布施英利『構図がわかれば絵画がわかる』

美術における構図入門、といった感じの新書
タイトルに「絵画」とあるが、取り上げられる作品の中には、写真、彫刻、建築、庭園も含まれており、美術作品と言った方がより正確。
最初のStep1~Step3が「平面」「奥行き」「光」で、最後のStep4が、筆者の専門である美術解剖学の話でもある「人体」となる。
全ページフルカラーとなっており、それぞれ具体的な作品を挙げながら、「です・ます」体の話し言葉に近い文体で書かれている。
なお、仏像・仏教への言及が非常に多く、そのあたりはもはや構図論という枠を超えて、仏教美術論に突入している。まあ、語り口がエッセー調なところもあるし、ちょっとそういう寄り道的なところがあってもいいのかなと思いながら読んでいたけれど、最後になって、仏教の話をしていることによってこの本の構図が破調の美(この言葉を筆者は使っていないが)になるようにしたんですよというようなことが書かれており、思わず「ナ、ナンダッテー」となってしまうw
「単に仏教・仏像の話がしたかっただけやろ」「構図の話と関係ないやろ」って言いたくなるし、実際当たらずとも遠からじだとは思うんだけど、「こうやって構図と関係ない話をこのバランスで混ぜることが、まさに構図とは何かの実践なんですよ」というようなことを言われ、「うーん確かに構図の実践なのかもしれない」「まあ内容、構図とは関係ないけど、仏教美術エッセーとして読む分には面白いしいいか」となんとなく言いくるめられてしまった読後感w


まあ、それはそれとして、絵を見るときにどんなところに着目すればいいのか、という点で色々とヒントになりそうなことは書かれているので、ちゃんと構図入門としても役に立つ

Step1 ——平面——
 第1章 「点と線」がつくる構図
   1、点
   2、垂直線
   3、水平線
 第2章 「形」がつくる構図
   1、対角線
   2、三角形
   3、円と中心

Step2 ——奥行き—— 
 第3章 「空間」がつくる構図
   1、一点遠近法
   2、二点遠近法
   3、三点遠近法
 第4章 「次元」がつくる構図
   1、二次元
   2、三次元
   3、四次元

Step3 ——光——
 第5章 「光」がつくる構図
   1、室内の光
   2、日の光
   3、物質の光     
 第6章 「色」がつくる構図
   1、赤と青
   2、赤と、青と黄色
   3、白と黒

Step4 ——人体——
 第7章 人体を描く
   1、西洋美術史のなかの人体
   2、アジアの仏像
   3、なぜ仏像は誕生したのか
 第8章 美術解剖学
   1、「体幹の骨格」を解剖する
   2、「体肢の骨格」を解剖する
   3、人体とバランス

構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)

構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)

第1章 「点と線」がつくる構図

1、点

フェルメール『デルフトの眺望』
カルティエブレッソン
『デルフトの眺望』は、川辺に人が立っているのだが、この人を除去したものと、元の絵の両方を示して、人(点)の配置が画面を引き締めている、と
あと、構図って何かという話をするために、わざとピンボケで撮影した『聖アンナと聖母子』が図示される。描かれている内容が何か分からなくても、構図は分かる。

2、垂直線

フェルメール『牛乳を注ぐ女』
千住博ウォーターフォール
ライト『落水荘
デュシャン『遺作』『大ガラス』
垂直、というのは重力を示している、という話で、絵画だけでなく、フランク・ロイド・ライト落水荘まで例として出てくる。
デュシャンの『大ガラス』は、オリジナルが置いてある美術館の配置的に、ガラスの向こうに庭の噴水が見えるようになっていて、実はデュシャンのテーマは垂直だったのではないか、と

3、水平線

重森三鈴 東福寺・方丈庭園
普通は壁や襖に描かれる市松模様(垂直)を庭のデザインにしている(水平)
グリューネバルト『キリスト磔刑図』
ホルバイン『横たわるキリスト』
人の身体の水平と垂直
セザンヌ『リンゴ籠のある静物
フランチェスカ『キリストの洗礼』
水平線が「安定」させる

第2章 「形」がつくる構図

1、対角線

ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』
ピカソアビニョンの娘たち』
対角線の構図の例として出されるのは上の2作
『聖アンナと聖母子』は、腕の流れとかで対角線があるのはまあなんとなく分かるのだが、『アビニョンの娘たち』は対角線だというのがなかなかピンとこなかった。
当然、対角線の構図があるのはわかるよね、みたいな書き方なので、どうすればそこに対角線があるのか分かるようになりたい、とは思った。

2、三角形

ピカソゲルニカ
ムンク『叫び』
ゼウス神殿 西破風
尾形光琳紅白梅図屏風
まず、『ゲルニカ』と『叫び』の比較
どっちも不安や恐れを誘うような内容だけど、前者は落ち着いて見え、後者は不安定に見える。
ゲルニカ』には三角形があって、『叫び』は逆三角形になっているのが、違いを生んでいる。
なるほど、『叫び』は逆三角形として見るのか。
筆者がムンクの絵から連想してしまう光琳の絵。曲線が似ている。光琳の絵は『叫び』とは向きが逆の三角形。しかし、光琳を上下反転すると、かなりムンクっぽくなるのでは、と

3、円と中心

アットマーク
チマブーエ『聖母と天使たち』
ジョット『ユダの接吻』
クラナッハ『黄金時代』
デュシャン『自転車の車輪』
ジョーンズ『4つの顔のあるターゲット』
サーンチー遺跡のストゥーパ
円の構図といって、最初に出てくる具体例が「アットマーク」なのが面白い。美術館に展示されるようになって、美術作品的なデザインとして扱われるようになったんだという話
宗教画とレディ・メイドやポップアートの具体例をあげたあと、急にサーンチー遺跡の話になる。しかも、ここだけ、筆者がこの遺跡を訪れた時の旅エッセイみたいなのが始まるw
内容としては、仏教美術の初期において、釈迦は直接描かれることがなかった。釈迦の物語を伝える彫刻とかあるんだけど、釈迦を示すところは人間の姿ではなくて、別の象徴とかを使っていた。そして何より、仏舎利の入っているストゥーパがあって、それが釈迦の存在感を伝えていたから、釈迦の姿を表す必要がなかった(仏像はなかった)、と。

第3章 「空間」がつくる構図

1、一点遠近法

ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
ウッチェロ『森の狩人』
・遠くのものは小さく、近くのものは大きい
・モノの配置が、消失点に向かって並ぶ
・三角形の構図を作る
→遠近法は、奥行きや遠近だけでなく、「安定させる」効果がある

2、二点遠近法

ゴッホ『オーヴェールの教会』
二点遠近法というのは、消失点が2つある。この場合、画面の左右に消失点があって、建築物がこちらに出っ張って見える(一点遠近法は、奥の方に引っ込んでいるようにしか見えない)

3、三点遠近法

大徳寺・大仙院の枯山水
下の方に消失点があって、上からのぞきこむようなとこから見ると、高さ方向の奥行きがでる
『オーヴェールの教会』も三点遠近法が使われている

第4章 「次元」がつくる構図

1、二次元

ジョーンズ『星条旗
ウォーホル作品
アビニョンの娘たち』
二次元である旗を二次元のメディアである絵に描いて、絵が二次元であることを明快に示したジャスパー・ジョーンズ
ウォーホルもまた、絵画には表面しかない、ということを知らしめる
ところで、ここでウォーホルの人物像について、学生時代の友人が、ウォーホルは素描の技術は優れていたが目立たない学生だったと述べていることを、ここでは取り上げている。
何となく、ウォーホルは目立つのが上手い人、のような印象を持ってしまいそうだが、実際にはそうではなかったのだ、と。そして、絵の技術が実はとてもうまい、と
ウォーホルの作品に、絵画の技術はあまり関係ないように見えるけれど、構図、色彩、モチーフの選択にその技術は生かされているのだ、と。その技術によって、絵画の二次元性を露わにする作品を作った
ピカソは、ジョーンズやウォーホルのそのような試みの原点にいる人
二次元的な絵だけれど、しかし、三次元的になりそうなところもあって、せめぎあいのある作品

2、三次元

セザンヌ『サント・ヴィクトワール山とアーク川渓谷の橋』
長谷川等伯『松林図屏風』
セザンヌの作品は、消失点がいくつもある。それは、一点遠近法か二点遠近法かとかそういうレベルの話ではなくて、視点が複数存在している
で、ここでは、この絵を真正面から見て撮った写真と、斜め右、斜め左からそれぞれ見て撮った写真を並べてみせて、どっちの方向から見るからで印象の変わる作品なのだと論じられている
斜め方向から絵画を見る、という鑑賞は、セザンヌ独自のものではない、として、次に例にだしてくるのが屏風
屏風は、ジグザグにして自立させるわけだが、等伯は、ちょうど出っ張った部分の松を濃い色で、引っ込んだ部分の松を薄い色で描いていて、ジグザグによって生じる奥行きと、色の濃淡で表現する奥行きとを一致させて、より効果的にしちている、と

3、四次元

『牛跳びの図』(BC1500年頃、クレタ
「パリジェンヌ」
イルカの壁画
ダンサーの壁画
彫刻「牛跳びをする人」
アルカイック期の壺
ゴッホ『星月夜』
ゴッホ以外は、古代ギリシアの壁画や彫刻の話で、運動が描かれているものについての話になっている

第5章 「光」がつくる構図

1、室内の光

カラヴァッジョ『聖マタイの召命』
フェルメール『兵士と笑う女』
どちらも、窓から差し込む光によって、室内の人物が照らし出されている絵
カラヴァッジョの作品の方は、闇の中で人物が光によって照らし出されているものだが、
フェルメールの方は、光が空間を浮かび上がらせている、と比較されている

2、日の光

モネ『積みわら』シリーズ
モネ『渓谷』シリーズ
モネ『アルジャントゥイユの鉄道橋』
モネ『印象・日の出』
連作によって、時間の変化=「四次元」を描いている

3、物質の光

シャルトル大聖堂のステンドグラス
サン・ヴィターレ大聖堂のモザイク壁画
ガウディ『カサ・ミラ
モネ『積みわら』
絵に描かれている光、ではなくて、光そのものを見せる作品としての、ステンドグラス
それから、光を反射するモザイク壁画
同じくタイルを使ったガウディのカサ・ミラは、青いタイルが中庭の壁に沿って貼られている。太陽の光に近い上の方は明るく、地面に近い下の方は暗いが、タイルの青色が上の方が濃く、下の方が薄くなっているので、上から下まで同じ色のように見える、という代物
最後に再び『積みわら』
今度は絵に接近して見る。本物の絵だと、絵の具の塗った痕跡が残っているわけで、それを見ることで、絵が「モノ」であるということが分かる。
絵は「モノ」である。「モノ」であるが、それがイリュージョンとしての光を見せる。それが絵というものなんだーという話

第6章 「色」がつくる構図

1、赤と青

ダ・ヴィンチモナリザ
ムンク『叫び』
遠近法には、線遠近法、空気遠近法、色彩遠近法がある
線遠近法は、第3章で述べた通り
空気遠近法は、近くのものはくっきり、遠くのものはぼんやり見えるというもの
色彩遠近法は、青い色は遠くに、赤い色は近くに見える、というもの
モナリザ』は落ち着いて見え、『叫び』は不安定な感じに見える。
青い色が落ち着いていて、赤い色が攻撃的だから、というのもあるが、色彩遠近法も関係している。
モナリザ』は、実際の空間の秩序(遠近)にしたがって、色も塗られている
一方、『叫び』は、遠くにあるものが赤く塗られており、色彩遠近法的には、空間の秩序を破壊している。これが不安定さに繋がっているのだ、と

2、赤と、青と黄色

ジョーンズ『4つの顔のあるターゲット』
シャガール『私と村』
ピカソ『横たわる裸婦』
ルノワール『ピアノの前の少女たち』
ピカソ『赤い肘掛け椅子の裸婦』
ジャスパー・ジョーンズの『ターゲット』は、アーチェリーか何かの的(ターゲット)を描いた作品だが、使われている色が、赤、青、黄色の三原色
それ以降は、補色の話
シャガールピカソルノワールのそれぞれの作品は、補色が使われている。たまたま、その色だったのではなく、補色であるを使って構図を作っている

幼い子どもに絵を描かせたら、いっけん(引用注:ピカソと)似たような描き方をするかもしれませんが、色彩の理論を外さないやり方は、決して子どもにはできないでしょう。ピカソは子どものように描いたが、子どもはピカソのようには描けない、のです。
(p.178)

3、白と黒

千住博『Cliffs』シリーズ
クワクボリョウタの作品
ダ・ヴィンチ『洗礼者ヨハネ
オブジェの影を壁に映すクワクボの作品
背景が闇となっているダ・ヴィンチの作品
水墨画として描かれる千住の作品

夢窓疎石 永保寺の庭園
最後、Step1~3の総まとめとして、夢窓疎石の庭園があげられる。
垂直に落下する滝、水平面の池、半円形の橋、逆向きに半円形となっているお堂の屋根、遠近法的な錯覚で実際より大きく見える山、青いことで遠く感じられる空、庭の背後の地平線
最後に、筆者は「構図とは、宇宙を要約したもの」とまとめる
宇宙の形やリズムを目に見えるものにするための装置が「構図」

第7章 人体を描く

1、西洋美術史のなかの人体

キクラデス彫刻
クーロス像
ゼウスまたはポセイドン像
ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』『洗礼者ヨハネ
エル・グレコ『キリスト磔刑図』
ブーシェ『ソファに横たわる裸婦』
マイヨール『地中海』
古代ギリシアから20世紀までの彫刻及び絵画の人体について
やはり、垂直や水平についてで、人体の表現が重力の表現と結びついていることが述べられている
そのうえで、なぜ「人体」なのか? その疑問を解くためにアジアの仏像へ

2、アジアの仏像

ガンダーラ
釈迦苦行像
マトゥラー仏坐像
第2章で述べたとおり、初期の仏教美術において釈迦の像は作られていない
釈迦が亡くなって500年以上たったあとから作られ始める
仏像は、写実的な身体表現として始まる
あばら骨の浮き出た苦行像

3、なぜ仏像は誕生したのか

仏陀の話がどういう話なのか、という解説が始まる。
いや、そもそもなんで絵画の構図の話なのに釈迦の話が始まるのか、という当然のツッコミに対して、筆者は、「しかし私は、あえて「脱線」をしようと思います。完璧な構図が美しいのではなく、そこに「破れ」がはいったときに、美は完成する。及ばずながら自分も、そんな世界を構築することに挑戦したいからです。(p.224)」と述べ、さらに『蘭亭序』、ビートルズの『オブラディ・オブラダ』を挙げて「破れ」について述べ、さらに、安藤忠雄の『国際子ども図書館』が、古い建物に新しいガラスの建物が串刺しにされているようになっているという例をあげて、この本に、構図とは関係ない話が混ざっていること事態が、構図論の実践なのだとすら述べる。
なお、この説だけが、二段組になっていたりもする


釈迦の生涯を「八相成道」という8つの出来事に沿って説明してく。
いやこれは非現実的なのではないか、みたいなツッコミを度々いれつつ、いやでも、これ聖人・偉人の話だし、そういうものだと思って読み進めないとダメだよ、と思い直して読み進めるんだけど、またツッコミを入れるのを繰り返して進めいていくのが面白いw
で、最後に、筆者がサールナートの博物館で、とある仏像を見た時の話が、また旅行記風に書かれて終わる

第8章 美術解剖学

1、「体幹の骨格」を解剖する

脊柱の話
で、モディリアーニの絵は、肩が描いていなくて、柱としての脊柱を描こうとした作品なのではないか、と
あと胸郭の話

2、「体肢の骨格」を解剖する

脚と腕の話
足首のところが台形になっていて、これによって、足首が曲がっている時(普通に立っている時)は向きがロックされて、足首を伸ばすと左右に動かせるようになる、という説明がなされて、「人体すごい」

3、人体とバランス