阿部和重『オーガ(ニ)ズム』

神町トリロジー完結編!
シンセミア』『ピストルズ』に続く、山形県神町を舞台にした三部作の最終章
さらに『ニッポニアニッポン』『グランド・フィナーレ』『ミステリアスセッティング』ともつながっている。
(なので以前は、神町サーガという呼び方をしていたが、トリロジーという言い方に今は変わっている)


なんと(?)主役は「阿部和重
テロリズム、インターネット、ロリコンといった現代的なトピックを散りばめつつ、物語の形式性をつよく意識した作品を多数発表している」*1作家の自宅に、突如、CIAのケース・オフィサーであるラリー・タイテルバウムが血まみれで家に転がり込んでくる。
おりしも、妻の「川上さん」は仕事である映画の撮影で家を留守にしており、阿部和重は息子の映記(3歳)の世話に追われていた。
ラリー・タイテルバウムは、神町に古くから住む謎の一族菖蒲家が、バラク・オバマ米大統領を狙った核テロを画策していると考えており、阿部和重は、「素人現地協力者」としてラリーとともに核テロを防ぐべく奔走させられることとなる。


分厚いわりに、さくさくと読み進んだ
台風でひきこもってる時に結構読めた、というのも大きいと思うが、それにしても思ったより早く読み終わったという感じがある
まあ、細かく読みこもうと思えば色々読めるかもしれないが、ざくざくと話を読み進めていくだけでも、面白く読める
シンセミア』『ピストルズ』読み直してから読もうかなと思ったのだが、その時間が惜しくて、結局過去作読み直しはせずに読んだ。
で、続きは続きなのだが、わりと過去2作とは雰囲気が違うし、読み直ししなくても案外どうにかなった


シンセミア』も『ピストルズ』も日米関係が一つのテーマになっているわけだが、それがまた違う形で、というかわりと露骨に出てきて回収されていった話だった

オーガ(ニ)ズム

オーガ(ニ)ズム

さくさくと読めたので、まあ感想もさくさく書けるかなと思ったのだが、そうは言っても前作『ピストルズ』をさらに上回るページ数なので、思い返してみると要素が膨大
基本的には、阿部和重とラリーのバディものなのだが、阿部和重は身体的にはいたって普通の46歳の中年男性であり、チームから孤立し負傷したラリーはなかなかに胡散臭く、その上、阿部和重は息子の映記のわがままに度々振り回されることとなり、ドタバタコメディ的な雰囲気も醸し出している


現実と虚構、ないしメタフィクションと語りという点でいうと、実はこの話は、72歳になった阿部和重の回想という形式をとっている
その上、『ピストルズ』に登場した菖蒲家に伝わるアヤメメソッドによる幻覚や、菖蒲リゾートで行われているアイソレーションタンクを使った明晰夢体験が、どこまで現実でどこから幻なのかを分からなくしている。
もっともそれは、登場人物たちの主観の上でわからなくなっているという話で、読者側からすれば一応分かる(あとで大体、どこが幻覚だったかは教えられる)
上で述べたドタバタ感が、読んでいて「こいつ、壮大な誤解をしているだけでは、あるいは騙されているだけでは?w」という感じをさせるのだが、実際その通りで、幻覚で騙されてた部分がそこそこある
そして、そもそもこの世界が、現実と虚構が入り混じった世界となっている。
無論、その筆頭は「阿部和重」だろう。
作中に登場する阿部和重は、『ニッポニアニッポン』と『ミステリアスセッティング』は書いている。だが、そのどちらもが実話をもとにしたフィクションであり、一方で『グランド・フィナーレ』や『シンセミア』『ピストルズ』への言及はなく、おそらく芥川賞もとっていない。
そして、2011年に起きた永田町直下地震(これの真相はスーツケース型核爆弾だったという設定の話が『ミステリアスセッティング』ということになっている)により、神町へと首都移転がなされている。
2014年、神町は急ピッチで進む開発によりその姿を変えていくところで、そこにオバマ大統領が来日の際に訪れる予定となっている
作中、オバマ大統領に関する多くの新聞記事(主にweb上に掲載された記事)が引用されており、これらはおそらく現実の(つまり我々読者の世界の)ニュースからの引用で、虚実が入り混じる
このオバマ大統領も、夜な夜なSiriと会話するのにのめりこんでいき、神町と菖蒲家の伝説を楽しんでいるというちょっとボンクラ感のあるキャラクター造形になっている


日米関係は、神町トリロジーではこれまでも描かれているが、ここでは、日本人の阿部和重アメリカ人のラリーとして描かれている
そもそも主人公の阿部和重が自分とラリーの関係において自分のことを「属国人」と称していたりする
さらになんと物語のラスト、2040年の日本はなんとアメリカ合衆国51番目の州となっている

追記(20191023)

読みながら気になってたんだけど、書き忘れていたこと
度々、ひらがなに開いている熟語があった
例えば「後半(こうはん)」とか
今、パッと思い出せるのがこれくらいなんだけど、これくらいの難しさの程度の漢字がいくつかひらがなになっていて、どういう基準で選ばれているのか分からない
(追記終わり)


sakstyle.hatenadiary.jp
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文學界が10月号の特集記事をweb上に掲載している
読み終わった後に読むととても面白い
books.bunshun.jp
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*1:Wikipediaからの引用だが、作中で繰り返し繰り返し出てくる。このフレーズ元々書いた人は一体誰なんだろうなー

ダレン・ナイシュ/ポール・バレット『恐竜の教科書』

そのものずばり、恐竜の教科書という名前に違わぬ本。
筆者は、古生物学者であり、他にも一般向けの著作を書いているダレン・ネイシュだが、それだけでなく、監訳者が、小林快次を筆頭に、日本の若手恐竜研究者たちが揃った豪華ラインナップとなっている。


近年、類書としてはDavid Fastovsky、David Weishampel『恐竜学入門』 - logical cypher scape2があったが、新情報へのアップデートもあるし、フルカラーなど、本書の方が上回っている点も多い。
帯文で小林先生が「一家に一冊」と煽っているだけのことはあるw


同じダレン・ネイシュの本としては、ダレン・ネイシュ『世界恐竜発見史』 - logical cypher scape2というのもある。


以下、内容要約はせず、気になったトピックのみを拾う形でまとめる

監訳者序文(小林快次)


第1章 歴史、起源、そして恐竜の世界
第2章 恐竜の系統樹
第3章 恐竜の解剖学
第4章 恐竜の生態と行動
第5章 鳥類の起源
第6章 大量絶滅とその後


資料――年代層序表
用語解説
参考文献
和英索引
英和索引

恐竜の教科書: 最新研究で読み解く進化の謎

恐竜の教科書: 最新研究で読み解く進化の謎

第1章 歴史、起源、そして恐竜の世界

第2章 恐竜の系統樹

「古竜脚類」、実は一つの系統ではないことが分かってきて、この名称はもう使われてないとのこと
プラテオサウルスやマッソスポンディルスは、手のひら内向き、つまり二足歩行であることが分かっている
竜脚類というとジュラ紀の恐竜で白亜紀には姿を消したイメージがあるが、白亜紀にもまだまさ勢力を誇っていた


ヘテロドントサウルス
3種類の歯を持つとか(名前は異なる歯から来ている)。異歯性ってもうあったのか?
眼窩に突き刺さっているかのようなとげのような骨が特徴的

第3章 恐竜の解剖学

3~5章が特に面白い、という印象


恐竜(というか主竜類)の頭骨は、開口部が多い。
筋肉がついてて頭蓋骨全体を使って咀嚼しているという話もあるが、前眼窩窓の内側には気嚢があるというのがここでは紹介されている


二足歩行の恐竜は手のひらが内向き


恐竜の足首
趾行性とかの話なのだけど、恐竜類は足首の作りが独特で、これが繁栄の要因になったかも、とか


鳥盤類の前肢は、やや外向き、かつやや下向き


体重推定方法


コエルロサウルス類における尾大殿筋の退化と尾の小型化


気嚢システムは、放熱問題解決の決め手だったかも
含気性の骨は水に浮く→深いところでは不安定になるので、竜脚類は泳ぐのは避けて、浅瀬を歩く程度だったのでは


近年の恐竜の復元図は痩せすぎ


微細構造から色は復元できるのか
恐竜の色は、近年では羽毛からメラノソームの微細構造が発見されて、分かるようになってきているが、実はバクテリアの微細構造なのではないかという異論や、メラノソームだとしても変質してしまっていて、当時の色は復元できないのではないかとも言われているらしい。
とはいえ、多くの古生物学者はメラノソームだと同意しているようで、ここらへんは、一応、決着がついているわけではないことを示すために書いているくらいの話なのかなあと思わなくもないが。

第4章 恐竜の生態と行動

有限要素解析法
建物や航空機が、強風やエンジンの振動でどのような影響を受けるかコンピュータを使って解析する方法で、肉食恐竜の頭蓋骨が、バリバリ噛み砕くのに耐えられたのか調べる
ただ、この本で時々繰り返されてることだが、骨だけでは分からないことがある・誤解することもあるということがここでも注意されている


初期竜脚形類は雑食性


現生動物との比較から恐竜の運動能力について言うのは難しい
というのも、現生動物の走る速さや運動能力を我々はよく知らないからであり、また、恐竜の体の構造は、どの現生動物とも似ていないから


ケラトプス類は、その大きな頭が水に入ると沈むのと泳ぐのは苦手だっただろうという、そりゃそうだろうなという話が書かれているのだが、シミュレーションされたCGが付されており、妙におかしみがあるw


K戦略とr戦略という区別をすることは、廃れたらしい


成体と幼体は、別の種のように行動していた、と
幼体だけで構成されたグループとかがある
それから、パキケファロサウルストリケラトプスの特異な成長過程。従来、別種だと考えられていたのが、実は幼体だったというのが相次いで言われている。
成体と幼体とが、別種に分類されてしまうほど見た目が違うのは、他の動物にはあまり見られないのではないか、と

第5章 鳥類の起源

鳥類は恐竜の一種であるので『恐竜の教科書』である本書では、鳥類についても詳しく扱われている
ところで、鳥類も恐竜類の中の一種であるため、単に「恐竜」と言った場合、そこには鳥も含まれることになるが、普通我々は、鳥を含まない恐竜について特に話をしたい。そのため、現在は「非鳥類型恐竜」というやや面倒くさい呼び方がある。
たいていの本は、「本書で恐竜という場合、「非鳥類型恐竜」のことを指す」という但し書きをつけてたりするのだが、実は本書では、一貫して「非鳥類型恐竜」という書き方を貫いてたりする


恐竜から鳥への進化は複雑
恐竜にはなくて鳥にはあるとされる特徴は色々あるが、これらの恐竜から鳥への進化の途上での現れ方は多様で複雑
羽毛とかは複数の系統で発生していたりする。


鳥類の口に歯が消えた理由は、重いからではなくて、くちばしの方が便利だから


繊維と羽毛の進化は結構複雑


飛行の起源は、木から飛び降りるところから始まったのか、それとも地上を走るところから始まったのか
初期鳥類やマニラプトル類は、走るのに適した脚をしているが、木登りができるような形はしていない
一方、現生の鳥類の飛び立ち方を考えると、助走してから飛ぶということはしていない
近年、注目されているのが翼アシスト傾斜走行
危険から逃れるために、急斜面や木の幹を駆け上がるのに、翼を使ったというもの
ただ、飛行の起源は今なおはっきりとはしていない


アーケオプテリクスは長い尾をもつ
孔子鳥は、尾の骨が短くなった最も古い鳥類、だが現生鳥類のグループではない


エナンティオルニス類と鳥尾類

第6章 大量絶滅とその後

絶滅以前の多様性低下について
白亜紀後期、隕石衝突の前から恐竜の多様性は低下していて、隕石衝突はとどめだったという説がある
実際、この時期の恐竜の多様性は低下しており、それは海退が起きて、ララミディアとアパラチアがくっつくなどしたかららしいのだが、一方で、アジアやヨーロッパでは特に多様性の低下は見られない、恐竜とともに絶滅したプレシオサウルス類も多様性は低下していない


火山活動の影響
デカントラップによる火山活動は、環境の悪化を引き起こしていた
これについて、プランクトンの化石が証拠となっている。
プランクトンのような小さな化石が、当時の気候について知る重要な手掛かりになるのだと書かれている


複合要因シナリオ
隕石衝突が恐竜絶滅を引き起こした「とどめ」だったのは間違いない
ただ、火山活動や多様性の低下なども要因になっていたのだろう、というのが「複合要因シナリオ」


恐竜は絶滅していない。絶滅を免れた恐竜は鳥類として新生代に繁栄をとげている
しかし、どのような理由で絶滅を免れたのかはあまりはっきりしない
というのも、白亜紀の鳥類の中には絶滅してしまったグループもいるから。
筆者は、くちばしの便利さが有利に働いたのではないかと述べている。


新生代の鳥類の各グループについても記載されている。

『美術手帖2019年10月号』

特集「アーティストのための宇宙論

下記、特集部分のみの目次

巻頭座談会:宇宙×アートの問題系 木村大治×久保田晃弘×永松愛子
目[mé]がプレゼンする、宇宙アート計画!もしも宇宙空間で作品をつくるとしたら? 目×関根康人
宇宙を目指すアーティストたちの実践 トレヴァー・パグレン/ハリル・アルティンデレ/マイケル・ナジャー
アーティストのための宇宙入門 監修=磯部洋明 イラスト=いしいひろゆき
マンガ:The Space Potter 作画=寺本愛 原作=大竹竜平
宇宙科学研究機関とアートの協働 CERN(欧州素粒子物理学研究所)/NASA JPLNASAジェット推進研究所)
宇宙×デザインファイル
論考:さよなら宇宙人 かつてあれほど栄えていた「宇宙人」について 藤田直哉=文
論考:ロシア美術における宇宙 宇宙主義・不死・ユートピア 鴻野わか菜=文
コラム:「宇宙×芸術展」というミッションは続く 森山朋絵=文
論考:宇宙とアートの何が面白いのか 磯部洋明=文
BOOKガイド

美術手帖 2019年10月号

美術手帖 2019年10月号

巻頭座談会:宇宙×アートの問題系 木村大治×久保田晃弘×永松愛子

人類学者の木村、アーティスト・研究者の久保田、JAXA研究者の永松による座談会
まず、久保田が行っているARTSATプロジェクト、永松の宇宙放射線研究、木村の宇宙人類学についてそれぞれ自己紹介
まあ色々な話をしているのだけど、科学者のロジャー・マリーナという人と、アーティストのアーサー・ウッズという人による、宇宙芸術の7つないし9つのカテゴリ分けとか気になった

目[mé]がプレゼンする、宇宙アート計画!もしも宇宙空間で作品をつくるとしたら? 目×関根康人

「目」のアーティスト荒神、ディレクターの南川が、色々とアイデア出しして、宇宙生物学者の関根が「こうしたらできますねー」とか話してる企画
荒神の出す案が、地球の自転を止めるとか軌道を変えるとかヤバめの話ばかりするのが面白いw
あと、まさに2人と関根さんが話す中で出てきた奴として、宇宙空間に空気を詰めた袋を浮かべる→空気と真空は屈折率が違う→蜃気楼の原理で月が2つあるように見える、っていうの面白そうだなと思った

宇宙を目指すアーティストたちの実践 トレヴァー・パグレン/ハリル・アルティンデレ/マイケル・ナジャー

実際に行われている宇宙芸術
パグレンは、「オービタル・リフレクター」という作品を作っていて、キューブサットサイズで打ち上げて軌道上で30メートルの構造物になるというもので、太陽の光を反射して地上でも見えると
で、ファルコン9で実際に打ち上げられるところまでいったのだが、展開するにあたっては連邦通信委員会の承認が必要なところ、2019年1月のトランプ政権と議会との対立で米政府が閉鎖したタイミングで、連邦通信委員会の承認作業も中断。政府機能が復活した時には、オービタル・リフレクターの方の機能が止まっていたという結末だったらしい
そんなのやってたなんて全然知らんかった

アーティストのための宇宙入門 監修=磯部洋明 イラスト=いしいひろゆき

キーワード集

マンガ:The Space Potter 作画=寺本愛 原作=大竹竜平

近未来、民間宇宙航空会社に宇宙飛行士志望で入社した主人公が、惑星から採取された土壌を使って陶芸する仕事に割り当てられる話
結構面白い気がする

宇宙科学研究機関とアートの協働 CERN(欧州素粒子物理学研究所)/NASA JPLNASAジェット推進研究所)

CERNでは、アーティストが滞在して科学者・エンジニアで交流できるプログラムがあるとか
あと、映画祭も開催しているらしい


JPLには、ア―ト・デザインのスタジオがある、とか
2003年に、まだグラフィックデザイン専攻の学生だったダン・グッズが、JPLを訪れ、アーティスト・デザイナーとして働き始める
JPL内のデザイン事務所みたいな感じで、科学的概念や発見の視覚化とかそういうことをやっているらしい
3つ作品が紹介されていて、一つは、人工衛星の位置を示す音が鳴るという半ドーム状の作品
それから、道案内の標識なんだけど、回転しながら惑星や探査機の位置を示しているというもの
最後が、系外惑星観光のポスターで、これは見たことがあった!
exoplanets.nasa.gov

宇宙×デザインファイル

論考:さよなら宇宙人 かつてあれほど栄えていた「宇宙人」について 藤田直哉=文

大衆文化の中に見られる宇宙人表象が、何のメタファーだったのか

論考:ロシア美術における宇宙 宇宙主義・不死・ユートピア 鴻野わか菜=文

ロシア宇宙主義についての簡単な解説
ロシア・アヴァンギャルドへの影響(第3インターナショナル記念塔とか)
ソ連後期には、アンダーグラウンド美術で、ソ連のアンチテーゼとして宇宙のイメージが使われる
近年、宇宙主義の再評価が始まり、宇宙モチーフのアート作品が増えているらしく、この記事の後ろ半分はそういったロシア現代アート作品の紹介(市原の美術館でロシア現代アート展がやってるらしい)

コラム:「宇宙×芸術展」というミッションは続く 森山朋絵=文

論考:宇宙とアートの何が面白いのか 磯部洋明=文

筆者は、天文学・宇宙物理学が専門で、以前、京大の宇宙総合学研究ユニットにいた人なので、いまは京都市立芸術大学にいるらしい。磯部さん、お名前は宇宙関係でよく見かけてたけど、芸大の先生になってるとは知らんかった
「宇宙をテーマにしたアートって本当に面白いのか?」という話で、まあ結局陳腐だったり教育的すぎたりしないか、ということを主に書いている記事だけど、最後に本人が好きだという作品を3つ挙げている*1
1つは、野村仁の「アナレンマ」という写真作品
2つ目は、元バイオ系の科学者であったマイケル・ウィッテルによる、探査機の磁場データを元にしたドローイング
最後は、大正生まれの歌人、依田照彦による短歌

これらの作品に共通しているのは、私たちを取り囲むこの宇宙がどんなところなのか、それをより深く、より豊かに、そして身体的な実感を伴って受け止め味わうことを、科学と芸術の協働が可能にしてくれるということだ。(p.107)

この3作品の解説を読んで、鬼界彰夫『『哲学探究』とはいかなる書物か――理想と哲学』 - logical cypher scape2にもあった、科学の「理解」のことを思い出したりしていた。あるいは、見方を変えることの亜種としても捉えることができるかもしれない

BOOKガイド

種子島宇宙芸術祭2019

事物の退隠─ロバート・モリスの盲目性 沢山遼=文

特集以外の記事も読もうと思い、最近林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』 - logical cypher scape2を読んだこともあって、これを読んでみたが、そもそもモリスについてよく知らないのであんまり分からなかった

*1:なお、上述した「オービタル・リフレクター」について、メッセージの陳腐さのほか問題点を指摘している

鬼界彰夫『『哲学探究』とはいかなる書物か――理想と哲学』

全3巻が予定されている「ウィトゲンシュタイン哲学探究』を読む」シリーズの第1巻にあたる
『探求』の§89~§133にあたる部分を読み解く
なお、第2巻では§134~§242、第3巻では§243~§693を扱うことが予告されている。
この§69~§133にあたる部分を本書は「哲学論」と呼び、ウィトゲンシュタインが『探求』においてどういうことをやろうとしているのかが書かれた部分だとしている。
筆者によれば、『探求』はその部分部分については解釈が進んでいるけれど、全体として何を言おうとしている本なのかという解釈がまだ定まっていないという。本書は、まさにその『探求』が全体としてどういう本なのかについてを扱っている。
広く知られているように、ウィトゲンシュタインは『論考』に代表される前期と『探求』に代表される後期とがあって、前期の考えは間違っていたと考えるようになって後期へと舵を切ったとされるわけだが、本書では、ウィトゲンシュタインが『論考』の一体何について間違いだと思ったのか、そして、その間違いを『探求』においてどのようにして正そうとしたのか、という点を読み解いていくことになる。
その間違いは、理想についての誤解に起因していたという話で、サブタイトルの「理想と哲学」はそこから来ている。


ウィトゲンシュタインの著作は難解であるとされているが、筆者はそれが彼の独特の著述スタイルがくるものだとしている。
つまり、ウィトゲンシュタインはまず手書きの原稿を書き、その中から特に重要だと思われる部分を抜き出してタイプ原稿にし、そこからさらに厳選した内容を完成稿に反映させる。
なので例えば、普通なら「AだからBとなり、ゆえにCとなる」というように、どうしてそのように考えるかの過程も書かれるところ、ウィトゲンシュタインの著作では「Cとなる」だけが書かれているようなことが起こりうる。
完成した著作だけを読むと、どうしてそのように考えたのかの過程が追えないので内容を理解するのが難しくなる。
だからウィトゲンシュタインを読む際には、元になった草稿も参照して読み解かないといけない、というのが筆者のウィトゲンシュタイン読解法となっている。これは、以前に書かれた『ウィトゲンシュタインはこう考えた』でも同様であった。
本書には、巻末に『探求』のどの部分が、草稿のどの場所に対応しているかの表が付録として掲載されている。
さらに本書では、ウィトゲンシュタインの「日記」も読解のための参照項として使われている。


本書は三部構成となっており、
第1部は準備として、『探求』の一体どういうところが謎なのか、本書で取り扱う「哲学論」という箇所はどういう位置づけなのか、どういう過程で書かれたのか、また『探求』へとウィトゲンシュタインの思索が進んだ時期にウィトゲンシュタインに一体何があったのかというようなことが書かれている
第2部は実際に「哲学論」を読んでいくパートで、「哲学論」を大きく前半と後半に分けて読み解いていく。
第3部は応用編として、『論考』と『探求』の考え方の違いを、実際の哲学的問題に応用してみるということで、科学的実在論論争への応用を行っている。

はしがき

第Ⅰ部 準 備

第一章 謎としての『哲学探究』とそれを解く鍵
 1 『哲学探究』の難解さと謎
 2 『探究』という謎への鍵(1)――『探究』と「茶色本」(あるいは「青色本」)との類似性
 3 『探究』という謎への鍵(2)――『探究』と「茶色本」(あるいは「青色本」)との決定的相違

第二章 謎を解く鍵としての「哲学論」(§§89~133)――読解の手掛かり
 1 『哲学探究』における「哲学論」の位置づけと意味
 2 我々の「哲学論」解釈が答えるべき問い
 3 「哲学論」のテキストの成立過程とソース

第Ⅱ部 読 解

第三章 論理と理想――「哲学論」前半(§§89~108)
 1 「哲学論」前半の読解の手順と手掛かりとなる背景的事実
 2 「論理の崇高性」の問いの意味――§89a
 3 「論理」を巡る『論考』の錯覚――§§89b~92と§§93~97
 4 「理想」についての根本的誤解――§§98~108

第四章 新しい哲学像――「哲学論」後半(§§109~133)
 1 テキストの構成とMS142(およびTS220)との関係
 2 『論考』の根本的誤解からの脱却の道――§§109~118
 3 新しい哲学像の苦悶の中でのアフォリズム的予見――§§119~129
 4 新しい哲学と「言語ゲーム」――§§130~133
 5 世界の相転換としての哲学――『探究』最終版から消えた哲学論

第Ⅲ部 応 用

第五章 我々に示されたもの
 1 科 学
 2 哲 学


あとがき
付表1・2

第一章 謎としての『哲学探究』とそれを解く鍵

『探求』は、個々の議論については何が書かれているのかが分かってきているが、全体としてどういう本なのかが今もって謎である
これのヒントになるのが『茶色本』『青色本
実は、この二つは構成や内容の点で『探求』とよく似ている。
しかし、違う点もあり、この違いが『探求』がどういう書物なのかを探るヒントになると筆者は考えている。


まず、書かれている言語が違う。
『茶色本』『青色本』は英語で、『探求』はドイツ語。
そもそも前者をドイツ語で書き直そうとしたものが『探求』なのであるが、問題は、単に言語が違うという話ではない。
実はウィトゲンシュタインは、書き直しの作業にあたって困難に直面している。
それが彼の個人的問題であった「告白」である。
ウィトゲンシュタインは、虚栄心から周囲の人々に嘘をつくということを度々しており、この時期(1930年代)、めちゃくちゃ思い悩んでいる。で、嘘についての「告白」を行っている。告白した嘘の中には、大きなものから些細なものまであったらしい。また、教師時代の暴行事件についての謝罪も行っているらしい。
また、ウィトゲンシュタインは、自分に対して嘘をついたり、演じていたりすると、文体にも影響する、というようなことも書いている。
「告白」以前以後で、精神面でウィトゲンシュタインには大きな変化があって、それはその文章にも少なからぬ影響を与えていて、『茶色本』『青色本』と『探求』との間にある違いとは、まさにここに由来しているのだ、と。
で、さらに『探求』には、§§89~133にかけて、哲学について論じたパート(「哲学論」)がある。
これは『茶色本』にはないし、『青色本』も間接的に触れているだけで直接的にはない。
つまり、ウィトゲンシュタインには、『茶色本』『青色本』と『探求』との間に、深い自己省察・反省の時期があって、それが『探求』とそれより前の思想を分けるものになっているのだ、と

第二章 謎を解く鍵としての「哲学論」(§§89~133)――読解の手掛かり

『探求』がどのような本であるのかを読みとくにあたり、本書は『探求』の中の「哲学論」を参照していくわけだが、そのためにまず「哲学論」の位置付けを確認する
つまり、「哲学論」が、単に哲学について書かれているというわけではなく、何よりもウィトゲンシュタイン自身の自己省察が書かれていることを示すことで、「哲学論」が『探求』についての自己言及的な部分であることを示す、というわけである
この章では、冒頭に述べたウィトゲンシュタインの独特な著述スタイルについての説明があり、それに沿って、「哲学論」のソースとなっている手稿がどれかということが確認されるとともに、それが「日記」と時期的・内容的に一致しているところを見ていく


ウィトゲンシュタインの「日記」は、身辺雑記や備忘録のためではなく、自己省察を徹底し「真の哲学を自ら実現するため」に書かれた・この日記は、1930~32年、1936年~37年の二つの時期に書かれている。

我々は『探求』「哲学論」と「日記」は不可分な二つのテキストであり、それらは同時期にウィトゲンシュタインという同一の精神が、一方で自分の行いつつある哲学という営みの本当の姿を見極めようとし、同時に他方で、自分という人間の真の姿を見つめようとした一体の過程の、相関連し、相補的な二つの記録と見なければならないだろう。(p.75)


というわけで、本書は、ウィトゲンシュタインが哲学上、一体何に悩み、どのようにそれを脱しようとしたのかという記録として、『探求』「哲学論」を読んでいくことになる。
ある意味では「実存的」と言いうるような読み方であるが、これは筆者が、ウィトゲンシュタインの生き方そのものに憧れのようなものを抱いているからかもしれない*1



ところで、この章の注釈を見ると、筆者は『確実性について』に関する本も準備中らしい。気になる。


第三章 論理と理想――「哲学論」前半(§§89~108)

筆者は「哲学論」を5つのシークエンスに分けている

シークエンスa(§89~98) 「論理」を巡る『論考』の錯覚
シークエンスb(§99~108) 「理想」についての根本的誤解
シークエンスc(§109~118) 言語による悟性の魔法からの解放としての哲学
シークエンスd(§1119~129) 哲学的問題と哲学の方法
シークエンスe(§130~133) 哲学の方法

このうち、aとbを前半、c,d,eを後半としている。


『論考』は、言語の本質とは何かを問い、それが世界と構造が共通しており、世界を写すものだと考えた。
これに対して、言語の本質とは、(世界を写すものではなく)「言語ゲーム」だ、という別の考えがありうる。
しかし、ウィトゲンシュタインは、これでは『論考』が犯した誤りを再び繰り返すだけではないかと考える。


『探求』は「我々」という主語で書かれているが、それが多声的であると筆者は指摘している。
つまり、『論考』の(今では既に誤ったものと思われる)考え方も「我々」の考え方としてそこでは書かれる。誤りというのは、その内部からどのようにして誤ったのか捉えないと、誤りを直すことはできない。だから、どうしてそれが正しいと思ったのか、そしてどこが誤っていたのかを、「我々」の見解として書いていかないといけない。


その誤りとは一体何か
その端緒はここでは「プラトン過程」と呼ばれる
それは、当初の実践的目的を離れて理論的探求がなされてしまうことである。
もともと『論考』は、言語の使用をめぐる誤解を解くという実践的目的のために書かれたわけだが、そこから、何か我々からは隠された本質があるのではないかと考えるようになって、分析したり、「命題とは何か」とか問い始めると、これは実践的目的から離れた理論的探求へと入り込んでしまっている


些細な話だけど、ドイツ語だと「文」と「命題」はどちらもSatzで区別されてないんですね(「改めて言うまでもないことだが」という前置きで書かれていたけど、ドイツ語知らんので、そうだったのかーと)


『論考』は「否定的思考のパラドックス」、『探求』は「規則のパラドックス」に
同じ誤りを犯しているからではないか、と。
それは「理想」にまつわるもの
ここでいう理想は、上の「プラトン過程」のところで出てきた理論とほぼ同じ、あるいは理論的概念と言ってもいよい。例えば「対象」とか「名」とか、あるいは「ゲーム」もそうかもしれない。
これを理論的な概念として定義すると、現実がこのようにあるべきだと考えてしまう。
これをウィトゲンシュタインは、「事物の描写の仕方を事物のあり方と誤解してしまう」というような言い方で表現している
例えば「対象」というのは、事物の描写の仕方でしかないのだけれど、これを事物の方のあり方だと思ってしまう。世界の側にも「対象」があると考えてしまう。こういうふうに思考してしまうのが、「理想」に関する誤解


筆者はここで、ウィトゲンシュタインがこうした誤りを比喩を通して説明しようとしていると述べてる
例えば、描写の仕方について説明する際には「眼鏡」の比喩が用いられている。
そして、非常に有名な「我々はツルツル滑る氷の上に入り込んだのだ。そこには摩擦がない。だからある意味で条件は理想的である。(...)ザラザラとした大地へ戻れ!」という比喩が出てくる。
筆者は、この比喩が、「我々」がどのように誤っていたのかを内から理解させるものだとして解説している。
つまり、誤りが元々は我々にとって正しいものに思えたことを納得させ、その上でそれが誤りだったことを理解させるため。
これについて、元々『論考』の形而上学的世界がよい意味で「結晶」に喩えられてきたことを引き合いにだす。「氷」と「結晶」の類似に訴えた比喩で、「氷」は「見る」ものとしては確かに美しいものである。しかし、この上を「歩く」という比喩によって、氷に対する「見る」とは違う関係を示している。それは実践的な関係であり、その場合、滑らかさはツルツル滑るという悪いものに変わる。
では、ザラザラした大地に戻れ、とは一体どういうことなのか。
実践的・日常的な言語の使用に戻れ、ということであるが、それではそこに哲学の役割は残されているのだろうか。
それが「哲学論」後半の話となる。

第四章 新しい哲学像――「哲学論」後半(§§109~133)

哲学は記述的であるべきだ、という主張が出てくる
これは、仮説的説明や理論的説明をしないということである。例えば『論考』は、ラッセルの記述理論による分析に影響を受けているが、ああいう説明は、隠された論理形式があるという誤解へと我々を誘う。形而上学化を避けるために、理論的説明を放棄するという態度
ここで少し、応用編として、ウィトゲンシュタインが直接的には書いていないこととして、自然科学の形而上学化にも触れられている。経験的証拠を離れて、理論に一致するような説明をするようになったら、科学も形而上学化することになるだろう、と書かれている。


しかし、じゃあ記述的な哲学とは一体何なのか
哲学的問題というのは残っているのか
それは、文法的な誤解・錯覚からくる「不安」に対して、その源泉を指摘することで、その呪縛を解くというもので、筆者は、これは知的な過程ではなく、むしろ実存的な過程とでもいうべきものだと述べている(医術性とも書かれている。治療としての哲学という奴だろう)。
その例として、比喩による誤解があげられる
前半では、比喩のポジティブな面があげられたのに対し、後半はそのネガティブな面をあげているともいえる
具体的には、『論考』において、命題を「像」に喩える比喩で、そこでは、言語が画像による描写に似ているものだと捉えられている*2。ところで、文の中には、描写では捉えられないものがある*3。そうすると、これが解決すべき問題に思えている(「そうはなっていない!」「それでもやはり、そうであるはずなのだ!」)。しかし、そう思えてしまうのは、「像」という比喩にとらわれてしまっているから。
あるいは『論考』に出てくる「対象」
命題は事実の像だと考える『論考』において、「ボトルはグラスの右側にある」という命題は、ボトルとグラスと右にあるという位置関係という3つの対象の複合物をが対応していると考える。しかし、「位置関係」という対象があるわけではないだろう、と。


シークエンスd
ここまで見てきたa~cと、dは雰囲気が違っている
ここまで「我々の考察」が対象とされてきたのに対し、ここでは「哲学」一般を対象にして書かれている*4
また、アフォリズムっぽい文章が続く、と
実は、a~cとdとでは、元になった原稿が違っていて、書かれた時期が、さらに以前に遡る(1930年頃)。
だから、まだ苦しんでいる時期で、『探求』でやるべき哲学はこういうものなのだという、シークエンスcに書かれていたような境地にはまだ至っていない。が、ウィトゲンシュタインは、この時期の原稿からあえてそのまま採用している。哲学は記述なのだとかそういう話が、既にここに現れている。


相転換としての哲学
『探求』「哲学論」は、『論考』に対する反省的考察であったが、ではウィトゲンシュタインは『探求』で行っていることに対する反省的考察は行っていなかったのか?
実は『探求』はちょっと複雑な成立過程があって、戦前版『探求』と最終版『探求』があり、この二つには違いがある。戦前版『探求』には、この『探求』に対する反省的考察とでもいうべきものが入っているが、最終版『探求』からは削除されている。
『論考』の哲学を「アプリオリな洞察による事物の本質の解明としての哲学(p.248)」と呼ぶならば、『探求』は「世界の見方・見え方を根本的に変えることとしての哲学(p.249)」と呼ぶことができるという。
ここでいう見方・見え方とは「アスペクト」のことで、これは「見方・見え方」とも「側面・相」とも訳すことができる。
ある表現体系に対して別の表現体系を並べることで、相・見方を変えること
ウィトゲンシュタインの手稿には、コペルニクスダーウィンの功績は、「真なる理論の発見ではなく、新たな実り多い見方(アスペクト)の発見である」と
じゃあ、何故こういう「相転換としての哲学」という考えについて記した部分が、最終版からは削除されてしまったのか
筆者は、理由を二つ挙げる
1つは「アスペクト」という比喩が未消化だったため。上に書いた通り、アスペクトは「見方・見え方」とも「側面・相」とも訳すことができるが、元々はラテン語の見るという動詞から派生してきた言葉で、視覚的な「見ること」「見えるもの」という意味合いを持つ。
ただ、ここでいうアスペクトというには「側面・相」という意味合いもあって、「見方・見え方」と捉えると比喩がうまく働かない。
つまり、ウィトゲンシュタインは、再び比喩による誤解にはまってしまうことを危惧して、最終版からは削除したのではないか、と。
そして、その後、アスペクトについての考察を始めている
これまた、『探求』の複雑なところで、没後、遺稿管理人であるアンスコムとリーズによって『探求』は出版されているのだが、実はこれはTS227とTS234*5という2種類の原稿をもとにしているものの、ウィトゲンシュタインが『探求』というタイトルをつけているのはTS227だけ。今は、TS234には別のタイトルがふられている。本書では、TS234を旧『哲学探究』第二部と呼んでいる。
で、このTS234でアスペクトについての考察が書かれている、というわけである。
もう1つの理由は、この相転換というのが、認知上の変化にとどまらず実存上の変化にも依存しているから
相転換、あるいは誤解を招く相の除去とは、理想誤解からの脱却なのだが、認知的な理想誤解の問題と、実践上の理想誤解の問題があるのだ、と
ここで、ウィトゲンシュタインがこの時期、哲学的に苦しんでいただけでなく、告白・謝罪をめぐって人生上も苦しんでいたという話に戻ってくる。
彼は英雄になりたいという理想があったが、英雄にはなれなかった。
英雄ではないのに英雄を演じてきたのだ、ずっと英雄を演じるという誘惑に負け続けてきた。が、告白によって、自分が英雄ではなく、英雄を演じていただけだったということを認めて、生き方を変えることができたのだ、と。
これが、実践上の理想誤解からの脱却で、「演じる」から「演じない」への行為の転換があった
相転換というのは、単に見方を変える(認知的)ものではなくて、行為を変える(実践的)ことが伴ってないといけないのではないか、と。
哲学を見方を変えることとだけ捉えるのも、ある種の誘惑であって、この問題にさらに向き合うため、最終版からは削除してたのではないか、というのが筆者の推察である。


ここで、本書の『哲学探究』とは一体いかなる書物なのか、という読解は幕を閉じる。
哲学と生き方というのは不可分なのだ、という筆者(そして筆者が捉えるウィトゲンシュタイン)の考えが反映されて、ウィトゲンシュタインの生き方を通じてウィトゲンシュタインの哲学を考えるという読解になっていると思う

第五章 我々に示されたもの

最終章は、『探求』で示された考察を、自分自身の哲学的考察に応用する。ここで挙げられているのは「科学的実在論論争」である
ここでは「実在論」は「古典的科学観」に、「反実在論」ないし「道具主義」は「マッハ的科学観」に言い換えられている(後者の呼称が、実在論側からの呼び方なので、より中立的にするためらしい)


マッハ的科学観は4つの要素からなる
(a)ダーウィン的な適応概念に基づく知識観
(b)思考の事実への適応という概念
(c)思考の適応としての科学の最終目標としての世界観
(d)思考の適応としての科学における理論と理論的概念の役割


ここで、思考の適応について、マッハは科学の目的として「記述」と「理解」を挙げている。筆者は、マッハについては「記述」ばかり注目されるが、現象の理解も科学の目的としてあげていることがマッハを理解する上で重要としている
また、ここでいう現象の理解とは、熟知化・習熟化であり、なじみのあるものに見えるようにすることだ、と
理論的概念というのは、新しい未知の現象を理解するための媒体であって、古い・日常的ななじみ深い概念でもある。そこには、比喩的な要素が含まれる。「波」「粒」などは、まさにそういう比喩。
マッハはこのことを、生き物が(新しい器官を作るのではなく)既に持っている器官を変化させて適応することに喩えている


古典的科学観と対応説的真理概念
タルスキの真理論と『論考』が、古典的科学観の哲学的基礎ということが論じられている
『論考』における「対象」概念は、科学理論が世界の真の像であるための論理的要請(経験的仮説ではない)


『論考』的考え方に立つと、古典的科学観とマッハ的科学観は決して相容れないものとなる
だが『探求』的考え方に立つと、この二つは、同じ世界に対する異なる二つの描写の仕方となり、比較可能なものとなる。
あとは、科学者の実践に役に立つのか、我々の生にとってどういう意味をもつのか、論理的・概念的整合性がどうなるのかといった基準で、これらの見方を比較し評価できるのではないかと論じられている。


感想

「ツルツル滑る氷」と「ザラザラした大地に戻れ」の比喩とか、あと「哲学とは説明ではなくて記述であるべきだ」とか、有名なフレーズであるし、後者は『青色本』か何かで個人的に「なるほどなー」と思ってたりはしてたんだけど、この本を読んで、どういうことを言わんとしているのかが、とても分かりやすかった
この本、読解手法としては、執筆過程を遡っていくというなかなか大変なものだけど、本自体は、とても内容が分かりやすいと思う。
後期ウィトゲンシュタインってこんなだよね、っていうのがすごく整理されたような感じがする。
あと、「言語ゲーム」というのを、『論考』とは変わる新たな「理論」として捉えてはいけないとか、解説書とかで時々言われたりするけど(意味についての使用説とか「説」と言っちゃうといけないとかね)、どういうこっちゃと、下手するとちょっと神秘化しちゃいそうな話なんだけど、理論化すること自体が間違いのもとなんだ、という話なんだよ、と
じゃあ、理論化しないとすると、哲学は何をするんだというと、理論化することで生じてしまう誤解を見つけ出して、その誤解の元になったものを記述することなんだよ、と


それから、アスペクトとか、ウィトゲンシュタインのキーワードとしてよく出てくるけど、確かにウィトゲンシュタイン哲学の中でアスペクト論が一体どういう位置づけにあるのかはよく分からないところで、それをこういう形で説明するのは、この筆者の面目躍如な感じがする


第三章・第四章を読んでいて思ったのは、ここでいうプラトン過程とか、形而上学化とかって、パラダイム論における通常科学っぽくも見えるなあと
パラダイムを維持するように行われる科学的探求で、それでうまくいくこともあるわけだけど
それから、もう一つは、『論考』って実在論的で、『探求』って反実在論的だなーというのは、三章・四章読みながらも思っていたことなんだけど、そしたら五章がまさにその話題だった
もっとも本書の読みは、『探求』は実在論反実在論の論争を超克することのできる立場というような話っぽくて、単にウィトゲンシュタインは前期と後期とで実在論から反実在論に変わりましたって単純化した整理すると怒られそうな感じもするんだけど、まあでも、少なくとも『論考』が実在論的な立場なのは確か


最後、ウィトゲンシュタインじゃなくてマッハのことだけど、科学の目的としての「理解」がキーワードになっているのが「ほほう」という感じだった
というのも最近、読書メモ(勉強モード):Understanding Scientific Understanding(by Henk W. de Regt)~理解できないものを理解するために、まずは理解を理解する~ - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)という記事を読んでいたから
あと、Milena Ivanova「科学の美的価値」 - logical cypher scape2でも、科学理論と理解の関係についての話をしていたし

*1:参照: 鬼界彰夫『生き方と哲学』 - logical cypher scape2

*2:命題という働きの分かりにくいものを、画像的描写というなじみ深いものに喩えて理解しようとしている旨書かれていて、描写の哲学やってると、いや、描写もそんな分かりやすくはないんだがなーとちょっと思ったりしたw

*3:「頭痛がひどい」「この問題は難しい」「僕はシャーロックホームズが好きだ」などが例としてあげられている

*4:ところで、筆者はそれを「一般的な相の下で」という表現をしている。これ以外にも「~な相の下で」という表現が時々出てくる。こういう言い回しを使うかどうかは趣味の範疇だと思うけど、だからこそ、趣味が出てる感じがする

*5:この番号は、もう一人の遺稿管理人であるフォン・ライトによって、全ての原稿に付された通し番号。手稿はMS、タイプ原稿にはTSとふられている。ここまでこのブログ記事では省略してきたが、本書の本文ではこの番号が大量に使われている。「TS227のこの文はMS227かソースになっていて~」みたいな感じで

森山直人編『近現代の芸術史 文学上演編2 メディア社会における「芸術」の行方』

林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』 - logical cypher scape2と同じシリーズの、京都造形芸術大学の教科書
上の本を手に取った際、同じシリーズの本が他に色々出てるのに気づいて、とりあえずこれも読んでみようかなと手に取った
20世紀の音楽・映画・サブカルチャーを取り扱っている
サブカルチャーについては、戦後の日本と中国


ページ数の関係で、どうしても分量は少ないので、それについての良し悪しはあると思うけど、教科書としてはいいのかなという感じ
逆に、ページ数が少ないがゆえに、具体例を切り詰めているので、むしろ読み物としては読みやすい気がする。

第1章 現代の音楽1―電子音響・ノイズ 小沼純一
第2章 現代の音楽2―リズム、ビート 小沼純一
第3章 現代の音楽3―混血性 小沼純一
第4章 現代の音楽4―環境 小沼純一
第5章 現代の音楽5―方法論・進歩主義? 小沼純一
第6章 映画1―古典的ハリウッド映画の功罪 北大路隆志
第7章 映画2―初期映画の可能性と魅力 北大路隆志
第8章 映画3―「夢の工場」の発展と盛衰 北大路隆志
第9章 映画4―ヨーロッパ映画の多様性と革新性 北大路隆志
第10章 映画5―アジアのなかの日本映画 北大路隆志
第11章 映画6―新しい映像の世紀に向けて 北大路隆志
第12章 サブカルチャー1―敗戦後のアイデンティティの復興 福嶋亮大
第13章 サブカルチャー2―消費社会と虚構の時代 福嶋亮大
第14章 サブカルチャー3―グローバル化する中国と新しい地理感覚 福嶋亮大
第15章 “21世紀”に向き合う芸術思想―9・11と3・11のあとで 森山直人

第1章 現代の音楽1―電子音響・ノイズ 小沼純一

音楽については全部で5章で、時系列順ではなくテーマ別に構成されている
ロシアのテルミン(1919)、フランスのオンド・マルトノ(1928)など電子楽器の誕生
1940~50年代、フランスのミュージック・コンクレートとドイツの電子音楽というスタジオで作られる音楽の誕生
ミュージック・コンクレートって名前は知ってたけど、どんなのかよく分かってなくて、まあ今も本の説明読んだだけで音源聞いてないから分かったとは言えないけど、分かりやすかった
というのは、前者は現実にある音を、後者は電子音を素材にしている、また前者がレコード、後者がテープを媒体にしていたという違いがある。けれどっも、この違いは次第に曖昧になって、今ではどっちも広い意味で電子音楽だよ、と。
シンセサイザーについての項目では、冨田勲繋がりで初音ミクにもちょっと言及が
ノイズの話として、未来派ルッソロが作ったイントンルモーリというノイズ発生装置。これ、ググったら再現したものの動画出てきたけど、手動なんだなー

第2章 現代の音楽2―リズム、ビート 小沼純一

これまでヨーロッパの芸術音楽においてそこまで重要でなかったリズム
しかし、非ヨーロッパ圏(あるいは非芸術音楽?)では、様々なリズムがあり、それがヨーロッパの芸術音楽にも影響を与えるようになる
春の祭典』や『カルミナ・ブラーナ
それから、ポピュラー音楽の方で、タンゴやジャズ
あと、マイクの発明によって、声が大きくなくても歌手として成立するようになった、と(フランク・シナトラボサノヴァ

第3章 現代の音楽3―混血性 小沼純一

この章は「アフリカン・アメリカンの音楽」「ブラジルの音楽」「『ラプソディー・イン・ブルー』」「アコーディオン」「『ノヴェンバー・ステップス』」について書かれている

第4章 現代の音楽4―環境 小沼純一

バッハと同時代のドイツの作曲家テレマンには「食卓の音楽」という曲集があって、いわゆるBGMの起源
サティ
BGM会社大手のMUZAK社→生産効率を高めたりなど管理ツールとしての音楽という意味合いもあり、これにブライアン・イーノが反発し「アンビエント」を提唱・制作
あと、ケージの『4分33秒』、シェーファーが提唱した「サウンドスケープ


エピソード
サティはダダ風の芝居を書いたり、無声映画に出演していたりしたらしい
ケージは、キノコ好きで菌類研究者でもあったらしい

第5章 現代の音楽5―方法論・進歩主義? 小沼純一

シェーンベルクの十二音技法→弟子のヴェーヴェルンによるトータル・セリエリズム→さらにその延長に位置する戦後前衛の三羽がらすブーレーズシュトックハウゼン、ノーノ
セリエリズムに対して、音を全体の響きから捉える方向性→クセナキスなど
ミニマル・ミュージック(ヤング、ライリー、ライヒ、グラス)


ジャズやロックでも方法論の複雑化はある
ジャンルというのはそういうものだけど、しかし歴史というのは単線的なものじゃない。本当に進歩しているのか? あるいは、進歩はいいものなのか?
という問いかけで終わっている
というか、音楽についての5章はテーマ別だったこともあって、大体全部問いかけで終わっていて、教科書って感じがする
音楽はやっぱり、音源聞くのも込みじゃないとなかなか分からん。まあ、ググれば聞けたりするのでいいのだが、やはり授業とセットとして書かれているのかなあという気はした。

第6章 映画1―古典的ハリウッド映画の功罪 北大路隆志

古典的ハリウッド映画によって形成された「映画の文法」について
文法というのはもちろん比喩だが、ショットという基本単位を編集によって連続したものにして物語を伝える方法
編集していないかのように編集することが重要で、編集というのは人為的なプロセスなのだけど、それを感じさせないことで物語に集中させるためのもの
1930年代に体系化されるが、60年代~70年代には、映画の文法は隠蔽されたイデオロギーなのだという形で批判されるようになる、と

  • クロースアップ

リュミエールやメリエス作品、あるいは西欧芸術の伝統においても全身を映すのが基本で、クロースアップは当初、衝撃的
例えばドライヤー『裁かるるジャンヌ
クロースアップの発見は映画の独自性を解明する鍵、と述べている


グリフィスによる映画文法の確立

ハリウッド映画の文法を拒絶するような作品として『市民ケーン
(1)パン・フォーカス
普通ならカット割りするようなシーンで、パン・フォーカスを使ったロングショットを使う。
窓の外で遊んでいる少年、その少年についての後見人契約を交わす両親を同時に画面に捉えることで、両者の対比や力関係を収める演出
(2)切り返しショット
会話を切り返しショットで撮るのは映画の文法のお約束だが、それを逆手にとる
夫婦の仲が次第に離れていく過程を、切り返しショットで描くことで、この手法の不自然さをあぶりだす

第7章 映画2―初期映画の可能性と魅力 北大路隆志

19世紀末における「動く映像」への関心の高まりを、リアリズムへの志向の高まりと関連していたのではないかと指摘

近付いてくる列車に本当に近付いてくると感じて当時の観客が驚いたという例の話、これはまあいわば「伝説」であって信憑性は怪しいが、現代と当時とで視聴環境が異なっていたことを示すエピソードだ、と。また、近年では、当時の観客は、遊園地のアトラクションのようにこの映像を体験していたのではないか、と指摘する研究もあるという
リュミエール社は世界各地に撮影技師を送っている→撮る/撮られるの関係と植民地主義帝国主義の問題

エジソン社で制作された作品の多くがスタジオ撮影
リュミエール作品は屋外で素人を撮影
この2つの志向は、現在まで映画史に続いている

  • フィクションとドキュメンタリー

リュミエール作品はドキュメンタリーの起源、メリエス作品はSF映画・劇映画の起源、と一般的には見なされるが、ゴダールは『中国女』で、リュミエールが描く世界は後期印象派プルースト作品の世界のようなのでフィクション、メリエスは、未来のニュースなのでドキュメンタリーという
映画におけるフィクションとドキュメンタリーの曖昧さ

  • 初期映画は未熟なのか

初期映画は、まだ映画の文法が確立されていない頃を指すが、それは未熟であることを意味するのか
別の常識のもとで作られていたのではないか


ちょっと面白い(?)謎の誤植があって、註1が第8章の註1と全く同じ内容

第8章 映画3―「夢の工場」の発展と盛衰 北大路隆志

エジソン社をはじめとする東海岸の「特許」による独占から西海岸へと逃げてきた新興勢力によって作られたのがハリウッド
1930年代のプロダクションコード(ヘイズコード)とスタジオシステムの確立
戦後、テレビへの対抗や、1960年代からのさまざまな社会運動やカウンターカルチャーの勃興→プロダクションコードの廃止とニューシネマの台頭
コッポラやスピルバーグなどのニュー・ハリウッド

第9章 映画4―ヨーロッパ映画の多様性と革新性 北大路隆志

ドイツ表現主義
ソヴィエト・モンタージュ
30年代フランス映画で(スタジオ撮影と外国人監督によって)作られたパリのイメージ
ネオレアリズモ


ハリウッドにおいて監督はあくまでもスタッフの一人、そもそも映画制作は共同作業
しかし、ヌーヴェルヴァーグの監督ともなる映画批評家たちは、「作家主義」をとり、映画監督を作家として評価するようになった

第10章 映画5―アジアのなかの日本映画 北大路隆志

1897年 リュミエール社から派遣された撮影技師が神戸着


1912年に日活設立、1920年に松竹が映画産業へ
「活動写真」から「キネマ」へと呼び方が変わるが、これは歌舞伎の延長からの脱却としての「純映画劇運動」がある
歌舞伎の影響で女優はおらず(男性による女形だった)、また活動弁士が活躍していたが、「映画の文法」を使った純映画劇を作るという運動が起きる
関東大震災で、撮影所が京都へ。時代劇は京都、現代劇は東京という分業体制が確立
1920年代「時代劇」という呼び方が一般化(歌舞伎の旧派からの改革)
当時流行の講談本や小説から題材をとったヒーローの登場、そして、モンタージュや移動撮影などを駆使した「立ち回り」
30年代、時代劇は「傾向映画」つまり左寄りと見なされていたとかいうのちょっと面白い


1936年、松竹の撮影所が大船へ移転
当時の所長である城戸は、小津安二郎らの若手を起用、モダニズムと日本の情緒をもった「大船調」という松竹スタイルを確立
戦後、売り上げが落ちる中、城戸は再び若手を登用、そこで登場したのが大島渚ら松竹ヌーヴェル・ヴァーグ。彼らはその後松竹を去るが、松竹に残ったのが山田洋次


1950年代、黒澤明溝口健二といった日本映画の監督が国際的に高い評価を得るようになる
しかし、これはこの時期、日本映画のクオリティが高くなったわけではなく、戦後、ヴェネツィア、カンヌ、ベルリンの三大国際映画祭が始まり、ヨーロッパにおいて世界各地の映画が発掘されるようになったから


アジア映画について
香港映画のカンフーアクション、インド映画のダンスなど、身体性が普遍的な魅力に
また、台湾、中国、韓国などもそれぞれ国際的な注目を浴びるようになった、と

第11章 映画6―新しい映像の世紀に向けて 北大路隆志

映画について最後の章は、ドキュメンタリー映画について


初期映画はもともと記録映像だったけれど、次第に劇映画が主流になっていき、劇映画の前の添え物としてのニュース映画だけになっていく
1922年 フラハティ『極北のナヌーク』が予想外のヒット
(同作はイヌイットの生活に密着した作品だが、この時から既に「演出」はあって、当時はもう行われていなかったセイウチ狩りを演じてみせたりとか。あと面白いのは、イグルーの中に照明が入れないので、半分に割ったイグルーで生活を演じてみせたとか)
その後、同じくフラハティによる『モアナ』について、グリアソンが「ドキュメンタリー」という言葉を用いて評し
そのグリアソンが、1928年から40年にかけてイギリスにおいてドキュメンタリー運動を行い、これが一般的なドキュメンタリー観を規定
すなわち、社会改良に向けた啓蒙活動としてのドキュメンタリー、ヴォイス・オーバーによるメッセージの観客への語りかけ、モンタージュを用いた再構成など
そして、1930年代には、元女優のリーフェンシュタールによる『意志の勝利』『民族の祭典』『美の祭典』が制作される


日本では、関東大震災の様子を日本全国に伝える「出来事映画」が活躍
また、戦時中はニュース映画の全盛期となる


戦後、グリアソンのドキュメンタリー運動から逸脱する方向性が生じてくる
1つは、ヴォイス・オーバーを使わず、現地でとれた音を使う「ダイレクト・シネマ」の潮流
もう一つは、パブリックであることや客観性を装わず、プライベートな問題や作家個人の主観性を打ち出す方向性


映画史は、なんとなく知ってる程度で、日本映画史やドキュメンタリー映画史になると全く知らないといってもいいくらいだったので、普通に勉強になった
全く知らないとはいったが、名前とかはポツポツ知ってるわけで、それが改めて、「あ、ここに位置するのね」みたいに分かったのでよかった。

第12章 サブカルチャー1―敗戦後のアイデンティティの復興 福嶋亮大

12・13章は主に日本の漫画・アニメの話


手塚治虫
彼が生まれ育った宝塚は、小林の阪急・宝塚グループによって開発された郊外文化だが、小林はイギリスのハワードによる田園都市構想に影響を受けている。小林・ハワードにの理念はユートピア幻想があった。手塚は戦後民主主義ヒューマニズムの擁護者とされるけど、戦後日本を超えたユートピア的な「歴史」を創造していたのでは、と
水木しげる
梶原一騎の少年漫画
二十四年組の少女漫画

第13章 サブカルチャー2―消費社会と虚構の時代 福嶋亮大

13章で取り上げられている項目は大体下記のとおり
ディズニーランド
宮崎駿
大友・押井
「おたく」
ゲームとインターネット
プロシューマー

第14章 サブカルチャー3―グローバル化する中国と新しい地理感覚 福嶋亮大

中国のサブカルチャーについて
陳凱歌(チェン・カイコー)や張藝謀(チャン・イーモウ)ら第五世代の中国映画
侯孝賢ホウ・シャオシェン)や楊徳昌エドワード・ヤン)といった台湾ニューウェーブ
「八〇後世代」の作家たち
それから、日本からの影響として、岩井俊二村上春樹
あと、秋葉原の話

第15章 “21世紀”に向き合う芸術思想―9・11と3・11のあとで 森山直人

内容省略、以下項目のみあげる


グローバリゼーションのなかの「芸術」
「メディア革命」と監視社会
権力と身体
〈差異〉の思想
〈三・一一〉以後の芸術とは?

林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』

タイトル通り美術史の本で、ちょうど20世紀を丸々扱っている。
京都造形芸術大学の教科書として作成された本だが、森さんが授業のシラバスでお薦めの図書として挙げていたので、気になって読んでみた。
美術の世界(大妻女子大学シラバス)
まさに教科書的な本だが、比較的若い書き手によって書かれているように思う。
20世紀全体を200ページ足らずに収めているので、一つ一つの項目の分量自体は少なめではあるが、連続した読み物になっているので、読みやすく分かりやすい
ところで、編者の人、筒井康忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』 - logical cypher scape2藤田嗣治の項を書いてた人だ。

第1章 「表現」への衝動―フォーヴィスム表現主義、プリミティヴィスム 林卓行
第2章 空間と時間の拡張―キュビスム未来派 林卓行
第3章 本質をめざして―抽象絵画の始まり 林卓行
第4章 反逆の芸術―ダダとシュルレアリスム 林卓行
第5章 戦争・革命・芸術―両大戦間期と第二次大戦下のヨーロッパ 林卓行
第6章 20世紀前半の彫刻―公共空間のモニュメントからアトリエ内の実験へ 石崎尚
第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼
第8章 戦後の抽象―抽象表現主義と現代絵画の系譜 沢山遼
第9章 ネオ・ダダからポップ・アートへ―芸術と生活の架橋 沢山遼
第10章 ミニマリズムとポスト・ミニマリズム―現代芸術の極点 沢山遼
第11章 コンセプチュアル・アートとランド・アート―拡張する芸術表現  沢山遼
第12章 世紀末の都市―性・人種・機械 星野太
第13章 イメージの氾濫―写真・映像を通過する芸術表現 星野太
第14章 20世紀後半の彫刻―形式の多様化と人間像の再生 石崎尚
第15章 グローバル化するアート―地域・市場・国際展 星野太


第1章 「表現」への衝動―フォーヴィスム表現主義、プリミティヴィスム 林卓行

サブタイトルにある通り、フォーヴィズム、ドイツの表現主義(ブリュッケや青騎士)、エコール・ド・パリ、プリミティズムについて
表現というと芸術家「個人」の表現と思われるかもしれないが、当時の社会や、美術史と切り結ぶことで生まれたものだえること
それから、西欧の伝統に対する超克として、プリミティブなのものへの注目があったことが最後に述べられている

第2章 空間と時間の拡張―キュビスム未来派 林卓行

ピカソとブラック、そこから影響を受けたドローネー、ピカソやブラックとは独立してキュビスムに到達したレジェ、連続写真に影響を受けたデュシャン、そして未来派
ピカソキュビスムに入っていくきっかけとして、プリミティブな美術との出会いとセザンヌからの影響の二つがあるが、最近の研究によるとセザンヌからの影響関係を疑問視する説もあるらしい(ここでは、そういう研究もあるけれど、とはいえセザンヌピカソは同じ特徴を持ってるよね、とまとめているが)。レジェはセザンヌからの影響っぽいが
あと、未来派の「自動車はサモトラケのニケより美しい」って、「機銃掃射のなかを疾走する自動車は、サモトラケのニケより美しい」なのね。前段、知らなかった。
キュビスムは、抽象絵画やダダなど、のちの美術運動にも影響を与えたという点で、特別だよというようなまとめ

第3章 本質をめざして―抽象絵画の始まり 林卓行

カンディンスキーモンドリアンマレーヴィチには、それぞれ神秘思想的な背景があったりして、超越的な世界へ向けて描いていた
とする一方で、抽象絵画には、現世的・日常的な方向もあった、と
それは例えば、バウハウスにおいて、抽象絵画がデザインや造形へと生かされていく流れ(カンディンスキーバウハウスで教鞭をとっており、モホリ=ナジの立体作品やシュレンマーの衣装、ダンス)
あるいは、身近な素材を使うクレーや、ドローネー夫妻のソニア。ソニア・ドローネーはのちにファッション・デザインにも進出
あと、モンドリアンは、神智学から影響を受けているけれど、渡米後は、ニューヨークの都市生活をモチーフにしていて、やはり日常的な方向に向かっているのでは、と

第4章 反逆の芸術―ダダとシュルレアリスム 林卓行

メルツバウ」ってハノーファーのダダか(建築内部を作品化、第二次大戦の爆撃により消失)
ダダとレディ・メイド
シュルレリスムの様々な技法(デペイズマンがオートマティスムと並置されてた)とあって、その後に写真が続くのだけど、マン・レイの特殊な技法の写真だけでなく、近年の研究で「普通の写真」こそシュルレアリスム的だったという指摘がなされているというのがあった。アジェやケルテスの写真
それから、ダダやシュールレアリスム第一次大戦社会主義革命の影響を受けているという話。ブルトンって、戦時中、精神科医インターンとして従軍した経験があって、そこからフロイト理論につながっていたらしい
あと、国籍の多様性

第5章 戦争・革命・芸術―両大戦間期と第二次大戦下のヨーロッパ 林卓行

1930年代後半から40年代のヨーロッパ
ロシア・アヴァンギャルドののち、社会主義リアリズムとなっていくソ連と、退廃芸術展やったナチス・ドイツ
多くの芸術家がアメリカへ亡命する中、ヨーロッパにとどまったマティスピカソ
それから、具象画、裸婦像、静物といった伝統的なモチーフに回帰しつつ、不安な感じなどを描くベーコン(英)、フロイド(英)、モランディ(伊)
そして、フランスのアンフォルメルアンフォルメルの画家のひとりであるデュヴュッフェは「アール・ブリュット」の命名者でもある
それから、伝統への回帰をみせたバルテュス(この時代の人だって知らんかった……)

第6章 20世紀前半の彫刻―公共空間のモニュメントからアトリエ内の実験へ 石崎尚

20世紀、モニュメント(記念碑)としての彫刻は減り、展覧会へと移行する。これにより、題材の制約がなくなり、抽象彫刻が生まれてくる。
モニュメントから展覧会の流れの代表格が、ロダン。元々、モニュメント作っていたが、自分の表現を優先するようになる。
また、ロダンの工房から弟子がどんどん出てくる。
それから、画家が彫刻を作るようになったのも20世紀の特徴。絵画の方の潮流からの影響を受けた彫刻も作られるようになる。
抽象彫刻としては、シュールレアリスムのアルプやジャコメッティ。彼らとも交流があり、マヤ文明のチャックモール像から影響を受けたヘンリー・ムーア*1。一時期、ロダン工房にいたブランクーシ
あと、アッサンブラージュとかレディメイドとか、手わざではない彫刻が

第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼

第一次大戦勃発後に渡米したデュシャンとピカビア、これにアメリカ人のマン・レイで「ニューヨーク・ダダ」なんだけど、これ、自分たちで名乗ってなかったのだな。
これに続いて、機械や工場、摩天楼をアメリカの「原風景」として、キュビズムっぽく幾何学的に描くプレシジョニズム
写真家のスティーグリッツがギャラリーを開いて、ヨーロッパの作家だけでなく、ダウやオキーフなどアメリカで抽象画を描いていた作家が発表する
オキーフは、動物の頭骨とかの絵を描く人で、そういったものがメインだけど、20年代にはやはりプレシジョニズム的な都市を幾何学的に描く作品もあったらしい
一方で、写実主義へ回帰しつつ社会問題を描く「アメリカン・シーン」
メキシコ壁画運動や、失業対策の連邦美術計画
シュールレアリストたちの渡米
一方、彫刻分野では、1930年代にカルダーやイサム・ノグチが登場してくる

第8章 戦後の抽象―抽象表現主義と現代絵画の系譜 沢山遼

抽象表現主義の画家たちは、初期に亡命シュルレアリストとの交流があり、影響を受けていることが多い。初期には記号などを使ったりしていて、また、ネイティブ・アメリカンの神話などへの関心があったりして、完全な抽象への志向があったわけではない。
作品の巨大さは、壁画制作からの影響や、前世代のゴーキーやマッタからの影響も
抽象表現主義は、美術の主流がヨーロッパからアメリカへ移行したこと、特にアメリカの「勝利」の象徴とされるが、この構図にはアメリカの政治的な意図もある。戦後、アメリカには美術館やギャラリーが増えたことも影響。もちろん、米ソ冷戦も背景にある(社会的リアリズムとは対極の芸術、というアメリカの文化的戦略。しかし、画家や批評家は左翼が多かったとも)
一方で、イタリアでは、フォンタナらによって、抽象美術が始まっていて、科学技術などとの接続が試みられたり、あるいは、マンゾーニは、のちのコンセプチュアル・アートにつながるような活動をする
また、ブラジルでは、「新具体主義」という動きがでてきて、鑑賞者の身体性が重視され、抽象性はむしろ批判されるようになる

第9章 ネオ・ダダからポップ・アートへ―芸術と生活の架橋 沢山遼

1960年代
ラウシェンバーグやジョーンズらの「ネオ・ダダ」
ネオ・ダダには、ジョン・ケージからの影響をうけて、イベントやハプニングといった運動も起きる
フランスでは、ヌーヴォー・レアリスム。ティンゲリーなど
イギリスから始まるポップ・アート

第10章 ミニマリズムとポスト・ミニマリズム―現代芸術の極点 沢山遼

ジャッド「特殊な物体」
ロバート・モリス、ダン・フレヴィン*2、カール・アンドレ
同時期に、フルクサスアルテ・ポーヴェラ(伊)、シュポール/シュルファス(仏)、ウィーン・アクショニズム(墺)、「具体」「もの派」(日)
フルクサスは、複数の拠点で参加者も流動的な運動体で、ヨーゼフ・ボイスナムジュン・パイクオノ・ヨーコらが参加
ミニマリズムの動向は、柔らかい素材や不定形さを用いたり、身体性や社会を意識するポスト・ミニマリズムへ。リチャード・セラとか。ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」を提唱。また、「ボディ・アート」という動向も。

第11章 コンセプチュアル・アートとランド・アート―拡張する芸術表現  沢山遼

60年代半ばからコンセプチュアル・アートとランド・アートが登場してくる
ロバート・モリスとか、ミニマリズムの中でも名前が出てきたけど、コンセプチュアル・アートもやってる
コンセプチュアル・アートという言葉を広めたルウィットは、立体作品も手掛けている(直線の順列組み合わせで作品が自動的にできる、オリジナリティ神話の解体という意味もある)。これも概念重視の作品だけど、ちょっと見た目がミニマリズムっぽいところもあるのかな、と
ランド・アートとコンセプチュアル・アートは、見た目は違うけれど、どちらも、容易な商業的取引が不可能という点では共通だ、と。
美術館という展示空間への批評として、街に紙を貼っていく作品とか、ギャラリーの壁を取り外す作品とかも
近年の研究では、コンセプチュアル・アートを支えた作家以外の人物についても研究され、ディーラー兼編集者のジーゲロープが、ゼロックス・コピーを使って、ギャラリーではなく簡易本で行う展覧会をやっていたり、とか

第12章 世紀末の都市―性・人種・機械 星野太

具象画への回帰(ニュー・ペインティング)
ドイツの新表現主義など、あるいは「ストリート」と美術の世界を横断する作家の登場
マイノリティなどの表現や「ポストヒューマン」というテーマ
アプロプリエーションないしシミュレーショニズムといった手法の登場
売買に抵抗するような形をしていた従来の動向と違って、80年代は、現代の巨大マーケット黎明期

第13章 イメージの氾濫―写真・映像を通過する芸術表現 星野太

90年代、写真や映像が表現手段として現代美術に
また、東西ドイツの統一やソ連崩壊で、これまで注目されてこなかった作家が表舞台へ
様々な作風の写真を撮るティルマンス
過去の歴史を問い直すボルタンスキー
ビデオ・アートのヴィオラ
写真を通して描くデュマスやタイマンス
木炭のドローイングをアニメーションとするケントリッジ
ドイツにおいて、アート教育が充実し、ドイツ作家が台頭してくる
旧西ドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーは、ヨーゼフ・ボイスアンゼルム・キーファージグマー・ポルケゲルハルト・リヒターを輩出。ボイスは、アカデミー出身でアカデミーの教授になるも、教育方法に批判的で解雇されてしまうも、影響が大きく、例えばリヒターにはボイスからの影響がある、とか
また、同じくアカデミー出身の写真家ベッヒャー夫妻も教育への貢献が大きく、グルスキーらを輩出(ベッヒャー派)。

第14章 20世紀後半の彫刻―形式の多様化と人間像の再生 石崎尚

20世紀は彫刻の素材に、鉄などが使われるようになり、さらにプラスチックや既製品も使われるようになっていく
「彫刻」という呼び名が使いにくくなり「立体」とか「インスタレーション」とかにもなっていく
鉄を使った彫刻のアンソニー・カロは、ヘンリー・ムーアの弟子らしい。水平的な構造にその影響あり、と
人体から直接石膏で肩をとり既存のベンチなどと展示するシーガルや、巨大化した日用品を柔らかい素材で作るオルデンバーグ、プラスチックのごみを並べて作品にするクラッグなど
パブリック・アートといわれる屋外展示。反対運動が起こって結局撤去されつぃまったセラの「傾いた弧」
クリストとジャンヌ=クロードの公共施設を布で覆う作品は、むしろ人々とのかかわりによってこそできるもので、そのプロセスが重視される
あと、ボイスの「社会彫刻」
人体像が再び使われるようになるが、サイズが全然違ったりと違和感を誘うもの
ホワイトリードの「家」は、「傾いた弧」と同じく撤去されてしまったパブリック・アートだが、賛否両論で、すぐれた作例のひとつとされる
あるいは、イサム・ノグチの「モエレ沼公園」は、彫刻家と自治体の協働

第15章 グローバル化するアート―地域・市場・国際展 星野太

マーケットの拡大と、ダミアン・ハーストなどヤング・ブリティッシュ・アーティスト
日常性の詩学
東アジア出身の作家たち、分野横断型のものが多い。鑑賞の対象がなく、ギャラリーでパーティを行うようなティラヴァーニャなど
ヴェネツィアビエンナーレで、貧しい移民に対して自身の展示スペースでの物売りを許可したり、スペインのパスポートを持っている人だけ入場できるという作品を作ったりして、政治問題を取り上げるシエラ
天井に穴をあけて、自然の空を作品とするタレル*3
国際美術展の見本市化によるグローバル化・マーケット化
その一方で、地域・コミュニティでの活動を軸とする作家の活動(関係性の美学)

松下哲也『ヘンリー・フューズリの画法』

サブタイトルは「物語とキャラクター表現の革新」、筆者の博士論文を書籍化したもの
美術としての絵画とそうではない絵画の結節点となる画家として、18世紀イギリスの画家フューズリについて論じる。
フューズリは、ロイヤル・アカデミーの画家だが、観相学や演劇などからの影響を受けており、本書では、美術だけではない当時の視覚文化の関わりの中に彼を位置付ける(マーティン・マイロンが、当時の視覚文化の趨勢である「ゴシック・スペクタル」の一部としてフューズリを位置付けている)。
第一章では、イギリスのロイヤル・アカデミーの特徴について
第二章では、フューズリの理論的背景について
第三章と第四章では、具体的な作品を取り上げ演劇からの影響を論じる
第五章では、フューズリの後世への影響について

序章
第1章 物語絵画と十八世紀の美術市場
第2章 物語とキャラクターの理論
第3章 「劇場は最高の学校」―俳優の演技と物語絵画の「行為」
第4章 物語とキャラクターの造形
第5章 次世代に継承されたフューズリの画法
あとがき
参考文献

ヘンリー・フューズリの画法: 物語とキャラクター表現の革新


序章

フューズリの略歴と近年の研究動向について
フューズリは、1741年チューリヒ生まれ、1825年ロンドン死没
「悪魔的」「魔術的」と称される画風で、「イギリスロマン主義美術」の先駆者
アカデミーに所属する画家なのだが、実は正規の美術教育は受けておらず、元々は文筆家
おおよそ20代のあいだは、翻訳業などをしていて、フランスへ行った際にはルソーやヒュームと知り合っていたりしている
元々画家になりたくて、趣味で絵を描いており、それがロイヤル・アカデミーの初代総統であるレノルズに認められ、29歳に画家への転身を決意、38歳で画家として独り立ちし、47歳でロイヤル・アカデミー準会員となり、最終的には付属美術学校最高責任者にまでなっている

第1章 物語絵画と十八世紀の美術市場

イギリスのアカデミーは、ロイヤル・アカデミーという名前はついているが、画家同士の互助組織であって、王家や国からの資金援助があった組織というわけではない
そのため、非常に「商業的」
年次展覧会を開催し、カタログを売って資金源にしていた
画家は、展覧会に出ることで知名度を上げて仕事を得るので、年々出展数が増える。すると、多数の作品の中に埋もれてしまうので、アピールする必要がある。「ショー」化
フューズリは、そこで目立つのが上手かった。代表作『夢魔』(エラスムスダーウィン『植物の園』の挿絵にもなっている絵)は、非正規なパロディを含めたくさんの版画が作られ、フューズリと出版産業の関係を強めた


文芸ギャラリー
ロイヤル・アカデミーは「英国画派」の確立を目指し、シェイクスピアに目をつける
シェイクスピア作品を題材にした作品の展覧会などをやるようになる
フューズリも、シェイクスピアを描いているし、ミルトンのもやっている
これは、文芸作品を題材としているため、必然的に連作となっていく
また、こうしたギャラリーは、展覧会だけでなく、版画の出版物企画とも連動するようになる
フューズリの画業や絵画論は、こうした伝統的絵画の変化が背景にある

第2章 物語とキャラクターの理論

  • 詩的模倣

フューズリは、芸術論としては、ボドマーとブライティンガーからの詩学の影響を受けている
そこでは、詩と絵画は同種のもの、どちらも「読まれる」ものであるという考えに立っている
例えば、古代ギリシアのシモニデスによる「絵は黙せる詩、詩は語る絵」という対句
これに対して、レッシングの『ラオコーン』が発表される
フューズリは、『ラオコーン』を読んでいたが、これに対して長く沈黙していた。しかし、しばらくたってから、レッシングからの影響を公言するようになる。
本論では、フューズリがレッシングを受容するようになっていった時期に、文芸ギャラリーの参加があったことが指摘されている。
で、フューズリは、絵画にも詩的な表現(物語)を描けるということと、レッシングの詩と絵画は異なる表現形式だということを両立させるような理論として「詩的模倣」という考えを生み出す
これには、彼の師であるブライティンガーの「創案」という考えが背景にある
ブライティンガーは、ライプニッツの可能世界論をもとに文学論を考えたらしい*1。で、世界の「創造」は神のみの御業であって作家が「創造」するということはありえないんだけど、作家は作品の「創案(発明invention)」をしているのだ、と。神が創造しえたのだけど実際には創造しなかった可能世界の事物を、現実世界における作品の形態に置き換えることが、作家の「創案」なのだ、と。その限りにおいて、作家は「創造」を行っているといってもいい、と
フューズリの「詩的模倣」というのは、この「創案」という考えをもとにしていて、現実世界の事物を模倣する「自然模倣」に対して、現実にはないけど可能ではあるような組み合わせを制作するのが「詩的模倣」
で、「詩的」という言い方をしているけど、これは詩(文学)に限ったことじゃなくて、絵画にも適用できる、と。

フューズリは、正規の美術教育は受けていないが、個人的には若い頃から絵を描いている
で、ミケランジェロとか古代ローマレリーフとかを元にして描いている絵とかもあるのだけど、元の絵を正確に再現するというようなことはあまりできていない。代わりに、プロポーションを誇張した人体造形をしている。
フューズリは、五ポイント・ドローイングという、人体造形の訓練をしていて、紙の上に5つの点を打って、それを頭部と両手両足にして絵を描くというもので、できるだけ描きにくい位置に点を打つようにする
なので、自然そうなポーズとかではなく、実際にはないんだけど論理的には可能なポーズの造形で人体を描く
それの例として、p.76に『プロメテウス』という絵が掲載されているんだけど、最初見たとき「ジョジョっぽい」と思った。身を屈めたポーズなんだけど、腕の捻り方とかが「っぽい」

フューズリは、理論書の中で観相学に言及しており、特に当時、観相学の集大成となっていたのがラヴァターの観相学の本で、フューズリは英訳版の監修とイラストを担当しているほど
キャラクターを造形する上で、観相学を使っている。例えば、額の角度によって、聖人と悪人とを描き分けるなど
ロイヤル・アカデミーのレノルズが、人体について理想形・本質を描くことを目指していたのに対して、フューズリは、むしろ多様性を目指していた(美しい人物だけでなく、卑しい・醜悪な人物も描こうとしていた)という相違がある

第3章 「劇場は最高の学校」―俳優の演技と物語絵画の「行為」

主に、感情表現と表情の話


フューズリは、シェイクスピア演劇を観劇するのが趣味で、特に当時の有名俳優であるデヴィッド・ギャリックを好んでいた
このギャリックによる芝居は当時、その「表情」と「身振り」によって感情が巧みに表現されていたことが評価されている
で、この表情による感情表現の背景にあったのが、シャルル・ル・ブランで、ル・ブランはデカルトやラ・メトリーの機械論的な哲学をベースにして、感情ごとの表情の描きわけについての本を書いている。このル・ブランの本が、ギャリックなどの演技論やフューズリに影響を与えている
フューズリの作品は、より暴力的・性的な過激な題材が使われており、それが特徴的だが、ヒュームからの影響があるという
ヒュームの「共感」の概念が当時のイギリスには広まっていて、フューズリは「共感」をもたらすような作品をより上位に位置づけている。

第4章 物語とキャラクターの造形

引き続き、演劇からの影響の話
時間表現についてと光について

  • 時間表現

ここではフューズリの「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」という作品について論じられる
これは『デカメロン』に収録されているエピソードの翻案作品を元ネタにして描かれた絵
異時同図法で描かれたことが指摘されているが、本書では特に、絵の右側で逃げている女性(テオドーレ)の、不自然な体のねじれに特にこの作品の時空間構造を見て取る
なお、この絵は、元エピソードが貞操についての訓戒だったのに対して、そのような側面が退き、暴力的な要素が強くなっている。そこで、フューズリが秘密裏にポルノグラフィを描いていたという点についても、この節で解説がされている
さて、話を戻すと、テオドーレの上半身の捻りは、当時の演劇舞台と関連しているのではないか、と論じられている。
当時の劇場の舞台は、役者が演技をする舞台が前にあり、その奥に舞台装置を設置した空間があった。
ただ、18世紀はこの二つの空間の区別が失われはじめた時期で、つまり、役者は左右方向だけでなく、奥行き方向への移動もするようになっていた。
フューズリが描いたテオドーレの上半身の捻じれというのは、奥行き方向から左右方向へと向きを変えていくことに対応しているのだ、と
本論では、これ以前に描かれた作品と、これ以後に描かれた作品で、登場人物が同様の動線を辿っていると思われる作品をあげ、フューズリが次第に、この動きの描き方に熟達していく様を示している。

フューズリは、自著において、「目への暴力」になるような明暗の差がはっきりしすぎているのは避けるように、と書いておきながら、彼がキアロスクーロの手法で描いた作品は、非常にコンストラクトが強い。フューズリは、理論と実作にこのような「矛盾」があると言われているが、本書はこれは矛盾ではないと論じる
ここでは、この時代の演劇において照明による演出が進歩してきたことや、幻灯機、ファンタスマゴリアのような視覚文化の中に、フューズリの作品を位置付ける
マクベス』におけるマクベスの恐怖の演出や、あるいは『マクベス』や『ハムレット』に出てくる魔女や亡霊といった超自然的な要素を描くために、強調された明暗が使われたのだと。そしてこれは、当時の舞台の照明演出や、ファンタスマゴリアなどでも同じようなことがなされているのである

第5章 次世代に継承されたフューズリの画法

フューズリの芸術論とロイヤル・アカデミーでの絵画教育は、広く共有されたが、イギリスにおいて、物語絵画の地位が上位だった期間は長く続かない。ターナーやコンスタブルの風景画の時代が来るからである。なお、コンスタブルはフューズリの教え子だったらしい。
で、第5章では、フューズリの影響についてが論じられる。
ここでまず、ラヴァターの『観相学』がラファエル前派に影響を与えていることに注目されるが、フューズリと世紀末美術の間には時間差がある。で、これを埋めるものとして、(1)ウィリアム・ブレイク(2)ブレイクを慕う若手美術家グループ「古代人」(3)アカデミーでフューズリに師事した画家たちの3つをあげている

ブレイクはフューズリの友人
観相学に基づくキャラクター造形について、ブレイクとフューズリには多数の一致があり、ブレイクはフューズリの盟友でありフューズリ理論の継承者であった
第2章の「詩的模倣」で述べた通り、キャラクターの多様性、個別性、醜さを重視する点など
ところで、ブレイクの言葉がいくつか引用されているのだけど、たびたび「崇高」という言葉が出てきて、流行ってたのかなとちょっと思った

  • 「古代人」

晩年のブレイクのもとに集った若い画家のグループ「古代人」
その中には、ブレイクを介してフューズリの理論を継承した者もいる
また、そもそもアカデミーでフューズリの教え子だった者もいる

  • アカデミーでのフューズリの教え子たち

既に述べた通り、イギリス美術において、物語絵画の時代は長く続かず、風景画の時代がやってくる。
このため、フューズリの教え子世代で、物語絵画のテーマを引き継いだ者たちは、経済的には困窮し、後世においてはほとんど無名の存在となってしまった
ここでは、そうした教え子としてヘイドンとホルストが挙げられている
ヘイドンは、フューズリの美術教育を、一般向けの技法書に書き、フューズリのキャラクター造形の理論をアマチュア向けに広めた
ホルストは、『惑星』のホルストの大叔父にあたり、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』の挿絵画家でもあり、ここで重要なのは、ラファエル前派のロセッティが私淑していたという点
フューズリの教え子を介して、フューズリとラファエル前派とが繋がっている。


この前、大塚英志『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』 - logical cypher scape2を読んで、次にこれを読んで、まあ繋がっているのか繋がっていないのかよく分からないんだけど
この大塚英志ミュシャの本の中には、田山花袋柳田國男島崎藤村上田敏が集まっていた『文學界』グループが自らをラファエル前派になぞらえていたことなど、ラファエル前派への言及が度々あり、このフューズリについての本がラファエル前派で終わっているので、「あ、なんかつながったな」とw


なお、この本の一番最後に、テプフェールへの言及もなされている
テプフェールとフューズリも同時代人。ただ、直接的な影響関係自体はない。とはいえ、観相学をもとにしたキャラクター造形の理論を作り、物語を叙述するものとして絵画(テプフェールは「版画文学」という言葉を使った)をとらえ、アカデミックな美術とは異なるイラストレーションやコミックといった分野へ影響を与えたという点では、近い位置付けができるのではないか、と。

*1:ブライティンガーという、なんかプランティンガとなんか名前が似ている人が、可能世界論をもとにした文学論やっているの、ちょっと面白い気がしたw