伴名練編『日本SFの臨界点[恋愛編]死んだ恋人からの手紙』

タイトル通り、恋愛SF(一部、恋愛ではなく家族愛ものだが)を集めたアンソロジー
何故か歴史改変ものが2作ある。
恋愛SFというと時間SFと相性がよいという勝手なイメージがあるが、その点直球の時間SFはなく、しかし、歴史改変ものも広義の時間SFと捉えればそれも含めて4作品くらいは時間ネタを用いた作品。
むしろ、共感覚SFが2本ある方が「何故か」感あるかも。


伴名練編『日本SFの臨界点[怪奇編]ちまみれ家族』 - logical cypher scape2より、おそらくかなり読みやすい。もちろん、どちらが好みかは人による。
タイトルにナンバリングがないので、どちらを先に読むべきかというのはないのだろうけど、編集後記に収録されているブックガイドは、恋愛編がPART1で、怪奇編がPART2になっているので、一応恋愛編を先に読む想定なのかなと。


怪奇編と変わらず、各作品ごとに書かれている解説文と編集後記とブックガイドがとても丁寧
あと、ところどころ、伴名練が自作を書くにあたって受けた影響を語っているところもある。

中井紀夫「死んだ恋人からの手紙」

初出1989年
冒頭の解説に「海外作家の某有名短編が連想されるだろうが」とあり、そういうの俺全然分からないんだよなあと思ったが、読んだら普通に分かった。チャンの「あなたの人生の物語」だ。
宇宙で戦争してて従軍してる兵士から、地球に待つ恋人への手紙、という形を取っているのだが、亜空間通信の技術的限界だかで、手紙が順番に届かない。
よい話でよいSF

藤田雅矢「奇跡の石」

初出1999年
共感覚SF
バブル期の企業すごいな感。企業メセナかなんかで、会社に超能力研究室があって、超能力者がたくさんいるという東欧の小国に行く話
主人公は、その国で幼い姉妹に出会い、舐めるとオルガンの音が聞こえる結晶をもらう。
妹は予知能力、姉は感覚を結晶に封じ込める(?)能力を持つ

和田毅「生まれくる者、死にゆく者」

初出1999年
編者の解説にもあるが、家族愛もの
また、筆者の和田毅は、草上仁の別名義(というか、『SFマガジン』で夢枕獏のページ減になった際、代理原稿として書かれたもので、同号に草上作品が既にあったので別名義となったもの)
子どもはじわじわと生まれてきて、老人はじわじわと死んでいく世界。
じわじわ死んでいくとはどういうことかというと、時々姿が見えなくなる、次第に見えなくなる時間が増えていく、数日に一回とか数ヶ月に一回とかしか姿を現さないようになる。そして、完全に見えなくなったら死んだことになるのだが、明確な線引きはなくて同居家族がもう死んだなと思うと法的にも死んだことになる。
生まれてくるのはその逆。完全に見えるようになるまでは数年かかる。
とある夫婦のもとに、子どもが生まれそうになっているのだが、一方で夫の父が亡くなりかけている。孫に一目会わせたいね、というそれだけ、と言ってしまえばそれだけの話

大樹連司「劇画・セカイ系

初出2011年
扉イラスト・はしもとしん
タイトルは「劇画・オバQ」から
ヒモ同然の暮らしをしている売れないラノベ作家
彼のデビュー作はいわゆるセカイ系だが、実はフィクションではなく実話。かつての彼女は、世界の危機を救うべく旅立っていった。残された主人公は、彼女のことをいつまでも待つと言っていたが、その体験を元に小説を書き、別の女性と同棲するようになっていた。
そこに、戦いを終えた少女がかつての姿のまま戻ってくる。

高野史緒「G線上のアリア」

初出1997年
歴史改変もの
電信電話技術がイスラムから伝来した技術だったら、という世界
舞台となるのは、18世紀のドイツだが、中盤、十字軍遠征からヨーロッパにいかに電話網が敷かれたかという歴史が語られる。その中には、免罪符ならぬ免罪電話サービスなるものも登場する(声が直接聞けたからここまで広がったのだという旨言われている)
主人公は、カストラート(去勢歌手)なのだが、自分の芸術や存在が時とともに消えてしまうことに不安を持っている。また、電話ハッカーでもある。
インターネットやパソコン通信がなかった時代に、電話回線にハッキングして無料通話したりとかそういうことしてた人たちがいたらしいが、おそらくそういう人種
この物語の世界では、交換機の自動化に電算機が使われているが、まだ現在のようなパソコンやインターネットはできてないが、主人公が、ネットにジャックインできるように未来を夢想する、という独特なサイバーパンク作品になっている。
高野作品は、年刊日本SF傑作選あたりに収録された短編は読んでいるのだけれど、主な作風(?)である歴史改変ものは読んでなかったので、ちょっと気になり始めた。

扇智史「アトラクタの奏でる音楽」

初出2013年
編集後記などで、編者はほとんどが人間同士の異性愛ものになってしまい保守的なラインナップになってしまったと語る中、唯一の異性愛ではない作品。
近年、急速に百合SFなるジャンルが注目を集めているが、本作はそれに先立ち書かれていた百合SFということになる。
扇作品は、一作だけ単発で読んだことがあるのだけど、他にどういう作品を出しているか知らなかったのだが、2005年以来、少女同士の絆をテーマとした作品を書き続けているらしい。
本作は京都を舞台に、路上ミュージシャンの少女と工学部の女子大生の出会いを描く。
ARタグの発展した近未来、路上ライブのログを周囲の歩行者のリズムと同期させてアテンションを集める実験を2人で行う話。

小田雅久仁「人生、信号待ち」

初出2014年
初出媒体がen-taxiなの珍しい気がする
横断歩道と横断歩道の間の飛び地みたいなところに閉じ込められてしまった男女
信号が青にならないままに時間の流れが変化して、人生をそこで過ごすことになる

円城塔「ムーンシャイン」

初出2009年
2008年の円城作品は傑作が多く、年刊SF傑作選に何を選ぶか悩んでいた大森望が円城本人に訊ねたところ、書き下ろし作品が返ってきたというわけわからん制作秘話のある話
数学共感覚をもつ少女
数が人間に、なんちゃらという群が立ち並ぶ塔に見える
彼女は共感覚で見える世界の中にいて、傍目に意識を失っているように見える
で、17という数がチューリング・マシンとなり、一つの人格を持って浮上してくる。
主人公と17の対話

新城カズマ「月を買った御婦人」

初出2005年
19世紀末のメキシコを舞台にした歴史改変もの。
とあるご令嬢が、5人の花婿候補に、月が欲しい旨告げた結果、宇宙開発競争(ただしロケットではなく大砲方式)が始まってしまう。
大砲方式なので宇宙進出はできないのだが、ほかの様々な技術が発展し、我々が知るのとは異なる20世紀が展開される。
大砲による戦争と物流。奴隷による演算機。
なお、この世界、どうもアメリカ合衆国がないようなのだが、そのあたりは説明がない。
誰も月にはたどり着かずに50年が経過する。
すっかり年を取ってしまった彼女の元に、詩人が現れる。

田口善弘『生命はデジタルでできている』

バイオインフォマティクスの観点から、ゲノム、RNA、タンパク、代謝について、今進められている研究、まだ何が分かっていないのかなどについて解説されている本
また、タイトルに「デジタル」とあるが、ゲノムを中心とした生命機構をデジタル処理装置と見なして説明している(このデジタル処理装置としてのゲノムをDIGIOMEと呼んでいるが、あくまでもこの本の中での造語で、なんかカッコよく呼んでみたという程度のもの)
ブルーバックスはカバー折り返しに、類書の紹介があるが、創薬系の本が多く紹介されている。最初は何故と思ったが、読んでみたらこの本では研究の具体例として結構創薬関係の話題が出てくる。


筆者は、物理学専攻出身で、今も物理学科の教授ということだが、researchmapを見た感じ機械学習を用いたゲノムなどの解析を研究していて、創薬研究にも関わっているという人らしい。ちなみに、researchmapでは、「情報通信/生命、健康、医療情報学」を研究分野として記載している。


生物学関係の本、特に進化論や生命の起源、アストロバイオロジー あたりの本をちょいちょい読んでいるが、最近、そろそろ生化学やタンパク質についても軽くでいいから勉強すべきなのでは、と思っていたところ、新刊として並んでいたこの本の目次を確認してみたら、タンパク質についても章を割いているようだったので読んでみることにした。
バイオインフォマティクスも気にならないこともなかったので。
実際読んでみたら、予想以上に面白く、特に意外だったのがRNAのあたり。
ノンコーディングDNAと見かけて、「なるほど、プロモーターやエンハンサーの話するんだな」と早合点していたら、全然違う話であった。


研究分野としての歴史がまだ10年もない、という領域の話も結構あったり、上に述べたように、まだ分かっていないことについてもポロポロ出てきたり、新しい研究分野の話なんだなーというのが感じられて、楽しい。


話し言葉に近い平易な文体で、プログラミングや身近なデジタル機器を喩えに用いながら書かれており、スルスルと読める。
一方、そういう意味ではある種の「読み物」ではある。
(参考文献一覧などは特にない)


あとがきで、計測技術については書かなかった、とあるが、本書がいうデジタルとか情報とかいった視点を可能にしたのは、おそらく、この計測なのだろうな、というのを伺わせる記述がチラホラある。
ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームと接尾辞-omeのついた概念が順に出てきているが、例えばプロテオームが「タンパクのすべて」と訳されている通り、これは、すべてとか全体とかいった意味で、とにかくまるっと全部調べてみることで、色んなことが分かってきて、新しい研究分野が立ち上がってきた、という話でもある。
代謝物の章で出てくるか、代謝物を全部測定することで意外な事実が分かったとあり、「〜のすべて」という概念と計測・測定とが深く関わっていることが示されている。
ゲノムについても、DNA配列をとりあえず全部読む、というヒトゲノムプロジェクトの重要性が指摘されている。本書では立ち入った記述はないが、それを可能にしたのもやはり、測定技術あってのことだろう。
とにかく全部測る、データ化する、解析する、というあたりが、研究手法における、デジタルで情報としての生命なのかなと思う。


第1章 ゲノムー38億年前に誕生した驚異のデジタル生命分子
1・1 セントラルドグマ
1・2 なぜ、セントラルドグマ、なのか?
1・3 デジタル処理系としてのセントラルドグマ
1・4 コンピュータで挑む


第2章 RNAのすべて(トランスクリプトーム)ータンパク質にならない核酸分子のミステリー
2・1 ジャンクじゃなかったジャンクDNA
2・2 SNP=バグ
2・3 AI=機械学習
2・4 RNAの機能
2・5 マイクロRNA
2・6 エンリッチメント解析という考え方
2・7 マイクロRNAを用いたiPS細胞作製
2・8 マイクロRNAスポンジという技術~デコイ戦略~
2・9 まだまだ発見、新種のRNA
2・10 環状RNA
2・11 RNA編集
2・12 技術の対象としてのDIGIOME


第3章 タンパクのすべて(プロテオーム)ー組成を変えずに性質を変える魔法のツール
3・1 デジタルとアナログを繋ぐ
3・2 進化とRNAワールド仮説
3・3 タンパクの構造
3・4 タンパクの立体構造
3・5 タンパクの機能と構造
3・5・1 受容体
3・5・2 酵素
3・5・3 抗体
3・6 薬とは何か?
3・6・1 オプジーボニボルマブ
3・6・2 アレグラ(フェキソフェナジン塩酸塩)
3・6・3 ペプチド創薬
3・6・4 核酸創薬
3・7 プロテオームの今後


第4章 代謝物のすべて(メタボローム)ー見過ごされていた重要因子
4・1 代謝物とは何か
4・2 がんと回虫の意外な関係
4・3 バイオマーカー
4・3・1 老化
4・3・2 飢餓
4・3・3 メタボロゲノミクス


第5章 マルチオミックス 立ちはだかるゲノムの暗黒大陸
5・1 エピジェネティクス
5・1・1 ゲノム刷り込み(インプリンティング
5・1・2 がんのメチル化――がんによるDIGIOMEへのクラッキング
5・1・3 神経変性疾患とDNAメチル化
5・1・4 神経変性疾患とヒストン修飾
5・2 エピトランスクリプトーム
5・3 マルチオミックス解析
5・4 AI=機械学習でも困難な因果関係の推定

第1章 ゲノムー38億年前に誕生した驚異のデジタル生命分子

主にセントラルドグマの説明
あと、ヒトゲノムプロジェクトについて、とりあえず全部読むことは、情報科学的には当たり前の方針、だけど当初は受けが良くなかった。が、やってみてよかった、というようなことが書いてある。

第2章 RNAのすべて(トランスクリプトーム)ータンパク質にならない核酸分子のミステリー

RNAというと、生命の起源話の中では結構重要だが、現生生物の中では、DNAとタンパク質の間の仲介してるだけの、地味な奴というイメージが何となくあったが、実はいまだよく分かってない様々な機能がありそうだということで、驚いた。


ゲノムの中には、タンパクをコードしているDNA配列の領域の他に、タンパク質をコードしていない領域がある。というか、そういう領域の方が圧倒的に多い。
その中に、RNAを合成するが、そのRNAがタンパク質に合成されない領域がある。
タンパク質にならないノンコーディングRNAがこの章の主役である。


まず取り上げられるのが、マイクロRNA
25塩基程度の短いRNAで、タンパク質をコードしているRNAにくっつくことで、合成を阻害する。
という、わりとシンプルな奴だが、実際にそれでどのような機能を実現しているのか、まだはっきりとは分かっていないらしい。
というのも、あるマイクロRNAがどのRNAをターゲットとしているのか、組み合わせが膨大でこれを調べるのがとても大変だから。
統計的に機能を推測するという手法も紹介されている。
また、マイクロRNAの仕組みを利用して、人為的に特定のタンパク質の合成を阻害する技術も開発されている。
ゲノムをいじらずにリプログラミングできる。


RNAスポンジというのもある。
これは、マイクロRNAとくっつく配列のRNAで、マイクロRNAをスポンジが水を吸い込むが如く取り込んで、その働きを阻害してしまう。
これは、研究用に作られた技術でもあるし、実際の細胞の中にもこの働きをするRNAが存在すている。
臓器特異的なプロモーター領域をターゲットにすれば、臓器ごとに操作できる。
長い塩基のノンコーディングRNAもあって、これを調べるのはマイクロRNA以上に大変、というか、計算量が爆発してしまう。純粋に計算科学的には解けなくて、生物学の知識により、現実に起こってるであろう制限を織り込んで調べることになるらしい。これを「面白い」と思うか「ズルい」と思うかで性格(?)が出るようだ。
そんなわけで、長いノンコーディングRNAの働きは全然よくわかっていないらしいが、RNAスポンジとしての働きを持っていることは分かってきたとか。


環状RNAというのもある
これは実は存在自体は古くから知られていたが、注目されていなかった。
というのは、スプライシングの際に捨てられるゴミだと思われていたから
しかし、これもどうも機能を持っていて、それもRNAスポンジらしいというのが分かってきていると。


とまあ、ノンコーディングRNAは、どうも機能を持っているのだが、具体的にどの遺伝子に対してどのような働きをするのかとかは、まだ分かっていないことがとても多くて、まだまだこれからの分野らしくて、面白い。


ところで、内容とはあんまり関係ないのだが、この章の文章的に気になったことで
2・2節のタイトルが「SNP=バグ」なのだが、あまり適切な節タイトルに思えない。
確かに、SNPはバグだ、という話は書かれているのだが、この話、本書全体の中での重要性はあまりない。
対して、この節では、フラジャイルとロバストという概念について説明している。
フラジャイルは、脆弱という意味だが、きっちりしている、という意味ももつという。
一方、ロバストは、頑強という意味だが、いい加減、という意味ももつという。
そして、人間の作るプログラムはフラジャイルだが、生命はロバストだということが、本書では繰り返し出てくる。
生命の仕組みを、機械やコンピュータプログラムに喩える一方で、違いとして、フラジャイルかロバストかという点で比較している。
なので、節タイトルもロバストかフラジャイルか、みたいな方が良かったのではないか、というのが読んでて気になってしまった。

第3章 タンパクのすべて(プロテオーム)ー組成を変えずに性質を変える魔法のツール

タンパクは、デジタルとアナログをつなぐインターフェースの役割をしている、と。


タンパクは、アミノ酸がたくさん並んで折り畳まれて立体的な構造をとる。
それぞれのアミノ酸電荷による相性で、どう折り畳まれるかが決まってくるが、電子がクーロン力でどのように引き合うか、というのは量子力学でまだ解けていない問題で、タンパクの構造がどのように決まるのか、もまだまだ未知


タンパクの機能について、クーロン力を使って「特異的に弱くくっつく」ことが特徴であるとまとめ、具体的には受容体、酵素、抗体について、全て「特異的に弱くくっつく」ことをうまく使った仕組みであると説明している。
また、薬というのは、この「特異的に弱くくっつく」ことを阻害する化合物のことだとして、
一酸化炭素(猛毒であるが、毒も薬の一種であり、働き方としては薬)、オプジーボ(がん治療薬)、アレグラ(花粉症薬)について説明し、さらに、近い将来実現するだろうものとして、ペプチド創薬核酸創薬を挙げている。

第4章 代謝物のすべて(メタボローム)ー見過ごされていた重要因子

代謝物は、デジタルではないし、また古くから知られていたものでもある。
しかし、DNA、RNA、タンパクの研究が、計測技術と解析技術によって進展したように、代謝物研究も、計測技術と解析技術により新しくなった、という。
特に、代謝物の計測技術では、日本の研究が進んでいるらしい。
例えば、がん細胞の代謝物のすべてを計測したところ、フマル酸呼吸のコハク酸が見つかった、と。フマル酸呼吸というのは、TCA回路(クエン酸回路)の左側だけを逆回転させて、酸素を使わずにATPを合成する呼吸。回虫がこの呼吸をしていて、虫下しはこの呼吸を阻害するのだが、がんを死滅させたいう報告があるらしい。


バイオマーカー
例えば、血糖値は糖尿病のバイオマーカーだが、メタボローム計測・解析により、より精度の高いバイオマーカーを見つける研究が進んでいる、とか。
また、メタボロゲノミクスというのが出てくる。
腸内細菌叢のメタゲノミクスとメタボローム解析を合わせた研究のことで、これが最近進んでいる、と。
精神疾患とも関わっているかもしれないとか
腸内細菌叢はすごいらしいぞ、ってことしか書いてないんだけど、確かに噂に聞いたことはあるし、ちょっと気になってきた。

第5章 マルチオミックス 立ちはだかるゲノムの暗黒大陸

接尾辞として使われているオームの総称としてオミックスというらしい。
ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームを総合的に捉えるのが、マルチオミックス
しかし、ここまで読んできて分かる通り、一つ一つだけでも解析がめちゃ大変であり、ましてやマルチオミックスをや、というところであり、この章でもマルチオミックスの具体的なことはあまり語られていない。
その代わり(?)、エピジェネティクスについて解説されている


エピジェネティクスで使われる「修飾」というのは大きな分子に小さな分子がつくこと
がんや神経変性疾患(パーキンソン病アルツハイマーなどの総称)でDNAのメチル化が発見され始めている、と。ここらへんもまだ研究が始まったばかりのようだが、これらの病気についてより詳しいことが分かってくるかもしれない
がんはすでに述べた通りメタボロームとの関わりもあり、マルチオミックスの出番かも、とか。
それから、ヒストン修飾について
エピジェネティクスについては、以前本を読んでいたが、もう結構時間が経って理解があやふやになってたところで、ヒストンの説明がわかりやすかった。
ゲノムというのは記録媒体だが、コンピュータではテープが記録媒体として使われていた。その際、絡まらないように保存するためにはリールに巻いておく必要があったが、順番に回していかないと目当ての場所が読み込めない。
ヒストンは、絡まらないように巻きつけつつ、どの場所にでもすぐにアクセスできる(ランダムアクセスできる)ための構造、と。


RNAにも修飾が起きている
エピゲノムにならって、エピトランスクリプトームと呼ばれている。
特に、m^6A修飾という、脳内RNAのアデニンのメチル化について、概日リズム、ドーパミン、学習、海馬などに関係していることが分かってきており、セントラルドグマのライン外に、何らかのメモリー空間を持っているのかもしれないとか。
研究分野としてまだ10年経っていないという。
10年後にまた本を書く際には、これについてもっと分かってるはずたがら、これについて書きたいとも。


この第5章、これだけでブルーバックスが一冊書けると言ってる箇所が3回くらいあったw

津久井五月『コルヌトピア』

植物と都市、そして庭園のSF
人と居場所を巡る物語、かもしれない
「コルヌトピア」と、文庫化に伴い、その後日譚(15年後を描いた)「蒼転移」が書き下ろしで収録されている。


ビルディングが植物で覆われた未来都市、というのは絵的にはありがちだが、新宿と銀座でビル正面の採光が違うとかディテールがあったり、また、作中世界では当たり前になっている技術について、詳しい説明は省略されていたりして、この世界が当たり前のものである感が出ている。
シンガポールで育ち、大学から東京にやってきた主人公は、東京に違和感を覚えている。
植物学者のヒロインは、個人的な研究動機が社会との繋がりを持てずに悩んでいる。
架空の技術によって作られた未来社会を描く作品でありつつも、その技術そのものよりも、その社会で生きる登場人物たちの葛藤に寄っている作品と言えるかもしれない。が、その向かう先がやはりこの技術がもたらす未来のあり方と関わってもいる。


どこがどうとは説明しがたいのだが、何となく瀬名秀作品的な雰囲気を少し感じた。なんかヴィジョナリーなところがかもしれない。

コルヌトピア (ハヤカワ文庫JA)

コルヌトピア (ハヤカワ文庫JA)

コルヌトピア

2084年の東京が舞台。
フロラと呼ばれる技術により、植物が計算資源として使われている。フロラがどのような技術なのかの説明はそれほど多くないが、ヒストン修飾を利用しているらしい。ヒストン修飾について、特に説明がなく、「SF読者はエピジェネティクス当然知ってる前提か」と慄いたw
21世紀半ばに震災が東京を襲っており、フロラを用いることで情報都市として復興した。23区をぐるりと巨大なグリーンベルトが囲んでいる。
主人公の砂山淵彦は、フロラ設計会社に勤務しており、フロラの「ランドスケープ」を「レンダリング」できる。
この、ランドスケープレンダリングの詳細はあまりよく分からないのだが、フロラとなった植物のネットワークが織りなす情報のパタンを、感覚することのようだ。「角(ウムヴェルト)」というアンテナをうなじにつけ、それを通して行う。特殊能力というわけではなく、多くの人がこれを出来るようだが、淵彦やその同僚は、レンダリングしたランドスケープを分析して、フロラの不調などを調べる仕事をしているようだ。


グリーンベルトで起きた事故の調査で、淵彦は植物学者の折口鶲と出会う。
彼女は、まだフロラ化することができていない植物=異端植物を研究している。異端植物の多くは園芸植物で、彼女の母親が庭園作りを趣味としていたことが影響している。


さらに、淵彦が大学1年の夏、認知療法を受けるために滞在している施設で出会った少年ツグミも加えた3人が主な登場人物


人間と植物、植物と昆虫や小動物、あるいは植物と都市の関係を考える上で、庭園をモデルとして考えているのが面白いなあと思った
この作中世界の東京では、でかいグリーンベルトと巨大緑地作ってそれをドーンと計算資源として利用するということをやっているので、全然庭園的ではないんだけども、淵彦との出会いを通して、鶲は、人間と植物の共生のあり方として庭園というモードをとる必要があるのでは、と考えるようになる。

蒼転移

コルヌトピアから15年後の2099年
大学3年生のアンナは、鳥類学のレポートに、異常大量発生の始まったムクドリを選ぶ*1
アンナは、先生から、4年のキョーコと一緒に調べるよう指示する。キョーコは恋人とともに、ムクドリランドスケープを調べ、卒研にしようとしていた。
都市のフロラがムクドリに影響を与えているのではないかという仮説を追う3人だが、アンナは、群れからはぐれるムクドリがいることが気になっていた。ハスキーボイスがコンプレックで友人のできない自分
淵彦と鶲も登場する(鶲は、キョーコの恋人の指導教官として名前だけ出てくる)。
この15年の間に異端植物によるフロラネットワークが構築されたことが分かる。

解説

ドミニク・チェンが解説を書いている。
発酵メディア研究者という肩書きになっているんだけど、そういう肩書きでしたっけ?
前半では、生命をコンピューティングに用いる研究の事例を色々と紹介して、植物をコンピューティングに使う本作のアイデアが突飛ではないことを示している*2
で、後半に出てきた話が面白くて、本作のレンダリングについて、似たようなことを農業従事者もやっているのではないかとして、ワイン農家についての民族誌的研究を挙げている。情感的にブドウとの関係を作る
また、チェン本人の研究である発酵メディアについて。ぬか床にセンサーを入れて、ぬかと会話ができるような技術を作っているらしい。
人間と自然の関係をどのように認識するか、様々なアプローチが紹介されていて、本作のサブテキストとして、とてもよい。

*1:ところで、コルヌトピアの淵彦の出身校やアンナが通っているのは、おそらく東大

*2:ただし、ヒストン修飾が云々というのに近い例はなかったと思う

伴名練『なめらかな世界と、その敵』

寡作ながら年刊SF傑作選常連の伴名練、初の短編集
読もう読もうと思いつつ、すでに発行から1年くらい経ってた。
伴名練は、作風が幅広い感じもするのだが、こうやってまとめて読むと、傾向が見えてくるというか。世界の変化を引き起こす者と変化に振り落とされる者、というモチーフが繰り返されているようにも見える(ぴったりそれに当てはまらないものもあるが)
「なめらかな世界と、その敵」がパラレルワールドもので、「ゼロ年代の臨界点」「ホーリーアイアンメイデン」「シンギュラリティ・ソビエト」は偽史というか歴史改変SF
女子高生の一人称からノンフィクション風、書簡体など、語り口が色々あって読んでいて飽きない


収録作品6作中3作は既読
過去に何読んだことあったかなと調べていて、本短編集に未収録の作品もちらほらあった
『NOVA10』 - logical cypher scape2収録の「かみ☆ふぁみ!」は、自分が初めて伴名練に注目した作品(それ以前にも読んだことはあったのだが、特に「これはかなり面白いのでは?!」と思い始めたのはこの作品からだったと思う)
逆に大森望・日下三蔵『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2の「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」はあまりよくわからなかった奴かな。ラファティ自体あんまよくわからん
カモガワSFシリーズKコレクション『稀刊 奇想マガジン創刊号』の「聖戦譜」も面白かった

[asin:B07WHSZMFC:detail]

なめらかな世界と、その敵

パラレルワールドもののSFは数あれど、パラレルワールドを行き来できる能力を持っているのがデフォルトの世界を描いた作品、というのは珍しいのではないかと思う*1
主人公の通う高校に友人のマコトが転入してくる。ところが、そのマコトはある事件のせいで、乗覚障害という、他の世界を認識できない障害になっていた。
どうすれば、真の意味でマコトを助けることができるのか。
全ての人があんな風にパラレルワールドを行き来できてしまうと、かなり色々と大変なのではないかと思うが(主人公はパラレルワールドを乗り換えることで次々と都合の良い展開を引き寄せていく。ただし、世界をまたいで知識を持ち越すことに制限があったりもする)、パラレルワールドを次々と切り替えていく様を当たり前のこととして描写していくのは、読んでいて楽しい
大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』 - logical cypher scape2で読んだことあり

ゼロ年代の臨界点

ゼロ年代といっても舞台となるのは、1900年代(明治35年〜)
当時女学生であった、日本SFのパイオニアたる富江、フジ、おとらの3人をノンフィクション風*2に描いた日本SF偽史

美亜羽へ贈る拳銃

タイトルから分かる通り、伊藤計劃『ハーモニー』リスペクトの作品。
インプラント技術で世界的な地位を占める神冴脳寮は、神冴家の次男でありながら神冴から反乱した志恩率いる東亜脳外と対立していた。
神冴家の末息子で、兄弟の中で唯一医学の道に進まなかった実継は、志恩の養女で天才の名を恣にする北条美亜羽と出会う。
交通事故(に見せかけた謀略)で志恩夫婦は死に、美亜羽は重傷を負う。美亜羽と実継は政略結婚をすることになるが、美亜羽はインプラントにより自らの人格をズタズタにする。つまり、憎しみの対象であった神冴実継を愛し、代わりに自らの天才を封じてしまう。
インプラントによって制御された人格と愛憎
初出である『伊藤計劃トリビュート』で読んだことはあったのだけど、なにぶん9年も前なので、内容は全く忘れていた。

ホーリーアイアンメイデン

死んだ妹から姉に向けての手紙、という形式で語られる、太平洋戦争末期、日本が異なる形で降伏した歴史改変もの
語り手の姉である鞠奈は、抱きしめるだけでその人の攻撃性を失わせ、穏やかな人格に変えてしまうという特殊能力の持ち主。陸軍の宗像大尉がその能力に目をつける。
一方、大尉により姉の能力と、その能力が自分には及ばないことを知った妹は、姉を畏れるようになっていく。


能力が効かない主人公は、「美亜羽へ贈る拳銃」で主人公の実継がインプラントの効かない手術を受けてるのと似ている。
いずれも、世界がいくばくかの自由意志を捨てる代わりに幸せを得ていく時に、主人公だけはその世界には入り得ないという設定になっている。

大森望・日下三蔵編『プロジェクト:シャーロック 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2にて既読
 

シンギュラリティ・ソヴィエト

アメリカが宇宙開発に邁進した一方で、人工知能研究に全振したソ連は、1969年代、シンギュラリティに到達。月着陸の偉業はソ連に取って代わられる。
1976年のモスクワの夜、帰路を急ぐ博物館職員であるヴィーカの前に拘束されたアメリカ人男性が、赤ちゃんの行列によって連れてこられる。
ソ連のシンギュラリティAIヴォイジャノーイは、ヴィーカに、アメリカのAIリンカーンの配下であるその男への対応を命ずる。
ソ連人民は、脳の半分をヴォイジャノーイに提供 しており、階級に応じて、労働者現実や党員現実にアクセスできる。
一方アメリカでは、リンカーンによって、自由主義諸国が共産圏に勝利した仮想現実が作られた、希望する州の国民から順に仮想現実で暮らすようになっていた。
男は、ソ連の勝利が実は決定的ではなかったことを証明するためにモスクワへやってきた。それは、ヴィーカの勤める博物館の展示物である自動化された戦闘機、そしてヴィーカと彼女の義姉の過去に関わっていた。

ひかりより速く、ゆるやかに

インフルエンザで修学旅行に行けなかった主人公
しかし、修学旅行から帰る新幹線が、前代未聞の事故に巻き込まれる。新幹線とその内部の時間の進み方が、2600万分の1になってしまったのだ。名古屋駅に停車するのは西暦4700年頃……。
主人公のハヤキの一人称で語られる現在と、遠い未来、この新幹線が白い竜として語り継がれている文明の退化した時代とが交互に描かれる。が、この遠未来の方は実は仕掛けがある。
高校時代のハヤキが使っているのはLINEだが、その10年後には全く別のウェブサービス名が出てきていたりする。
この新幹線「低速化」災害によってもたらされた世界の変化についての描写が、コロナ禍の起きた2020年に読むと、なかなかリアルに感じられる。もちろん起きていることは全然違うのだけど、どんどん色々なことに波及して、生活のありようが変わっていく感じが。

*1:自分が知らないだけかもしれないので「珍しい」と書いたが、他に例を見ないのではという気もする

*2:脚注まで付けられている

伴名練編『日本SFの臨界点[怪奇編]ちまみれ家族』

1961年の作品から2016年の作品まで、ギャグ的な作品も含めて、広い意味でSFホラー作品を集めたアンソロジー
上に1961年からとは書いたものの、収録作の大半は90年代及び2000年代の作品である。この時期の作品が多い理由は、編集後記に書かれている。
上に「ギャグ的作品も含めて」と書いたが、このアンソロジー、振り幅が激しく、バカSFやギャグ作品が入っている一方で、シリアスかつバッドエンドに近い作品も多い、というかむしろそのどちらかしかないと言ってもよさそうなラインナップとなっている。
もっとも、それこそ怪奇編という名にふさわしいのかもしれない(実際、バッドエンドをどう捉えるかにもよるだろうが、大団円となるような作品はない)


津原泰水石黒達昌の名前に惹かれて手に取ったのだけど、それ以外にも色々な作家を知れて面白かった。
また、アンソロジーというのは大抵、各作品の解説がついてるものではあるが、このアンソロジーはとにかくそれが手厚い。作品というか、作者についての情報が細かく、特にどのような短編集や未収録作品があるのかなどが解説されており、読書ガイドとしてすぐに使える
巻末の編集後記も、編集後記とあるが、完全に読書ガイドである。


恋愛編もあるのでそちらも近いうちに読むつもり


中島らも「DECO-CHIN」

初出2004年
インディーズバンドやサブカルを扱う雑誌編集者の主人公
レコード会社が売り出そうとしているバンドの取材を編集長から言われていやいや行い、案の定つまらないライブに閉口していたら、その直後、事前に告知のなかったバンドのライブが始まる。
それは、小人症、巨人症、シャム双生児らで構成されたロックバンドで、そのあまりのテクニックと音楽的センスに主人公は一発でハマってしまう。
彼は、そのバンドのメンバーになるべく、ある決心をする。というわけで、タイトルへと繋がる

山本弘「怪奇フラクタル男」

初出1996年
本アンソロジーの中で、ある意味一番ホラーというか、絵的にゾッとするのはこれかもしれない。ただし、オチはギャグ。
いや、オチだけでなくそもそもからギャグみたいなネタなのだが、その様を想像すると結構気持ち悪い

田中哲弥「大阪ヌル計画」

1999年初出
こちらもバカSF
落語として高座にかかったこともあるらしいが、テンションの高い語り手の語りで進められていくので、(落語のことはよく知らないが)たしかに落語にもあいそうである。
過度な人口密集地になり、鮫肌水着から着想を得た摩擦がゼロになる素材の服を着ないといけなくなった大阪
なお、タイトルのヌルは、ヌル(0)と見せかけてヌルヌルのヌル

岡崎弘明「ぎゅうぎゅう」

1997年初出
何故そのネタもかぶるのか。こちらも人口密集ネタ
人口があまりにも増えすぎたため、みんな立って生活しており、動き回ることができない。食糧が頭上を手渡しで送られてくるほか、情報は全て口による伝言で送りあっている。
死ぬと遺体が、やはり頭上を手渡しで西へと送られていく。
主人公の幼馴染の少女が、さそりに刺されて急死してしまい、西へ送られてしまう。
ところが、何年も経って実は生きているという伝言が伝わってくる。主人公は、禁忌とされているリョコウをして彼女に会いに行くことを画策する。
一見、バカっぽい話なのだが、結構ブラックな感じで終わる。

中田永一「地球に磔にされた男」

2016年初出
誰かと思ったら乙一の別名義だった。今は、乙一含む3つの名義で作家活動しているらしい。さらにもう一つ別の名義含む4つの名義でそれぞれ書いた短編を集め、本名名義で解説を書いたアンソロジーがあるらしい。
パラレルワールドを次々と旅することになった主人公は、少しずつ異なる人生を送る自分に出会う。最初、成功した自分を見つけて入れ替わっってしまうことを画策したが。

光波耀子「黄金珊瑚」

初出1961年
SF作家第1世代、『宇宙塵』創刊メンバーの中にいた知る人ぞ知る女性作家(自分は知らなかった)
いくつもの短編を書き、商業誌掲載作品もあり、梶尾真治の「SFのお師匠」でもある彼女だが、家庭との関係の中で作家業は続けていけなくなってしまったとのこと。
人間たちの意志を操るケミカルガーデン。その調査に町へと赴いた主人公たち
なにぶん1961年の作品なので、良くも悪くも古さはあるが、アイデアも話も面白い

津原泰水「ちまみれ家族」

初出2002年
津原泰水が、田中啓文から自分はギャグを書いてるが津原のは所詮ユーモアと言われたのをきっかけで書いたというギャグ作品
簡単なことですぐに出血してしまい、家が血まみれになっている家族の話

中原涼「笑う宇宙」

初出1980年
アリスSOS!』の原作シリーズの作者。SF作家としては短編・ショートショートを多く手がけていたらしいが、93年に主要な掲載誌であった『SFアドベンチャー』の休載と〈アリス〉シリーズの人気により、それ以降は短編・ショートショートの発表は激減し、2013年に亡くなったとのこと(ちなみに1957年生まれとのことなので、若くして亡くなったといえる)
本作は、新人賞を受賞したデビュー作
主人公は〈妹〉〈父〉〈母〉と共に宇宙船で恒星間航行をしているが、この3人は主人公の本当の家族ではなく、彼らが勝手にそう称しているだけなのである。
主人公の一人称による語りで、〈妹〉や〈父〉は狂っていると述べられて進められていく。主人公と彼らとの会話は確かに全く噛み合わないが、読んでいるうちに、むしろ主人公こそが狂っているのでは、と思えてくるサスペンスな作品。

森岡浩之「A Boy Meets A Girl」

初出1999年
編者解説に藤崎慎吾「コスモノーティス」に先駆ける作品とあり、宇宙生命体を主人公とした作品
惑星系で家族ともに過ごし、成長するとともに翼に光を受けて、1人恒星間に旅立つ。
仲間と思い近づいた先は惑星で、そこにいた少女から自分たち種族の正体を知る

谷口裕貴「貂の女伯爵、万年城を攻略す」

初出2006年
日本SF新人賞でデビューするも、主な活動の場であった『SF JAPAN』誌の休刊とともに活動が激減し、2013年を最後に執筆が途絶えているとのこと
本作の初出は、上田早夕里「魚舟・獣船」も掲載されていた『異形コレクション』の進化論の巻だったらしい。
さまざまな獣人が跋扈する世界で、人間は奴隷の地位に甘んじている。貂の女伯爵率いる軍勢が、亀の立て籠もる万年城へと攻め入る。女伯爵軍の中にいる人間たちは、密かに亀たちと通じ、亀たちが残していて過去の史料から、やはりかつては人間のみが知性を持っていたと知る。 がしかし……。
長編の冒頭かと見紛うかのような作品となっている。

石黒達昌「雪女」

初出2000年
石黒達昌は、以前読んだ「冬至草」がとても面白かったのだが、結局その後他の作品を読まずにずるずるきてしまった
海燕出身者で、芥川賞候補に何度も上がっていたというのを恥ずかしながら知らなかった。2010年に『群像』に掲載された作品を最後に作品発表が止まっているらしいが、全作電子書籍化もされているということなので、今度読んでみたい。
本作は、1926年、芦別の診療所に現れた記憶喪失の女性とその治療を担当した医師の記録である。驚くべき低体温でいながらも、普通に(睡眠時間が長いなどはあるが)生きているその女性は、昔話の雪女のようでもあるが、医師は彼女が何者かを調べていく。

編集後記

まず、光波耀子を収録しつつも、他の女性作家を入れられなかったことに触れ、新井素子栗本薫登場までの、初期日本SFにおける女性SF作家の歴史がまとめられている。
その後、過去の日本SFを知るために、とアンソロジーブックガイドが掲載されている。
その上で、このアンソロジーに込めた編者の目的・思惑も解説されている。

『SFマガジン2020年8月号』

特集・日本SF第七世代
ここでは、北野勇作野尻抱介を第4世代、冲方丁小川一水、上田早夕里、伊藤計劃円城塔を第5世代、宮内悠介、酉島伝法、小川哲を第6世代とした上で、それ以降を第7世代としている。
まあ、世代分けにどれくらいの意味があるかはともかく、これに従えば自分は第5、第6世代ばっか読んでるということになる(瀬名秀明を除くと、第4世代以前はマジで全然読んでない……。あ、あと飛浩隆は4なのか5なのか)
で、第7世代も多少読んだことはあるけど、ほとんど手を出してないというのが正直なところ
そんなわけで読んでみようかなと

SFマガジン 2020年 08 月号

SFマガジン 2020年 08 月号

  • 発売日: 2020/06/25
  • メディア: 雑誌

高木ケイ「親しくすれ違うための三つ目の方法」

飛さんがTwitterで、タイトルの英訳が第三者接近遭遇になることを指摘していたが、エイリアンの噂話のある田舎に取材に行く若者の話
主人公の祖父(故人)は若い頃にエイリアンに遭遇したことがあると話していて、その話を祖母に聞きにいったところ、それを上回る話を聞かされてしまう。
取材と称して親しくなったUFO愛好家グループの1人である女性に好意を抱き始めていた主人公は、祖母から聞いた話を彼女に打ち明ける。


麦原遼「それでもわたしは永遠に働きたい」

この作者のデビュー作は以前読んだことがあったが、難しくてあまりよく分からなかったという印象(体調があまり良くない時に読んだこっちも悪かったとは思うが)
対して、こちらの作品は読みやすかった
労働ディストピア

草野原々「また春が来る」

フィクションが季節ごとに収穫される世界

三方行成「おくみと足軽

伊藤さんが扉イラスト描いてた
ロボット大名行列SF
大名が巨大ロボット、足軽は多脚式運搬ロボット
その世界観が面白かった

津久井五月「牛の王」

コルヌトピア読みたいと思いつつまだ読めてない
第2長編の冒頭先行公開
面白かった。続き楽しみ。こういう雰囲気の作品好き

劉慈欣「クーリエ」

アインシュタインのもとを訪れる時間移動者

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史7』

7巻は「近代2 自由と歴史的発展」

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史1』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史2』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史3』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史4』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史5』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史6』 - logical cypher scape2


19世紀を取り上げており、前の巻に引き続き、ザ・哲学といったビッグネームが並んでいる
ドイツ観念論ショーペンハウアーニーチェマルクス功利主義プラグマティズムベルクソン……
アジアからはインドと日本。インドは久しぶりの登場かなと思う。相変わらず(?)固有名詞が難しいけど、なかなか面白い


欧米の各哲学については、全部とは言わないが、カントとの違いで特徴付けられるものが多い印象
しかしまあ、色んな哲学が出てきたという感じあり、この巻を通じたキーワードはあまり思いつかなかった(タイトルや1章にある通り、編集サイド的には「自由」ということなのだろうけど)

第1章 理性と自由 伊藤邦武
第2章 ドイツの国家意識 中川明才
コラム1 カントからヘーゲルへ 大河内泰樹
第3章 西洋批判の哲学 竹内綱
コラム2 シェリングの積極哲学の新しさ 山脇雅夫
第4章 マルクスの資本主義批判 佐々木隆
第5章 進化論と功利主義の道徳論 神崎宣次
コラム3 スペンサーと社会進化論 横山輝雄
第6章 数学と論理学の革命 原田雅樹
コラム4 一九世紀ロシアと同苦の感性 谷寿美
第7章 「新世界」という自己意識 小川仁志
第8章 スピリチュアリスムの変遷 三宅岳史
第9章 近代インドの普遍思想 冨澤かな
第10章 「文明」と近代日本 苅部 直



第1章 理性と自由 伊藤邦武

自由について、一般的に2種類の自由(自発性の自由と無差別な選択の自由)に分けられることを踏まえつつ、第3の自由があると言う
それは、習慣形成によって得られる自由で、この自由は非西洋世界とも共鳴するだろうという話をしている。この巻では儒学についての章はないが、ここまで世界哲学史を読んできていると儒学っぽい話だと感じられ、「伏線回収(?)だ!」とちょっと興奮してしまった。


その他、ロマン主義というのは原義はローマへの回帰だけど、文芸運動的には、冒険や英雄譚、恋愛物語に没入するという意味だよねとあり、ついついロマン主義のロマンとはローマのことで〜と思いがちなので、思い直した。

第2章 ドイツの国家意識 中川明才

主にフィヒテの政治哲学について
まず、ドイツ・ロマン主義について紹介し、その後、カントの政治哲学と対比する形でフィヒテの政治哲学・道徳哲学が説明される。
フランス革命とナポレオンの影響が強い。


ドイツ・ロマン主義は、シュレーゲルが創刊した雑誌を牙城としたが、この雑誌の終刊後、シュレーゲルはインド思想を研究するようになり、これが後にショーペンハウアーニーチェとつながっていくらしい。


カントは、革命権を否定しており、それが君主制の容認と繋がっている、と。
カントは、支配権が何に帰属するかで、君主制、貴族制、民主制の、支配権がいかに行使されるかで専制、共和制の区別をなす。
共和制は、行政権と立法権の分離なので、民主制は共和制ではないとし、代議制のもとでの君主制において共和制は成り立つと考える、らしい
ここらへん、『永遠平和のために』に書いてあるらしい。カントで唯一通読した本だけど、忘れてる。


フィヒテは、あらゆる君主制が自由と相容れないとして否定し、また革命権を正当化するフランス革命論を書く。
理論哲学と実践哲学を統合すると原理として「自我」とし、自我のあり方の自由という観点から道徳性を捉える(自律こそ自由、というのはカントっぽい気がするが)

コラム1 カントからヘーゲルへ 大河内泰樹

『カントからヘーゲルへ』は1924年に書かれた哲学史の本のタイトル。
一方、2003年には『カントとヘーゲルの間』という哲学史の著作が書かれている。
単線的な発展の歴史ではなく、相互影響があったという史観の更新について

第3章 西洋批判の哲学 竹内綱

ショーペンハウアーニーチェについて


ショーペンハウアーの意志が何か、初めて少し分かったような気もしたのだが……
いわゆる知的作用としての意志ではなく、自分の身体が動いていることを内的に感じることを「意志」と呼んだらしい。
もしかしてそれって、自己主体感とか自己所有感とかのことか? なるほど、それなら分かるぞ、っていうかショーペンハウアーなかなかいいとこ突いてんじゃん、と思ったのも束の間、これを身体だけでなく世界全体に適用する、となって一気に訳わからなくなった
ショーペンハウアーは、同情から自分と他者が同一の意志であるとする倫理、というのも説いているらしい
また、仏教から影響を受けたと解されることが多いが、インド哲学や仏教には、後から出会って自分の思想と近くて驚いた、ということらしい。


ニーチェについては、ショーペンハウアーとの違いという点から解説されている


最後に、本シリーズ第1巻のインドの章で出てきたドイッセンはニーチェの友人で、彼ニーチェの勧めでショーペンハウアーを読み始めたのだけど、その弟子である姉崎は日本のショーペンハウアー研究を始めた人だよ、という繋がりが紹介されている

コラム2 シェリングの積極哲学の新しさ 山脇雅夫

シェリングよく分からない……


ドイツ哲学ってカントまではまあ何となく分かる気がするんだけど、カント以後、19世紀のってずっとよく分からない……。まあちゃんと勉強してないせいもあるけど
今回、フィヒテのところは政治哲学なこともあって、割と分かる感じがしたけど

第4章 マルクスの資本主義批判 佐々木隆

まず、マルクスの思想と「マルクス主義」を区別する。後者は、エンゲルスマルクスの思想を広める上で通俗化したものだ、と。また、マルクスの思想には近代批判があるが、マルクス主義は近代イデオロギーの1つになってしまっている、といい、マルクスの元々持っていた近代批判について紹介する章


マルクスヘーゲルの影響を受けていたのは確かだが、弁証法で何でも説明できると考えていたのはエンゲルスの方で、マルクスは「「弁証法的運動法則」について語ったことは一度もない」というのは、軽い驚きだった。


マルクスは、青年ヘーゲル派のバウアー、フォイエルバッハからそれぞれ影響を受けつつ批判することで、自らの「哲学」を形成していく。ここでカッコでくくったのは、マルクスはその後哲学批判に転じていくから。
マルクスのいう哲学というのは、世界を解釈し、それを啓蒙することで世界を変革しようとするものであり、超歴史的に普遍的に説明しようとする理論。
しかし、マルクスはそういう体系を作ることを目指すのではなく、変革の契機とするために批判を行う。理論そのものによって変革はならない。


次に、マルクスの経済学批判について
商品形態論と、そこから導き出される労働の再生産と搾取について
筆者は「マルクス経済学」ではこうした観点が抜け落ち、単なる私的所有批判と国家による収奪に堕してしまっているとしている
マルクス自身は、政治権力による変革ではなく、社会運動や協同組合による変革を考えていたらしい
協同組合かー!


後期マルクスの思想として、物質代謝論というのが紹介されてる

第5章 進化論と功利主義の道徳論 神崎宣次

章タイトルに進化論と入っているが、話の枕程度で、メインは功利主義
(近年の倫理学の自然化についても紹介したかったのかなと)


功利主義というと、それと対立する立場は義務論、だと反射的に答えてしまうが、この対立図式は20世紀に作られたもので、歴史的には、功利主義vs直観主義というのが伝統的な対立図式らしい
というかベンサムが仮想敵にしてたっぽい
直観主義というと多様な立場が含まれてしまってあまりはっきりと定義できないようだが、ベンサム道徳感情論などを批判していたようだ


本章では、ベンサムとミルがそれぞれ紹介される。2人とも、功利性の原理そのものの正当化はうまくできていないが、しかし功利主義自体には説得力は確かにある、と。

コラム3 スペンサーと社会進化論 横山輝雄

スペンサーの社会進化論は、社会ダーウィニズムなどと呼ばれ、ダーウィン進化論が元になっていると思われがちだが、実際はラマルク進化論だし、あんまりダーウィン関係ない、というのはまあ知られるところだが、スペンサーの生きてる時からある誤解で、スペンサー本人が、俺ダーウィンより前から進化論唱えてたから
、と言ってたのは知らなかった

第6章 数学と論理学の革命 原田雅樹

19世紀の数学の話
数学全然分かってないのでむずい……


一般に、19世紀の数学は、(非ユークリッド幾何など)カント哲学を覆すものと捉えられているが、ここでは、エピステモロジストのヴュイユマンによる、フィヒテによるカント哲学の方法論的転換が数学の進展を可能にしたという主張をベースに論じられる。


五次以上の方程式の一般解について
ラグランジュから始まり、アーベル、ガロアがそれぞれ証明する
で、ここでは、ラグランジュフィヒテが、どちらも、存在と対象だけでなく、形式と操作を主題化したという。


リーマンによるリーマン面の導入
その弟子デデキントによる代数学の抽象化
ここにも、カントからフィヒテへの移行と類似した移行があるという

コラム4 一九世紀ロシアと同苦の感性 谷寿美

第7章 「新世界」という自己意識 小川仁志

プラグマティズムについて


プラグマティズムの特徴は、反デカルト主義と、事実と価値の区別の否定


パースは、デカルトの明晰判明を個人の主観にすぎないと批判(これ、ライプニッツも言ってなかったか*1 )
パースが自然科学ベースに考えていたのに対して、ジェイムズがこれを広く応用。これがのちの対立のもとに
事実と価値の区別をもとにした対立は、気質的な対立だと(この話前にも出てきた*2 )
純粋経験と多元論
純粋経験というのは主客未分離での質の感受(西田っぽいなと思ったら、西田に影響与えているらしい)
ジェイムズの多元論が、もしかしてグッドマンにも影響したんだろうか(この章にグッドマンは名前も出てこないが)
デューイは、さらに道徳や政治にもプラグマティズムを持ち込もうとする。実験して検証するのが民主主義


この3人は古典的プラグマティズム
次に、クワイン、ローティ、パトナムらのネオ・プラグマティズムがあり、最近は、ミサックやブランダムのニュー・プラグマティズムがある
ニューの方は、古典的プラグマティズムの再評価を行なっている、と

第8章 スピリチュアリスムの変遷 三宅岳史

フランス・スピリチュアリスム、具体的には、メーヌ・ド・ビラン、ヴィクトル・クザン、フェリックス・ラヴェッソン、アンリ・ベルクソンについて*3


スピリチュアリスムはかつて唯心論と訳されていたが、それだと心的一元論を含意してしまうが、実際には二元論の立場も含むので、近年はスピリチュアリスムと訳されているとのこと。
そもそも色々な立場を含み、歴史的にも変遷があるとのことだが
まず、19世紀のフランスは、フランス革命とナポレオンを経て、保守派と革新派の2つのフランスに分裂していた時期で、これは哲学思想的には、宗教を重視する立場と科学を重視する立場の対立となっていた。スピリチュアリスムは、この2つの融和を目指す立場で、また、まだ科学として成立途上にあった生物学や心理学と関係していた。
また、カント的な物自体についての不可知論を避け、実在について論じようとする点で、ドイツ観念論からの影響も受けている、と。


ビラン
意志に対して抵抗するものとしての身体=原初的事実(これちょっとショーペンハウアーの意志と近いのでは? と思った)
原初的事実から諸概念の構成
現象学への影響


クザン
七月王政期の哲学者・政治家
実証主義と対立し、精神は脳に還元されないというクザン派の心理学
ヘーゲルの歴史哲学の影響を受けた、エクレティスム(折衷主義)
ただし、ドイツ観念論と違って、心理学から出発する
政治家として、ライシテを推進。フランスの高校に哲学科目があるのはクザンによるもの。また、高等師範学校の改革を行い、人事権を振るって実証主義人脈を排除
第二帝政の成立とともにクザン派は退潮。エクレティスムからスピリチュアリスムへ。


ラヴェッソン
第二帝政期、クザン派の退潮に伴い、非クザン派として台頭。クザンを強く批判したが、実際にどれくらい違うのかは要検討とのこと。
『習慣論』において、ビランの議論をアリストテレスおよびライプニッツ存在論と接続
スピリチュアリスム実証主義


ベルクソン
ビランやクザンと同様、心理学から出発するが、習慣や努力ではなく、持続を見出す
エラン・ヴィタルは、クザンやラヴェッソンの自発性に類似した概念

第9章 近代インドの普遍思想 冨澤かな

19世紀から20世紀前半のベンガルルネサンスについて
インドのキーワードである「スピリチュアリティ(精神性・霊性)」と「セキュラリズム(世俗主義)」について
ヴィヴェーカーナンダや、ローイ、タゴール、セーンというブラーフマ・サマージの系譜、そしてラーマクリシュナが取り上げられる。


ヴィヴェーカーナンダとスピリチュアリティ
スピリチュアルな国インド、というのは如何にもオリエンタリズムなイメージなようだが、実はインド人自身が結構アイデンティティとしている。これは、西洋のオリエンタリズムを逆手に利用した戦術、アファーマティブオリエンタリズムだとする議論もある。
しかし、筆者は本当にそうなのか、と疑問を呈す。
スピリチュアリティという言葉を積極的に使い始めたヴィヴェーカーナンダの用例や、その周辺の用例を調べる。具体的には、何回か使っているかとにかく数えまくるという手法を取る。
結果、ヴィヴェーカーナンダの欧米渡航の最終年から急増したことが分かった。やはり、欧米由来の概念だったのか。今度は欧米での用例を数える。すると、この当時、スピリチュアリティという単語はほとんど使われていないことが判明
スピリチュアリティという語の使用は、ヴィヴェーカーナンダが独自に編み出したものであり、必ずしもオリエンタリズムを逆手にとったものとは言えなさそう、と論じている。
ヴィヴェーカーナンダのスピリチュアリティは、東西に共通する普遍的なものをさす概念として用いられている


偶像崇拝多神教カーストやサティ、幼児婚などを批判し、一神教的普遍宗教を目指したローイは、ブラーフマ・サマージという組織を作る
ローイの後を継いだタゴールは、崇拝と瞑想を用い、ローイとは取り組みが異なっていた。社会的には保守的
タゴールの後を継いだのがセーンで、彼は社会変革的という点でローイと近かったが、偶像崇拝などを取り入れるようになる。


このセーンに影響を与えたとされるのが、ラーマクリシュナ
先述のヴィヴェーカーナンダは、もともと ブラーフマ・サマージにいたが、ラーマクリシュナの弟子になっている。
ラーマクリシュナは、無学で、社会改革にも興味を持っていたわけでない、神秘主義的な宗教家だが、ブラーフマのメンバーを始め、インドの知識人が集っていた。
筆者は、インドの普遍主義、つまり東西対立を超えるものでもあり、インド内部の対立を解消するものとしての普遍主義は、共有できる何かとして、世界に空いた〈穴〉を求めており、それがラーマクリシュナに求められていたのでは、と論じている。

第10章 「文明」と近代日本 苅部 直

「文明」「文明開化」という言葉が明治から昭和にかけてどのように用いられてきたか。


もともと、シヴィライゼーションの訳語として福沢諭吉が用いる。
明治19年には既に、徳富蘇峰により、物質的文明はただの西洋模倣として批判的に用いられている。
大正期には、文明に対して文化を礼賛する、阿部次郎や和辻哲郎などの教養派が登場。岩波書店とともに教養ブームが到来
もともと文明はフランス由来で、文明と文化の対比はドイツ由来らしい
昭和に入り教養派は衰退するが、日本浪漫派や「近代の超克」座談会など、文明批判は続く。


文明について、明治期の庶民は肯定的に捉えていたこと
文明という言葉にはもともと道徳性のニュアンスが持ち込まれていたこと
「近代の超克」座談会の参加者でもある鈴木成高と、それを批判した丸山眞男の対立に、19世紀という時代の位置付けをめぐる対立を見る。19世紀を近代の問題点が集約された時代とみなす鈴木と、19世紀に現代の始まりを見る丸山


次は
sakstyle.hatenadiary.jp

*1:伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史5』 - logical cypher scape2の第7章

*2:伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史6』 - logical cypher scape2の第1章

*3:ベルクソン以外知らなかった……。というか、ベルクソンはこういう流れに位置付けられるんですね。ミネルヴァから出た『現代フランス哲学入門』の目次見たら、当然全員載ってた