須田桃子『合成生物学の衝撃』

『日経サイエンス』の合成生物学記事 - logical cypher scape2に引き続き、合成生物学の勉強
毎日新聞科学環境部の記者である筆者が、ノースカロライナ州立大学に留学し*1、取材したルポ
合成生物学の研究史・研究内容について書かれているが、生物兵器開発やデュアルユースと合成生物学の関係について特にページを割いている印象


キー・パーソンが何人か出てくるが、特に中心になるのは、クレイグ・ベンターだろう。
ヒトゲノムの解読を行ったセレラ社の設立者で、この本でも、ヒトゲノム計画の頃から遡り、合成生物学への流れが書かれている。
また、彼のミニマル・セルの研究が、人工細胞を生み出したことが書かれていて、ここらへん面白い。この研究が2010年で、ピーター・D・ウォード『生命と非生命のあいだ』 - logical cypher scape2は2008年なので、ウォードの本では全然出てきていなかったと思う。上述の日経サイエンスだと、2010年9月号に少し載っていた。自分のブログ記事には「ラルティーグ(Carole Lartigue)とスミス(Hamilton Smith)らは細菌のゲノムをゼロから作って,これをある微生物に導入することで別種の微生物に変えた。」 とだけ引用したけど、この2人は、クレイグ・ベンター研究所のメンバー。

第1章 生物を「工学化」する
第2章 人工生命体プロジェクトはこうして始まった
第3章 究極の遺伝子編集技術、そして遺伝子ドライブ
第4章ある生物兵器開発者の回想
第5章 国防総省の研究機関は、なぜ合成生物学に投資するのか?
第6章 その研究機関、DARPAに足を踏み入れる
第7章 科学者はなぜ軍部の金を使うのか?
第8章 人造人間は電気羊の夢をみるか?
第9章 そして人工生命体は誕生した

合成生物学の衝撃

合成生物学の衝撃

プロローグ わたしを離さないで

「合成生物学」という言葉を最初に使ったのは、20世紀初頭フランス人の医者ステファヌ・ルデュルック
1978年、ポーランドの遺伝がk須屋ヴァツワフ・シバルスキが、現在のような意味で「合成生物学」という言葉を使っている。
が、実際に本格的に研究が始まるのは、ここからさに20年後のこと

第1章 生物を「工学化」する

合成生物学発祥の地であるMITの話
MITのトム・ナイトは、元々、電子工学・コンピュータ科学を専攻していたが、1990年代初頭にムーアの法則はいずれ限界に達すると考え、分子生物学を学び始める
DNA部品の規格化「バイオブリック」を考案
そこに、若き研究者ドリュー・エンディが合流する。彼は、学部生時代に土木工学を専攻したのち、大学院で分子生物学を専攻していた。やはり、工学の発想で生物を考えていた。
MITは、冬休みに自主活動期間と呼ばれるものがある
ナイトは、かつてMITで開講され、のちにコンピュータチップの開発へとつながったと言われているVLSI設計の講座を参考にして、合成生物学講座を、この自主活動期間に開講する
学生たちに、人工DNAの設計図を書かせて、それを合成会社に発注し、大腸菌に組み込んで、設計した回路が機能するか実験する
この講座は、のちに「iGEM」となる
バイオブリックは、学生向けのもので実用的なものではないという批判もあるが、エンディはこれを「生命をプログラミングするための言語」だと述べている。

第2章 人工生命体プロジェクトはこうして始まった

第1章で紹介したMITの流れとは別の、合成生物学もう一つの潮流、クレイグ・ベンターについて
NIH(国立衛生研究所)という「科学者の楽園」というべき研究所で、ヒトゲノムプロジェクトへと関わったベンターは、解読方式でジェームズ・ワトソンと対立していく。
1992年、ワトソンもベンターもNIHを辞める。ベンターはバイオベンチャー投資家からの申し出を受けて、非営利の研究所「TIGR」を設立。さらに1998年には、セレラ社を設立することになる。
ベンターは、ヒトゲノムプロジェクトを通じてかなり毀誉褒貶の激しい人物だったらしい。
この時期のセレラがどうのこうの、というのは自分もうっすらと記憶がある。
このゲノム解読研究を進めている時期に、ベンターは、ハミルトン・スミス、クライド・ハッチソンと出会う
彼らは、インフルエンザ・ウイルス、マイコプラズマ・ジェニタリウムのゲノム解読を行う
彼らが探求していたのは、「ミニマル・セル」であり、生命を生命たらしめる最小の遺伝子セットである。
マイコプラズマ・ジェニタリウムは遺伝子の数が最小と考えられていたが、生命にとって必須な遺伝子セットは何なのか、完全に確かめることができない。ベンターらは、それを人工的に組み上げて確かめられないかという計画を考え始める。
ヒトゲノム計画が完了する直前の1999年、ベンターは、ゲノムを「読む」のではなく「書く(合成する)」ことを目標に、ミニマルセルプロジェクトを立ち上げる

第3章 究極の遺伝子編集技術、そして遺伝子ドライブ

合成生物学にとって重要な技術である「CRISPER-Cas9」と、「遺伝子ドライブ」というアイデアについて
ケビン・エスベルトは、「CRISPER」と「遺伝子ドライブ」とを組み合わせることを考え出す。
「遺伝子ドライブ」とは、特に有利になる形質ではないのに50%以上の確率で子孫に受け継がれる遺伝子が、ある集団中に広がっていく現象である。
エスベルトは、染色体の中にCRISPERシステム自体を組み込むことで、人為的に遺伝子ドライブを発生させる手法を作り出す。
これは、マラリアを媒介する蚊の撲滅や外来生物の駆除に力を発揮すると考えられている。
つまり、不妊遺伝子を遺伝子ドライブさせることで、集団全てが滅びる。
実験室レベルでは成功しているが、まだ環境への投入はされていないし、エスベルト自身もこれについては慎重な立場ではある。
実際にどのような影響がでるかは分からないという問題があるが、そもそも設計通りに機能したとしても、影響力がとても強いのは明らかだろう。
筆者は、ここから、合成生物学と生物兵器の関係へと取材を進めていく

第4章 ある生物兵器開発者の回想

まだ、合成生物学という言葉がなかったころ、ソ連では、合成生物学的な手法によって細菌兵器の研究が行われていた。
第4章は、実際にソ連生物兵器研究に携わり、ソ連崩壊後に渡米したセルゲイ・ポポフという研究者へのインタビューとなっている。
細菌とウイルスを組みあわせて、高い病原性をもつ細菌を造ったり
あるいは、エンドルフィン(痛みを和らげる)を大量に分泌する細菌を作り、兵士を強化(エンハンス)するという研究もあったらしい(エンドルフィンの大量投与は、逆に麻痺などをもたらして兵士の強化にはつながらなかったようだが)
それから、機密研究について。隠語の使用とか、他の部署がなにやってるかわからんとか、結局、機密でやってると非効率だったとか
当時、アメリカは生物兵器開発をやっていなかったらしいのだけど、アメリカはソ連に作れるわけないだろと思い、逆にソ連アメリカも作ってるに違いないと思っていたらしい

第5章 国防総省の研究機関は、なぜ合成生物学に投資するのか?

合成生物学へのアメリカ政府の出資に関するレポートの中で、2012年以降最大の出資機関となっているのがDARPA
この章では、DARPAについての概略・歴史と、DARPAが合成生物学に出資するようになった経緯について触れられたのち、軍事予算による生物学研究を批判している、カリフォルニア大学の分子生物学者キース・ヤマモトへのインタビューがなされている。
いわゆる「防衛目的」とされているが、それが攻撃目的へ「応用」される可能性や、そもそも公開されていない予算があり、そこで何が行われているか分からないという指摘
合成生物学が、兵士の強化(エンフハンスメント)に使われるのではないかという推測

第6章 その研究機関、DARPAに足を踏み入れる

筆者は実際にDARPAを訪れ、合成生物学に関わる、室長、プログラム・マネージャー、広報担当者への取材を行う。
ここではもちろん、DARPAのいわば「口当たりのよい」公式見解が聞かされるわけだが、機密研究についての質問に対して担当者が明言しないなど、ところどころ緊張感のあるやりとりもあったりする。

第7章 科学者はなぜ軍部の金を使うのか?

筆者の留学先であるノースカロライナ州立大学の研究所でも、DARPAのプロジェクトへの応募が行われた。研究所の中でもこれに参加する者としない者とに分かれた。
筆者はそれぞれの立場の研究者にインタビューする。
いずれの立場も、それぞれに悩んだうえでの決断であることが書かれている。
また、遺伝子ドライブの生みの親であり、それの応用に慎重であったエスベルトが、DARPAのプロジェクトに応募していたことが分かり、筆者はエスベルトにも話を聞く。
エスベルトは、軍部の予算が合成生物学に使われることで、ミサイルなどの開発の予算を減らせるのだという理屈を語る。一方で、若手研究者として研究室を率いるプレッシャーや、上司らからの説得、そして公募にあたってDARPAからの働きかけがあったらしいことも、筆者は書いている。

第8章 人造人間は電気羊の夢をみるか?

2017年にキックオフした「ゲノム合成計画」について
ヒトゲノム計画が、ゲノムを「読む」計画だったのに対して、こちらは「書く」ことを目指す。
マンモスの復活を目指す計画を率い、エスベルトのかつての師匠であり、合成生物学分野では大きな存在であるジョージ・チャーチらが、この計画のリーダーとなっている。
この章では、この計画をめぐる顛末が描かれている。
元々、この計画は「ヒトゲノム合成計画」という名前だったが、様々な批判から「ゲノム合成計画」と「ヒト」を削ってのキックオフとなっている。
この計画が、ある種、拙速に進められているのではないか、また、少なくとも計画の当初、秘密裏に事が進められていたのではないか、といった懸念や批判が、他の研究者から出ている。

第9章 そして人工生命体は誕生した

ヒトゲノム計画を牽引しながら、ゲノム合成計画では全く姿を見せないクレイグ・ベンターのもとを筆者は訪れる
ベンターは、2006年にクレイグ・ベンター研究所を設立している
ミニマル・セルプロジェクトを進めるため、ベンターは「DNA合成チーム」「ゲノム移植チーム」「最小遺伝子チーム」の3つのチームを作る
2007年、ゲノム移植チームは、ある天然の最近のDNAを他の細菌に移植し「起動」させることに成功する(ここで、上述のラルティーグの名前が出てくる)
2008年、DNA合成チームは、マイコプラズマのDNAを合成することに成功
人工DNAには、それが人工でわかるような仕掛け(青色になる、研究者の名前やアドレスの書かれた「透かし」配列が入っている)がなされている
2010年、人工DNAの細胞への移植と「起動」に成功
(最初、人工DNAは天然DNAと違ってメチル化がされていないので、「起動」することができなかったとあった)
そして、最小遺伝子について
当初は、マイコプラズマの人工DNAから必須ではない遺伝子を削ぎ落していく手法が試されたが、それでは時間がかかりすぎてしまうため、必須と思われる遺伝子の仮説を立て、スクラッチする手法がとられた
そして、2016年、最小遺伝子によるミニマル・セルが誕生する
この最小遺伝子のセットの約30%の遺伝子が、機能の知られていない遺伝子だったことは、研究者コミュニティに衝撃をもたらした。


筆者からチャーチやベンターへの質問の中には、親のいない人間を作ることになってしまう可能性や、新しい種を作ってしまうことに対する疑義があり、チャーチやベンターの返答に対して、筆者が納得していないことも伺われる。


ベンターの作った最小細胞は、親となる生物はいないが、一方で、自らのゲノムを複製することができる。
新種、というか、そもそも地球の生命とは異なる新しい系統樹の起点となりうる生命を作った、というふうにもとれそうだな、と思った。
ウォードのいう異質生命ではないかと思ったが、ウォードの定義的には、ドミニオン・テロアに入ってしまうのだろうか? (材料や仕組み自体はテロア(地球生命)と同じわけなので。ただ、同じ系統樹には連なっていない)

*1:立場は客員研究員

『日経サイエンス2019年5月号』

絶滅したハワイの花 マウンテン・ハイビスカスの香りを復活  R. ジェイコブセン

www.nikkei-science.com

あるバイオ企業の中で、すでに絶滅した植物の香りを復元できたらすごいんじゃね、という話として「白亜紀プロジェクト」が立ち上がる(花のある植物が誕生した白亜紀にちなんでいるが、白亜紀の植物を復活させるわけではない)
当初、永久凍土の中から発掘された植物の残骸とかを用いようとしていたが、さすがにDNAとか採取できず。
ミュゼオミクスというのを知り、博物館の標本を使うことに。
しかし、民間企業からの標本利用の申し出とか今までなかったので、博物館からは訝しがられながらも、なんとか標本の一部を使わせてもらうことになる。
最終的に、タイトルにあるハワイのハイビスカスほか、絶滅した植物3種類くらいについて、その香り成分の合成に成功する。


DNAプリンターというのが出てきた。指定した配列のDNA分子を合成してくれる機械っぽい。
あと、合成生物学関係の記事読んでたときに時々名前が出てきたシャピロの名前が出てきた。
この記事は「遺伝子工学」という名前は出てきて「合成生物学」という名前は出てこなかったけど、合成生物学の事例な気がする。

巨大モササウルスの海に迫る スミソニアン博物館からのレポート  西村 絵

www.nikkei-science.com
アンゴラに、モササウルス類がよくでてくる地層があるらしい。
年代が広いらしいので、今後モササウルス類の進化について期待っぽい。
なお、アンゴラからモササウルス類の化石が出るのは以前から知られていたが、内戦とかあって研究は進んでいなかったらしい。
共食いのあととかが出てきているとか
あと、モササウルス類は肉食で基本的に歯が鋭いのだけど、そうではない歯を持っている種類もいて、これは、牡蠣を食ってたらしい。で、実際、同じ地層から牡蠣も発見されているのだが、人の背丈ほどある大きさの牡蠣があるとかいう、何それ?!ってなことが書いてあった。

磁極の動きが速すぎる!

北極の磁極は位置が動いているらしいのだけど、この10年だか20年だかその動きが速いみたい。
カナダの地下で、鉄の噴流が起きてて、それの影響だとか。なんか、カナダとシベリアで地磁気の勢力争い(?)があって、シベリアが優勢になっているらしい。
日経サイエンスの方の記事ページはなかったけど、検索したら、Natureの記事があった。
www.natureasia.com

大森望編『NOVA2019年春号』

大森望による、書き下ろしSFアンソロジーシリーズ。二度の中断を挟んでおり、第3期の第1弾にあたる。2019年春号とあるが、年2回ほどの刊行を目指しているとのこと。
今回、わりと2作1セットみたくなっているなあというラインナップになっている。小川・佐藤、柞刈・赤野、高島・片瀬、宮部・飛。この中で、高島と高瀬の作品はいずれもネコSFだが、これは偶然の一致というわけではなく、大森が今回の『NOVA』を編むにあたって特集をもうけようと考え、公募したためらしい。
「七十人の翻訳者たち」「ジェリーウォーカー」「お行儀ねこちゃん」「母の法律」「流下の日」がよかった。


新井素子「やおよろず神様承ります」

専業主婦で、ワンオペ育児&介護におわれる主人公のもとに、ある日、「便利な神様を紹介します」という若い女性が訪れる。宗教勧誘かと身構えつつも、不思議な物言い(神様を便利呼ばわりなど、明らかに信者ではない言動)に引き込まれてしまう。
それが「順番いっこっつの神様」で、タスクは一つずつ片付ける。何か一つ片付けている間、ほかのタスクのことは無視する、という教えだという。まあ、それだけだとライフハックみたいな話なんだけど、神様の教えだから従わないとだめだよねみたいなマインドにさせてる。
この若い女性というのが、各家庭の抱えている問題みたいなものが家を見ただけでなんかわかってしまう能力を持っていて、それぞれの家にあった「神様」を紹介しているという話。
最後、主人公の近所の家で、実は児童虐待が起きていて、彼女が機転をきかせて解決へのきっかけを与える


小川哲「七十人の翻訳者たち」

紀元前261年と2036年とが交互にすすむ
古代エジプトアレクサンドリアで、ギリシア語に翻訳されたという聖書。それは70人の翻訳者の手によるものとして「七十人訳聖書」と呼ばれているのだが、原本は既に残っていない。
2036年、物語ゲノム解析学を用いて聖書の研究をしているグループが手に入れたのが、この七十人訳の成立過程が書かれている「デメトリオスの処刑」
紀元前261年パートは、この「デメトリオスの処刑」に書かれている内容だと思われる。
聖書に神の言葉が書かれているとすると、ファラオの権威が嘘だということになってしまうではないか、とファラオから、聖書のギリシア語訳を進言したデメトリオスが詰問されるという話
七十人訳は、七十人全員が別々に翻訳したのに内容が一致した、だから聖書は聖なるものだったのだ、という権威付けがされているのだが、聖書のオリジナルは一体どこにあるのか、という話になっていく。
実は原典というのはなくて、光から生まれたのだとかいう話になり、そして、その光が2036年と紀元前261年とをつなぎ、話がループして終わる。

佐藤究「ジェリーウォーカー」

ホラー映画に登場するクリーチャーを生み出す天才デザイナー
遅咲きの彼の才能の秘密は実は、地下で本当にクリーチャーを作っていたから、というもの
タイトルのジェリーウォーカーは、最後に彼が作っていたクラゲとヒクイドリをかけあわせたクリーチャー

柞刈湯葉「まず牛を球とします。」

ジャカルタにある牛工場で働く主人公
動物を殺さずに牛を食べるためには、という問題に、人類が最終的に達したのは、大豆をベースにそこに牛の遺伝子を加えた、牛球を作ることだった。
と、この未来社会では、東京は「外人」と呼ばれる地球外生命体によって占拠され、表面が「つるつる」にされていまっている。
この世界では、多様性のために、人間にも様々な遺伝子が付加されている。主人公の世代は、赤や緑や青など様々な肌の色になっている。

赤野工作「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」

主人公による饒舌な語りで進められていく格ゲーSF
アーケードでライバルだった相手が、老人となり月の介護施設へと送られていて、何十年ぶりに対戦の申し込みを受ける。
でまあ、ひたすら相手の行動の先読みを延々言い続けるというもの
光速の遅さに文句言ったりする

小林泰三「クラリッサ殺し」

レンズマン』読んだことないから、よくわからないといえばよくわからないんだけど、メタフィクショナルなオチが、ホラーっぽいぞくっとした感触を与えてくれて、よかった

高島雄哉「キャット・ポイント」

ネコSFその1
研究開発室(ただしメンバーは2人だけ)の存亡をかけ、新しい広告プロジェクトを考えている時、主人公は、街中や店先にいる猫に注目する。人の目につくようなポジションを猫は知っているのではと考え、猫のいる場所に、QRコード付きの広告を設置する

片瀬二郎「お行儀ねこちゃん」

ネコSFその2
ヒモみたいな男が主人公で、恋人の飼っているネコが死んでしまう。SNSでネコの死体写真をアップしたら、フォロワーから「お行儀ねこちゃん」という商品を紹介される。
ネコの首につけ、コントローラーを操作すると、その通りネコが動くというもので、死んだネコにも使うことができる。
主人公が俺天才じゃねって盛り上がっていく様と、ネットからのアテンションやSNSフォロワーがじわじわとアドバイスを送ってくる様が、いやーな感じと軽快感になっている気がする。

宮部みゆき「母の法律」

児童虐待された子供を保護し、養子縁組を行うために作られた「マザー法」
主人公は、このマザー法によって救われた子供の一人で、理想的な家族のもと育てられてきた。
しかし、養母が若くして亡くなり、養子縁組は解消されることになる(マザー法は、養父母が独身者になった場合、養子縁組は継続できないとなっている)。
そのこと自体は致し方ないこととして、しかし、そこから少しずつ、マザー法が完璧な仕組みでないことがじわじわとわかっていく。
読者視点でいうと、一見穏当そうなこの仕組みが、親権を強制的に奪えたり、虐待児童(場合によっては親の方も)の記憶を消していたり(正確には沈殿化処置)と、それなりに過激な法律だということがわかってくる。
主人公視点でいうと、養父が、この養子縁組のせいで両親と仲が疎遠になっていたことが明らかになるなど。
で、実母の話がでてきて、と

飛浩隆「流下の日」

主人公は、認知症となったかつての上司を見舞うため、故郷へと戻ってくる
FtMの乙原総理が、就任期間40年をこえながら再任される
かつて大きな水害を経験した彼の故郷は、乙原総理の出身地でもある。塵輪と呼ばれるバイオテクノロジーにより、過疎地だったここも再興をとげつつあった。
乙原の政策は、基本的にリベラル的なものであるが、「家族」概念を非常に拡大した上で家族を社会保障の単位とし、また、元々自動決済サービス用に作られたバングルという装置を使って、事実上の直接民主主義的な制度を作り上げ、一方で、バングルがないと様々な公共サービスが受けられないという状況を作り出す。
実は、主人公の上司と主人公は、乙原の危険性を早くから察知し、抵抗するための地下組織を作っていた。
そのために用いられるのが「中庭」で、バングルにもアクセスすることのできない、心の深奥に記憶をとどめるというもの
主人公の上司は、認知症になることで「中庭」を守り、主人公は、ある特定の動作をしたときだけ「中庭」が起動し、それ以外の時は記憶が封印されている。
実際のところ、この国のバイオテクノロジーは全く発展していなくて、技術力はどんどん低下していっていることが明らかになる。
現代日本の政治状況を戯画化したような作品ともなっており、その意味では、飛作品としては珍しい感じもするが、一方で、「中庭」において、主人公が水害の時の記憶が再現されていく描写のあり方なんかは、とても飛作品的になっている。

グレッグ・イーガン『ビット・プレイヤー』

イーガンの日本オリジナル短編集。収録作は6作品。
イーガン自体は長編がばりばり出てるから久しぶりな気はしないけど、短編集自体はわりと久しぶりなのか
それにしてもイーガンは何故日本でこんなに人気なのか。自分も好きではあるけど、やっぱり難しいところは難しいし
でも、エモーショナルなところがあって、そこにやはり惹かれるのかなあ
自分が面白かったのは「孤児惑星」「七色覚」「鰐乗り」
表題作は悪くないけどそこまでピンと来なかった。逆に「孤児惑星」がめちゃくちゃ面白くて、過去作含めてもかなり上位
「七色覚」「不気味の谷」は、今現在の世界から地続きの近未来が舞台
「ビット・プレイヤー」も、登場人物たちの知識が今現在の我々の知識と近い(今のアメリカ大統領が誰かとか)ので近未来っぽいが、舞台が、人格のアップロードがなされている仮想空間なので、実はかなり未来の可能性もある。
「失われた大陸」は、時間移動ものだけど、パラレルワールドといった方がよい
「鰐乗り」「孤児惑星」は、『白熱光』と同じ「融合世界」を舞台にしている遠未来宇宙もの。融合世界というのは、宇宙にいる多くの知的生命体が同じ文明に属していて、人格のアップロードにより事実上の不死となっており、ガンマ線通信を使って宇宙のあちこちへ移動できるようになっている世界。 

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

七色覚

主人公のジェイクは、遺伝により網膜に問題があり、人工網膜を使っている
12歳の誕生日に、従兄弟のショーンから「虹」というアプリをもらう
普通の人間は、錐体細胞が3種類あって、3色型色覚である*1が、この虹というアプリは、7色型色覚に人工網膜を作り替えてしまうのだ。
世界の見え方が文字通り変わってしまう
色が細かく見えることにより、例えば人の顔が、異様にけばけばしく見えてしまったり、あるいは、3D映画が安っぽく見えて友だちと話があわなくなってしまったり、と当初、ジェイクにとってはネガティブな変化で、戸惑うが、その後、彼は、七色覚の人々が、三色覚の人間には見えない色を使って遊び、仲間を作っていることを知る。
空の色の見え方の違いで、時間がわかるようになる、とかそういった世界の見え方の違いの話も。
で、成長したジェイクがなにをやっているかというと、三色覚の人間には見えない特徴を見ることで、トランプゲームで儲けるということだった。
同じ七色覚で妻のルーシーは、画家を志す一方、その七色覚を用いて贋作を見抜く仕事をしていた。
しかし、彼らのその能力は特殊なものではなくなってしまう。
量子カメラが普及し、ウェアラブルバイスで同じようなこと(ギャンブルでのイカサマや真贋判定)ができるようになりはじめたのだ。
職を失うかもしれない状況だったが、ジェイクは、そのような状況を逆手にとって、新事業を始める。
そして二人の幼い娘もまた。


知覚の拡張系SFの一種だと思うが、このテーマが好きなので、単純にこの作品も好きというところはある。
その中で、新しい知覚には、ポジティブな面もネガティブな面もあって、またそれが超能力というよりは、彼らの生活と一体のものとして描かれている、というのが本作の特長かと。
でもって、この作品は、ある種のマイノリティについて描いた作品でもある。
少年時代は、「彼ら」とは違う「我々」が新しい遊びや仲間として形成されていって、ある種の優越感にもなっているわけだけど、それが大人になり生活者になっていた時に、その位置づけってもっと違うものになっていく。
この作品の場合、技術の発展により職が奪われるというような要素もあるし。

不気味の谷

老脚本家が亡くなり、その記憶を引き継いだアンドロイドの話
というのは背表紙にも書いているのでネタバレにはならないだろうが、この話、最初は、主人公がアンドロイドであるとか、老脚本家の記憶を引き継いでいるとかは明かされぬまま、しばらく読んでいるうちに、「あ、そういうことか」と分かるようにできている。
記憶を引き継いでいるといっても、実は、一部に記憶の欠落があることに気付き、その謎を追うようになる、というちょっとミステリっぽいところもある話
でも、最後が結局よくわからなかった……


アンドロイドは、人間として認められていなくて、企業が色々肩代わりしている、というのはちょっと面白い設定
ロボットに権利は与えられるか、というロボット法の議論で、もしやるとしたら、法人が参考になるのでは、というのがあることを考えると。

ビット・プレイヤー

初訳時のタイトルは「端役」
主人公が目覚めるとそこは洞窟で、そばにいた女性から、世界の重力の向きが東向きに変わったのだと告げられる。
で、イーガンだなあと思ったのは、主人公は矢継ぎ早に、いやそれおかしいでしょと考える根拠を理路整然と語りだし、即席の実験までやってみせるところ。
正直、普通の人には無理でしょ、これ。何言ってるのか、自分には分からない部分がわりとあった。
突然目が覚めたら異世界にいるってだけで大変な状況なのに、滔々とおかしなところを指摘しているのがすごいw
イーガン作品によくある、登場人物がみんな異様に頭がいいという奴


主人公が目覚めたのはゲームの中の世界で、主人公やそこで出会った人々は、いわゆるNPC
何らかの形で人格のアップロードっぽいことができるようになっていて、かつて実在した人の人格や記憶が何らかの形で勝手に流用されてNPCにされているらしい、ということが分かっている。
主人公はそこで、ゲーム世界の設定とゲームの物理エンジンとのあいだの矛盾をついて、世界を少しずつ変えていこうとする

失われた大陸

時間移動ものだが、時間移動自体は特に重要ではなく、難民申請を状況を描いた作品
ホラーサーンで暮らすシーア派の少年、アリは、時間旅行者である男の手に預けられ亡命をすることとなる。
ホラーサーンは、未来から〈学者たち〉が来て以来、戦乱に未来の武器が加わり、混乱が激しくなっていた。
時間移動、というかパラレルワールドへ移動する砂漠のような場所をこえ、アリは収容所へとたどり着く。
いつまでも待たされる日々、繰り返される面談……

鰐乗り

融合世界を舞台にした作品
リーラとジャシムは、結婚生活1万年を経て、そろそそ死ぬことを考え始める。で、死ぬ前になんかすごいことをしたい、という話になり、慣れ親しんだ星を離れ、孤高世界の謎を探求することに決める。
孤高世界に一番近い惑星で、蛇タイプの隣人と暮らしながら、孤高世界の研究を進める。多くの先人たちが、探査機を打ち上げては諦めた残骸が残っていた。
だが、2人は、孤高世界の内部を伺い知ることのできるかもしれないビームを発見することに成功する。
さらには、そのビームにデータ化した自分を乗せて送信することを計画する


宇宙に残された大いなる謎を、無限の命とすごい技術と資源を用いて探求してやるっていう話なのだけど、夫婦の話でもある。
2人は非常に仲の良い夫婦で、価値観もよく似ているのだけど、ここでリスクを負うぞという判断が食い違ってしまう。
で、まあその後仲直りして、結局一緒にいくんだけど、まあそういうドラマがある、と。
最後、彼らは孤高世界探求における重要な一歩を踏み出すんだけど、彼らはそもそも、もうすごく長いこと生きてしまったし、そろそろ死のう、でも死ぬ前になんかやって死のう、と思って始めたことだったので、彼ら自身の探求は終わりにする
イーガンってわりと、好奇心万歳な主人公を描くことが多いけれど、終わりにしようってなるのは珍しい気がする。一方で、自分たちが自分たちのままでいられるうちに、という話であって、そのあたり、アイデンティティもののイーガンの一面もある作品

孤児惑星

自由浮遊惑星を舞台にしたアストロバイオロジーSF!!
これもまた融合世界もの。
融合世界の人々にまだ知られていたなかった「孤児惑星」に、2人の融合世界人アザールとシェルマが探査に訪れる。
この惑星には、謎の熱源があって、液体の海がある。しかし、電波などには反応してこなかった。
で、実際に探査することに(彼らはデータ化されているので、小型の昆虫ロボットを作ってそこに自分たちをダウンロードして実地調査に出向く)
で、植物を見つけるんだけど、ガンマ線通信をしていたら、なんか惑星の自衛装置みたいなのが起動して、軌道上の船が壊されてしまう。
とにかく、この星の熱源の謎を調べて、レールガンと送信機を作って融合世界に帰ろう、ということになり、さらに探査を調べると、先ほどの植物とは異なる遺伝子をもった生命が見つかる。遺伝子(自己複製子)が炭水化物ポリマーのC3生物、ポリペプチドのP2生物、核酸のN3生物がいることが分かる。
C3は遺伝子改変されていないが、P2とN3は遺伝子改変されており、N3生物は、2億年前から3億年前に、この惑星に入植してきたようだった。P2はさらに新しい。
さらに、謎の「灰」も見つける。
フェムトテクノロジーで作られたエネルギー変換プロセスの残骸……


そして、アザールとシェルマは、P2の蜥蜴型知的生命体と遭遇する。
彼らは、円環派・外螺旋派・内螺旋派の三派閥に分かれていた。
円環派は、アザールとシェルマがこの惑星を奪いに来た集団の尖兵だと考え、2人を拘束するが、外螺旋派の手伝いにより脱出することができる。
円環派は、この惑星で生きていく派、外螺旋派は、惑星の外へ打ってでたい派、内螺旋派は、データ化して生きていきたい派で、円環派が多数を占める。
この惑星が、フェムトテクノロジーを使える謎の文明によって作られたっぽくて、P2生命は、この惑星を箱船として勝手に利用している。P2生命も、この惑星のテクノロジーをまだ理解できていない。
内螺旋派は、惑星内部のフェムトテクノロジーで作られたハードウェアの中へと入っていくが、戻ってきた者はおらず、本当にそんなものが機能しているのかは謎。
アザールは、外螺旋派を融合世界へと連れて行くこととなり、シェルマは惑星の中へ潜ってみることにして、話が終わる。
好奇心に従って、自分が自分でなくなることも省みず新世界へと進出する者と、自分が自分であることの一線を守る者という、イーガン作品における主人公


フェムトテクノロジーが、エネルギー資源やデジタル化されたときの資源の問題を解決するすげーテクノロジーで、しかも謎の超古代文明(?)によるもので、正体が不明、みたいなところも、王道SFって感じで楽しいけど、やっぱ、個人的には、自由浮遊惑星に生命が! ってのがわかっていく過程がとても楽しかった。

中心星から弾き飛ばされた浮遊スーパーアースでも地熱を維持し、ひいては海も維持し続けているかもしれない、という予想もある!!
井田茂『系外惑星と太陽系』 - logical cypher scape2

*1:ごくまれに4色型色覚の人がいうらしいが

瀧澤弘和『現代経済学』(一部)

サブタイトルが「ゲーム理論行動経済学・制度論」で、様々なサブジャンルに多様化した現代の経済学についての入門書となっている
というわけで、個人的には、制度論に興味があったので、制度論の章だけとりあえず読もうかなーと思ったら、結構それ以外も面白く
とりあえず、ここではその一部だけを取り急ぎメモっていく感じで、後日改めてこの本はちゃんと読もうかなーと思っている次第。


著者は、青木『比較制度分析に向けて』、マクミラン『市場を創る』、ヒース『ルールに従う』などなどの翻訳も手掛ける人らしい
ゲーム理論から入って、制度論の研究をして、最近は社会科学の哲学へと関心が向かっているとのことで、この本でも、科学哲学的な関心で書かれているところがあり、上で「それ以外も面白く」と書いたのは、そのあたりの話。

序章 経済学の展開
第1章 市場メカニズムの理論
第2章 ゲーム理論インパク
第3章 マクロ経済学の展開
第4章 行動経済学のアプローチ
第5章 実験アプローチが教えてくれること
第6章 制度の経済学
第7章 経済史と経済理論との対話から
終章 経済学の現在とこれから

第2章 ゲーム理論インパク

期待効用理論って、ノイマンとモルゲンシュテルンなのか
「信念」についての説明で、ある結果がどのような確率で生じるかの予想のこととなっていた
で、ゲーム理論ナッシュ均衡囚人のジレンマのあと、逐次手番のゲームについて
逐次手番のゲームって、あんまり入門書に出てこない気がする。後番の方が、自分の選択肢を封じることで、逆に有利になる場合があることが分かるという話
次に、情報の非対称性について
中古車市場と逆選択は知ってたけど、これを最初に論じたアカロフという人の名前は知らなかった(2001年ノーベル賞受賞者
章の最後に、ゲーム理論とその影響を受けた分野の簡単なマップが載っているのがよい
マッチング理論とオークション理論からマーケット・デザインが
契約理論からメカニズム・デザインがあるのがわかる。

第4章 行動経済学のアプローチ

行動経済学の主要な内容
1.ヒューリスティクスとバイアスの理論
2.プロスペクト理論
3.異時点間の選択と双曲割引の理論
4.心の二重過程理論
5.社会的選好の理論
双曲割引の話は『虐殺器官』に出てきた奴だなーという感じで、自分の中では記憶されてる


志向的アプローチと自然主義的アプローチの違い
心の哲学について軽く触れながら、この二つの違いを述べて、行動経済学にはこの二つが素朴に混在しており、神経経済学は後者を特に徹底したものだと整理している。
行動経済学や神経経済学は、人間が実は不合理な生き物で、合理的な存在だと仮定している従来の経済学と相反するものだと言われることが多いが、本書はここで改めて「合理性」の位置づけを整理している。
自然主義アプローチの中では「合理性」は消えるかもしれないが、志向的アプローチの中ではベンチマークとして機能している。
意思決定理論というのは、従前から「記述的」と「規範的」の二つに分けられており、伊藤邦武の指摘によれば、歴史的には、「規範的な」理論(どのような理論が合理的な理論なのか)が探求されてきたということに触れられ、期待効用理論はその点では、説得力が高いのだ、とも


この章の最後では、サンスティーンのリバタリアンパターナリズムについても説明されている

第5章 実験アプローチが教えてくれること

この章は、非常に科学哲学的な意味で、興味深い章
経済学は何を探求している学問なのか、自然科学とは何が異なっているのか
実験によって明らかにされるのは何か
といったテーマがこめられている。


ところで、行動経済学と実験経済学、なんだか似たようなものに思えるのだが、成立した時期が異なっており(実験経済学の方が早い)、関わっている人や目的なども異なっているものらしい。

章末で、理論、実験、現実の関係について述べられているところがある。
一般的な考え方として、実験によって、理論の予測が現実に当てはまるかチェックできるというものがあるだろう、と
しかし、実験環境と現実世界の環境とは異なっており、実験がそのまま現実世界に妥当するとは限らない。特に経済学のような社会科学はそうだ、というのは、この章の半ばあたりで「外的妥当性」の議論として述べられている。
その上で筆者は、実験で確認されているのは、「現実に当てはまるか」ではなく、「メカニズムの理解」なのだという。
また、理論モデルが明らかにするメカニズムは、そのまま現実世界で成立しているわけではなく、現実世界の中の一部の要因だけしか考慮されていないもので、メカニズムがそのままの形で現実世界でも作用しているとは限らない、とする。
物理学を範例とした科学観において、実験とは法則を発見するもの、というイメージがあるが、経済学の実験はそのようなものではない、と述べられている。


この部分だけだと、理論モデルってなんだ? メカニズムってなんだ? となるのだが、そのあたりは、終章で改めて説明が加えられている。


ところで、実験とは何か、という問題は、意外と科学哲学の方でもそんなに明らかになっていないのかったのではないだろうか。
『科学哲学』サミール・オカーシャ - logical cypher scape2の日本語版解説で、「実験の哲学」への指摘があったりする。伝統的な科学哲学では、実験についての位置がなかった、と。イアン・ハッキングあたりから実験への注目が出てくる。
イアン・ハッキング『表現と介入』 - logical cypher scape2


第6章 制度の経済学

制度の経済学略史
そもそもアダム・スミスには、制度への関心が端々にあった
しかし、新古典派経済学の発展によって、経済学の対象は市場メカニズムに集中するようになる。
19世紀末~20世紀初頭にかけて、一部の経済学者が制度に着目していたが、一部にとどまる。
市場において、財・サービスが取引されているわけだが、取引されているということは、そこでは契約が行われており、契約がちゃんと履行されたりするには、それを保証するための仕組みが必要となる。
市場メカニズムの研究を進めていくうえで、その市場を補完するための仕組み=制度への注目が復活し始める。
1930年代にロナルド・コースが、さらにそのコースの研究をより実証的なものにする、1970年代以降のオリバー・ウィルソンが、制度の経済学の復興を担った。
また、この本では、第7章で主に扱うことになるが、制度を歴史的観点で取り上げたダグラス・ノースがいる。
1997年に、コース、ウィルソン、ノースの3名が協力し、国際新制度派経済学会が創設されている。


コースにより、取引費用の大小によって、取引が市場で行われるか、あるいは企業の内部で行われるかというような話がされる
ウィルソンは、さらに「不完備契約」「関係特殊投資」という概念を導入する


インセンティブ契約におけるエージェント・プリンシプル理論
と、それに対する批判として、岩井の法人論を紹介している
「企業」と法人である「会社」を区別し、会社と経営者との関係を、契約関係ではなく信認関係であるととらえるもの


制度がどのように生じてきたか、進化ゲーム理論から考える
制度=慣習=ゲームの均衡という考え方
どの均衡になるかは、初期値に依存する=歴史的経路依存性


青木の比較制度分析
制度的補完性


制度を均衡と捉える考え方や比較制度分析については、松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』 - logical cypher scape2にもあった。
また、岩井の法人論は、上に挙げられたのとは違う観点でだけど、『現代思想2017年12月臨時増刊号 総特集=分析哲学』 - logical cypher scape2の中の倉田剛「社会存在論――分析哲学における新たな社会理論」でも触れられていた。

第7章 経済史と経済理論との対話から

ダグラス・ノースの制度論
第6章で見てきた「制度=ゲームの均衡」という制度観ではなく、「制度=ゲームのルール」という制度観
また、ノースは「実効化の有効性」を重視する


グライフによる、歴史とゲーム理論を統合した研究
マグリブ商人とジェノヴァ商人の違い
それぞれ異なる均衡戦略をとっていた。
この話題自体は、松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』 - logical cypher scape2にも出てきた、そこでは均衡が複数ある例として紹介されていた。
グライフは、制度が単にゲームの均衡である、というだけでなく、文化的信念が制度にとって不可欠な要素であると論じた



経済史と経済学
制度論以外で、歴史研究が経済学の理論研究に影響を与える例が3つ紹介されている
・大分岐
近代化以降の格差の拡大をどう説明するか
・貨幣
貨幣は交換から発生したというのが通説だが、貸借の記録である会計から発生したという説が近年できている
・ピケティ
理論先行ではなくデータ先行の研究


ルールとしての制度という考え方は、サールの社会存在論とも通じるところがなくはないだろう。ノースの考えとサールの考えは違うところが結構ありそうだな、とは思うのだけど
均衡としての制度と規範としての制度との関係は、今後考えるべき課題だというのが、『現代思想2017年12月臨時増刊号 総特集=分析哲学』 - logical cypher scape2の中の倉田剛「社会存在論――分析哲学における新たな社会理論」で言われているところ

終章 経済学の現在とこれから

科学哲学的な話を結構色々としている。


科学は、法則探求なのではなく、メカニズムの解明なのである、という近年の科学哲学の考えを、Mechanisms in Science (Stanford Encyclopedia of Philosophy)により紹介する。
そして、メカニズムを探求するために、経済学は理論モデルを使っている、と続ける。
そのうえで、理論モデルとメカニズムと現実世界の関係について、以下のように論じている。

現実にはありえない想定をもとにモデルを構築することは、抽象化とは区別して「理想化」と呼ばれているが、これは科学研究の常套手段である。(中略)しかしここには、いわば誤った(現実に妥当しない)仮定に基づいて導いた結論が、どうして現実妥当性を持ちうるのかという問題がある。
(中略)
理論モデルの世界と現実世界における妥当世は、どのような関係にあると考えるべきなのか。そして、そこに前の節で述べたメカニズムはどのように関係してくるのか。
(中略)
理論モデルとの関連で考えられている現実世界というのは、実際には現実の現象をすべて含んでいるわけではないので、前節で説明したメカニズムだと考えられることである。メカニズムというのは、システムが何らかの現象を示しているとき、システムを構成する要素が組織化されて当該現象を作り出している状態のことであった。
(中略)
カニズムもまた現象そのものというよりは、現象に対してわれわれが何らかの概念的な読み込みを行ったものと考えることができるのではないだろうか。
(中略)
理論モデルとメカニズムとの関係は、前者が後者を「表現する」(represent)という関係であると考えられる。モデルがメカニズムの表現となるのは、モデルが何らかの仕方でメカニズムと類似しているからである。類似しているという関係には、「どのような仕方で」ということと「どの程度に」ということが含まれている
pp.250-252

完全にモデルの科学哲学だ!
本文に言及されていないし、参考文献にもあがっていないのだが、マイケル・ワイスバーグ『科学とモデル――シミュレーションの哲学入門』(松王政浩 訳) - logical cypher scape2とつながってくるところが多いように思える。
筆者が、モデル-メカニズム-現実世界としている図式は、ワイスバーグがいうところの、モデルー対象システムー現象という図式に、かなり対応しているように思える。



次に、社会科学の「遂行性」について述べている
ここでは、サールが自然科学と社会科学の違いについて述べたことが紹介されている
存在論的に客観的でかつ認識論的に客観的な存在を扱うのが自然科学
存在論的には主観的だが認識論的に客観的である存在を扱うのが社会科学
というのがサールの考え
存在論的には主観的だが認識論的に客観的である存在」というのは、制度的存在者のこと
制度的存在者は、人間の行為によって成り立つので、行為の影響を受ける
社会科学も、研究内容が研究対象に影響を与えてしまう=遂行性がある、という話


さらに、自然主義的アプローチに対して、人間は自然的存在でもあるけど、制度的存在でもあるので、自然主義的アプローチを否定するわけではないけど、それだけでは捉えることが困難な面もある、と
で、ディルタイの「精神科学」をあげながら、「人間科学」の必要性を強調している。

『日経サイエンス』の合成生物学記事

日経サイエンス』のバックナンバーを検索して、過去の合成生物学関連の記事をいくつか読んだ
生命の起源やアストロバイオロジー関連の本を読んでいると、時々「合成生物学」の話題が出てくることがあり、どっかのタイミングで読んでおこうと思っていたが、ウォードの本がわりと直接的なきっかけ。
なお、『日経サイエンス』のバックナンバーを「合成生物学」で検索してヒットした記事の全てを読んだわけではない。
後ほど出てくるが、合成生物学の中には、「生命の定義を探求する」タイプのものと「生命を用いてエンジニアリングする」タイプのものとがあるようで、前者寄りの記事を選んで読んだ。


自分が、これまでで「合成生物学」というワードに出会った主なもの
海部宣男、星元紀、丸山茂徳編著『宇宙生命論』 - logical cypher scape2
高井研編著『生命の起源はどこまでわかったか――深海と宇宙から迫る』 - logical cypher scape2
『日経サイエンス2018年9月号』 - logical cypher scape2
第2回 生命は「2つの紐」から始まった? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
ピーター・D・ウォード『生命と非生命のあいだ』 - logical cypher scape2


W. W. ギブス「改造バクテリア―注文通りの生物をつくる」(2004年9月号)


日経サイエンス』における合成生物学の初出の記事、もしくはごく初期の記事

エンディは「合成生物学者(synthetic biologist)」を自称する科学者の1人だ。仲間はまだ少ないものの,その数は急速に増えつつある。

とあって、まだ合成生物学が始まったばかりのマイナーな分野であったことがうかがえる。
この分野の3つの目標というものが書かれている
(1)生物を要素に分解するのではなく、組み立てることによって解明する
(2)遺伝子工学をその名(工学)に相応しいものにする(規格化)
(3)生物と機械の境界領域を広げ、プログラム可能な有機物を生み出す
また、合成生物学のスタート地点として、1989年にベナー*1が、ATCG以外の「文字」を含むDNAを生み出した研究があげられている。
それ以外に、ゾスタックのTNA、クールのxDNAについても言及がある。
xDNAは、マイケル・ワイスバーグ『科学とモデル――シミュレーションの哲学入門』(松王政浩 訳) - logical cypher scape2で読んだことがある

D. ベイカー他「合成生物学を加速するバイオファブ」(2006年9月号)


こちらは、エンジニアリング寄りの合成生物学の話
半導体におけるチップファブという考え方を、合成生物学にも、という趣旨
あまりちゃんと読めてないのだが、規格化して、レベルごとに分業しようという話らしい
遺伝子工学は、工学と呼ばれているけれど、いまだ、職人技の世界
いろいろと規格化することで、例えばDNA合成をイチから始めなくても、すでにパーツ化されたDNAとか、より上のレベルのデバイスとかを組み合わせて、設計・製作ができるようになる、と

木賀大介「“ありえた生物”から生命を探る合成生物学」( 2007年7月号)」


現在、地球上にいる生命というのは、ある特定の進化の歴史をたどってきて生まれてきたもので、一度できてしまったものはそのまま活かしながら改良されていったもの
つまり、ありえる可能性全てが試されてきたわけではない
合成生物学は、ありえたかもしれない生命のあり方を探る。
紹介されているものは、たとえば、ショスタックによる、ATPと結合するタンパク質。自然界にあるものとは全く違う立体構造だが、機能は遜色ない。
また、筆者らの研究で、アミノ酸を20種類ではなく21種類に増やしてみるというもの。具体的には、21番目のアミノ酸用に、tRNAとアミノ酸を結合させる酵素を開発。でもってその後、同様の酵素を持っているアーキアが発見されているとか。
他に、DNAの塩基の数を増やす研究として、この記事でも、ベンナーが紹介されている。
RNA酵素の働きもあることがわかったことがRNAワールド仮説の誕生へとつながったが、ありえたRNAについての研究もなされている。


この記事では、応用生物学に二つの方向性があることも述べられている

1つは、生物そのものを知るために、その比較対象となりうるような素材を創り出す方向で、本文で取り上げているのはこちらに当たる。もう一つは、バクテリアに有用なタンパク質などを効率よく作らせるように遺伝子操作をしたり、毒素を感知すると蛍光を発するようにバクテリアを改変するといった、応用を重視した方向だ。
(中略)
自然の規格から外れた生命を探る方向と、この規格の中でさらに人為的な規格を加えた生命を創ろうとする方向に向いているわけだ。


また、合成生物学分野におけるロボコンに相当するような、学生の国際コンテストiGEMというものがあること
また、倫理やガイドラインの必要性についても触れられている
ガイドラインに関しては、複数の記事で、アシロマ会議への言及があった。合成生物学でもアシロマのようものが要るだろう、と)

P. デイビス「シャドー バイオスフィア 私たちとは別の生命」(2008年3月号)


これは、合成生物学の記事というより、ピーター・D・ウォード『生命と非生命のあいだ』 - logical cypher scape2みたいな内容で、合成生物学にも言及があるという感じの記事
なお、ウォードのこの本が、further readingにもあがっている
ウォードの本でも、地球生命とは異なるタイプの生命を異質生命(エイリアン生命)と呼んでいたが、ここでも、異質生命という言葉が使われていて、そのような異質生命による生態系を「シャドーバイオスフィア」と呼んでいる。
筆者のポール・デイヴィスは、宇宙物理学者・宇宙生物学者だが、この記事は地球内の話をしている。
また、「シャドーバイオスフィア」という言葉は、クレランドとコプレーに由来するらしいのだが、このクレランドという人は哲学者
以前、いくつか論文を読んだことがある(アストロバイオロジーの哲学 - logical cypher scape2)。が、こんな面白い話をしていた人だったのか


この記事は、生命とは偶然的で奇跡的な存在であるという考えが、近年、むしろ必然的で宇宙には多くの生命がいるという考えに取って代わられてきているという話から始まっている。
前者の考えの代表としてモノーが、後者の考えの代表としてド・デューヴとシャピロがあげられている。
3人とも、ウォードの本でも言及があった名前だ(ついでにいうと、デイヴィスも)


異質生命体の候補として下記4つ

鏡像異性体の培地で微生物を培養して生き残った奴がいたら、そいつが異質生命だ!
カリフォルニア州の湖の微生物の中に、この培地でも生き残る奴がいた!
がしかし、鏡像異性体を使っているわけではなく、鏡像異性体を変換することができる奴だった。それはそれですごいけど、異質生命じゃなかった

これは、合成生物学で研究がされているよーという話になっていて、また、21番目のアミノ酸の候補が、これまたベンナーによって指摘されている旨の紹介
(上述の木賀記事には、21番目のアミノ酸を使えるアーキアについて書かれていたが、こちらにはなかった)

  • リンの代わりにヒ素を使う生命

リンとヒ素は化学的な性質が似ていて、それ故、我々にとってヒ素は有毒となっているらしい。で、リンの代わりにヒ素を使うことも化学的には可能だ、とウルフ=サイモンが指摘している
これは2008年の記事なのでこれで終わっているのだけど、2010年に、NASAヒ素細菌を発見した、というニュースがあったのを思い出した。今、検索してみたところ、発見者は、ウルフ=サイモンで、デイヴィスも共著者だったようだ。
ただ、結局この細菌は、ヒ素のある環境でも生きられる奴ではあったが、リンをヒ素に置き換えた奴ではなかったことが、後に明らかになっている。

  • 炭素の代わりにケイ素を使う生命

これについては、上の3つほど詳しい内容はなかった

「科学大予測 世界が変わる12の出来事 その7 生命の創出」(2010年9月号)


12の出来事その7 生命の創出 | 日経サイエンス
まず、既存の生物・微生物を改良して、有用なものを作ろうというエンジニアリング寄りの話(エンディやチャーチの名前があがっている)と
「ラルティーグ(Carole Lartigue)とスミス(Hamilton Smith)らは細菌のゲノムをゼロから作って,これをある微生物に導入することで別種の微生物に変えた。」というのが書かれている。
改変生物が、自然環境に漏洩するリスクに対する安全策を講ずる必要性があるだろう、ということも書かれている

「出番近づくユニーク技術10」(2013年3月号)


「DNAを必要としない生命体」
XNA(ゼノ核酸)について
DNAと同じような構造をもっているけれど、DNAと材料が異なるような核酸
この記事では、ホリガーが開発した、DNAの材料となる糖を全く異なる分子に置換したXNAが主に紹介されている
ホリガーによるXNAのポイントは、このXNAと連携する酵素もセットで開発したこと
この酵素、自然界にはないので、漏洩してもこのXNA生命は自然界では生きられない。逆に、自然界の酵素にはXNAが読み込めないので、DNA生命のゲノムに混入しない、という利点がある、と。

*1:ウォードの本で出てきたベンナーと同一人物

現代思想2019年5月臨時増刊号 総特集=現代思想43のキーワード


本屋で見かけたので少し眺めました。
目次は青土社 ||現代思想:現代思想2019年5月臨時増刊号 総特集=現代思想43のキーワードを参照
この中で多少目を通してみたのは「加速主義 / 仲山ひふみ」「反出生主義 / 戸谷洋志」「宇宙倫理 / 呉羽真」「ゲノム編集 / 八代嘉美」「エモい / 山田航」「Vaporwave / 銭清弘」「擬人化 / 松下哲也」
あとは、AIの項目書いている人が、科学史の人で人工知能研究史やっている人なんだなーとか、『ドローンの哲学』という本、そういえばあったなーとか、SF作家の樋口さんがポストアポカリプスの項目書いてるなーとか、

  • 反出生主義

反出生主義については、以前から同意できない気持ちがあり、こんなツイートをしたこともある


この記事で改めてまとめられいて、「苦は悪い」はいいとして「苦の不在はよい」と「快の不在は悪くない」の非対称性の議論が引っかかっているのかなあと思った。
その後、多少ググってみたら、このあたりを巡ってかなり色々な立場が入り乱れての論争になっているっぽい
まあ別に非対称でもいいのかもしれないが、「苦を減らすこと・なくすことはよい」とは思うが、「苦の不在」についてはよいのか悪いのか、俺にはよくわからない。

  • 宇宙倫理

『宇宙倫理学』は論文集であるため、個々のトピックについては論じていたが、そもそもどうして宇宙倫理なのか、ということに応えきれなかったと筆者
状況論の説明(民間企業の進出とか)や、従来の倫理学にとっても宇宙倫理というトピックから見直すべき点があるという話
で、最後に、科学基礎論学会シンポジウム「宇宙科学の哲学の可能性――宇宙探査の意義と課題を中心に」 - logical cypher scape2でも少し話がでていたが、地球についてのイメージが「ゆりかご」から「家」に変化していることを指摘。これが、宇宙進出したことによる人類の自己イメージの深化だとした上で、最近でも、宇宙開発を人類の必然として語る論があるけど、それはこのイメージの変化を全く踏まえていない、ということを指摘するのが宇宙倫理学の役割の1つと論じている。
参考文献の中に近刊があり、宇宙総合学研究ユニットで出している本があるっぽい

  • エモい


とか言ってたけど、よい記事だった
エモいという言葉は今はバズワードとなっているけれど、元がロックのジャンルの1つであるエモであるところから、「エモい」の変遷をたどっている
eastern youthなど、日本のエモが、わりと札幌出身が多いらしく(これも札幌のあるレコードショップがエモコアを入れてて云々みたいなのがあるらしい)、全然知らなかった。でもって、歌詞の中で初めて「エモい」が出てきた曲の歌詞も、郊外と地平線がどこまでも伸びる光景が描かれていて、筆者は、北海道的な想像力があるというようなことを書いていた
その後、ロック以外の音楽に登場する「エモい」も見ている。大森靖子の歌詞とかBiSのキャッチコピーとか。BiSにおける使われ方では、「萌える」と対置されて使われていたと指摘されているのも面白い(BiSは、萌えるではなくてエモい、みたいな内容のコピーのつけ方をしている)
さらに「エモい」という言葉の使い方への批判が、最初に若い世代から出てきたということとかを、落合陽一とかの「エモい」を「あはれ」の現代版として解釈するのとかとあわせて論じている


ちなみに(?)自分のtwilogを検索してみたところ、自分が「エモい」をtwitter上で使ったほぼ最初の例は、2012年に、MOGRAでのfu_mouさんのDJを聴いていた時っぽい

  • Vaprowave

最近、obakewebで、分析美学ブログとしてもめちゃくちゃ活躍されている銭清弘さんの記事
僕は、vaporwaveってちゃんと知ったのはobakewebでです