人工知能学会編『AIと人類は共存できるか』

人工知能学会編となっているが、基本的にはSF短編集
5つの短編に、それぞれ研究者の解説がつく形式となっている
全体としてはAIが実社会に浸透した世界を描いており、5つの短編はそれぞれ「倫理」「社会」「政治」「信仰」「芸術」がテーマとして設定されている。
どれも面白かったが、特に長谷、吉上のが面白かったし、この2つは、相澤、大澤による解説もよかった。

AIと人類は共存できるか?

AIと人類は共存できるか?

早瀬耕「眠れぬ夜のスクリーニング」×東京大学特任講師・江間有沙

「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」であり、チューリングテストをうまくモチーフにしている感じ。
主人公は、仕事のストレスから不眠になりSkypeでカウンセリングを受けるようになるのだが、カウンセラーや職場の同僚がアンドロイドなのではないかと感じるようになる。
このあたりの、主人公からカウンセラーへの疑いの目を向けるあたりの進め方は、しかし、いわゆる「信頼できない語り手」的なところがあって、読者は、この主人公の判断力がまともなのか疑わざるをえない。カウンセラーや同僚は本当にアンドロイドなのか、それとも主人公の妄想に過ぎないのか。
加えて、主人公の恋人がMtFという設定が入っていて、チューリングテストって元々は、性別当てゲームみたいな話なので、そういうとことリンクさせたモチーフなのかなと思わせる。
江間の解説では、研究倫理について書かれている。また、専門家と非専門家の対話において、「科学する欲望」「工学する欲望」についての理解がいるという指摘。

藤井太洋「第二内戦」×電気通信大学大学院情報理工学研究科教授・栗原聡

銃規制問題を機に、アメリカが2つの国に分裂してしまった未来
クォンツの女性が探偵に、偽名入国の依頼をするところから始まる。
取引AIが盗まれ不正使用されているので、その証拠を掴みたい、と。
白人主義的で反テクノロジー主義と武装の自由を謳うもう一つのアメリカは、いわば、古き良きアメリカのテーマパークのような世界となっていた。
ディープラーニングする専用AIを、IoTが進行したネットワークへと放流すると、汎用化して、あらゆるものを人間の知らぬうちに効率化させてしまう、という話
主に、電力供給と自動車交通の話題で、そもそもが金融市場用の取引AIの話だし、AIとかIoTとかで話題になるようなトピックを取り揃えてみたという感じ。
とはいえそれだけじゃあ、SFにならないので(?)、ウェアラブルバイスを通じて、人体の動きも効率化されるのだ、という話になっている。
Arudinoとかいった単語がぽんと出てくるのが、藤井大洋っぽいなあと思ったり*1
栗原による解説は、AIについての広範な解説だが、「群知能」という言葉がかなり広い意味で使われている気がして気になった。人間の脳も、脳細胞が集まった群知能なのだと言ってしまうと、そもそも群知能ではない知能がなくない? 

長谷敏司「仕事がいつまで経っても終わらない件」×国立情報学研究所・相澤彰子

いきなり憲法改正の話から始まって、「一体何だ?!」となるのだが。
本意ではないが、義父である大物保守政治家からの要請で、憲法改正を発議することになってしまった総理。支持母体である保守系政治団体(大扶桑会議)を率いる男が、人工知能研究者を引き込み、憲法改正を実現するための助言を行うAI開発を引き受ける。
ただ、この人工知能研究者によるプロジェクトが超ブラックで、AIでできない作業は「人力」でやる。人間がAIの計算速度に合わせて仕事をすれば不可能が可能になる、という新しい労働を試みようとする。
AIが高度な知的労働を行うようになると、人間の仕事が奪われるのではなく、AIを効率的に動かすために人間の労働が超ブラック化する、という状況が描かれている。
また、AIに政治コンサルをさせるという話なのだが、AIに意味論わかんねーしってことで、政治に関わる動向をAIにも読める数値データへ変換し、またAIの出力してくるデータを人間が読める文章に書き直しってのは全部人間がやっているので、まあ一体何なんだっていう話にもなっている(政治をAIに任せてもいいのかという論争が作品世界内で巻き起こるが、総理に提出される書類を作文しているのはAIですらなくて、工学部の学生っていう)
その一方で、総理が次第にAIの判断へと依存していってしまうという過程も描かれている
相澤による解説は、作中に登場する人工知能研究者である教授が10年前に書いた申請書というような体で書かれており、世論予測AIについて解説しつつ、注釈で、物語に関わるコメントを入れている。
また、おそらく(作中の教授としての言葉ではなく)相澤本人の考えとして、世論予測と誘導は紙一重であるということと、そもそも誘導があったことを検知すること(=バイアスがない状態を定義すること)が難しいという指摘がなされている

吉上亮「塋域の偽聖者」×筑波大学システム情報系助教・大澤博隆

ウクライナ全土が泥沼化した近未来と、10万年後の遠未来とを交互に描く。
チェルノブイリ近辺の〈ゾーン〉に住み、観光案内人をつとめるイオアン・セックは、いつも盲目の娘を連れており、子連れの案内人として知られていた。ウクライナは全域が内戦状態となり、国境も封鎖された一方、西側諸国が事故処理を安定的に進めるために〈ゾーン〉だけは戦火が及ばず、不法滞在者が増えていた。
ところが、その〈ゾーン〉にも、武装勢力の手が伸びる。襲撃にあったイオアンのもとに、アレクセイ・リービジという男から電話が入る。指示に従えば、窮地から脱出させると。
遠未来では、〈ゾーン〉は塋域と名前が変わっている。その内部では、独自の宗教的コミュニティが形成され、高い技術力を維持していた。塋域は放射線を除去する「ペンギン」を外の世界へと送り込んでいたが、外の世界の者たちは決して塋域へとは足を踏み入れなかった。初めて、外の世界から塋域へと旅をすることになった者の視点で話が進む。幾度も、列聖申請がされながらもいまだ聖人認定されていないイオアンが、聖人にたる人物であるという証拠を探すために、塋域へと訪れていた。
〈ゾーン〉で武装勢力に襲撃され、娘を守りながらも命からがら逃げ惑うイオアンが、10万年後の未来では、初めてAIを信仰対象とした男として、聖人に準ずる存在となっている。それはいかなる経緯なのか、そして〈ゾーン〉が塋域へと変わった「大破局」とは何だったのか、という物語
大澤による解説は、「信仰」を心の支えと読みかえ、アザラシ型ロボットである「パロ」の話題から始まり、バイオミメティクスをキーワードにロボットの話を進めていく。ブルックスのサブサンプションアーキテクチャから環境とインタラクションする知能、コミュニケーションする知能へと話を進めていってという感じ。

倉田タカシ「再突入」×公立はこだて未来大学教授・松原仁

芸術をテーマにした作品
2146年と2144年との2つの舞台を交互に進行する形式で、人類最後の芸術家である「巨匠」について物語られ、最後には、人類以外の知的生命の芸術ないし表現の萌芽によって終わる。
人工知能による芸術作成支援ツールが発達し、作品制作のほとんどが、人間の個人ではなく、法人及びAIに取って代わられた未来。そのような時代にあらがうように作られた美術学校の卒業生であり、人類最後の芸術家の一人となった「巨匠」
彼は、様々な物体を衛星軌道上から落下させ、燃え上がる様子や地上への落下物による芸術、いわゆる「再突入芸術」で知られるようになる。
2146年のパートは、その巨匠の葬送セレモニーから始まる。ピアノを宇宙空間で演奏しながら落下させるというもので、そのピアノの〈奏者〉の視点で進む。
こちらは段々話が「巨匠」から離れていって、〈奏者〉が宇宙を漂流した後、人類が人工的に作った知性を持つ動物(かしこい毛皮)の話になっていく。
2144年のパートは、晩年の巨匠が、かつて美術学校のあった島で、とある若者と会話をしているというものである。
その若者は、芸術が完全にAIのものとなった以後の生まれで、造形技術には非常に長けているが、自分が作ったものに対して執着がない。芸術・表現・制作といった実践は、今でも行われているのだが、完全に個々の趣味のようなものとなっており、それを広く公開し、作品を鑑賞の対象とし、それによって評価されるということはなくなっている。ものを作るということはあっても、アーティストという存在はもはや理解不可能になっているという時代。巨匠は、若者との会話に価値観の違いを実感させられ、歯噛みする。
この作品の中で、個人的に面白かったなーと思うのは、再突入芸術で、金属球を衛星軌道から落下させてクレーターを作るとか、アースアートのアップデート版だな、と。
人工衛星を芸術作品にするっていうのは実際にあったけど、そういえば、再突入させる芸術はありそうでないかもしれないなあ、と。まあさすがに安全性の面から色々と許可も下りにくかろうとは思うのだが、大気圏の中で燃え尽きるタイプであれば何かできそうな気もしないでもない。
松原による解説では、芸術を巡る人工知能と人間の関係について、以下の4つに分類整理を行う。
(1)人類が作って人類が鑑賞する。
(2)AIが作って人類が鑑賞する。
(3)AIが作ってAIが鑑賞する。
(4)人類が作ってAIが鑑賞する。
この中で、(3)については、松原率いる「きまぐれ人工知能プロジェクト作家ですのよ」が星新一賞に応募した作品が掲載されている。これは読んだ記憶があるので、一般公開されていると思うのだが、AIが小説を書いて、それをAIたちが楽しみにするというお話になっている。
さて、松原は、(4)については、倉田の小説を読んで初めて気付かされた点だったと述べており、これは自分も同感。
倉田作品の中で、芸術制作支援AIは、制作モジュールと評価モジュールに分かれており、それぞれ独立して進化し、様々な価値観ごとの評価AIが作られていった結果、評価の相対化がかなり極端に発生している。このため、若者は、巨匠のような芸術家の態度が、理解できるが全く共有できないでいる(AIに評価してもらえれば十分なので)。

*1:自分の場合、最近ちょっとArudionoという単語を見かける機会があった程度で、どういうものかよくわかってないけれど