サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』(市田泉・訳)

滅法面白く装丁もかっこいい短編集
各SF雑誌で掲載された短編を収録しており、筆者初の単行本である(ただし、邦訳された本としては2冊目。長編『新しい時代への歌』が先に邦訳された)。


まず、内容ではなく装丁の話からする。ジャケ買いに近い感じだったので。
本書も『新しい時代への歌』も竹書房文庫から出ている。竹書房文庫は2015年頃からSFに力を入れ始めているのだが、さらにここ最近だと、坂野公一による装丁で、書店の本棚の中で存在感を放つようになっているように思う*1*2
で、本書の装丁もご覧の通り。
自分はいくつかの書評記事で本書の存在を知ったので、厳密にはジャケ買いとは言えないが、しかし、図書館で借りたり電子書籍で買ったりするのではなく、これは紙の本で買おうと思ったのは、間違いなくこの装丁によるところなので、ジャケ買いしたといえないこともない。


初出はいずれもSF誌であり、どの作品も確かにSFではあるのだが、科学的な設定をゴリゴリ読ませるタイプの作品ではなく、SFではない小説を読んでいる気分にもなる。
いわゆる奇想系なのかなという作品も多いが、いずれの作品も、物語の主眼はそうした奇想にはなくて、人間関係の機微だったりなんだったりにあるように思う。
じっくり染み渡ってくるような叙情がある。
「深淵をあとに歓喜して」が白眉。これはSF成分がほぼなくて、とある老夫婦の物語

追記(20220726)

一筋に伸びる二車線のハイウェイ

コンバインに腕をめった切りにされて高性能義手をつけることになった青年アンディの物語
ところで、この義手のアイデンティティ(?)がコロラドの高速道路だったという奇想が展開されていくのだが、しかしここで描かれるのは、彼を取り巻く人間関係で、特に入れ墨師をしている幼なじみローリとの関係に主眼が置かれている。

そしてわれらは暗闇の中

ある日、世界中で自分の赤ちゃんの夢を見る人たちが現れる。そして、カリフォルニア沿岸のとある岩の上にその赤ちゃんがいると分かり、やってくる。
主人公はそんな中の1人。
パートナーであるタヤを置いて、帰りのキップを買うお金もないのにカリフォルニアへ行ってしまう。タヤは後から追いかけてくれるが。

記憶が戻る日

1年に1度、母親とともに式典へ行く日がある。
読んでいくうちに次第にどういうことなのか分かってくるのだが、かつて、何らかの戦争があり、それがあまりにも悲惨であったために、従軍した軍人たちの記憶が封印されている(<ベール>)。
年に1度、記念式典の日だけその封印が解除される。その日、彼らはかつての仲間と集うとともに、次の年も記憶を封印するかどうかを投票して決めている。
主人公の母親は、やはり記憶を封印されている退役軍人で、父親は既に戦死している。戦争に関わる記憶はまとめて封印されているので、主人公はその日に父親とのことを質問する。
しかし、自分の知らない母親のことを訊けずじまいになったことを悔やむ

いずれすべては海の中に

気候変動により海水面が上がった未来。大富豪は豪華客船で生活をしており、それ以外の多くの人々は滅び行く世界の中で暮している。
海岸でゴミあさりをして生活しているベイは、漂着してきた女性を見つける。人間が漂着するのは珍しくないが、まだ生きているのは珍しく、家へと連れて帰る。
漂着してきたのはミュージシャンのギャビーで、船に乗船していた(大富豪側ではなく、いわばスタッフ側)のだが、その生活に違和感を覚えて下船したのだ。
ベイは、パートナーと生き別れてしまいいつか戻ってくるかもと海岸で暮らし続けている。たまたまベイはギャビーを連れて帰るが必ずしも助けたわけではない。
ギャビーは、1人街へと向かうが、サバイバルに慣れていないので、またもベイに助けられる。
この2人が、友情とも言いがたい妙な関係を結ぶまでの物語

彼女の低いハム音

父親が、亡くなった祖母を機械で作り直す話
父とともにどこかへ亡命する
祖母ではなく新しい彼女と生活をやり直していく

死者との対話

模型作りが趣味の主人公グウェンに、ルームメイトのイライザが依頼をもちかける。
ある殺人事件が起こった家を再現してもらえないか、と。
イライザは、グウェン以外にも友人たちを動員して、その模型の家に質問すると、被害者がそれに答えるという代物を作り上げ、それを販売し始める。
(ちなみにこの受け答えというのは、事件マニアのルームメイトが事件のデータを入力したAIに出力させていて、声は他の友人が吹き込んでいる)
ただ、イライザがグウェンAIを勝手に作ったために決裂する。幼い頃、グウェンの弟が失踪しており、イライザはそのことを知っていた。
ただ、グウェンは自分しか知らないことをAIは答えられないことを確認する。
イライザの方はそのままこの商売で一財産を築くのだが、この話は、イライザの自伝に書かれていないことをグウェンが回想形式で語るという体裁になっている

時間流民のためのシュウェル・ホーム

異なる時間の風景が見えてしまう(時間飛躍する)者たちが共同生活しているホーム
その中でも特に同室での生活を続けるマーガリートとジュディについての掌編

深淵をあとに歓喜して

建築家の夫のジョージが倒れ入院することになった妻ミリーが、彼との過去を思い出しながら、変わってしまった契機に気付く話。
年齢的にはいつ倒れてもおかしくない状況であったが、近くに住んでいた孫のレイモンドが時々手伝いにきてくれたりしながら、2人での余生を送っていた老夫婦。
夫の緊急入院により1人でベッドに入った夜、ミリーは1951年にも1人で眠りについたことがあったことを思い出す。
元々、建築という仕事に深い情熱を傾けていたことに惹かれて結婚したのだが、軍からの要請で出張したのを転機に、彼は仕事への情熱を失ってしまう。帰ってきた日の夜、子どもたちのために庭に建てたツリーハウスの中でうずくまる姿を見るが、その時はその方がよいと思って何があったのかは詳しいことは聞かずじまいだった。しかし、その時に一体何があったのか本当は聞いて共有すべきだったのではないかと後悔する。
翌朝、病院に戻る際に、レイモンドにツリーハウスで捜し物をしてほしいと頼む。果たして、あの夜に夫がしまい込んでいた図面が発見される。
意識を失いながらも手だけが何かを描こうとするジョージに、ミリーは再び寄り添う。
本書収録作品の中で、もっともSF要素の少ない作品で、夫が軍事施設の中で見た「何か」というのが一応SF要素といえばSF要素になっている。夫は「何か」を閉じ込めるための牢獄の設計をさせられ、それにより建築へ夢や理想を託すことができなくなってしまった。
一方で、自宅の庭に、子や孫の希望に従って増築を続けたツリーハウスを作っており、ツリーハウスを作る時だけ、若い頃の情熱を取り戻しているようでもあった、と。
老いた母の意向は無視して、しかし本人としてはよかれと思って、話を進める息子たちや、彼女のことを手伝っている孫のレイモンドだけ、他の子と性格が違うと評されていたり、家族関係の機微がそこかしこにありつつ、長く一緒に暮し続けきた幸せの夫婦の関係に隠されていた暗い事実と、もう一度やり直すことができるはずという仄かな希望のあいまったエンディングが、じわっと浸みる。

孤独な船乗りはだれ一人

船乗りたちが集う酒場・宿屋で働くアレックスが主人公。
入り江の入口にあたる岬にセイレーンが住み着き、入り江から出られなくなってしまった船乗りたち。たびたび挑戦者が出てくるが、いずれも戻ってこない。
子どもにセイレーンの歌声は効かないと信じる船長の一人が、主人公に声をかける。
この主人公、実は男ではなく、女でもない。

風はさまよう

世代間宇宙船を舞台にした、失われた文化・歴史を守ることについての物語。
他の惑星への移住を目的に出発した世代間宇宙船。3世にあたる歴史教師・フィドル奏者の女性が主人公。
この宇宙船は、地球のあらゆる文化を記録したデータベースをもっていたが、出発から数十年後にある男により全て消されてしまう。失われてしまった地球の文化を、宇宙船の住人たちは自らの記憶により復興させていく。
この船に乗っているあらゆる芸術家は、地球で生まれた文化を記憶し引き継ぐことが仕事となった。主人公の祖母は、その運動の中心人物だった。主人公もフィドル楽曲を記憶することを使命としており、彼女が担当している曲のタイトルが「風はさまよう」
曲の楽譜などを覚えるだけではなくて、その曲の由来なども暗記している。
ある日、彼女の生徒の一人が、もう二度と戻ることのない地球の歴史を知ることに何の意味があるのか、より実用的な知識の教育をすべきではないか、と彼女の授業で主張する。その反抗はクラス内へと広がっていく。
彼女の母親と娘も、芸術家が単に過去の地球の文化を記憶するだけで、新しい作品を生み出せないことに反抗していた。彼女は、自身の母親についてはカルト化したと否定的である。一方、娘については、彼女の新曲の中に地球の曲のフレーズが混ぜられていたことに気付き、密かに新しい可能性を覚えている。
宇宙船内で生まれた3世の彼女は、地球の風景を何一つ知らない。1世たちの記憶だけで再現された地球の歴史がどれだけ信用できるものなのかも確かめようもない。そういう状況下で、歴史を語り継いでいくとはどういうことなのか、何故それに意味があるのかを彼女自身が改めて認識し直していく物語

オープン・ロードの聖母様

長編『新しい時代の歌』の主人公ルースが主人公。『新しい時代の歌』からさらに時代がすすんでおり、主人公も中年になっている。
自分は『新しい時代の歌』は未読だが、この短編は、これだけ独立して読んでも分かるように書かれている(というか、そもそも長編発表前に書かれている?)。
パンデミックによって、ライブなどが規制されてしまった未来が舞台で、多くの音楽活動はホロというバーチャル・ライブへと移行してしまっている中、主人公たちはリアルでのライブに拘って貧乏全米ツアーを続けている。

イッカク

これもまた表だったSF要素は少ない話だが、その要素が効いている。
主人公は、亡くなった母親の車を故郷まで運ぶので運転を手伝って欲しいという仕事の依頼を引き受けるのだが、当日現れた車は、クジラの形をしていた(普通の自動車の上にクジラのガワをつけている)。
依頼人も、母親がこんな車を持っていたとは全く知らなかったという。
主人公は、ほぼアメリカ横断となる行程なので、観光ができるのではないかとこの仕事を受けたのだが、依頼人は日程を守ることに厳しく、全く寄り道をさせてくれない。
とある田舎町に泊まった際、こっそりと抜け出して訪れた博物館で、町に起きた爆発事件を再現したジオラマの中にクジラの車を見つけるのだった。
はっきりとは語られないのだが、依頼人の母親がどうもヒーローだったっぽい。その町の博物館は、記録されていないその活躍を、ひっそりと記録しようとしたものだった。

そして(Nマイナス1)人しかいなくなった

並行世界ミステリものにしてアイデンティティSF
並行世界との往来が可能になった世界で、それぞれの世界のサラ・ピンスカーを集める会が開かれる。
保険調査員をしているサラは、その招待状の招きに従って、その島へと訪れる。そこで何百人もの自分と出くわすことになる。
みな自分でありながら、少しずつ異なる自分たち(職業、住所、髪型や服装が違っていたり、姓が違っていたり、場合よっては性別が違う者も若干名いる)
この会の主催者であり、そもそも並行世界を行き来する方法を発見した量子形而上学者であるサラ・ピンスカーの死体が発見される。
会場となったホテルの支配人であるサラ・ピンスカーは、探偵(正確には保険調査員)であるサラ・ピンスカーに調査を依頼する。
容疑者も被害者も目撃者もみんなみんなサラ・ピンスカーという奇妙な状況で、主人公は調査を開始する。そもそも動機は一体何なのか。そしてある種の入れ替わりトリックが。
登場人物みんなサラ・ピンスカーという状況が(そして主人公のどこかちょっとのんきなところと相まって)少なからずユーモラスな雰囲気を漂わせている作品なのだが、人生の中の無数の選択や分岐点で枝分かれした多数の自分たちの中で、一体どの人生が幸福なのか、失ったものをまた取り戻すことはできるのか、という、どこかイーガンのアイデンティティSFを想起させるようなテーマが展開されている。

*1:自分はあまりコンスタントにチェックできていなかったのだが、本書を探しに書店に訪れた際に、竹書房文庫の一角が独特のセンスで統一されていることに気付いた

*2:読んだ当時、デザイナーの名前まで意識してなかったが大森望編『ベストSF2021』 - logical cypher scape2も坂野公一によるもののようだ