢印が大きくて、リンジーがどう思っているのかはよくわからんけど)。


最後に、〈存在〉が出てきてから、地球の熱水噴出孔からエウロパ、そして太陽系外へ、という流れが、特に面白かった。
〈存在〉というのは、何らかの異星種族なんだろうけれど、既知の19種族のどれでもなく、超自然的存在のようにも描かれている。
結局、最後に自殺するコンスタンティンに対して、リンジーもまた年老いて、太陽系あちこち回るんじゃなくて、エウロパの海で生を全うするかーと思ったのだがしかし、〈存在〉とともにより遠い世界を見に行くことにしよう、見たい、見に行きたい、と思って旅立っていく、というのがすごくSF的というかなんというか
つまり、太陽系でポストヒューマンな世界を舞台にしつつも、しかしどこか俗っぽく、近世・近代ヨーロッパとかを舞台にしても成り立つような物語を展開していたかと思いきや、最後にすごくSFっぽいテーマでアクセルを踏んだなあ、というか。
まあ、太陽系未来史とか、それぞれの小惑星国家の風景とかもまたすごくSFしていたけれども。そこらへんはガジェットやディテールであって。
あとはまあ単純に、熱水噴出孔とエウロパだー! という面白さもあったけど。
ブラックスモーカーは1979年に発見されているから、1985年のSF作品に出てきてもおかしくもなんともないのだけど、でも、85年の作品に出てくると思っていなかったので驚いた、というのもある。


第三部のタイトルに系統分岐とあるが、作中でもこの言葉は出てくるし、クレードもキーワードとして出てくる
人類がそれぞれ小集団に分かれていくこと、あるいは分かれた小集団を指しているっぽい?
ちょっと独特な用法で使われているような気はした。
分岐学が出てきた時期を考えれば、やはり1985年にSFに使われていてもなんら不思議ではないが、出てくると思ってなかったので驚いた