伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史2』

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史1』 - logical cypher scape2に引き続き第2巻
全8巻シリーズで、第2巻は「(古代2)世界哲学の成立と展開」
目次を見ればわかる通り、宗教の比率が高いが、そんな中執筆陣も(人により差はあるが)何故哲学史と銘打たれた本でこのトピックスを扱うのか、というのには意識的であると思う。
宗教をタイトルに冠した章でも、その中の「哲学的」な要素を説明しているように思う。もちろん、ここでいう「哲学的」が一体何かははっきりと定まっているものではない。
この、古代2という巻で取り上げられる時代は、洋の東西を問わず学問化が進んでいく様子が見られる。古典となるような書物の解釈というのが精緻になされるようになる。
また、ここで取り上げられる哲学は、どのように生きるか、ということもよくテーマになっているように思う。


第3章と第9章で取り上げられている三位一体についての論争は、哲学・形而上学な感じがして、なかなか読んで面白い。そしてそれは、キリスト教ギリシア哲学を取り込んでいく過程でもある
第5章の儒教が国家宗教となっていく過程で、これもまた面白い。第6章では、道教系の形而上学や、仏教と儒教の間に起きた神滅不滅論争がわりと哲学的。
第7章のゾロアスター教マニ教は、文章そのものが面白い(「一向に流行らなかった哲学なのだ」と言っていたりするあたり)。で、この2つの宗教の独特さみたいなものを感じられる。
個人的に、特に面白かったのはこのあたりかな、と。

世界哲学史2 (ちくま新書)

世界哲学史2 (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 新書

第1章 哲学の世界化と制度・伝統 納富信留
第2章 ローマに入った哲学 近藤智彦
第3章 キリスト教の成立 戸田 聡
第4章 大乗仏教の成立 下田正弘
コラム1 アクサンドリア文献学 出村みや子
第5章 古典中国の成立 渡邉義浩
第6章 仏教と儒教の論争 中島隆博
第7章 ゾロアスター教マニ教 青木 健
第8章 プラトン主義の伝統 西村洋平
コラム2 ユリアヌスの「生きられた哲学」 中西恭子
第9章 東方教父の伝統 土橋茂樹
第10章 ラテン教父とアウグスティヌス 出村和彦
コラム3 ジョゼフ・ニーダムの見いだしたこと 塚原東吾

第1章 哲学の世界化と制度・伝統 納富信留

本書で取り扱われる古代という時代・哲学の特徴づけ
まず、最初の古代という時代の長さについての指摘があって、目から鱗が落ちるというか、普段なかなか意識できないけど言われてみればそうなんだよなーと
古代ギリシアにおいて哲学が行われていた時代から見ても、エジプトのクフ王はさらに2000年以上前の王。トロイ戦争やギルガメシュ王も、そこまではいかないまでも、はるか昔で、古代ギリシアの人々から見ても「古代」


哲学と宗教は対比されがちだが、哲学は神や超越を扱わないわけではない


プラトン的な「哲学」に対して、イソクラテス的な「哲学」(理論や普遍性ではなく、歴史の中での実践を目指す哲学)


学校という制度化
プラトンによるアカデメイア(前4世紀)
唐の時代に成立した書院(7世紀)


翻訳による越境

第2章 ローマに入った哲学 近藤智彦

ギリシアからローマへと入ってきた哲学
ローマの哲学というのは、哲学史の中では低い評価になりがちだが、最近は再評価が進んでいるという


前155年 アテナイからローマに派遣された施設の中に、アカデメイア派のカルデアデスら哲学者がいて、その中で、カルデアデスの舟板で知られる議論も。しかし、この時、懐疑主義的な議論に反道徳的なものを感じた者たちは哲学に警戒心を抱いた


その後、ローマにギリシアが根付くのに大きな役割を果たしたのは、小スキピオと彼のもとに集った「スキピオ・サークル」
そこには、ストア派のパナイティオスが長くとどまり、ローマに哲学を定着させていく
また、哲学が地中海世界に広がっていくとともに、プラトンアリストテレスがカノンとして確立していく


ルクレティウスが、エピクロスを翻訳
さらに、キケロラテン語により哲学的著作を次々に執筆。彼は、ラテン語で哲学の全分野をカバーすることを目指した
qualitasは、ギリシア語のポイオテースを訳したキケロの造語だとか。他にも、色々とギリシア語をラテン語に訳したらしい


ローマを代表する哲学者として、セネカエピクテトスマルクス・アウレリスの3人のストア派
哲学は「生きられる」べきもの
セネカは、ストア派エピクロス派を折衷しようとしつつも、エピクロス派の快楽主義は否定
エピクテトスは、「われわれ次第のもの」と「われわれ次第でないもの」とを分け、後者(財産や名声、健康など)を欲しても自由は得られず、真の自由のためには前者(意志)を正しく働かせることを説いた
ストア派は、正当な理由による自殺を認めていた、というのは有名らしい


ラテン語というと、かつてのヨーロッパで学問やるための不可欠な言語、という感じだが、しかしそれも最初からそうだったわけではなくて、ギリシア語から語彙を翻訳していった時期があるのだなあ、という素朴な感想
「意志」というキーワードは、あとでアウグスティヌスの章でまた出てくるなー、というの今ブログに書くために見直していて気付いた。

第3章 キリスト教の成立 戸田 聡

キリスト教成立期(新約聖書の編纂から教義論争)を「キリスト教ギリシア化」というキーワードでまとめながら、キリスト教と哲学の関係を見ていく。


キリスト自身は、アラム語やヘブル語を使っていたが、それらの言語は哲学を担えなかった
一方、新約聖書となる文書は、当初からギリシア語で書かれていた。この言語的ねじれの原因は不明とのこと
しかし、ギリシア語で書かれたことが即座に哲学的であることを意味するわけではない


2世紀頃にキリスト教の状況に変化をもたらしたも
一つは、グノーシス主義
もう一つは、護教家教父たち
グノーシス主義は、二元論的な立場で、また旧約聖書に対して否定的だったので、いわゆる正統派には受け入れられなかった
護教家教父たちは、周辺世界にキリスト教を擁護する者たちで、ギリシア文化に対しては肯定的な者も否定的な者もいたが、いずれもギリシア語で著作を書いた。そして、この流れから「キリスト教ギリシア化」=聖書の「学知化」がもたらされる
それが教義論争で、三位一体論の論争
父なる神と子なるキリストと精霊を共にあがめるという心性がまずあって、それを一体どうやって説明するか、と
4世紀にはアレイオス派論争が起き、それがニカイア公会議やらエフェソス公会議やらカルケドン公会議やらへと
ところで、この時期の神についての記述は、神は言葉で言い表せないので、「~ではない」という否定形によって記述されている、とあって否定神学かーと思った。


さて、キリスト教ギリシア化とは、こうした論争の末に、教義の硬直化へと帰結していった、と結ばれるのだが、
ではこれが、キリスト教における哲学だったのかというと、筆者は、これはあくまでも神学であって、哲学ではないという
そもそも聖書の中で「哲学」は否定的なニュアンスで使われているとか
一方、古代における哲学というのは、やはり生きられるものであったのであり、キリスト教は、「ギリシア人の哲学」に対する「蛮人の哲学」だったのではないか、と。

第4章 大乗仏教の成立 下田正弘

ちょっと独特な章
大乗仏教の成立について、一般的な見解ではなく独自説を述べている(らしい。まず一般的な説を知らないので、そのあたりの距離感はよく分からない)。
加えて、後半ではリクールやデリダを引用して、歴史研究の理論についてや、さらにそこか大乗経典の解釈もしている。


仏教は、自然状態とのその解放という視点から、解放以前の世界と以後の世界という捉え方をする。その2つの世界のなりたちと関係についての思想を体系化したのが大乗仏教
大乗は、解放以後の世界も言語化。救済という結果も言語化


大乗仏教の起源については、大衆部起源説と在家起源説とがあるが、いずれも、経典の外に教団があることを予想していることでは同じ
しかし、実際の歴史資料・考古学資料によれば、大乗経典が存在するようになってから、実際に教団の存在が確認されるまでに500年の空白がある。
筆者は、寺院の形状、法顕・玄奘・義浄によるインド見聞録などから、大乗が独立した教団だったわけではなく、大乗と小乗の僧侶・僧院は同一で、大乗仏教は経典としてのみあった、とする。
もともと経典は口伝で伝えられてきたが、紀元前後に書写技術の発展により書写経典が出現する
もともと、経典の聖性と正統性は、口伝する伝承者の聖性と正統性が担っていたが、書写経典の出現により、旧来の正統性・伝統への批判や問い直しが起きる。経典の書写による保存は、再解釈へとつながり、新たな経典が創成される。
そうしたテクスト内部の動きとして生じたのが、大乗仏教だ、と。


後半は、言説には現実世界に実在物(指示対象)が対応していると考えられがちだけど、必ずしもそんなことないんだという話から、リクールの歴史理論の話になり、さらにそこから、大乗経典の中で書かれている仏教の「起源」についての解釈へと移り、なんかデリダとか用いながら論じられている。

コラム1 アクサンドリア文献学 出村みや子

ホメロス叙事詩の標準版を確定
ユダヤキリスト教による聖書文献学が発展

第5章 古典中国の成立 渡邉義浩

ここでいう古典中国というのは、「漢」民族・「漢」字というように、中華にとっての古典である漢帝国のことであり、また、儒教に基づく国家として成立していった時期を指す。
また、中国の歴史区分として、古典中国成立以前の「原中国」、「古典中国」、古典中国を再編した宋から清の「近世中国」という区分がなされている


秦は法家思想、漢もその初期には黄老思想が、国家の支配原理
孔子の教えそのものは、天子の支配を正当化しない
董仲舒が修めた春秋公羊学において、権力へと接近してく
また、孔子が記したとされる経書=古文と、新たに作られた経典である緯書=今文という2種類の経典が成立する。
緯書は、公羊学派が作成した偽書で、神秘性が高いもの。
本章では、新の王莽、後漢光武帝、そして三国時代へと展開していく。
大まかな流れとして、まずは古文学が国制において優勢であった。
王莽は古文に基づき国制を整え、古典的国制が成立することになるが、その革命の正当化に古文と今文の両方が使われた。
そして、光武帝においてはむしろ、緯書に基づく神秘思想が正統思想となる。さらに、後漢の章帝に時に開かれた白虎観会議で今文学の正統が確認され、「儒教の国教化」が完成する。
一方、在野の学となった古文学は、漢が滅びたあと、漢の次の国家もまた儒教の天の保護下にあることを示す理論を作る。


実際の国の制度の根拠として
王朝が変わる際の正統性の理論面を支えるものとして/超越的・神秘的な面を支えるものとして
社会規範として
といったいくつかの点から、儒教国家が成立していく


そもそも孔子の教えは国家の正当化をしない、というの、言われてみれば、という感じで、そこから儒教が「国教」となっていく過程で、神秘思想をもつようになるのが面白いいなと思った。
儒教って宗教って言われることもあるけど、あれって道徳ではあるけど宗教か? というの以前からちょっと謎だったのだが、超越性・神秘性という側面ももっていたのかと。
王莽や袁術が、自らの即位が正統であることの根拠として、儒教における予言を用いているらしい。
また、王朝交代の理論においては、五行説を取り込んでいるみたい。

第6章 仏教と儒教の論争 中島隆博

第5章では、後漢における儒教国家の成立が論じられたが、その頃、仏教が渡来してくる。
中国では、道教の信仰をベースに、魂の不死や輪廻へと関心が向けられた


後漢が滅んだあと「玄学」という哲学運動が生じる。玄とは奥深いもの・神秘的なもので、『荘子』『老子』『易』をテキストとする
「清談」にふける思想で、儒教国家への批判として道教へと向かった
魏から西晋の時代に盛行
王弼による「無」の形而上学など


西晋以後、中国が南北に分かれ、華北では漢民族以外の民族による統治が行われるようになると、仏教がその正統性を保証するものとして使われるようになる
仏図澄、その弟子である道安、道安が招へいした鳩摩羅什
鳩摩羅什の翻訳によって、大乗経典が中国へ


江南では、道安の弟子である慧遠
僧侶が皇帝を礼敬すべきかという「礼敬論争」
これは、17~18世紀、キリスト教が入ってきたときの典礼論争とも同型の論争
また、「神不滅」にまつわる議論も提起する
ここでいう「神」は、人間の知性や神秘的なはたらきのことで、魂や心のこと
「形」(身体)が滅びても「神」は不滅である、と慧遠は論じた
斉から梁の時代にかけて「神滅不滅論争」


第7章 ゾロアスター教マニ教 青木 健

この章、のっけから「(ゾロアスター教の)信者は極めてノンシャロン」「イラン人たるもの、愉しく現世をおくれればそれで良いとい妙に健康優良児的な発想」「単にそれが、後代の世界哲学史から見て「一向に流行らなかった」というだけのこと」などと書かれており、なかなか楽しく読ませてくれる。
ゾロアスター教マニ教、高校で世界史を習っていれば当然名前は知っているものの、いまいちどういうものかはよく分からないところでもあったりして、よい入門となった


先に「流行らなかった」と書いたが、筆者は流行らなかったとはどういうことかを3つ挙げている
(1)ゾロアスター教はイラン人以外には受容されなかった。マニ教は一時期流行ったが、その後、さらに流行った哲学(キリスト教イスラーム)に一掃された
(2)これらで用いられた中世イラン語が記述言語として成熟せず、学術にもちいられる言語とならなかった。
(3)これらの「哲学」が神話劇的な色合いが強く、洗練されたものとみなされなかった。


では、その流行らなかった哲学に対して世界哲学史を一章割く理由は何か、ということについては、筆者はこう述べている
地中海方面からやってきた一神教の超越的一者の思想に対して、ペルシア側が二元論を持って抵抗したという哲学的独自性があるから。


本章では、ゾロアスター教マニ教の歴史を三つの時期に分ける
まず、紀元前17世紀~紀元前12世紀頃、ザラスシュトラの詩に端を発するゾロアスター教の発生期
次に、3世紀頃、マーニー・ハイイェーによるマニ今日の成立期
最後に、6世紀頃、ゾロアスター教の成立期。思想的に完成するのはこの時期で、書物化されるのはさらに遅れて9世紀頃。


ザラスシュトラの思想は、一神教的二元論
善の精霊と悪の精霊がいて一見善悪二元論だが、それを束ねる神がいる


自然に仕上がっていったゾロアスター教と違い、マニ教は、マーニー1人の手によって作られた
実は、マーニー本人は自らの教えを「真のキリスト教」と捉えていた
マーニーによると、『旧約聖書』の神と『新約聖書』の神とは別の神で、前者は暗黒世界からのメッセージ、後者は光の世界からのメッセージだとか
マーニーは、この思想を神話劇として仕立てた。


ザラスシュトラ一神教的含みがあったのに対して、6~9世紀のゾロアスター教は、二元論の方向に舵を切っている。
筆者は、この当時のゾロアスター教について、同じ二元論的なマニ教と比較して、マニ教の容赦なさに対して、おおらかで楽天的な世界観と述べている。

第8章 プラトン主義の伝統 西村洋平

プラトン主義、という言葉はいくつかの意味をもつが、ここでは、学園アカデメイアがなくなったあと、プラトンのテクストを権威とする哲学のこと
このプラトン主義については、プロティノスを境にして、中期プラトン主義と新プラトン主義に分けられる。ただし、これは後世の歴史家による区別であり、当時の実際の哲学者たちがそう考えていたわけではない*1。このプラトン主義の伝統は600~700年にわたる。
異教の哲学ということになり、弾圧されたりもしていたらしい(当時、女性哲学者ヒュパティアが殺害されるということが起きたり)


素材と形相
イデアと感覚経験
宇宙の生成と流出論


テキストについて、書かれた順ではなくて、読んでいくべき順で整理
階層的な教程→徳の階梯

コラム2 ユリアヌスの「生きられた哲学」 中西恭子

ローマ皇帝ユリアヌス
キリスト教以外の神を学ぶ

第9章 東方教父の伝統 土橋茂樹

東ローマ帝国で活躍しギリシア・ヘレニズム文化に精通した「東方教父」


一たる神・超越的な神が、いかにして多であり物質的な世界を創造したのか、という問題
物質的な世界を創造するためには、神も物質的な領域で働かないといけないのではないか、と
ここにプラトンデミウルゴスとかをもってくる議論がある


まず前段階として、1世紀頃のユダヤ教徒フィロンによる「ロゴス説」
神の像をロゴスとみなす
ここでいうロゴスというのは、プラトンの「範型」でありつつ、イデアを表す神の思考や力を含意し、デミウルゴスとも重なりつつ、神の創造の補助者


パウロでは、神の像は、イエスと同一視
ユスティヌスの「ロゴス・キリスト論」
ロゴスを別の神とみなして、多神論ではないかという論難を受ける
神のロゴスを神の思考と捉えていたフィロンと異なり、別の実在・神格をもつイエスと同一視する東方神父は、父なる神と子なるイエスが、二神なのか一神なのかが問題になる
オリゲネスが、ヒュポスタシス(個別的実在)なる概念をもちだし、ヒュポスタシスにおいては二つだが、別の意味では一つということの証明が目指される
それが、第3章にも出てきたアレイオス論争へ
色々な派に分かれるが、特にカッパドキア教父、その中でもバシレイオスとグレゴリオスの兄弟が最後にとりあげられる
個体・実体ではなく、力や働きに神の本質を見いだすべきという考えのバシレイオス
兄の考えを引き継ぎ、その働きの原因として、神の自由意志をおくグレゴリオ
グレゴリオスはさらに、キリストの「受肉」の意義についても論じる
プラトンにおいて、人間本性の完成は「神に似ること」、この理念が「キリストへ倣うこと」へと定位される


第3章で触れられていた三位一体論について、また違う切り口で、より深く解説している。
第9章のプラトン主義からの流れも汲んでいる
ここではあまり詳しく触れなかったが、実在とか本質とかの概念をもってきて、数的に3つだけど本質的には1つみたいなことを何とかして言えないかと色々考えていて、話題そのものにはそこまで興味もてないが、論の道具立てとか組み立てとかは面白い。形而上学

第10章 ラテン教父とアウグスティヌス 出村和彦

西方と東方の交流と翻訳
北アフリカ
「外に向かうな、あなた自身の内に戻れ」と説くアウグスティヌス
もともと、マニ教徒だったこともある。グノーシス主義マニ教的な善悪二元論との対立
悪は、人間の自由意志に由来
アウグスティヌスは、さらに「意志の弱さ」を考察
外なるものに進んでいってしまう人間の弱さ
自由意志に対する神の恩恵の優位を説く


意志の弱さって、行為の哲学のあたりで時々見かけるテーマなんだけど、アウグスティヌスもやってる由緒あるテーマだったんだなーと知った

コラム3 ジョゼフ・ニーダムの見いだしたこと 塚原東吾

科学史のヨーロッパ中心主義的見方を覆したのがニーダム
中国に近代科学が生まれなかったのは何故か、という疑問を「ニーダム・クエスチョン」と呼ぶ


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*1:中期プラトン主義に対して初期は何か、といえば、アカデメイア派ということになるのだと思う