鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』

再読。
しかし、以前読んだときとは全然異なる。以前読んだときは「何だかよく分からないけれど、これが哲学という奴なのか」というのが主な感想だった。すごさを感じたし面白くもあったのだけど、何が書かれているのかほとんど分かっていなかった。
それってそういうことだったのかー、って今回気付かされたことが多かった。
それらを羅列してみる。

  • 語りえないことの区別

『論考』の最も有名な一節が「語りえないものについては沈黙しなければならない」だろうけど、その「語りえないもの」には2種類ある。
一つは、論理−言語の外部にあり、すなわち思考の外部にあるために「語りえないもの」
これは要するに「神」である。
もう一つは、論理−言語の境界にあるため、「示す」ことができるが「語る」ことができないもの。これは論理そのもののことを指す。
僕は今まで前者の方しか考えていなかった。

  • 論理空間

命題は世界を映す像と喩えられるが、ならば命題と絵画を分けているのは何か。
命題は、論理空間の中である位置を占めるが、絵画は論理空間の中にない。
論理空間は、命題と論理定項などの「思考の足場」からなるネットワークであり、これが世界を満たしている。

  • 分析的単純から論理的単純へ

単純な概念とは何か。
単純にいたる道筋として分析がある。ある概念をさらに下位の概念に分割していく方法だ。分析しきれない限界まできたら、それは単純な概念といえる。
しかし、果たして本当にそうだろうか。
話者が、あるひとかたまりのものとして認識しそれに命名をしたならば、それが単純な概念なのではないだろうか。
ここに、論理−言語の中に「私」という存在が現れてくる。
論理−言語は、単純な概念をもとに構成されるが、その単純な概念を決定するのは「私」なのである。さらにいえば、「私」による言葉の「適用」なのである。
『論考』も、必ずしもフレーゲ論理学に全面的に依拠した論理を前提としているわけではない。

ウィトゲンシュタインの思索は、論理だけでなく倫理にも及ぶ。
もともと彼は生への意識が希薄であったのだが、第一次大戦への従軍中、生きることの喜びに突如として目覚めるのである。
話は逸れるが、生への肯定というのは、結局のところこうした外部からの訪れがないと得られないものなのだろうか。ニーチェ永遠回帰も、突如として体験されたものだったらしいし。生は個人的経験によってしか意味づけられないのだろうか。だとすれば、哲学なんかは要らない。
閑話休題ウィトゲンシュタインは世界を意味づける存在としての「私」について考える。
論理の世界で「私」は、その基盤となる「単純な概念」を決定する存在であったが、
倫理の世界で「私」は、世界に意味を満たす存在なのである。
さてこの「私」が世界や生について意味を与えるとき、そこには「神」が現れる。世界に意味を与える存在は、世界の外部にいるはずであり、世界の外部のことがここでは仮に「神」と呼ばれている。
ところで、考えるとは世界の内部に対してのみ可能で、世界の外部に対しては考えることはおろか語ることすらできない。それでも神について「考える」ことがある。
この「考える」は特別な「考える」で普通の考えるとは区別されて、「祈る」と呼ばれる。
同様に、「信じる」は「信仰」と呼ばれる。

さて、『論考』『考察』期(いわゆる前期)から『探求』『確実性』期(いわゆる後期)に移るに至って、色々な転換がある。だが、この前期と後期への転換は、一足飛びに行われたのではなく、前期に対して批判を加えていくことによって行われた。つまり、前期と後期は連続した思考なのである。
だが、ここではその転換のあたりはとばして、いきなり後期の重要な概念である「言語ゲーム」に関して触れる。
上には「言語ゲーム」ではなく「言語ゲーム/劇」と書いたのだが、ここに使われている「シュピール」というドイツ語は英語での「プレイ」と「ゲーム」の両方の意味を持っており、「言語ゲーム(シュプラッハ・シュピール)」とは、「遊び」「ゲーム」「劇」という3つの要素を併せ持っている。
言語を定義するのは、「内容と真理の一致」ではなく、その状況状況に応じた「使用」「機能」だと考えるのが「言語ゲーム/劇」で、要するにその状況というのを「劇」と呼んでいる。
これらの「言語ゲーム/劇」は、人生の中に繰り返し現れるパターンで、「言語ゲーム/劇」が何層も折り重ねられることが「人生」である。

  • 独我論と人格間隔壁問題→私的言語批判

ウィトゲンシュタインは、自分の中にある独我論へと向かう衝動を一種病的なものだと自分で感じていた。そのため、独我論を徹底的に批判する。二度と独我論を抱かないようにしなければならない、と考えていたらしい。
そのために彼は、私的言語は成立しない、ということを論証しようとする。
ここで出てくるのが「制度」であり「使用」である。
まず、「制度」は命名に関していわれる。
名前を付ける、という行為は「制度」である。子どもの名前をつけるのが親であるのは、そういう「制度」であるのだ。その「制度」の外で行われる命名行為は、単なるパロディにしかなりえない。そういう意味で、私的に命名することはパロディとしてしか行うことができない。
続いて「痛み」に関して。
よく独我論の主張として行われるのが、「私」の痛みは認識できるが、他者の痛みは認識できない、というものがある。だが、これは人格隔壁問題であって、独我論ではない。というよりも、そもそもこの問題自体が本来あり得ない問題であることが示される。
つまり、「私が痛い」とは痛みの表出であって記述ではなく、「彼が痛い」とは彼の痛みの記述ではなく彼への同情なのである。
最初に「痛み」という感覚があってそれへの記述があるのではなく、最初に「私が痛い」とか「彼が痛い」とかいう使用があって、そういう状況を沢山経験することによって「痛み」という概念が認識されるようになる。

  • 意図の重制度性と志向性

意図というものは、その意図を持つ人単体の状態によって決定することはできない。その人の周辺の様々な状態、状況、条件が重なってはじめて成立する。つまり、重制度性が意図にはある。
志向性もまた意図の問題であり、重制度性がある。つまり、志向性単体の属性を調べようとしても不可能で、その周辺にある状況、条件が重なって決定される。

  • 「規則に従う」と硬化理論

ウィトゲンシュタインで最高に面白いところがここ。
言語について探っていたウィトゲンシュタインは、究極的にもうどうもこうもできない根底にまで到る。
前回読んだとき、僕はここだけが強い印象に残った。今回もやはり、面白いと思ったのはここ。
人間が従っている規則というのは、偶然的な自然的なものにすぎない、しかしそうだというのにそれ以外のやり方を想像することもできない。それ以外のやり方というのは「狂気」でしかない。
何がそうさせているのか。
それは「規則」を成り立たせているのが、「規則に従う」という実践だから。
「痛み」という概念が先に与えられて「私が痛い」という発言があるのではなく、「私が痛い」という発言(実践)が先にあってそこから「痛み」という概念が認識されるに到るように。
さて、ではどのようにして「規則に従う」は「規則」になるのか。
それは何度も繰り返されるうちに「硬化」するのだという。
これは何というか、そのまま帰納法ではないか!!

  • 世界像という公的確実性と絶対的「私」という私的確実性

さて、硬化理論は、いわゆる論理命題以外にも適用される。ウィトゲンシュタインが「文法」と呼んだもの全て、いやあらゆる命題に対してである。
つまり、自然科学なども、何度も繰り返されて妥当だと思われると「規則」へと硬化するのである。
あらゆる命題が、経験的命題として疑いうるようなものであると同時に、硬化して「規則」として決して疑い得ないようなものにもなりうる。
そうであるならば、言語とは不確かなものなのだろうか。
いや、そうではない。
硬化したものが、例えば「世界像」として確立する。これは、世界についての前提条件である。これらは決して疑い得ないものである。これは、クーンのパラダイムにもよく似た概念である、と鬼界は述べている。
さて、この「世界像」は確かにかつては経験的命題であって疑えるものであったが、「世界像」となった時には疑えなくなる。それはこの「世界像」が多くの人によって共有されている共同体的知だからである。
私たちは、この「世界像」から離れたような見解は理解することができない。一方で、この「世界像」に合致した見解を述べる、というのは、すなわちこの「世界像」を共有する共同体の一員であることを宣言していることになる。これは、言語の公的確実性である。
ところで、ここで「世界像」というものの考察は、哲学に対して死を宣告しているように思えた。あらゆる問いかけも、「世界像」の前提に拠っている、とされているからである。
一方で、言語には私的確実性もある。
何度も「痛み」について言っているが、では「痛み」を知るとはどういうことだろうか。
「私が痛い」とか「彼が痛い」という文を適切に使用できることと、「痛み」を知ることはイコールであろうか。
イコールではない。
状況に応じた適切な使用は、単なる反応でしかない。
「私は痛みを知っている」という言明をもってして、初めて「私」は「痛み」を知ったことになる。
「私は知っている」と宣言しうる絶対的「私」が、言語の私的確実性である。
こういう語で理解されるのは不本意かも知れないが、ここで言われる絶対的「私」とは、クオリアとかセマンティクス(シンタクスからは導き出せないとサールがいうところの)とかいうものではないか、と理解した。
ちなみに、この言語の私的確実性という考え方にウィトゲンシュタインが到達したのは、なんと死の6日前だったという。
恐るべし、ウィトゲンシュタイン!!