大森望編『NOVA2019年春号』

大森望による、書き下ろしSFアンソロジーシリーズ。二度の中断を挟んでおり、第3期の第1弾にあたる。2019年春号とあるが、年2回ほどの刊行を目指しているとのこと。
今回、わりと2作1セットみたくなっているなあというラインナップになっている。小川・佐藤、柞刈・赤野、高島・片瀬、宮部・飛。この中で、高島と高瀬の作品はいずれもネコSFだが、これは偶然の一致というわけではなく、大森が今回の『NOVA』を編むにあたって特集をもうけようと考え、公募したためらしい。
「七十人の翻訳者たち」「ジェリーウォーカー」「お行儀ねこちゃん」「母の法律」「流下の日」がよかった。


新井素子「やおよろず神様承ります」

専業主婦で、ワンオペ育児&介護におわれる主人公のもとに、ある日、「便利な神様を紹介します」という若い女性が訪れる。宗教勧誘かと身構えつつも、不思議な物言い(神様を便利呼ばわりなど、明らかに信者ではない言動)に引き込まれてしまう。
それが「順番いっこっつの神様」で、タスクは一つずつ片付ける。何か一つ片付けている間、ほかのタスクのことは無視する、という教えだという。まあ、それだけだとライフハックみたいな話なんだけど、神様の教えだから従わないとだめだよねみたいなマインドにさせてる。
この若い女性というのが、各家庭の抱えている問題みたいなものが家を見ただけでなんかわかってしまう能力を持っていて、それぞれの家にあった「神様」を紹介しているという話。
最後、主人公の近所の家で、実は児童虐待が起きていて、彼女が機転をきかせて解決へのきっかけを与える


小川哲「七十人の翻訳者たち」

紀元前261年と2036年とが交互にすすむ
古代エジプトアレクサンドリアで、ギリシア語に翻訳されたという聖書。それは70人の翻訳者の手によるものとして「七十人訳聖書」と呼ばれているのだが、原本は既に残っていない。
2036年、物語ゲノム解析学を用いて聖書の研究をしているグループが手に入れたのが、この七十人訳の成立過程が書かれている「デメトリオスの処刑」
紀元前261年パートは、この「デメトリオスの処刑」に書かれている内容だと思われる。
聖書に神の言葉が書かれているとすると、ファラオの権威が嘘だということになってしまうではないか、とファラオから、聖書のギリシア語訳を進言したデメトリオスが詰問されるという話
七十人訳は、七十人全員が別々に翻訳したのに内容が一致した、だから聖書は聖なるものだったのだ、という権威付けがされているのだが、聖書のオリジナルは一体どこにあるのか、という話になっていく。
実は原典というのはなくて、光から生まれたのだとかいう話になり、そして、その光が2036年と紀元前261年とをつなぎ、話がループして終わる。

佐藤究「ジェリーウォーカー」

ホラー映画に登場するクリーチャーを生み出す天才デザイナー
遅咲きの彼の才能の秘密は実は、地下で本当にクリーチャーを作っていたから、というもの
タイトルのジェリーウォーカーは、最後に彼が作っていたクラゲとヒクイドリをかけあわせたクリーチャー

柞刈湯葉「まず牛を球とします。」

ジャカルタにある牛工場で働く主人公
動物を殺さずに牛を食べるためには、という問題に、人類が最終的に達したのは、大豆をベースにそこに牛の遺伝子を加えた、牛球を作ることだった。
と、この未来社会では、東京は「外人」と呼ばれる地球外生命体によって占拠され、表面が「つるつる」にされていまっている。
この世界では、多様性のために、人間にも様々な遺伝子が付加されている。主人公の世代は、赤や緑や青など様々な肌の色になっている。

赤野工作「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」

主人公による饒舌な語りで進められていく格ゲーSF
アーケードでライバルだった相手が、老人となり月の介護施設へと送られていて、何十年ぶりに対戦の申し込みを受ける。
でまあ、ひたすら相手の行動の先読みを延々言い続けるというもの
光速の遅さに文句言ったりする

小林泰三「クラリッサ殺し」

レンズマン』読んだことないから、よくわからないといえばよくわからないんだけど、メタフィクショナルなオチが、ホラーっぽいぞくっとした感触を与えてくれて、よかった

高島雄哉「キャット・ポイント」

ネコSFその1
研究開発室(ただしメンバーは2人だけ)の存亡をかけ、新しい広告プロジェクトを考えている時、主人公は、街中や店先にいる猫に注目する。人の目につくようなポジションを猫は知っているのではと考え、猫のいる場所に、QRコード付きの広告を設置する

片瀬二郎「お行儀ねこちゃん」

ネコSFその2
ヒモみたいな男が主人公で、恋人の飼っているネコが死んでしまう。SNSでネコの死体写真をアップしたら、フォロワーから「お行儀ねこちゃん」という商品を紹介される。
ネコの首につけ、コントローラーを操作すると、その通りネコが動くというもので、死んだネコにも使うことができる。
主人公が俺天才じゃねって盛り上がっていく様と、ネットからのアテンションやSNSフォロワーがじわじわとアドバイスを送ってくる様が、いやーな感じと軽快感になっている気がする。

宮部みゆき「母の法律」

児童虐待された子供を保護し、養子縁組を行うために作られた「マザー法」
主人公は、このマザー法によって救われた子供の一人で、理想的な家族のもと育てられてきた。
しかし、養母が若くして亡くなり、養子縁組は解消されることになる(マザー法は、養父母が独身者になった場合、養子縁組は継続できないとなっている)。
そのこと自体は致し方ないこととして、しかし、そこから少しずつ、マザー法が完璧な仕組みでないことがじわじわとわかっていく。
読者視点でいうと、一見穏当そうなこの仕組みが、親権を強制的に奪えたり、虐待児童(場合によっては親の方も)の記憶を消していたり(正確には沈殿化処置)と、それなりに過激な法律だということがわかってくる。
主人公視点でいうと、養父が、この養子縁組のせいで両親と仲が疎遠になっていたことが明らかになるなど。
で、実母の話がでてきて、と

飛浩隆「流下の日」

主人公は、認知症となったかつての上司を見舞うため、故郷へと戻ってくる
FtMの乙原総理が、就任期間40年をこえながら再任される
かつて大きな水害を経験した彼の故郷は、乙原総理の出身地でもある。塵輪と呼ばれるバイオテクノロジーにより、過疎地だったここも再興をとげつつあった。
乙原の政策は、基本的にリベラル的なものであるが、「家族」概念を非常に拡大した上で家族を社会保障の単位とし、また、元々自動決済サービス用に作られたバングルという装置を使って、事実上の直接民主主義的な制度を作り上げ、一方で、バングルがないと様々な公共サービスが受けられないという状況を作り出す。
実は、主人公の上司と主人公は、乙原の危険性を早くから察知し、抵抗するための地下組織を作っていた。
そのために用いられるのが「中庭」で、バングルにもアクセスすることのできない、心の深奥に記憶をとどめるというもの
主人公の上司は、認知症になることで「中庭」を守り、主人公は、ある特定の動作をしたときだけ「中庭」が起動し、それ以外の時は記憶が封印されている。
実際のところ、この国のバイオテクノロジーは全く発展していなくて、技術力はどんどん低下していっていることが明らかになる。
現代日本の政治状況を戯画化したような作品ともなっており、その意味では、飛作品としては珍しい感じもするが、一方で、「中庭」において、主人公が水害の時の記憶が再現されていく描写のあり方なんかは、とても飛作品的になっている。