『SFマガジン2019年4月号』

特集「ベスト・オブ・ベスト2018」ということで、『SFが読みたい!』でベストSF2018に選ばれた作家の書き下ろし等が掲載

SFマガジン 2019年 04 月号

SFマガジン 2019年 04 月号

飛浩隆「サーペント」

『零號琴』のトロムボノクとシェリュバンの出会いを描く新作の冒頭部分
大学や研究機関が多く集まる惑星で起きた事件に、技芸士ギルドが関与しているのではないかという疑惑が高まり、その疑惑を払拭するために派遣されたトロムボノク
多くの研究者が集まりながらも、なぜか研究対象とすることがタブーとされている特殊楽器「サーペント」=楽器人間が、事件を引き起こしていた


*1景芳「戦車の中」

とある部隊の隊長「俺」とロボット雪怪が訪れたとある村で出くわしたのは、陸軍総部の偵察任務についているという機械車
しかし、この機械車は様子がおかしい
囚人のジレンマを使った逆チューリングテストを仕掛けて様子を見る
人間が機械を使っているのか、機械が人間を支配しているのか、みたいな世界らしいということを垣間見せる短編
短すぎて、もうちょっと読ませてくれぇという感じだった。
郝景芳(ハオ・ジンファン)といえば「折りたたみ北京」
今年は、白水社から短編集『北京 折りたたみの都市』、早川から短編集『人之彼岸』が刊行予定とのこと

円城塔「書夢回想」

もはや紙の書籍というものがなくなってしまった時代、解体業の私は、とある書店にやってきて、三次元性を活かしていない三次元のデータ構造(つまり紙の本のこと)がうずたかく積まれた書店に圧倒される。
一方、本の一節の中に紛れ込んだ、書店を探す調査員という文字列

上田早夕里「銀翼とプレアシスタント(抄)」

オーシャン・クロニクルシリーズ!!
このシリーズの中で最も現代に近い時代、まだ日本列島がリ・クリティシャスで沈みながらもまだかろうじて日本列島である時代
海上保安庁パイロットをつとめる主人公が、民間の航空ショーの計画に誘われる話
タイトルに(抄)とあるとおり、作品の冒頭の一部が掲載されているのみで、書き下ろしで刊行予定とのこと
今年は、戦前上海三部作の二部の連載も始まるとのこと

高島雄哉「無重力的新世界」

アートオークションサイトを経営する社長が、各ジャンルの売り上げトップアーティスト11名をつれて宇宙旅行
新しいアート作品を作ってほしい。過去の作品に一度も使われていない要素が一つでもあればよし、そうでなければシャトルを爆破する。宇宙に着くや社長はそう宣言した。
画家、彫刻家、作曲家、小説家、舞踊家、調香師、写真家、ゲームデザイナー、配信者、VRアーティスト、AIアーティスト

草野原々「大進化どうぶつデスゲーム」

これも長篇の冒頭部分
3年A組の女子高生18人が、ヒト宇宙とネコ宇宙、どちらが生き残るかを賭けた大進化どうぶつデスゲームに参加させれることになる
突然、学校がジャングルの中へと移動し、謎の化け物に襲われるという漂流教室っぽい始まりと、視点人物が次々と切り替わっていって、A組の人間関係がそれぞれの視点から描かれていく

石川宗生「野生のエルヴィスを追って」

タイトル通り、野生のエルヴィス・プレスリーについて
絶滅危惧種となってしまったヒト科エルヴィス・プレスリー属を追うルポルタージュ風の作品
オーストラリアの砂漠、フィリピンの海、アメリカの空、それぞれの地域のエルヴィス・ハンターの話

ニール・スティーヴンスン「アトモスフェラ・インコグニタ」

解説曰く「「宇宙開発への斬新なアプローチ」を扱ったSF」
ティーブンスンは、ブルーオリジン社のアドバイザーをやっていたとか
この作品は、超高層タワーを建築する話
高度2万メートルなので、正確には宇宙ではないが
主人公のエマは、不動産業界で働いており、ある時、大富豪となった幼馴染のカールと再会する。カールは、エマに対してこの一大プロジェクトのための用地買収を依頼する。
結局、エマは用地買収だけでなく、タワー建設プロジェクトそのものにかかわっていくようになる
タワー建築にまつわる技術的なあれこれが語られ、建築がすすめられていく。
もちろん建築には長い年月がかかり、カールはエマより先に亡くなってしまう
物語の最後は、カールの遺灰を撒くために上層階へと訪れたエマたちが、下から上へといく巨大な雷に遭遇してしまう話
その場にいたエクストリーム・スポーツやっている男が、点検を終えたあと、パラセイリングのために飛んで行ってしまって、それを主人公が「彼はロケットのない宇宙飛行士なんだ」とたたえる。

草上仁「半身の魚/必殺!/二つ折りの恋文が」

ショートショート三篇

樋口恭介「一〇〇〇億の物語」(20190323追記)

人類はソフトウェア化されて、量子サーバの中の自治区で生活していた
「あなた」は、その中で暮らすS・メアリー797
ある日、恋人の身体が縮小しはじめた
それは、リソース不足を補うために、政府が始めた「縮小化」で、ランダムに選ばれた人々から順にサイズが縮小していった。
もともと物理世界でリソースが足りなくなったために、人類はソフトウェア化の道を選んだのだが、サーバ内でもさらにリソース不足が発生するという話になるのはちょっと面白いなと思った
その後、「あなた」だけ何故か縮小化が始まらず、縮小した恋人、家族、友人、そして世界全体の世話をすることになる
という展開になって、世界が入れ子状になっているようだということが書かれていく。
抒情的な時の円城塔っぽい感じがちょっとあった

柞刈湯葉「たのしい超監視世界」

まだ読めてない
あとで読む

三方行成「折り紙食堂 エッシャーのフランベ」

まだ読めてない
あとで読む

*1:赤へんにおおざと

藤井太洋『公正的戦闘規範』

デビュー作を含む5編を収録したSF短編集
藤井作品をそれほど多く読んだわけではないのだが、現実に存在するテクノロジーの延長上にある未来を、ポジティブに・楽観的に描く、というのがおおむね作風と言っていいのではないかと思う。


いくつかの特徴があげられるだろう。
本人が、ITエンジニア出身であるということもあり、プログラミングやITあるいはIoT関連技術をネタにしていることが多い。
実在する技術や企業名などを作中に登場させることも多く、それが現在の現実世界との地続き感を演出している。
一方で、SFというジャンルのある種の宿命でもあると思うが、年月の経過に対して耐えうる作品にはならないかもしれない。作品の中で示される人間観・価値観などは古びないかもしれないが、固有名詞にはやはり賞味期限はあると思う。もちろんそれは悪いことではなくて、むしろあってしかるべき要素だとも思う。


ポジティブさ・楽観的な点について。
グレッグ・イーガン的楽観主義というか
技術の進歩によって、社会がよりよくなっていくというポジティブさがあり、また、そこでいうよりよい社会というのは基本的に自由主義的なものであり、また、それを支えるためには、教育や好奇心が大事だよねという価値観も背後にある。


複数の短編を連続で読むことで気づいたのだが、これらの作品は、物語上つながってはいないし、特段、同一の設定を共有しているわけではないが、類似の技術が複数の短編で共通して登場しているところがある。
物語には特に関わってこないディテールの部分なのだが、作者が注目してる技術だったりするのかな、と思ったりする。


あと、新しいテクノロジーが拓く未来を描く一方で、レガシーなものへの愛着というのも混ぜてくるところがあるなあと思った。


それから、物語の舞台は作品によってそれぞれ異なり、日本、フィリピン、中国、アメリカ、宇宙と様々だが、どの作品にも日本人が出てくるのも共通点か


以下、各作品のあらすじ・感想には、ネタバレに大いに含む

コラボレーション

読むの2度目だなーと思いながら読んでたのだけど、実際は3度目だった。
『SFマガジン2013年2月号』 - logical cypher scape2大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選さよならの儀式』 - logical cypher scape2
作者の第一長編『Gene Mapper』の前日譚にあたり、作者の商業誌デビュー作でもある。
検索エンジンの暴走でインターネットが使えなくなり、量子アルゴリズムとトゥルーネットの時代となった近未来。誰も使わなくなったインターネット上で、未だに動き続けるWebサービス(ゾンビ)を見つけては停止するという仕事をしている主人公。
ある日、かつての自分が作った決済サービスがゾンビ化しているのを発見する。
主人公は、量子アルゴリズムについていけなくなったので、ゾンビを探すという仕事をやらざるをえなくなっているんだけど、自分が昔作ったサイトをいじるのに、昔のMacBookを持ち出して仮想キーボードと重ねて、手が無意識に覚えているPHPのコマンドを打つというシーンが出てくる。
レガシーな技術(PHPや物理的なキーボード)と最新技術(量子アルゴリズムや仮想キーボード)を重ねるという話の作りになっていて、古いものでも新しいものとコラボレーションできたりやっていけたりできるんだ、みたいなところがある気がする。
遺伝的アルゴリズムによって盲目的な試行錯誤を続ける自動化されたプログラムに、親近感を覚えて思わず手を貸してしまう主人公、というのはいつ読んでも、個人的に好きなくだり。


クォンタム・ウォークという単語が出てきたけど、これはランダム・ウォークの量子版なのか。あ、これ、Wikipediaに記事のある単語だ。


東京の街並みの舗装が、設計サンゴと持続性アスファルトによって埃一つないものになっているという描写がある。詳細な説明は一切なく、未来世界のディテールを感じさせる単語としてしか登場しないが、設計サンゴは別作品にも登場する。

常夏の夜

フィリピンのセブ島で台風災害が発生
その復興支援について取材している日本人ジャーナリストのタケシが主人公。
彼は、フィリピン軍で支援物資をパーソナライズされた形でドローン配送する女性士官のウォン大尉と、量子アルゴリズムに長けたアメリカ人ITエンジニアと親しくなる。
そのエンジニアは、“フリーズ・クランチ法”という量子アルゴリズムを開発するのだが、これが様々なことに用いられ、事件を起こしつつも、様々な問題を解決していく。


ウォン大尉は、ドローンロジスティクスにおいて、巡回セールスマン問題に悩まされていた。また、セブ島では、災害により交通網が分断され、ジプニーと呼ばれる個人タクシーが活用されていたが、これがまた気まぐれで走るところがあるので、利用者から不満が出ていた。
フリーズ・クランチ法が、最適化問題を解決するという。
タケシとともに休暇に訪れていたリゾートビーチで、急遽、ハッカソンが行われることに。フィリピン中、世界中のエンジニア、ロジスティクス関係者がネットワーク経由で参加し、次々とAPIが開発されていく。
しかし、参加者のほとんどが量子アルゴリズムそのものは理解できていないことを、タケシは危ぶむ。
その危惧は現実化し、軍用ロボットが暴走してしまう。


この危機的状況を打破するために、タケシは軍用ロボットがまさに暴走している現場を突破して、要塞へ赴かなければならなくなるのだが、ここで使われるのがまたも“フリーズ・クランチ法”
これは、並行宇宙からありうる可能性を取り出してくるというアルゴリズムで、タケシの執筆支援APIとしても応用されていたのだが、それが未来予知的なものとして使えることに気づく。
ここらへんは、なんか量子力学ネタが好きだった頃のイーガンっぽい感じがするくだりだった


くだんのエンジニアは、クォイン・トスというアプリゲームを作って、地元の子供たちを遊ばせていて、その中に一人、天才的にそれがうまい子がいて
子供の頃から量子アルゴリズムに慣れ親しんだ世代を教育することによって、人間が量子アルゴリズムを理解できないせいで機械が暴走するなんてことはなくなっていくようにしないとね、みたいな感じで結ばれている。
でもってそれを人類の夏と形容して、セブ島の夏とかけてる。


この話では、台風災害にあったセブ島に、世界各国から最先端テクノロジーのいわば実験場として、災害支援が殺到している。
ドローン配送もその一つだが、それ以外に、成層圏ネットワーク企業「セルリアン」、ウェアラブルコンピュータを配布した「フーウェン」、超小型原子力発電装置「コバルト・セル」、設計サンゴブロックによる住居、持続性衣服といったものが出てくる。
成層圏ネットワークは別作品にも出てくるし、設計サンゴが「コラボレーション」にも登場していたのは前述の通り、持続性と書いてサステイナブルというルビを振ってるのも「コラボレーション」と同様。
また、人体通信(BAN)というのも出てくるが、これも別作品で出てくる。


量子アルゴリズムの例として、クォンタム・ウォーク、量子焼きなまし等の単語が出てきた


警備用ロボット「クラブマン」というのが出てくるのだけど、クラブマンというと同名のレイバーがあったのを思い出す。見た目も似ている気が。


公正的戦闘規範

主人公の趙公正は、上海の日系ベンチャー企業に勤めるデバッカー。謎の日本人オーナー九摩は、ウイグル族モンゴル族など多くの少数民族を雇っており、公正は数少ない漢人である。
彼は元々、地方の貧しい村の出身で、人民解放軍の兵役をきっかけに都会にでてきていた。
同僚たちの開発しているゲームが、自分が子供の頃に遊んでいた、官方手机(官製スマホ)のモバゲー「偵判打」に似ていることに公正は気づくが、同僚の誰もそんなゲームは知らないという。
会社は長期休暇期間に入り、公正は数年ぶりに帰省することになる。何しろ、片道3日はかかるので、兵役中は帰省できなかったのだ。
ところが、長距離列車に乗っている途中、突然武装警察の軍人に、秘密車両へと連行される。何事かと思ったら、そこには、九摩と、金髪のウイグル人女性上司
アイパシャがいた。
彼らによって知らされる「偵判打」の真実
そして、彼らがなそうとしている、ドローンテロ戦争への解決策とは?


「偵判打」は、メカニカル・ターク的ななんかなんだろうなーという予想はしたんだけど、もっと直接的でえぐかった


この作品世界では、中国政府とETIS(ウイグルイスラム国)は、延々とテロ戦争を続けている。
そこで用いられているのは、AIドローンである
人民解放軍は、完全自律型のドローン兵蜂を使用。兵士が死なないだけでなく、オペレータもいないのでオペレータの精神的負担もない戦争を実現していた。
一方のETISは、同じくAIドローンのキラバグを投入。同じく完全自律型だが、都市部にもはなたれ、無差別テロを実施している。


九摩は実は合衆国の特殊部隊に属していて、新しい戦争を作ろうとしていた。
戦争は、様々な新兵器を生み出しながら、そうした新兵器を次々と禁止していったという歴史があるが、彼らは、完全自律兵器・人間の介在しない戦場を禁止しようとしていた。
完全自律兵器は、攻撃される側に非対称性・不公平さを感じさせ、それがより過激なテロを生むという考えが背景にある。
九摩とアイパシャは、人間の兵士が戦場にたち、かつAI兵器ばかりでなく銃弾の一つ一つをもコントロールする最新兵装ORGANのデモンストレーションと、それを用いたETISの掃討のために、中国を訪れていた。
戦場に、兵器をコントロールをしている人間がいれば、貧しい側にも勝つチャンスがあるよね、という意味で公平性を担保しようということらしい
まあ、ORGANはめちゃくちゃ強いので、そう簡単には負けたりしないわけだが。


本作、『伊藤計劃トリビュート』に収録された作品らしく、ORGANという名前はそのためのようだ。


タイトルの「公正的戦闘規範」は、公平な戦場のためのルールという意味での公正と、主人公の名前の公正をかけている
なお、主人公は父親が天安門にいたことがあって、それもあってこういう名前がついているという設定
アイパシャが、対テロ兵士として戦場にたつのに対して、公正には、少数民族の側にたって戦い方を指南させてバランスをとらせる、というのが九摩のもくろみだった、みたいな話


ORGANの無双っぷりがすげー、みたいなところが、エンタメ的な見所だけど
テロとの戦いに対する藤井的方策として、なるほど、面白いこと考えるなーという感じがある
戦争がアンフェアなものになっているから、場外乱闘としてのテロが起きる。なら、戦争をフェアなものとして設計しなおすことができたなら、殺意を戦場内にとどめることができるのでは、と。
テロをなくすために、殺意、敵意、憎悪みたいなものをなくすという方向性ではなくて、それをなくすのはたぶん無理なので、せめてそれらを一定のフィールド内から出ないようにして、コントロールするという方向性の解決策であって
この作品の感想として、テロリストにルールを守らせるとか楽観的すぎるのではないか的なものも見受けられるけど、そうではなくて、テロリストがテロに走らざるをえない条件を作り替えようというものだし、ある意味では、現実路線でもあると思う。
それから、自律兵器がより憎悪を煽るという現象や、ロボット兵器は安いので容易にテロリスト側に転用されるというのは実際にすでにある話なのだけど、そういう観点から自律兵器の制限へ向かうという話はあんまり聞いたことがないので、その点も面白いと思う。
参考:P・W・シンガー『ロボット兵士の戦争』 - logical cypher scape2


なお、この作品にも成層圏ネットワークが登場する。中国成層圏携帯電話網や米国成層圏通信網ストラットコム。固有名詞が違うので、「常夏の夜」とは世界が違うのかなーという気もする。

第二内戦

読むの二回目
人工知能学会編『AIと人類は共存できるか』 - logical cypher scape2
2023年、アメリカの半分がアメリカ自由連邦(FSA)として独立。二つのアメリカが成立している状態(第二内戦)
技術的優位によって経済的繁栄を遂げ多様性を謳う合衆国と、「古き良き時代」の価値観を尊び銃所持の自由とAIの禁止を掲げる白人優位社会のFSA
ニューヨーク証券取引所でクォンツとして働くアンナ・ミヤケは、私立探偵のハルに、FSAへの偽名での入国を依頼する。
彼女が開発した「ライブラ」という証券取引プログラムが、FSAで無断利用されているという。
なんやかんやスリル・アクションがあった後、判明するのは、FSAには彼女の父親がいて、ライブラを改良して、送電網、Wi-Fi、自動運転車の最適化を行わせていた、と。
ライブラは、ニューロン・ネットワークを展開するプログラムで、「身体性」を持ったシステムを最適化することができるのだという。ここでいう身体性とその最適化について、アンナの父親はロドニー・ブルックスの名前を使って説明している。
ライブラは、個々のノードに「脊髄反射的に」処理させて、全体最適をはかるというシステムらしい



ネットワークの最適化って「常夏の夜」でも扱われていた話かと思う。
AIとの親和性高いし、作者の好きなテーマなのかなーとも思った。
「常夏の夜」は量子計算、「第二内戦」は分散アーキテクチャ(?)と解決に用いられているテクノロジは違うけど。


本作では、FSAがレガシーというかアナクロな世界として描かれており、決してその世界自体が肯定的に描かれている訳ではないが、古いガジェットのボタンの押し込む感触がいいよねみたいなシーンがあって、このあたりの感覚って「コラボレーション」と通じるところがあるかなーと思った。


本作でも、人体通信(BAN)という技術が出てくる。
「常夏の夜」ではそれほど物語の前面にでてこなかったが、本作では、主人公のハルがBANを縦横無尽に使ってアクションをこなしていく。
最終的に、ライブラが彼のBANにも入ってきて、彼の身体自身を最適化していくというオチにもなっている


本作は、実在企業等の名前が出てくる数がおそらく群を抜いて多い作品で、NetflixAppleアメリカン・エキスプレス、ボーイングUber、テスラ、AndroidLinuxPythonArduinoあたりが確認できた。
Python以外は、名前が出てくる以上のことはないけど

軌道の環

木星イスラム教徒=地球教徒で採掘労働者のジャミラが主人公
彼女が事故で死にかけたところ、とある輸送船に命を救われる。その船は、地球にヘリウム3を運ぶ輸送船なのだが、実は、地球圏と木星の間にある経済格差と搾取構造を打ち砕くべくテロ作戦へと向かう船であった。


木星にはニュー・カイロという浮遊大陸が作られていて、労働者が移民として入植しているのだけど、イスラム教徒たちは、宇宙生活のための人体改造(6本目の指等)を受け入いれる教義の変更を行い、次第に地球そのものを信仰するようになっていた。
アッラー・アクバル」が「偉大なる地球よ(アルド・アクバル)」とかになってる。
あと、木星英語(ユプリシュ)とかもあったりする。


船の中にはタケウミ・サトシという人がいて、自爆テロじゃなくて、地球そのものを巨大なリボンで覆って、外星系とコンタクトとれないようにしてしまえばいいという計画を密かにたて、ジャミラを巻き込む
(外星系って炭素が希少なんだよねー、でもリボンを作るためには炭素が必要なんだよねー、え、出発直前に逃げ出した船員って本当に逃げ出したのかってみたいな話です)
サトシは、ジャミラを敬虔な地球教徒と見込んで計画に巻き込んだのだが、敬虔な地球教徒であるジャミラは、木星からも地球が見えなくなるこの計画をさらに作り替え、なんとダイソン球(という言葉は作中に出てこないが)を作ってしまうのだった


藤井作品には珍しい(というかたぶん初めての)遠未来・深宇宙の作品であり、実在するIT・AIテクノロジなども出てこないが、作品のテーマというか価値観というかは、通底しているものがあるように思えて、その点、やはり一貫していると思う。
エネルギー問題とそれに伴う宇宙南北問題があり、それを解決するためにテロが計画されるが、さらなる先端テクノロジーによって、それに伴う問題点がないわけではないが、元にあった問題は解決に向かい、未来へのポジティブな方向性が示される、というような。


ただまあ、この作品の面白ポイントはどちらかというと、木星に移住したイスラム教徒はどのようにしてイスラム教徒たりえるのか、ということを考えた点だと思う。
メッカの方向へお祈りすると必然的に地球の方向へお祈りすることになるから、次第に地球信仰になっていくという、まあそりゃそうだよねみたいな話なんだけど
地球教という名前、どうしても銀英伝を想起してしまうが……
あと、量子もつれだかスピンだかを利用して、メッカの方向を必ず向く量子コンパスというガジェットが出てきたりする。


しかし、この作品の一番の見所は、実は冒頭のシーンで、ジャミラが宇宙服一つで木星大気を落下していくシーンが白眉だと思う
最初は何が起きているのかわからないのだが、「あ、もしかして木星が見えているのか」と読者がわかると、木星大気の中を落下しているというのがわかる。
もちろんそのまま落ち続けたら、いつか高圧大気につぶされて死ぬし、ジャミラもそれに気づいてやべってなるんだけど、それはそれとして、人間が身一つ(宇宙服だけ)で木星大気を落下していくというのは、今のところSFでしか見れない光景なので、ワンダー感がある

倉田タカシ『母になる、石の礫で』

不思議なタイトルだが、小惑星帯を舞台とした、ポストヒューマン宇宙SFである。
地球から逃げ出した12人の科学者が小惑星帯に作ったコロニー。そこで生み出された子どもたちが主人公だ。
宇宙で生まれ育った彼らの価値観、身体感覚、渇望、新たな世界への旅たちが描かれている。


第2回ハヤカワSFコンテスト最終候補作で、2015年の作品
正直なところ、実はこのタイトルでちょっと敬遠していたというか、読む優先順位を下げていたところがある。
大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2で「二本の足で」が面白くて、倉田タカシ面白いじゃんとなって、今回、これを読むに至った。
なんというか、いわゆるストレンジ系であったり、あるいは、円城塔であったり酉島伝法であったり、そういう系の作品なのかなーと思っていたところがあって、そういう作品が嫌いなわけじゃないけど、今はいいかーという気持ちだった。
しかし、実際は、わりとサイエンス系というか、ハードSFというほどではないにせよ、現実の科学技術の延長線上にある世界を描いてる話だった*1


上に、ポストヒューマンと書いたが、正確にはちょっと違う
ポストヒューマンSFというと、一般的には、人格のアップロードが可能になった世界を描くものを指すと思うのだが、本作はそういう話ではない。
肉体はまだ残っていて、不死になったりはしていない
しかし、身体改造はなされており(また、脳みそだけになったりもしている)、特に主人公たちは宇宙で生まれているので、重力の感覚が乏しかったりする。
で、ちょっと稲葉振一郎『宇宙倫理学入門』 - logical cypher scape2を思い出したのだが、宇宙植民をするには、人体改造が必須。しかし、人体改造してまで宇宙に行きたい動機はあるのか、むしろ人体改造したいコミュニティが先にあって、そうしたコミュニティが宇宙へ進出するのでは、という話を稲葉はしている。
本作の世界は、別に人体改造がポピュラーになっているわけではないが、進化した人類になるぞ、という動機を持った科学者たちが、地球ではそうした研究を進める自由がないから宇宙へ脱出するという話になっている。
そんで、そんなマッドサイエンティストたちによって生み出されてい待った二世だちの物語なのである。


また、タイトルにある「母」というのは、ほぼ万能出力機械となった未来の3Dプリンターのこと
科学者たちがこの3Dプリンターのことを「母」と呼んでいたので、二世たちは、母という言葉が指すのは3Dプリンターのことだと思ってた育っている


本作は「1 母になる」「2 石の礫で」「3 それとも」の三部構成となっているが、分量的には8割くらいが「2 石の礫で」で、「1 母になる」が序章、「3 それとも」が終章くらいの感じ
主人公たちは二世で、彼らは12人の科学者たちのことを「始祖」と呼んでいる。
ある日、母星=地球から巨大な何かが近づいてきていることに気付いた、主人公の虹が、霧や針、そして「新世代」の41とともに、始祖のもとへ相談しに行こうと提案するところから話が始まる。


物語が始まる30年以上前、地球では3Dプリンター的なものの発展が進み、なんでも生み出せるようになった。
いいことだけでなく、悪いことにも使われるようになり、例えば、銃火器のようなものを出力することはできないような規制がなされるようになっていく。
12人の科学者たちは、そのような規制・監視だらけになった地球社会から逃げ出すために、ひそかにロケットを作り上げ、脳みそだけになって宇宙へと脱出する
小惑星帯にコロニーを作った彼らは、新たな人類を作る実験と称して、母を用いて、「二世」である虹、霧、針、雲、珠を作り出す。
さらにその数年後、「新世代」を作り出すと、始祖たちは二世を行動を制限するようになっていき、二世と始祖の仲は険悪なものになっていく。
また、新世代は始祖たちに対して従順であったが、当初はたくさんいたものの、次第に数を減らしていった。
そんな中、二世の雲は、始祖のコロニーから逃げ出す計画を立て、珠と2人で脱出するのだが、彼らの乗せた船は爆発して彼らは死亡する。
2人が始祖に殺されたと思った針は、自分たちも殺されると考え、虹、霧、新世代の41を連れて、始祖のコロニーから逃げ出す。こちらの方は成功し、彼らは、別の小惑星に「巣」を作り、始祖たちからは距離をとって暮らすことになる。
と、ここまでは、回想シーンなどを通して、徐々に明らかになっていく話。


「巣」で、虹、霧、針、41の4人はそれぞれ別々に暮らしている。
虹は、4本の腕をもっていたが、そのうち2本は結局切除してしまった。実現する予定のない都市計画を延々と作っている。
霧は、自分の体内に母を取り込み、生体材料によって生み出すことを色々とやっている。普段は一番普通だが、精神的に不安定なところがあって、薬物を使っている。
針は、腰から下にもう一つ同じ姿をした上半身をつけており、また目がない。銃器のように母を使う。


霧と針は、始祖たちにたいしてのわだかまりを捨てておらず、始祖たちのコロニーについたあと、霧は彼らを殺そうとする。
虹は、雲と珠のことを事故だと思っており、始祖たちに対して思うところはあるも、殺意や憎しみなどは抱いておらず、むしろ母星から接近しているものたちの方を警戒している。
最初は、虹と、霧・針とのあいだで意見の食い違いがあり、
その後、彼らと始祖とのあいだでの争いが生じる。
霧と針、特に針は攻撃的な性格をしており、始祖たちと自分たちが共存することはできず、彼らを皆殺しにすべきだと考えている。
始祖たちは、母星からの接近にすでに気付いており、太陽系脱出計画を既にたて、出発が間近になっている。彼らは、二世たちにもともに来ないかと誘い、あるいは彼らはともに来るべきであると強制しようとする。
虹は、始祖たちの計画に少し心惹かれるところがある。
実は、41は始祖側についているのが分かって、虹たちが拘束されてしまう。
ところが、41と始祖たちの間にも食い違いがあって、立場が逆転して、虹たちが始祖たちを拘束する。
そして、母星からきたものが、コロニーへと到達する。
この母星からきた巨大構造物は、無秩序にものを生み出しては破壊してを繰り返し、彼らの「巣」や「コロニー」に対しても「攻撃」を加えてくるのだが、そもそもどのような意図なのかが分からない。
始祖たちの中には、母星が「門」を完成させ、人間を送り込んでくるのだというものもいれば、母星に人間はもはやいなくなったのではないかというものもいる
(基本的に、始祖たちも大雑把な方向性以外は、意見が統一されておらず、しゃべりだすとみんながてんでバラバラなことを言い出す)


最終的に、始祖たちは太陽系外へ脱出していき、虹、霧、針、41は始祖たちとは別の方向へ逃げ出す。
逃げ出した先は土星なのだが、実は、土星には既に他のコミュニティがあった。
始祖たちよりあとに、地球から逃げ出してきた人たちが、土星の環や衛星などに隠れ住んでいる。彼らは、一度に来たわけではなく、地球の様々なコミュニティが、それぞれ別の時期、別の理由でやってきており、土星内コミュニティは、非常に多様であり、母星から隠れるという以外では特に一致点ない。
虹たちもそこに受け入れられる
針は、自分たちに社会がないことが脆弱性だと思っていて、ここには社会があると分かる
一方、そもそも万能出力機械は、以前から母星では、独立した機械としてではなく、出力域があらゆる壁面などにあるような状態になっていて、それは土星も同じで、「母」という言葉も通じなくなっている。

*1:「二本の足で」や「再突入」もそうだろう。逆に「生首」はがっつりストレンジ系だ

Newton2019年4月号

SCIENSE SENSOR

200ギガパスカルでマイナス13度の超伝導
すげー、常温超伝導じゃんーって思ったけど、200ギガパスカルっていうのは割に合うのか?

FOCUS

  • 土星の環はあと1億年で消える?
  • 眠ってきた記憶を、薬を使って呼びさます

ヒスタミン薬を飲んだ高齢者の認知症が進行するという症例があるので、逆にヒスタミンを分泌する薬をマウスに投与してみたら、記憶を思い出しやすくなったという研究

  • 中国の無人探査機が世界ではじめて月の裏側へ着陸

記事にコメントW寄せている阪大の佐伯准教授(惑星地質学)は、「鵲橋」に注目して、宇宙の中継インフラを構築して国際秩序形成を担おうとしているのではないかという指摘をしている

特集 わかる!役立つ! 統計と確率

まず、特集の導入として、世の中の色々な確率の例が挙げられているのだが、その中で、三つ子が生まれる確率(0.013%)と直径1㎞の小惑星が地球に衝突する確率(0.012%)がわりと近くてびっくりした。
特集は、「確率」「統計」「ベイズ統計」の三部構成

  • 確率

スマホガチャのあたる確率の話とか、Paypayの20回に1回全額返金の話とか、時事ネタがわりと思って面白かった
トランプを1枚ずつ出し合って一致しない確率とモンモール数の話とか、なんか不思議なんだけど、これは一体何?
期待値が無限になってしまうサンクトペテルブルクパラドックス、ちょっと面白い

  • 統計

恥ずかしながら、分散と標準偏差が一体どういうものであるのか、ようやく分かりました
あと、サンプルサイズ、検定、相関の話など
ベンフォードの法則、不思議

モンティ・ホール問題は何回読んでも分からなくなるなー

生命誕生の謎にせまる




深海熱水環境説の方、電気が発生している話にも触れられている。

Basifs of Science 氷河

日本にも氷河はあって、富山と長野に6つの氷河が「発見」されているらしい
ヒョウガユスリカっていう、氷河の上で生きる虫がいるらしい

アンディ・ウィアー『アルテミス』

アンディ・ウィアー『火星の人』 - logical cypher scape2のウィアー、長編第二作
『火星の人』が火星サバイバル小説だったのに対して、『アルテミス』は月面都市犯罪小説になっており、主人公もアメリカ人白人男性宇宙飛行士から、月育ちアラビア人女性密輸業者となっている。
となると、結構雰囲気も変わっているのかなーと思ってしまうが、さにあらず。
おおむね『火星の人』と同じようなノリで楽しむことができる作品となっている。
主人公の属性はずいぶん変わっているが、機転も利き頭もいいがドジもするし、軽い下ネタを含むユーモアを多分に交えた饒舌な語りをするという点は変わっていない。
一歩間違えば死ぬという状況でも、ジョークをとばし、身近にある技術・材料だけで危機を切り抜けていくという点も、やはり前作と共通している。


主人公のジャズ(ジャスミンの愛称)は、ポーター(市内の荷物運び)をやりながら、密輸を生業としているのだが、ある日、得意先の実業家から、密かな仕事の依頼を受ける。
それは、採掘業者の採掘機械をすべて破壊してほしいというものなのだが、大金に目のくらんだジャズはそれを引き受けてしまう。
その仕事は、とある新産業を巡りアルテミスの今後のあり方と関わる企みへと関わっていく。
最終的には、ESAのオタク科学者、仲違いした友人、EVA(船外活動)教官、治安官、職人気質の父親、そして地球にいる文通仲間といった面々とともに、一大破壊工作を行うこととなる。
前半は、これらの人たちに見つからないように行動するジャズだが、後半では、事情が一変してしまい、逆に彼らの協力をあおぐ形となる。
見つからないように、時間内に、正確に、すばやく作業を行い、計画を実行していくハラハラしたスリルを味わいつつ、ジャズの人間関係を巡る問題なども、前半から張られた伏線とともに、うまくハマっていき、ストーリーテリングもうまくできている。

アルテミス 上 (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス 上 (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(下) (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(下) (ハヤカワ文庫SF)


舞台となる月面都市アルテミスの主要な外貨獲得手段は観光で、約2000人の人口を、5つのドームに収容している。
超リッチな観光客および一部の富裕層を除けば、人口の多くは、観光業並びにアルテミスを維持するための業種で働く労働者である。
ジャズの父親は、サウジアラビアから月へ移住してきた溶接職人。なお、アルテミスにいる溶接工はみなアラビア人であり、生命維持施設で働いているのはみなベトナム人であり、といった感じで、同じ職種は同じ人種で占められていることが多い。これは、月である職種にたまたま最初についた人が、故郷から親戚・友人を呼び寄せることが多いためである。
その上で、アルテミスは職業ギルドが組まれていることが多い。ギルドに属していないと、悪評を立てられるなど仕事を妨害されてしまう。
アルテミスは、ケニアの元財務大臣が、国土が赤道直下にあることを活かした宇宙産業を興し、KSCという企業を設立した上で、運営している都市である。
どこかの国の法律によって支配されているわけではない。通貨も存在しておらず、スラグという単位が事実上通貨の代わりとなっている。
警察や司法もなく、治安維持は、治安官を担っているルーディの腕っ節によって担われている(彼は元々カナダの騎馬警察であった)。
また、ケニアの元財務大臣であり、そのままアルテミスの統治官となっているグギが、行政や司法を担っている形になっている。


ドームの中の描写も面白い
都市ではあるが、決して大きいわけではない。
ジャズは、人一人が寝るのがやっとというようなスペースで暮らしている。シャワーもトイレも共用だ。
彼女はいつか個人用のシャワーやトレイのついた部屋に住みたいと考えている。
アルテミスは、何しろ酸素で満たされているため、火気の取り扱いにも非常に厳しく、台所なども貴重品だ。
緑や空などもごく一部に限られている(あるドームには天井がガラス張りになっている公園がある。が、そのようなものがあるのはそのドームだけである)。
アルテミスで一番立派なホテルというのも、立派とはいえ3階建てだったりする。


アルテミスから数キロ離れたところに、アポロ11号の着陸地点があり、ビジターセンターが設置され、観光名所となっている。
観光客には、ハムスターボールのようなものに入り込んで、センター外へ赴くことのできるツアーもある。


物語は、ジャズがEVAマスターになるための試験を受けたものの不合格になってしまうシーンから始まる。
EVAマスタは-、観光客を相手にしたツアーを行っており、稼ぎがよいために、ジャズはその資格を狙っていたのである。
彼女は、元々頭がよく、将来を嘱望されていたのだが、本人は周囲のそうした扱いが気に食わず、10代の頃はとにかく様々なやんちゃをしており、治安官のルーディにはずっと睨まれ続けており、父親ともある一件から仲違いをしてしまっている。
彼女は、自由にやれる仕事としてポーターをやっているのだが、その傍ら、葉巻やポルノなどの密輸も行っている。
得意先の1人であるランドヴィクは、地球で財をなした実業家で、娘が事故で脚に障害を負ったことを機に、低重力ゆえに、松葉杖をつけば娘が歩くことのできる月へと移住してきた。
そんなある日、彼から、アルテミスでアルミニウムの製錬を行っている企業の、灰長石収穫機を4台全部破壊してほしいという依頼を受ける。
ランドヴィクは、この企業がアルテミスと結んでいる、酸素についての特別な契約を知り、この企業の買収を企んでいた。
大金に目がくらんだジャズは、この無茶な依頼を受けてしまうのだが、その一方で、ランドヴィクの元を訪れいていたジン・チュウという謎の男が持っていたZAFOという箱を目にする。


ところで、章末には、ジャズとケニアに暮らすケルヴィンとのメールのやりとりが挿入されている。
最初は、2人がまた小学生の頃、メールのやり取りが始まったばかりの頃のメールで、彼らが次第に成長し、ティーンエイジャーとなり、働き始めてからもメールのやり取りを続けていることが分かる。
このケルヴィンのメールは、ジャズの過去を描くと同時に、現在の物語にも関わっていくことになる。ケルヴィンとジャズの現在の関係が分かってくるあたりとか、さすが仕掛けが上手い。


収穫機は、アルテミスから離れた月面の上を活動している。
これを破壊しにいくには、当然どこかのエアロックから街の外にでなければならない。
しかし、エアロックを操作することができるのは、EVAマスターだけ。そして、ジャズは、EVAマスターの試験に落ちたばかりだ。
さらに、どうにかして都市の外に出れたとして、4台の収穫機をどうやって破壊すればいいのか。これらはみな無人で動いているが、カメラがついており、何か異常があればすぐに発見されてしまう。


ジャズは、外に出る手段や、破壊するための時限装置、アリバイを確保する手段などを講じていく。
ESAの研究員として働いているズヴォボダという科学者の手を借りたり、父親に嘘をついて溶接の道具を借りてきたりなど。
途中まで、何もかもがうまくいくと思われた計画であったが、破壊工作の真っ最中に見つかってしまい、3台まで破壊したところで逃げることになる。
ジャズがアルテミスに戻ってきたのち、ランドヴィクが突然何者かに殺されてしまう(不愛想なお手伝いさんだと思っていた人が、実はボディーガードだったと分かるあたりも、なかなか面白い)。
確かに、買収のために破壊工作を行うのは悪事ではあるが、とはいえ、それへの反撃としていきなり殺してしまうものだろうか。
ジャズは何も分からぬまま、アルテミスの最下層へと身を隠す。
実は、件のアルミニウム製錬企業サンチェスの背後には、ブラジルの犯罪シンジケートがいて、彼らが殺し屋をアルテミスへと送り込んでいたのだ。


アルミニウムはもはや落ち目であったが、ZAFOは月面に新たな産業を作り上げることになる。
ランドヴィクはこれに目を付けたのだが、ジン・チュウはランドヴィクだけでなく、サンチェスにもこのことを告げていたのだ。
ジャズは、殺し屋だけでなくルーディにも追われる羽目になるが、アルテミスを犯罪シンジケートの手に落としたくない統治官のグギは密かにジャズを助け*1、ジャズは、ランドヴィクの娘であり、彼の遺産を手にしているレネに、父親の計画を引き継がせる。
ジャズは、アルテミスが犯罪シンジケートによって支配される未来が訪れることを防ぐため、再び破壊工作を計画する。


父親が溶接工で、ジャズ自身も溶接技術を身につけているので、溶接作業が、彼女の破壊工作の中にも色々用いられているのだが、
後半では、溶接を通じて(?)父娘の愛情が分かるシーンがあったりもする。
ジャズは大金に目をくらんでこの仕事を引き受けてしまうわけだが、それは彼女が、大金を必要としている事情があるからで、彼女の目標額が明らかになるあたりも「あ、なるほどねー」といった感じで、ストーリーテリングが鮮やか
というようなところは、他にも色々あるのだが、きりがないので。


ジャズという若い女性の冒険譚であるわけだが、アルテミスという町が次のステップへ進むために必然的に遭遇してしまうトラブルを扱った、アルテミスの歴史の一つを描いた物語ともなっている。

*1:こう書くとグギがいい人みたいだが、そういうわけでもない

大森望・日下三蔵編『プロジェクト:シャーロック  年刊日本SF傑作選』

2017年に発表された短編小説の中から選ばれた16編+創元SF短編賞受賞作をまとめたアンソロジー
11作目ということで、国内で編まれた年刊SF傑作選としては最多のシリーズとなったらしい。
筒井・眉村といった大御所から小川・松崎・伴名といった若手まで、SF各世代揃い踏み、ということらしい
マンガが一作といつもより少なめな感じ
2017年は『SFマガジン』よりも『小説すばる』の方がSF短編を載せていたらしいよ
まあ、いつものことだが、あまりSFっぽくない作品も入っている。
全体的には大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2の方が面白かったかなーという印象はある。
「彗星狩り」「山の同窓会」「ホーリーアイアンメイデン」「ディレイ・エフェクト」が特に面白かったかなー
あと、「天駆せよ法勝寺」も面白かった。ストーリー的な点の面白さはやや物足りないところがあるのだけど、とにかく世界観・用語をこれでもかと作りこんできたところが面白くて、ここ最近の創元SF短編賞の中では一番面白かった気がする。

上田早夕里「ルーシィ、月、星、太陽」
円城塔「Shadow.net」
小川哲「最後の不良」
我孫子武丸「プロジェクト:シャーロック」
酉島伝法「彗星狩り」
横田順彌「東京タワーの潜水夫」
眉村卓「逃亡老人」
彩瀬まる「山の同窓会」
伴名練「ホーリーアイアンメイデン」
加藤元浩「鉱区A-11」
松崎有理「惑星Xの憂鬱」
新井素子「階段落ち人生」
小田雅久仁「髪禍」
山尾悠子「親水性について」
筒井康隆「漸然山脈」
宮内悠介「ディレイ・エフェクト」

八島游舷「天駆せよ法勝寺」(第9回創元SF短編賞受賞作)

上田早夕里「ルーシィ、月、星、太陽」

「オーシャンクロニクル・シリーズ」だ!
上田早夕里『華竜の宮』 - logical cypher scape2上田早夕里『深紅の碑文』 - logical cypher scape2の遙か未来を描く。
人類(本作では「旧人類」)が滅んだ未来、人類の遺伝子を残すべく、旧人類によって深海生活に適応できるよう改良された種族ルーシィ
その中の一個体プリムに、スイッチが入る
人類は滅んでいるけれどアシスタント知性体が生き残っている
人類を受け継ぐものたちが、人類とは異なる歴史を歩みはじめる物語
このシリーズは、今後も続くらしい。
あと、戦前上海を舞台にした作品も『破滅の王』以外にさらに2編ほど長篇書いて、三部作にする予定があるようで、楽しみ

円城塔「Shadow.net」

攻殻機動隊アンソロジーに収録された、円城による攻殻二次創作
相貌失認であるがゆえに、プライバシー保護と監視を両立させることができるとして、ドローンを用いた監視カメラシステムに組み込まれた「わたし」
円城SFの雰囲気と攻殻の雰囲気が確かに同居している不思議な作品

小川哲「最後の不良」

雑誌『Pen』がSF特集を組んだ時に収録されていた短編。そういえば、ブログにメモとってないけどこれは読んだことがあった。
あらゆる「流行」が消え去り、カルチャー誌『Eraser』の編集者だった主人公は、不良ファッションを着込んで、流行復活デモに参加するが、実はそれ自体が仕組まれたものだった、という奴
ところで、本作では、ノームコアの流れが進んでいった結果として、流行が消えていったという設定になっているのだけど、自分が単にファッションに疎いからかもしれないが、ノームコアって最近見かけないような。どうなったの。

我孫子武丸「プロジェクト:シャーロック」

事件を推理する名探偵AIを作れないだろうか、警察職員である木崎が趣味でプログラムを作り始める。
事件に関する情報を入力すると、被疑者のアリバイチェックとか、過去の事件で使われたトリック(ミステリ小説のトリックが登録されている)から推理したりする。
プロジェクト・シャーロックと名付けて、オープンソースで公開しているうちに、世界中のミステリファンのみならず、警察関係者なども開発に加わり、知る人ぞ知るプログラムになっていく。
当初は、ミステリファンの一種のお遊び的なものだったのが、次第に警察も「一応、確認のために使っておくか」くらいには使うようなレベルになっていく。
そんな折り、木崎が殺される。強盗殺人と思われていたが、プロジェクト・シャーロックのファンであった、とある鑑識課員が、なぜ殺されたのかに思い至る。
プロジェクト・モリアーティが密かに存在しているのではないか、と。
筆者からのコメントで、ミステリのつもりで書いたし、現在可能な範囲内でのみ書いているつもりだが、現実が既にSFっぽくなってるんですね、みたいなことが書かれていた。
正直、このアンソロに関していうと、大森望の手にかかると何でもSFになってしまうということなのでは、と思ってしまったがw
ただ、この作品についていうと、「このままいくと人類は一体どうなってしまうんだ」と感じさせるオチは、紛れもなくSF的なそれだったと思う。

酉島伝法「彗星狩り」

散開星団小惑星帯に暮らす機械生命体たちの物語で、初めて彗星狩りに連れて行ってもらう子どもの話
酉島的な独特の造語が多いが、読みにくくはない。
擬峩族は、身体の「要所要所に丸みのある氣筒が隆起」していて、そこから移氣を吐いて、移動する。四肢動物で尾などもある見た目をしている。
小惑星を「島嶼」と呼んでいて、あちこちの島で採掘をして生活している。
奎漏蚪という、巨大で鱗や鰭のある奴を飼育していて、こいつが一生に一度噴起を行うのだが、その際に背中に乗って、彗星まで行く。
彗星には祠があって、老人がずっと座っているとか、彗星から採掘した氷で「彗密糖」を作るとか
留曇珠というのは、木星のような惑星のことなのかなー
弐瓶勉っぽい感じちょっとあるかも。
「彗星狩り」というタイトルは、本書タイトルに使おうと思ったらしいが、笹本祐一による同名長編があるため断念したとは編者の弁
初出は『小説すばる』2017年6月号

横田順彌「東京タワーの潜水夫」

フランスのユーモア作家カミの、ルーフォック・オルメス探偵のパスティーシュ
元ネタも、横田作品も全然知らないので、あまりよくわからなかった
ユーモア作品なんだけど

眉村卓「逃亡老人」

公園のベンチに座っていたら、50年後に起きる大噴火から時間移動して逃げてきた、という人に出会う話
それを聞いた「私」は、とはいえ自分ももうすぐ死ぬしどうでもいいんじゃね、としか思わない
大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2に掲載されていた「幻影の攻勢」と同じような作品

彩瀬まる「山の同窓会」

女性が産卵する、という世界
男女ともに交尾を行うたびに老いていき、多くは30歳くらいまでに2ないし3回の産卵を経て、死んでしまう。
主人公のニウラが出席した同窓会で、同級生たちはすでに1ないし2回の産卵を終えた者たちばかりで、まだ1度も産卵していない主人公ともう一人だけが若さを保っていた。
そのもう一人も、乳母の役割をもって生まれたために産卵をしていないのであり、主人公だけが浮いている。
同級生にもう一人、交尾を行っていない男性がいるのだが、彼は、海獣様となる。姿かたちは人間から離れ、言葉もしゃべれなくなっていく。そして、海にいる金ビレと戦うべく陸を離れる。
田中雄一っぽさのある作品という印象を受けた。あと、子供を産むと死んでしまうというのは、ちょっとイーガンの直交三部作も頭をよぎるけど。
なお、編者の解説では、アトウッド『侍女の物語』、川上弘美『大きな鳥にさらわれないように』の系譜と書かれていた。どっちも読んでないんだよなー
本作が収録されている短編集『くちなし』は、人間がちょっと変わったことになる作品が集められているらしい
主人公の親友は4度も産卵し、1度も産卵していない主人公と、互いに相手のことが理解できないまますれ違う。
その後、世界に大寒波が訪れ、多くの人たちが死んでいくなか、主人公は生き残り、異様に長生きしている人というポジションになっていく。

伴名練「ホーリーアイアンメイデン」

すでに常連の伴名練、今回もやはり初出はSF研の同人誌
これまで自分が読んだ範囲の伴名作品とはまた雰囲気違うなーという感じがする
戦後すぐくらいの時代、妹から姉にあてた書簡という形式の作品だが、読み進めるうちに、姉の異能と妹のある種の抵抗が明らかになっていく。
一通目から、この手紙は、妹が死んでから姉のもとに届くという趣向になっていると書かれており、不穏さが漂う。

加藤元浩「鉱区A-11」

漫画作品
読み切りとかではなく、月刊少年マガジンで連載されている『C.M.B.森羅博物館の事件目録』の第122話にあたるエピソード
SFミステリもので、人間1人とあとは作業用ロボットしかいない小惑星で起きた殺人事件について
ロボット三原則のあるロボットに人は殺せないはずだが、管理AIは何かを隠している様子がある。

松崎有理「惑星Xの憂鬱」

惑星X=冥王星
冥王星が発見された日に生まれたことにちなんでメイと名付けられた少年は、奇しくも、冥王星探査機ニュー・プリンスがスリープモードへと入った日に、事故にあい、長い昏睡状態へと入ってしまう。
(このニュー・プリンス、打ち上げ日などはニュー・ホライズンズと同じだが、音声会話機能があるなど、実際にニュー・ホライズンズとはかなり異なる仕様)
探査機がスリープモードから再起動した日、彼もまた目覚める。20歳の身体だが中身は小学生のまま、すっかり成長してしまった妹のかろんも、彼には見知らぬお姉さんとしか思えない。
ある日、メイは突然誘拐されてしまう。誘拐したのは、冥王星の惑星降格に憤り、なぜか冥王星独立を掲げる謎の団体。メイを国王として冥王星独立を宣言し、なぜだかよくわからないが、国連の代表チームと5番勝負をして、勝ったら独立が認められるという流れに。

これまた『小説すばる』2017年6月号が初出

新井素子「階段落ち人生」

そそっかしくて昔からよく階段から転げ落ちていて、それでいて大怪我はせずに生きてきた大学生の「あたし」は、実はそれが、そそっかしいせいではなくて、空間の亀裂に物理的に触れられるという謎能力のせいだったということがわかる

小田雅久仁「髪禍」

ホラー怪奇小説
仕事のあてもなく半ば引きこもり状態になっている主人公のもとに、一晩座っているだけで10万もらえるという仕事の話が舞い込んでくる。女衒だった男からの話だが、性的な仕事ではないという。とある新興宗教の儀式に、サクラとして参加してほしいという話だった。
という感じで始まるのだが、その新興宗教というのが、髪を神聖視しており、最初は案外大したことないかもと思いながら参加するも、次々とおぞましい経験にさらされていく。
たとえば、髪の毛で編まれた服に着替えたりとか。
最終的には、会場が「阿鼻叫喚の地獄絵図」へと変わっていく

筒井康隆「漸然山脈」

よくわからないタイプの奴
最後に、作中に出てくる「ラ・シュビドゥンドゥン」という筒井康隆自身が作詞作曲した曲の楽譜が載っており、さらに御大自身が歌ったものがyoutubeにアップされているらしい

山尾悠子「親水性について」

無人の巨大な船(アーケードや劇場などがあるほど)に暮らす姉妹
姉は何度も逃げ出しては、様々な男のもとで暮らす
遺跡を掘る男、養殖をする男、図書館の男
しかし、そのたびに妹が船で探しにやってきて、連れ戻される
千年戦争、天使、カブトガニなどの単語が、世界観をうかがわせる。

宮内悠介「ディレイ・エフェクト」

2020年の東京に、1944年の東京が半透明な状態で重なり合わさる現象が、突如として始まり、2020年の東京に暮らす人々は、1944年の東京の出来事をまさに目前にしながら生活することになる。
婿養子のわたしは、妻の方の曾祖父一家の生活を目の当たりにしながら暮らしている。
しかし、わたしと妻の仲は次第に悪くなっていく。
というのも、娘を連れて「疎開」するかどうかについて、わたしがのらりくらりし続けたからだ。いずれ、目の前の曾祖父一家は、東京大空襲に見舞われる。曾祖父一家の娘、つまり妻の祖母は生き残るが、東京大空襲で家は焼け落ち、曾祖父が亡くなることが分かっている。
8歳の娘にそれを見せたくない妻と、口に出しては言えないが娘に見せたいと思っているわたし。
ある日、1944年にいる祖母が、砂糖を盗み食いしたかどで曾祖母から叱られているところを見て、娘が本当にひいおばあちゃん(祖母)が盗んだのだろうかと疑問を呈する。


設定に見覚えがあって、あれ「ディレイ・エフェクト」読んでいたっけかなーと思ったのだが、読んだ記録は残っていなくて、読んでみたら多分未読。
あらすじだけどこかで読んでいたのかもしれない。


結局、妻と娘は家を出て行ってしまう。
戦火を見て、娘に見せるべきではなかったと納得する主人公
そこに、妻からの手紙が来て、知られざる曾祖父の罪についての妻からの告白がつづられている
先祖の罪や戦争をめぐる、じっくりと重い読後感
芥川賞候補ともなっているし、結構分かりやすく現代社会批評的な文学作品的な雰囲気をまとった作品

八島游舷「天駆せよ法勝寺」(第9回創元SF短編賞受賞作)

佛教SFという新境地(?)
法勝寺は、九重塔の形をした星寺(ロケットかつ宇宙船)で、祈りを祈念炉で推力にする。
これに乗って、39光年離れた持双星まで行く僧侶たちの話
ワープ航法みたいなものが使えるらしい(どんなに遠くても、四十九日のうちに着く)
主人公の照海は、応用佛理学を修め航宙を担当する宇宙僧
とにかく、SF用語を佛教用語的に組み上げていっていて、それが面白い
佛が様々に使われていて、エンジンやスラスターになっている佛もいるし、四天王はセンサーになっているし、金剛力士はまるでパワードスーツかのようになっている
摩尼車にフライホイールとルビが振ってたりするのもまた楽しい
全世界的に佛教がスタンダードで、ロシア佛教とかもある
登場人物も、日本人だけでなく、ベトナム人とフランス人のハーフ、ロシア人がいる。さらに、機械僧、つまりロボットないしアンドロイドまでいる。
地球だけでなく他の星にも佛教が進出していて、行先である持双星というのも、既に人類が植民している星で佛教が伝わっている。
大佛参拝と、転生佛の候補である少女を運ぶのが、主な使命であるが、それ以外に僧侶たちに明かされていないことがあるらしく、また、ワープ航法中に奇妙な出来事が続く
持双星に着くと、とんでもない人身御供的な儀式が行われていることを知って……みたいな話

残雪『黄泥街』

黄泥街という名の通りを舞台にした物語だが、その通りは瓦解寸前、糞尿にまみれ黒い雨が降り注ぎ蠅や蝙蝠が集り、住人たちの多くはほとんど狂人のようで、噛み合わない会話をまくしたてている。
一体何が起きているのだが、さっぱり分からない
個々の描写としては何が起きているかは分かるのだが、それらがどう繋がりあっているのかはよくわからない。

黄泥街 (白水Uブックス)

黄泥街 (白水Uブックス)

黄泥街とS機械工場について
生活態度を変えさせる大事件
太陽の出ている日
王子光、黄泥街に入る
大雨
立ち退き
太陽は黄泥街を照らす

上記の目次にある通り、いくつかの章に分かれているが、最初の二つは非常に短い
「太陽の出ている日」と「王子光、黄泥街に入る」は少し長くて、2節に分かれている
「大雨」「立ち退き」「太陽は黄泥街を照らす」はさらに長くて、5~6節に分かれている


王子光(ワンツーコアン)がやってきた、というのが一つのきっかけになって、色々と物語が始まっていくのだが、そもそも王子光が一体何なのかさっぱりわからない。

この通りの住人はみな覚えていた。その昔、王子光とよばれる物がやってきたことを。なぜ「物」などというのだろう? それは、王子光がいったい人間であったのか、むしろ一条の光であったのか、はたまた鬼火であったのか、だれにもしかとはわからなかったからだ。

別のところでは、王子光は黒いカバンをもっていたとあり、おそらく人間なのではないか、と思われるが、こいつの正体は結局よくわからない。
もう少し分かりやすい話としては、王四麻(ワンスーマー)というのが、わりと序盤で、行方をくらます奴
後の方の章になって、黄泥街の外から来た区長が、王四麻を探そうとするんだけど、みたいなエピソードにつながっていく。
なんかとにかく、黄泥街で騒ぎがおきて、住人達がまくしたてるみたいな展開で
「ぶった切る」とかなんとか物騒なことをよく言う宋婆とか(この人は、途中から蠅を食べるようになって、旦那から嫌がられて、でもさらに夫婦で蠅を食べてとかやっていたような気がする)
やたらスパイを気にしている斉婆とか、この人は、報告書を書こうとしている朱幹事の家を見張りだして、逆にスパイにみたくなってしまったりしている
あと、「なんでイタチじゃないんだ」ってしきりにいってる、きじるしの楊三とか
「うちにはきのこが生えてる」って言ったりしている胡三じいさんとか
あと、斉二狗とか王工場長とか老郁とか、わりと何人か決まった登場人物たちがいる。


上部からの通達とか、委員会に報告するぞとか、革命本拠地としてのうんたらかんたらとか、共産中国っぽい言い回し(?)とかちょくちょく出てきたりする。
委員会なんてものがほんとにあるのか、いやそんなものはないんじゃないかってなっていくのがこの作品の特徴だが。


最後に、訳者による「黄泥街」論が掲載されているが、ここでも、この作品の何が分からないのか、ということがテーマになっている
「分ける」ことが不可能になっていき、区別や言葉の意味があやふやになっていくことなどが指摘されている。