伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史3』

3巻は「中世1 超越と普遍に向けて」
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史1』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史2』 - logical cypher scape2
本書で展開されるこの時代のキーワードは、註解
中世の哲学は、古典に対する註解により展開される。
といっても、単に古典の訓詁・解説をしているだけではなく、それを通して、新しい考えも展開されている。
また、論争も色々と起きているという印象
もちろん、古代において論争がなかったわけではないが、より活発になっているというか。
第1章は(どの巻でもそうだが)全体のまとめなので別として、2、3、4、5、7章がヨーロッパ(ギリシア哲学とキリスト教の広がった地域)の話で、6、8、9、10章がアジアだが、それぞれイスラム、中国、インド、日本である(6章のイスラムは地域としてはアジアだが、ギリシア哲学の影響という意味では、分類的には前者に近いかもしれない)
「註解」というキーワードが特に当てはまるのはやはりヨーロッパだが、アジアの各地域もそれなりには当てはまる。
論争を通じて、概念をより鍛えていっている感じ


10章の空海の話が面白かった
5章と7章も、中世ヨーロッパ哲学が、どういう形態で発展していったのかというのが分かるものでよかった


世界哲学史3 (ちくま新書)

世界哲学史3 (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 新書

1 普遍と超越への知 山内志朗
2 東方神学の系譜 袴田 玲
3 教父哲学と修道院 山崎裕子
4 存在の問題と中世論理学 永嶋哲也
【コラム1】 ローマ法と中世 薮本将典
【コラム2】 懐疑主義の伝統と敬称 金山弥平
5 自由学芸と文法学 関沢和泉
6 イスラームにおける正統と異端 菊地達也
7 ギリシア哲学の伝統と継承 周藤多紀
【コラム3】 ギリシアイスラームをつないだシリア語話者たち 高橋英海
【コラム4】 ギリシア古典とコンスタンティノポリス 大月康弘
8 仏教・道教儒教 志野好伸
9 インドの形而上学 片岡 啓
10 日本密教の世界観 阿部龍一

1 普遍と超越への知 山内志朗

2 東方神学の系譜 袴田 玲

ビザンツ帝国は、制度や法はローマ、文化としてはギリシア、宗教としてはキリスト教が基盤で、ビザンツの知識人のアイデンティティはこの3つが混じって複雑
表向きは、キリスト教が真理なので、ギリシア哲学は焚書されたり禁忌とされたりもしたけれど、実際には世俗の学問として生き残り、またキリスト教父たちも、ギリシア哲学の概念をもって理論を作った


アトス山の修道士たちの実践であるヘシュカスムを巡るヘシュカスム論争
祈りから「神化」し、光として神を見る体験をするという実践
論争は、ヘシュカストである修道士パラマス側の勝利で終わる
東方神学における、西方とは異なる「東方世界観」の中心をなすのは「神の受肉
キリストという、神が受肉した存在への衝撃が、神化という思想へとつながる
教会や司祭によらず、自己の祈りにより救済へと至るという考えが、のちに近現代のキリスト教世界に影響を与える

3 教父哲学と修道院 山崎裕子

2章が、東方の神学、修道士の哲学を扱ったのに対して、こちらは西方の神学・教父哲学について
11世紀、カンタベリーのアンセルムス、12世紀のスコラ神学シャルトル学派、同じく12世紀の修道院神学サン=ヴィクトル学派がそれぞれ紹介されている。


修道院は教育の場で、本も多くあった


アンセルムス
神の存在証明や悪の問題


12世紀
修道院付属学校の修道院神学と、司教座聖堂付属学校でなされたスコラ神学という、2つのスタイルの神学に分かれた
「巨人の肩にのる」という比喩、シャルトル学派からでてきたらしい

4 存在の問題と中世論理学 永嶋哲也

中世において、論理学は、12世紀半ばを境に「旧論理学」と「新論理学」に分かれる。
旧論理学:古代西ローマ帝国ボエティウスラテン語に翻訳したアリストテレスの論理学。代表はアベラール
新論理学:12世紀半ば以降、これまで西欧に残っていなかったアリストテレスの著作が入手できる以降の論理学。代表はオッカム


ボエティウス
『カテゴリー論』『命題論』『分析論前書』および、『カテゴリー論』の入門書であるプルフェリウス著『エイサゴーゲー』をラテン語に翻訳
『エイサゴーゲー』において、類・種は実在するのか、実在するとしたらどのようにか、という問いが書かれており、これがのちの普遍論争へつながる


アベラール
筆者は、アベラールを狼に喩えている(一匹狼、あるいはエロイーズを引き立てる悪役としての狼)
普遍論争で、普遍は事物なのか音声なのか問われ、正統的な見解は前者だったが、アベラールは後者にたつ
なお、当時はまだ音読が重要だった時代で、ここでいう音声は言葉と同義


アベラール以後
残りのアリストテレスの著作が入ってくる
また、中世論理学独自の理論である代表理論も、精緻化されていく


本章では最後に、中世論理学が現代論理学とも呼応していることも指摘している
プライアーやギーチや注目していること
アベラールの付帯性理解がトロープに似ているとか、同じく彼の意味理論が指示の因果説に似ているとか、そういう主張をしている研究者もいること

【コラム1】 ローマ法と中世 薮本将典

中世ローマ法学と教会法学

【コラム2】 懐疑主義の伝統と敬称 金山弥平

5 自由学芸と文法学 関沢和泉

自由学芸(アルテース・リベラーレース)について、2つの伝統がある
1つは、人物を形成するものとしての自由学芸。曰く「リベラルアーツは人を自由にする」というのが、語の由来となったとする考え
対してもう一つ、書物を読み書きする技術として自由学芸を捉える伝統がある。
これによれば、liberalisは、自由リーベルliberではなく書物リベルliberに由来するという(5~6世紀のカッシオドルスによる)
現在、自由の「i」と書物の「i」は長短が異なり由来が異なることがわかっているので、この語源は間違いらしいのだが、筆者はしかし、このカッシオドルスの考え方が12世紀まで変奏されていくので重要だと述べている。


文法学の重要性
ラテン語文法学は、ヨーロッパの諸言語やその後、ヨーロッパ人が出会う他の言語を同じフォーマットで文法学化していく
8世紀、カロリング・ルネサンスの時に活躍したアルクイヌスは、文法学と論理学の整合性をとろうとした
12世紀以降、残りのアリストテレスの著作が入ってくると、諸学問においてラテン語への翻訳が行われ、文法学が、言語をこえた普遍性を担保するものとされる

6 イスラームにおける正統と異端 菊地達也

イスラームは、キリスト教のような一元的な権威がなかったので、「正統」と「異端」の境界は曖昧で流動的
その例として、シーア派イスマーイール派が取り上げられる。


イスマーイール派は、8世紀頃に興り、10世紀には躍進し著作が多く残される。一方、9世紀の著作は少ない。
9世紀のイスマーイール派は、極端派と呼ばれた過激シーア派と近いとされていた
それは、周期的な思想(7代目のイマームムハンマドの次の告知者となる)で、さらにメシアとして再臨し、イスラーム法は廃棄されるという過激な思想を有していた
これが10世紀のファーティマ朝、政治的に成功した時代になると、その成功の反面、メシア再臨しないという現実の前に、教義は修正を余儀なくされる。また、もともと内包されていた極端派的だった教義を「異端」として、その線引きを変更するものでもあった。


また、この章では、イスマーイール派宇宙論の中に、新プラトン学派やプトレマイオスなど、古代ギリシア哲学からの影響があることも論じられている。

7 ギリシア哲学の伝統と継承 周藤多紀

註解書について
中世は、哲学に限らず聖書や文学、法学などあらゆる分野で註解が書かれて、それがいわば教育や学問のスタイルだったらしい。
この章では、一般に註解書がどのようなスタイルで書かれているのかを解説している。
註解なので、もちろん元となるテキストの解説なのだが、それにとどまらず、そのテキストと関連するが直接書かれていないような問題についての議論も書かれていた、と。
哲学においてもっとも註解が書かれたのは、アリストテレスプラトンも権威だったが、プラトンラテン語翻訳は少なかった)

【コラム3】 ギリシアイスラームをつないだシリア語話者たち 高橋英海

6世紀、東ローマ帝国支配下で、シリア語話者たちが、アリストテレスなどギリシア語文献をシリア語に翻訳する
9世紀、アッバース朝バグダードにおいて、古代ギリシア学術書は、シリア語を介してアラビア語に翻訳された

【コラム4】 ギリシア古典とコンスタンティノポリス 大月康弘

9世紀のコンスタンティノポリスの大学教授フォティオスは、2度コンスタンティノポリス総主教にもなっており、ギリシア古典の書評集を著している。コンスタンティノポリスには、ギリシア古典の蔵書があった。
なお、フォティオスはローマ教皇と関係が悪く、むしろアッバース朝と交流があった。

8 仏教・道教儒教 志野好伸

中国に仏教が入ってきたことで、既存の思想である道教儒教との間で、どのような対立・論争が生じたか


道教と仏教との間の問題として取り上げられるのが、経典をどのように考えるか
言葉というのは手段であって、内容が伝われば必要なくなるという考えと、確かに言葉は手段だがなくしてしまっても構わないとは言えないという考えがある。
元々道教(というか玄学)は前者で、仏教は後者だが、道教側にも後者の考えの人がいたり、仏教でも禅宗は前者よりだったりする。


神滅不滅論争
そもそも仏教は、輪廻転生から解脱するという考えだけれど、中国には輪廻思想がなかったので、まず輪廻というものがありますよね、というところから説明しなければならず、結果的に、輪廻する主体としての霊魂がある・ないという論争が生じた
「神」というのは、霊魂のこと
ところで、これ以前、老荘思想を注釈を完成さた王弼の玄学においては「本末関係」というのがベースになっている。根源たる無(本)とそれから生じる有(末)という関係
これに対して、神滅不滅論争の中で、「体用関係」という概念が生まれてくる。精神の実体が「体」、働きが「用」とする考えで、これが色々な説明に使われるようになる。
本末関係は仏教と相性が悪く、仏教を受容する中で中国側が編み出した概念が「体用関係」だという。
で、朱子学もこれを踏襲している、と


仏教と儒教の間の論争にはほかに、孝に関するものがある、と
仏教が中国に入ってきたとき、剃髪と出家が孝に反すると批判される。
これに対して、仏教は、仏教もちゃんと孝を守ってるんですよ、という形で、融合が図られていく

9 インドの形而上学 片岡 啓

インドは人名が覚えにくい……。
この章は、おおむね仏教とバラモン教六派哲学ミーマーンサー派とニヤーヤ派)の対立・論争として論じられている
ミーマーンサー派のクマーリラと仏教のダルマキールティが主要な登場人物となる
後5~12世紀の認識論、存在論、意味論、論理学を扱う


原子論や全体と部分の関係についての存在論


インド哲学では、文法学がアイデアの源となる
普遍論争がインドにもあり、普遍の実在を認めるバラモン教諸派と認めない仏教徒との対立
仏教側のディグナーガは、牛という語の意味を、「牛性」という普遍ではなく、「非牛の排除」(アンヤ・アポーハ)とする
これがのちにダルマキールティにより、意味論だけでなく、存在論などにも基礎づけられるアポーハ論と発展していく


推論について
「あの山には火がある、煙があるから」という論証を行う際に、「火がなければ決して煙はない」という関係が必要となる。この関係をインド哲学では遍充関係という
これをどう説明するかで、普遍実在論にたつバラモン教のクマーリラと、普遍を認めない仏教のディグナーガで違いがある
また、認識について、クマーリラは、認識は自律的に正しいとして反証可能性の疑いはあっても3回までとするが、ダルマキールティは反証可能性の疑いはいつまでもなくならないと反論
さらに認識について、認識の錯誤や、認識には外界の対象が対応物としてあるかどうかということについて、やはりバラモン教と仏教で対立があり、このあたりの議論は、ヨーロッパの哲学の認識論なんかとも似てそうな話をしているなという感じだった


直接的な言及は特になかったが、最後の認識論のところに限らず、他のところも、ヨーロッパの哲学との類似点を色々見出せそうな感じはして、難しいけど、面白くはあった。

10 日本密教の世界観 阿部龍一

何故、空海? 一応、日本も入れておこうということか、と読む前は思ったのだが、読んでみると、世界哲学史(というか東アジア哲学史)の中のピースの一つとしてピッタリとはまっている。
8章で見た通り、中国では仏教と儒教の間に対立があるわけだが、本章の筆者は、空海を、儒教を仏教(密教)の中に包摂する・仏教中心で儒教がそれを補佐する体制を実現させた人物として論じるのだ


空海の生きた時代は「文章経国的時代」
奈良時代に仏教の力が強くなりすぎて、遷都したのち、平安時代の初期は儒教中心の体制となり、また、学問によって立身出世が可能だった。「文章」こそがエリートの証。この時代、勅撰漢詩集がよく作られているのも、漢詩ができるというのが政治的エリートであることと同義だったから。
で、空海は、文章の力で身を立てたエリート中のエリートで、留学先の中国でも認められていたし、帰国後も天皇や官僚から頼りにされていた。
だが、空海は、中国で密教を学び、そういう価値観から外にでていく。
彼にとって、自然そのものがテクストそのもの、というのが真言の考え方。
儒教の正名理論を、密教の枠組みの中に包摂してしまう。


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