藤井太洋『公正的戦闘規範』

デビュー作を含む5編を収録したSF短編集
藤井作品をそれほど多く読んだわけではないのだが、現実に存在するテクノロジーの延長上にある未来を、ポジティブに・楽観的に描く、というのがおおむね作風と言っていいのではないかと思う。


いくつかの特徴があげられるだろう。
本人が、ITエンジニア出身であるということもあり、プログラミングやITあるいはIoT関連技術をネタにしていることが多い。
実在する技術や企業名などを作中に登場させることも多く、それが現在の現実世界との地続き感を演出している。
一方で、SFというジャンルのある種の宿命でもあると思うが、年月の経過に対して耐えうる作品にはならないかもしれない。作品の中で示される人間観・価値観などは古びないかもしれないが、固有名詞にはやはり賞味期限はあると思う。もちろんそれは悪いことではなくて、むしろあってしかるべき要素だとも思う。


ポジティブさ・楽観的な点について。
グレッグ・イーガン的楽観主義というか
技術の進歩によって、社会がよりよくなっていくというポジティブさがあり、また、そこでいうよりよい社会というのは基本的に自由主義的なものであり、また、それを支えるためには、教育や好奇心が大事だよねという価値観も背後にある。


複数の短編を連続で読むことで気づいたのだが、これらの作品は、物語上つながってはいないし、特段、同一の設定を共有しているわけではないが、類似の技術が複数の短編で共通して登場しているところがある。
物語には特に関わってこないディテールの部分なのだが、作者が注目してる技術だったりするのかな、と思ったりする。


あと、新しいテクノロジーが拓く未来を描く一方で、レガシーなものへの愛着というのも混ぜてくるところがあるなあと思った。


それから、物語の舞台は作品によってそれぞれ異なり、日本、フィリピン、中国、アメリカ、宇宙と様々だが、どの作品にも日本人が出てくるのも共通点か


以下、各作品のあらすじ・感想には、ネタバレに大いに含む

コラボレーション

読むの2度目だなーと思いながら読んでたのだけど、実際は3度目だった。
『SFマガジン2013年2月号』 - logical cypher scape2大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選さよならの儀式』 - logical cypher scape2
作者の第一長編『Gene Mapper』の前日譚にあたり、作者の商業誌デビュー作でもある。
検索エンジンの暴走でインターネットが使えなくなり、量子アルゴリズムとトゥルーネットの時代となった近未来。誰も使わなくなったインターネット上で、未だに動き続けるWebサービス(ゾンビ)を見つけては停止するという仕事をしている主人公。
ある日、かつての自分が作った決済サービスがゾンビ化しているのを発見する。
主人公は、量子アルゴリズムについていけなくなったので、ゾンビを探すという仕事をやらざるをえなくなっているんだけど、自分が昔作ったサイトをいじるのに、昔のMacBookを持ち出して仮想キーボードと重ねて、手が無意識に覚えているPHPのコマンドを打つというシーンが出てくる。
レガシーな技術(PHPや物理的なキーボード)と最新技術(量子アルゴリズムや仮想キーボード)を重ねるという話の作りになっていて、古いものでも新しいものとコラボレーションできたりやっていけたりできるんだ、みたいなところがある気がする。
遺伝的アルゴリズムによって盲目的な試行錯誤を続ける自動化されたプログラムに、親近感を覚えて思わず手を貸してしまう主人公、というのはいつ読んでも、個人的に好きなくだり。


クォンタム・ウォークという単語が出てきたけど、これはランダム・ウォークの量子版なのか。あ、これ、Wikipediaに記事のある単語だ。


東京の街並みの舗装が、設計サンゴと持続性アスファルトによって埃一つないものになっているという描写がある。詳細な説明は一切なく、未来世界のディテールを感じさせる単語としてしか登場しないが、設計サンゴは別作品にも登場する。

常夏の夜

フィリピンのセブ島で台風災害が発生
その復興支援について取材している日本人ジャーナリストのタケシが主人公。
彼は、フィリピン軍で支援物資をパーソナライズされた形でドローン配送する女性士官のウォン大尉と、量子アルゴリズムに長けたアメリカ人ITエンジニアと親しくなる。
そのエンジニアは、“フリーズ・クランチ法”という量子アルゴリズムを開発するのだが、これが様々なことに用いられ、事件を起こしつつも、様々な問題を解決していく。


ウォン大尉は、ドローンロジスティクスにおいて、巡回セールスマン問題に悩まされていた。また、セブ島では、災害により交通網が分断され、ジプニーと呼ばれる個人タクシーが活用されていたが、これがまた気まぐれで走るところがあるので、利用者から不満が出ていた。
フリーズ・クランチ法が、最適化問題を解決するという。
タケシとともに休暇に訪れていたリゾートビーチで、急遽、ハッカソンが行われることに。フィリピン中、世界中のエンジニア、ロジスティクス関係者がネットワーク経由で参加し、次々とAPIが開発されていく。
しかし、参加者のほとんどが量子アルゴリズムそのものは理解できていないことを、タケシは危ぶむ。
その危惧は現実化し、軍用ロボットが暴走してしまう。


この危機的状況を打破するために、タケシは軍用ロボットがまさに暴走している現場を突破して、要塞へ赴かなければならなくなるのだが、ここで使われるのがまたも“フリーズ・クランチ法”
これは、並行宇宙からありうる可能性を取り出してくるというアルゴリズムで、タケシの執筆支援APIとしても応用されていたのだが、それが未来予知的なものとして使えることに気づく。
ここらへんは、なんか量子力学ネタが好きだった頃のイーガンっぽい感じがするくだりだった


くだんのエンジニアは、クォイン・トスというアプリゲームを作って、地元の子供たちを遊ばせていて、その中に一人、天才的にそれがうまい子がいて
子供の頃から量子アルゴリズムに慣れ親しんだ世代を教育することによって、人間が量子アルゴリズムを理解できないせいで機械が暴走するなんてことはなくなっていくようにしないとね、みたいな感じで結ばれている。
でもってそれを人類の夏と形容して、セブ島の夏とかけてる。


この話では、台風災害にあったセブ島に、世界各国から最先端テクノロジーのいわば実験場として、災害支援が殺到している。
ドローン配送もその一つだが、それ以外に、成層圏ネットワーク企業「セルリアン」、ウェアラブルコンピュータを配布した「フーウェン」、超小型原子力発電装置「コバルト・セル」、設計サンゴブロックによる住居、持続性衣服といったものが出てくる。
成層圏ネットワークは別作品にも出てくるし、設計サンゴが「コラボレーション」にも登場していたのは前述の通り、持続性と書いてサステイナブルというルビを振ってるのも「コラボレーション」と同様。
また、人体通信(BAN)というのも出てくるが、これも別作品で出てくる。


量子アルゴリズムの例として、クォンタム・ウォーク、量子焼きなまし等の単語が出てきた


警備用ロボット「クラブマン」というのが出てくるのだけど、クラブマンというと同名のレイバーがあったのを思い出す。見た目も似ている気が。


公正的戦闘規範

主人公の趙公正は、上海の日系ベンチャー企業に勤めるデバッカー。謎の日本人オーナー九摩は、ウイグル族モンゴル族など多くの少数民族を雇っており、公正は数少ない漢人である。
彼は元々、地方の貧しい村の出身で、人民解放軍の兵役をきっかけに都会にでてきていた。
同僚たちの開発しているゲームが、自分が子供の頃に遊んでいた、官方手机(官製スマホ)のモバゲー「偵判打」に似ていることに公正は気づくが、同僚の誰もそんなゲームは知らないという。
会社は長期休暇期間に入り、公正は数年ぶりに帰省することになる。何しろ、片道3日はかかるので、兵役中は帰省できなかったのだ。
ところが、長距離列車に乗っている途中、突然武装警察の軍人に、秘密車両へと連行される。何事かと思ったら、そこには、九摩と、金髪のウイグル人女性上司
アイパシャがいた。
彼らによって知らされる「偵判打」の真実
そして、彼らがなそうとしている、ドローンテロ戦争への解決策とは?


「偵判打」は、メカニカル・ターク的ななんかなんだろうなーという予想はしたんだけど、もっと直接的でえぐかった


この作品世界では、中国政府とETIS(ウイグルイスラム国)は、延々とテロ戦争を続けている。
そこで用いられているのは、AIドローンである
人民解放軍は、完全自律型のドローン兵蜂を使用。兵士が死なないだけでなく、オペレータもいないのでオペレータの精神的負担もない戦争を実現していた。
一方のETISは、同じくAIドローンのキラバグを投入。同じく完全自律型だが、都市部にもはなたれ、無差別テロを実施している。


九摩は実は合衆国の特殊部隊に属していて、新しい戦争を作ろうとしていた。
戦争は、様々な新兵器を生み出しながら、そうした新兵器を次々と禁止していったという歴史があるが、彼らは、完全自律兵器・人間の介在しない戦場を禁止しようとしていた。
完全自律兵器は、攻撃される側に非対称性・不公平さを感じさせ、それがより過激なテロを生むという考えが背景にある。
九摩とアイパシャは、人間の兵士が戦場にたち、かつAI兵器ばかりでなく銃弾の一つ一つをもコントロールする最新兵装ORGANのデモンストレーションと、それを用いたETISの掃討のために、中国を訪れていた。
戦場に、兵器をコントロールをしている人間がいれば、貧しい側にも勝つチャンスがあるよね、という意味で公平性を担保しようということらしい
まあ、ORGANはめちゃくちゃ強いので、そう簡単には負けたりしないわけだが。


本作、『伊藤計劃トリビュート』に収録された作品らしく、ORGANという名前はそのためのようだ。


タイトルの「公正的戦闘規範」は、公平な戦場のためのルールという意味での公正と、主人公の名前の公正をかけている
なお、主人公は父親が天安門にいたことがあって、それもあってこういう名前がついているという設定
アイパシャが、対テロ兵士として戦場にたつのに対して、公正には、少数民族の側にたって戦い方を指南させてバランスをとらせる、というのが九摩のもくろみだった、みたいな話


ORGANの無双っぷりがすげー、みたいなところが、エンタメ的な見所だけど
テロとの戦いに対する藤井的方策として、なるほど、面白いこと考えるなーという感じがある
戦争がアンフェアなものになっているから、場外乱闘としてのテロが起きる。なら、戦争をフェアなものとして設計しなおすことができたなら、殺意を戦場内にとどめることができるのでは、と。
テロをなくすために、殺意、敵意、憎悪みたいなものをなくすという方向性ではなくて、それをなくすのはたぶん無理なので、せめてそれらを一定のフィールド内から出ないようにして、コントロールするという方向性の解決策であって
この作品の感想として、テロリストにルールを守らせるとか楽観的すぎるのではないか的なものも見受けられるけど、そうではなくて、テロリストがテロに走らざるをえない条件を作り替えようというものだし、ある意味では、現実路線でもあると思う。
それから、自律兵器がより憎悪を煽るという現象や、ロボット兵器は安いので容易にテロリスト側に転用されるというのは実際にすでにある話なのだけど、そういう観点から自律兵器の制限へ向かうという話はあんまり聞いたことがないので、その点も面白いと思う。
参考:P・W・シンガー『ロボット兵士の戦争』 - logical cypher scape2


なお、この作品にも成層圏ネットワークが登場する。中国成層圏携帯電話網や米国成層圏通信網ストラットコム。固有名詞が違うので、「常夏の夜」とは世界が違うのかなーという気もする。

第二内戦

読むの二回目
人工知能学会編『AIと人類は共存できるか』 - logical cypher scape2
2023年、アメリカの半分がアメリカ自由連邦(FSA)として独立。二つのアメリカが成立している状態(第二内戦)
技術的優位によって経済的繁栄を遂げ多様性を謳う合衆国と、「古き良き時代」の価値観を尊び銃所持の自由とAIの禁止を掲げる白人優位社会のFSA
ニューヨーク証券取引所でクォンツとして働くアンナ・ミヤケは、私立探偵のハルに、FSAへの偽名での入国を依頼する。
彼女が開発した「ライブラ」という証券取引プログラムが、FSAで無断利用されているという。
なんやかんやスリル・アクションがあった後、判明するのは、FSAには彼女の父親がいて、ライブラを改良して、送電網、Wi-Fi、自動運転車の最適化を行わせていた、と。
ライブラは、ニューロン・ネットワークを展開するプログラムで、「身体性」を持ったシステムを最適化することができるのだという。ここでいう身体性とその最適化について、アンナの父親はロドニー・ブルックスの名前を使って説明している。
ライブラは、個々のノードに「脊髄反射的に」処理させて、全体最適をはかるというシステムらしい



ネットワークの最適化って「常夏の夜」でも扱われていた話かと思う。
AIとの親和性高いし、作者の好きなテーマなのかなーとも思った。
「常夏の夜」は量子計算、「第二内戦」は分散アーキテクチャ(?)と解決に用いられているテクノロジは違うけど。


本作では、FSAがレガシーというかアナクロな世界として描かれており、決してその世界自体が肯定的に描かれている訳ではないが、古いガジェットのボタンの押し込む感触がいいよねみたいなシーンがあって、このあたりの感覚って「コラボレーション」と通じるところがあるかなーと思った。


本作でも、人体通信(BAN)という技術が出てくる。
「常夏の夜」ではそれほど物語の前面にでてこなかったが、本作では、主人公のハルがBANを縦横無尽に使ってアクションをこなしていく。
最終的に、ライブラが彼のBANにも入ってきて、彼の身体自身を最適化していくというオチにもなっている


本作は、実在企業等の名前が出てくる数がおそらく群を抜いて多い作品で、NetflixAppleアメリカン・エキスプレス、ボーイングUber、テスラ、AndroidLinuxPythonArduinoあたりが確認できた。
Python以外は、名前が出てくる以上のことはないけど

軌道の環

木星イスラム教徒=地球教徒で採掘労働者のジャミラが主人公
彼女が事故で死にかけたところ、とある輸送船に命を救われる。その船は、地球にヘリウム3を運ぶ輸送船なのだが、実は、地球圏と木星の間にある経済格差と搾取構造を打ち砕くべくテロ作戦へと向かう船であった。


木星にはニュー・カイロという浮遊大陸が作られていて、労働者が移民として入植しているのだけど、イスラム教徒たちは、宇宙生活のための人体改造(6本目の指等)を受け入いれる教義の変更を行い、次第に地球そのものを信仰するようになっていた。
アッラー・アクバル」が「偉大なる地球よ(アルド・アクバル)」とかになってる。
あと、木星英語(ユプリシュ)とかもあったりする。


船の中にはタケウミ・サトシという人がいて、自爆テロじゃなくて、地球そのものを巨大なリボンで覆って、外星系とコンタクトとれないようにしてしまえばいいという計画を密かにたて、ジャミラを巻き込む
(外星系って炭素が希少なんだよねー、でもリボンを作るためには炭素が必要なんだよねー、え、出発直前に逃げ出した船員って本当に逃げ出したのかってみたいな話です)
サトシは、ジャミラを敬虔な地球教徒と見込んで計画に巻き込んだのだが、敬虔な地球教徒であるジャミラは、木星からも地球が見えなくなるこの計画をさらに作り替え、なんとダイソン球(という言葉は作中に出てこないが)を作ってしまうのだった


藤井作品には珍しい(というかたぶん初めての)遠未来・深宇宙の作品であり、実在するIT・AIテクノロジなども出てこないが、作品のテーマというか価値観というかは、通底しているものがあるように思えて、その点、やはり一貫していると思う。
エネルギー問題とそれに伴う宇宙南北問題があり、それを解決するためにテロが計画されるが、さらなる先端テクノロジーによって、それに伴う問題点がないわけではないが、元にあった問題は解決に向かい、未来へのポジティブな方向性が示される、というような。


ただまあ、この作品の面白ポイントはどちらかというと、木星に移住したイスラム教徒はどのようにしてイスラム教徒たりえるのか、ということを考えた点だと思う。
メッカの方向へお祈りすると必然的に地球の方向へお祈りすることになるから、次第に地球信仰になっていくという、まあそりゃそうだよねみたいな話なんだけど
地球教という名前、どうしても銀英伝を想起してしまうが……
あと、量子もつれだかスピンだかを利用して、メッカの方向を必ず向く量子コンパスというガジェットが出てきたりする。


しかし、この作品の一番の見所は、実は冒頭のシーンで、ジャミラが宇宙服一つで木星大気を落下していくシーンが白眉だと思う
最初は何が起きているのかわからないのだが、「あ、もしかして木星が見えているのか」と読者がわかると、木星大気の中を落下しているというのがわかる。
もちろんそのまま落ち続けたら、いつか高圧大気につぶされて死ぬし、ジャミラもそれに気づいてやべってなるんだけど、それはそれとして、人間が身一つ(宇宙服だけ)で木星大気を落下していくというのは、今のところSFでしか見れない光景なので、ワンダー感がある