飯田隆『新哲学対話』

プラトンが書かなかったソクラテスの対話編、とでもいうか、まあ二次創作というか。
4本が収録されているが、例えばそのうちの「アガトン」は、『饗宴』のあとも残って話を続けていた4人の対話の記録、ということになっている。
ところで、フィルカルVol.4 No.3 - logical cypher scape2で鬼界が、哲学というのは論文形式で書かれる必然性はなくて、アリストテレスよりも前、つまりソクラテスプラトンは論文を書いてない哲学者だ、ということ書いていて、ある意味では、それの実践編みたいな本とも言えるのかもしれない。
今回、全部は読んでいなくて、ざくっとした軽い感想だけ書く


新哲学対話: ソクラテスならどう考える? (単行本)

新哲学対話: ソクラテスならどう考える? (単行本)

アガトン

よいワインとは何かということについての話
とりあえず、これだけでも読もうと思って、本書を手に取ったところがある。
ソクラテスとアガトン、パウサニアス、アリストファネスの4人が、このワインは美味しいワインだ、というところから、ワインの美味しさというのは人それぞれなのか、そうではないのかということについて話している
めっちゃ美学の話をしている
というか、理想的鑑賞者についての話をやっている感じで、実際、この話ってワインだけでなく芝居にも適用可能だよね、みたいな話もしている。
元々、森さんが、本書の「アガトン」を美学入門として読めるよと薦めていたのがきっかけで手に取ったので、まさに、まさにという感じで読んでいたのが、章末にある筆者コメントでは、もともと相対的真理・相対主義について書こうというところからスタートしていて、書いてみたら美学に近づいていた、書いてみたらヒュームと近い話になっていた驚いた、みたいなことが書かれていて、読んでいるこっちが驚いた


ところで、美学というのは伝統的にはあまり食については扱っていないはずなのだけど、まあでも、食だって美学の対象になるよねという話も現代美学では確かなされていたはずで(あまりよく知らないのでちょっとテキトーなこと言っている)、そういう意味で、ワインをテーマに理想的鑑賞者の話をして美学入門になっている、というのもなかなか面白いのかもしれない。
で、この前、『SFマガジン2019年12月号』 - logical cypher scape2で、暦本純一インタビューを読んだ際に、「食のSFが読みたいという話が、なんか面白そうだなと思った」のも、このあたりがちょっと念頭にあった。

ケベス

ソクラテスが現代世界に転生してきてしまったら、みたいな設定の話
よもや現パロ?
人工知能についての話してる

テアイテトス

言葉を理解するということにとって、「理解している」という感じはどれくらい関わっているのか、という話で
ウィトゲンシュタインの『哲学探究』でなされている議論を下敷きにしたもの
この話も結構面白いと思う

偽テアイテトス

知識のパラドックスについて
時間がなかったので未読

古田徹也『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』

『論考』の入門書で、『論考』やウィトゲンシュタインをあまりよく知らない人でも読めるようにと書かれており、実際、とても読みやすい。
自分は、ウィトゲンシュタインについて多少興味があって入門書くらいは読んでいたりするけれど、わりと『探求』の頃の、いわゆる後期ウィトゲンシュタインにより興味があって、『論考』はあんまりよく分かっていない。ところどころ知っている部分が、つながった感じがした。
あと、ウィトゲンシュタインは、前期と後期とに分けられるものの、解説書なんかでも連続性があることが指摘されていることがあり、実際読んでいて、後期と似てるなと思うところがあり、ベースとなる部分は一貫しているのだなと思った。
つまり、哲学的問題とされるものは、言葉を間違って使っていることから生じているので、その間違いを解き明かしていけば哲学的問題も消える。そうやって、哲学的問題は解決されるという考え。
あと、哲学で何ができるのか、ということに対して禁欲的というか、限定しようとしているところとか。


最近、下記の本を読んだので、ちょうどこれで前期と後期について触れられたかな、という感じ。まあ、下の本は3巻本の1巻目なのだけど。
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はるか昔に、下記の2冊も読んだことがあるが、はるか昔すぎてあんまり覚えていない
今回、古田本でもこれらの本には時折言及があったので、該当箇所だけ読み直したりした(ほんの数ページ)。
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はじめに
凡例
人と作品
論理哲学論考
§0 『論理哲学論考』の目的と構成
§1 事実の総体としての世界、可能性の総体としての論理空間
§2 事実と事態、事態と物(対象)
§3 不変のものとしての対象、移ろうものとしての対象の配列
§4 現実と事実
§5 像と写像形式
§6 像とア・プリオリ
§7 思考と像、像と論理空間
§8 命題と語
§9 名と要素命題
§10 解明と定義
§11 シンボル(表現)と関数
§12 日常言語(自然言語)と人工言語
コラム1 記号論理学
§13 個別性の軽視、個別性の可能性の重視
§14 言語の全体論的構造節
§15 「言語批判」としての哲学
§16 命題の意味の確定性と、命題の無限の産出可能性
§17 『論考』の根本思想
§18 否定と否定される命題の関係
§19 哲学と科学
§20 要素命題とその両立可能性(相互独立性)
§21 真理表としての命題
§22 トートロジーと矛盾
§23 命題の一般形式1
§24 推論的関係と因果的関係
§25 操作、その基底と結果
§26 操作の定義
§27 世界のあり方と、世界があること
コラム2 倫理学講話
§28 独我論と哲学的自我
§29 命題の一般形式2
§30 論理学の命題および証明の本質
§31 説明の終端
§32 意志と世界
§33 永遠の相の下に
§34 投げ棄てるべき梯子としての『論考』
§35 『論考』序文
文献案内
用語の対照表
あとがき


内容をまとめていくのはちょっと大変なので、印象にのこったポイントだけ書く

像は現実を写し取る模型のようなもの。像と現実とのあいだで共有されているものが「写像形式」
像は自身の写像形式を写すことはできない
像の真偽は、現実との一致・不一致で、アプリオリに真なる像は存在しない


「名」や「要素命題」とは一体何か
これは、分析されきった状態のもので、『論考』の目的から要請される概念だが、具体的にこれが「名」だとかは例示できない。
「新幹線」という言葉があって、これは例えば「日本で一番速い列車」のように分析できる。これがいわば新幹線の定義だとして、さらに「日本」とか「列車」とかも分析できる。究極なところまでいきついたのが「名」
だからもう、定義はできないのだけど、論理空間の中でどのような使われ方をされるのか(形式)は定まっている
例えば、仮に「新幹線」が名だとして、「新幹線」は「新幹線はとても速い」とか「新幹線は列車だ」とか「新幹線はアメリカで走っている」といった命題にあらわれる。なお、3番目は偽なる命題だけど、論理空間の中にそういう事態はある。だけど、「新幹線が輸血する」とかそういった命題にはならない。そういった形式というのは既に定まっているもので、命題を見ていくことで「解明」される。
既に述べた通り、「名」が具体的にどのようなものかは示されていない。
これは、どれだけ分析できるかはアポステリオリな問題だからで、アプリオリにこれが「名」であるとは言えないからだと、説明されている。
(世界をどれくらいきめ細かく分けられるかは、経験的な問題)
「名」が具体的に何であるかはアプリオリには言えないが、『論考』は、極大の表現力を有した言語が目的で、その言語がどのような言語であるかというところから要請される概念でもある。
ところで、この、『論考』において「名」が具体的に何か示されない問題について、
野矢は、複合命題を分析してできた単純なものについて、どっちがより単純なのか決められないものがあるから、という説明をしていて、これがのちに、ウィトゲンシュタインが『論考』が誤りだったと認めることになる要素命題の独立性の問題につながるとしている。
一方、鬼界は、単純を「分析的単純概念」と「論理的単純概念」に分け『論考』の「単純」は後者だという(そしてこれに従えば、上の説明はむしろ前者に近いように思える)。で、後者の「単純」においては、論理操作を行う「私」が背後に隠れている、と。


ウィトゲンシュタインも、命題を関数と考えているが、フレーゲラッセルの考えとは異なっている。
例えば、フレーゲの場合、変項になるのは対象で、出力値は真理値だが、ウィトゲンシュタインの場合、変項になるのは表現で、出力値は命題
「新幹線x」という関数があったとして、xに「が速い」という変項が入ると、「新幹線が速い」という命題がその値となる


『論考』のウィトゲンシュタインは、日常言語の分かりにくさは、記号論理学による人工言語によって分かりやすくなると考えている
『論考』は、その人工言語の条件を明らかにしようとする書物でもある。
ところで、人工言語の方が、日常言語よりも論理的だ、と言っているわけではない。日常言語はすでに完全に論理的なのだが、それが読み取りにくいので、人工言語を使ってあらわすと、日常言語の論理性が読み取りやすくなる、と


形式の話とか論理空間の全体論的ネットワークの話とか、なんかウィトゲンシュタイン以外にも言っている人いそうだなという感じで
形式の話は、なんとなくチョムスキーみを感じる。チョムスキーのことあまりよく分かってるわけではないけど
(ところで、野矢本にも、チョムスキーっぽいという書き込みをしていた、自分)


哲学と科学の違いということにも触れられている。
真なる命題の総体が科学。科学というのは、何が真なる命題なのかという探求だが、哲学はそうではない。哲学の成果は哲学的命題ではない。
哲学は、何が命題で何が命題もどきなのかの明晰化。語りうることとそうでないことの線引きをすること
語りえないことの一つが論理形式。論理形式は命題に反映されているが、命題として語ることはできない


語りうることの限界を示すためには、表現力が極大の「究極の言語」を想定しないといけない。究極の言語においては、あらゆる命題が要素命題の結合として捉えられる
要素命題には、相互独立性(両立不可能ではないこと)が要請される。例えば「太郎と花子は夫婦である」と「太郎は独身である」は、両立不可能である。前者が真なら後者は偽だし、後者が真なら前者は偽だから。要素命題は、このような関係にない=相互に独立している。
しかし、果たしてそんな命題は本当に存在するのか。
実際に、ウィトゲンシュタインはこの相互独立性を撤回することで、いわゆる前期から後期へと転換していくことになる
ただ、例えば野矢は、相互独立性が維持できなくても『論考』の考え自体は維持できる、という立場をとる


真理表が出てくる
ウィトゲンシュタインの独創性として、真理表それ自体を、命題記号として捉えるところにあると説明している
そしてそれは、命題の意味とは真理条件である、ということにつながっている
なお、真理表を発明したのはフレーゲとのこと
これに続いて、トートロジーと矛盾の話
真理表の右端が全て真になるのがトートロジー、全て偽になるのが矛盾
トートロジーと矛盾は、論理空間の中のある範囲を指定するような表現ではない(論理空間全てを指定するかどこも指定しないか)。で、現実の像たりえない。
しかし、一方で「無意味unsinnig」というわけではない。ウィトゲンシュタインは、矛盾やトートロジーは「意味を欠くsinloss」という。
これは命題の限界事例で、現実の像ではないが、命題に論理形式が反映されていることを示す事例


論理定項は、何か指示対象をもっているわけではない、というのをウィトゲンシュタインは『論考』の根本思想としている
で、論理定項とは、操作であるとしている
このあたりも、分かりやすく説明されていて面白いけど、詳しいところはここに書くのは大変なので省略
あらゆる命題は、要素命題にある操作を複数回適用したものである、と言うことができる


語りえないものとして、ここまでで論理形式が挙げられていたけれど、次に出てくるのが「世界がある」ということ
語りうること(=思考しうること)というのは、命題になるもので(これはもうかなり前の方で出てきている話)、命題というのは論理空間の特定の場(事態)を指定するもの
「新幹線が東京駅に停車している」は、論理空間の中で「新幹線が(品川駅でも横浜駅でもなく)東京駅に停車している」という事態を指定している
しかし、「世界が存在している」はそうではない。「新幹線が東京駅に停車している」ならば「世界は存在している」し、「地球が太陽系にある」ならば「世界は存在している」し、とにかくあらゆる事態から「世界が存在する」ことは帰結する。つまり、特定の事態を指定するようなものではない=命題ではない。だから、語りうることではない。
トートロジーに似ているがトートロジーでもない。トートロジーは記号の組み合わせだけで真だとわかるが「世界がある」はそういうものではない。
ただ、「世界がある」ということは、論理にも先立つ。だからこそ、我々は「世界がある」ことに驚く。「世界がある」ことは、事実でも虚構でもなく、神秘なのだということになる。
「なぜ世界はあるのか」と問うても、それは有意味な問題にはなりえない。しかし、我々は「世界がある」ことに驚いてしまう。そして、「世界がある」というのは命題にならない(思考しえない)ので、そもそも何に驚いているのかもわからない。だからこそ、それは神秘としてしか触れることできない。
『論考』に影響をうけたとされる論理実証主義者たちは、ハイデガーを強く批判したことで知られているが、ウィトゲンシュタイン自身はこうした点でむしろハイデガーにはある種の理解と敬意を示していた、と注釈されている


ウィトゲンシュタインの『論考』期に行われた講演の記録として『倫理学講話』がある。
ここでいう倫理学は、美学も含めた価値についての話で、ここでウィトゲンシュタインは、価値とは何か考える時に「世界があることに驚く」ことを想起してしまうと語っている
いずれも、言語の限界に突進していく行いだ、と。ただ、ウィトゲンシュタインはそれを咎めたり貶めたりしているわけではなくて、そこに重要なことが示されていると考えている、と
ところで、ここでウィトゲンシュタインがしていた価値の話について、筆者による解説論文が紹介されているので、あとで読みたいと思う。
JAXA Repository / AIREX: 絶対的価値と相対的価値: 宇宙開発の意義についての一視点


世界の次に、語りえないものとして見いだされるのが「私」である
もし仮に『私が見た(聞いた・触れた)世界』という記録を残すとして、そこには、私の手とか脚とか鼻とかは出てくるだろうし、私が楽しかったとか悲しかったとかいったことも書かれるだろうけれど、それを見ている私のことは書くことができない、と。世界の中にある私ではなくて、その世界を認識している主体としての私。世界というものが世界の中にはないように、私もまた世界の中には現れない


ウィトゲンシュタインは、必然性を論理的必然性しか認めない。
論理空間という観点から見れば、何が現実に成り立っていて、成り立っていないかは偶然に過ぎない
だから、自然法則に基づく物理的必然性なんかも、ウィトゲンシュタインからすれば、偶然的なことということになる
また、同じようにして、倫理的に「~すべきだ」「~しなければならない」という実践的必然性もやはりないことになる
倫理や美といった価値もまた、語りえないことだということになる
次に、「倫理の担い手たる意志」というのが出てくる。意志は世界に何の影響も与えない。しかし、意志は世界に強弱を与える。
ここからウィトゲンシュタインは、幸福な生の条件とは何かということへ探求を進める
それは、「永遠の相の下に」世界を直観するということ*1
「永遠の相の下に」というのはスピノザ由来のフレーズだが、ここでは論理空間という観点から世界をとらえているということ
生の問題は、その問題が消滅することで解決する。
謎の解決は、謎を解くことではなく謎を謎として、神秘として受けれいることでもたらされる


『論考』の最後でウィトゲンシュタインは、『論考』のことを投げ捨てるべき梯子であり、読者はこれらの諸命題を葬り去るようにと述べている*2
そもそも『論考』は、『論考』自身が語りえないこととした、世界の外に位置するのようなことについて語ってきてしまっている。そういう意味で、葬り去るべきものだと。
またもう一つ、哲学という病を治療しおえたならば、本書はその役割を終えるのだ、とそういう意味でもあるのだ、と筆者は解説している。
また、「語りえぬことには沈黙しなければならない」というのは、語りえないことは語りえないという諦念のような認識であると同時に、語ってはならないという倫理的な態度の表明でもあるのだ、と
ある種の問題や謎は、語ろうとすればするほど、もとの問題から離れていってしまって解決不可能になってしまうから。

*1:ところで鬼界彰夫『『哲学探究』とはいかなる書物か――理想と哲学』 - logical cypher scape2では「~の相の下」という表現がたびたびでてくるけれど、ここからとられていることに今更気づいた

*2:この葬り去らなければならない諸命題というのが一体どこからどこまでを指すのかということで、研究者の間では論争が起きているらしく、その論争について吉田寛による論文が紹介されている。ところで、些細な話なのだが、美学・ゲーム研究者の吉田寛とは別に、ウィトゲンシュタイン研究・言語哲学者の吉田寛がいるということを初めて知った

マルチレベル淘汰(メモ)

昨日、ちょうどこういうことをメモったタイミングで、今日、下記のようなツイートを目にした

記事中に、コラムとして集団選択の話が書かれている
E.O.ウィルソンとデイヴィッド・スローン・ウィルソンによる「複数レベル選択理論」
群選択の話は、エリオット・ソーバー『進化論の射程』 - logical cypher scape2や森元良太・田中泉吏『生物学の哲学入門』 - logical cypher scape2で読んでいるが、読み直した方がよいかも。
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『生物学の哲学入門』の該当部分はちらちらと読み直したんだけど、ソーバーの方は結構分量があるのでまだ読み直せていない。

『SFマガジン2019年12月号』

SFマガジン 2019年 12 月号

SFマガジン 2019年 12 月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2019/10/25
  • メディア: 雑誌

第7回ハヤカワSFコンテスト最終選考委員選評

優秀賞の『オーラリーメイカー』と特別賞の『天象の鏡』の冒頭部分が掲載されていたが、読むとしたら、本でちゃんと読もうと思い、選評だけ読んだ

SFブックスコープ JAPAN

新刊は、あまり能動的にチェックしていないものの、まあtwitterとかブログとか定期的に眺めているだけで読み切れないほど情報が流れてくるわけで
ただ、そういう情報だと早川や創元に偏っているのかなーと思ったのは、宮内悠介『遠い他国でひょんと死ぬるや』(祥伝社)が全然未チェックだったので

SFの射程距離第1回暦本純一

AI×SFプロジェクトの企画によう、AI研究者へのインタビュー記事第1回は東大情報学環の暦本純一
どういうSFを読んできたかーという話に始まり、SFとテクノロジーとの間の相互作用としてこれまでどのようなことがあったかみたいな話をしている
最後に、今後、どんなSFを読んでみたいかという話で、食のSFが読みたいという話が、なんか面白そうだなと思った

テッド・チャン「2059年なのに、金持ちの子(リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない――DNAをいじっても問題は解決しない」

表紙にある通り、テッド・チャン『息吹』刊行記念特集号なのだが、ページ数的にはかなり後ろの方にある、ので最初けっこう探した
『息吹』収録作である「オムファロス」が先行掲載ということだが、これは本の方で読もうと思うので、今回はパス
で、もう一つ掲載されているのが「2059年なのに、金持ちの子(リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない――DNAをいじっても問題は解決しない」
これは、2019年5月のニューヨークタイムズに掲載された作品で、100年後のニューヨークタイムズに掲載されている記事、というていの作品。なので、非常に短い
遺伝子改良によるエンハンスメント処置を、貧困層の子どもにも無料で施すというプロジェクトが発足したが、エンハンスされた子どもが全然社会的に成功できていない、という内容
いくら遺伝子レベルでエンハンスされても、結局、それを生かすための環境がないとだめで、その環境を整えることができるのは結局富裕層だ、という告発記事になっている

わたしたちがいま目にしているのは、たしかにカースト制の誕生だが、それは生物学的な能力差を基盤にしているわけではなく、現存する階級格差を固定することの言い訳として生物学を利用しているにすぎない。(中略)この社会のあらゆる面における構造的な不平等と取り組まなければならない。人間を向上させようとしても、この問題は解決しない
解決する唯一の道は、わたしたちが人間を遇するそのやりかたを向上させることなのである。

テッド・チャンインタビュー

『別冊日経サイエンス 進化と絶滅 生命はいかに誕生し多様化したか』

www.nikkei-science.com

この表紙は、京都造形芸術大学の学生たちの作った作品から。アボリジニーアートから着想を得た作品らしい
別冊日経サイエンスは、過去の日経サイエンスに掲載された記事の中から、テーマにあった記事を再録して構成されている。
ものによっては、かなり古い記事をとってきたりしていることもあるのだけれど、この号はほとんどの記事がここ数年のもので、古くても10年前。
最近の記事については、わりと既に読んだことあるものも多かったのだが、再読しても面白かった*1

まえがき 汲めども尽きない進化の謎  渡辺政隆

1 生命の起源を探る
生命の陸上起源説 M. J. ヴァン・クラネンドンク/D. W. ディーマー/ T. ジョキッチ
進化の出発点 混合栄養生命  中島林彦 協力:布浦拓郎
地下にいた始原生命体  中島林彦 協力:鈴木庸平/鈴木志野


2 カンブリア爆発の謎
生命爆発の導火線 エディアカラ生物の進化  R. A. ウッド
最古の左右相称動物 モンゴルで生痕化石を発見  中島林彦 協力:大路樹生


3 大量絶滅を見直す
大絶滅を解剖する  H. リー
古生代末に何が起きたか  中島林彦 協力:磯﨑行雄
明らかになった生命爆発の主役  R. マーティン/A. クイッグ
大量絶滅を生き延びたアンモナイト  Scientific American編集部
カメの絶滅はスローに見える  Scientific American編集部


4 進化の仕組みに挑む
覇者への意外な道  S. ブルサット
多様性の源 複雑な生物を生む力  D. M. キングズレー
ゲノムから見た自然選択のパワー  H. A. オール
生物の進化を予測する  入江直樹/詫摩雅子


5 進化論の今
都市が変える生物進化  M. スヒルトハウゼン
加速する人類進化 未来のホモ・サピエンスは?  P. ウォード
温暖化で小さくなる動物  M.ザラスカ
米国の進化論教育のいま  A. ピオーリ
科学と宗教は対立するのか  L. クラウス/ R. ドーキンス

生命の陸上起源説 M. J. ヴァン・クラネンドンク/D. W. ディーマー/ T. ジョキッチ

生命の陸上起源説 | 日経サイエンス
『日経サイエンス2018年3月号』 - logical cypher scape2に掲載されていた記事で、そっちでも一度読んだ
オーストラリアはピルバラのドレッサー累層から見つかる生命の痕跡と、かつてドレッサーが間欠泉のあるような地域だったという地質的証拠の話から始まる
温泉地帯には、温度も化学的性質も異なる多様な水たまりがあって、それによってさまざまな組み合わせで試行錯誤できたのではないか、と

進化の出発点 混合栄養生命  中島林彦 協力:布浦拓郎

進化の出発点 混合栄養生命 | 日経サイエンス
こちらは、『日経サイエンス2018年7月号』『Newton2018年7月号』 - logical cypher scape2で読んだ
最初の起源を巡る議論には様々な論点があるが、その中の一つに、従属栄養か独立栄養か、というものがある。
(この論点については、高井研編著『生命の起源はどこまでわかったか――深海と宇宙から迫る』 - logical cypher scape2に解説がある)
対して、混合栄養だったのでは、という話
最初の生命は従属栄養だったという説の方が先に提唱されたが、有機物が枯渇すると死滅してしまうという問題がある。
熱水噴出孔で独立栄養生物をベースにした生態系が発見され注目が集まったが、そもそも環境中に有機物が豊富にあった場合、独立栄養が先に登場する理由もない。
これに対して、周囲に有機物があれば従属栄養生物として、有機物がなくなれば独立栄養生物として振る舞う、というのが混合栄養生物
JAMSTECの布浦が発見した「タカイ菌(学名:サーモスルフィティバクター・タカイ)」*2が混合栄養生物
クエン酸回路(TCA回路)というのがあるが、従属栄養生物はこれの反応が時計回り、独立栄養生物は反時計回りで反応が進むという違いがある
この回転の方向を決めているが、従属栄養生物ではクエン酸シンターゼ、独立栄養生物ではクエン酸リアーゼ、なのだが、タカイ菌は、クエン酸シンターゼを使ってTCA回路を反時計回りに反応させることができる。
TCA回路を時計回りにも反時計回りにも反応させることができ、これで、独立栄養モードと従属栄養モードを切り替えているという。

地下にいた始原生命体  中島林彦 協力:鈴木庸平/鈴木志野

地下にいた始原生命体 | 日経サイエンス
これまた、『日経サイエンス2018年3月号』 - logical cypher scape2に掲載されていた記事で、そっちでも一度読んだ
記事の前半は、瑞浪で研究している鈴木庸平、後半は、カリフォルニアのシダーズで研究している鈴木志野の話*3
いずれも、CPR細菌の一種であるパークバクテリアについて
地下生命体は培養方法が分からず正体が謎だったが、メタゲノム解析によって分かるようになってきている。
瑞浪のは花崗岩に、シダーズのはかんらん岩に住み着いている
シダーズの地下はマントルを構成するかんらん岩が露出していて、原始地球の状態。だが、それゆえにATPを合成する「光合成」も「呼吸」も「発酵」もできない。岩石表面の化学反応を利用してエネルギーを獲得しているのではないかとい言われている。
生命の起源は陸か海か
瑞浪のように花崗岩で生息している細菌から始まったのだとすれば、花崗岩は陸上にあらわれるので、陸の可能性が高い。
シダーズのような、かんらん岩は陸上だけでなく、海底の熱水噴出域にもある。シダーズの地下、熱水噴出孔では、かんらん岩と水が反応して蛇紋岩化反応が起きている。実は、火星にも蛇紋岩がある。
陸上説の弱点は、紫外線と隕石重爆撃期をどう逃れたか。しかし、地下なら逃れられた。鈴木庸平は、陸上の温泉で生命は誕生し、地下に広まったのが生き延びたのではないかと考えている。

生命爆発の導火線 エディアカラ生物の進化  R. A. ウッド

生命爆発の導火線 エディアカラ生物の進化 | 日経サイエンス
こちらは、『日経サイエンス2019年10月号』 - logical cypher scape2でも読んだ記事
動物は、カンブリア紀からと思われてきたが、ナミビアやシベリアでの発見により、エディアカラ紀から登場していることがわかってきた、と。
例えば、炭酸カルシウムによる骨格の発見
クロウディナという、造礁動物。造礁により、そこで動物たちは寄り集まり強くなる、捕食者と被食者の生存競争が始まる
エディアカラ紀の進化のダイナミクスに関わってくるのが、酸素量の変化。

最古の左右相称動物 モンゴルで生痕化石を発見  中島林彦 協力:大路樹生

最古の左右相称動物 モンゴルで生痕化石を発見 | 日経サイエンス
同じく、『日経サイエンス2019年10月号』 - logical cypher scape2でも読んだ記事、ということもあり省略

大絶滅を解剖する  H. リー

大絶滅を解剖する | 日経サイエンス
この記事は、初出は『Newton2016年4月号・5月号』『日経サイエンス2016年5月号』 - logical cypher scape2で、真鍋真編『別冊日経サイエンス よみがえる恐竜』 - logical cypher scape2にも再録されている。
火山噴出物の体積を比較する図が載っているのだけど、シベリアトラップ、中央大西洋トラップ、デカントラップやばい。イエローストーンが比較にもならないくらいの量

古生代末に何が起きたか  中島林彦 協力:磯﨑行雄

古生代末に何が起きたか | 日経サイエンス
初出:2013年10月号
ペルム紀末の大量絶滅について、磯﨑行雄が提唱した統合版「プルームの冬」仮説
この時代の地層は、中国南部、中東、南欧に限られている
ペルム紀末の大絶滅は、実は、ペルム紀中期末と後期末のさらに2つの時期に分けられる
ペルム紀中期末(G-L境界)の時には、峨眉山洪水玄武岩の火山活動が起きている
さらに、それに先立って、地球の磁場が逆転する「イアワラ事件」、イラワラ事件からしばらくたってから「超酸素欠乏事件(スーパーアノキシア)」と、様々な異変が起きていたのがペルム紀
まず、パンゲアの下に沈み込んでいた大量の海洋プレートがマントルへと落下する「スーパーダウンスウェル」が起きる
→これにより外核の対流が乱され、地球磁場が乱れる=イアワラ事件
→磁場の反転により磁場が低下し、宇宙線が大気圏に侵入→宇宙線が大気分子を帯電させ雲を発生させ寒冷化させる(宇宙気象学者スベンスマルクの仮説で、磯﨑がこれをイアワラ事件と結びつけた。太陽の活動が弱くなっても同じような寒冷化が起きるとしてスベンスマルクの仮説は注目されているが、完全には立証されていない)
→一方で、パンゲアの下では2つのスーパープルームの上昇が発生する
→1つ目のスーパープルームは、パンゲア東部・赤道のやや南(現在の中国南部)に到達
→まず、爆発的噴火を起こす。これによる大量の塵の発生で寒冷化が起きる=「プルームの冬」
→次いで、洪水玄武岩が噴出し火山ガスによる温暖化が発生=「プルームの夏」
→1つ目のスーパープルームは、峨眉山洪水玄武岩の火山活動を引き起こした
→2つ目のスーパープルームは、やはり同様の爆発的噴火→洪水玄武岩のコンボを、今度はパンゲア東部の高緯度地域(現在のシベリア)で発生させる=ペルム紀末の大量絶滅
寒冷化が進むと、海洋循環が活発化し、光合成も活発になる*4。が、大量の有機物が沈降し腐敗することでスーパーアノキシアを起こす。
ペルム紀末の大量絶滅は、シベリアの洪水玄武岩火山活動による温暖化によるもの、というのが一般的な説のようだが、
磯崎説は、その直前に起きた寒冷化が大量絶滅が起き、その後の温暖化が回復を遅れさせた、というシナリオ
ただ、寒冷化を引き起こしたとされる爆発的噴火の直接的な証拠は見つかっていない(峨眉山洪水玄武岩の地層の直下から火山灰の堆積層があって、それが間接的な証拠。また、ペルム紀の地層からは見つかっていないが、キンバーライトというダイヤモンドを含む地層も、爆発的噴火によるものなのではないか、と)
また、ペルム紀末に光合成が活発化した証拠としては、炭素同位体比の偏差として現れており、宮崎県の上村(かむら)とクロアチアから発見されている(「上村事件」)
ちなみに、スーパーアノアキシアの証拠も、木曽川沿いで発見されており、どちらも日本でなされた発見とのこと


この記事の初出となった日経サイエンス2013年10月号は読んでいなかったが、ちょうど2013年11月頃に丸山茂徳・磯崎行雄『生命と地球の歴史』 - logical cypher scape2を読んでいた。この中でも、スーパープルームと爆発的噴火、からのスーパーアノアキシア&洪水玄武岩について書かれている。
また、土屋健『石炭紀・ペルム紀の生物』 - logical cypher scape2でもペルム紀末の大絶滅について触れられている。

明らかになった生命爆発の主役  R. マーティン/A. クイッグ

明らかになった生命爆発の主役 | 日経サイエンス
初出:2013年10月号
大量絶滅のあとの、海洋生物の多様化は何が原因か
海面の変動かと思われていたが、多様性増大のパターンと相関していない
植物プランクトンの増加による影響大!
古生代は、緑藻類とよばれるプランクトンが、中生代以降は、紅藻類というプランクトンが主流を占めるようになる
微量栄養素の違い、さらにリンなどの主要栄養素の大量流入が要因
陸上での風化、顕花植物の登場により、陸地からの栄養素が海洋へ流入(貝殻化石中のストロンチウム同位体比によって確かめられている)
栄養素の流入が、海洋生物の多様化をもたらしたという仮説(直接確かめられてはいないが、リンの流入で直物プランクトンの栄養量が増大、貝の成長率が増大、という実験結果がそれぞれあり、傍証とされている)
現在、人類の活動による酸性化や温暖化で植物プランクトンが減っているとしたら、これの逆の現象が起きてしまうのではないか、という危惧も述べられている

大量絶滅を生き延びたアンモナイト  Scientific American編集部

大量絶滅を生き延びたアンモナイト〜日経サイエンス2009年11月号より | 日経サイエンス
初出:2009年11月号
K-Pg境界より後の時代から発見されたアンモナイトの話
どうやって絶滅を乗り越えたのだろうか、というふうに書かれているのだが、K-Pg絶滅の10~100年後らしく、いやそれは全然乗り越えられていないのでは、という気持ちになった

カメの絶滅はスローに見える  Scientific American編集部

カメの絶滅はスローに見える〜日経サイエンス2019年9月号より | 日経サイエンス
これは日経サイエンス2019年9月号 - logical cypher scape2でも読んだのでスルー

覇者への意外な道  S. ブルサット

覇者への意外な道 | 日経サイエンス
これまた、『日経サイエンス2018年9月号』 - logical cypher scape2でも読んだのでスルー

多様性の源 複雑な生物を生む力  D. M. キングズレー

多様性の源 複雑な生物を生む力 | 日経サイエンス
ダーウィンによる『種の起源』発表当時、ハーシェルは、変異の出現について説明できていないとして批判していた
現在では、変異の出現は分子レベルで解明されている
遺伝子の突然変異、重複、挿入、逆転、転位など
こうした分子レベルの変異が、どのように形質として現れるのかもわかってきている(エンドウのしわ、ラブラドールレトリバーの毛色などの例)
また、こうした変異が、個体差だけでなく種の違いを生むほどの大きな違いになることも(トウモロコシとテオシント(トウモロコシの原種)の違いや、トゲウオの多様な種の違いなど)
また、比較的短い期間での変異の蓄積として、人間の肌の色や乳糖耐性、アミラーゼ遺伝子の多様性(チンパンジーと比べてヒトはアミラーゼをコードしている遺伝子が多い)といった例が挙げられている

ゲノムから見た自然選択のパワー  H. A. オール

ゲノムから見た自然選択のパワー | 日経サイエンス
初出:2009年4月
中立進化説が提唱されて以来、形質レベルでは自然選択、分子レベルでは中立進化(遺伝的浮動)が支配的なメカニズムだと考えられてきた。
が、近年、分子レベルにおいても、自然選択が考えられていた以上に強く働いていることが分かってきた、という記事
2種のショウジョウバエのDNA配列を比較した研究によれば、19%の遺伝子が自然選択により分岐(81%は中立進化で、中立進化はやはり重要だが、自然選択は中立進化説で考えられていたよりも大きな要因を占めていた、と)
なお、文末で、監修者である三中信宏が、この記事は分子レベルでの自然選択の重要性をあえて前面に押し出した記事で、中立説支持者からは異論も出るだろうとコメントしている
また、この記事では、自然選択によって遺伝子がどれだけ変異するかについて、バクテリオファージを使った実験が紹介されている。バクテリオファージはゲノムサイズが小さいので、実験の途中でも全ゲノムを解析でき、世代交代が速いので自然選択の様子を観察できる。まさに進化の実験
また、受粉媒介者が昆虫か鳥かで違いのある2種のミゾホオズキを使った、野生での遺伝子の変化と自然選択についての調査にも触れられている
最後に、自然選択は、種分化を引き起こすか=生殖的隔離は起きるのか、という点も論じられている。
ここでも、従来は遺伝的浮動が生殖的隔離を引き起こすと考えられていたのに対して、むしろ自然選択による、という主張がなされている


記事中に、コラムとして集団選択の話が書かれている
E.O.ウィルソンとデイヴィッド・スローン・ウィルソンによる「複数レベル選択理論」
群選択の話は、エリオット・ソーバー『進化論の射程』 - logical cypher scape2森元良太・田中泉吏『生物学の哲学入門』 - logical cypher scape2で読んでいるが、読み直した方がよいかも。

生物の進化を予測する  入江直樹/詫摩雅子

生物の進化を予測する:入江直樹 | 日経サイエンス
こちらは、『日経サイエンス2018年6月号』 - logical cypher scape2で読んだ

都市が変える生物進化  M. スヒルトハウゼン

都市が変える生物進化 | 日経サイエンス
初出:2018年12月号
都市の環境は、強い淘汰圧として働き、進化の速度を速める。
タツムリの殻の色(ヒートアイランド現象の起きている都市では、熱を逃がすために明るい色がよい
タンポポの綿毛(遠くへ飛んでいってもアスファルトの上に落ちたら意味ないので、なるべく親の生えている土の近くに落ちる)
夜行性のクモが、人工の光を好むようになった(虫が集まってくるから
逆に、都会の虫は蛍光灯に近づかないようになっている
などの面白い例が色々と紹介されていた。
最後に、こうした変化を追跡するには、市民科学者・アマチュアの手助けがポイントになってくるのではないか的なことが書かれていた。


残り4記事は未読
ただし、「米国の進化論教育のいま」は日経サイエンス2019年6月号 - logical cypher scape2で読んだ

*1:再読しなかった記事もあるが、別に面白くなかったわけではなくて、時間的理由だったり、なんとなく内容覚えていたりしたからだったり

*2:名前の由来は高井研である

*3:どちらも鈴木だが親族関係にはない、とのこと/鈴木志野は現在JAMSTECだが、クレイグ・ベンター研究所にいた頃にシダーズでの研究を始めたらしい。ベンターというと合成生物学

*4:栄養塩の豊富な深海からの湧昇流により植物プランクトンが増加

フィルカルVol.4 No.3

まだ、Vol.4 No.1とNo.2を読めてないのだが、ウィトゲンシュタイン特集とかだったので、手に取った
とりあえず読んだ分だけ。
妖怪論の奴も読みたいと思っているのだが、長いので後回し。すみません。
後半、書評および筆者・訳者自身による著作の紹介が続く。書評をさらにまとめる、というのも変な話なので、最低限の言及にとどめるが、読みたい本がどんどん増えて大変、ということだけ言っておきたいw

特別寄稿 「谷賢一『従軍中のウィトゲンシュタイン』(工作舎、2019)を巡る哲学的随想」(鬼界 彰夫)
特集1:『論理哲学論考』と文化をつなぐ 古田徹也『ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』出版記念誌上ブックフェア
特集2:山口尚『幸福と人生の意味の哲学』
「神・分析的・実存的―『幸福と人生の意味の哲学』を継続して」(山口 尚)
「山口尚の方法」(長門 裕介)
「何が人生を形づくるのか」(八重樫 徹)
「遠くまで旅する人たちに」(高村 夏輝)
シリーズ:ポピュラー哲学の現在
超訳 ニーチェの言葉』ベストセラーの仕掛け人に聞く 藤田浩芳さん(ディスカヴァー・トゥエンティワン)インタビュー
対談「哲学と自己啓発の対話」第二回(玉田 龍太郎/企画:稲岡 大志)
文化の分析哲学
「新しい民俗学のための妖怪弁神論—妖怪の存在意義、そして伝承の可能性の条件に関する形而上学的考察—」(根無 一信)
「無数の理想を収集する鶴見俊輔—他愛ない夢、想像的変身、感性的横ずれ—」(谷川 嘉浩)
「批評の新しい地図―目的、理由、推論― 」(難波 優輝)
イベント
トークイベント「ネタバレのデザイン」@代官山蔦屋書店(2019年6月26日)(登壇者:森 功次、松本 大輝、仲山ひふみ)
ワークショップ「ビデオゲームの世界はどのように作られているのか?—松永伸司『ビデオゲームの美学』をヒントに—」@大阪成蹊大学(2 0 1 9 年8 月3 1 日)(登壇者:松永 伸司、三木那由他、難波 優輝)
報告
ベオグラードでの国際美学会に参加して」(青田 麻未)
コラム、レビュー、新刊紹介
「コンピュータで世界を再多義化せよ! ミゲル・シカール『プレイ・マターズ』(フィルムアート社)」(吉田 寛)
「倉田剛『日常世界を哲学する:存在論からのアプローチ』」(岩切 啓人)
「古田徹也『不道徳的倫理学講義―人生にとって運とは何か』(ちくま新書、 2019 年)」(酒井 健太朗)
「社会科学の哲学が提起する問い:社会科学は自然科学と同じ営みを目指すべきなのか?そもそも違う営みなのか?」(伊藤 克彦)
シェリル・ミサック『プラグマティズムの歩き方』(上・下)訳者による紹介」(加藤隆文)
「源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』著者による紹介」(源河 亨)
「リサ・ボルトロッティ『現代哲学のキーコンセプト 非合理性』訳者による紹介」(鴻 浩介)

特別寄稿「谷賢一『従軍中のウィトゲンシュタイン』(工作舎、2019)を巡る哲学的随想」(鬼界 彰夫)

『従軍中のウィトゲンシュタイン』という舞台・戯曲の存在は知っていたけれど、自分は未見・未読
広い意味では書評ということになるが、哲学と演劇の関係について考察するというものになっている。
まず、この作品は、『論考』の考察となっていると述べる。
演劇なので、創作部分があり事実とは異なる部分があるのではないかという問題に対して、理解をもたらすためのモデルであると考えれば、事実とは必ずしも一致していなくてもよい(というか、モデルは事実とは一致しない部分を普通持つものである)、とする
その上で、そもそも哲学というのは論文形式で書かれるものだと考えられているけれど、その関係は必然か、と問う。アリストテレスによってその二つは結び付けられていたのであって、ソクラテスプラトンは論文は書いていない。哲学と論文形式は必然的な結びつきではない、と。
また、谷が『探求』でも同様のことをしようとしており、鬼界は、谷による「―」と「……」の使い分けが、『探求』におけるハイフンの用法を読解するヒントになるのではないかという目論見を述べている。
鬼界彰夫『『哲学探究』とはいかなる書物か――理想と哲学』 - logical cypher scape2でも「文体論」ということを述べており、ここでも文体について着目している。

特集1:『論理哲学論考』と文化をつなぐ 古田徹也『ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』出版記念誌上ブックフェア

古田徹也、大谷弘、入江俊夫、菅崎香乃、諸隈元、新野安、佐藤暁(フィルカル編集部)、谷田雄毅(フィルカル編集部)が、『論考』と関連するような諸作品を挙げている。
哲学書以外」で、マンガや映画なども含む作品リストとなっている。
例えば、大谷が『カール・クラウス著作集』を挙げていて、入江が、ウィトゲンシュタインが財産の一部を寄贈した表現主義詩人ゲオルグ・トラークルの詩集を挙げている。ところで、全然全く関係ないんだけど、シュピーゲルシリーズにでてくる、リヒャルト・トラクルってもしかしてこの人が元ネタなのか、と思わせる順序*1
諸隈の選書がすごくて、ウィトゲンシュタインが気に入っていたというハードボイルド小説、また、イギリス文化を毛嫌いしていたとされるウィトゲンシュタインが例外的に好きだったというディケンズウィトゲンシュタインが宗教の可能性に開眼したきっかけになったと言われる芝居などのチョイス。最後にマンガも一作紹介されているが、それは、ウィトゲンシュタインの母校であるベルリン工科大学が出てくるから、というチョイス
谷田は、ウィトゲンシュタインやその家族、アンスコムなどの写真を集めた写真集を挙げている

特集2:山口尚『幸福と人生の意味の哲学』

「神・分析的・実存的―『幸福と人生の意味の哲学』を継続して」(山口 尚)

分析的であり、また実存的でもある、ということ

「山口尚の方法」(長門 裕介)

山口が理想とする、「生の現場へ帰還する」分析哲学者についてなど
ところで、今ちょっと自分の頭のなかでごっちゃになっていたのだけど、古田徹也が、個人の問題を倫理学の「故郷」というのと、もしかしてちょっと似てる?

「何が人生を形づくるのか」(八重樫 徹)

あれ、これ読んだと思ったけど、まだ読んでなかった

「遠くまで旅する人たちに」(高村 夏輝)

二人称で書かれた文章

シリーズ:ポピュラー哲学の現在

超訳 ニーチェの言葉』ベストセラーの仕掛け人に聞く 藤田浩芳さん(ディスカヴァー・トゥエンティワン)インタビュー

稲岡さん、長田さん、佐藤さんによるインタビュー
出版の企画、編集に関わる話で、話の内容そのものだけでなく、むしろこういう話が哲学の雑誌に載っているのが面白い

対談「哲学と自己啓発の対話」第二回(玉田 龍太郎/企画:稲岡 大志)

第2回で、話の途中からなので、最初何の話しているのかよくわからなかったが
高校教師をしながら哲学研究をしている玉田龍太郎と、自己啓発の著作がある百川怜央の対談

「無数の理想を収集する鶴見俊輔—他愛ない夢、想像的変身、感性的横ずれ—」(谷川 嘉浩)

鶴見俊輔の文章論から、探偵・忍者論

「批評の新しい地図―目的、理由、推論― 」(難波 優輝)

批評とはこういうものだ、というのではなく、4つの目的、2つの理由、2つの推論の組み合わせによって、様々なタイプの批評を分類するという多元主義的立場

トークイベント「ネタバレのデザイン」@代官山蔦屋書店(2019年6月26日)(登壇者:森 功次、松本 大輝、仲山ひふみ)

webに載ってた記事の再録かな
レポート:代官山蔦屋書店トークイベント「ネタバレのデザイン」(2019年6月26日) | フィルカル

ワークショップ「ビデオゲームの世界はどのように作られているのか?—松永伸司『ビデオゲームの美学』をヒントに—」@大阪成蹊大学(2 0 1 9 年8 月3 1 日)(登壇者:松永 伸司、三木那由他、難波 優輝)

上に同じく
レポート:大阪成蹊大学トークイベント「ビデオゲームの世界はどのように作られているのか?――松永伸司『ビデオゲームの美学』をヒントに」(2019年8月31日) | フィルカル

ベオグラードでの国際美学会に参加して」(青田 麻未)

これ、タイトルそのままの内容

「コンピュータで世界を再多義化せよ! ミゲル・シカール『プレイ・マターズ』(フィルムアート社)」(吉田 寛)

この本の他の書評でも触れられていたが、おもちゃ論が展開されているらしく、気になっている。
キーワードは「流用」

「倉田剛『日常世界を哲学する:存在論からのアプローチ』」(岩切 啓人)

社会存在論の入門書となっているらしい。新書だし、これもとても気になる。
この書評では、いわゆるスタンダードな書評を行った後、さらにつっこんで、美学における関係した論点が紹介されていて、そこだけでも読み応えがある

「古田徹也『不道徳的倫理学講義―人生にとって運とは何か』(ちくま新書、 2019 年)」(酒井 健太朗)

アリストテレス研究者による書評で、後半はその観点から論じられている。

「社会科学の哲学が提起する問い:社会科学は自然科学と同じ営みを目指すべきなのか?そもそも違う営みなのか?」(伊藤 克彦)

アレクサンダー・ローゼンバーグによる社会科学の哲学の入門書*2についての書評。なお、英語で書かれた原著についての書評で、翻訳書があるわけではなさそう。
自然主義と解釈主義の対立、という観点に着目して、本書の内容が紹介されている

シェリル・ミサック『プラグマティズムの歩き方』(上・下)訳者による紹介」(加藤隆文)

訳者による紹介
フィロソフィーのダンスの「ヒューリスティック・シティ」という曲の歌詞と絡めて、紹介されている
ところで、グルーって色が変わるの2029年なんすね。あと10年か。

「源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』著者による紹介」(源河 亨)

心の哲学を用いた美学の本ですよ、という筆者による紹介
1~5章は音楽以外の芸術鑑賞にも当てはまる議論であり、第6章以降はより音楽に焦点を合わせた議論をしている、とのこと

「リサ・ボルトロッティ『現代哲学のキーコンセプト 非合理性』訳者による紹介」(鴻 浩介)

「非合理性」と一言で言っても、実際にはいろいろな非合理性がある。この本では、そうした様々な非合理性の統一理論を作ろうというよりは、まずはそうした様々な「非合理性」の分類、といったことがなされている、と
あと、この本を貫くもう一つのキーワードは「行為者性」であるとのこと

*1:カール・クラウスと同名のキャラクターがシュピーゲルシリーズには登場する。なお、シュピーゲルシリーズの「シュピーゲル」は言語ゲームとは特に関係ないはずだけど、この並びで並べるとあたかも関係しているかのように見えてきてしまうw

*2:ローゼンバーグは、科学哲学の入門書もある。 アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学』 - logical cypher scape2

宙を数える 書き下ろし宇宙SFアンソロジー

創元SF短編賞出身者による宇宙SF競作
時間SFアンソロジーである『時を歩く』とセットの企画なのだが、とりあえず宇宙が面白そうだったのでこちらをまず手に取った。
が、めちゃくちゃ面白い
どの作品も当たりで、かなり満足度が高い。レベルの高い短編集だと思う

「平林君と魚(いお)の裔(すえ)」オキシタケヒコ
「もしもぼくらが生まれていたら」宮西建礼
「黙唱」酉島伝法
「ときときチャンネル#1【宇宙飲んでみた】」宮澤伊織
「蜂蜜いりのハーブ茶」高山羽根子
「ディセロス」理山貞二

「平林君と魚の裔*1オキシタケヒコ

異星種族との交易船に乗り込む羽目になった海洋生物学者の話
世界設定として、地球人類はある時ファーストコンタクトを果たすのだが、交易に参加するにはあまりにも関税レートが高すぎ、アメリカが開戦してしまう。で、アメリカは負け、アメリカ国民はみな連れ去られてしまう。一人だけ地球へと帰還してきたのスミレ・シンシアという少女は、そのまま宇宙交易を手掛けることのできる唯一の地球人となる。
主人公は、そのスミレ商会のアルバイト募集に何故だか引っかかってしまって、宇宙へと旅立つことになる。
主人公が海洋生物学者ながら重度の引きこもりで、コタツにずっとこもっていたいという人種で、一方のスミレ・シンシアは関西弁を喋るし、さらに男子小学生みたいな声で話すリトル・グレイもいたりして、なかなかコミカルな雰囲気で話自体は進むのだが、実はかなりのアストロバイオロジー文明論SF
生き物には、浮遊生物、遊泳生物、底生生物がいる。
遊泳生物というのは魚で、地球人はこれの末裔にあたる。一方、底生生物というのは、イソギンチャクとかフジツボとか。
主人公の研究対象は底生生物。
そして、スミレ商会の宇宙船に乗っていたパイロット兼用心棒の「平林君」は、この底生生物から進化した知的生命体種族に属する。
平林君は、この銀河における交易網は、底生生物系の種族が遊泳生物系の種族を駆逐するためのシステムなのではないかという仮説をたてているのだった。

「もしもぼくらが生まれていたら」宮西建礼

宇宙探査機の計画を練るのに明け暮れる高校生たちの物語なのだが、一方でポリティカルなテーマをもった歴史改変SFでもある。
学生向けの衛星構想コンテストへの参加を目指していた主人公たちは、地球と衝突コースをとる隕石が発見されたことで、土星の探査機ではなく、隕石の衝突をいかに回避できるかという方法を考え始める。
この作品のちょっとユニークなところは、主人公たちが考えたことが、直接世界を変えたりはしないということ。彼らは高校生なので、構想を実現するだけの力は持っていないし、また、彼らが考えるようなことは、どこかで別の人が考えているものでもあり、彼らではなく別の人(アメリカの大学院生とか)のアイデアとして実現されることになる
それでも、彼らの視点からこの出来事について語られていく、というのがこの物語のポイントで、どういうことかというと、彼らが広島の、それも核兵器が作られなかった世界の広島の高校生だから

「黙唱」酉島伝法

酉島作品、だんだん面白さが分かるようになってきた。
海洋惑星に生息する、音をあやつる生物たちの物語
ナシュツという個体が生まれ、育ち、そして彼らが住んでいた土地の秘密を明らかにするという話
人類とは異なる生命体の生態や文化を、独特の漢字とともに描き出していく

「ときときチャンネル#1【宇宙飲んでみた】」宮澤伊織

タイトルから分かる通り、動画配信者が主人公、というか語り手。動画配信をそのまま書き起こしたような形式の作品。
同居人である天才科学者が作った怪しげな飲み物=科学者曰く宇宙そのものを、飲んでみる、という話
この説明だけでは一体何のことなのか全く分からないと思うが、これもまたなかなかすごい宇宙SFで、動画配信者SFで、それでいて百合だったりする。

「蜂蜜いりのハーブ茶」高山羽根子

世代間宇宙船みたいなのが舞台なのだけど、多国籍な雰囲気の屋台が立ち並ぶ路地みたいなところで話は進む
この船は、「表側」と「裏側」があって、太陽の光に適応できた者が「表側」で食糧生産などの労働に従事し、それ以外の者たちは「裏側」で暮らしている。
「裏側」で暮らす少女の前に、「表側」からやってきた小さな男の子が現れる。
表側でやってる食糧生産って一体何なの、というのが話を進めていく謎なのだけど、実は主人公たちは吸血鬼だったという話

「ディセロス」理山貞二

宇宙SFでもあり、なおかつ時間SFでもある作品
宇宙で戦闘が起こり、そして、6人の船員の中に敵の工作員がいることがわかる。ちなみに、この6人は身体がそれぞれバラバラで、非ヒューマノイド形態のものもいる。主人公も、人格を船内にあったアンドロイドにダウンロードされた存在で、人格と身体のジェンダーが一致していなかったりする。
で、6人には、この船で作られたディセロスという装置がつけられていて、なんとこれをつけると、5分先の未来を見ることができる。
加えて、彼らの身体にはディセロスを接続するソケットが複数ついていて、もしディセロスを2つつける10分先の未来が見えるようになる。
船員が1人襲われる。敵は、10分先の未来が見えるようになる。
いかに先読みバトルをしながら、誰が工作員かを見つけて倒すか。

*1:「魚の裔」は「いおのすえ」と読む